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2019年8月25日日曜日

消えた盆

今年の8月15日、月遅れの盆は台風で、近隣の殆どのイベントが中止された。
実は、私の住む村では台風に関係なく、今年は盆は取りやめになっていた。
盆踊りの中心となる婦人会が、今年の春から解散してしまっていたのがきっかけとなった。
これまで盆踊りは夏になくてはならない行事だったが、それを楽しみにする人が村では減ってしまった。
そして、また世話をする人も減ってしまった。
かつては、盆にはあちらこちらの村や町で賑やかな音楽や太鼓が聞こえていた。
櫓を組んで踊るのは大変だと、屋台を中心とした納涼祭という形に変えた村もある。
踊りは、町独自のよさこいや、岡山ではウラジャ、赤穂ではデーション祭に取って代わられた。
馴染みの地域の人が、寄りそって踊る場がなくなってしまった。
かつて、私が村落調査をした奄美の与路島でも、そうなりつつあった。
40年前の与路村と、上郡の我が村は変わらなくなってしまった。
奄美空港や名瀬港から一日、または二日かかる離島中の離島と、新幹線の相生駅から20分の村が同じになってしまったのだ。

私はこの盆が台風で台無しになったのは、海外旅行にも行けない人、子や孫が戻ってこない人の「やっかみ」だと家内に話した。
それは、自分の「やっかみ」であった。
海外旅行はともかく、この歳にもなって孫の一人もいないことの寂しさを感じる。
昔からお年寄りは、幼い孫に長生きする喜びを感じていたのだと思う。
与路では孫に魂を残していくと言われた。
孫に同じ名前をつけたり、孫との関係を大切にしていた。
人の命がつがっていくことの大切さと幸せを表してきたのだと思う。
本土では月遅れの盆、沖縄奄美では旧暦の八月(中秋の名月)に老若男女が踊ってきた。
これは命のつながりの大切さを、先祖と共に祝う行事であったように思う。
それが失われることは、その大切さが見失われることを意味するように思えてならない。








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