このところ近しい人の葬儀が重なってしまった。
おまけに、その葬儀の対応を巡って、もっと近しい人から「ボケ」と罵倒された。
関西人はアホという言葉は日常的によく使うが、「ボケ」という言葉はかなり特別なときしか用いない。
私は「ボケ」と言われた経験の記憶がこれまでに残っていない。
その言葉に対して怒りを通り越して、絶望を感じてしまった。
「ああ この人間とはもうお終いなのだ」と思わせる言葉に思えた。
言った本人はすぐに謝りの電話をしてきたが、許すことはできなかった。
それ以降「ボケ」という言葉がずっと頭の中を駆けずり回っていた。
ヤクザやチンピラから町でボケと言われても気にすることは無いだろう。
しかし、もっとも信頼していた人間から言われると、かなりのダメージとなる。
こんな時は家の中に閉じこもっていては駄目だと、翌日は一日農作業をすることにした。
午前中はまず、雀に多く食べられてしまったもち麦のしっかりとした囲いをこさえた。
そして、先日植えたサツマイモの苗に水を用水路からリアカーに大きなタライに汲んで与えた。
ポリマルチをしていないので、刈って枯れた草を苗に敷いてやったりした。
午後からはしばらく休んだ後で、午前の作業の続きをした後は、刈草を集めたり、また伸びてきた草を刈ったりもした。
そのほか、タマネギの取り入れや、もう一度サツマイモの水やりをしていた。
近所の畑では多くの時間を畑で過ごすご婦人がいて、そこに友達もやってきて話し込んだりしている。
退職した年配の男性も午前中や夕方には畑仕事に精を出している。
私は一日中農作業することは滅多に無かった。
しかし、気が滅入るときはこうして農作業する方が気が楽になる。
そして、身体も疲れるので夜はぐっすりと眠れるのだ。
朝起きて食べた味噌汁は苦く感じたが、昼食は美味しく、夕食の第3のビールはたまらなくうまかった。
前日に受けたダメージは夕方には回復していた。
「ボケ」と言った相手を許すことはできないが、もうどうでも良くなった。
翌日、ラインを通して再び謝罪の言葉を受けた。
自分の感情を抑えきれなかったことが書いてあった。
私よりも歳が若いのに、年齢のせいにはできないだろう。
むしろ仕事だけに生きる暮らしの中で、心が疲弊しているように思えた。
私は特別支援学校の勤務が10年以上と長いが、作業学習では農業を担当することが多かった。
生徒達と農作業を通して、ふれあうことも楽しみの一つになっていた。
普通校との交流授業でも作った落花生を一緒に収穫したりした。
農作業が心を癒やし、人との関わりを楽しくさせてくれる。
それは作物の命と生長を身近に感じられているからだと思う。
にっくき、鳥や虫もいるのだが、それはそれで闘う相手に不足は無い。
天候や生活の事情からマニュアル通りには行かないのも、また次への意欲にも繋がる。
好きな水泳や歌の弾き語りは一日中することはできないし、歌は滅入っているときには歌えない。
こういう滅入っているときには一日中農作業をするに限るのだ。
ただし、真冬や真夏は健康を害するので注意が必要だ。
そういう時は時間を限って、他の楽しみと組み合わせれば良い。
都会の人が、高いお金を出しても市民農園で農作業をするのも理解できる。
薬やサプリに頼るよりも、農作業の方が心の治癒には役立つように思う。
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