ページ

2024年8月28日水曜日

女ものの靴やサンダル

 我が家の玄関から、女性用の履き物が減って久しい。

娘が大学に通うのに下宿し始めて、娘の履き物が無くなった。

今残っているのは、家内のサンダルと運動靴くらいである。

家内はたくさん履き物は持っているが、大切に下駄箱に入れてあるので、玄関で見かけるのは、2足くらいである。

仕事には運動靴を履いていくので、玄関に小さなサンダルだけが1足残されている。

私は男兄弟が多い中で育ち、家族で女性は母一人だったので、玄関に母親の履き物は目立っていなかった。

玄関に女性の履き物があることが、いかに嬉しいことなのか思い知ったのは、学生時代に生活が破綻して、伴侶の履き物が無くなった時である。

いつも、そこにあったはずの、女性用のかわいい靴やサンダルが消えてしまうことほど、寂しさを感じさせることはない。


男用の私と息子の履き物は、履き古されて汚れていたり、くだびれてしまっていて、あまり見たくもない。

そもそも、磨いた革靴を履いて通勤することも無かったし、出かける時も歩きやすい靴を履いていて、見栄えの良い物は無い。

だから、一足でもかわいいサンダルが、玄関にあるとホット安心する。

そして、一つ残されているサンダルを見るたびに、玄関から女性用の履き物が無くなった寂しさを思い出してしまう。

そういえば、母が亡くなってから、実家の玄関をまだ片付けていないが、かなり昔に亡くなった父親の靴は全く残っていない。

私はまだ、亡くなった母の靴を処分できていない。

履き物が残っていることで、まだ生きていた頃を感じ続けている。

きれいな服や着物ではなくて、履き物に人を感じてしまうのもおかしな話だ。


0 件のコメント:

コメントを投稿