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2012年6月23日土曜日

鳥は「盗り」~枇杷の収穫 2012/06/23

今日枇杷の実の収穫を行った。実は残ったらっきょうを収穫して、黒大豆の種を蒔いたり、薩摩芋の蔓を採って植えるつもりであった。
ところが、赤穂の畑に行ってみると、あれほど厳重に防鳥ネットを張っていたのにも関わらず、袋がけした枇杷のみが食い荒らされていた。
こちらも、うかつであった。枇杷の熟れ具合を調べていなかった。

防鳥ネットをして油断もあった。最初家内はあまり上手に採っているので、人が採ったと疑ったが、地面に食い荒らされた残骸が残っていたり、突いた実が落ちていたので殆どは鳥のせいだと思う。
おそらく以前にも採っていった椋鳥ではないかと思う。
確かに、人も通りがけで採っていく人もいたかも知れない。姫路では農作物を採っていく人が多くて困ることを聞いていた。赤穂のこのあたりでは、あまりそう言う話は聞かない。

枇杷のみを採るつもりが無かったので、脚立も用意していなかった。そこでいっそうのこと枝毎残りを採ることにした。
以前採られた時も、腹立ち紛れにばっさりと枝を多く落としたことがあった。枇杷は強いもので翌年もちゃんと実をつけてくれた。
今回は本当は前もって剪定しておいて、ネット張りやすくするために低くするつもりでいた。それを今やるだけのことである。
そもそも、これだけ手間を掛けて袋がけして駄目なものは、剪定によって枯れても惜しくはない。鳥にやるくらいなら伐ってしまいたいくらいである。

収まらない怒りを抑えながら、ばっさばっさ切り落として、家内に残った実をちぎって貰ったら、意外に残っていて買い物袋一杯にはなった。
大きさも袋がけの時に2~3個になるよう摘果したり、枝を剪定したので大きく、3cm位になっている。
枇杷は剪定や摘果を怠ってそのまま実をならすと種だらけのみになり、人にあげるどころか、自分家でも食べて貰えない。
人にあげても恥ずかしくない実にはなっていた。

しかし、半日掛けて袋がけ剪定した労力の半分以上は採りに持って行かれてしまった。
人は動物や昆虫の労力を搾取するのが普通なのだが、今回は鳥に我々の労力を搾取されてしまった。
動物愛護や失われる自然を惜しむ立場でいた者が、とんだしっぺ返しを喰らってしまった。
貴重な休みの土日の時間を使って大切に果樹を管理している者としては、収穫物の半分以上も鳥に差し上げる気にはなれない。

ネットによれば鳥の語源は「飛ぶ」ことにあり、古代では狩猟の対象で「獲る」ことからという説もあるという[http://gogen-allguide.com/to/tori.html]今の私の感情からすれば、大切な農作物を「盗る」から「鳥(とり)」である。
恐竜の生き残りとされる鳥の方が、先住民で入植した人類の方が新参者なのかも知れないが、ツバメなどは例外としてなかなかうまく共存できないものだと思う。

まだ、無花果も夏場にはあるし、来年の枇杷の収穫は虫も通さぬ防風用ネットを駆使して、対抗しようと思っている。
落花生はカラスにやられて、赤穂では作るのは諦めたが、果樹ばかりはそう簡単に撤退できないので、何とか今度は勝利したい。
数の減ってきた上郡と違い、赤穂の鳥はなかなか手強い。
農村地帯ではない赤穂の方がかえって自然が残っているのかも知れない。

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