私は教員をしていたが、初任校が特別支援学校(当時は養護学校)であり、そこではからだ作りの一環として児童生徒と一緒に走るのが仕事としてあった。
それが高じて職員仲間と市民マラソンにも参加するようになった。
私自身は市民マラソンに出る目的だけでなく、ジョギングやランニングは健康のためであったり、ストレス解消として特別支援学校以外でも続けていた。
2校目の職業高校では剣道部の顧問をしていたので、トレーニングとして部員と走ったり、やはり職員仲間とも走った。
個人としての練習は早朝が中心にモモ(愛犬)と一緒に30分ほどだったが、土日は時間をたっぷりとかけて、ゆっくりと2時間以上ひとりで走ることもあった。
その経験を活かしたのが小学生の子どものマラソン大会の練習だった。
小学校の3学期にはマラソン大会があるので、そこで頑張らせたいと思い息子、娘とモモと一緒に朝早くから練習を始めた。
まだ、暗いうちに家を出て、1kmほど離れた小学校までゆっくりと走って行き、小学校の運動場で自分のペースで走らせた。
息子は運動が苦手でしっかりとは走られなかったが、運動が得意な娘は一生懸命に練習した。
夜が明けて運動場が明るくなって、寒いけど走り終わった後は爽快な気分でゆっくり家に戻った。
練習後の朝ご飯はみんなでおいしく食べることができた。
小学校の校内マラソン大会の日は平日だったので、私は仕事で見に行かれなかった。
そのかわり家内が応援に出かけてその様子を聞かせてもらった。
娘は最後でライバルの女子児童を抜いて、学年で男女合わせた中で、6位になったというい。
娘は担任にも早朝練習のことを言っていたらしく、その努力の結果だと褒められたそうだ。
私は娘に勉強を教えたことは殆どなくて、こういうランニングや水泳を一緒にやった経験だけある。
娘との良い思い出の一つとなった。
娘は小学校では水泳選手だったが、その後、中学校では水泳部がなかったので陸上部に入った。
長距離選手として頑張って、郡市区駅伝の上郡町の選手として出場したこともある。
ただ、足の故障に悩まされていて陸上は諦めて、高校ではテニス部に入っていた。
娘とは中学生頃からあまり話をしなくなって、なぜ陸上部に入ったかは聞いていない。
ただ、小学校のマラソン大会で頑張って良い順位になった成功体験があったように思う。
私自身は10年ほど前に鼠径ヘルニアで手術して以来、走ることは怖くてできていない。
また、体重が減って負担が少なくなれば再開したいと思っている。
子どもたちと一緒に練習したことを思い出しながら走りたいと思っている。
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