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2017年3月21日火曜日

ロックロール「奇跡の人」

去年に話題となった「奇跡の人」を見終えた。
何気なくNHKの深夜の再放送を3話の途中から見始めて、4話からビデオに撮って視た。
1話から3話まではYouTubeで見直した。
去年話題になっていたことは知っていた。
私は通算11年も障害児教育に携わっている。
障害者をテーマにしたドラマを見るのは、何となく身につまされたり、胡散臭さを感じていたので、見てこなかった。
このドラマはその先入観を超越していた。
作者の岡田惠和の才能にはほとほと感服した。
役者もなかなか皆良い演技をしていた。

色々考えさせられることがあったが、その1シーンが一番記憶に残った。
宮本信子が演じる大家さんが主人公の一択とバンド仲間に酒を驕りながら「ロックとは何?」と聞いた。
その仲間は、たとえ話として出したのが「裸の大様」で、王様が裸だと周りの空気を考えずに言う少年とロックは同じだということを言った。
常識や権威を打ち破る、ないしは常識に流されない音楽、主張こそロックなのだろう。
自分自信はロックの音楽に親しみながら、自分をロックンローラーとは一度も思ったことはない。
自分はミュージシャンになりたかったが、ロックンローラーになろうとは思わなかった。しかし、結局はロックンローラー擬きになっていた。
楽譜にも、音楽の権威にも縛られなかった。
音楽を通しての主張はそれほど反体制的では無かったが、演奏を通しての生徒へのメッセージは学校管理とは無縁のものだった。
ただ、その演奏技術を軽視したロックに対しては、抵抗を感じていたことも確かである。

「奇跡の人」というドラマは、人の心をつかむことの大切さを教えてくれた。
いくら素晴らしい内容のことを言っても、伝わらなかったら何の意味もなさない。
本なら図書館の飾りになったり、書庫の陳列物になるだけである。
それはドラマの中の「福祉」君に象徴されていた。
退職後の自分の生き方もこうでありたいと思った。
かつてパッチアダムス(メディカル・クラウン)のように、病院ならぬ学校を作るのも良いとおもった。
学校そのものが無理があると思えば、ネットや街頭やホールでも伝えるという手段がある。寄付を募って組織を固めて場所を確保する必要は無い。、連携さえすれば良いのである。

私は自分自身はこれまでA Rolling Stone gathers no mossを地で行く、生き方だったと思っている。 
Rolling Stone(転がる石)は苔が付かないというのは、イギリスや日本では悪い意味、アメリカでは良い意味に使われるという。
どちらにも使われるからこそ、魅力的な言葉でもあるし、自分には似つかわしいのかも知れない。
ドラマ「奇跡の人」は本当の馬鹿しか「奇跡」は起こせないと主張した。
つまり、常識にとらわれない馬鹿しか奇跡は起こせない。
常識にとらわれないと言うことでロックに通じるのである。
収入が無かったり、高額な年収を棒に振ってしまう馬鹿も、この世の中には必要にも思える。
ただ、そういう馬鹿を支えてくれる「暖かい家族や仲間」が、何よりも一番大切なこともこのドラマは教えてくれた。

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