今の職場に替わって思い出した幼い頃の記憶がある。
それは「蟹」である。
校舎の廊下を小さいのが、ちょろちょろしているのだが、トレーニングで走る唐船あたりにはいっぱいいる。
これまでは家や職場の周りでも、また家庭訪問で出かけるところでも殆ど見かけることは無かった。
私は蟹を見ると捕まえたくなる。
幼い頃にバケツと火バサミをもって、近所の溝に蟹をよく獲りに行ったからである。
溝の石の隙間から出てきたのを捕まえるのだが、なかなか上手くいかなくて、何度も近所を回り歩いた。
別に食べられるわけでは無いのだが、友達に大きいのを見せて自慢したかった。
蟹の種類も、赤い爪のアカガニと言っていたのや、背中につぶつぶの模様のある豆ガニ、川にいる紫ガニなど、大きくて珍しいのが自慢できた。
ハサミを避けながら、手でつかんで友達に見せるのも楽しかった。
ご飯などの餌をやってしばらく飼っていた。
それでもいくつか死んだりして臭くなると、母親に溝に捨てるように言われて、渋々逃がした。
私は蟹はどこにでもいるものだと思っていたのだが、海の側しかいないそうだ。
確かに家の近所でもたまに見かけるのだが、それは全て沢ガニである。
小さいのから大きいのまで、色んな種類がいるのは海の近辺だけだと気がついた。
生物の先生に聞くと、蟹は海で産卵して幼少期を海で過ごすので、海の側でないと生息できないそうだ。
私はかつて住んでいた尾崎の家の近くの溝で、一生過ごすのとばかり思っていた。
汚いどぶの中で過ごす蟹たちに、そんな生い立ちがあったとはこの歳になって驚きだった。
先日、笠岡のカブトガニの博物館に家内と一緒に訪ねた。
その時に鳥撫(天和)の海で、カブトガニの小さいのを捕まえたのを思い出した。
夏休みによく祖父母の家に遊びにいったので、その時に海に行って獲ってきた。
当時は珍しくも何とも無かったので、死んだらそのまま捨ててしまった。
カブトガニは赤穂ではいなくなったけれど、こうして蟹が今でもいっぱい残っていてくれるのは嬉しい。
唐船の道ばたでは踏んづけそうになるくらいいっぱいいて、小さい頃にこの場所を知っていたらと思ったりもする。
今は誰も見向きもしなくなった蟹だけれど、まだ赤穂に自然が残っていることを示してくれる大事な仲間である。
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