ページ

2024年10月2日水曜日

なじみの鳥取

 全国的には鳥取県は余り知られていない。

今回、石破茂が総理大臣になったことで、鳥取も全国ニュースで知れ渡ることになった。

鳥取は私の住む兵庫県の隣の県だが、山陰で中国山地を越えねばならないので、あまりなじみは無かった。

それが、無料で通行できる鳥取道や、智頭線で繋がったことで、兵庫県の南西部とも関わりが多くなっている。

鳥取では安くておいしい海産物が手に入るので、岩見の道の駅には月に一度くらいは車で出かけている。

そこに隣接する食堂で、毎回海鮮丼を家内と一緒に食べている。

値段は少々高くて、回転寿司なら食べきれないくらい注文できるのだが、味は比べものにならない。

冬場に行けばカニなども安く食べられそうだが、雪道に慣れていないので一度も行ったことがない。

この日曜にも岩見に出かけたのだが、いつもは席に着くのも待たされるのに、全く待たされなかった。

おそらく、祭りのシーズンで、そちらに人が動いたのだろうと思う。


私自身は、鳥取出身の人と関わりが大学時代からある。

私が班長をつとめた村落調査サークルに名古屋大学の医学部生が参加してくれたが、彼女は鳥取西高校出身だった。

医学部にかかわらず、民族学に非常に興味を持ってくれて、奄美の調査では普通の民家にも宿泊して頑張ってくれた。

また、大学院でも1年下に鳥取出身の後輩がいて、彼女は飲み会で必ず貝殻節の話題になるので、地元で歌と踊りをおぼえてきて披露してくれた。

自分の研究とはあまり関係なさそうだったので興味が無かったのだが、青谷神寺地遺跡で弥生人の多量の人骨が発掘されて以来興味を持った。

そして、大林太良氏や森浩一氏の倭人研究と非常に関係があり、それは海人として奄美とも通じるものがあると思った。

要するに鳥取など山陰の古代遺跡には、潟湖で暮らしていた海人の生活ぶりが残されているというのだ。

青谷神寺地遺跡は大乱の殺戮の証拠として、イメージとしてはあまり良くないのだが、かつては栄えていた山陰を示す一つの証となっている。


鳥取は寂れたイメージしか無い。

大したレジャー施設も産業もなく、かつては「スタバは無いけど、砂場はある」と揶揄されたほどだった。

石破茂の地元の八頭などはかつては国道29号線で姫路への重要な幹線道路沿いだったようだが、鳥取道にその座を奪われて、山道の好きなドライバーでしか通らない。

八頭は、柿の産地で道沿いに柿畑が広がっている。

私は熟し柿以外は食べないし、家族は柿は好きではないので、道の駅にも寄ることは無い。

それよりも、その奥にある若桜の道の駅には必ず寄って、おいしいアイスもなかを買って車中で家内と半分ずつ食べている。

ガソリンが高くなったので、最近は通らなくなったが、鳥取の浦安海岸から浜坂や香住を抜けて豊岡にいく海岸道路の絶景をかつては楽しんだ。


今は、オーバーツーリズムと縁が無いところだが、山陰自動車道が全船繋がったら混雑してくると思う。

今の鳥取道も連休などでは交通量も多くなって渋滞もするし、トンネルや単車線の影響で重大事故も多発している。

そうなると、旧来の国道をゆっくり走るのも良いのかもしれないが、通行料金がいらないなら山口まで遠出したいと思っている。

今でも、鳥取道は片道だけ使っているのは、下道だけの日帰りには限界があるからだ。

石破さんに頑張ってもらって、山陰自動車道で西日本の山陰地方をほどほどに賑やかにして欲しいとも思う。

かつては倭人や北前船などが活躍して賑わった西日本の山陰の復活を願うばかりだ。

しかし、人望のない石破さん、割り箸政権とも言われているそうで、山陰自動車道が全通するまで持ちそうもないような気もするが、君子は豹変してくれるはずだ・・・・・





0 件のコメント:

コメントを投稿