歴史上よく知られていることだが、琉球王国は島津藩に実質支配されていながら、見せかけの独立王国を維持していた。
奄美諸島では島津藩の植民地支配を受けながら、幕府に対しては琉球王国だった。
島津藩は軍事力を背景に間接的に支配して、現地の支配階層を手懐けていった。
奄美では地元の郷士格が藩からの経済的な支配を受けつつも、政治的には強力な力をもって支配していた。
そんな中で、経済格差がどんどん開いていって、徴税負担によって身売りしたヤンチュを黒糖栽培の強制労働に追い込んでいった。
まさしくこの構図は現代の日本である。
よく言われるように、日本国憲法より優先されるのは日米安全保障条約である。
アメリカは圧倒的な軍事力を背景に日本を間接的に支配して、日本の支配階層を手懐けている。
軍事的、経済的にアメリカの支配に甘んじながら、日本政府は金権による支配力を持って国民を支配している。
そんな中で、経済格だがどんどん開いていって、非正規雇用の人々が過酷な労働に追い込まれている。
奄美の貧しい農民やヤンチュは強制労働させされながらも、焼き畑のサツマイモ栽培などを中心にソテツや椎の実、海産物など漁撈採集によって最低限の生存を維持した。
住む場所も家内ヤンチュは別として、サクバと呼ばれる農地のなかで、粗末ながら自分たちの手でヤドリという出小屋を建てて暮らしていた。
今の日本国民には、最低限の生活保護という仕組みがあって、食べることも住むこともできて、かつての奄美の貧しい人々のような生活はしなくていい。
一方、当時の奄美のヤンチュには、シマ(村)の行事には普通に参加でき、同じ郷士格以外とであれば恋愛は自由だった。
ただし、子供はヘダ(膝)と呼ばれて、ヤンチュの主人のものとなった。
われわれ国民は同じように自由に何でも出来るが、結局多くは子供に継がせられる家業がなくて、賃労働で雇われて働かせなくてはならない。
そして、子供に老後の世話など期待できないのだ。
それほど、地元の歴史研究者や郷土史家から債務奴隷とまで言われたヤンチュとそんなに変わらないのではないだろうか。
よく、現代の若者などを政治的無関心として批判されている。
当時の貧しい農民やヤンチュ達は本土のように百姓一揆は殆ど起こしていない。
アメリカの間接支配の中で、企業献金で金にまみれた日本政府の支配と、島津藩の間接支配の中で、黒糖利益にまみれた郷士格支配とどこが違うのだろう。
しかし、奄美の貧しい農民やヤンチュ達は自然の中で生きていける力を身につけていた
日本人の多くはいい加減な政府の方針で歪められた学校教育で、企業向けの学力以外に生存維持する力を身につけていないことを私は一番危惧する。
このような日本政府の政治に期待できない以上は、せめて生存維持ができるすべを身につける必要があるだろう。
それが自然回帰になるのか、グローバルな経済活動になるのかは、それぞれの適性によるものだろうが、今の大学を含めた学校にその力を求める時代は終わってるように思える。
0 件のコメント:
コメントを投稿