昨日は勤務している高校の卒業式だった。
卒業式には厳粛に行うタイプと、和やかに別れを惜しむタイプがある。
自分の母校は人数も一学年140名程で、一人一人証書をもらい、校長と握手をして和やかだった。
長年勤務した特別支援(養護)学校も、式はなるべく厳粛にしたいという向きはあったが、送別会は楽しく行った。
それ以外の県立高校でも、160名程の大学附属高校は、一人一人証書の手渡しで、リアルタイムに映像を流したり、答辞の時に音楽と画像を流して和やかな雰囲気だった。
いままでどちらかというと和やかな卒業式に慣れていた身としては、今回の卒業式は辛かった。
今朝も歯医者に行って治療を受けたが、じっとすることの辛抱は同じであると思った。
歯医者は30分程で済むが、卒業式は2時間と長い。
私は顔がかゆくなっても、なるべく掻かないように努めながら、じっと同じ姿勢を保ち続けた。
静粛な時間に、会場の外のカラスの鳴き声があざ笑うかのように響きわたった。
号令とともも、一斉に立ち上がり、礼をする。まるで軍隊のようであった。
この苦行に耐えるために、思いついたのは「座禅」であった。
以前座禅のまねごとをしたことがあったが、それと同じように目を半開きにして、なるべく何も考えないようにした。
色々と式辞や祝辞があるのに失礼と思うが、あまりにも形式通りの言葉には、正直「無の境地」で望むしか無かった。
そんな中で、心を動かされたのは卒業生の答辞であった。
途中でオルゴールのメロディーも加わって、自然と涙がこぼれ落ちた。
おそらく、会場の誰もがこの答辞に救われたと思う。
残念だったのは、少々長かったことである。
それ以外は、最も素晴らしいものであった。
厳粛であったからこそ、オアシスのように潤いをもたらせてくれた答辞に、私は深く感謝した。
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