行くつもりの無かったペーロンの花火大会に行くことになった。理由は留守番である。
家内の実家が相生にあるが、用事があって家を空けなければならない。
花火の日は留守が多いので空き巣にやられるという。家の前に車があって電気が点いていれば大丈夫だろうと言うことで、とりあえず行って花火を見ることにした。
家内の実家から港までは少し距離があるが、打ち上げる音を聞いてから歩いていって充分間に合う。渋滞する車をよそに、家族と花火を見ながら港まで行く。
子供の小さかった頃は、歩道には歩いて港に向かう人がいっぱいいたのに、若い人夫婦の連れが少しいただけ、釣具屋の前の歩道橋あたりで、やっと見物客に出会った。
それでも、本町商店街の前の交差点では、通行止めにした道を右折させるために、警察官や警備が沢山立っており、そこからは大勢の見物客がひしめいていた。
本町商店街の方に目を転じると、シャッターが下ろされて閑散としている。いくら花火がみられないとはいえ、以前はこの通りにも人が溢れていた。
出店の数も少なくなっていて、やっと播磨病院あたりになって昔の賑わいを感じた。そこからは、いつも見物する市役所の前まで行くのが大変で、たどり着いても多くの人がロータリーの道路に座って見物している。
高い駐車場ができた関係で、見通しは良くないのだが、市役所の植え込みの段に腰を掛けて、見物することにした。腹に応える懐かしい「ドン」という音。
音に驚いて泣いている赤ん坊。街は寂れていくが、花火は昔よりも数倍賑やかに夜空を彩っていた。
ただ、賑やかだけではなく、スイカを象ったものやら、顔らしきものやら工夫がなされていた。怖がる子供をよそに、花火は老若男女楽しめる。
特に若い男女や子連れの家族にとっては、想い出作りの良い機会である。私らのような熟年夫婦にとっても、昔のことを話題にしながら楽しめる良い機会である。
帰りの渋滞が心配なので、後ろ髪を引かれる思いで帰路に就く。これは以前からそうなのだが、何度も何度も花火を振り返りつつ、時に名残惜しんで立ち止まったりして、また、人通りの無くなった家内の実家に戻った。
花火は見ているときは楽しいのだが、終わってしまうと、いつもうら哀しい気持に襲われる。来年まで見ることができないというだけではなくて、儚さの最たるものだから、行く時の流れを投影してしまうのだろう。
幼い時に見た自分、学生の頃の自分、幼い子供と見た自分、そして今の自分。花火の姿はどんどん変わり、それを見る人の様相も変わり、そして、何より街が変わった。
それでも、花火を見てその幻想的な時間を過ごしたいという気持は変わらない。
毎日巨額の費用を掛けて楽しませてくれるディズニーランドとは違って、一年に一度だけの精一杯の時間を超えた「夢と奇蹟の世界」は掛け替えのないものに感じる。
震災の影響で中止された去年の分まで、楽しませてくれた花火を、誰もが讃えた。
子ども達は絵に残していくだろうし、実際に絵に描かない多くの人でも、カメラやビデオ以上に美しい花火を心に描くことができたと思う。
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