退職した企業戦士の五月病は深刻で、企業戦士の奥さんにも影響が及んでいるそうだ。
よくサラリーマンを戦士に喩えるけれど、明治になっても、士族と卒族はきちっと区別されていた。
本来、武士は家禄を持つが、それに使える足軽などは単なる使用人で、家禄を持たない。
そして、大名行列の臨時雇いなどで、臨時雇用の人足もいた。
終身雇用は家禄に似ているので、武士に近いけど、自分の子どもの雇用が保証されていないし、退職金という手切れ金で縁を切られる。
当然、臨時雇用の勤務者は武士に喩えられるわけでなく、代々使用人として勤められた卒以下と言うべきだろう。
そういうことでは、一年契約のスポーツ選手は、武士としてのサムライではなく足軽に近いサムライというべきかもしれない。
とにかく、家来や部下を持てない立場では、武士とか戦士というのも、おかしく感じる。
ただ、大学を出て学士の資格を得ているのだったら、「士」を名乗る資格はあるだろう。
五月病になっているようなサラリーマンは、役付だった人が多いかもしれない。
平のサラリーマンは何か職を見つけないと、生活が苦しいだろうから、五月病になっている場合ではないかもしれない。
私の父は中学卒だったが、正規の職工だったので、企業戦士というより、企業兵卒と呼ぶべきかもしれない。
工場では事故で命を落としかけたし、年下の高学歴の上司に偉そうに使われるので、よく愚痴をこぼしていた。
だから、父は私には勉強して人を使う立場になれとよく言っていた。
「卒」は工場でも、戦争でも死を覚悟して働かねばならなかった。
先日見たNHKの再放送のプロジェクトXでは、黒部ダムの建設で殉職者を171名もだしたのに、本人のことも遺族のことも、何も触れていなかった。
戦時下の兵卒はなおさらなのだが、将校や下士官の絶対的な命令で、死もいとわなかった。
それは奴隷が生殺与奪の権を主人に握られていたのと、さして変わりは無い。
でも大きな違いがあった。
それは「名誉」だ。
今回のウクライナ戦争で囚人がロシアでは多く使われている。
囚人はある意味で奴隷以下である。
ところが、囚人は兵卒で戦地で働いて手柄を立てると、名誉を与えられる。
懲役でほとんど無収入だった者が、賃金と名誉を死のリスクを引き換えに得られる。
奴隷にはそれほどの死のリスクはないが、名誉など全くない。
特に武士は名誉が重要で、へまをすれば自分で腹を切らねばならない。
現代でもエリートが過労死や過労自殺に追い込まれるのも、この名誉やプライドと関係しているだろう。
かつて名誉ある企業戦士が、五月病を患ってしまうことは、本当は不名誉なことなのだろう。
かく言う私は「修士」の学位を得ているので、「戦士」を名乗っていい筈なのだが、百姓もしてきているので、薩摩の郷士とかわらない。
郷士は上級武士からは蔑まされていた。
しかし、薩摩では百姓ができない上級武士より、百姓のできる郷士の方が維新後に生き延びたように聞く。
考えてみれば、兼業農家をしていた多くの人は大卒はほとんどいなかったので、「鄕卒」と呼ぶべきかもしれない。
現代の「士号」をもつ企業戦士も、薩摩の郷士のように百姓をするか、商売や事業をしていた方が激動の時代には生き延びられそうだ。
そのうち、AIに仕事を奪われそうだからだ。
戦が終わって行き場を失った牢人に似た企業戦士は、仕事を失った企業牢人と言うべきなのだろう。
五月病は企業牢人の悲哀なのだろうか・・・・
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