星野仙一さんが膵臓がんで亡くなったニュースをネットで知った時、やっぱりと思った。
70歳というい若さで、まだ元気に活躍していると思っていた。
元千代の富士も膵臓がんで60歳で亡くなった。
膵臓がんは治療が進んだとはいえ、分かった時点でおしまいと言われてきた。
実は、私の知人もこの病気で亡くなった人が多い。
私自身も、一番気をつけなくてはいけない癌である。
私の知人の場合、この癌で亡くなる人でゆったりと生活していた人は居ないと言うことだ。
殆どの人は退職していないか、退職間近の人だったが、退職した人でも多忙な人だった。
50代後半で亡くなったある英語の教師は、優秀な教師として国から表彰されるほどの人物だった。
学校の中心人物として、国際交流を中心に活躍していた。
個人としての活動も、ボランティアやビデオ撮影など多彩だった。
ただ、そんな彼でも、精神的に追い詰められていたこともあったことを、本人から聞いたこともあった。
しかし、そんな弱さは絶対に表には表さなかった。
亡くなった時も朝まで元気で、見舞いに来た人と接していたという。
彼の葬儀には、多くの人が参列して、故人の若すぎる死を悼んだ。
教師にはもう一人、膵臓がんで亡くなった人がいたが、その人は60歳を過ぎても働き続けていた。
非常に周りのことに気を遣われる人で、よく私にも声をかけて頂いた。
普段から健康に気をつけているようで、たまにジョギングもしていた人だった。
ただ、亡くなった後で聞いた話によると、飲むととことん付き合ってしまうタイプだった。
体育の先生だったことで、飲みづきあいも多かったのかもしれない。
学校への思い入れも強かったので、家族の意向で記念品が学校に贈られた。
近所にも膵臓がんで亡くなった人が二人いるが、一人は仲の良かった人である。
この人は、息子さんと二人暮らしだったが、夜は一人飲み屋で飲んで家にはあまりいないいことが多かった。
海外旅行に行ったり、プレジャーボートを所有して釣りに普段からよく行っていた。
私も誘われて、何度か一緒に海に行って魚や貝を採ったことがある。
亡くなったのは、60歳の定年退職間近の時だった。
膵臓がんが分かった時点で、息子さんのために家を大幅に改築したりした。
結局その家は、亡くなった後に結婚した息子さん夫婦によって建て替えられた。
私の知っている膵臓がんで亡くなった人は全て男性だ。
人それぞれ生活の仕方は違うのだろが、暢気に暮らしていた人では無いと思う。
どちらかというと、他人には弱いところを見せないタイプだった。
今の時代に暢気に暮らしていける人がどれだけ居るのかと言われればそれまでだが。
自分を守ることを普段から心がける必要があると思っている。
だから、私は持病もあって糖質制限を公言している。
普段から職場で頂くお菓子は全て持ち帰って、決して一人では食べない。
昨日も職場で出された餅入りのラーメンも我慢して断った。
私はラーメンは大好きで、以前は飲食後によく食べていた。
しかし、今は「ラーメンはダーメン」が口癖だ。
ただ、糖質ゼロのビールや酒は口に合わずだめだ・・・
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