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2017年10月18日水曜日

夢のムコウ

家内との約束の半年は過ぎてしまった。
私は早期退職後の半年の間に、次の出版を果たす予定だった。
しかし、本格的な研究の感覚を取り戻すだけに半年近くかかってしまった。
再び稼ぎながら研究を続けることを余儀なくされた。
ハローワークに出向くと、隣の県のB市で遺物整理のアルバイトがあった。
ちょうど、考古学も勉強しているので良いと思い応募した。
面接の日に出向いて、若くて美しい女性がもう一人応募しているのが分かった。
普通は素人のおばさんがパートでやることが多いが、これは負けたと思った。
案の定、面接は老眼の痛いところを突いてきた。
かくして結果として、うら若き女性に私はアルバイトを奪われてしまった。
その後、その採用担当者が別の仕事を用意しようとしてくれた。
しかし、それも事務手続きの問題で駄目になった。
駄目になった報告を聞いて、すぐにネット上で次を探した。
ネット上では、教師や放課後支援員をチェックしていた。
それと、興味本位で農作業も検索していた。
何気なく農作業の検索結果を見てみると、隣の相生市で作業員を募集している。
NPOなので、直感的にいけるのではないかと思った。
早速電話して、話を進めることにした。
夜電話がかかってきて、採用担当者の声を聞くとおじいさんの声だった。
最初の電話の人も若くて頼りなく、担当者も年配で少々不安に感じた。
翌日約束の時間より遅れて、現れた方は腰の曲がったおじいさんだった。
農場を見せてもらった後、近くの喫茶店で話を伺った。
おじいさんと思った人が、実はこのNPOの理事長で、それと関連する合資会社の社長だった。
年齢を伺うと81歳で、しかも神戸から通ってきているというので驚いた。
やはり、有機農業のNPOで私が今まで目指してきたことと全く同じだった。
私は、有機農業を通じて、健常者と障害者がともに働ける場所を作りたいと思い続けてきた。
しかし、その夢の最大のネックは販売であった。
この理事長のM氏は現役時代は流通関係で活躍された人で、退職後に地道に取り組んできた人だった。
当然、意気投合してしまい、私は働かせてもらうことになった。
実際の仕事の打ち合わせと言うことで、再び喫茶店で話を聞いて驚いた。
私は、当初はパートタイムで働かせてもらうことになっていたのだが、正職員に抜擢された。
前回の打ち合わせでは、正職員は若い人に頼むということになっていたからだ。
戸惑いもあったが、やる以上はとことん頑張ろうと思った。
この30年あまり、研究職と農業職を目指すことの間で揺れ動いたが、神様の選んでくれたのは後者だった。
当然これで研究を終わらせるつもりはない。
私の文化人類学の原点は、生活実践にある。
大学や研究施設の研究者だけが、研究者ではない。
比べるのは憚れるが、かの南方熊楠も在野の生活実践家だった。
また、このブログを通しても、実践報告を行いたいと思う

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