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2018年7月2日月曜日

ロングリリーフ

私は青少年教育センター閑谷学校指導員として約7ヶ月勤めた。
実は、当初ハローワークから紹介された時には、この3月までの雇用という期限付きで、継続の可能性ありとあった。
自分としては、4月からは学校現場に復帰しても良いかなと思っていた。
だから、それまでの繋ぎとして勤めるつもりだった。
それが、行きがかり上、3月で辞めるわけにはいかなくなり、6月まで勤めることになった。
退任式に所長さんから4月から6月の多忙期のピンチヒッターで頑張ってくれたと言われた。
打者か投手かはともかくとして、結果的には助っ人的な役割を果たせたのは幸いだった。

当初の計画はずいぶん狂ってしまったが、結果的には悪くは無いと思っている。
ただ、この歳で新しい仕事に慣れるのは苦しく、出勤の朝には吐き気を催すこともしばしばあった。
また、休みの日や、寝ている間でも仕事のことを考える日々が続いた。
職場は若い人と一緒にやることが多くて、会話や雰囲気に慣れることは最後までできなかった。
また、年齢の近い管理職とは立場が大きく違っており、距離を感じざるを得なかった。
それでも、何とか失敗しながらも仕事をこなせるようになった。
ずっと続けたい仕事ではなかったので、6月いっぱいで辞めることになってからは、気分も楽になった。

一番の収穫は、健康になり体力もついたことである。
仕事の多くは肉体労働で、野外の坂の上り下りなどが最初は辛かったが、平気でできるようになった。
いつの間にか、ウエストがしまり、以前はけなかったズボンが入る代わりに、支給されたズボンがゆるゆるになってしまった。
トレーニングで体を締まらせた経験は何度もあるが、仕事だけでそうなったのは予備校時代に新聞配達をして以来のことである。
神戸のマンションやアパートの階段を上り下りした経験とほぼ同じなのである。
違うのは、新聞配達をした後も学校にいったが、閑谷学校の仕事が終わると何もする気が起こらず、殆ど寝ていた。

久しぶりに、平日の朝にクロと散歩して、仕事を失った不安よりも、ゆっくりした時間を過ごせる幸せを感じた。
新しい仕事が決まるまでの細やかな平和な時間であった。
しかし、朝は昨日から草まみれになった畑仕事に汗みどろになっている。
休日に畑仕事をするのをサボっていた付けである。
それでも何とかズッキーニはなってくれているし、トマトも赤くなってきている。
何とか草からの侵略を食い止めてやって、救ってやれそうだ。



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