この10月3日土曜日、赤穂にある特別支援学校と本校の生徒会の五人が交流した。
参加といっても、運動会の来賓扱いで、最初のラジオ体操と午前の玉入れに加わる程度であった。
私は教員に正式採用されて、初任校であった上、特支での勤務は11年で知り合いも多い。
どちらかというと私にとっては同窓会気分でもあった。
最初に歌った校歌もほぼ歌えたが、「養護学校」が「特別支援学校」になっていた。
知っている職員は以前勤めていた学校の職員の場合もあるし、今の勤め先の伴侶であったりした。
旧知の教員は特支だけで無く、職業高校の教師も数人いた。
運動会自体も私にとっては馴染みの風景でしか無かった。
しかし、本校生徒にとっては初めての経験で、新鮮であり歓声を上げたり、拍手で応援した。
特支では確かに運動場が新たに芝生のグラウンドになってはいたが、内容はあまり変わりは無かった。
おそらく普通高校の体育祭も、同じような競技の繰り返しなのであろう。
変わりが無いと感じさせたのは、自分がいた頃先頭に立っていた教員が、已然と先頭に立っているからである。
ただ、髪の毛が全くなかったが、それが却って年齢不詳で時間を超えさせた。
しかも、採用同期の教師も戻ってきていた、彼も二回りほど横に大きくなっていた。
30年前に戻った気分になり、演技に一緒に参加したくなった。
私は前任校が姫路のマンモス特支だったので、本当にこじんまりとした感じに思えた。
おそらく自分がいた頃も、これくらいの規模だったのだろう。
学校の周りの風景もあまり変わりはない。
むしろ、山々は緑が深まった印象を受けた。
この支援学校も隣接する障害者施設も、施設はどんどん増改築されたり、新築された。
それでも、脈々と優しい教育が育み続けられているように思えた。
特支には知っている若い教員も多いので、しばらくはどこに行っても知り合いに会えそうである。
ところが、せっかく観覧していた一般参加者の教え子に声を掛けられたのに、名前が思い出せない。
顔を見れば教え子だということはたいてい分かる。
特支の担任した生徒は名前を忘れることは無い。
普通校や職業校の生徒は、担任していても名前を思い出せないことがある。
どうか、もし声を掛けてくれるなら、先に名乗って欲しい。
「どこどこにいた○○です おぼえてますか」と
いきなり「先生憶えてますか?」は、教師生活30年の私には酷なのです・・・
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