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2018年1月22日月曜日

雪の東京

今日(1/22)から東京では雪が心配されている。
私が東京で暮らした初めての年の冬(1984年)のことを思い出す。
当時私は中野の下宿に住んでいた。
そのアパートは6畳1間で、小さなタイルの台所がついていたが、風呂は無くトイレも共同だった。
部屋は二階の西側で、朝は薄暗く、隣にもアパートがあったので、午後からも陽はあまり入らなかった。
中野駅からは東に中央線の線路沿いに10分ほどで、近くに図書館もあった。
まさしくかぐや姫の「神田川」の世界で、貨物列車が通ると揺れたが、川は傍には無かった。
近くの風呂屋には、家庭教師のバイト前に一人で出かけたが、私には非常に熱くあまり湯にはつからなかった。
家賃23,000円の貧乏学生にはありがたい下宿だったが、大学院には遠く交通費も馬鹿にならなかった。
ここは大学のゼミの先生のお母さんが経営する下宿を紹介されて、知り合いのいない自分にはありがたかった。

雪が降った東京は大混乱に陥った。
首都高は止まり、電車もかなり遅れた。
電車はポイントが凍り付いて動かなくなったので、カンテラをたいて暖めていた。
雪道はアイスバーンになって、雪道になれない都会の人が転んで怪我をしたり、頭を打ってなくなる人もいた。
救急車が頻繁に走り回る羽目になっていた。
原宿駅前の坂には車が放置されていたり、普通の道路でもまともに通れなかった。

その後も雪かきをしっかりしなかったので、下宿の前の道路は凍り付いて溶けない。
大家さん(先生のお母さん)に頼まれて、私はその氷をハンマーで割ったり、お湯で溶かしたりした。
大家さんは持病を持っていたので、きつい作業はできなかったのである。
この東京の雪の混乱はしばらく続いた。

そして、それから2年後、私は博士課程への進学を諦めた日の雪も思い出す。
出願を諦めて、哀しい気持ちになっていた時に、無情の雪が降っていた。
育った赤穂では殆ど降らない雪は、東京ではしょっちゅう降り、東北の一部のように思えた。
そして、それが東京で見る最後の雪となった。




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