我が家の玄関から、女性用の履き物が減って久しい。
娘が大学に通うのに下宿し始めて、娘の履き物が無くなった。
今残っているのは、家内のサンダルと運動靴くらいである。
家内はたくさん履き物は持っているが、大切に下駄箱に入れてあるので、玄関で見かけるのは、2足くらいである。
仕事には運動靴を履いていくので、玄関に小さなサンダルだけが1足残されている。
私は男兄弟が多い中で育ち、家族で女性は母一人だったので、玄関に母親の履き物は目立っていなかった。
玄関に女性の履き物があることが、いかに嬉しいことなのか思い知ったのは、学生時代に生活が破綻して、伴侶の履き物が無くなった時である。
いつも、そこにあったはずの、女性用のかわいい靴やサンダルが消えてしまうことほど、寂しさを感じさせることはない。
男用の私と息子の履き物は、履き古されて汚れていたり、くだびれてしまっていて、あまり見たくもない。
そもそも、磨いた革靴を履いて通勤することも無かったし、出かける時も歩きやすい靴を履いていて、見栄えの良い物は無い。
だから、一足でもかわいいサンダルが、玄関にあるとホット安心する。
そして、一つ残されているサンダルを見るたびに、玄関から女性用の履き物が無くなった寂しさを思い出してしまう。
そういえば、母が亡くなってから、実家の玄関をまだ片付けていないが、かなり昔に亡くなった父親の靴は全く残っていない。
私はまだ、亡くなった母の靴を処分できていない。
履き物が残っていることで、まだ生きていた頃を感じ続けている。
きれいな服や着物ではなくて、履き物に人を感じてしまうのもおかしな話だ。
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