私の父方の祖母は、私のことをずっと気にかけてくれた人で、苦学生時代にはたびたび1万円を母に託してくれてありがたかった。
私の結婚式にもわざわざ参列してくれたのに、ちゃんとお礼を言えていなかったのが今でも悔やまれている。
その祖母は、足がむくんで調子が悪いのに、病院に行くのを拒んで、自宅で亡くなった。
家族に迷惑をかけたくなかったのか、死を予感して自宅で死を迎えたかったのか分からない。
死ぬ何ヶ月前に会った時は、そんなに早くなくなる状態とは思わなかった。
そのように、親類縁者の中で自ら入院を拒んで死んだのはその祖母だけだ。
私は以前、原ひろ子氏の『へヤー・インディアンとその世界』1989平凡社を読んでいた時に、
次の内容の報告を目にして、祖母と重ねて考えずにはいられなかった。
「外からの観察者としてへヤー・インディアンを見るとき、彼らは自分の死ぬときを自分で決めているように見えてくる。」
ヘアー・インディアンは、ちょっとした風邪でも、自分がもう死ぬ時だと思い込むと、食事を拒んだりして、簡単に死んでしまう。
それを、西洋医学の病院看護婦は嘆くのだが、狩猟採集民にとって自分をきちっと始末できないと、周りの者を危機に陥れることから、こういう死にざまができあがったらしい。
祖母が入院して、周りの家族が危機に陥ることは無かっただろうし、8人もの子どもを産み育て、5人は健在だったのだから、頼れば良かったと思う。
しかし、考えようによっては、それだけしっかりと生きてきた人間にとって、弱って子どもに頼る姿を見せたくなかったのかもしれない。
それは、その夫である祖父が脳梗塞で倒れた時に、周りに気を遣ったことであろうから推測できる。
今は、認知症が進んでしまったら、自分の死にざまを自分で決めることはできない。
家族がいれば病院に行くのを拒むことも難しいだろう。
その一方で、家族がいない人の中には、病院にも行けず孤独死する人もいる。
かつてヘアー・インディアンは、狩猟のための移動について行けない者は、自ら一人テントに残って死を迎えた。
ただ、先住民に年金が政府から支給されるようになって、老人がうって変わって大切にされるようになったそうだ。
今の日本では、大切にされるだけの年金を受け取れない老人も多いし、多い場合によっては振り込み詐欺に狙われたりする。
必ずしも、日本の方が老人にとって暮らしやすいとは言えないだろう。
自分も年金生活者になって、死にざまを考えねばならない年齢になった。
Lineで大学時代の同級生の写真を家内に見せたら、同じだと言われてかなりショックだった。
あまりにも老けて見えたからだ、自分自身も彼らを大学時代の印象で思い出していたように、自分自身も今の自分の姿を錯覚しているのだろう。
認知症になって、自分で自分の死にざまを考えられなくなる前に、しっかり考えておこうと思っている。
祖母の死にざまは、そういう意味で一つの見本でもあるかもしれない。
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