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2012年8月30日木曜日

ほろ酔いの研修

私の若かりし頃いた大学院での月に一度の金曜夜の研究会は、毎回ビールとつまみが出された。
徒弟制的なところも残っていた頃で、修士は馬の糞と言われ、一年目はそのビールとつまみを、参加料の300円集めて買い出しに行くのが仕事だった。
一人が研究発表を行い、それについて討論する形式なのだが、ビールで酔いの回って頭が明晰になり、口も軽くなり非常に厳しいご意見を頂戴することが多かった。
人格をも否定されるかと思われる議論に、酔いも覚めて顔面蒼白になる場面も多々あった。
しかも、二次会が中華料理屋と決まっていて、そこで教官も加わって議論などが続けられ、場合には下宿に押しかけ徹夜で語り明かしたりもした。
今思えば、それが非常に役に立っているように思える。

今の職場では夏休みに研修と称して、何度も研究発表や講演が行われるが、質問もあまりない。
自宅研修が管理職の指導で不可能になった状態で、学校で時間を潰しているというのが現状である。
冷房の効いた職員室は満杯で騒々しく、準備室もなく、教室は暑い中、そこで仕事をすることもできず、年休を取って自宅で本を読む方がましである。
中にはためになるのもあるが、多くは形だけの研修がいくつか設けられ、夏休みは終わる。

思い起こせば、教師成り立ての若い頃 で一番の研修は、飲み会だったように思う。
大学院でもビールの力を借りて議論をぶつけ合ったように、酒の力を借りて、本音で教育を語り合ったようにも思う。
今の職場は臨時の講師の方や、主婦の方が多くて、飲む機会があっても半分も参加できない。
昼食会は毎月のように行われるが、当たり障りのない会話で終わる。
今の職場のように交通機関の不便な所では、酒の力を借りずに本音で議論し会える姿勢を本来は身につけなくてはいけないのだろうが、私たちの世代は難しい。
若い人達と私たちの世代との関係も、そういうことで稀薄になっているようにも感じてしまう。
新聞のCMのように、「発言のない人は会議に参加しないのと同じと」みなされる雰囲気が、いずれ今の職場にももたらされて、活気のある会議や研修会になる日がくるかもしれない。

ただ、その頃酒で育ったおじさん達は、退職しているだろうね・・・

2012年8月29日水曜日

雨を見たかい

私たちの世代ではHave you ever seen the rain I want to knowというCCRの曲を曲全体の内容とは関係なく口ずさみたくなる。今日の夕方のにわか雨だった。
ちょうど、下駄を履いて犬の散歩をしていた黄昏時で、南の方の山がかすんできたなと思ったら、降り出してきた。
肌に心地よい雨が自然のミスト冷風機のように注いでくれた。下駄の乾いた音は、柔らかいしめった音に変わり、喜んで出てきたおばさんと挨拶した。

「やっとやね」「ほんまやね」

雨がこれほど待たれたことはないだろう。しかし、それはつかの間のことだった。

先日の日曜日の午前は赤穂の畑に行き、生い茂った草を草刈り機で刈ったり、水をやったり、薩摩芋を初収穫した。
ひょっとして一昨年の二の舞になって、芋ができていないのではないかと心配したが、早く植えた方の紅東のハイブリッドという新品種は、そこそこ大きいのができていた。
その後植えた鳴門金時は葉っぱのしげりは良いのだけれど、このところ雨が降っていなかったので、どうなるか心配ではある。
井戸の水をポンプでくみ上げて芋にかけてやったいたら、井戸の底が見えてきて、以前息子が誤って沈めた水汲み用の鍋が現れた。
その中には大きな鮒が入っていた。 そして、泥の詰まった鍋を引き上げた。

先日来、アメリカでの旱魃が報道されているが、近所の人によると、「きぬひかり」はやはり調子が悪いそうだ。
「ひのひかり」は暑さにも強いそうだが、美味しいとされるキヌヒカリはできが悪いかも知れない。
もう少ししたら池の水を落とすと言うが、池の水は落としたから空になってしまうと言うことではないようで、水の勢いはもう少し出てくるという。
おそらく、米の実りとの関係で落とすタイミングが難しいのだろう。
畑のある人は夕方は水やりで忙しい。今日のように雨が降りそうでも、量が期待できないと水をやる。

CCRは雨を人生にたとえたのだろうが、今の世界は雨が命そのものになってきた。
ある所ではとてつもない雨で、ある所では旱魃で生活基盤が損なわれる。
欲望の果ての結末と言ってしまえばそれまでなのだが、病気で入院しないと健康の大切さが分からないように、きっとこの異常気象で気付くだろう。
今日のニュースは、九州で熊が絶滅したり、カワウソが絶滅と断定されたことが報道された。
その一方で、震災での被害よる仮設校舎で室温が38℃にもなり、エアコンが欲しいという報道もあった。
この日照りで我田引水という言葉をの意味を身をもって感じたが、地球における我田引水で弱者が苦しんでいくことを感じつつ、無力感に苛まれる。
それでも、止まない雨が無いように、日照りはいつか雨になると信じたい。
Have you ever seen the rain I want to know
雨とは苦難ではなくて、まさしく希望である。





2012年8月25日土曜日

やはり酷暑は水泳でした

恥ずかしい話なのであるが、以前に「酷暑は自転車」とブログに書きながら、実際は室内でエアロバイクは漕ぎながら、殆ど外では自転車に乗らなかった。
やはり、自転車はそれなりの格好をしなくてはならないのは面倒で、暑苦しかったからである。
おまけにもっと恥ずかしいのは、エアロバイクはエアコンを効かせて、扇風機の風に当たりながら漕いでいた。
自分の健康には良いのであるが、エコなライフスタイルには反することである。
お陰で毎回消費カロリーが600kcal以上ということで、体重の増加は抑えられた。

実は、このところよくしているのが水泳である。
相生市の温水プールが二週間2000円でプールやトレーニングジムを使い放題にしてくれたからである。
これは8月だけの入会者の勧誘キャンペーンで、もし入会すれば2000円は入会金に充当される。
ちょうど通勤の途中にあるので、入会しても良いかなとは思うが、毎月5000円以上の出費は痛い。
それでも姫路などに比べれれば安いのであるが、週に一度か二度くらいしか行けそうにないので、回数券と変わりない。

今日も午後から家でテレビを見るより泳ごうと思って出かけた。
駐車場は満杯で車を留めるのも苦労するくらいであり、利用者も多かった。
スイミング練習も夏休みが終わって、3時20分より一般は3コースのみとなるので、それまでにバタフライなどを練習しておこうと思った。
入ったコースは経験者だと直ぐ分かる中年男性が泳いでおり、SKPS800mのアップの時に既に、抜いて貰うのに苦労した。
幸い隣のコースがあいたので、移らして貰い並んで泳ぐ形になったが、断然隣の方が速く、余裕で背泳を行って負かされてしまう。
水泳は個人競技だが、練習は団体でする。クラブ以外でも同じコースや隣のコースの人をどう自分に練習と絡めていくかが大切である。
以前は相手のスピードに引きづられてハイペースになって、ダウンしたりしてきた。
今回は格が違うので張り合うこともなかった。
ただ、隣の人はバタフライはしなかったので、50mのバタフライを連続2本して面目は保った。
この人は実はここのコーチらしく、上がった後でコーチ室で体をぬぐっているのがプールの中から見えた。
ありがたいことに、このプールはスイミングのコーチが練習相手になってくれる。

3コースにコースが減らされて、暫くコースの中は一人で練習していた。
隣のコースでは若い女性や女の子が一生懸命クロールなどの練習をしている。
少しでも経験有ると、そういう人から羨望のまなざしで見られるのが正直嬉しい。
クイックターンや四種目をこなせるのが少しは自慢になる。
そのうち、やはり経験者が同じコースに入ってきた。
今回のキャンペーンで何度か見かけた人で、キャップにAIOIと書いてあるので、ここのマスターズ選手のメンバーだろうと思った。
平泳ぎが専門のようで、50mを42秒ほどで泳いでくるすごい選手である。
ただ、泳ぐ量は少なくて、2分か3分サークルで、一本ずつしっかり泳いでいる。
私が200mの個人メドレーをしたのがきっかけで、話をすることになった。

マスターズのレースには私も以前は出ていた関係で、共通の知り合いもいて話があった。
奈良から仕事の関係でこちらに来たようで、「奈良にはまだ屋内50mプールがなかったね?」と聞くと、「そうです」と答えられた。
近畿地方では私が水泳部の顧問をしていた時には、屋外の50mプールが有ったのは兵庫、大阪、京都だけで、それ以外の近畿大会は屋外で苦労する。
一度だけ滋賀の大会で私も引率したが、屋外での暑さにはまいった。

こうやって泳ぎを通じて話ができるのも、水泳の楽しみでもある。
初心者の方も顔なじみができるようで、泳ぐより話している時間の方が長かったりする。
少し経験のあるおじさんは、若い男性より速く泳げれば嬉しいし、若い女性には格好良いところを見て貰えれば尚嬉しい。
時にマナー違反の人もいるけれども、それはそれで対処できる。
やはり、酷暑の夏はプールに限ると3000m泳いだ後で思った。
自転車は涼しくなってから始めよう・・・



2012年8月19日日曜日

夏の夜空

夜二階の部屋からテラスに出て見ると、月が無くて星が輝いている。
上郡には地上から星の輝きを妨げるものが殆ど無いので、星が綺麗に見える。
やっと、夜には涼しくなって、いつのまにか鳴きだした蟋蟀の声を聞きながら、星を眺める気になった。
目が慣れてくると、天の川がまるで雲のように連なっているのが分かる。
北の方は少し雲があって、澄み渡っているというわけではないが、気分を和ませるには充分である。

うちの家の周りで一番明るいのは、県道にあるコンビニの看板である。
街灯はあるにはあるが、稲に虫が寄ってくると言って極力減らされている。
夜にお客さんが初めて来る時には、大きな道まで出て、待って案内してあげないと、家には来られない。
娘が中学生の頃に、自転車で通っていて、暗くて田んぼに落ちたことがある。
こんなに暗くても、夜に痴漢が出たという話は聞いたことがない。
そういえば、京都の郊外に住む姪が先日、塾帰りに痴漢に抱きつかれて、大声を上げて助けて貰ったという。
ここいらでは、歩くには懐中電灯がいるくらいなので、遠くからでは男か女か分からない。
駅から遠いので歩いて通う人もいない。
むしろ、人通りの少ない日中の方が、 変質者がたまに出る。
以前は暴走族らしき若者が、たまに田んぼの中を走って爆音を上げていたが、誰も見てくれないのでやめたようだ。

これほど星が綺麗で、外が涼しくても、たいてい家の二階では窓を閉めて、クーラーをかけている。
私も 30℃を超えた夜はクーラーを夜にもつけた。
今は28℃なのでつけずに窓を開けている。
いつまでも暑いので、夜に仕事して昼に寝たい気分である。
そういえば、砂漠の民は昼間じっとして、夜に旅をしたというが、それに倣う方が良いと思える。
先日のロンドンオリンピックで、イギリスが夏でもいかに涼しいかを知ったはずだ。
その、イギリスと同じ様な服装をして、同じ様な生活をすることこそ非合理的で馬鹿げていることを、いい加減気がついても良さそうなものなのだ。
炎天下に行う高校野球は、部活動での熱中症対策に反するものだ。
馬鹿なマスコミはそれを助長しながら、熱中症の被害を報道する。

夏の夜空を見ていると、そういう俗世間のいらだちも忘れさせてくれるのだが・・・

2012年8月16日木曜日

神話博しまね

昨日(2012/08/15)、日本一猛暑になった米子を通って、出雲の「神話博しまね」を家内と息子の三人で見に行った。
実は私の専攻した文化人類学には、考古学の領域も含んでおり、特に大学の学科では考古学も行うことを特徴としていた。
基礎的なことは少し学んだが、土器の編年区分とか、とにかく重箱の隅を突くようなことが苦手で、敬遠していた。
神話学に関しても、文化圏説の研究を行う学派と大学は関係が深かったので、本当はもっと学んでおかねばならなかったがあまり興味なかった。
実は神話に関心を持ちだしたのは最近で、日本の古代神話はあまり得意ではない。
ところが近年DNAなどの分析によって、人の移動の研究が進んできたのを知り、それとの関連から考古学や、神話学、言語学にも関心を持たざる得なかった。

家内はどちらかというと、子どもの頃から読んでいた古事記・日本書紀などの神話に親しみがあったようで、めずらしく見に行きたいという。
私は日帰りで気分転換できるドライブをあれこれ考えていたが、出不精の家内が行きたいという所なら無難と思い行くことにした。
自分の研究と関連づけることは、端から考えていなくて、25年ぶりくらいになる出雲大社を久しぶりに見学するのが目的だった。
前回は自分の両親や弟夫婦らと出かけたのだが、米子自動車道もなく、やたら長い山道をドライブした思い出がある。
今回は中国縦貫道と米子道、山陰道を使って、朝の10時前に出発して二時間半ほどでたどり着いた。
天気予報でも中国地方の日本海側は猛暑だと言っていたので、ある程度の覚悟はしていたが、夫婦交替で運転してはいたが、1000ccのVitzには車にも人にも過酷なドライブになった。
途中で休憩した蒜山高原では、高原の涼しさのかけらもなかった。225円の特産のアイスモナカ一つを分け合って食べたが、冷たくてうまかった。

ただ、山の上を走る山陰道から見える、出雲の平野の眺めはすばらしく、古代の先進地域であったことが納得させられた。
会場に着くまでに腹ごしらえをしようと思ったが、市街地を避けて行ったので店が無く、結局気がつけば会場に入るための渋滞に巻き込まれていた。
大社やイベント会場の前を通り過ぎ、500mほど離れた駐車場に車を置いた時には、午後1時を回っていた。
家内がイベント会場で食事をしようというので、会場で石見名物の鯖寿司のほか、押し寿司、牛丼弁当を買って、三人で突き合って食べた。

ちょうど、その屋外の食事場所は、イベントステージの傍にテーブルと椅子、大きなビーチパラソルが据え付けられていた。
ミスト付きの大きな扇風機が回っているが、強い日差しの前には効き目などない。
暑い思いをしながら、食事を摂っていると、隣のステージから太鼓の音が響いてきた。
見るつもりはなかったのだが、石見神楽のヤマタノオロチが始まったのである。
普通の神楽の舞だけだったら、暑いので途中で涼しい屋内に行こうと思っていたが、面白いので結局最後まで見てしまった。

見た場所はちょうど、太鼓笛などの囃子の後ろで、正面とは違い、余りよく見えなかった。
それでもヤマタノオロチと須佐之男命(すさのおのみこと)の格闘場面は迫力もあって、観客の子ども達も喜んでみているのがよく分かった。
口から硝煙や火花をはく、怪獣のような仕掛け、神楽の独特の舞でありながら、迫力のある動きは、充分現代でも楽しめるステージになっていた。
本来は涼しい夜とかに行うべきところを、午後二時からという過酷な時間帯で舞い続けた役者の人や、演奏し続けた囃子の人に敬服した。
やたら伝統芸能というと格式張った感じがして、特に体育館などで見せられる文楽などは、居眠りをするほど退屈だったが、これは全く違った。
下手な漫才やバンドをイベントに呼ぶより、石見神楽を招いた方がお客さんが喜ぶように思った。
本来、農村歌舞伎にしても神楽にしても、格式よりも楽しみを大切にしていたのだと思う。
お客さんが喜ぶなら現代風にアレンジをすれば良い。

神楽を見た後は、歴史博物館に行った。神話映像館もあったのだが、観客が多くて時間待ちが大変そうだったので、暑さしのぎに博物館に行くことにした。
博物館内も多くの観客が見学をしていた。
さすがに青銅器に関する展示は圧巻であった。
写真家による出雲の風物を芸術的に展示してくれているのも良かった。
できれば映像などもゆっくり見たかったのだが、予約待ちなので後の事を考えると待てなかった。
案内をする職員も古代風の制服をアレンジして着ていて、雰囲気作りとしても良かった。
ただ、土産のコーナーはもう少し郷土物産を並べて欲しいようにも思った。

博物館を出た後は、せっかく来たので大社にお参りに行った。
「出雲大社平成の大遷宮」ということで、平成25年5月まで御仮殿での参拝と言うことだった。
参道の巨大な松の木には数百年という歴史の重さを感じさせられたが、大国主大神の芝居じみた巨大な銅像は、その歴史に水を差すような気がした。
何よりも驚いたのは隣接する神楽殿で、昭和56年に新築されたというだけあって、近代的で、巨大なイベント会場という感じであった。
古代を標榜する出雲大社だが、明治12年出雲大社教が組織化以降に別の顔を持つようになったようだ。
出雲大社は、明治以降に伊勢神宮と比肩できるだけの権威があったことからも、たなびく巨大な日の丸と共に日本国家との関連を感じさせられた。

一番外の鳥居の前(勢留)では、ゴレンジャー風の戦士劇が行われていて、沢山の子連れ客が観劇していた。
感心するのは「神話博しまね」と、あたかも名称はアカデミックなネーミングでありながら、誰もが楽しめるイベントやコーナーを用意していることである。
家内は夏休みの自由研究の宿題のことを話題にしたが、確かにこういうところで楽しみながら宿題もこなせれば一石二鳥であろう。
靖国神社で現職大臣の参拝が問題にされる同じ日に、その神社よりも歴史のある神社では、着ぐるみを着た戦士達が、子どもを喜ばせている。
考えてみれば大国主大神の親ないし先祖とされるスサノヲが活躍した出雲こそ、ヤマタノオロチを退治した場所である。
荒くれで追放されたスサノヲが役に立った出雲の地の同じ県では、今まさしく竹島で世論が燃えている。
いっそのこと竹島で、日韓が酒盛りをしたら良いが、寝首をかくのはどちらだろう?・・
海を夾んで歴史は繰り返し、筋のないドラマを次々と産んでいるかのようである。

この神話博で愛国心に目覚めることはないと思うが、永続したかのような日本の歴史をイメージできるだろう。
憂き目にあった仏教界に対して、薩長から優遇された神道こそ歴史を担わされているのである。
私の研究している奄美では、神道はあまり広まっていないので、殆ど歴史とは無縁だが、スサノヲを追放した天照大神をテダガナシ(太陽神)と同一視することもある。
荒ぶれた神と言うことではウブツカミ(嶽の神)が同一視できそうだ。
これは比較する価値のありそうなテーマなので、またの機会に譲る。
とにかく、教科書よりも効果的に歴史をイメージできるイベントとして成功しているように思う。

日の暮れかかった帰り道は、わざと渋滞しているにも関わらず国道9号線を通った。
博物館で宍道湖が火山流による堰止め湖だと知った。それを身近で見たかった。
淡水化問題に揺れた宍道湖だが、決して清水とは言えないが、他には無い雰囲気を持っていた。
松江の手前で米子道に戻って、中国山地の山々やその谷間の集落を眺めつつ帰った。
本当はゆっくりと宿泊して回りたいところだが、その余裕は我が家にはない。
それでも帰りにスーパーで買った売れ残り割引の蕎麦を出雲蕎麦に見立てて食べながら、暑さも忘れて久しぶりに気分が晴れている自分に気がついた。
一年に一度か二度のささやかな日帰り旅行だが、往復450kmの中身の濃い旅行になった。

2012年8月13日月曜日

千種の水汲2012年夏

春に汲んだ水(5月12日)もそろそろ無くなりそうなので、家内も休みがとれる今日(8/13)の午前に二人で汲みに行くことにしていた。ちょうど3ヶ月水はもったことになる。
月遅れの盆にかかるので、帰省ついでに汲みに来る人がいるのではないかと、水販売機の前で並ぶことも覚悟で出かけた。
ここのところ、局所的に大雨は降っているのだが、上郡はさっぱり降らなくて、畑や庭にはずっとポンプで水をやらねばならなかった。
確かに千種川の水位は低いのだが、河川工事で川幅も広げられていることも影響している。
広く浅くなった上郡の鞍居川との合流付近で、鮎釣りの人が数人ほど釣りを楽しんでいたが、渓流釣りというのとは違う風景だった。
水田も前回は田植え風景だったのが、綺麗な緑の絨毯になっていた。
特産の大豆もしっかり育っている。

さすがに盆と言うことで、墓参りの家族を何組かみかけた。お年寄りと若い人や子どもも一緒になって、賑やかに墓に参るのは微笑ましい。
先日は兄弟夫婦や甥や姪とやはり赤穂にある祖父母の墓参りをしたのだが、暑さにまいっていた母親は出かけられなかった。
赤穂の高山墓地にある母方の墓は、階段がきつい。うちはまだましだが、駐車場から階段で高く上らねばならないところでは、高齢者は無理なのではないかと思った。
個人で墓の管理をするのも大変だし、村や市の共同墓地の管理も、高齢化にともなって大きな問題になりつつある。

途中で南光町のひまわり畑の傍を通った。年々規模が大きくなるように思う。
暑いのにも関わらず多くの家族連れが見に来ていた。
時期的なものか、暑さや水不足のせいなのか、咲いた花は皆下を向いている。
花はどれも同じ方向を向いているのだが、何となくうなだれているという感じである。
子どもが小さい頃連れて行ったが、幼かった娘などは一斉に自分の方に向いている花を怖がった。
花も昔に比べて背丈が低くてかわいらしくて、怖がるような花ではなくなっていた。
南光町の夏の風物詩として、無くてはならぬものになっている。

千種町に近づいてくると、空の様子も変わってきて、路面も濡れている。
どうも少し前に雨が降ったようだ。
道路端の気温計も27℃くらいに下がっている。
車の中の冷房は28℃にしてあるので、窓を開けた方が涼しいということになり、窓を開けた。
涼しい風が車内に入ってきて心地よい。
南光町や、千種町にはキャンプ場の施設も多いが、避暑に来るにはもってこいで、沢山の家族連れなどがテントを張って楽しんでいた。
以前から、夏場は千種に別荘でも持って過ごしたいというのが夢だが、ラジオ好きの家内は、千種はラジオが入りにくいので乗る気ではない。
今日も話をして、今はネットラジオもあるではないかと言ったが、乗ってこなかった。そもそも先立つものがない。

心配したこともなく、水汲み場は誰一人汲みに来ている人はない。
通りがかりの車がスピードを落として様子を見たりしているが、結局誰も来なかった。
盆と言うことなのか、不景気で水のお金も削っているのか分からないが、私たちには助かった。
水汲み場の近くの川は濁っていた。けっこう雨が降ったらしい。
道路端のお地蔵さんには、盆なので花が供えられていた。
残念ながら造花だったが、大きな楓の下で涼しげだった。
この楓は春は若葉、秋は紅葉として美しい。
今はお地蔵さんを日差しからしっかり守ってくれている。

行きも帰りも、道路端の空き家が気になった。
大きな家の屋根が落ちかかっているのもあった。
新しく立派な家が建っている一方で、古い家がどんどん空き家になっていくのが分かる。
夏場は涼しくて過ごしやすいとはいえ、通勤にも通学にも不便な田舎から出て行く人が多いことはよく分かる。
林業もやっていけず、スキーも最近は下火である。
観光も不景気には弱い。
ただ、これだけ酷暑が続くと、老人施設などは千種の涼しいところに造った方が良いと思った。
麓ではさっぱり雨が降らないのに、しっかり雨の降っている所なので、気候変動によってまた見なおされる時代が来るかも知れない。

水を汲み終えて、また上郡に戻ってくると、全く雨の気配もない。
千種にいる時は、水を汲んで車に積むのに苦じゃなかったが、水の容器を家に運び入れるのが、暑いので大変だった。
午後からはあまりに暑いので、相生の温水プールに泳ぎに行ったが、親子水泳のイベントもあって、大変な賑わいである。
涼しくて静かな千種と対照的な温水プールで、多くの人と一緒に泳げるのもまた楽しい。
時々マナーの悪い子どももいるが、真剣に練習しているおじさんやおばさんと泳げるのもいいものである。
上郡の寂しいプールとはひと味違う楽しみであった。

このブログを書いていると、やっと先ほど(23時半)から、雨が降り出した。
明日の盆踊りの櫓準備は気になるが、何よりも待ち遠しかった雨である。
やっと天気予報も当たってくれた。
我々は千種から雨も連れてきた。本当にありがたい雨である。


2012年8月6日月曜日

酷暑こそ自転車

私はジョギングや水泳以外に自転車も趣味で楽しんでいる。
もっと、自信があればトライアスロンと言うところだが、体力的にも経済的にも自信がないので、そこまでには至っていない。
今日は昨夜オリンピックを見ていた影響もあって、寝坊したので早朝の農作業をサボってしまった。
定期的に計っている血糖値が高いので、朝の一〇時頃から思いきって自転車に乗ることにした。
農作業をあまりしていなかった頃は、早朝は毎日自転車で運動をしていた。
このところ、早朝は農作業で、夕方は暑くて自転車に乗る気にはなれなかった。

私の自転車は25年ほど前の独身時代に、通勤のために購入したブリジストンのRadacという泥よけも付いていて、6段変速のレーサータイプが一台。
どうしても、オフロードが走りたくて、無理して買った21段変速のMTB(マウンテンバイク)が1台の計2台ある。
どちらも、思い出したように乗るだけで、特にMTBは変速機が壊れてしまって、直したがうまく使えていない。
このところは、運動はむしろ室内でエアロバイクを乗ることが多かった。
というのも、自転車はタイヤの管理や、乗る時の準備や装備でけっこう手間だからである。
そして、何よりも室内のエアロバイクに乗る時は全く服装を気にしなくて、暑くなれば上半身裸でも良い。
飽きないように工夫し音楽をかけ、流れる汗だけ拭くタオルを容易さえすればいいのである。

ところが、さすがにこのエアロバイクはクーラーの効く部屋には持ち込めない。
そこで、ジョギングよりはましな、自転車に乗ることにした。
プールはこの季節は、子ども連れの親子で混雑してまともに泳げないから敬遠した。
自転車に乗るコースは幾通りか有るが、今回は日陰が期待できるコースを選んだ。
 その日陰のあるコースとは、赤穂の有年から尾崎にかけての千種川左岸の堤防道路で、特に有年から周世までは旧赤穂鉄道のあった道沿いで、林のトンネルである。
同じ道を通るのは面白くないので、行きは国道373号沿いに周世まで行った。

走り出しは普段エアロバイクで鍛えていたので快調であったが、アスファルトの道の熱風は息をするのも苦しかった。
途中本格的な自転車に乗っている人を抜いてしまい、その人に後ろに付かれてえらい思いをした。
こういう本格的な人は一見年配でも侮れない。
周世から帰りの左岸道路は、昼間でも暗いほどの周りが孟宗竹や高木で覆われている。
車や人は滅多に通らないが、サングラスは暗くて見づらいので外さねばならないほどである。
難点は道に石や小枝が落ちていたり、ひび割れていて、細いタイヤでの走行には不向きなことである。
しかし、この道はなかなか快適で、以前授業で教えたドイツの森を思い出した。

ドイツでのシュヴァルツヴァルトではハイキングや乗馬などを市民が楽しんでいたが、酸性雨の影響で森が枯れていると、環境問題では必ず教えていた。

私も通勤に以前は自転車を使っていて、これからの通勤は自転車が良いと思うが、朝から大汗をかいて職場に行くのは現実的ではない。
できれば、夏場は木で日陰ができて、冬場は寒風を防ぐための林道や街路樹が必要だと思う。
それ程スピードを出さなかったら、夏でもそれ程汗をかかなくて済むだろう。
酷暑だからクーラーの効く部屋から、クーラーの付いた車に乗って行き来することが多いのだが、結局これは酷暑を助長してしまう。
自転車道を快適になるよう整備できれば、自転車に乗る人も増えるはずである。
自転車の盛んな西ヨーロッパは確かに、日本のように山がちではないし、気候も温暖である。
しかし、日本はそれを克服する経済力が残っているはずである。
新幹線整備の復活よりも、自転車道路の整備を至急行って欲しい。
確かに、自動車ほどの経済効果はないが、医療費削減にはつながるだろうし、環境立国としての姿勢を外国に示せるはずである。






2012年8月4日土曜日

野良犬と野良猫

しばらく見なかった白と黒が半々の野良猫が子猫二匹を連れて現れた。
去年も二匹産んだと思うが、その子ども達がどうなったかは分からない。
というのも猫は増えていないように思えるからだ。
ひょっとして親猫がいなくなって、子猫が残ったのかも知れない。
子猫が生まれると言うことは、雄猫もいるわけで、同じ柄の猫を何回も見て、増えていないと思っているのかも知れない。
ここらの猫は、冬場は田んぼに捨てられた生ゴミを餌にしている。
夏場は、生ゴミ以外におそらく昆虫などの狩もしている。
というのも、畑の畦で一生懸命にバッタを捕って、食べているのを見かけたからである。
以前勤めていた山の上にあった学校の寮にも、野良猫がいて夜にやってくるカブトムシを餌にしていた。
ここらでは住み処は空き家や納屋などいくらでもあるので、不自由しない。

ところが、野良犬は一匹もいない。
そもそも、最近は雑種らしき犬も減った。
家で飼っている犬は雑種だが、野良犬だった雌犬を拾って飼っていた人から、10年ほど前に生まれた子犬をもらった。
それ以来、近所で雑種の犬から子犬は生まれていない。
ここいらで散歩に連れている犬を見ると、洋犬、柴犬、猟犬ばかりで、雑種は殆どいない。
このごろ、雑種と言えば洋犬をわざと掛け合わせた犬ばかりである。
従来の雑種の犬は野良犬の名残で、絶滅種と言うべきかも知れない。

思い出すのは私が育った赤穂尾崎の路地にいた雑種の犬たちである。
当時は飼い犬を放し飼いにする人もいて、首輪をした犬と無い犬が路地でケンカをしたり、仲良くしているのを見かけるのは普通であった。
子どもにとって、犬は身近な性教育の材料でもあった。
野良犬は多くいたけど、子ども達は走って逃げると追いかけてくることを知っていたので、トラブルはあまりなかったと思う。
それよりも大人しい野良犬はみんなから慕われて、大人でも何とか飼い犬にしようとする人もいたが、それは野良犬の方が嫌がった。
その犬は大きくて貫禄があり、犬同士のケンカを治めたりできる犬だった。
当時は街角に1斗缶の残飯入れがあって、豚を飼っている人が集めに来たりしていた。
それなどは格好の餌になったし、余った生ゴミを与える人もいた。

そういう野良犬を駆除する人がいることは当時から知っていたが、一度も見たことがなかった。
子供心には野良犬よりも、駆除する人の方が怖いように思えた。
そういう野良犬も、車社会になって多くが犠牲となっていった。
路地からは子どもの姿も、野良犬の姿も消えて、野良猫だけが残った。
最後まで車にひかれ続けているのは、野良猫と亀である。
田舎ではそれに、蛇と鹿とイタチ、たまに鳥が加わっている。
子どもの交通事故が減ったのも、子どもが外で遊ばなくなったからである。

自分も車で通勤しているので、車社会を否定する立場には無い。
ただ、車と軽車両と人が住み分けられる道路や街作りをしてこなかった日本社会を見なおすべきだとは言える。
電気自動車やハイブリッドとかいってエコや低燃費を宣伝しているが、自転車や歩きに勝るエコはない。
原発維持やエコ補助金に多額の税金を使わずに、人や自転車道路整備や電車への自転車乗り入れへの補助に税金を使うべきだろう。
いまさら、野良犬を復活させようと言うつもりはない。
だからせめて、野良人を復活させよう。
子ども達の最良の学び場は野良にあると思う。

そういえば、大学時代に友達が「野良の会」という妙なエコグループを作っていた。
彼は下宿の水槽でドジョウを飼って食べるような男で、探検部にも入って国内外の山野を駆け巡っていた。
田舎出身だった彼は、エコを唱えながら大都会名古屋に残って弁当屋さんを開いた。
エコに無関心だった私は田舎に引っ込んで、教師の片手間にエコな百姓をしている。
真逆になった二人の生活は楽ではないし、さほど悪くもないと思う。
ただ、これからはどちらも真剣に生活スタイルを見なおすべきだということは共通していると思う。