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2012年7月1日日曜日

家庭菜園の贅沢な暮らし(2012年初夏 )

教師の給料は下がる一方で、ボーナスを貰ってもさほど嬉しくはない。以前に比べればあまりにも目減りしているからである。
ただ、東北地方の失業者や企業の経営不振でリストラや減給されている人に比べればましなので、あまりぼやくと叱られそうである。

そんな中で唯一の贅沢が家庭菜園の収穫物である。
ズッキーニやナス、キュウリなど夏野菜がとれだして、ラタトーユなど家内お手製のご馳走が食べられるからである。
出荷をして金に換えることを考えれば、見合うものではないが、もしそれらを全部買ったとしたら、結構な額になる。
ズッキーニなどは季節にもよるが、一本100円以上することもある。毎日これから贅沢にも朝の味噌汁に入れたり、ふんだんに食べられる。
今年は黒ニンニクを作り始めたし、前年収穫した黒大豆は酢大豆にして毎日食べている。ジャガイモのキタアカリは電子レンジでふかしてビールのつまみにしている。

都会では1ヶ月6,000円以上の会費を払って家庭菜園をしている人もいるとテレビで特集していたが、その人達は買った方が安い野菜そのものの価値よりも、作る悦びをそのお金で買っているのだと思う。
田舎の我々は、贅沢にも新鮮で安全な野菜をふんだんに食べる悦びを得ている。
農業を生業にしている人はそれに生活がかかっているので、商品としか見られないと言うことを知り合いから聞いた。
その人達からすれば単なる趣味かも知れないが、昔のあまり現金収入がなかった頃は、自ら手に入れる作物や獲物が生活を潤していたのだから、本来の姿というべきとも思える。

今になって、この頃に「輪抜け」や「足洗」という行事があったこと分かる。私も週末や平日の帰宅後は殆ど農作業に追われているが、やっと一息つけるからだ。
昔は田植えが終わって、やっと足を洗ってゆっくりできるという意味だったが、今は機械で田植えはやってしまうのでそれ程忙しくない。
むしろ、稲作よりも畑作の方が忙しいのである。畑1反(10a)は水田1町(1ha)に匹敵するとまで言われる。
私は自分の畑や貸して貰っている畑を合計すると、1反近くになるので結構大変である。
狭い1区画で楽しみを得ている都会の家庭菜園とは全く違うが、そういうことがやれる生活はそれなりに気に入っている。

幼い頃の昔、住んでいた家の近くのノットという所で、「足洗」の夜は出店がでて、私は浴衣を着せられて出かけた。
10円持って駄菓子屋にしか行けなかった当時では、100円貰って出店で好きな物を買うことは何よりも楽しみで、未だに木の皮の舟形皿に入ったかき氷の味を忘れられない。
手回しの機械で山盛りにしてくれていた糖蜜だけのかき氷を、木の匙で口にかき込んだ。
当時はそれだけで悦びを感じることができたのだ。
田舎の家庭菜園はその延長上にあるように思う。

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