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2016年12月11日日曜日

1年ぶりの水泳

去年の11月に生徒と小さなレースに出て以来、私はプールで泳いでいなかった。
一番の理由は愚犬の散歩をしっかり一時間以上させていたので、運動が足りていたことだ。平日は定時制なので、夕方や夜には行けない。
土日は朝夕の散歩があり、その上に農作業をしていたので行く余裕が無かった。
日曜の今日は午後から時間もあり、息子も夜勤明けで家にいて、犬の散歩も頼めるのでプールに行った。

地元の町民プールでは、スイミングスクールの選手コースの生徒が練習をしていた。
一般のお客さんは最初は年配の女性が一人だけだったが、そのうち増えた。
自分はいつものように、アップでSKPSの800mをおこなった。
1年ぶりだから、全く体が動かないのでは無いかと心配したが、意外に動いた。
しかも、毎日しっかり歩いているせいか、それほど辛くは無い。
当然泳ぐスピードは、生徒と練習していた時に比べて甚だ遅い。

今日泳ぎに来た一番の理由は、嫌なことがあってそれから逃れるためであった。
子供が小さい頃から本格的に練習を始めて、20年近く経つ。
この地元のプールには20年以上の想い出がしみこんでいる。
今日のように嫌なことがあって、夢中で泳いだこともあった。
その時によく思い出した歌のフレーズは、EaglesのHotel Californiaの一節
"Some dance to remember,Some dance to forget"
さしずめ、プールでは"Some swim to remember, Some swim to forget"と言うところだろうか。
プールでは踊るのではなく、人は思い出すために泳ぎ、忘れるために泳ぐ。
今日の自分にとっては、思い出すためであり、忘れるためでもあった。

この同じプールで、我が子と一緒に泳いだり、クラブの生徒達と一緒に泳いだ。
自分に自由な時間が少なくて、もっと自由な時間が欲しいと思っていた。
しかし、今思い出すと充実したかけがえのない時間であった。
また、水泳マスターズチームは厳しくて大変だったけど、練習やレースが楽しかった。
今日はマスターズチームではないが、よくプールで出会った人に一人だけ会った。
その退職した年配の男性は、「本当に久しぶりやね」と声をかけてくれた。

自分の力がどれだけ残っているか分からなかったので、夢中で泳ぐほどのスピードや距離はだせなかった。
ただ、嫌な気持ちが水の中に溶けて出て消えていくように思えた。
また、ジョギングの時は一人黙々と走ることが多いが、水泳ではそばで多くの人が泳いだり歩いている。
特に若い選手が一生懸命泳いでいるので、こちらも励まされる。
当然泳ぐスピードは全く違うのだが、少しでも隣で並んで泳ぐ瞬間が楽しいものである。

泳いで気が晴れたとまでは行かなかったが、気分的には落ち着けたと思う。
こういう時には、水泳をやっていて良かったと思える。
酒やたばこ、ギャンブルなどで憂さ晴らしをする人もいる。
実際自分も、若い頃は酒での憂さ晴らしが多かった。
定年間近になると、いろんなストレスで心身を病む人もいる。
その中で酒たばこで健康を害して、定年前後に亡くなった人を何人も知っている。
世はまさにジョギング、マラソンブームで、それはそれで健康に良いと思う。
それとは違う水泳の魅力は、心も身体も水の中で漂わせることも出来ることだろう。
ほんのしばらくの時間ではあるが、イルカやクラゲになれるのである。

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