以前、岡山県立美術館に行った帰り、車の中で加藤登紀子の「時には昔の話を」がラジオから流れてきた。
「紅の豚」のエンディング曲で使われたこの曲は、ずっと良い曲だなとは思ってはいた。
でも、歌詞の内容についてまで、意識することはなかった。
それが、「小さな下宿屋に いくにんもおしかけ 朝までさわいで 眠った」という歌詞が私の記憶をふいに蘇らせた。
学生時代の自分たちの風景である。
加藤登紀子の歌の世界は学生運動の時代であるが、私は文化人類学を学びあった仲間との時代である。
学生運動のように熱い時代ではなく、しらけながらも理想の世界を語り合った。
大学院の時には子持ちの人もいて、雑魚寝した後朝早く起きて、子供を保育園に送りに行くと言って帰って行った。
ふと、その歌がもう一度聴きたくて、Youtubeで夜空を観ながら聴いてみた。
加藤登紀子の語りかけるような、低くて心に響く歌声に魅了されながら、自分も歌いたくなった。
そのカラオケにあわせて小声で歌ってみると、しんみりと心地よい。
そして、「今でも見果てぬ夢を描いて 走り続けているよね」という歌詞に今の自分を重ねていた。
3年も早く早期退職して、見果てぬ夢を実現しようとしている自分、結局自分は昔のままなのだと思った。
それは見方によれば成長のないこと、また見方によれば初心を貫くこととなる。
ただ、歌詞と同じように「夢を描いて」であって、「夢を追って」ではない。
「描く夢」は生活の中で、変わっていった。
この歳になると「歩き続ける」ことはできるけど、「走り続ける」ことはできない。
そして、傍で寄り添ってくれる家族はいるけど、朝まで語り合える仲間は今はいない。
昔のままなのは、結局「見果てぬ夢を描く」ことだけなのかもしれない。
昔のことの話をするのは、自分の歩んでいく姿勢をもう一度確かめることだと思う。
金が無くても不安がなかったのは、自分の可能性を信じられたからだと思う。
可能性が狭まった今は、金が無いことの不安はつきまとう。
でも、当時よりは不安は少ないはずなのである。
不安を忘れるために仲間と語り明かし、飲み明かしたところもあった。
あの頃の自分の姿を、感傷じみた思い出話としてではなく、これからの自分への檄として話したい。
0 件のコメント:
コメントを投稿