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2026年4月29日水曜日

鳴きのハーモニカ

 このところ夜にハーモニカを楽しむことが多くなった。

以前にも書いたブルースハーモニカを使って、Youtubeを観ながら練習したり、カラオケを利用して歌代わりに吹いて楽しんでいた。

少しずつ吹けるようになると、難しい曲にも挑戦するようになり、最近ではクラッシックのG線上のアリアなども下手なりに練習している。

そうなると、もっといろんな曲が吹きたくなって、思い切って少々値の張るクロマチックハーモニカを通販で買った。

高価な日本製と違い中国製は半値以下で買えて、しかも、もっと安いブルースハーモニカに比べると全く音色が違う。

ハーモニカを教室で習っている人が、値段で音色が違うというのがよく分かった。

日本製などはきっともっと良い音色なのだろうと思う。


自分はバンド活動でずっとボーカルをつとめていて、そちらに練習を重ねてきたのだが、ハーモニカの魅力を今頃分かった。

歌うことと楽器を演奏することは、似て非なるものだと思うようになった。

ハーモニカは鳥がさえずるように、鳴いているのだ。

歌は歌詞の内容が頭に浮かんでくるが、ハーモニカはメロディーだけが浮かんできてそれに合わせて自然と唇が動いていく。

クロマチックハーモニカのレバー操作にはまだ慣れていないので、半音操作で合わせる音の感覚がまだ身についていない。

それに対して、ブルースハーモニカはかなり自然と唇の位置と吹くこと吸うことが感覚的に音と合わせられるようになった。


歌は歌詞をどうしても気にするので、それに引きずられることも多い。

そして、英語の曲などは歌詞の内容を理解しないまま、雰囲気だけで歌っていることもあって、人まねをするオームとも換わらないようにも思えたりする。

楽器は歌詞とは無縁なのでメロディーやリズムが全てとなり、言葉が違っても関係なくなる。

我々人が鳥のさえずりや虫の音、動物の遠吠えを美しく感じるのと同じなのである。


NHK番組、知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「人はなぜ音楽を愛するのか?」の再放送を見た。

アフリカの狩猟採集民Baka族の素晴らしい歌の掛け合いが披露されていた。

そこでは、手拍子に併せて歌詞のない声を仲間で発しているだけだった。

手拍子と声だけで歌になるのだと非常に感動した。

奄美の八月踊りは鼓だけで歌って踊るし、宴会で最後に行う六調も指笛を鳴らして踊るだけだ。

本来は人も楽器は必要ないのかもしれない。

だけど、美しい鳥のさえずりや虫の音、遠吠えに負けないような音色を奏でたいと思ってきたのだと思う。

そして、手拍子、足拍子、太鼓のリズムは単にそろえるのでは無くて、ポリズムとして一体感を得ることもできる。

この番組では人類の歌い合う特別な能力を強調していたが、多くの生き物が恋の季節には歌として鳴いている。

そして、番組で軽い認知症の人が歌は忘れずに思い出せることを取り上げていたが、歌詞は単に言葉では無くて音色と結びついたものとして思い出させるのだろう。


ハーモニカは歌詞を忘れても、憶えていなくても奏でることができる。

本当はギターを上達して鳴かせたかったのだが、私の技術では困難だ。

鳴きのギターは無理でも、鳴きのハーモニカなら少しはできる。

生き物たちのさえずりや鳴き声に恥ずかしくないように、鳴き続けていきたいと思う。










2026年4月21日火曜日

これからは団子より花


 家内は未だに私が家内の庭での花作りに対して言った「花より団子」という言葉を根に持っている。

その言葉を言ったのは、まだ子どもが小学生の頃で、専業主婦だった家内は庭に綺麗な花を咲かせるのを楽しみにしていた。

私は子どもの健康を考えて有機農業に取り組み始めていた頃で、どちらかというと作物の苗作り励んでいた頃であった。

家内は華道もやっていたこともあって、花が好きでいろんな花を育てていた。

その花がいっぱい生えていた庭も、猟犬を庭で飼ったり、農作業の道具や資材を置くにつれて、花は無くなっていった。

人に株をあげるほどたくさん生えていたクリスマスローズも消えてしまったし、ラッパ水仙もまばらになった。

ただ、食用となるミョウガは庭にしっかりと根付いているし、車を止めている付近の花壇の宿根草は生え続けている。


奄美が大好きな私はガジュマルから始まり、ハイビスカス、ソテツを鉢植えにして育ててきたが、それ以外にもサボテンやアロエをやはり鉢植えで世話をしている。

庭には大きな植木鉢にモッコウバラが大きくなって今花盛りだし、垣根にはかなめの他に、月桂樹、金木犀、梅や柚の木が植えてあって私が剪定している。

ただ、どれも大して手のかからない物ばかりで、家内の好きなネモフィラなどもご機嫌取りに栽培したが一年しか保たなかった。

また、同じく家内の大好きな白いカラーも鉢植えを庭に植えたが、肥料不足か葉っぱだけ出て花を咲かせてくれない。

家内の好きな花はとにかく手のかかる物が多くて、農作業の合間に世話をするのは難しいのだ。


この日曜(4/19)は加西にあるフラワーセンターにチューリップとネモフィラを見に出かけた。

いつもの正面入り口の駐車場は満車ということで、西側の特別駐車場に案内されてしまった。

そこからは西門まで歩いて10分以上かかり、歩道は大木の根でボコボコになっていた。

西門から入ると、噴水のある広場までチューリップとその根元にネモフィラが綺麗に咲き誇っていた。

噴水広場のあたりはたくさんの人だかりで、多くの人がスマホや本格的なカメラで撮影していた。

当然ベンチはいっぱいだろうと思って、弁当用のシートも用意しておいたので、来るときにスーパーで買った弁当を八重桜の咲く芝の上で食べることにした。

同じようにシートを広げて弁当を食べる人も多くいて、もしビールや酒があれば花見気分となる。

ただ、フラワーセンターで飲んで陽気に過ごしている人は見かけないので、私も自粛した。


去年まで開いていたレストランも閉じてしまっていて、せっかくの景色の良い建物がもったいないように思えた。

家族連れが多いので、高級なレストランよりフードコートのようなものを作った方が良いように思えた。

フラワーセンターは子どもが赤ん坊の頃から訪れている場所で、毎年最低1度は訪れている。

そのころここで買ったガジュマルも大きな鉢で大きく育っている。

最近ではハイビスカスもここで買ったのだが、そういう売り場も減って、これからは無くなってしまうそうだ。

駐車場に入るのに時間がかかるほどいっぱいのお客さんの心を掴んでいるのは、美しい花の世界であり、けっして画面からは得られない風景だ

また、犬の同伴も認められていて、愛犬と楽しく過ごせる場でもあるようだ。

休日は人がいっぱい溢れるので、平日に来て弁当を食べながら、読書や音楽鑑賞をしてゆっくり過ごすのも良いかなと思ったりする。

子どもが小さい頃は子どもが遊ぶのにゆったりと時間をとっていた。

ショッピングモールでせかせか歩く癖がついてしまって、こういう場所でのゆったりとした過ごし方を忘れてしまっている。


これからは、家の庭でも咲いた花をゆっくり眺めながら、過ごす日々があってもいいと思う。

年金の収入は大したことないけど、教育費や家のローンに追われなくなったので、花より団子の暮らしは必要ない。

これからの私たちは団子より花の時代となっている。

農業資材置き場になっている庭を片付けて、花壇に戻そうと思っている。





2026年4月18日土曜日

自殺と殺人から見た日米とイラン

 イランは政府によって多くの市民が殺戮されていると言って非難されている。

ところが、国民の自殺率は5.2人/10万人とかなり低い。

「日本の自殺率の国際比較:統計分類の違いが明らかにする真実」 によれば

日本の自殺率は表面的には高く見えるが、薬物過剰摂取死を含めた「広義の自殺」で比較すると、アメリカの死亡率は日本を大きく上回る。 The Lancet +22023年のデータでは、日本の自殺率16.4人/10万人に対し、アメリカは狭義の自殺で14.1人だが、薬物過剰摂取死(31.3人)を含めると45人以上となり、日本の約3倍に達する。


という。


殺人に関しては、10万人あたり2023年でアメリカは5.76件、日本は0.23件、イラン2025年では2.5件となる。

こういう観点から見て、どちらが住み安い国なのか考えてみた方が良い。

確かにアメリカでも日本でもデモの参加者が、政府の軍や警察に何千人も殺されることは無いだろう。

しかし、今はアメリカと経済的に肩を並べるようになった中国は、1989年にイランと同じないしそれ以上の殺戮が行われたと考えられている。

当時の中国に対して、アメリカはそのことを理由にして軍事攻撃はしなかった。


そもそも、自国民の自殺や薬物死者、殺人を放置しながら、他国の殺戮だけ非難することは恥ずべきことだろう。

日本とても、確かに殺人の起こる率は低いけれど、自殺はアメリカよりも多いし、何よりも少子化が進んでいる。

つまり、結婚できない、しない若者が増えているのだ。

因みに合計特殊出生率は日本が1.15(2024年)に対し、イランは1.7(2026年)、アメリカは1.6(

2023年)である。

子どもを育てられる環境は日本が一番低いと考えた方が良いだろう。

そして、イランは既に発展途上国のような多産多死では無いのだ。


アメリカは追い詰められた国民が自殺や薬物に溺れて自死したり、殺人を多く犯す国であり、日本は自殺に追いやられる国と言えよう。

確かに政府によって露骨に殺戮される国は自由主義の国民からすれば恐ろしいことだ。

一方、自由は乏しいけれど、自殺や殺人の少ない国から見れば、それが多い国の方が恐ろしいかもしれない。

出生率からすればアメリカとイランは大差が無いことから、将来への見通しはそう変わりが無いのかもしれない。


今回、アメリカは無垢な学校生徒を殺戮した。

デモに参加した反体制運動のデモ隊を殺戮するのとどちらが残酷なのだろう。

単に人数の問題ではなく、誤爆で罪のない子どもを殺してしまう国の方が、狂っているのではないのだろうか?

そんなアメリカに媚び諂う総理大臣を頂く日本は狂ってないのだろうか?




2026年4月15日水曜日

トランプ・高市コンビによるカリスマ的支配の日米

 ついにトランプは神として振る舞い始めた。

ローマ教皇と対立したり、自分が奇跡を起こす絵をネット上に公開したりした。

このようになるには大統領になる前の暗殺未遂事件が大きなきっかけとなったという。

トランプが命拾いしたのは神に選ばれた人間だからということが、自他共に信じられるようになったという。

彼は自ら法に従わないと宣言したので、現在のアメリカはトランプによるカリスマ的支配状態*1と言える


宗教社会学者の井上順孝は次のように述べている


新宗教の入信理論については一時期「貧病争」理論が広く知られた。このうち、貧困は絶対的な貧困ではなく周囲の人間を見て感じられる相対的剥奪が問題とする観点は優れた着眼である。自分が貧しいと思うのは、自分が比較の対象とする人たち(参照集団)との比較というのは日常的に観察される。(中略)こうして経済的剥奪感が生まれる。経済的剥奪にある人が、経済状態が良くなる方法が見つかればいいが、それが絶望的な場合もある。そのとき宗教に解決を求めることがある。おおまかに言えばそのような理論である[井上順孝2025:

41-42]。


今のアメリカの工業労働者階級は主に中国の擡頭で経済的剥奪感を強く持っている。

それを解決する方法として、トランプの主張するMAGAに希望を託した。

MAGAはトランプへの個人崇拝的な側面を強く持っているので、法を守るという倫理的な論理が通らないのである。

イラン攻撃は中国の石油資源を断ち、アメリカの圧倒的軍事力を無化する核兵器の開発を完全に阻止する目的だと言われている。

それによって、一番経済的に脅威となっている中国の力をそぎ、自国の兵器売買も加速させることができる。

現にドルは値上がりをして、アメリカの原油も多く売れ出した。

これでMAGA教信者の経済的剥奪感に応えることができているのかもしれない。


しかし、その一方で現実的には中国のEVが驚異的に売れ出したし、アメリカの軍事力の信頼性にも不安を抱え始めた。

何よりもイランの核兵器開発の阻止は絶望的に思える。

いくら、福音派やMAGA教信者の強い支持があっても、現在のアメリカ全体の支持率から次の中間選挙では敗北するのが目に見えている。

危惧されるのは、かつての大統領選挙の時と同じように議会を襲撃したり、武力による本当の内戦が起こってしまうことだろう。

衆議院選挙で敗北したオウム真理教がテロを起こしたように、MAGA教徒もテロを起こす可能性もあるだろう。

こんな不安を抱える状況で高市はトランプにすがって生き延びようとしている。


彼女は安倍晋三を師と仰いだが、統一教会との関連で暗殺された後もその姿勢は継続されている。

因みに安倍晋三のスローガンは「日本を、回復する」だった。

そして、高市は 「日本列島を、強く豊かに。」を唱えているが、安倍晋三のスローガンと合体させればMAGAそのものである。

そして彼女は高い支持率を獲得し衆議院選挙で大勝してカリスマ的な存在になりつつある。

その彼女は安倍晋三のかつての盟友であるトランプの立派な信者であり、使徒と言えるかもしれない。

日本もアメリカ同様に中国の擡頭によって経済的剥奪感を抱く国民が増えており、台湾有事発言の経済的悪影響下でも高市支持率は高いままだ。

「日本列島を、強く豊かに」は幕末から明治かけての国家的スローガン「富国強兵」の言い換えに過ぎない。

新富国強兵教という高市教祖の新宗教集団ができるかもしれないが、幸いなことに彼女はテロに遭っていないので神格化には至っていない。

ただ、日本で初めての女性総理大臣として、SNSという鬼道によって民衆を惑わす卑弥呼のようなカリスマ性をもっている

何よりも彼女の後ろには魏王ならぬトランプ尊師がついている。

そしてそのカリスマ的支配力によって憲法や皇室典範を変えていこうとしている


*1 カリスマ的支配に関しては「ウエーバーのカリスマ概念」[井上順孝2025:76-77]を参考


引用文献

 井上順孝 2025『認知宗教学から見る現代宗教』法蔵館

2026年4月13日月曜日

戦争で稼ぐ人たち

 松本利秋2005『戦争民営化―10兆円ビジネスの全貌』祥伝社は、もう二〇年以上の前の本で、書かれている内容は少々古いが、今のトランプの戦争ビジネスを理解する良い材料だ。

どれだけトランプが自分自身や仲間に株や為替、石油取引で儲けさせたのだろうか。

トランプの発言が大きく市場を左右して乱高下している。

あらかじめ発言内容を知らせておけば、次の日の上げ下げは予測できたはずだ。

また戦費に莫大な費用をつぎ込んでいるが、その多くは武器製造企業へと流れる。

日本もかつてはベトナム戦争や朝鮮戦争の特需で経済復興を果たしていった。

武器産業はウクライナでさえ潤わせ、高市政権もそれに参入しようとしている。

そのウクライナは武器そのものだけでなく、ドローンシステムでの迎撃のノウハウをイランの敵対国に支援し見返りを得ているという。

石油の輸入もアメリカからが増えてきて、アメリカは大儲けである。

多くの血が流れ、死んだり傷つくことが景気浮上になり、儲けになるのが戦争だ。


そして、金融と戦争は密接に絡んでいるが、それは古くからのことで、松本利秋は次のように述べている。


リーマン社は、一九〇四年に日露戦争の戦費調達のために、日本政府が発行した外債を引き受け、日露戦争後、その功により日本政府から叙勲を受けている。その存在は日本が日露戦争を戦うには必要不可欠であった。

 当然のことながら、リーマン社は日本政府からの利子はタップリ受け取っている。 リーマン社はその後、関東大震災でも復興国債を総額一億五〇〇〇万ドルを引き受けているが、この後、世界恐慌による大不況で、日本政府は国債の償還に支障をきたし、それを補うために満州に進出し、経済的利益を得ようとした。

 やがてこのことが太平洋戦争の要因となっていくのである。しかし、何れにせよ、彼らにとって見れば、これら国債の売買は純粋などジネスにほかならないのだ[前掲書:5-6]。


他国の戦争に金を貸して、その国や勢力が勝てば大儲けというのは、近代の歴史で繰り返し行われている。

その貸された金は貸した国を中心とした武器輸出国に環流する仕組みだった。

ウクライナ戦争でのEUやアメリカの資金援助も同じ仕組みである。

イランに関しても、援助は資金だけで無く情報などによっても行われている。


今回のイラン攻撃の本当の目的は、ベネズエラ同様に中国の石油の輸入先を支配することにあったという。

関税でも言うことを効かすことができないで、アメリカの方が石油を利用して中国にダメージを与えようとしたことになる。

それが逆にイランの石油戦略の返り討ちに遭ってしまったというのが実情だろう。

アメリカが帝国的支配をできるのは、武力だけで無く石油もコントロールできることだ。

日本がアメリカと戦争したのも石油が大きな原因だった。

再生エネネルギーの開発を阻止し、EV開発にダメージを与えて、武力と石油利権で世界を支配下に置くことがアメリカにとって最大の利益になる。

そのためには中東の石油産出国が戦争でアメリカに頼ってもらわねばまずいわけだ。


化石燃料依存のわれわれの生活の根本がこういう戦争ビジネスの上に成り立っているとも言える。

化石燃料依存生活は世界の多くの人が流す血を利用しながら儲けている人によって、維持されていると考えるべきだろう。

本当に戦争反対を唱えるなら、再生エネルギーや石油代替エネルギー開発を進めて、化石燃料依存生活を終わらせることが重要だと思う。

戦争で莫大な利益を得る人が多くいる以上、それに対抗するのはそういう方法しかない。

そして、それが地球環境とあらゆる生命を守るための真の闘いでもある。



2026年4月9日木曜日

トランプ(TACO)の遠吠えに怯え続ける高市

 戦争犯罪攻撃もできず、地上戦に踏み込めずにアメリカは停戦に合意した。

予想はされてはいたが、E,トッドがウクライナ戦争で見抜いたアメリカ通りになった。

アメリカはウクライナを助けるだけの迎撃ミサイルの余力が無いということだ。

これ以上無傷で戦うための迎撃ミサイルが枯渇したようだ。

アメリカの戦闘機乗員の救出劇の本質は、戦闘機が打ち落とされるようになってしまったことにある。

ベネズエラでは無力化できた迎撃システムをイランでは完全には無力化できていない。

秘密兵器だということで、迎撃システムの無力化する方法の実態は謎だが、イランは迎撃できなくても、徹底的に攻撃して相手の迎撃ミサイルを枯渇させれば良かっただけだ。

今朝(4/9)の朝日新聞のインタビューでもアメリカのウクライナ戦争、中国関税対立につぐ第三の敗北をE,トッドは予想していたが、おそらく間違いないだろう。


それにしても今回のイラン攻撃で分かったのは、トランプの凶暴さと無能さであろう。

関税における凶暴さに屈して日本は多額の支援金という名のゆすりに屈した。

確かにベネズエラでは悪事は成功したが、ベネズエラに関わらず中南米ではイランのような教育水準に達してないからだろう。

日本は高い教育水準と工業力を持ちながら、米軍基地という保護と脅しに屈するほか無い。

それでも経済戦争をアメリカに挑んできたのだが、金融と情報で敗北してしまった。

それは軍事力を背景として強要された基軸通貨ドルとOSのマイクロソフトには太刀打ちできなかっただけのことである。

結局、アメリカは法よりも暴力を背景とした脅しで支配する国であることがよく分かったと思う。


日本はその暴力的な脅しに怯え続けるより、対抗する方法を考えねばならないだろう。

E,トッドが日本とドイツの強みとして直系家族を上げているが、日本の場合跡継ぎ以外の子どもに遺産代わりに高等教育をつけさせることが多かった。

だから、科学技術の発展に繋がったのだと思う。

しかし、現在は地方の産業が廃れて、跡継ぎの兼業農家でさえ維持できない。

もっと酷いのは、非正規雇用なので結婚できずに親と一緒に暮らすしか無いのだ。

少子化問題は親子関係を大切にしてきた直系家族を理想とする家族の弱点でもある。

普通の欧米なら子どもは親に依存していると一人前に見做されないし、親も子どもに依存することは無いだろう。


日本が家、家族を大切にしてきたことが経済発展に繋がったのだから、それをまた再建する必要があると思う。

そのためにはエネンルギー革命をしっかり行って、地方の農業と産業を育成していく必要があるだろう。

ネットでは「フィッシャー・トロプシュ合成と呼ばれる技術」で、人口燃料のことが取り上げられていた。

電気だけでなく人口燃料を用いれば、農業機械や大型機械にも利用できる。

トランプに脅されて金を貢ぐなら、それと同じ額の投資を日本の地方に行うべきだと思う。

トランプのプードルになってしまった高市総理には無理かもしれないので、早々に次に交代してもらいたい。


参考文献

エマニュエル・トッド 荻野文隆訳 2008(1999) 『世界の多様性―家族構造と近代性』    藤原書店

エマニュエル・トッド 石崎晴己他訳 2016(2011) 『家族システムの起源Ⅰ―ユーラシア上』  藤原書店

エマニュエル・トッド 2020 『大分断―教育がもたらす新たな階級化社会』 

エマニュエル・トッド 堀茂樹訳 2022(2017) 『我々はどこから来て、今どこにいるのか?上―アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』  文藝春秋

エマニュエル・トッド 大野舞訳 2024  『西洋の敗北―日本と世界に何が起きるのか』 文藝春秋 

エマニュエル・トッド 2025 『西洋の敗北と日本の選択』 文藝春秋    










2026年4月4日土曜日

石油依存社会が生んだ地方衰退

 エマニエル・トッドは経済的グローバリズムの弊害を『我々はどこから来て、今どこにいるのか?上―アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』(2022)で次のように述べている。


高齢化する先進各国による世界支配は、もしかすると、世界の他の地域で教育を受けた34p勤労者を引き寄せる能力というかたちでより的確に表現されるのかもしれない。先進国は自国の必要に応じて、周辺から労働者、技術者、情報処理技術者、看護士、アーティスト、医師を吸い寄せ、そのような正真正銘の人口捕食によって自らを延命させている。

人的資源のこの略奪は、自然資源のそれよりも遥かに重大だ。なぜなら、それがある規模を超えると、離陸途上の国々は幹部候補者や中間層の人材を奪われ、立ち行かなくなる危険に晒されるのだから。[前掲書:33-34]


この経済的グローバリズムを成り立たせている根本は、何だろうかと疑問がわく。

そこでヒントになったのが今回のアメリカ・イスラエルによるイラン攻撃が引き起こした石油危機である。

石油が止まれば全ての経済活動に支障を来す。

そもそも産業革命は石炭との結びつきによって始まったが、その後石油による内燃機関で工業は飛躍的に進化した。

電力もそれと平行して発展したが、化石燃料とウランに頼っており、殆どが臨海地帯にあるが、原子力発電所に関しては内陸で人工湖を作って稼動させたりもしている。

とにかく、工業都市や商業都市を維持するには効率的なエネルギーが必要であり、人力や薪炭レベルでのグローバリズムはそれほど進まなかったはずだ。

それこそ、奴隷貿易で人力を確保せざるを得なかったのだ。

現代は奴隷の取引をせずとも、快適な生活環境と仕事を用意すれば、それの乏しい周辺から人は自ずと集まってきてくれる。


これは日本が特に全国的に経済発展を目指した高度経済成長期に国内で生じた現象と同じである。

それは戦後の復興で電力や石炭、石油とエネルギーが確保できるようになり太平洋側の臨海地帯を中心に工業化が進んでいった。

地方から金の卵と言われる若者や、大学への進学で優秀な人材が自ら進んでそういう所に集まってくるようになったのである。

東京を中心とした大都市はその人口捕食によって自ら延命させてきたのだった。

現代では地方都市の多くは人的資源が略奪され、危機的な状況になっているところも少なくない。

その大都市も地方からの人材が得られなくなって、外国から人材を獲得するグローバリズムに乗っかっていくしか無い状態だ。


E,トッドは日本の家族を直系家族として捉えてきたが、その直系家族は経営母体である家が家業によって維持された時代でこそ成り立っていたのである。

だから、どの時代であっても家業をもたない家族や人は、直系家族というよりも私は拡大核家族に近い状態だったように考えている。

その例が、奄美の「ヤ(家)」で、日本本土のように跡継ぎは優遇されていなくて、むしろ「オヤワズライ」として、親の扶養を負担する子どもとしての位置づけがされていた。

それは黒糖の収奪が行われて、一部の富裕層以外は本土のような家を形成できないばかりか、ヤンチュといわれる身売りさえ行われていた

これはフィリピンの初期農耕民にもみられる拡大核家族に似た形態と考える。

沖縄の「門中」は中国の影響を受けて発展したもので、南西諸島では例外的なものだと私は考えている。

これは、赤穂などのような塩田地域の下人であった浜子などでも同じだったように思うし、農村地帯でのいわいる水呑百姓もそうかわらなかったように思う。

ただ、私の本家のように米を作る傍ら、船での運搬業の家業があった家では、跡継ぎによって家は直系として守られていた。

しかし、その家業を失ってからは、子どもが近くに住んでいても跡を継ぐ者はいなくなってしまった。


地方では家業の農業だけで生活できる家族が失われていき、兼業農家として維持されていた家も、地方の工業の衰退によって地元から離れざるを得なくなった。

現代では直系家族どころか、拡大核家族も崩壊して、一人暮らしが増えて行ってしまった。

当初の地方の繊維産業の衰退はグローバリズムの進展が原因であり、やがて同じように造船、鉄鋼、電気製品などが同じ運命を辿り、自動車などが今岐路に立っている。

その一方で、所得水準が上がり生活が豊かになったことで、高等教育を子どもに受けさせられて、都会の企業や官庁への就職が容易になったことにある。

私は親が大企業の労働者ではあったが、地方公務員となって地元に居着いたのであり、同じ大学の同級生でそういう例はあまりない。

また、同じ高校を出て大学を出てから地元に戻って来た同級生は、親の家業を継ぐ例は医者、教師や企業、事業所の経営者の家で数は少ない。

そして、私の教師の職業を継承する子どもはいなくて、独身の息子だけが介護の仕事をしながら一緒に暮らしている。

私が住んでいる農村地帯でも専業農家はほとんどいなくて、兼業農家として残っている家も激減している。

それは高卒の魅力ある職場が無く、大卒で勤められる仕事がほとんど無いからである。


こういう現状を打開する方法は、エネルギー転換しか無いと思う。

再生可能エネルギーは地方の方が有利である。

太陽光・風力発電もさることながら、草木類を利用したバイオ発電を推進して、それを工業や農業に活かしていくべきだろう。

農村地帯に住む私にとって、自分で食糧を確保して、食費の削減はできるが、電気・ガス代、ガソリン代はどうにもならない。

そのどうにもならない出費を除けば、仕事さえ有れば地方の方が豊かな生活ができるのだ。

現に江戸時代で人口が多かったのは大阪・京都・江戸は別として、農村地帯だった。


これだけホルムズ海峡の封鎖の脅威を身に感じながら、エネルギー転換の議論がなされないのは愚かなことだと思う。

その一方で、EVの需要が大きく高まってきていることがネットニュースなどの多くで報じられている。

テレビ局は日本の自動車メーカーに気兼ねして、大きく報道していないのかもしれない。

このEVに関しては中国が大きくリードしているので、今後日本も巻き返しを図らねばならないだろ。

とにかく、石油依存社会からの脱却が、しいてはグローバリズムの弊害を無くし、地方衰退の流れを変えてくれるはずだと思う。

そして、何よりも石油を巡る戦争をなくす平和活動であることを私はずっと訴えている。





2026年4月1日水曜日

ニヒリズムが生むカルトと原理主義

 現代はニヒリズム(虚無主義)の時代と言われている。

人の価値を否定する考え方だが、キリスト教が根底にある欧米人にとって重大な問題である。

ところが、日本人はそもそも仏教にしろ神道にしろ、根底にあるのはアニミズムなので、経典や思想は呪文ほどの意味しか持ってなかった。

これは現代の仏教に縁の無い若い人がパワースポットにはまっているのとそう変わりは無い。

また、心霊写真や幽霊話は今でもテレビなどでもよく登場している。

ただ、これも個人差があって、そういう霊的な存在をあまり信じない人もいることも確かだ。

私は母方も父方も祖母が信仰深かったし、特に母方の祖母は霊的な体験を語る人でもあった。

それに対して、家内はそういう祖母が傍にいなかったせいもあって、霊的存在をあまり信じていない。

また、都会で幼い頃から育った人は、自然界の霊的な存在には無関心のような気もする。


一方で、宗教の説教や聖書などに親しんできた人は、霊的存在もさることながら、その教えや世界観の影響かなり受けていると思う。

私は中学から大学までカトリック系の学校で学び、聖書に親しむことも多かったが、仏教以上に生活に根付いたものでは無かった。

仏教といっても葬式や先祖供養に関わるもので、思想的な影響はあまりない。

ところが、幼児洗礼を受けた私の大学の友人は、話していてもかなりカトリックの影響を受けていることが感じられた。

私がキリスト教に改宗しなかったことを残念に思ったのは、大学院時代にキリスト系の大学からの求人があって、先生から信者かどうか尋ねられたときだ。

もし、信者であったら優先的に採用されていただろうと思った。

考えてみれば、母校の南山大学でも信者の先生が同じ学科にいた。

その程度のものでどちらかと言うとキリスト教には懐疑的なところがある。


文化人類学者のエマニュエル・トッドは、宗教の信仰形態を活動的状態、ゾンビ状態、ゼロ状態に分類している。

そして、現代の欧米を一部例外を除いて宗教ゼロ状態になって、ニヒリズムは、ヨーロッパにもアメリカにも存在し、西洋の全域に遍在していると述べている [E・トッド2024:170-173]。

文化人類学では呪術と宗教を区別したり、世界宗教と民俗宗教を別次元で考えたりするが、トッドの言う宗教には呪術や民俗宗教は含まれていないだろう。

確かに、世界宗教や国家的宗教は活動として形骸化したり、殆ど信仰されなくなったりしているかもしれない。

しかし、その一方でかつてはそういう宗教から異端とされていたカルトが、現代では一部の熱狂的な信者を生んでいることは確かだろう。

また、新宗教もかつてはカルト的存在であったのだろうが、多くの信者を得てカルトとは言われなくなったりする。

今回トランプを支えている福音派はキリスト教の聖書や伝道に立ち返る原理主義や根本主義と考えても良さそうだ。


カルトに関しては日本のオウム真理教や統一教会のように、テロ事件と関連して解散させられる場合もある。

一方で福音派のようにアメリカ大統領に多大の影響力を与える場合もあるのだ。

トッドはニヒリズムの戦争への影響を述べているが[前掲書:360-362]、イラン戦争に関しては原理主義同士の戦いの様相を呈している。

テロや戦争が生じる根本にはニヒリズムの中で却って霊や超自然的存在、聖書などに熱狂的な信仰をもつ人々の存在が有るように思う。

これは行きすぎた資本主義による経済という名の戦いが生んだ殺戮兵器による戦争とも言えるかもしれない。

その一方で、歴史的な十字軍の戦いが原理主義信仰の元で、核開発と石油を根源として再発したかのようにもみえる。


引用文献

エマニュエル・トッド 大野舞訳 2024  『西洋の敗北―日本と世界に何が起きるのか』 文藝春秋

といっている。




2026年3月30日月曜日

小豆大麦粥による脱米依存

 これまで、一日一膳ということで、一食だけ玄米をお茶碗にいっぱいだけ普段は食べていた。

以前は玄米を主体として雑穀米にして、大麦も同じくらい加えていたのだが、冬場で運動不足もあって胃腸の調子が悪くなった。

そこで、家内も食べている柔らかい玄米を一食だけ食べていたのだ。

そうすると、大量に買った大麦がそのまま残ってきたので、何とか食べられないかと思案して、ネットで調べて大麦粥にいきついた。

私はお粥のイメージはおなかを壊したり、熱が出たときなど病気の時に食べるという悪いイメージしか無かった。

そして、白米のお粥はどちらかというと嫌いだった。

その一方で、鍋物の残りで炊いたおじやは大好きだったし、昔は安岡鍋を使ってガスで炊いていて、お焦げができるのでそれをお粥にして食べるのが好きだった。

要するに、病人に食べやすいお粥が苦手であっただけなのだ。


そこで、大麦を1合にそばの実や黒米などの雑穀適量、そして水にかしていた小豆と大豆を5勺ずつ入れてマイコン炊飯器のお粥機能で炊いた。

どうも水分が少なかったせいか、好みのお粥にはならなかったので、シャトルシェフで炊き直して保存しておいた。

それによって、小豆も大豆も柔らかくなって食べやすくなったし、好みのお粥に仕上がった。

シャトルシェフは長時間の保温には向かないので、マイコン炊飯器の温度調節機能で保温したが、入りきれないのは冷凍庫で保存しておいた。

その冷凍庫で保存していたお粥も、後で解凍してマイコン炊飯器で同じように保温して食べた。


味としては塩味で、小豆の風味がとても良い。

一方で、大豆は思ったほど美味しくなかったので、次からは入れないようにした。

また、使い道に困っていた鶏のササミの缶詰も入れるとタンパク質もとれている。

私は三食ともこの小豆大麦粥をアレンジしながら食べることにした。

特に朝は今まででは、玄米でも胃がもたれることがあったのだが、そういうことも無くなって快調である。

欠点としては昼食前にお腹がすいてしまうことだが、これは健康のため、減量のためと思って我慢している。

何よりも、美味しくてお腹いっぱいに食べられて、健康に良いのが魅力である。

そして、何よりも米依存からの脱却を図ることができる。


村作業で水田水路の溝掃除や草刈りをしているのに、近所の米農家から今年は去年よりも50%も高い価格で玄米を買っている。

私の家は転入者で水田を持っていないので仕方ないが、村の殆ど家は水田地主なので小作料を受け取っている。

米が安いときは、それほど気にならなかったことだが、米が高くなるとみじめに思えてくる。

水田地帯に住んでおりながら、米を食べないというのもへそ曲がりなことだが、かつては冬場にはちゃんと麦も作っていたはずだ。

かつての農家も麦飯が当たり前だったのだ。

私のようにほとんど大麦のお粥を食べることは無かっただろうが、小豆を入れて食べることは昔では贅沢だったと思う。

実は、健康的で美味しい贅沢な食事をしているのだ。

大麦の人気が高まれば、きっと近所の米農家も安い大麦を作ってくれるだろう。




2026年3月27日金曜日

なぜ無差別爆撃をやれないのか?

 我々は今戦争を目にしている。

そこで、実感するのは太平洋戦争で日本が受けた空襲がなされていないことだ。

もし、同じことがウクライナやイランで行われたら、どういう非難を受けるだろうか?

ダニエル・イマヴァールはその著『帝国の隠し方―大アメリカ合衆国の歴史―』(名古屋大学出版会 2025年)の中で次のように述べている。


それはマッカーサーやニミッツが太平洋を急襲する際に用いた「飛び石」戦略に見ることができた。米軍は、連続した地域を奪取していくのではなく、日本軍の拠点を跳び越えて前進したのだ。航空技術がこれを可能としたのである。

 それはまた、連合国軍が、日本の主要な島々に足を踏み入れることなく、日本を打ち負かすという並外れたことも可能にした。連合国軍は、グアム、テニアン、サイパン、沖縄、硫黄島の基地を用い、空路で日本の七〇近い都市を破壊した。

 飛行機はトラックではなく死をもたらしたが、それ以外はヒマラヤ作戦とあまり変わらなかった。アメリカ合衆国は、小さな島々から、侵攻することなく日本を服従させたのだ【前掲書:258】


著者は航空技術を賛美し、無差別爆撃や原爆投下に触れていない。

歴史家として恥ずべきだと私は思うが、それを書いたらアメリカでは売れないだろうとも思う。

著者の論に従えば、イランを服従させたければ、同じことをすれば良いということになる。

あのトランプでさえ今はやれないことを、ルーズベルトとトルーマンはしたというのが事実だろう。

テレビの報道でもかつて地上戦なしに政権の交代や降伏はあり得ないと解説する人が多い。

その解説の裏には、無差別爆撃や核攻撃があれば別というのが隠されている。

劣勢に立っているウクライナもイランも無差別にロシアやアメリカを攻撃することは避けている。

それをすれば同じことを倍返しでやられることが分かっているからだろう。


日本がアメリカの無差別爆撃を強く非難できないのは、同じことを中国の重慶でも行っているからでもある。

ただ、無条件降伏の後で、その責任はとらされている。

つまり、負けなければ戦争犯罪で裁かれないのだ。

世界に張り巡らした米軍基地によって、しばらくは隠された帝国は維持されるので、裁かれる心配は無い。

トランプは負けない自信はあるだろうが、相手が最後まで降伏しなかったら、戦争犯罪は裁かれなくても、世界からの非難は浴びるだろう。

哀しいのは日本で脅され支配されている米軍基地を、守ってもらっているので安心と言い続けなければならないのだ。

しっかりと、アメリカ帝国は日本を支配できている。









2026年3月25日水曜日

経済戦の傭兵:ビジネスマンの疲弊

 我々日本人は平和ぼけだと言われ続けてきた。

しかし、それは武器を用いた戦争を平和憲法によって避けてきただけで、実際は経済という戦いを続けてきた。

エリック・アリエズ&マウリツィオ・ラッツァラートは次のように述べている。*1

戦争と経済の可換性は資本主義の土台にあるものだ。すでにずいぶん以前に、カール・シュミットが、経済と戦争の連続性を指摘することによってリベラリズムの「平和主義的」欺瞞を暴いた。経済は戦争の目的を戦争とは別の手段によって追求するということだ(「信用取引の停止、原材料の輸出禁止、外貨の毀損」)。  [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016):11]


今回のトランプのイラン奇襲攻撃で軍事的に痛手を被ったイランの戦術は、石油に関わる経済を最大限に用いることだった。

それを考えると、中国は既に日本に対して経済という戦を仕掛けているのだ。

その発端は高市総理の不用意な台湾有事発言であり、これは中国が経済戦の宣戦布告をするきっかけとなった。

日本は既にアメリカとは貿易戦争という経済戦を行ってきたが、ドルを基軸としたアメリカの金融政策の前に屈服してきた。

そして、IT、AIという最先端の経済戦でも苦戦を強いられているし、トランプの違法な経済戦の前に隷従している。

企業はいわばその経済戦の最前線で戦ってきたのであり、そこで雇われるビジネスマンはまさしく傭兵と同じだった。

バブル経済期にリゲインのCMで流れた「二四時間戦えますか ジャパニーズ・ビジネスマン」は、明治維新から続いてきたものだ。

そして、学校はかつては立派な軍人や企業の傭兵を育てたが、戦後はもっぱら立派な傭兵たるビジネスマンを育てるのに寄与してきた。

今回、日本人の多くがその立場に置かれていることを知るのは、ウクライナ戦争での経済制裁、イラン攻撃での経済封鎖を目の当たりにしているからだろう。


ふと、振り返ってビジネスマンや公務員の過労死や過労自殺、精神疾患、生活習慣病も戦死や戦傷、戦病と言えるのだ。

地方の企業が衰退し、農林水産業では生活が成り立たず、地方から都会に出てビジネス傭兵にならざるを得ない状況は戦国時代と変わらない。

近年は正規雇用の侍では無くて、足軽のような非正規雇用がまかり通っている。

そんな中で、子どもを産み育てる生きがいとと喜びを失ってしまう実情に目をつぶって、一部の富裕層のために政府は動いている。

我々日本人は決して平和な時代を謳歌してきたのではない。

経済戦の中で戦い一般家族は疲弊してきたのだという自覚が必要に思う。


*1エリック・アリエズ・マウリツィオ・ラッツァラート 杉村昌昭十信友建志訳 2019『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』   作品社    [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016)]

2026年3月23日月曜日

竹被害対策としての竹パウダーの勧め

 いつも散歩で通る畑でおじいさんが粉砕した竹をマルチとして撒いていた

その竹はちゃんと分解するのですかと聞くと、大丈夫だと答えてくれた

実は、その粉砕竹は近くの山裾の竹林を整備したときに出た物だ

竹は以前は色々と建築資材や農業資材、工芸品として利用してきたのだが、今は殆ど利用されず放置されている

それで、周りに蔓延って被害を及ぼしている

その対策として、竹を伐採して粉砕してその場所で撒いていたようだ

おじいさんはその粉砕竹をもらってきたようだった

地元では、太陽光発電にする場所として活用もしているが、竹もそこそこ残して完全に撤去はしていないので、今後も活用できる。


私も近所の竹林の管理で困っているん人がいるので、竹を自分でとってくる許可を得ていた

なかなかその機会が作れなかったのだが、今回必要に迫られてとることにした

それは、米糠を使って肥料にするのに必要になったからだ

普通は米糠でEMボカシ肥料を作るときは、油かすや魚粉、骨粉、糖蜜加えたりするのだが、最近は籾殻も使っているようだ

米糠は固まりやすいので、それを防ぐための材料が必要だ

籾殻なら無料で簡単に手に入るのだが、私はどうしても残留農薬が気になる

近所では無農薬で米を作っている人はいない

そこで思いついたのは竹パウダーだった


そこでとりあえずは近所の竹林から焼くしか処理できない枯竹をとって来て、持っている庭木用の電動粉砕機でチップにした

もっと細かくなると思っていたのだが、1cm角の物がほとんどだった

そこで、麦などを粉にする製粉機で粉にしてみた

最初はうまくいっていたが、そのうち刃を留めるビスが緩んで取れてしまい、直しても枯竹は硬いので同じことの繰り返しになった

大して量もとれず、買った方がましかなと思って通販を調べてみた

その説明を読んでいて気がついて、ネットで調べてみるとパウダーにするのは生竹か、1週間ほど乾かした竹だった

枯竹は粉砕機でチップにして草抑えにするくらいしか使い道がないようだ


そこで、生竹を採ってきて、電動粉砕機でまずチップにした。

生竹の方が、細く割り易いのだが、刃の間隔を狭めないと竹の外皮にひっついてしまう。

それさえ気をつければ、枯竹よりも簡単にチップにすることはできた。

そして、電動製粉機で細かくしてみたが、問題なくできた。

枯竹より楽にできて、量も多くとれる

でも、気をつけないと枯竹の時と同じように、ビスが緩んだり、竹が刃に挟まって動かなくなる

製粉機で一回に処理できる量は手づかみ一杯分なので、量をこなすには時間がかかることは否めない。

でも、思ったよりも多くの生竹パウダーを作ることができた。


昨日も近くの三日月町の直売所で竹パウダーを売っているの見つけて、買おうと思ったらあまりにも高いので買わなかった。

確かに細かくて食料品にも混ぜられそうだが、農業用として使うには高価すぎる。

そもそも、竹パウダーは土壌改良材であって、肥料成分は足さなければいけない。*1

農業用の安い竹パウダーは、輸送費などを考えると地元で作って売った方が良いだろう。

竹林被害にあっている地域では、直売所と提携して農業用の安い竹パウダーを販売して欲しい。

自分で粉砕機と製粉機を用意できる人は、竹林の所有者に了解を得て自分で処理することも簡単だ。

建築材や工芸品に竹を使わなくなったこれからの時代は、筍などの食材と肥料に用いるのが最善策だと思う。

近年は田舎でも家庭や農地、山地から出る廃材を燃やすことは禁じられるようになって、粉砕機は必需品になってきている。

元来、石臼は農家では必需品だったことを考えれば、製粉機もあって良いように思う。

世界情勢で化学肥料が高騰する中で、その対策としても有効だと思う。


*1 竹パウダー(竹粉)の効果と使い方(https://earth-shizen.com/blog/takepowder-kouka-use/)






2026年3月21日土曜日

恥知らずの高市外交

 日本の文化を「恥の文化」と評したのはアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトだった。

日本人は人にどう見られているかを、非常に気にするところがあった。

今は下火になったが「日本人論」「日本論」がよく書かれていた。

欧米を中心とした外国人からどう見られているのかを、非常に気にするところもあった。

これは村社会や町社会の中で強い地縁関係がそうしたのだろうと思われる。

また歴史的背景として江戸時代は犯罪に対する刑罰が家全体や5人組の連帯責任となったので犯罪抑制にも繋がったことは確かだった。

そして、何よりも武士は自ら切腹して辱めを受けることを潔しとしない誇り高い階級だった。

しかし、そういう地縁関係も薄れてしまい、誇りも失われ、老齢者や女性に対する詐欺や窃盗、強盗が増えてきているようにも思われる。

その一方で、強い者に対する迎合、従順さは以前よりも強くなったと思う。

私は長年教師をしていたので、管理職に対する職員の対応を見てきたが、従順さがました背景に組合の弱体化は確かに大きい。

しかし、それよりも教員の誇りを傷つける免許更新制などの政策によって、中央管理体制強化とその採用人事で教員は従順さが増したと思う。

それが、結局学校のブラック化と教員離れにつながったように思う。


今回の高市総理の日米首脳会談に際しての発言

「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルド。私は諸外国に働きかけ、しっかり応援したい」

を聞いて、世界から軽蔑されているアメリカ大統領に日本の総理大臣が媚びていることに恥を感じた。

いくら相手が世界一の軍事大国のトップだからと言って、国際法からも間違っていると思われるイラン攻撃をした人間に言う言葉ではあるまい

中国に対しては強い態度で臨みながら、一方でアメリカ大統領には対しては媚びるなんて日本人として恥としか思えない。

我々国民がこういう総理大臣を選んで作り上げたのであって、われわれ日本人自身も恥と思うべきなのかもしれない。

たぶん、海外ではこういう総理大臣のいる日本を恥知らずで哀れに思うだろう。

原爆の戦争犯罪を黙認して、アメリカの核で守ってもらっていると勘違いしている日本人。

こういう状況でもオールドメディアは総理大臣や自民党にへつらう報道をするのだろうか?

とくにNHK????

これでは若い世代に希望を与えられないし、誇りを失わせても仕方有るまい。

もう、高市総理を見ていると日本には「恥の文化」は失われたと言って良いのかもしれない。

2026年3月17日火曜日

新しい仲間、ハーモニカ

 ずっと以前に買ってたまに吹いていたクロマチック・ハーモニカを壊してしまった

このハーモニカはかつて全校生徒の前でアカペラを歌ったときの間奏で用いた思い出深い物だった

出ない音があるので、分解して触ったら多くの音が出なくなってしまった

他の楽器もやってみたがすぐには上達できず、しばらくすると、やはりハーモニカが欲しくなった

普段は一人カラオケやギター伴奏で歌っているのだが、夜中は声を出すのがはばかられる

気分的に小さな音で曲を奏でたいときもある

本当ならアコースティックやエレキギターがうまく弾ければ良いのだが、指が短い上に不器用なもので何年やってもあまり上達しなかった

ハーモニカは小学生の頃から吹いていたこともあって、ギターよりはましに旋律演奏できる

そこで、ハーモニカを買うことにして、ネットで色々調べてみた


ハーモニカは1000円以下の物から何十万円もする物まである

人前で演奏するなら5000円以上くらいの物が必要なようだ

半音が出せるクロマチック・ハーモニカは思ったよりも高くて、手が出そうに無い

普通のハーモニカでもベント奏法という半音下げることができることを知って、それを練習しようとも思った

どうせ、当面は練習したり一人楽しむくらいにしか使わないと思い、900円ほどの10穴ハーモニカのCとAの二つとホルダーもネットで買った

中国製で安っぽい物だが音色はそれなりに悪くない、ただベントはなかなか上達していない

吹きたかった虎舞竜のロードは原曲がGで、YoutubeではDでのレッスンがおおくて残念ながら挑戦できていない

それでも、簡単に吹ける曲をいろいろとYoutubeを見ながら練習するのも楽しいものだ


そして、何よりも新しい楽しみは野外で吹けることだ

小さいのでポケットに入れて持ち運び、どこでも吹くことができる

先日も赤穂御崎の梅を見に行って、人がいないところで吹いてみた

今まではスマホからの音楽を聴きながら、海などの景色をながめたりしていたのだが、ハーモニカを吹いていると自然の中で我を忘れさせてくれる

ただ、まだ下手なので人が近くに来て聴かれるのは恥ずかしいので、人気の無いところで吹いた

これならホルダーにつけて、車を運転しながら練習する手もあると思った


最近は夜に気張らし練習することもある

特にベントの練習を欠かさないようにしている

これだけ息を吐いたり吸ったりすると、けっこう肺活量が必要で、鍛えられる

高齢の人が吹き矢を使って健康管理しているのをテレビで見たが、ハーモニカなどは手軽でどこでも練習できて健康に良さそうだ

夢は弾き語りでハーモニカを吹いて、ステージにも立つことだ

その時にはギターもハーモニカも良いのを調達しようと思っている

今までネットでのカラオケやフォークギター伴奏で一人歌ってきたが、ハーモニカという仲間が加わることでまた賑やかになった

上達すれば、家外での仲間も増やして良いこうと思う

2026年3月13日金曜日

代理出産とアリサ・リュウ(劉美賢)

 今回の冬のオリンピックのフィギアスケート女子の金メダリストアリサ・リュウは、母は匿名の卵子提供者で、代理母を通して生まれたという*1。

しかも、弁護士である父親はシングルファザーだという*2

日本では代理出産は実質禁止されているので、日本人は海外でしか行えない。

だから、アメリカではしっかりと代理母によって生まれた子どもが父親だけの手で育てられて成

長し、オリンピック選手として国を代表し、世界の頂点にまで上り詰めていることに驚いたと思う

実は代理出産に興味を持ったのは、ウクライナのことを調べている過程であった。


ウィキペディアの代理母出産」によれば

ウクライナでは外国人と代理出産の契約を結ぶことが許可されているため、国際的な代理出産の拠点となっている

2014年のウクライナ紛争以後には避難してきた若い女性が金を得るために業者と契約する事例が、紛争以前より増加した

というように、我々日本人の抱くイメージとは違う貧困による商業の側面を持ち、金メダリストを生む代理出産を単に喜んでだけはいられない

このこともあって、私は代理出産について次の文献を読んでみた

デポラ・L・スパー 椎野淳訳 2006『ベビー・ビジネス―生命を売買する新市場の実態』ランダムハウス講談社

これは20年も前の書籍で、商業的代理出産の規模は小さかった時代の物だが、当時と状況は根本的には変わってないと思われる。

「第3章 子宮を貸す女性たち代理出産市場の出現」でD,スパー氏は代理出産の起源を聖書からの引用で、主人が主に使用人を
使ったり、可能なら第二夫人や愛人を利用したことが述べられている[前掲書:111]。

これは奄美で行われた主人がヤンチュ(下人)に子どもを産ませたりしてそれをヒザとよんだことと通じる。

育てるのは主人の正妻なのか、使用人なのか、乳母なのかという違いが出てくるし、正統な後継者として認められるかどうかも違ってくるだろう。

とにかく医療が発達するまでは妊娠出産は妊婦への負担や命の危険を伴うので、強要されるかそれなりの見返りが無いとできるものではなかった。

ともかく、複婚、奉公、奴隷、愛人・妾を利用して子どもは正妻以外に誕生してきたのだ。

これらは、欧米文化を中心とした近代化で否定されることになった。

また、売春は商業として発展し続けてきたが、代理出産の商業的な発展は無かった。


それが、人工授精(AIH)によって「受胎は性行為と切り離され、代理母に会うことすらなしに、自分の子どもを妊娠して
もらうことが可能になった」[前掲書:113]



このことに関して、色々と問題が指摘されているが、今回のアリサ・リュウのことから考えてみようと思う。

これからは、独身であったり、同性婚であった場合でも、お金さえ有れば自分が望む子どもを手に入れることができるようになった。

競馬の世界では優秀な種馬の精子が高額で売買されていることがよく知られているが、同じことが人にも行われると言うことだ。

近年は胚移植の技術も進んでいるので、望む胚を購入して代理出産してもらったら、簡単に望ましい子どもを手に入れることができる。

これは優性思想に関わる重要な問題となる。

今回、代理出産の女性が金メダルを取って、その価値が高まったらそれに倣う人も多く出てくる可能性がある。

特にスポーツ選手は遺伝的な資質に大きく左右され、それが高額を収入と結びつく。

かといって、人工授精で生まれた選手の出場を認めないことも問題だろう。

人類が自己家畜化(self  domestication)したがゆえの歴史的な宿命なのかもしれない。

ウクライナの代理出産ことを含めて行きすぎた資本主義と経済格差がこういう問題を大きくしているように思う。












*1 アリサ・リュウ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

*2【フィギュア】アリサ・リュウの父が娘を16歳で引退に追い込んだ理由を告白「乗り越えられると思っていた」

2026年3月11日水曜日

太陽光発電へのくいの残る散歩道

 私が犬と毎日歩いている山裾の散歩道の傍には、太陽光発電パネルを設置するための杭が刺さったままの空き地が多く残っている。

昨年に、放置されていた山の裾野の廃屋を取り壊し草木を伐採し、きれいに整地してそこに杭を打ち込んでいた。

もともと、家の周りには畑を作っていたようだが、特に廃屋になると放置されて草木が生い茂る荒れ山になっていた。

要する里山の畑だったものを、太陽光発電として利用していこうとしたのである。

こういう里山だけで無く、急斜面にも太陽光パネルは設置され、見た目も悪く雨が降ると危険だとは思っていた。

ただ、元は宅地や畑の場所などは崩れる心配は少なくて、見た目だけの問題で済んでいたし、イノシシなどの出没の危険性も減ることになった。

ある意味では、これからはこういう風に、荒れ地を活用できる方が良いのかなと思っていたのだ。


ところが、1年経っても工事が進まない。

地元の人に聞いたら工事を行っていた業者が別の業者に売ったということだった。

どうも、政府の補助金の改正が原因らしい。

これからイラン情勢によって電力が不足する事態も考えられるのに、逆の方向に向かおうとしている。

今日(3/11)も羽鳥慎一のモーニングショーで再生エネルギーの電力のバックアップの問題を懸案事項としていた。

この問題は急速に低下している蓄電池のコストによって、解決できる方向に向かっているという*1[飯田2026:136]

こういう中間産地の村は太陽光発電を安全に設置できるところがいっぱいあるのだから、太陽光パネルと蓄電池をちゃんと設置すれば電気自給できるはずだ。


民間業者はどうしても利益を上げるための資金繰りが大変だろうから、自治体が水道事業と同じ感覚になって電力供給に取り組むべき時代になってきている。

羽鳥慎一のモーニングショーで玉川氏も指摘していたが、地震大国の日本は揺れや津波だけで無く、断層隆起の問題を抱えていて原子力発電は危険極まりない。

そして、災害で孤立した町や村には電気がすぐに必要だ。

戦争と災害に備えられない日本はまさしく平和ぼけと言うべきなのだろう。

くしくも、今日は東北大災害があった日だ。

ドイツが原発廃止を決めたのも福島原発事故からの教訓だという。

とうの日本人がこの事故を過小評価すること自体が、愚かであるし恥である。


*1 飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026]



2026年3月9日月曜日

トランプ大統領と高市総理が促すエネルギー革命

 ホルムズ海峡をタンカーが通れない上に、イスラエルがイランの石油施設を攻撃して炎上したことによって原油価格が高騰している。

中国はイランに頼んで通してもらっているそうだ。

かつて日本も、イランの石油施設国有化の折りに、イギリスがホルムズ海峡の航行妨害したときに、強行突破してイランの原油を買うことを行なった。

イランはその恩を感じて、日本とは友好関係を続けており、元安倍首相もアメリカとの仲介役を担ったという。

それを、高市総理は踏みにじって、アメリカとイスラエルの奇襲攻撃を非難せずに、イランだけを一方的に非難してしまった。

中立を守れないような自衛隊の高市最高指揮官のいる日本に、中国と同じく特別に通してもらえることはできないだろう。


日本は電力に関してはLNGが多く使われていて、それはオーストラリアなどから手に入るから電力は問題ないという。

問題なのは自動車や重機などの燃料である。

石油備蓄が254日分有っても、戦争が長引けば石油ショック以来の高騰を招いてしまう。

それに対応するために、EV(電気自動車)への補助金を高くして、EVの促進を図るべきだろう。

現在でも、ハイブリッド車でさえ低燃費のガソリン車よりもコストが高くついて、二の足を踏んでいる。

ガソリンがかつてのように300円になれば、ハイブリッドでコスト的には問題なくなるが、何よりも以前から取り上げているエネルギー革命を促進すべきだろう。

ホルムズ海峡に自衛隊の掃海艇を派遣して、トランプの戦争に加わるよりも平和的は解決方法と思う。


これまで、石油産出国は石油の需要が減らないような価格を設定してきた。

安すぎてもアメリカのシェールオイルが採算が合わないので、それに見合う価格を維持してきたようだ。

現在、テレビでも現実的なエネルギー問題の対応として、石油や原子力への対応を見直そうとしているが、それは将来に禍根を残すことになると思う。

国民は新しい希望ある未来が描けるのなら、当面の出費は我慢できると思う。

それを後押しするために、EVや水素エネルギー等をもっと普及させるための政策を行って欲しいと思う。

トランプ大統領や高市総理の引き起こした日本の石油危機を、逆手にとってエネルギー革命を促進するのが最善策だと思う。

それができれば両者は、エネルギー革命への功労者として却って評価されるだろう。

そして、中東に石油をめぐる戦争が無くなり、心ならずも平和に貢献した指導者として歴史に刻まれるだろう。


2026年3月7日土曜日

携帯式ミサイルシステムとイラン本土決戦

 アメリカとイスラエルは今度のイラクへの奇襲攻撃で制空権を握りつつあるという。

それは弾道ミサイルやドローンへの対応であって、携帯式防空ミサイルシステムへの対応がどうなっているか気になった。

そこで調べたらイラン、ロシアと秘密取引 携帯式ミサイル調達―英紙報道」という今年2月26日付けの記事があった。

それによれば、

イランは2027~29年に携帯式対空ミサイルシステム500基、ミサイル2500発を購入する。少数は早期に引き渡される可能性があるとしている。

ということで、来年の予定だった。

そこで考えられるのは、それが整う前にアメリカとイスラエルが攻撃した可能性があるということだ。

ドローンばかり話題になっているが、ウクライナ戦争でも携帯式対空ミサイルシステムや戦車に用いるジャベリン(携帯式多目的ミサイル)は非常に役に立っている。


もし、イランがある程度現在で携帯式対空ミサイルを保有していたり、ロシアが今後秘密裏に輸送できれば戦争は泥沼になるだろう。

おそらくそうならないように今回の攻撃が始まったのだろうと思うが、万一、イラン独自で地対空・地対地の携帯式ミサイルを開発していたら、話は違ってくるだろう。

また、直接ロシアから輸入しなくても、製造ライセンスと製造方法を手に入れれば済むのだ。

イランの工業開発力に関して、エマニュエル・トッド*1は次のように述べている。


私は『西洋の敗北』で、ウクライナ戦争でのロシアの勝因と米国の敗因をエンジニアの数に求めましたが、イランは膨大な数のエンジニアを輩出しています。米国で博士号を取る留学生でエンジニア分野を選ぶ割合がイラン人は突出して高い(六六%、中国三五%、インド三九%)。

 昨晩会ったイラン大使も、エンジニアの育成は、歴代の政権によって計画・実行されてきたものだと強調していました。実際、イランでは革命後に大学が飛躍的に発展しています[E,トッド2025:206]


確かに実戦経験の豊富なアメリカとイスラエルは奇襲攻撃では大成功を納めただろうが、空爆だけで無条件降伏したのは原爆を落とされた日本だけだ。

核兵器を用いずにトランプの要求する無条件降伏などあり得ないだろう。

ホルムズ海峡の安全を確保できなければ、世界中が大混乱するだろうし、確保できてもイランが無条件降伏するとは限らない。

そうすると、地上戦をやらざるを得ず、時間がかかっているうちに、海上ドローンや携帯式ミサイルを開発製造していき、泥沼になっていくだろう。

そもそも、ハメネイ師が遺言で徹底抗戦を指示している。

太平洋戦争のときの日本のように天皇の聖断で軍部を抑えることができない状態だ。


日本が薩長土肥によって天皇を担ぎ上げて、クーデターないし維新革命を起こしたのとイラン革命は似ているようにも思える。

その点では、トッドは次のように述べている。


米国を始めとする西洋が、今日のイランを見誤っているのは、一九七九年の「イラン革命」の意味をいまだに理解できていないことに一番の原因があります。

 とくに米国にとっては、この時起きた米国大使館人質事件がトラウマとなり、冷静な理解を妨げていますが、革命によって誕生した国家の正式名称は「イラン・イスラム共和国」。これは「民主化革命」だったのです。その民主的、平等主義的な性格から、イラン革命は、フランス革命やロシア革命のイトコと言っていい[E,トッド2025:203]。


日本の場合はプロイセンに習って、帝政を敷いたので共和制では無いのだが、それは建前上で、実権は薩長を中心とした藩閥が軍部を握っていた。

日本でも戦前では男子普通選挙が行われていたが、治安維持法によって反政府への取り締まりは行われていた。

特に特別高等警察による拷問による弾圧はよく知られており、これまでのイランの政治犯への弾圧と大きく変わりは無い。

また、中国の天安門事件や香港への弾圧を考えれば、イランが特別に民衆を弾圧をしているとはいえない。

イランでは国軍に独立して革命防衛隊が対外的な戦闘の主力となっているようだが、これも戦前の日本の関東軍を彷彿とさせるし、海軍と陸軍の対立とも似ている。

おそらく、日本も原爆の投下が無ければ、陸軍を中心とした本土決戦が行われて、ベトナム戦争のようになっていたかもしれない。

これから行われようとしているイランでの本土決戦を避けて停戦すべきだと思うが、阻止できなければ日本が戦前に行おうとした本土決戦の実現となるかもしれない。


*1 エマニュエル・トッド 2025『西洋の敗北と日本の選択』文藝春秋[E,トッド2025]



2026年3月4日水曜日

エマニュエル・トッドの核兵器保有論への異論

 トッドはいろんなところで、日本に核兵器保有を勧めている。

私は絶対アメリカが許さないと思っているが、日本人は単に広島・長崎の桎梏に囚われず現実を直視する必要もあると思う。

私は戦争の原因であるエネルギーや食料問題さえ克服できれば、核兵器保有は必要ないと思っているが、今の世界では現実的には不可能である。

だから、トッド*1の訴えることにしっかりと向き合って考えねばならないと思う。

まず、「核の傘は無意味」というのは、「使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えない」ということだ[E,トッド2025:31]

ということは、日本に持ち込んでいる核兵器は日本を守るためのものではなく、日本を含む核兵器を持っていない国に脅威を与えるためのものである。

それを日本国民は勘違いしているのであるが、アメリカ本土では禁止されている戦闘機の居住地の上空飛行を沖縄では平然とやっていることと同じである。


次のトッドの言葉は重要である。


核兵器に関して一つの歴史的教訓があります。「核戦争のリスクは〝不均衡〟から生まれる」です。一九四五年の状況がまさにそうで、世界で米国だけが核を保有していたために、広島と長崎でこれを使用できたのです[E,トッド2025:191]


今回、イランを攻撃できても、北朝鮮を攻撃できないことからも分かるように、核兵器を保有している国は攻撃できない。

それは、北朝鮮がアメリカを核攻撃できるかどうかではなく、アメリカの従属国の日本や韓国への核攻撃を招いてしまうからだ。

そして、核の不均衡が生じている東アジアと中東だけが地域的に緊張が高まっており、むしろインドとパキスタンは核を持つことによって大きな戦争になっていない[前掲書:192]

逆に言えば、緊張を高めるには不均衡を作り出しておけば良いのだ。

中東ではイスラエルだけに、東アジアでは北朝鮮に核の保有を認めておけば、緊張は高められ、アメリカの存在価値が高まり基軸通貨のドルは揺るぎない。

だから、横暴なアメリカに頼らなくて済むように日本は核を持つべきだと言うことになる。


しかし、重要なことはアメリカが広島・長崎に原爆投下できたのは、まず真珠湾の奇襲攻撃でアメリカに大きなダメージを与えたこと。

つぎに、日本の侵略行為によって中国や東南アジアに大きな被害をもたらしたことだ。

現在でもウクライナはロシアに核兵器を使わせないように攻撃を慎重に行っている。

イランもアメリカやイスラエルに核兵器を使わせない方法で今後戦っていくだろう。

核兵器を保有する国にその使用が許されるような口実を与えなければ良いのだ。

核兵器保有国に深刻なダメージを与えない限り、使用されることはないということだ。

だから、朝鮮戦争でもベトナム戦争でもアメリカは核兵器は使うことができなかった。

ということは、平和憲法を守り、相手に核攻撃されないだけの平和外交を行っておれば、アメリカの核兵器を持ち込ませる必要ない。

高市総理のように台湾有事にはアメリカと一緒に戦うと宣言するのは自殺行為だ。

ただ、ロシアのように核兵器で脅してきて、通常兵器で戦ってくるケースもあるから、それに対抗できるだけの自衛隊は必要だろう。

トッドはユダヤ人の血を引いているので、不条理な力にはそれに対抗する力が必要と思って当然だとは思う。

しかし、東アジアには儒教という道徳が無意識に根付いており、護身用に銃を所有することが許されていない地域だ。

トッドが宗教ゼロの「戦争のための戦争」となるニヒリズムは支配的では無いと思う。

日本人は誇りと勇気を持って、平和憲法を守り、核兵器は持つべきでは無い。


*1 エマニュエル・トッド 2025『西洋の敗北と日本の選択』文藝春秋[E,トッド2025]

2026年3月2日月曜日

イラン奇襲攻撃とトッドの予言

 とうとうアメリカのトランプとイスラエルのメタニヤフがイランを奇襲攻撃した。

奇襲攻撃自体は多くは成功する、その典型的な例が日本の真珠湾攻撃だ。

これは実はエマニュエル・トッドの受け売りだ*1。

このところ、このブログ「播磨のしっぽ」のアメリカからのアクセスが非常に多いのが気になっていた。

それまでは香港とかシンガポールが多かったのだが、そちらは減ってあまりなかったアメリカが増えた。

理由を考えたが、高市総理関連の政治問題もさることながらエマニュエル・トッドをよく引用しているからだと思う。

エマニュエル・トッドは特に著書「西洋の敗北」は世界の多くで翻訳されているが、英語での翻訳は無いそうである。

だから、それをよく引用するブログに関心がいったのだろうと思う。


トッドはソ連の崩壊を予言したことで有名になったが、今回のイラン攻撃に際しても予言している。


リビアの政権はカダフィの死によって崩壊し、イラクの政権もサダム・フセインの軍事的敗北によって崩壊しました。しかし、いずれもアラブ諸国の特徴として、「脆弱な政治システム」しか有していなかったのです。ベルシア系でシーア派のイランは、これとは根本的に異なる社会です。仮にハメネイ師が暗殺されても、イランの国家体制が崩壊することなどあり得ないのです[E,トッド2025:199]。


この論考「7  危険なのはイランより米国とイスラエルだ」の初出は2025年の「イランの核武装は何の問題もない」であって、現在の実際のイラン奇襲攻撃の前だ。

仮定されたハメネイ師は現実に爆殺されてしまったが、トランプの思惑通りに事が運ぶのかどうかが疑問視されている。

また、トッドは以前のイランへの攻撃に関して次のように述べている。


米国とイスラエルには、合理的な戦争の目的などなかった。戦争への嗜好、暴力の追求、つまりニヒリズムに突き動かされた暴発的な行動で、戦争自体が戦争の目的だったのです。ウクライナ戦争でロシアに敗北して傷ついた米国が、ロシアより弱い国を攻撃することで、精神の均衡を保とうとしている。そんな風にしか見えません[E,トッド2025:196-197]。


トランプもメタニヤフも自分の保身と満足のために、戦争利用しているだけで、核保有問題は本質では無いという解釈ができるだろう。

そのせいで、ガザで多くの市民が殺され、今回もイランで多くの市民が犠牲になることが予想される。

トッドは人類学者らしく、イランの家族や親族の問題からイランの政治組織を分析しているし、イラン革命の本質は「民主化革命」だと喝破している。

日本の近代化(欧米化)を天皇を中心に成し遂げたことを考えると、イランの近代化もそれに似ているのである。

それを考えれば、日本は天皇を利用されてうまくいったのだから、イランもハメネイ師を利用した方が良かったように思える。

日本は原爆で息の根を止められたが、さすがにイランには使えないのでこういうテロ攻撃になったのであろう。

奇襲攻撃をした日本が崩壊したようにアメリカやイスラエルが崩壊するのか?


どうもテレビニュースの解説では、イランの方は日本が終戦時に国体保持をアメリカに求めたと同じような条件で、アメリカに停戦を求めているようだ。

日本は天皇を残して軍隊は解体されたが、イランではそれができそうになく、イスラエルは同意しないだろうという。

日本の原爆が無ければ本土決戦がなされた可能性もあったのだから、イランに核兵器が使えない以上イランの本土決戦もありうる話のようだ。

トランプは核兵器使用に匹敵するような攻撃を匂わせているが、地上軍を送り込まずにはたしてイラン革命防衛隊を解体できるのか疑問である。


*1 エマニュエル・トッド 2025『西洋の敗北と日本の選択』文藝春秋[E,トッド2025]

2026年2月27日金曜日

木版画家突々和夫作品展ポスターに導かれて

 先日、赤穂御崎の海が見晴らせる展望公園で、ふと目にしたのが、突々先生の作品展のポスターだった。

雨が降っていたから、たまたま休憩所に寄ったのだが、そこの柱に貼ってあった。

偶然とは言え、何かに導かれたようで気持ちが高揚した。

この「突々」という珍しい名前は、私が育った尾崎にあった名前でよく憶えていた。

尾崎は塩田の関係で方々から浜子が集まってきた影響もあって、珍しい名前がいっぱいあった。

ただ私の石原という苗字は、子どもの頃は西の方にしか無くて、尾崎ではすぐによそ者だと分かってしまっていた。

私が小学生の頃に絵を習っていた突々先生に関係していることは分かった。

ただ、そのお父さんも日本画家だったのでその人かもと思って、赤穂図書館に寄ってパンフレットを見て確かめてご本人と分かった。


私はそのパンフレットをもらって、すぐに家内に見せて自分がこの人から絵を教わっていたことを話した。

家内は私が絵付けしたマグカップを見て、訳の分からない妙な絵と笑っていた。

確かに絵付けするときは何も考えずに思いつくままに描いたのだが、自分としては作為のある絵よりそちらの方が好きだったのだ。

突々先生に習っていたと言うことで、これで私の訳の分からない絵も見直してもらうことになった。

絵を習っていた当時は、先生は高校の美術の先生だった。

日曜日の朝に近所の小学生などに絵を教えてくれていた。

絵を習いに行って楽しかったのは、絵を描くことだけで無く、家の中でおもちゃのボーリングなどのゲームをよくして遊ばせてくれた。

また、天気の良い日などには外に出て、近くの山などでスケッチをしたのだが、そこでも身体を使ったゲームなどで遊ばせてくれた。


絵に関しては色々と教わっていたはずなのだが、私は自分の思うようにしか描けない雑な性格だったので教えられたように丁寧には描けなかった。

先生に褒められた経験もあまりなくて、上達させようとする先生の意に添え無かったように思う。

また、日本画家のお父さんがたまに指導されると、居残りさせられて厳しく手ほどきを受けたのでそちらの方が恐かった。

私は絵の具で汚れた水をこぼすことが多かったので、よく奥さんなどにも叱られていた。

集まってきている小学生は、どちらかというと裕福な家の子どもだったので、私のような貧しい家の子はいなかった。

私の母親が無理して習わせたのは、幼稚園の頃から選ばれて市民文化祭に絵を展示してもらっていたので期待したのかもしれない。

幼稚園からオルガン教室で習っていたが、練習するのが嫌で上達せずに辞めてしまっていた。

この絵の教室も、剣道をやったりソフトボールをする方が忙しくなって辞めてしまった。


小学校でも絵はたまに市民文化祭に出してはもらっていた。

高学年で担任の宗藤先生も絵が得意な人で、私を放課後残して絵を指導してくれたりしたが、先生の気に入るようなできばえにはならなかった。

とにかく、乱雑な性格で、きちっと筆を洗った水を取り替えなかったので、汚れた感じの絵に仕上がってしまうことが多かった。

その性格は姫路の私立中学校でも改まらずに、美術の先生には全く相手にされなかった。

たまに、紙粘土で自分像を造ると気持ちが入って良い作品ができたと思ったが、東京藝大から教育実習に来ていた先輩には「柄に似合わず」と言われてしまった。

同級生からもどちらかというと田舎の荒くれ者的な目で見られていて、繊細な作品は不似合い思われていた。

それでも、絵を描くこと自体は好きで、スケッチブックに憧れの女性の似顔絵を描いて楽しんでいた。


大学に入るとかぐや姫の「神田川」の曲に習って、恋人をモデルにしてボールペンで絵を描いて下宿の壁に貼っていた。

それを絵の得意な友達が見て褒めてくれたときには、複雑な気持ちではあったが嬉しかった。

ただ、研究の方に力が入っていき、年賀状のプリントゴッコくらいしか描く機会が無くなってしまっていた。

教師になってからは、たまに黒板に絵を描く程度でどちらかというと、特別支援学校では生徒の絵を教える立場になった。
その中には山下清画伯のような描き方で、美術の先生も感心するような生徒がいて、「○○画伯」と呼んでいた。
もし、私が突々先生のちゃんとした弟子になっていれば、彼のこともきちっと指導できたかもしれないと今は思っている。

残念ながら先生は既に亡くなっておられるが、私は小学生に戻ったような気持ちになってこれから絵を描いてみても良いかなと思っている。

生成AIなどを使って簡単に絵ができる時代だからこそ、アナログの素朴な絵の方が面白いかもしれない。

突々先生が木版画に拘ったことも分かるような気がする。

少しでも指導を受けた者として、これから自分なりの絵を描いてみようと思った。





2026年2月23日月曜日

Ei(知性化電力)革命における核問題

 前回紹介した飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026] は重要な核問題を扱っている。

「第8章 原子力に固執する「病」と「沼」―病理的政策への診断と処方箋」

の締めくくりとして、次のように述べている。


本章で分析したように、日本の原子力政策を支える「偽りの真実」は、単なる個別の政策ミスではない。それは、個人の認知バイアス(ベーコン)、閉鎖的な社会構造(原子力ムラ)、集団の病理的行動(グループシンク)が、イデオロギーを燃料として強固に結びついた、自己永続的な病理的文化の産物である。このシステムは、客観的現実に対応するのではなく、自らの内部論理に従って完璧に機能している。福島第一原発事故を巡る数々のフィクションは、このシステムの構造が生み出した必然の産物である。この「病」の構造を直視しない限り、日本は原子力という「沼」から抜け出すことはできないだろう[飯田2026:160pー161p]


広島・長崎での原子爆弾による大虐殺や福島原発事故における未曾有の災害を経験しながらなぜ原子力を維持することに固執するのかを説明してくれている。

ここでこれから主力となるAIに必要なコンピューターでの膨大な電力を原子力発電なしで賄うことが肝心となるがそれに関して次のように述べる。


AI革命を牽引するビジョナリーたちの視線は、地上の古い核技術ではなく、空にある「究極の核融合炉」、すなわち太陽に向いている。イーロン・マスクは「太陽系の質量の99・8%は太陽であり、それは巨大な核融合炉だ。なぜわざわざ地上に小さな核融合炉151pを作ろうとするのか」と語り、物理学的にも経済的にも太陽エネルギー利用が圧倒的に合理的だとするロジックを展開(中略)・さらに彼の構想は、地上での発電にとどまらない。自身が率いるスペースXの次世代ロケット「スターシップ」を活用し、数年以内に100GW(原発100基分相当)を超える規模の「太陽光AIデータセンター衛星」を軌道上に打ち上げる計画さえ視野に入れている。これは、宇宙空間で発電した電気をマイクロ波で地上に送るかつての「宇宙太陽光発電(SSPS)」構想とは一線を画す。発電した電気はそのまま宇宙空間でのAI演算に使い、地上にはその計算結果である「データ」だけを送るのだ。グーグルもまた、太陽光で駆動するデータセンター衛星を軌道上に配備する構想を持っており、24時間365日発電可能な宇宙で知性を生み出し、地上へは情報だけを降ろすという未来を見据えている。これこそが、送電網の制約を受けない究極の解決策だというわけだ[飯田2026:150pー151p]


つまり、宇宙空間ならずっと「究極の核融合炉」の太陽を活用でき、そこでAIデーターセンターを運用すれば地上に核施設は必要ないと言うことだ。

ただ、気をつけねばならないのは宇宙太陽光発電(SSPS)は軍事目的でも使えることだろう。

それでも、化石燃料の支配を巡る戦争や紛争を防ぐことができるし、原子力発電所は必要でなくなる。


これから問題となるのは原子力にしろ核融合にしろ、軍事目的以外では必要でなくなる「死の科学技術」となるということだ。

火薬は花火にもなるし、ダイナマイトは建築現場でも活用できる。

核技術は鉄腕アトムやドラえもんを実現できない限り、平和利用などできそうにない。

逆に言えば夢のアニメロボットが核技術の脅威を隠蔽していたのだ。

ロシアのウクライナ侵攻で核兵器は戦争抑止にはならないことが明確となった。

戦争の原因である化石燃料問題が解決できれば、あとは食糧と水問題での戦争を回避することが重要となるだろう。

発展途上国の燃料に関しては、過放牧や過伐採での砂漠化が問題となっており、ポータブルの太陽光発電蓄電池を援助できれば改善できる。

また、再生可能エネルギーを用いた海水の淡水化で水問題も改善できるだろう。


戦争自体がなくなれば、核兵器そのものも必要が無くなる。

核兵器所有による巨大な軍事力を背景に基軸通貨のドルによって世界を牛耳っていたアメリカにとっては不都合なことになるだろう。

日本がアメリカに追随するのは、アメリカの力によって既得権益を得ていた勢力が日本を支配していたからだろう。

その勢力も原子力は必要でないものだとすると、今までの政策の誤りを認めざるを得なくなる。

そして、何よりも原子力の平和利用という隠蔽ができなくなり、広島・長崎の原爆使用は毒ガス兵器使用と同じ意味となってしまう。

これはアメリカ政府も日本政府も避けたいことだろう。

これが日本政府が原子力を維持することに固執する真意のような気がする。





2026年2月21日土曜日

Ei(知性化電力)革命による国民解放

 飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026]を通読した。

現在世界で起こりつつある「文明史的エネルギー大転換」*1について、分かり易く書いてくれているのがこの書籍である。

是非、手に取って読んで日本の置かれている危機的な状況を知ってほしいと思う。

ネットで著者を調べたら、どこかで見たことがあると思ったが、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」でよく見ていた顔だったのだ。

プロフィールを読むと、私と同じ年齢であり親しみを感じたが、その経歴の華々しさの反面、現実に国民の心を掴むことができるのかと不安にも思った。

確かに日本のこれからの危うさや、それへの対処法はしっかりと書いてくれている。

しかし、今回の高市総理の奇襲選挙の大勝利からも分かるように、国民は深く考える余裕や、その環境に置かれていない。

私はこの本を読むのに1日多くの時間を割いてしっかりとノートしながら、1週間はかかった。

例えば、以前高校教師をしていた頃の私は、それだけの時間をかけることができなかったと思う。

書籍を通してしっかりと内容を理解して、市民運動にまで発展していくのはなかなか困難なように感じた。


読んでみてまず思い浮かんだのは、私が研究を続けている奄美諸島の与路島のことだ。

なぜかというと、ここでは私が村落調査していた1980年代は、島に小さな火力発電所があった。

しょっちゅう停電を起こしていたが、シマの若者は集まって飲んでいる時に停電すると懐中電気を持ち出して、蛍光灯を照らして楽しんでいた。

それはディスコのチークタイムをイメージさせるつもりだった。

しかし、停電はシマの人にとっては遅れている暮らしとして恥ずかしいことでもあった。

2008年に訪れたときには既に九州電力からの海底電気ケーブルが引かれていて、もうそういう停電は無かった。

それと同時にそこで働いていた雇用も失われて、そこで働いていた懇意の知人も訪れたときには単身赴任でシマにはいなかった。

シマの人にとって本当に少ない島での雇用を失ってしまったのだった。

発電所と地域の雇用は密接な関係にあって、私の故郷の赤穂市も火力発電所を誘致したが、現在は稼働していないところが似ている。

太陽光など再生エネルギーの発電施設を地域独自で担うことになれば、雇用も生まれる可能性も出てくると期待できる。


とにかく、国鉄、郵便局などの民営化の時以上に深刻なのはこの雇用問題だけでなくアメリカの核エネルギー政策と連なる原子力発電所問題だろう。

福島原発事故を含む原子力発電所の問題は、単に補償問題に留まらずアメリカへの従属関係の根幹に触れるもので単なる廃止だけでは済まされない。

国に政策を変更させるよりも、国民自らが原子力発電を必要としない暮らしをまずしなければならないと思う。

われわれ一般市民が現実として実際にできることは、自ら身を削った生活スタイルの変更だろう。

与路島に関して言えば、私は昔ながらの生活を研究しているので、電気や水道、ガスの無かった頃のことも古老から聞いて知っている。

与路島では煮炊きに使う薪は調査当時でも風呂を沸かすのに使う人も多かったし、村の水道はあっても自分で山の水源から水道管を家まで通している人もいた。

大勝川という集落の大切な川の上流のウブツいわれて、かつては立ち入り禁止の聖域が守られていて、水資源の確保として大切なことを理解していた。

しかし、2008年に訪ねていったときには貯水ダムが建設されていた。

1980年代頃は既に家電製品は行き渡っていたが、せっかく持っている冷蔵庫に電気を通していないご老人もいた。

テレビも受信できていたがが、シマ育ちのご老人には標準語がよく理解できない人もいて、つけているだけの場合もあった。

当時は、村のインフラだけに浸り切った生活ではなくそれが魅力でもあった。

そして、今でも自然豊かな場所だからこそ、これからは再生可能エネルギーを用いて、シマ独自の発展が期待できるはずだ。

猛暑も厳冬もない亜熱帯の海洋性気候は生活するのに適しているので、再生可能エネルギーを十分活用できれば豊かに暮らせるだろう。

かつて、明治維新での島津藩の財源を築いた黒糖に匹敵する特産品を産出して欲しいと思っている。

食品だけで無くバイオエタノールやグリーン水素などの移出も可能ではないかと思う。


本来は日本本土でも当時の奄美に似たような生活が普通だったのだ。

問題なのは開発が進んで当たり前に公共のインフラに浸りきっていることに疑問を感じていないことだ。

電力不足の危機を煽られたら、火力も原子力も否定できなくなる。

インフラに依存する国民につけ込んで、既得権益を持っている人たちが横暴に政策を進めていてもそれに対する疑問さえわかない。

電力を自給自足に近い形まで太陽光と蓄電池を組み合わせて生活できるようになっていることをまず自覚せねばならないだろう。


かつて人類はホモ・エレクトスの時代から火を用いて生きてきたと考えられている。

ホモ・サピエンスは有効に火を用いて居住域を広げていったが、燃料となる薪や動植物油も自分で手に入れていた。

文明が生じて町で暮らす人は近隣から持ち込まれる薪炭などの燃料で暮らしていたのであり、近代のように化石燃料はほとんど使われていなかった。

化石燃料だけでなく核燃料まで使い始めて、環境破壊や戦争で自ら自身を滅亡させかけている。

太平洋戦争に日本が突入していった大きな原因も石油だった。

そして広島・長崎市民の大虐殺に用いられたのが原子爆弾だった。

現在の中東や東欧で戦争や紛争が絶えない原因に、化石燃料が絡んでいる。

原子力発電所の事故は世界を震撼させたし、ウクライナ戦争においては破壊される危険性は核爆弾と同じ意味を持つことを思い知った。

今こそ人類が歩んできた原点に立ち返る時である。

それまでは太陽エネルギーなどの再生可能エネルギーは間接的にしか手に入れられなかったが、科学技術のお陰で直接電気エネルギーに変えることができる。

これは単に損得だけの問題では無く、自分たちの子や孫への責任問題だ。


飯田氏は再生可能エネルギーによる住民の運動に期待して次のように訴えている。


コミュニティパワーは、単なるエネルギー供給の手段ではない。それは、トップダウンの補助金事業が露呈した脆弱性を乗り越え、持続可能な経済と社会を再構築するための「内発的発展」のエンジンそのものである。人口減少や高齢化といった深刻な課題に直面する日本の地方にとって、これまで一方的に外部へ流出していたエネルギー費用という「コスト」を、地域に遍在する再生可能エネルギーという「資産」に転換することは、未来を切り拓くための最大の戦略となりうる[飯田2026:232]


われわれ農村地域に住む者にとって、食糧問題とエネルギー問題は自らの手で解決し、迫り来る危機的状況を回避すべき課題だ。

行政をすぐにでも動かすにこしたことはないが、自分たちができることから始めるしかない。

それは、救いようのない既得権益を守る政策を行う権力者から、国民自ら解放する運動ともなるように思える。

我々のように資金力が乏しい者でも、損得を度外視して取り組む必要も感じている。

飯田氏が日本の切り札という営農型太陽光発電をフレキシブルに活用できないかを考えてみようと思っている。

すでに草刈り機、チェーンソーなどの工具は充電式に換えてあるので、その電源として活用したりできるだろう。

電気自動車も考えてはいるが、知り合いにトラブルをよく聞かされているので、現在はハイブリッド車がせいぜいかなとは思っている。

重要なのは理想だけではなく、暮らしに無理がない改善から地道に行っていくことだと思う。



*1 エネルギーの基軸が「化石燃料から情報へ」と移り、資源の源泉も、地理と輸送の制約に縛られた「地図」の秩序から、世界中に遍在する太陽エネルギーを基調とするシン・オール電化の豊かさへと反転する。さらにエネルギーの生産と消費のあり方も、トップダウンの供給中心からコミュニティパワーの「協働」へ、受け身の消費であった需要は一人ひとりの「選択と参加」へと役割を変える[飯田2026:13-14]。





2026年2月17日火曜日

抗議活動としての一日一膳

 私は昨年の5月頃から原則一日一膳を続けている。

つまり、家族でも私だけは玄米や白米のご飯は三食のうちに一食だけにしているのだ。

それは高い米への対策と抗議を込めている。

このところ、米に代わる重要な食糧はサツマイモである。

これは昨年の秋に収穫したものを、新聞紙に包んだあと段ボールに入れて保存していたものである。

シャトルシェフを使って、生ピーナッツやムカゴ、銀杏などと一緒に自分で蒸している。

甘みを出すには焼いた方が良いのだが、普段食事として食べるのはあまり甘くない方が良い。

奄美では主食として食べるのはあまり甘くないのを茹でて食べていたようだ。

食事をするこたつの上の天板にふかしたサツマイモを置いておいて、小腹がすいたときや、晩酌の時に食べたりしている。

それでも水泳などをした後の夕食は物足りないので、ラーメンやおにぎりを家内に頼んでしまうので完璧とは行かない。


ネットでも米に代えて安いサツマイモを食べているという書き込みもあったが、ぜひそれが多くの人に広がって欲しいと思う。

サツマイモとジャガイモを代用すれば一年中で米の消費を減らすことができるだろう。

この二つの作物は肥料があまり要らない上に、家庭でも簡単に作ることができる。

最近は庭がなくても陽の当たるところがあれば、ビニール袋などに入れて栽培する方法も周知されている。

政府とJAが結託して米価を下げないことへの抗議であり、米作りの大規模化への後押しだと思っている。

大規模農家は小規模の農家から水田を借りてその代わり小作料をしっかり払う。

小規模農家は小作料を用水路や農道管理費だと思って、村作業を行えば良いと思う。

そうすれば農村も生き残れて、安価で輸出できる米も生産できるだろう。


高市内閣はしばらく続きそうなので、その間ずっと米価は高止まりだろう。

いくら消費税をなくしても円安と米高で生活は苦しいままになる。

この一日一膳の活動は死ぬまで続いてしまうかもしれないが、それが却って健康維持にもなるだろうとも思う。

芋と野菜をなるべく自分で作って、山野河海から自然の恵みを頂き、足らない物はスーパーや直売所などで安く買うのがいいだろう。

それが本来の田舎での暮らし方のような気がする。