先日の金曜日に図書室に行った折に、同じ施設内にある大ホールでカラオケ大会が行われていた。
驚いたのは、朝から夕方までの終日設定されており、歌声が館内に響いていた。
平日にすることが出来るのが、高齢者の強みだろう。
そういえば、以前にも昼に出くわして、弁当を受付で渡していたのを見かけたことがある。
コロナ以来、カラオケは下火になったと思っていたが、田舎では根強く残っていたのだ。
ただ、以前は何処にでもあったカラオケボックスなどは見かけなくなってしまった。
私の親兄弟が正月や盆に集まると、必ずカラオケに行っていたのだが、もうそれがなくなり、長い間そういう場所に行っていない。
私はもっぱら、夕方に缶ビールを飲みながらPCで一人カラオケをしている。
今読んでいるアンダマン人の民族誌*で驚いた記述があった。
誰もが自分の歌を自分で作る。他の誰かが作った歌を(ダンスで)歌う人はいない。伝統的な歌などない。(中略)彼は女性コーラスを親戚の女性1人か2人に教えるようにします。そうすれば、彼女たちが女性コーラスをリードすることができます。 彼は自分の歌を歌い、それが成功すれば何度か繰り返し、その後はレパートリーの一部となる。なぜなら、どんな年齢の男でも、いつでも繰り返し歌う準備ができている歌のレパートリーを持っているからだ。
ちゃんと、自分で作詞作曲して、親戚の女性に協力してもらって、歌うのが男の嗜みなのだ。
現代のアーティストが自分で作詞作曲するように、ここの狩猟採集民の男は自分の歌を作って歌うのだ。
私もオリジナル曲はあるが、一度だけ県立大附属高校の離任式で、生徒の前で歌っただけである。
それは附属高校の想い出を歌にしたものだった。
本当はカラオケのようにヒット曲を歌うよりも、自分のオリジナル曲を歌えた方が良いのは分かっている。
でも、プロの歌の方が、当然素晴らしいので、そちらに頼っているのだ。
かつて、私の高校時代はギターを弾いて歌うのが当たり前で、カラオケはまだそれほど普及していなかった。
だから、プロの歌も自分の歌のように歌えたのだった。
そして、ギター1本でどこでも、皆と一緒に歌うことが出来た。
今は、その気になればPCとスピーカーでどこでもカラオケは出来る。
誰もが参加できるカラオケの集まりができれば、孤立した人を減らせるのではないかと思う。
歌の苦手な人もいるだろうから、そういう人は手拍子をしたり、踊ったりすれば良い。
その場に一緒にいるだけでも良いように思う。
かつて琉球では三線や太鼓で普段から楽しんでいたと思う。
今でも沖縄では結婚式の最後はみんなで踊って閉めるそうだ。
暮らしの中に歌や踊りが根付いているなんて素晴らしいことだろう。
近年子どもの自殺が増えているようだ。
学校は競争の場だけになって息苦しくなっているのかもしれない。
かつて勤務した特別支援学校では歌と踊りを授業に多く取り入れて、楽しめる雰囲気を大切にしていた。
それを普通校は学ぶべきだと思う。
私は赤穂高校で担任していたクラスでカラオケ大会をした想い出が忘れられない。
*A. R. Radcliffe-Brown, The Andaman Islanders, Cambridge: Cambridge University Press, 1922.
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