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2014年1月4日土曜日

時間を旅する正月

毎年の事ながら、帰省ラッシュがニュースで流れる。
何時間も渋滞や、混雑に耐えながらふるさとに帰る正月。
親のそばに住む私らにとっては、久しぶりに故郷を離れた兄弟家族と会える日でもある。
今年は、パソコンとプロジェクターを使って昔の写真を写しながら、実家にいながら皆でカラオケを楽しんだ。
カラオケはヤマハの通信カラオケで、背景に好きな写真を付けることができる。
そうすると、歌わない人も写真を見て楽しめるのである。
一番喜んだのは私の年老いた母親であった。
母は何十年も前の写真の頃の気持ちに戻ったようだった。
私も自分の子供や甥姪、兄弟夫婦の昔の姿を見て当時の自分にタイムスリップした。

年賀状も、大学頃から先生、友人や、研究仲間と毎年のやりとりがある。
年に一回だけの時を超えての交流である。
実は、私は元旦に間に合えるように書いていない。
このところ、年末をゆっくり過ごせたことがなくて、落ち着ける正月に書くことが多い。
だから、途切れてしまう人もいるのだが、それでも辞めようとは思わない。
はがき一枚で、懐かしい人に会えるからである。
昔に比べて、だんだんと正月は寂しいものになっているけれど、特別な日であることには変わりはない。

今年も娘を大学のある東広島まで、二日に送ってきた。
行きは西行きで下りなのですいていたが、帰りは事故もあって大渋滞だった。
いつも行きは山陽自動車道を通って、帰りは国道二号線を通ったりするが、一般国道まで車があふれていた。
倉敷や岡山の渋滞を避けるために、帰りも山陽自動車道を途中の玉島あたりから使った。
一般道は途中で海が見えて楽しいから帰りには使うのだが、朝の10時半に出て、結局帰ったのは夜の8時を過ぎていた。
往復400kmあまりを食事や休憩以外はほとんど乗りっぱなしだった。
この娘の帰省のおつきあい旅も、娘が大学を出てしまえば終わりになる。

昔に戻ったり、遠くまで出かけたり、いろいろな旅を正月にはできた。
後には玉手箱を開けた浦島太郎になった自分が残ったけれど・・・

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