今、私が作っている作物の中で、唯一自家製の種(鱗片)を用いているのがニンニクである。
これは父親から受け継いだもので、市販されているニンニクよりも数倍臭いがきつい。
というのも、学校の調理実習で持って行ったら、うちのニンニクを使うと、手に付いた臭いが三日落ちないと、苦情を若い人から言われたことがある。
それはちょっと大袈裟だと思うが、市販のニンニクは臭いが少なく、大玉になっている。
特に中国産などはその傾向が強く、値段も安い。
だから、自分や家内の実家を除いて、他の人にあげることは殆ど無い。
そもそも父親がニンニクを作り始めたのは、自分たち兄弟の健康のためだった。
始めはクコの葉や実を採ってきたり、栽培した。臭いのきつい豆乳も飲まされたりした。
自分は今でこそ身体は強い方だが、小さい頃は気管支炎を起こして直ぐに熱を出した。
弟たちも胃腸が弱かったりした。そこで、親は色々と健康に良いものを探して、ニンニクを作り始めたようだ。最初は小さいものしかできず、大した物がとれなかったという。
ところが、私の憶えている限り、父親の作るニンニクは、非常に大きい。
父親は薩摩芋を作ることと、ニンニクを作ることが得意であった。
私もニンニクを作ろうと、借りている畑で作ってみたが、小さい物しかできない。
ところが、父親が調子を崩してから、赤穂の唐船の近くにある実家の畑で自分が作り出したが、父親と同じ様な大きいニンニクができる。
父親は極端に畑に金を掛けるのを嫌がって、あまり買った肥料を使わず、古くは下肥を、近年では薩摩芋の蔓を埋め込んだりしていた。
私は買ってきた菜種油滓、鶏糞、有機石灰を基本として、堆肥を畑の枇杷の木の根元で作って与えており、父親とはやり方が違う。ということは、肥料の差で大きさが違うということではない。
今年は実家の畑だけでなく、上郡の家の裏で借りた水田転用の畑でも植えた。
それは、あまりにも里芋がセスジスズメにやられたからである。
ニンニクは唐辛子や酢と混ぜて、害虫の忌避剤にもしていたし、赤穂の畑は比較的虫の被害が少ないのはニンニクのお陰ではないかと思ったからである。
ところが、赤穂の畑は分けつした芽も取らずに放っておき、一方で上郡の畑では脇芽も取ったり、肥料も多めにやったのにも関わらず、断然赤穂の方が大きいニンニクができた。
赤穂が砂地、上郡が粘土質という土質の違いもあるし、赤穂は海のそばでマグネシウムなどの成分が良いのかも知れない。
確かに、赤穂では隣の畑もニンニクを作っていて、品種も違うこともあって大きいのができている。
ただ、その市販で買った種を用いたニンニクは病気に弱いらしく、自分の家の畑は良いできであった年に、隣では枯らしてしまっていた。
家内の実家はあげた種で作っているが、うまくいったと言うことを聞いたことがない。やはり、父親が残したニンニクは、長年種として残してきたことと、畑がニンニクにあった土壌になったことが幸いしているのだろうと思う。
上郡の畑は、水田の転用地なのでどうしても水はけが悪く、あまりニンニクには合っていないかもしれないが、何年も作り続ける内に、土壌も変化して、ニンニクに適してくるかも知れない。残念ながら借地なのでいつまで続けられるか分からないが・・・
癌の予防に良いと言って母親も、作ってあげると喜んでくれる。
私が食べ過ぎてニンニク臭いと家内は嫌がるのだが、調子が悪い時や、疲労が溜まったり、頑張る必要があるときにはニンニクに頼っている。
親父の残してくれたニンニクは自分にとって宝物である。
そのうち見なおされて、出荷したら売れるようになるかも知れない。
その日が来るまで、赤穂の畑とニンニクの種は守り通さなくてはいけない。
それがちょっとした、親父への供養だと思っている。ちょっと臭い浪花節になってしまった・・・。
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