このところ忙しかったので、散歩の折に放置竹林のマダケやハチクの筍を見ても採らずにいた。
なにせ、採ってきてすぐに茹でねばならないので、面倒だと思い見過ごしていた。
実は、私はマダケとハチクの違いを分かっていなかった。
ネットで調べたら、色や艶の違いが歴然で、マダケは青っぽくて艶があり、ハチクは白っぽくて艶が無い。
どちらも見かけていた竹で、私は日当たりによって違っているように思い込んでいた。
筍も孟宗竹は太さで分かるが、マダケもハチクも同じような太さで、ハチクが若干細いような気がする。
だから、区別無く採ってきて同じように調理していた。
先日、山崎のJA直売所や波賀の道の駅でハチクの筍が売られているので、値段を見ると大きめが3本で600円と思ったよりも高い。
自分が例年採ってきている筍の量を考えると、何千円もの価値があったことに気がついた。
以前、私はナップサックにいっぱい採って帰るのを、毎朝数週間続けていたのだ。
旬の頃は毎日のように筍を食べて、余したら漬物にしたり干したりしていた。
ネットでも栄養価が高いことを書いてあって、健康に良いと思っていた。
なにせパンダは竹だけで生きているのだから、ちゃんと消化できれば栄養がいっぱい摂れるに決まっている。
ところが、近隣では一昨年あたりからマダケを中心に一斉に枯れ始めている。
今年は、竹林の整理事業が散歩道の山でも行われて、竹もずいぶん減らされている。
私は筍の採れる放置された竹林を何カ所も知っていて、生える時期もずれることも分かっている。
もうすでに孟宗竹の季節は終わっているし、日当たりの良いところではマダケもハチクもずいぶん大きくなってしまっている。
そこで、一番日当たりが悪くて生えるのが遅いところに採りに行った。
そこは放置されて密集しているので、筍を見つけてそこにたどり着くのも至難の業だ。
大抵は、足で踏んづけて折ってから拾う。
掘りやすいところではスコップやナイフを用いていたが、しゃがむのも難しいのでそうしたのだ。
また、その翌日には集落の外れでも、持て余している竹林があって、そこの筍は細いのだが、どうせへし折られて捨てられるので採ってきた。
以前は、持って帰った筍を半分に切ってから、皮をむいてシャトルシェフで何も入れずに茹でていた。
今回から、ちょっと皮をむいてから、シャトルシェフの鍋に入る大きさに切って皮のまま茹でた。
その方がむきやすいし、食べられる部分も多くなった。
ただ、かさ張るので鍋は二つ使った。
私が下ゆでまでして、後は家内が味付けをおこなって美味しく食べたが、しばらくは筍の煮物が続きそうである。
そして、採ってきたのだが食べ切れそうに無いので、茹でた後でナイロン袋で塩もみして、大きめの瓶容器にいれて、冷暗所に保存した。
本来竹は色んな道具や、田畑の杭や支え、家に関しては垣根だけで無く、以前は土壁の骨組みにも使われていた。
実は我が家は直接地元の大工さんに頼んで建ててもらったのだが、その人は自分で竹を採ってきてわら縄で壁の骨組みを編んでいた。
竹材は足場になったり、籠だけでなく筏や縄・箍になったり、竹炭になったりした。
また、竹は杉や檜の材木と違って、筍は食料にもなる。
スーパーなどの店では孟宗竹の筍しか出回らないが、農産物の直売所や道の駅ではハチクの筍もちゃんと売っている。
ハチクはえぐみがあまりないので、糠を入れて茹でなくても美味しく食べられる。
今はどんどん利用されなくなって、竹林は放置されて荒れたり、伐採されてしまったりしている。
竹と寄り添って生活してきた民俗文化を再評価するべきのように思っている。
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