私たち家族はいつもは自宅で年を越して、元日に家内の実家と、私の親元に行くのが恒例だった。
だから、元旦は日の出前に起きて、上郡で散歩したりジョギングしたりして、初日の出を拝み、近くの神社に初詣をしていた。
初詣と言ってもも、目的は神社に置いてくれている御神酒を頂くことであった。
今年は、弟家族の都合で、大晦日に集まることになり、結局私は赤穂の親元で年を越すことになった。
少々飲み過ぎて、除夜の鐘を聞かずに眠ってしまったので、目が覚めるのも早かった。
まだ、暗いのでどうしようかと思っていたのだが、赤穂の大津に住んでいた頃、初日の出を拝みに高山に登っていたことを思い出した。
さすが、高山は遠いので、いつも歩いたりジョギングしている唐船に行くことにした。
朝6時半、あたりはまだ暗い、そのなかサイレンが鳴り響いた。
後で分かったのだが、近くのホテルの前の救急車であった。
そんな暗い中で、近くの公園には大勢の人だかり、たぶん初詣のためだと思った。
私はその集団の前を歩くことになって、戸惑ったのだが大きな通りで、方向が変わったのでほっとした。
私は御崎の方から遠回りして、唐船に向かうし、その集団は直接向かうようだった。
いつもの赤穂高校の北側の道を歩いたのだが、どういうわけかいつもいるの猫が、足下にまとわりついて困った。
しばらく一緒に歩いた後、その猫は戻っていった。
日の出を拝みに唐船に集まった人たち |
海岸に出るころには、夜が白々と明けだして、きっと拝めると期待したのだが、雲が海上付近にあって邪魔をしている。
既に多くの人が日の出を待っていて、散歩したりジョギングしたり、自転車に乗ったりと様々である。
砂浜に集まっているのは、さっき見かけた人たちだと思った。
私は軽装だったので、じっとしていられず、そのまま千種川沿いを歩き続けた。
風も強くなって、雪も舞い始めたが、尾崎の八幡さんまで行き、初詣をすました。
いくら赤穂高校に勤めているとはいえ、知った人には殆どあうことはなく、多くの帰省者と変わりはなかった。
神社からの道も新しくなり、様子が一変していた。
同じく泊まっていた弟は、その頃廃屋になった磯釜(尾崎の地区名)の生家にいた。
彼は病院ではなくて、まさしくその家で生まれたのである。
我々四人兄弟のラインネットが結成され、彼はそのライン上に家の写真を載せて、他の兄弟に見せた。
そして、そのグループ写真は近くのノットという社に、彼が写真を貼り付けた。
兄弟してのセンチメンタルジャーニーだった。
良かったら聴いてください「輝きながら」
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