奄美でマングースが絶滅したという。
1979年と言えば私が大学1年の時だが、30匹のマングースが放たれて、ハブとは戦わずにクロウサギなどを食い荒らしていったという。
私は1982年から奄美へ村落調査で出かけたが、名瀬のハブセンターでハブとマングースの決闘がショーが行われていた。
私は一度もハブセンターに行ったことがなかったが、ハブの焼酎漬けを土産で買って帰って祖父にあげたが、飲みづらいと言われた。
ハブは一度だけ焼いたのを食べたことがあるが、骨ばかりで肉はあまりなく、味は鶏肉と変わりなかった。
与路島で山道や獣道を歩いたりしたが、幸いなことに野生のハブとは一度も遭遇せずに済んだ。
奄美のクロウサギは当時は、与路島の小中学校で飼育されていたのを見たことがある。
この天然記念物になったクロウサギもかつては大切な食料だったようだ。
人間の勝手で持ち込まれて、結局害にしかならなかったマングース。
ハブは捕っても持って行ったらお金になるようにして、かなり減ったと聞く。
そちらの方が効果的だったのだ。
また、徳之島は家猫が野生化して、問題になっているがこれも人間の都合だ。
そして、山羊も放し飼いにして、野生化していたが、与路島では子ヤギが猛禽類の餌食になってそんなに増えていないと聞いた。
そもそも、琉球諸島には鹿やキョンが生息していた。
そこに旧石器時代に人類がやってきて以来、絶滅してしまったようだ。
本土では明治以降にどれだけ野生動物を絶滅させたか数え切れない。
自然保護団体は、絶滅危惧種の保護を声高に訴えているが、ホモ・サピエンスこそアフリカからやってきた最悪の外来種だという自覚が無いように思える。
この外来種は多くの生物を絶滅させただけでなく、地球の温暖化を招いて全生物を巻き込んだ破壊を行っている。
こういう自覚をせずに、単にマングースの絶滅をあたかも、世界に類を見ない成功というのはどうも見当違いだと思う。
人間の都合によって保護したりペット、家畜、作物として活用するのが人間だ。
そして、役に立たなくて生活に不都合な生物は、害獣、害虫として駆除していこうとする。
地球環境にとって、本当は人類こそ駆除すべき存在なのかもしれない。
罪深き立地点に立って環境保護活動をすすめていくのが本来の筋だと思う。
こうなると、宗教がかってしまうのだが、近代科学の最大の欠点は倫理観の喪失だと思うので、それをもう一度求める時代になったと思う。
ダーウィンの進化論以来、適者生存で強い者が生き残るのだと教わってきた。
自分のDNAを残すために、生物は他生物と闘っていくのであって、他生物との共生という地球生態システムの根幹を疎かにした
これは、欧米の軍事力と経済力による世界侵略に都合の良い論理であり、日本人もそれに追随してしまった。
日本人は本来、罪深き殺生の意識から供養塔を建てたり、「一寸の虫にも五分の魂」という言葉は、弱者を侮るなという意味とは別に、命を大切にするべきと解釈してきたと思う。
オオカミは欧米人の農業指導によって家畜のために駆除される前は、神様として祀られたりしていた。
熊もエゾオオカミもアイヌの人たちにとっては神の使いであった。
結局、天敵を失った鹿たちが、温暖化で勢力を増し伊吹山のように災害を引き起こす時代になってきている。
江戸時代の生類憐れみの令は確かに行きすぎた政策だが、江戸エコシステムの一役を担ったことも確かだろう。
最悪の外来種の人類は、その自覚の元で暮らしていくべきなのだと思う。
だから、奄美でのマングースの絶滅を安易に誇るべきでは無い、勝手な人間の犠牲にしてしまったと反省すべきだろう。
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