よく知られていることだが、約1万年前に更新制から完新世への変化で地球は温暖化された。
そして、それまでの狩猟採集から農耕へと変わる地域が増えていき、文明社会が誕生した。
地域によっては、狩猟採集民は絶滅し、農耕民だけの社会になってしまったところもあった。
しかし、日本のような島では農耕民の移動数に限界があったので、狩猟採集民が農耕民に絶滅させられずに済んだ。
よく言われているのは、日本のDNAには、大陸では失われて殆ど残っていないタイプが残っている。
ヤポネシア(日本本土・琉球列島・北海道)は環境の変化に、徐々に社会が変わっていく社会だった。
対照的に、大陸などでは劇的に変化していったところも少なからずあった。
今回の温暖化は約1年前に人類が経験したものよりも、急激らしい。
よく人新生という言葉で今の時代を表しているが、これからヤポネシアに生きる我々の生活を考える時が来たのだろう。
完新世への温暖化のヤポネシアは大陸のように、急速に農業が広まっていかず、狩猟採集の生活を続けていた。
だから、新石器時代という用語は、農耕を伴うのが普通なので、日本では縄文時代を新石器時代ということがためらわれてきた。
旧石器時代のように非定住型から定住型の狩猟採集と、どんぐりや小豆を管理して食料維持してきたのがヤポネシアだった。
ここでは水稲による本格的な農業は本土では約3000年前から、琉球では約1000年前で、北海道では本格化したのは150年ほど前だ。
ただし、一部の階層や町民を除いて米は日常食では無く、琉球ではサツマイモが戦前まで主食だった。
本土の地質から考えると水稲が一番ふさわしい作物だというが、人新生にふさわしい作物かどうかを考えねばならない時代だろう。
今年は、暑さに強いと思われていた、里芋やサツマイモも日照りの影響で、近辺では生育が非常に悪い。
関東の方は逆に雨が多かったので、良かったかもしれない。
日照りに強い高黍とオクラは生育には問題は無かった。
ただ、高黍は台風などの風に弱いので、巨大台風が来る人新生に向けて、品種改良する必要があるだろう。
そして、何よりも食生活の見直しが必要だ。
私自身本当に白米だけを食べ始めたのは、小学校に弁当を持って行き始めてからで、麦飯は恥ずかしいので白米だけに親が変えたのだった。
ただし、家で作った米は完全な白米ではなく、5分づきや7分づきだった。
また朝食は、家で作った小麦を米屋で製粉してもらって、べた焼き(パンケーキ)を毎日食べていた。
これからは、比較的作りやすい冬場にできる麦などにも力を入れるべきで、私はモチ麦を、近所の専業農家は小麦をやりはじめている。
米不足でパニックになるよりも、この機会に白米に多く依存しない食生活を考えるべきだろう。
学校給食も、それに応じたメニューを考えるべきだと思う。
私が非常勤で勤めていた千種高校の給食には、そういうメニューがちゃんと定期的に組まれていた。
確実に時代は変わっている、縄文人のように環境に応じて徐々に生活を変化させないといけないと思う今日この頃である。
また、旧石器時代から縄文時代への変化は北の文化と南の文化の混合による物だった。
縄文時代から弥生時代への変化は、大陸、半島からの水稲農耕文化の渡来によるのだった。
現代の学校教育文化に疲弊した日本人よりも、外国の柔軟な教育文化に育まれた人々を受け入れる時が来たのかもしれない。
これまでの文化が急激に変わらない程度に、外国からの移民も受け入れるべき時が来たのだと思う。
縄文系の弥生人と渡来系の弥生人が共存したように、外国からの移住者と共存する時が来たように思う。
日本人の少子化を嘆くより、いかに外国からの移住者を受け入れるべきかを考えねばならない時代になったと思う。
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