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2018年5月1日火曜日

母の父への思い

私の母方の祖父は太平洋戦争で戦死した。
航空母艦の機関兵として、東シナ海で亡くなった。
記憶が正しければ、「雲龍」という航空母艦だったように思う。
魚雷攻撃を受けて、沈没前に機関室からデッキに出てきたが、艦と共に沈んだという。
祖父はもともと職業軍人だったが、退役して神戸で祖母と米屋を営んだ後、造船会社勤めをしていた。
幼い母と母の姉の娘二人と妻を残しての出征だった。
(写真は出征時のものではなく、若き日の現役時代)
ふと眠る前に、祖父がどんな思いで妻子を残し戦地に赴いたのだろうかと思うと泪がこぼれた。

私が村落調査で通った奄美与路島では、祖父母のタマシは孫に残していくと言われていた。
私自身も、父方、母方を問わず祖父母の思いが、自分たち孫に込められていると思っている。
時々、自分は戦死した母方の祖父の生まれ変わりであると思ってみたりする。
妻子を残して戦死した祖父が、孫として生まれ変わったとしたら、どうあるべきかということだ。
残された写真を見ると、私がその祖父に一番似ているわけでは無く、従兄弟の一人の方が余程似ている。
そのように孫がそれぞれ考えれば、自分の母親や伯母を大切にするだろうなと思ったりもする。
亡くなった祖母とは、孫たち皆は関わりが多かったが、晩年は老人施設に入って疎遠であったのが悔やまれる。

本来なら戦死という状況に関わらず、祖父母と孫はもっと身近な関係であった筈だと思う。
それはお墓参りという形だけでは無く、親子関係においての祖父母の存在の意味においてでもある。
これは、自分の子供に対しても、自分の父母の思いも考えるべきだと言うことになる。
親子がギクシャクした時には、その関係を補足してくれる場合もあるし、子供の子育ての補助であったりする。

無縁社会とは、そういう暮らしの関わりや、命や思いの繋がりさえ消えてしまう社会なのだろうか。
戦死した祖父を思うことは、大切にすべきことは何かを考えるきっかけになっている。





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