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2012年5月6日日曜日

鷲羽山ドライブ 2012/05/06(日)

この五月の連休中は上郡以外はせいぜい赤穂に行く程度で、どこにも出かけなかった。広島の大学で学ぶ娘は鈍行列車で家に戻り、一泊しただけでまた鈍行列車で戻っていった。
おそらく気分転換に帰省しただけであろう。私も学生時代から、気分転換に電車に乗って出かけることが多かった。田舎暮らしの今は、電車で出かけるのは手間のかかる気分転換である。
たいていは自家用車に乗って出かける。
買い物は姫路程度だが、一年に一度の日帰りドライブとなると、東は京都、西は広島、北は鳥取、南は高知くらいになる。休みにちょっとドライブでは、そんなに遠くには出かけない。
今回も出かける時間が10時半だったので、倉敷方面に出かけることにした。
子どもが幼い頃には、日曜日は伊部(備前焼で有名)の近くのホームセンターに出かけ、赤穂の私の両親を訪ねて戻ってくる日課となっていた。
ルートは国道二号線で、ホームセンター迄行き、そこから国道250線で海沿いに赤穂まで行き両親の家に行く、そして、千種川沿いに戻ってくるものである。この季節は「山笑う」というが、新緑が美しい。
途中、山のツツジが咲いているのを眺めたりした。また、海沿いの景色も良くて、日生を過ぎた所から、鹿久囲島などの内海は穏やかで、心が落ち着いたものである。


今日は結局、国道二号線で倉敷まで行ったのだが、どこにも寄らずに鷲羽山に行くことにした。
やはり五月の連休中に、小学生だった二人の子どもを、連れてきたことがあった所である。ここには子どもと遊べる遊園地もあって、地区の子供会でバス旅行にも来たことがある。
今回は10年ぶりくらいの家内と二人きりのドライブなのだが、家内は子供会のバス旅行は憶えていたが、子どもと家族で鷲羽山に来たことは忘れてしまっていた。
家内は余程大きなイベント以外は直ぐに忘れてしまう方で、昔の想い出を語るのは殆ど私の方である。
私は一度見た風景はたいてい記憶する方で、今回も家族で来た時の風景を懐かしく思い出していた。
水島コンビナートは相変わらず壮大な風景で、昔、日暮れに来た時に見た、夕焼けと煙突からの炎のコントラストが忘れられない。
児島坂出ルートの瀬戸大橋を鷲羽山から眺める風景も懐かしく、潮の流れの速いところをゆっくりと貨物船が通るのも10年前と変わりない。
変わってしまったのは観光客である。連休中にも関わらず殆ど混雑がない。
以前、子どもを近くのおもちゃ館に連休中に連れて行こうとして、渋滞で断念した時と大違いである。
鷲羽山展望台付近も、地元の人のイベントが行われて、有志が衣装をそろえて、地元の踊りなどを披露していたが、どうも客は身内らしい。
そこの出店でそれぞれ400円の「たこめし」と「タコの天ぷら」を買って二人で分けて食べたのだが、午後一時過ぎであるのに、出店していた魚屋は引き上げていく。
各テントはB級グルメ風なのだが、やはり近所の自治会の人がやっている感じであった。
踊りが済んでビンゴゲームとなると、多くの人が一斉に舞台付近に集まってくるのを見たが、これも地元の人という雰囲気であった。
展望レストラン付近には賑わいもなく、土産物屋も閑散としている。以前子どもと来た時は途中で弁当を買って、この付近で景色を見ながら食べたのだが、家内は憶えていない。当時は混雑していて、観光施設の中に入るのもためらわれた。
観光客が少ないのは坂道が多くてお年寄りには不向きであること、子どもが楽しめるコーナーがないことなどだろう。
当然、ゲーム世代の若者には人気がない。いくらすばらしい景色があっても、それだけでは客を呼べない時代となってしまったようだ。おいしいタコに関わる食事も、イベントを少し盛り上げる程度でしかない。
人はショッピングモールで楽しむ時代になり、雄大な風景を楽しむ時代は終わった。
遊覧船の客引きの案内の人が、ハンディーマイクで放送した後で、何のためらいもなく、声を出して大あくびをしていることが、この雰囲気を象徴していた。そんな中でタクシーに乗ってきた大学生風の四人の女性客が、古典的な観光客に思えて、観光スポットの威厳を示してくれた。
観光バスも一台もなく、良く言えば落ち着いた観光地、悪く言えば見捨てられた観光地のようにも思えて、時代の移り変わりを感じざるを得なかった。


帰りは家内に運転を代わって貰い、穂の出た麦畑などの風景などをゆっくり見て、昔を一人で思い出しながら家路についた。
家のことや農作業で連休は費やされるのだが、一日それから解放されて、ささやかなドライブに行くのは、私にとってはかけがえのない一時である。
出不精の家内あっても、何とか付き合ってくれるので、孤独ではない。これで子ども夫婦とか孫が一緒ならもっと楽しいのだろうが、その日が訪れるのは、いつのことやら・・・。
五月の連休に私たち家族や兄弟の家族が両親の家に集まり、一緒に食事をしたり、ドライブしたことも遠い昔になってしまった。
過去に拘りのない家内とは昔話はあまり出来ないのだが、聞いてくれなくても横にいる家内に語りかけられるのも、ささやかな幸せであろう。
そして、仕事のことが頭からやっと離れられたのが、何よりも幸せであった。

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