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2024年4月28日日曜日

年金の行くへ

 以前に母から、デイサービスを受けている知りあいの人のことを聞いて、考えさせられたことがある。

それは、農業を中心にしていた資産家の話で、田んぼまで売りながら、子供を医学部で学ばせた夫婦のことだった。

子供は立派に開業医をしているが、別々に暮らしていて、老夫婦は年金暮らしである。

母は父が65歳まで働いた年金を受け継いでいるので、結構良い額を貰っていた。

だから、父が亡くなった後の年金暮らしは何不自由は無く、私の扶養にも入れられない額だった。

ところが、その老夫婦は国民年金だけなので、私の母の年金の半分ほどしか無い。

それで、医者の息子から毎月5万円のお金を貰っているという。

いくら5万円貰っても、二人暮らしだから、切り詰めて生活しているようだった。

せっかく息子を立派に医者にしても、その親は苦しい老後を迎えねばならない。

私の両親は、息子たちは自分の生活で精一杯で、送金してもらうことは難しかったが、十分年金で生活ができていた。


要するに自分の老後を考えずに子供に資産をつぎ込んだら、辛い老後が待っているということだ。

この老夫婦のように子供が医者になって少しでも、援助して貰えば良いのだが、普通は子供も自分の生活で精一杯だろう。

子供に投資する従来の教育パパ、ママをすることができるのは、家業を持っていたり、資産運用をしている資産家だけになりつつあるのだ。

今後の年金の不安を考えると、貯蓄や投資に力を入れて、子育てに金をつぎ込む場合では無い。

きちっと、税金から補助が約束されていない年金は、結果的には少子化を助長するという、負のスパイラルに陥るだろう。


カナダの狩猟採集だった先住民の高齢者は、政府から年金が支給されるようになって、子や孫から大切にされるようになったことが書籍に書いてあった。

それまでは、狩猟の移動の邪魔になるときは、テントに一人残って死を迎えたりしていたのだ。

このままでは日本の多くの高齢者は、少ない年金では生活できず、生活保護を受けなければ暮らしていけなくなるだろう。

生活保護を拒んだり拒まれては、昔のカナダの先住民のように、一人で死んでいかなくてはいけない。


そもそも、大規模農業でないと生活が成り立たないような、農業政策や指導をされて、農家は追い詰められていった。

小さな店舗は大店舗で追い詰められた、中小企業も大企業の犠牲になって、後継者が育たない。

こうやって、経済的な弱者をつくりあげて、その子供達を大企業の人材にリクルートさせたのは政府である。

医者などは国民皆保険制度や、医学部学生の人数制限によって、守られてきた。

ただ、大学病院などの研修医はその犠牲になっていたようだが、数少ない学歴が親孝行できる職種だろう。

医師会と同じような圧力団体を持ってきたJAは、米政策で農家を守った筈が、消費者の米離れで農家を追い込んでしまった。


今後の日本の年金制度では、家族や親戚との関係で生活を維持している発展途上国からの介護労働等をあてにして、一般家庭の子育ては辞めた方が良いだろう。

一夫一婦制もフランスのように放棄して、資産家が子供をたくさん作れるようにした方が良いかもしれない。

そういえば、江戸も当初は男ばかりだったので、遊郭が必要になったそうだ。

将軍家はハーレムを作り、旦那衆は妾をもった。

それと似たようなことがこれから起こるかもしれない。

これから日本の年金制度とそれに伴う社会システムでは、男女とも子供を作る夫婦生活や性生活から脱皮すべき時代が訪れるような気がする。

そうでなければ、政府の年金制度を当てにせず、発展途上国や日本古来の家族、親戚、地縁の相互扶助関係を復活させなければならないだろう。





2024年4月25日木曜日

雑穀のすすめ

 私は昨年から雑穀を作ることを始めた。

理由はもち麦が糖尿病に良いということで、買って食べ始めたのだが、結構高いので自分でも作ってみようと思った。

また、サツマイモやジャガイモはずっと作り続けているが、日常的に食べることや、保存を考えると米に代わる穀物が必要と考えた。

雑穀もネット上で売っているが、中国などの外国産は安いけれど、国内産は非常に高い。

もち麦は、安くても精白済みであれば10kgで6000円ほどする。

米は安いのを買えば、その半値以下で買えるだろう。

私は現在は玄米、もち麦(無精白)、蕎麦粒、キヌアを2:2:1:1で食べている。

確かに白米のご飯の方が美味しいが、栄養を摂っているという、満足感の美味しさが加味されて、私は白米より断然好きになっている。

ただ、無精白は匂いに敏感な人や、胃腸の弱い人には向かないと思う。

家内や息子は食べようとしないのは、そのせいである。

これまでは昨年作った高黍(コーリャン)を食べていたが無くなって、ネットで買うとあまりにも高いので今は加えていない。

何せ、国産だと10kgで28,000円以上する。

だから、今年は作付面積を増やそうと考えている。

蕎麦もやってみたが、栽培は簡単だが、製粉までの作業が手間だった。


雑穀の良いところは、草取りが楽なこと、農薬を使わなくても病気や虫の害が少ない。

雀は空中散布の農薬や畦や土手の除草剤のせいで、余りいなくなったので、鳥の害も以前のように無い。

今年は、雀がいなくて、いつも食べられていた梅の花も残って実が多くなっている。

昔、赤穂で小麦を作ったときは野鳩の被害が多かったが、上郡は野鳩もいない。

もち麦を刈るのは草刈り機を使って刈り、高黍は穂だけ鋸鎌で刈り、蕎麦は手で引き抜いた。

脱穀は足踏み式の脱穀機を使っているが、結局もち麦はきちっとそろえていなかったので、篩を使って手でしごいた。

家で食べる程度なら、本格的に機械をそろえなくても、栽培ができる。


考えてみれば私が小さい頃までは、麦飯が当たり前だったし、父は小麦を作っていた。

小麦は米屋で製粉してもらって、毎朝ホットケーキとして食べていた。

白米だけの生活になったのは、高度経済成長以降だと思う。

元来白米を食べていたのは武士と町人で、百姓などは滅多に食べていなかった所も多かったようだ。

米は備蓄米としてや、都市生活を支える食糧としては有効だろうが、一般庶民としては栄養価や労働を考えると雑穀を見直すべきだろう。

身近に迫る食糧危機に備えて、もう一度兼業農家を復活させる必要があると思う。

家庭菜園の延長でできる、雑穀を見直すべきだと思う。

また、そろそろ、日本古来の循環型焼畑も近代的に復活させる時期が来ているように思う。

まずは、放置されている農地を焼畑で復活させるべきだろう。

輸入に頼らない食糧の自給と健康のために、農家も消費者も意識を変える時代が来ているように思う。

かつて、リスクを分散させるために、雑穀やイモなどを作って百姓は生き延びた、米一辺倒になったら飢饉が訪れることを思い出すべきだ。

気候破綻による、近代の工業社会、IT社会の崩壊が目前にして、どうやって各自生き延びていくべきなのかを模索する時期が来ていると思う。





2024年4月20日土曜日

金より時間が欲しかった

 私はデモしか教師で、博士課程に進めなかったから教師になった。

教師なら研究も続けられると思ったからだ。

初任校は養護学校(特別支援学校)だったので、クラブ指導も無かったし、夏休みもまるまる自由に使えた。

ところが、夏休みの自宅研修は一日毎のレポート報告となり、内容に関しても面倒なことを校長から言われ出した。

自宅研修が自由にとれる雰囲気が無くなっていったが、それでも次の職業高校では、夏休みは午前中にクラブ等で顔を出せば、午後は自由にできた。

ただ、生徒指導は土木科の担任をしていたので過酷で、特別指導に追われた。

その自由な雰囲気が無くなったのは、バブル景気で教員不足になり、給料を上げざるを得なくなってからである。

つまり、給料が安いのでなり手が無くて、上げざるを得なくなった。

しかし、その代わり教師へ監視の目が強くなり、特に特別支援学校では、活動家などは、校門で教師が自由に帰ったりするのを見張っていたりした。

特別支援学校は食事指導が介助の関係で大変なので、その振り替えを帰る時間を早めたりしたが、それもできなくなった。


バブルが弾けて、公務員人気が高まってくると、ますます、給料に似合った民間並みの残業がなされるようになった。

なり手が多いものだから、管理職は遠慮無く教師を使えるようになった。

このころから、こんな筈では無かったと辞めたいと思い続けながら、研究もこつこつ続けてやっと研究したことを本にして出版できてはいた。

授業やクラブ指導が面白くなって本気では辞められなかったし、応募した研究職はことごとく書類審査で落とされた。

しかし、高校の母校のOBの副校長から求められて赴任した高校では寮の宿直が有った上、スーパーサイエンスハイスクールの指定を受けた学年担任で仕事は過酷だった。

そこでは、現役の理科の主任教師が、学校での勤務中に目の前で亡くなっていった。

私も過酷な勤務で自律神経失調症になったりしたので、休養も兼ねて大学院に2年間の長期研修に行かせて貰った。

その教育大学の大学院の教授も、現場は大変なことが分かっていたので、骨休みしてくださいとよく言ってくれていた。

それでも、教師によっては論文が書けなかったり、復帰していじめに遭って、自殺者も出しており、教授もそれを心配していた。

大学校舎から飛び降りたケースもあったので、同じゼミの霊感の強い若い学部からの院生は、車に憑いてしまったとお祓いを受けた。

二度目の大学院修士だった私は、論文は問題なかったが、復帰後に過酷な部署に回された。

そこで、あえて特別支援学校を希望して転勤したが、それは校長が私をよく知ってくれたいたからだ。

当時は、過重な生徒指導、クラブ指導や補習が無くて給料も高い特別支援学校への希望者が多く、わざわざ障害児教育の免許を通信教育で取得して異動する人もいた。

免許を持たないのに異動できたが、高等部の副部長を任されたり、仕事は甘くなかった。

そして、以前のような自由さは乏しくて、支援計画の書類作成などに夏休みは追われた。


これなら同じと、普通校の方が受験指導やクラブ指導でやりがいを感じていたので、また、普通高校に戻った。

いきなり任された二年生から任された担任は、前担任の指導で生じた不登校生二人との対応で過酷な勤務が続いた。

やはり、年間予算1000万円を超える生徒会会計の過重な勤務に嫌気がさして、定時制に移ったが、もっと過酷な勤務だった。

定時制なら、自由な時間で研究ができるという、甘い見通しは吹っ飛んだ。

担任では無かったが、学年主任、進路指導部長、人権部長等々、全日制では考えられないほどの役務を背負わされた。

当然、定時制なので最初から給料は割り増しだが、役職手当もついて高くなった。

しかし、持病の糖尿病はどんどん悪化して言っていた。

そこで、57歳にして、早期勧奨退職に応じる決心をした。

本当は55歳の時に、免許更新をきっかけに全日制の時に退職するつもりだった。

しかし、免許更新を理由として退職を恐れた管理職は、何とか引き留めを図って、何とか研修をさせていた。

私もその一人だったが、そんな例を幾人か聞いた。

この馬鹿げた免許更新制度は案の定廃止になったが、その時に辞めた教師もいたようだ。

私も、さっさと辞めて、別の仕事をした方が良かったかもしれない。

早期退職は当時では私のような高所得者は人件費削減になるので、「辞めても仕事ないぞ」と言いながらすんなりと管理職は応じてくれた。

退職金は残りの60歳までの年収総計には満たなかったので、家内には申し訳なかったが、辞めたことを後悔することは無かった。


公立の教師を残業代を払わずに、教職調整額だけでこき使うやり方を、今回も率を上げて維持するそうだ。

給料が上がって教職希望者が増えるのを期待しているようだが、バブル期の教員不足対応の時と訳が違う。

当時はまだ教師はブラックだとは言われていなかった。

今の学生は、ブラックと分かっていて、金で釣られるほど馬鹿じゃ無いだろう。

ブラックと分かっていても金で釣られるのは、それなりの学生でしかないと思う。

残業代を払うよりも、昔のように大学の教員並みの自宅研修の自由を認めたり、行き過ぎた補習やクラブ指導を辞めるべきだと思う。

このところ、ネットでの求人で特別支援学校や私立高校の募集が目につくのだが、新学期が始まっているのにどうしているのかと思う。

日本の学校教育の質の低下は真逃れないだろう。

自分も落とした一人とは反省しつつ・・・



2024年4月17日水曜日

除草剤の冬

 先日、トラクターの後ろに噴霧装置をつけて、除草剤を畦や道路端に撒いているのを見かけていた。

その農家は幅広く水稲の栽培を請け負っている法人で、若い人が雇われてその作業をしていた。

今までは、人手を掛けたり、リモコンの自走式草刈り機を使ったりして、斜面なども刈っていた。

その手間を省くために除草剤を撒いているらしい。

つまり、人件費や機械の維持費を考えると、除草剤の方が経済性が良いということらしい。

数日すると、あたり一面は草が枯れてしまい、まるで冬の景色のようになった。

田んぼの中には撒いていないので、雑草が青々しいし、レンゲも綺麗に咲いている。

ただ、扇状地の水田は斜面が多いので、やたら枯れ草が目立つ、これで田植えのために水を張ったら、本当に冬景色になるだろう。


ネットで調べても、除草剤は人体に影響はないと書いてある。

直ぐに影響は出ないかもしれないが、今後どんな影響が出るのか分からない。

そもそも、雑草が枯れてしまうと、昆虫や小動物のすみかが奪われる。

そうすると、それを餌にしていた鳥などの動物がいなくなるのだ。

以前、農薬の空中散布の影響を書いたが、この除草剤もそれ以上に影響が出る可能性がある。


農業の置かれている状況は厳しいことはよく分かる。

人件費が上がって、人手を掛けるとコストが上がってしまうだろう。

円安の影響で、肥料なども値上がりしている。

農作業をやる人も少なくて、人手不足に陥っている。

やむなく除草剤の全面散布なのも責められない。

このところ、道路の下の斜面も、高速道路のように草抑えシートを設置している場所も増えた。

村作業としてやるには限界が来ているのだ。

農家が疲弊すると、自然環境も失われていくのである。


何か手立てはないものかと思う。

刈らなくて済む草を植えて、伸ばしたままにしておく。

水はけの良い、ブロックや石垣を敷き詰める。

とにかく、雑草などを放置すると、そのうちに木が生えて、手に負えなくなることも確かだ。

また、マダニなどの発生も懸念される。

農家や村人だけに責任を負わせるのではなくて、環境問題として大がかりに取り組んでほしいと思う。

「沈黙の春」は既に始まっているだから。


2024年4月13日土曜日

農作業しない農家

 私がここで言っている農家とは、田畑を所有している地主の意味である。

戦前までは寄生地主といって、小作料だけで生活ができる人もいたが、さすがに今ではそれはないだろう。

しかし、銀行に1000万円預けても大した額がつかないのに、10aあたり米1俵(約1万円)は高収入だ。

私は30kg8000円で近所の農家から買っているので、玄米1俵60kgは16000円となる。

50aも水田を持っている人は、小作料80000円ということになるが、大抵は米で渡しているようだ。

だけど、地主は米を買わずに済んでいるとすれば、銀行の利子収入よりよほど割が良い。


ところが、地主さんの殆どは専業農家に委託していて、水当番など以外は水田に関わることは殆ど無い。

しかも、以前なら水田以外に畑をしている人が多かったが、それも若い人は嫌がってしない。

嫌がるのは子供の頃に無理矢理に親に手伝わされたからだという。

私の弟も、父親に畑仕事で叱られたのが、嫌な思い出となって、今は全くしようとしない。

私自身も父親の畑仕事を手伝うのはあまり好きでは無かった。

自分で好きにできるようになって、面白くなってやっている。

近所の人や知りあいも、年老いた親ができなくなって、自分でやり始めた人もいる。

子育てに忙しい若い夫婦は、専業農家やパートの農作業以外は殆どすることはない。

なので、その子供達は田畑が何であるかを教えて貰っていない。


近所に子供は虫や魚取りが大好きで、平気で畑にも入ってくる。

今日も、畑に小さな靴跡が残っていたし、虫取り網の棒で突いた穴が開いている。

勝手に入ってくるので、注意したがなかなか聞かないので、動物よけのネットを張る始末である。

実は私の飼っている犬は、散歩の途中で田んぼや畑に入ったので、かなり叱った。

それ以来、冬場で稲の無い田んぼ以外には、入ることは滅多にない。

畑に平気で入ってきて畑を荒らすのは、キツネや狢、ヌートリア、カラスなどの他に農作業をしない農家の子供なのである。

ただ、こういう子供もいずれ村を捨てて出て行くと思うと、もっと関わってやろうとも思わないのも事実だ。

そして、小作料で潤っている農作業をしない農家も、所によってはお金を払ってまで、専業農家に作って貰わなくてはならなくなってきている。

果たして食糧危機が来るまで、近隣の農業は持ちこたえられるのだろうか。

ただ、最近は中年や若い農業従事者もできているようで、営農組合のような昔とは違った形で維持しているようだ。

私は、なるべく機械に頼らない、有機農業を孤軍奮闘がんばっている。

先日もサンボンコ(備中鍬)で半反近く耕したが、それを片手間農家の知りあいに話すとあきれていた。

これも健康目的と少ない年金が理由である。

そして何より、自分なりに技術面では食糧危機に備えておこうと思っている。




2024年4月6日土曜日

エスノサイドの自覚

 このところ、奄美研究から、アイヌ、蝦夷研究に跳び、今はアマゾンのヤマノミに至っている。

それは縄文人のゲノム研究から、アイヌ人が一番ゲノムが近いことがわかり、その比較によって奄美の人の縄文的文化を知る必要に迫られた。

そこで、奇しくも大林太良氏の研究をもう一度紐解いたのだが、念のためにゲノムに立ち戻って調べた。

すると、アイヌに近い北米インディアンの前に、アメリカ大陸には別の人がいたことを忘れていたことに気がついた。

それが、どうもアマゾン奥地に住み続けている先住民の人々にちかいということなのだ。

琉球には縄文人よりもっと古い旧石器人の様子が分かっており、それと比較しようと思った。


そうなると、ピエール・クラストルの読みかけをもう一度読み直し始めた。

その『政治人類学研究』の「第4章 民族文化抹殺【エスノサイド】について」に行き当たった。

この翻訳者の原毅彦氏は、大学院の大先輩で、研究会で厳しいご指摘を受けたこともある。

その先輩は、エスノサイドを民族文化抹殺と訳されていが、アイヌ協会の「国連総会演説」(1992年)では「民族根絶政策(エスノサイド)」というように使っている。

つまり、文化を失わせることは、民族を失わせるのに等しいということだ。


そもそも、学校は幼稚園から大学まで、エスノサイドの最前線だ。

大学の研究者がエスノサイドを批判しても、その論法は西洋の科学思想のパラダイムでしかない。

近代化といいう西洋化の枠でしか、もう日本では学術的に語れなくなっている。

古来の文化を失っても、豊かな生活に希望がもてていた頃は、別段不満も疑問も持たなかっただろう。

ただ、アイヌの方々は、土地を奪われたり、差別を受けたからエスノサイドを問題にしたのだと思う。

現代において、環境崩壊や、経済格差、それにともなう犯罪や自殺が増えてきているなかで、エスノサイドを自ら自覚する時が来ているように思えた。

クラストルは国家が大きな原因としているが、宗教も思想・哲学もしかりだろう。

日本もせっかく戦国時代が終わって、300年間は比較的平和だったのに、近代化のおかげで大規模な戦争をし始めた。

その戦争を支えたのが学校教育によるエスノサイドだった。

現代も、開発発展、技術革新の目的のために、エスノサイドはしっかりと進行中だと思う。

ご老人はレジが自動化されて、買いものさえ恐がっている。

もう田舎では昔ながらの対面販売で買いものをする機会など殆ど無い。


奄美の与路で、どんどん若者が減っている状況を目にして、今度は上郡で同じことが起こっているのを目にしている。

琉球やアイヌの人たちほど、歴史教育などに見られる学校文化との文化的な大きな差が無かったにしろ、自分たちの地域文化を失ったことは同じだろう。

それでも、教師としては生徒達が社会的に生活できることを優先してきた。

しかし、どんどん地域や貧しい人の生活が崩壊していくのを目にすると、何のために教育に携わってきたのかを疑問に感じている。

まさしく、エスノサイドの加担者として、自覚せねばならないのだろう。




2024年4月3日水曜日

給与からの換算

 サラリーマンの生涯給与はどうも、2億円から2億5千万くらいだそうだ。

それを色々換算すれば、色々見えてくる。

今回の水原一平氏の賭博返済約7億円はサラリーマンの三人分くらい。

逆にウクライナの戦死者四万人は、10兆円程度。

ロシアでのテロ事件死者一四四人は、300億円程度。

太平洋戦争での日本人の犠牲者は約310万人と言われているので、安く見積もって600兆円だ。

日本の財政赤字は1255兆円(2022年)だから、630万人くらいの生涯給与になる。

太平洋戦争で失われた人的損害の2倍と言うことになる。

考えようによっては、平和を金で買っているとも言えるのだ。

支出の多くが社会保障費だから、国が返すあてのない借金で国民の生命の保障をしてくれているわけだ。


時給の面から考えると、国のよって給与が違うので、時給比較すると、

2023年の円レートで1位スイス4168円で、アメリカは3位の2331円となっているが、現在の州によっては3000円を超えているという。(世界の時給 ランキング - fumiblog)

逆に一日1ドル以下の収入しかない所では、時給は20円以下になってしまう。
因みに私は昨年度まで、時給3000円程度の高校非常勤講師をしていた。
今日のニュースでアメリカのある州のファーストフード店の時給が3000円と聞いて、去年の私の時給とかわらないと思った。
静岡県の知事は農業や商業に携わる人を馬鹿にした発言をしたが、静岡県の高校非常勤講師の時給は当然、アメリカのファーストフード店の時給を超えてますね!
この高校非常勤講師の時給は現役の教諭には分からなくて、知人の正教諭に言うと安いと驚いていた。
なぜなら、教壇に立っている以外に授業の準備などが必要だからだ。
ファーストフード店の店員に料理の仕込みから調理をさせておいて、店頭に立っている時間だけ時給を払うのと一緒である。
だから、いかに高校非常勤講師が、アメリカのファースト店の人よりも酷使されているか分かるはずだ。
当然、時給1000円で働いている、日本の多くの非正規雇用の勤め人はもっと安いことになる。
ただ、物価がアメリカに比べて安いので生活の豊かさは分からないが、Youtubeで学校での給食しか食べられない生徒の訴えには見るに堪えられない。

日本は哀れな格差社会になってしまった。
子育てに関しては切実で、生活以上に金が余分にかかる。
お一人様が結婚せずに、金を稼いで、自由気ままに暮らす方が、幸福を満たされるのも分かる。
それで、東大の総長にまでなれる時代である。
それが、現在の豊かな日本であり、金にまみれた政治家が担う日本なのだと思う。
それでも、平和なら良いのかとも思う。
当然、子供もいなくなって滅んでいくのだろう。
既に、田舎では殆ど子供がいなくなっている。