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2026年9月23日水曜日

結婚できない男と女

 今から20年ほど前に「結婚できない男」というドラマが関西テレビで放映されたが、私はそのビデオをレンタルして何度も見返して楽しんだ。

主人公は結婚できるだけの経済力を持ちながら、あえて独身を楽しんでいるが、結果的には女性を好きになっていく物語だ。

私は教師をしていた時に周りに結婚できない・しない男女を数多く見てきた。

ある学校でこのドラマに出てくる女医と隣人のOL(みちる)の関係に似ている女性教師がいて、それを二人に言うと酷く怒られた。

女医に似ていたのは体育教師で、ラウンドクルーザーを乗り回す活動的な人で、おそらくその後も独身が続いたと思う。

みちるさんに似た方は、まもなく同じ職場の男性と恋仲になって結婚していった。


独身を続ける教師のタイプは男女ともに真面目で、異性との恋愛を経験が無かったようなタイプが多かった。

そういう人は受験指導やクラブに熱心に取り組んで、時間を持て余す風ではなかった。

実は私の家内もそのようなタイプだったが、事務職の仕事が臨時で不安定だったことと、家内の親が強引に見合いをさせていたことで私と出会った。

私は高校生から女性と付き合うことも多く、恋愛結婚も経験したが離婚した後は、やはり母親が強引に見合いを持ってきた。

私のように恋愛とか結婚を失敗した人の中には、それに懲りて独身を続ける人もいた。

当時の正教諭は地方においてはそこそこの定収入が得られるので、結婚相手としては申し分なかったが、近年ではブラックな仕事として人気を失ってしまっているようだ。

中には国立大学の大学院まで出て容貌も悪くなかった男性教諭もいたが、本人が結婚を望んでいても自分で相手が探せず、集団見合いに参加したりする若い人もいた。

結婚願望はあっても、異性どころか人間関係そのものが苦手な人もいたように思う。


私の父母の時代は恋愛結婚はあまりなく、殆ど見合いとか紹介だったようだ。

私の両親も遠い親戚に当たり、紹介されて付き合い始めたようだ。

家内の両親などは、独身だった時に村に帰ったところを、親戚から独身かどうか尋ねられて、独りだというともらってやってくれと頼まれたそうだ。

家内の母親は「犬じゃあるまいし」と怒っていたそうだが、義父は義母を結婚後も何十年と大切にし続けていた。

当時は恋愛など関係なく、生活のために結婚するのが当たり前だったようだ。

ところが、それは古くからの伝統ではない。

日本が工業化していくまでの時代の農家では跡継ぎ以外の子供は家から出されるか独身のまま家にいた。

町などでも丁稚に出されてから店を持つ主人になれるのは一部だったようだ。

結婚できても、生活が不安定なので結婚と離婚を繰り返すのが普通だったようである。

奄美諸島では古くは家人という身売り制度があって、正式な結婚そのものができない人が人口の3割近くいたようだ。

そういう人でも男女間の自由な恋愛で子どもは産まれて、家人所有者の主人には喜ばれたようだ。

身分が固定されて人口も多くなかった時代は、現代のように安定した夫婦家族はあまり見られなかったようだ。

それでも結婚率は戦前までは1000人あたり8~9人を維持しており、戦後のベビーブーム時代の12人には及ばなかったが、現代の3.9人(2023年)の倍以上はあった。


結婚願望がなかった家内に今の若い人が結婚しない理由はなぜだと思うと聞くと、女性が仕事と育児でしんどい思いをするだけだからと言う。

それなら、男性も結婚したがらない理由はなぜかと聞くと、答えられなかった。

私は、家内の時代のように、親が無理強いしなくなったことと、そもそも日本人は家畜化が進んで恋愛も結婚もまともにできない人が増えたのではないかと答えた。

人間以外には発情期があって、本能的に子作りをするが、家畜化すると発情期を失ってしまう場合が多い。

家畜の場合は無理矢理交尾させたり、人工授精させるが、人間の場合はそれを無理矢理させることはできない。

なぜ日本人は家畜化が進んでしまったかは、子どもの頃から親の干渉が強いし、小さい頃から勉強しいられて児童虐待まがいが起こっている。

親と先生に飼育された子どもは、まともに恋愛も結婚もできなくて当たり前に思える。

これからは結婚できない男女があたりまえになって、ドラマにもならないだろう。









2026年9月22日火曜日

水は血よりも濃い

 敬老の日に、私はつまらない替え歌を早朝にブログに書いた後、いつものように朝食後に犬の散歩と農作業や家の片付けをした

午後からは通常月曜日は隣町のプールに行っているのだが、今日は休日で住んでいる町のプールも開いているのでそちらに行くことにした

プールは体育館や野球場、テニスコートの近くにあるので、休日になると駐車場が満杯になって停めづらい

なんとか空きのスペースを見つけて、いつものように年券を使って受付を通り、水着に着替えた

今までゴーグルの曇り止めを使っていなかったが、やっと通販で買って塗ると、やはり見通しが良くて泳いでいて気分が良い

若い妻と孫のような息子を連れた6歳上の知り合いが、家族仲良く泳ぐ練習をしているのを横目で見ながら、いつものメニューをこなしていった


町のプールには6コースある大プールと子供用の浅くて狭い小プールがある

来た時から子連れの見知らぬ家族が楽しんでいるのは気づいていた

こういう休日には里帰りで来た家族がたまに遊びに来る

私のいる町は遊べる施設がないので、家族や親戚が大勢プールに来る時もある

たいていは、その中のお婆さんとかが水泳を習っていて、子や孫づれの家族を誘って来ているようだった

今回は若い女性二人と、幼い子供が二人、それに加えて、お爺さんとお婆さんと孫が二人来ていた

この二組の集団は別々のグループらしく、若い女性のグループは観覧席にお父さんらしい人もいた

練習メニューをこなしていると、私の知り合いもやってきて、時々話をしながら泳いでいた


そのうち、若いお母さんらしい人が、子供をもう一人の若い女性に任せて一人で大プールに入って空いたコースで平泳ぎを始めた

一目で経験者と分かる泳ぎ方でスピードも速かった

やはり、経験していた人は、プールに来ると泳ぎたくなるものらしいが、水着は競泳用の水着ではなくレジャー用だった

知り合いも帰り、大プールのコースが空いてくると、若い女性二人はそれぞれ子供を連れて入って泳ぐ稽古をさせていた

泳ぐ稽古と言ってもまだ幼すぎるので、恐がらずに浮いているのがやっという感じだった

どうもよく見ていると若い女性は姉妹で、お姉さんの子供二人を一緒に遊ばせてやっているようだった。


そして、若い妹の方が今度は一人で私の泳いでいるコースの隣で泳ぎ始めた

お姉さんよりは遅いがしっかりとした平泳ぎをしていたので、声をかけて水泳の経験者か聞いたら、やはり経験者だった

着ている水着はフィットネス水着で、その下にはレジャー用の水着を着ているようだった

もう少し話がしたかったが、県外からの人のようで話題が頭に浮かばず、黙ったまま並んでしばらく泳いでいた

そのうち、お姉さんの方も隣にやってきて、バタフライをきれいに泳いだので、こちらの方は選手経験者だと思った

私は四種目練習の最後でフリーの50mダッシュも4本行って、最後のメニューになっていた

最後は200m個人メドレーで締めるのがいつもの決まりである

その若い女性の二人には、若い人でも滅多に泳がないこの種目を、こんなじいさんでも泳げるのだと見てもらいたかった


果たして、その水泳経験者は私の懸命の泳ぎをしっかりと見てくれたかどうかは分からない

私は礼儀知らずのスイミングスクールの生徒がやって来る前に出ようと、そのグループを横目に見ながら引き上げていった

こうして、若くて可愛い女性と少しでも話が出来て、並んで泳げる楽しい時間を久しぶりに味わった

敬老の日としては誰からも何もされなかったが、こうして若い女性と一緒に泳げたことが最高のプレゼントとなった

老いた者として敬ってもらうより、まだ若い者として一緒に楽しめる方が幸せなように思えた

水泳は並んで泳いだり、競い合って泳いだり、相手の美しいフォームに見とれながら泳ぐ楽しみがある

特に若い人は男女を問わず美しい体型を維持している人が多いので、いつも羨ましく見惚れている。

かつては血は水よりも濃いと言われて、家族や親戚を大切にした

しかし、今は血のつながった子どもよりも、他人でも同じ趣味をもった人との関わりが大切になっている

まさしく、水泳という「水」でのつながりは、血でつながった子どもよりも濃い時間を過ごさせてくれた





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子や孫ではなく水泳つながり|髭男AーaAー

2026年9月21日月曜日

孫を知らない年寄りたち

今日9月21日敬老の日に自虐的に老人に捧げる替え歌です

元歌はご存知、ジローズの「戦争を知らない子どもたち」作詞は北山修です


闇市が終わって わしらは生まれた

闇市を知らずに わしらは育った

歳を取って 気づき始める

昔の演歌を 口ずさみながら

わしらの名前は 忘れてほしい

孫を知らない 年寄りたちじゃ

 

老けすぎてるからと 相手にされないなら

髪の毛が薄いと 嗤われるなら

今のわしらに残っているのは

出費を抑えて 遊ぶことだけじゃ

わしらの名前は 忘れてほしい

孫を知らない 年寄りたちじゃ


飲むことが好きで カラオケが好きで

いつでも スマホを持っている人なら

誰でも一緒に ひまをつぶそうや

店の混まない 平日の昼間を

わしらの名前は 忘れてほしい

孫を知らない 年寄りたちじゃ

孫を知らない 年寄りたちじゃ


解説

一番

作者が生まれたのは戦後の復興が始まって経済成長が始まろうとしている頃で、闇市もなくなり「もはや戦後では無い」と言われた年の3年後だった。

一人称では「わし」を使っているが、生まれ育った地方では当時は「わい」が普通に使われていたのに、実際の作者は「ぼく」から「おれ」へとテレビ言葉に影響されていた。

作者の言う演歌とは大泉逸郎の「孫」のことで、年寄りにとって孫はまさしく「宝もの」であり、当たり前と思っていた幸せが得られないことを象徴している。

孫がいないことは結局、自分の名前や存在は早々と忘れ去れることであり、どうせならさっさと忘れて欲しいと開き直っている。


二番

老けていることで、若い者から相手にされなくなり、髪の毛が白くなったり薄くなったりして、自信が持てなくなった自分を表現している。

本当はいつまでも格好良く、異性から注目を浴びたいし、同性からも一目置かれたいのである。

それが無理なので、せめて少ない年金でなるべく費用を抑えて、楽しむことが唯一年寄りの特権だと見栄を張っている。


3番

歳をとってから互いに楽しめることは、酒を飲んでカラオケをすることだった。

コロナの流行以降、その楽しみさえ失って、こうして歌にして呼びかけるしかない。

平日は、モールや飲食店は混んでいなくて、平日メニューで安かったりするので、年寄り同士で楽しめたら良いと思う。

それなのに、作者は平日は農作業と散歩を毎日欠かさず、週3回は水泳の練習をし、時間があれば夕方にひとりカラオケをしたりしている。

なので、実際は週末や祝祭日に妻と二人でドライブがてら昼食をしに行くだけだ。

このスマホというのは支払いもPayPayで割り勘にできるし、普段からラインで連絡を取り合えることを意味している。

大学時代のライン仲間は合って飲もうと言いあいながら、一度もあったことはない。

そういう同級生は孫の誕生を自慢するけれど、孫のいない人間もここにいるのだぞと言っているわけである。











2026年9月20日日曜日

田舎の散歩の心構え

 最近は健康のために散歩が推奨されている。

都会では家の周りを散歩していて、急に尿意や便意を催しても、公園やコンビニのトイレを利用すれば事なきを得る。

ところが、田舎では広場や公園はあってもトイレがついていない場合が多いし、コンビニが無いところも多くある。

私は以前に急にお腹が痛くなって便意を催し、家内にスマホで連絡して迎えに来てもらったこともある。

だけど、いつも手を煩わせるわけにはいかないので、そういう場合に解消するところを決めてある。

一番当てにしている便所は散歩の折り返し地点に公設墓地にある休憩所のトイレで、歩いたら45分くらいの距離である。

ところが、それより前後して便意を催すことがあったので、常にポケットティッシュを持参して、人目のつかないところに分け入って排便していた。

いわゆる野糞と言われるもので、場所をわきまえないと軽犯罪になる。


先日も犬と散歩していたら、農道の土手の下の草むらから知り合いのお爺さんが出てきたので、何かあったのかと思って「大丈夫?」と聞いたら、「下剤を飲んだので・・・・」という

私はまさか交通量の多い県道の近くの土手で排便しているとは思ってもいなかったので驚いた。

私はその人が85歳で一日一万歩を目標にしていて、暑い朝にはフラついているのを知っていて、家族からも気をつけていてほしいと頼まれていた。

私は空調服を着ていて万全を期していたのだが、そのお爺さんは子供から買ってもらっているのに着ていなかった。

どちらかというと、フラついて土手から転げ落ちて川にはまることを心配していたのだが、そういう便意による危険もあったのかと改めて気がついた。


若い頃は山などへ行ってキャンプもしたが、どうしても便意を催して、歩いている途中で草むらや竹林に入って排便することもあった。

その時に危険なのは蜂などだが、最近は熊などにも警戒せねばならないだおろう。

最近はそういう時のための道具も持参して山に登っている人も多いだろうが、田舎の普段の散歩にはさすがに持ち歩かない。

それと、若い人の中には和式のトイレの経験が無くて、蹲踞の姿勢が難しい人もいるだろう。

だから、和式トイレで排便する練習もしておく必要がある。


ただ、排尿に関しては、散歩において都会のように気を遣う必要が無い。

だから、田舎では散歩に限らず、車を停めて道ばたで用を足している年輩の人をよく見かけるが、これはさすがにまずいと思う。

あくまでも、散歩での排尿は誰にも見られないようなところで行う。

これは犬も一緒なので、今飼っているクロはとは互いに終わるのを待っている。

以前飼っていたトラは待たずに引っ張るのでいつも腹を立てていた。

クロはその点では心が通じ合うので、互いに終わるのを我慢して待っている。


とにかく、都会の人はこういう事情も知っていて、散歩やドライブを楽しんでほしいと思う。

それと最近は早朝や夕方にはイノシシやシカも出る。

熊のいないところでも普通に出会うことも度々だと思う。

ただ、狩猟が行われていることも多いので、そういう動物は人間を見ると逃げてくれるが、たまに平然とシカトしたり、様子をうかがっているのもいる。

そういうときは知らんぷりして、通り過ぎるのが一番だ。

田舎の散歩は野糞や野獣との遭遇という、スリルにもあふれている。



 




2026年9月18日金曜日

イスラーム理解その1~中東の地政学的地殻変動

 先日、アメリカでの9.11同時多発テロの25周年の追悼式の模様が、多くのテレビ局で放映されていた。

その式典で初めて就任したニューヨーク市のイスラム教徒のマムダニ市長の参加を巡り、一部の遺族が反発する社会などの対立も表面化したことが報じられている。

一部の遺族や元市長らから反対の声や署名活動(10万筆超)が起きるなど、テロ後の社会的分断やイスラム嫌悪(イスラムフォビア)の根深さも浮き彫りなったともいう。

そもそも、テロ事件の起こったニューヨークでイスラム教徒の市長が誕生すること自体に違和感を持っていたが、それだけニューヨークは生活苦の人が多かったということらしい。

9.11同時多発テロ以降、アメリカは「対テロ戦争」として、アフガニスタン、イラクと戦争を行い、その両国ともまともに統治できず、撤退してしまった。

そして、挙げ句の果てにイスラム教徒を市長としてニューヨークは求めざるを得ない状態になったと言うことだろう。

その一方でアメリカは現在はイスラム原理主義の国家イランと戦争を継続している。

こういう状態を知って、いったいイスラムとは何なのだろうと思うようになった。


実は私は大学院にいる時には、イスラムを研究している人は傍に何人かいて、その研究発表も聞いていた。

しかし、あまり興味が持てずに、高校の教科書程度でしか知識を持ち合わせていなかった。

最初にもっと知りたいと思ったのは、ハムダなおこ『アラブに自殺、イジメ、老後不安はない―ムスリムにならう幸福の見つけ方』(2021 国書刊行会)を知ってからだ。

ムスリムが人同志の関係を大切にしていることがよく伝わってくる。

今回はもっと深く知りたいと思い、次の二冊の本を読んでいる。

青木健太 笠井亮平 中東調査会編 2025 『中東ユーラシアから世界を読む―連結する地域と秩序再編』 岩波書店: [青木健太その他 2025]

 黒木英充・後藤絵美編 2023 『イスラーム信頼学へのいざない』  東京大学出版会: [黒木英充その他 2023]

これからしっかりと読んでいこうと思うが、現在読んだ中で気になることを挙げてみようと思う。

今回は次の論攷を取り上げてみる


 [青木健太その他 2025]の「第1章 イスラエルによる武力紛争とアメリカの「取引外交」―二〇二四年以降の中東における地政学的地殻変動」 溝渕正季    [溝渕正季2025]

はじめに

1 流動化する地域秩序(二〇二三年一〇月~二〇二四年一二月)

(1)「アクサーの大洪水」作戦とその余波

(2)戦線の拡大

(3)シリア・アサド政権の崩壊

2 加速する第二次トランプ政権の「取引外交」(二〇二五年一月~)

(1)トランプ政権の「取引外交」

(2)イスラエル・イランに対する米国の対応

(3)親密さを深める米図・ペルシャ湾岸諸国関係

おわりに

●<コラム〉 米国・イスラエル間の「特別すぎる関係」


目次から内容がだいたい分かると思うし、是非手にとって読ん欲しいので詳細は避けるが、結論としては


中東においては、こうした法や理念のみならず、そもそも現代国際政治の根幹である国家主権といった規範すら欠如している[溝渕正季2025:45]


ということだ、そして、溝渕氏の分析で興味深かったのはそのコラムにあった


多くの米国人がイスラエルに広範な文化的親近感を感じていることも、福音派の宗教的信念を強化している。多くの米国人は幼い頃から聖書の物語に親しんでいるが、旧約聖書に載るユダヤ民族の物語は、「開拓」、「国家建設」、「明白なる運命」といった米国の物語と強く共鳴している。こうした歴史・文化的背景が、イスラエルを「運命共同体」とみなす意識を形成してきた[溝渕正季2025:49]。


つまり、アメリカの福音派の信念はイスラエルの物語に共鳴していることが重要であるということであり、ということはアメリカ先住民に対する姿勢とも同じと解釈できる。

アメリカの開拓者はアメリカ先住民を駆逐したように、イスラエルのユダヤ民族は先住民のパレスティナ人を駆逐してもなんら不思議ではないということだ。

私はかつてイスラムの文明を築いてきた人たちをそういう感覚で捉えることに非常に違和感を感じている。

このことは読み始めた[黒木英充その他 2023]に述べられているイスラム独自の文化にヒントがあるように思う。

だから、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の共通点と相違点を今後しっかりと考えていかねばならないだろう。


そして、現実的に「イスラエル・ロビー」がアメリカの政治を左右しているという。


イスラエルを批判的に扱う候補者は予備選で敗退する傾向が強まり、超党派での親イスラエル姿勢が定着している。要するに、六月の空爆は、場当たり的な危機対応というよりは、米国内の宗教・文化・ロビー政治・安全保障認識などが相互強化しあう「特別な関係」の帰結である。ガザの人道危機が深まっても、そうした構造は容易に変化し得ないのである[前掲書]。


アメリカの政治は金で買えると言い続けられてきたが、トランプの取引外交はその極みである。

(バイデン前政権のように)「自由」や「人権」などのリベラルな理念を前面に押し出すような政権より与しやすい相手という[前掲書:43]

アラブの湾岸諸国は言うに及ばず、イスラエルはアメリカ在住のユダヤ教徒によってアメリカのトランプを金で動かすことが出来るということだ。


しかし、冒頭でニューヨーク市長がイスラム教徒であることに触れたが、アメリカの貧困層はそれと逆の方向に流れている。

マムダニ市長は民主主義を通して社会主義を実現しようとする政治思想「民主社会主義」を掲げていて必ずしもイスラム教の教義等とは関係はない。

イスラム教支持者が現在のアメリカの国家中枢には入り込んではいないようだ

それは、アメリカの世界金融支配にとって、イスラム教の「ハワーラ」という貸し借り相殺を発展させた送金システム*1とは相容れぬものだからだと思う。

奇しくもこれはハイジャック実行犯たちがハワーラを使って資金を動かしていたといわれている9.11同時多発テロとも関連してくるだろう。

こう考えると金融と宗教、そして石油貿易が絡んだ世界戦争でありアメリカの内戦とも思えてくる。



*1「序章 イスラームから考える「つながりづくり」と「信頼」―今後の世界を見通す鍵として 黒木英充」[黒木英充その他 2023]








2026年9月17日木曜日

辛抱の大切さを思い知った酷暑の農作業

 我慢と辛抱の言葉の違いから、耐えることの姿勢の違いを言われることがある。

我慢は単に自分の気持ちを抑えることで、辛抱は将来のために今を耐えることと言われたりする。

昔、横綱隆の里が、辛抱強い相撲をとって「おしん横綱」と言われたりした。

コメディ映画の「シコふんじゃった」でも、相撲部員が揃ってランニングの練習をしている時のかけ声が「辛抱だ!辛抱だ!」だったので、よく憶えている。

因みに、私が南山大学の剣道部での隊列ランニング練習でのかけ声は、一人ずつ「ナンザーン(南山) ファイト!」と叫び、それにみんなが呼応して「オウ!」とこたえる。

その後は、「ファイト」「オウ」の繰り返しであったが、これを教師になってから特別支援学校の身体作りのランニングでも使っていた。

「〇〇(名前) ファイト」、「オウ」はずっと私が声かけをし続けていた。

高校の野球部の隊列ランニングは一人が「1,2 1234」それに他が「そーれ」と応えるのをよく見かけた。

これは体力向上のためというより、気持ちを合わせるための練習に見えた。

映画で観た、「辛抱だ! 辛抱だ!」というかけ声は、気持ちを合わせるためで無く、相撲にとって特別な「辛抱」という言葉を自分に言い聞かせているように思えた。


私は幼い頃から親には「辛抱が足りん」とか「辛抱せえ」とよく叱られていた。

考えてみれば親は我慢という言葉よりも、辛抱という言葉を主に使っていた。

今まで私は「辛抱」という言葉は自分に言い聞かせるくらいしか使っていなかった。

最近は「ガマン ガマン」という言葉をよく耳にすることがあるし、「最近の子供は我慢が出来ない」とよく言われている。

我慢と辛抱とを区別して教えるなら、今耐えることが将来に活きていくことを言い含めて辛抱という言葉を使うべきかもしれない。

幼い子供は衝動的に走ったり大声を上げたりするものだが、それがケガや迷惑に繋がってトラブルになってしまうことをきちっと教え込むべきなのだろう。

それが仕事が忙しくてかまってやれない親には、厳しく出来ないようだ。


そういう私は畑で作物を作っていて、どうしても上手くいかない時には、腹たち紛れにその作物を引き抜いたり、刈り取ってしまうことも多かった。

特に作物の栄養をとってしまう雑草に対しては、イライラしながら抜いたり刈り取ったりしていた。

このところ完全退職して時間の余裕に馴染んできて、コツコツと丁寧に除草作業をして草マルチに利用することが出来るようになった。

それでも、ポリマルチを使わないので、作物が雑草に負けてしまうこともあって、まともに実をつけずに弱ってしまったりした。


今年は酷暑で雨も降らず、去年いっぱいになっていたナスビやキュウリのできが非常に悪かった。

特にナスビは植えた場所も悪かったのか、全く大きく育たず、実をならさないまま、雑草に負けてしまっていた。

いっそうのこと抜いてしまおうかなと何度も思ったが、秋なすとしてのチャンスが有ると思って、水をやり続けたり、雑草を抜いてやったりしていた。

そのナスビがこのところの雨で復活して、実をならし始めてくれた。

枯れてしまったキュウリは秋用の種を買ってまき直して育てたら、花をようやく咲かし始めてくれた。

何十年も家庭菜園をやってきて、今年ほど辛抱して作物を育てたことはない。

それでも全く駄目だったのはズッキーニで、これは去年も駄目だった。

辛抱のかいがあったのは、サツマイモ、小芋、万願寺トウガラシ、黒大豆、落花生などである。


おそらく、これからも地球温暖化の影響で、農作物を作ることには辛抱を強いられるだろうと思う。

しかし、希望を失っていない以上、辛抱して続けることが大切だと思う。

本当に辛抱を強いられているのは、酷暑の気候に晒されている作物たちなのだ。

農業も自然破壊の一つとは言われているのだが、なるべく自然に寄り添える方法で取り組み続けたいと思っている。

それには楽な機械や農薬、化学肥料をなるべく使わない自然農法的な農業をしなくてはいけないと思っている。

それに一番必要なのが「辛抱だ!」であると、今年はつくづく思った。

そして、農作業よりも世界中の人が一番辛抱を強いられているは、トランプ大統領の温暖化戦争と流血戦争だ。

そのトランプ大統領におもねる高市政権に、日本人はこれからも辛抱し続けねばならないのは勘弁してもらいたい。







2026年9月15日火曜日

足袋を道連れ、世に広めたい

今では日本人でも武道したり祭りに参加する人以外は、足袋を履くことは殆ど無いだろう。

作業で地下足袋を履いている人も、滅多に見られなくなった 

私と足袋の関わりは大学時代の剣道の練習に始まる。

どうしても足の裏にたこができて、それが潰れたりしたので、足袋を用いていた。

普通の足袋を用いて滑りすぎるので、破れた竹刀の柄皮を自分で縫い付けたりした。

その後、結婚して子供が出来てから畑仕事をするのに、長靴だとどうしても蒸れて水虫になりそうだったので、農作業用の地下足袋を使っていた。

ただ、地下足袋は小鉤(こはぜ)をはせるのが面倒な上に、雨の時や溝掃除には使えないし、泥がついて洗うのは手間であった。

そのうち蒸れにくい長靴も売り出されて、主にそちらを使い、どうしても暑くて蒸れそうな時には履き古した運動靴を履いていた。


この夏の暑さは尋常では無くて、早朝の犬の散歩と農作業にはまた地下足袋を用いるようになった。

その地下足袋は足先が先まるで二股になっておらずどの靴下でもはけて良かったのだが、ファスナーを上げるのが重く、何よりも靴底が薄くて散歩には適していなかった。

それで散歩には従来のトレッキングシューズで行い、農作業ではその先丸の地下足袋に履き替えていた。

そのうち、トレッキングシューズのそこがハガレだし、つま先のゴムも破けて朝露の水がしみだした。

そこで新しいトレッキングシューズを探したが、防水加工をしている物は蒸れやすいとレビューに書いてある。

それなら散歩して朝露で濡れてもそのまま農作業の出来る地下足袋エアージョグにしようと思った。

近年は祭りでこの地下足袋エアージョグがよく履かれているようで、品数も多いが値段はトレッキングシューズ並みにした。

それでレビューに耐久性の良いと書かれてある<ヤマタ エアー足袋 7枚コハゼ>の27cmをポイントや割引を使ってYahooショッピングで安く買った。


数日前に届いていたのだが今朝(9/10)になってようやく雨が止んだので、散歩から履き始めることにした。

この地下足袋はつま先が従来通り二股になっている。

実はこの日本独特の足袋は韓国人がチョッパル(豚足)と言って、日本人に対して侮蔑的に用いることは知っていた。

日本人は琉球、薩摩を除いて豚を食用し始めたのは大正昭和だと言われているし、豚足は今日でもなじみがない。

日本人はチョッパルが豚足を意味して、侮蔑的に使われていると言われてもピンとこないと思うが、それを知っている私は堂々と散歩に用いるのには躊躇いもあった。

しかし、以前にフランスでカラフルな地下足袋が人気あると聞いていたし、テレビドラマの「陸王」でも足袋型シューズが格好良かった。

だから、これからは敢えて地下足袋エアージョグを愛用しようと思っている。


実際使用してみると、確かに小鉤を嵌めるのは面倒だし、それなりの靴下も履かねばならない。

しかし、しっかり歩いてみて分かったのだが、小鉤は4通りくらいに太さの調節ができる。

小鉤のかけ方によってしっかりと踵を固定することができる。

今回は歩き出してから途中で調節していたのだが、最初からそれを考えて小鉤を嵌めていったら歩きやすいと思った。

また、歩く時にしっかりと足が上がるので足を引きずることも無く、つま先の踏ん張りがしっかりとできた。

武道で足袋が用いられるのも、高所作業で地下足袋が使われるのもその特性からだと思う。

アスファルトの道はクッションが効いて全く問題なかったが、防水加工をしていないので草の生えた道は夜露で濡れて浸みてきた。

ただ、家に戻ってからも履き替えること無く農作業ができたので、便利と言えば便利だった。

これからはパリジェンヌのようにカラフルな地下足袋を買って町で履いても良いと思う。

ネットで調べたら和柄の地下足袋も数多く販売されている。

気象破綻した世では、まさしく足にクールなクールジャパンの逸品として全世界に普及してほしいと思う。

ただ、韓国では流行らないとは思うけど・・・・




2026年9月13日日曜日

眠れる者は救われる

 このところ、金谷啓之氏の著『睡眠の起源』(2024年 講談社)を読んでいて、色々考えさせられているだけでなく、救われてもいる。

以前書いた「一途な夢を壊してしまった睡眠不足」で書いたように、私は長年の後悔を睡眠の重大さを知ることによって和らげることが出来た。

睡眠を調べ始めたのは、「ヒト本来の分割睡眠」で書いたように、日常の睡眠のあり方に対する不安からだった。

それが今の不安だけで無く、過去から引きずってきた悩みも幾分解決してくれた。

本を読むことの良いことは、意図しない発見や解決が見つかることだと改めて思った。

今話題の柳沢正史氏の研究は、医学的に睡眠を解明するのが目的で、睡眠覚醒制御の神経伝達物質「オレキシン」を発見し、健康に良い睡眠のあり方を教えてもらうことは参考になる。

しかし、現代生活は産業化社会の文明によって歪められており、それに適応できる睡眠を考えることと、生物としての人間が本来適した睡眠とは何かを考えるのとは目的が違う。

今の自分のように時間に縛られた賃労働から解放されている者にとって、生き物にとっての睡眠の意味を理解し、本来の睡眠を得ることが重要であるので、金谷氏の研究の方が参考になる。

例えばオレキシンは主に脳に関るものだが、睡眠は単に脳とだけ関係するものではないという。


「第六章 眠りの起源は何か」の”腸が眠くなる?”という節に、睡眠と筋肉や腸との関係が次のように述べてある。


睡眠は、必ずしも脳によって制御されているわけではなく、末梢組織でも調節され得る[前掲書 144頁]。


睡眠は健康にとって大切なことだが、それが運動と結びついたり食事と結びつく理由がこのことからよく分かる。

睡眠は心と身体を結びつける大切なものだと改めて知るのだが、昔ジャパニーズビジネスマンが「24時間戦えますか」と栄養剤のCMで鼓舞されていたのが愚かに感じられる。

むしろ、化粧品のCMで「女は夜作られる」といわれて、夜の肌のお手入れだけで無く、睡眠が重要だということの方がためになったのだ。


金谷啓之氏は睡眠に関して次のように結んでいる。


睡眠とは何か―それは、起きている間に蓄積したものを解消する行為、なのだろう[前掲書 177頁]。


思い起こせば幼い頃に、泣きじゃくって眠ってしまい、目を覚ますとその悲しみを忘れて元気になっていたことを思い出す。

赤ん坊は眠くなると泣いて母親に知らせて、母親はそれを分かっていて寝かしつけてあげる。

オレキシンは睡眠ではなく、泣く行為そのものに関わっており、それの対抗として睡眠が催されるそうだ。

河島英五の歌「酒と泪と男と女」にあるように、大人になっても男は飲んで眠り、女は泣いて眠って「忘れてしまいたいこと」「どうしようもない寂しさ」を癒やす。

オレキシンは泣く行為同様に飲酒とも大きく関わっているというから、この歌は男女によってオレキシンとの関わりの違いを上手く表現している。

とにかく、癒やしは泣いたり、飲んだりすることで得られるのではなく、睡眠そのもので得られるのだから、良い睡眠を確保する手段を考えねばならない。

飲酒が睡眠の質を下げるとして寝酒を止めても、ストレスで眠れない方が深刻で情緒に問題が生じたりするので、寝酒を飲んで寝た方がましとも言える。

実際、私は友人の医者に言われて寝酒を無理に止めたら、自律神経失調症になってしまった。

飲むことが体質的に無理であったり、病気が原因でできない人、ストレスなどで眠れない時は酒よりも睡眠導入剤の方が適しているように思える。

実は私も寮の宿直の時は酒が飲めないので睡眠導入剤を飲んでいたし、最近でも糖尿病の数値が悪いときは寝酒の代わりに飲んでいる。

その場合、錠剤を割って少量にして寝覚めをよくする工夫をしてきた。

運動や食事に気を遣う余裕がない人は、サプリや薬を使うしかないだろうと思う。


日本人は世界で一番睡眠時間が少ないと言われている。

ということは、蓄積された心身の疲労を解消する時間が一番短いと言うことであり、それでは心身の健康が保てない。

睡眠を充分に確保することこそ、これからの日本人を救う方法だと思う。


2026年9月11日金曜日

世界金融・貿易戦争と日本

 企業の内部留保は2025年末時点における企業の内部収益(利益余剰金)は、前期比2.7%増の654兆8228億円となり、14年連続で過去最高を更新という。

ところが、内部留保は円建てなので国際的には、円安によって価値を喪失していることになる。

その一方で輸出が安く抑えられて売り上げを伸ばし、支払われたドルは円に替えると高額となるので業績を伸ばし株価も上がった。

かつて、大企業は輸出によってドルを多く抱え込んでいたが、ドルの切り下げでその価値を失っていった。

その苦い経験から内部留保は円建てで行ったり、ドル以外の資産にして残すようになったという。

基軸通貨を持つアメリカが世界の金融を支配しており、それに対抗する手段としては内部留保が必要であったようだ。


今回、アメリカとの協調介入によって円高に持って行こうとしているのは、トヨタなどの自動車輸出が円安で好調となったのでそれを抑止するためとも思える。

日本国内にとっては輸入品が高くなって物価が上がり、国民の生活を圧迫させているのも大きな原因だ。

しかし、これまで円高で競争力を失っていた木材や水産物、農産物が海外でも国内でも買われるようになった。

輸入によって潰された業種や産業を再建させるチャンスでもある。

我々国民は目先の物価高を嘆くより、かつて円高を乗り越えた経験を今度は円安で活かすべきだ。


ロシアはウクライナがアメリカ中心とした金融戦争での支配下に入るのを怖れて流血戦争を実際に起こしてしまったが、支援を受けたウクライナは最新兵器で持久戦になっている。

ロシアは経済封鎖によって苦戦を強いられているが、中国・インドとの貿易や北朝鮮からの輸入兵士によって何とか持ちこたえられている。

金融戦争での支配下にならないイランに対しては、アメリカは流血戦争で屈服させようとしたが、逆に石油を使っての貿易戦争に苦戦を強いられている。

中国は独自の金融政策でアメリカやその金融関連企業は、今までのように世界の金融を支配できなくなってきている。

中国はアメリカの支配下にある台湾を流血戦争で支配下にする意図も見えたが、貿易戦争の段階に留めている。

結局、米中の貿易戦争はアメリカの高関税政策から始まって互角だが、トランプの温暖化戦略の方が脅威となっているようでもある。

そして、このアメリカの高関税による貿易戦争は、流血戦争(軍事)同盟を含めた世界中の国を相手に広がっている。

トランプはその貿易戦争で、実際は自国民から巻き上げた戦利金を、今度中間選挙で勝ったらばら撒くと言って、関税還付として買収に使おうとしている。

日本の企業が金融戦争を内部留保で対抗していたことと同じように、これからの貿易戦争でも国民は国内産業の再建を目指すべき時が来たように思う。

そのためには、国産品が少々高くても、お互い様だと思って我慢する方が長い目で見れば得策だろう。

ただ、米のように日米政府とつるんで国民を欺くものは、許さないという姿勢を持つべきだと思う。

核兵器による流血戦争が抑止できなくなった現代では、アメリカの核兵器を恐れることも頼ることも必要なくなった。

アメリカの傀儡政権の自民党と結託して国民支配をする時代は終わりにせねばならないように思う。

エマニュエル・トッドの言葉を思い出そう


民主主義に欠かせないもう一つ重要な要素は「主権」です。米国の〝占領″が続き、その支配下にある日本とドイツは「主権」を欠いていて、その点で「民主主義国家」とは言えません*1。


*1 エマニュエル・トッド 2025『西洋の敗北と日本の選択』 文藝春秋 104頁


2026年9月10日木曜日

食品特売日に見る町民の困窮と病気

 私が住んでいる上郡町では「火曜市」としてスパーマーケットのマックスバリューが週に一度行う特売日が重要な日になっている。

一番お目当ては安売りをしている卵であり、家内は必ず卵が売り切れにならないように、いつもより早く買い物に出かける。

今朝(9/8)は雨が降っており、ついでにコインランドリーで洗濯物を乾かせば良いと私は言ったが、皆も同じ事を考えて混雑するからと買い物だけに出かけた。

帰って来るなり「ランドリーに寄らなくて良かった」と言う。

「卵が売り切れになる前に買えたけど、寄っていたら買えなかった」と言う。

たかだか100円ほどの違いなのだろうが、皆は必死で卵を買う。

また、この日にあわせて菓子パンが安売りされる。

この上郡町の高齢者は菓子パンが好きなようで、割引された菓子パンをいっぱい買い込んでいくという。

また、メンチカツも安売りされているので、家内はメンチカツを買ってくることが多かった。

このように、火曜市は卵以外にも安売りをしているので、人が大勢集まってレジも混雑するという。

他にも、15日はホームセンターやドラッグストアーなどでもポイント5倍デーとなったりして、その日にまとめ買いをしたりしている。

15日は偶数月は年金支給日なので、年金生活者はお金を引き落としたついでに買い物をするのだろう。

店舗も偶数月にするとあまりにも年金狙いが露骨なので、毎月15日をポイントを多くつける日にしているようだ。



上郡町は町ぐるみ検診の受診率は高いのに、後期高齢者に対して次のように報告されている

https://www.town.kamigori.hyogo.jp/soshiki/kenkofukushika_kokuhokaigoshienshitsu/gyomuannai/1/1/6981.html

  • 外来医療費の第1位は糖尿病
  • 人工透析患者の割合が県より高く、半数が糖尿病を有する
  • 死因のうち、腎不全が県・国に比べて高い 
  • 入院医療費で、骨折の割合が高い
  •  外来医療費で、関節疾患の割合が高い
  • つどいの場で、3割が口腔フレイル2割が運動フレイルに該当(R5実績)

このことから、糖尿病への対策フレイルへの対策が必要ということがわかりました

このことで菓子パンがよく売れることが納得されるが、健康に対する知識のなさよりも、後期高齢者は国民年金に頼る人が多くて収入が低いのが原因のように思う。


こんど、食品の消費税を1%になるが、最近は税込み価格が目安となるので、1%になっても税込み価格が同じなら実質値上げになる。

レジの都合とかと言って1%としたが、それを利用して実質値上げも可能となった。

年金生活者だけで無く、非正規雇用で時給によって生活している人は、少しの時給の値上がりでもこれだけ物価が上がったら、焼け石に水となる。

株価が高値で取引されたり、GDPがいくらプラスであっても、実質賃金が低く、所得の二極化が進んでいっている状況で普通の人は景気が良いとは思えない。

また、近隣の赤穂市では市民病院が中央病院に運営委託されるに伴って、非常勤であった多くの女性が職を失うそうだ。

上郡町から赤穂市へ働きに行っている人も多いので、そういう世代にも影響が出てくるだろう。


本来なら美味しい米が採れて、豊かな農産物で満たされていたところだった。

学校給食もその影響で最近まで行われずにいた。

後期高齢者は子供からも見放され、自分でも農作物を作るだけの健康も失ってしまっている。

住んでいる村の男性は早死にしていくケースが多い。

原因は60歳から70歳前後では膵臓や肝臓の癌など、80歳前後では肺癌がなどが多く見られる。

女性は比較的長生きだが、70歳代で無くなった近所の人は人工透析を受けていた。


田舎で自然豊かに健康で暮らしていける時代は終わった。

特に、近年の夏の酷暑は高齢者の農作業を困難にしている。

無理して農作業を続けて熱中症になったり、最悪亡くなった人もいる。

酷暑時の農作業には空調服などが有効なのだが、高齢者は空調服を使いこなせなくて、子供などから買ってもらっても放置している。

散歩などで近隣の畑を見渡すと草まみれの中で、細々と出来た作物がとられないまま放置されたりしている。

また、去年まで夏に作物をコツコツ作っていた人の畑が、何も作られず放置されて草まみれとなっている。

年金が少ないので自分で自給用の作物を作ることさえ困難になっているのが現実だ。

これが、室町時代には赤松氏が支配する播磨の中心であり、明治維新後も大鳥圭介の力によって政治力を持った町の成れの果てである。


かつての政治力で国鉄の駅も山陽本線を大きく迂回させて作らせておきながら、電車庫を作ることに反対して発展を失った。

同じように政治力で新幹線の駅ができながら斜陽の町と化したかつての造船の町相生とも共通するのかもしれない。

工業化に乗り遅れて産業戦争に敗北した町の姿と、現在は認めざるを得ないだろう。

しかし、考えようによっては、温暖化戦争に伴う食糧危機に備えて自然環境を温存させているともとれる。

だから、少しの雇用や税収のために、産廃施設の建設など許してはいけない。

それよりも、空席のまま走るコミュニティーバスより、高齢者などが安くて便利に利用できる食堂やコンビニを補助金をつけてもっと誘致してほしい。

居着いたコウノトリに希望を見いだしながら、町民は健康を維持して田畑を荒れさせてはいけないと思っている。






2026年9月8日火曜日

死傷者と後発性障害者を出し続ける交通戦争

 後発性障害は生まれた後の病気、ケガ、事故などによって、身体や心に不自由さや生活の困難さを生じるものだった。

私は肢体不自由などの特別支援学校に勤めていた時に、そういう児童生徒と接する機会が多かったが、一番多いケースはやはり交通事故だった。

私たちの子どもの頃は交通戦争と言われたが、1970年は年間死者数は16800人で、日清戦争の死者の17000人とそう変わらなかった。

昭和30年(1955)代に始まり、ようやく収束しはじめたのは平成20年(2008)だが、それでも現代でも年間2500人以上の死者数を出している。

アメリカは対イラン戦争で死者数が4人で負傷者数が600人である。

ウクライナ戦争ではウクライナ人の死者数が推計で10~15万人と言うが、日本での交通戦争での死者総数よりまだ少ないと思われる。

こういう殺戮戦争よりも悲惨な戦争状態にありながら、日本人は自分たちが交通戦争の戦時下にあることを悲惨な状態とは思っていなかった。

そして、今でも私自身凶器となる自動車を運転し続けているし、いつ何時事故に遭遇するかも分からない。

そして、凶器となる車は堂々とCMなどで宣伝されている。

煙草のようにCMを禁じたり、事故になるかもしれないので運転には注意しましょうと、車体には書いていない。

自家用車を運転する私たちは加害者にもなるし被害者にもなるし、運転しない人も乗せてもらっているバスなどを通してそういうことをしたのと同じになる。

つまり、便利さと快適さを求めて「住民のなかの戦争」としての内戦状態であるとも言える。


そして、一番気の毒に思えたのは交通事故によって障害を負って、一生その障害と付き合わねばならない本人と家族だった。

担任した生徒に関して「お地蔵さんに祈った生徒」で詳しく書いてあるので読んでほしい。

その他にも、真面目で優秀な高校生が交通事故に遭って特別支援学校に来たケースや、中学校時のバイクでの暴走行為で事故を起こして大きな障害を抱えた生徒もいた。

本人に責任があるなしにかかわらず、交通事故の後遺症は深刻な場合も多くあった。

特別支援学校はそういう生徒の受け入れ口にもなっていたのだ。

小学生の頃から交通事故について学び、安全教育を受けてきても、交通事故は無くなっていない。

これから完全になくなる見通しなど立っていない。


そもそも、日本は急速に自動車が普及してきて、道路が整備されていなかった。

外国などでは居住区に自動車を入れさせない町作りをしていたところもあった。

この8月から町の路地を通る自動車が制限速度が30kmに抑えられたが、それまで60kmだしても良かったこと自体が異常であった。

自動車優先の道路造りで、歩行者や自転車の通行が危険に晒されてきた。

私の二人の子供も小学校の通学途上の交差点で衝突事故を起こした車の巻き添えで大けがを負った。

通学途上の事故や、園からの散歩の途中での交通事故で多くの死傷者を出し続けてもいる。

本来なら安全な街作りをするか、自動車に安全機能が完備されるまで、限定的に使われるべきだった。

それを、利便性や経済優先で犠牲に目をつぶり続けてきた。


かくいう自分も東京を離れて地方に住み始めた27歳より、自家用車なしでは仕事が出来なくなっている。

路線の交通機関が便利な東京近郊ではあえて自家用車を持つ必要なないが、それが整っていない地方では仕事や暮らしのために必要不可欠になってしまっている。

自家用車を持たなくても済む都会の人も、利用している交通機関での死傷者とは全く無縁というわけではないだろう。

そして、何よりも自動車産業はその販売や流通機関をも含んで経済的に多くの人々の生活を支えている。

ということは、これからも交通戦争の戦時下に生きていかねばならないということだ。

軍事兵器による殺戮を伴う戦争よりも、時に犠牲者を多く出してしまう交通戦争は、現代社会がそういう日常の内戦の中にあることを思い知らされる。


参考文献

É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019  『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社








2026年9月7日月曜日

アフリカ人に無配慮なNHK番組

 9月5日(土)の午後七時半からNHKで「私たちの中に“古代人類”が生きている?|タモリ・山中伸弥の!?(びっくりはてな)」が放映された。

人類学者の海部洋介氏や篠田健一氏も登場するかなり専門的な番組だった。

しかし、非常に気になったのは、ネアンデルタール人やデニソア人との交雑ばかり取り上げ、交雑では無く、単にDNAが紛れ込んだアフリカ人のことに触れていなかった。

全体的にネアンデルタール人やデニソア人の遺伝子を取り入れることによって、優れたホモサピエンスができあがったというイメージを持たされる構成になっていた。

アフリカ人は最近までネアンデルタール人のDNAを受け継いでいないとされていたが、最近の研究でヨーロッパ人やアジア人の3分の1程度のDNAが発見された*1

しかし、コロナ禍の折にアフリカ人にはあまり広がらなかった理由として、ネアンデルタール人と交雑していないからだとまで言われたりした。


ここで考えねばならないのは、ヨーロッパやアジアでは交雑したホモサピエンスしか生き残れなかったどうかだ

どうもそうでは無くて、交雑した者が多数を占めて自然と混じり合ってしまったのは、アフリカと変わりないようだ

ただ、ヨーロッパやアジアでは交雑した者の方が環境に適応しやすかったので、アフリカよりDNAの比率が高かったと考えられるようだ

アフリカ人にとってはそれほどネアンデルタール人のDNAは生存に貢献していたとは言えないとも言える

それをあたかもネアンデルタール人やデニソア人と交雑したから、ホモサピエンスが唯一生き残れた人類であるように思わせる放送には問題があると思う

それでは交雑があまり意味を持たないアフリカ人に無配慮と言うべきだし、逆に問題を起こしてしまう。

つまり、サハラ以南のアフリカ人へのネアンデルタール人のDNAの影響の少なさが、人種の違いを生んで、場合によって奴隷になったり植民地化されたと解釈されてしまう。


それと、ネアンデルタール人やデニソア人との交雑は対等な関係で行われたかのように描くのも疑問を感じる。

アフリカ人を奴隷として黒人が移動させられたが、アメリカ大陸で行われている混血は、対等では無いし偏りもある。

日本においても縄文系と弥生系の混血に関してもそれほど単純では無い。

一方が戦闘によって奴隷にしたり支配したりしていたり、女性を略奪したり子どもを誘拐したことによって生じた交雑の可能性もある、

また、駆逐された後でDNAが紛れ込んだだけという可能性もあるということだ。

従来のようにホモサピエンスのアフリカ単一起源説への反論であったり、他の人類を駆逐してしまったことを反証する意図はよく分かる。

しかし、アフリカ人への無配慮と、ユートピア的な交雑を描くのは、現代の人種問題に禍根を残すものと思われる。


*1 「ネアンデルタール人のDNAがアフリカ人にも 定説覆す

2026年9月6日日曜日

一途な夢を壊してしまった睡眠不足

 私は現在の睡眠の取り方に不安を感じたことがきっかけとなって、睡眠に関することをネットや文献で調べている。

そのことは「ヒト本来の分割睡眠」に詳しく書いたのであるが、文献を読んでいるうちに睡眠不足が深刻な心身に悪影響を及ぼすことを知った。

今の私は決して睡眠不足では無いのだが、かつては睡眠不足を何度も経験していた。

よく憶えているのは、小学校6年の中学受験で午前2時近くまで受験勉強をして眠ろうとしても眠られず、母親に言うと薬用酒を飲ませてくれてやっと眠れたことだ。

それを何度か繰り返していたが、中学受験はその甲斐あって合格できて、普通に眠られるようになったが、その不眠症になった辛さは忘れられなかった。


そして、今になって気がついたのは、大学院の修士論文で1ヶ月以上睡眠不足が続き、提出前の一週間以上はまともに眠られていなかったことだ。

同じようなことを同期の仲間もしていて、彼は良い修士論文に仕上がったが、私は不十分な論文で周りからはもう一年かけて書き直した方が良いと言われた。

その時は、今から思うと論文が上手く仕上がらなかったことの辛さもあったが、その睡眠不足の影響で情緒が不安定になってしまっていたようだ。

ネットでは「睡眠不足が続くと、気分の落ち込み、イライラ、集中力低下、判断力の低下などが現れやすくなります。*1」とある。

私がそれまで支えてくれていた伴侶にやり場のない感情をぶつけてしまって、それが原因で関係がこじれて別れてしまった、

その原因は、論文作成失敗よりも、睡眠不足による精神障害ほうが最大の原因だったようだ。

結局、別れ間際から不眠が続き、伴侶は去って行ってから精神科にかかり精神安定剤を飲んで何とか眠られるようになった。

医師の診断はノイローゼということだった。


論文作成当時の自分は睡眠などしている場合では無いと必死でに取り組んで、まともに書けない時は死にたいとまで思った。

同じように論文を書いていた仲間も、書けないのが辛くて苦し紛れにタオルで自分の首を絞めたとも言っていた。

しかし、彼は良い論文に仕上がり、博士課程への進学が保証され、自分はもう一年といわれてチャンスは残っていても、精神的に耐えきれない状態になっていた。

多くの大学院修士の院生は似た経験することだとは思うが、知っている先輩には持病に気管支喘息を抱えていて無理が出来ないと、こつこつと地道に書き上げた人もいた。

私も既に十二指腸潰瘍を抱えていたので無理は出来なかったのに、教官から修士だけと言われていたことを挽回しようと無茶をしてしまった。

それが、博士への進学だけならともかく、大切な人まで失うことになってしまった。

その原因を自分の思慮の浅はかさと自分を納得させていたのだが、睡眠不足がそれ以上に重大な原因であったことに今更知ることになった。


これは睡眠の重要性と睡眠不足の怖さを知っていなかった報いである。

時に若い時は何日も徹夜して勉強や研究をしたり、仕事などをしたことを自慢げに言うことがある。

以前、高校によっては勉強合宿を1年生にするおり、徹夜で勉強をする体験をさせたりもしていた。

そういう徹夜が良い結果に結びついた時には自慢話になるが、果たして本当に心身の健康に影響がなかったかどうか分からない。

今読んでいる金谷啓之氏の著『睡眠の起源』(2024年 講談社)に科学コンテストに応募のために断眠した高校生ランディに関して次のようなことが書いてある。


ランディはそのまま耐え続け、なんと年が明けた一九六四年一月八日までの一一日間、時間にして二六四時間の断眠記録を達成したのである。当時としては、最長の断眠記録だった。

(中略)論文に記載されている内容はそこまでだ。だが、この話には続きがある。実験から四〇年以上経ってインタビューに応じた彼は、後年、深刻な不眠症になったことを明かした。毎晩眠ることができず、「もう眠ることを諦めた」と語っている。


これは極端な例だが、実は私は修論を書いていた1週間ほど、布団の上で眠っていなかった。

だけど、机の上でペンを走らせていると思っていたのだが、いつの間にか数時間経っていたのを憶えている。

私の場合は人に助けてもらいながら断眠に挑戦していたわけではないので、結局は数時間ほどは毎日眠っていたようだが、睡眠不足には違いなかった。

ただ、その後に不眠症になったことは共通している。

今だから言えることは、どんなに失敗して辛いことがあったとしても、しっかり眠っていたなら、心機一転やり直すことが出来たはずだと言うことだ。

それまで抱いていた二人の一途な夢を失わせてしまった大きな原因が、睡眠不足にあったとは、今更取り返しのつかない哀れな話だと悔やまれてならない。


*1睡眠不足による精神障害 - 検索




2026年9月5日土曜日

温暖化戦争による中国の崩壊

 これまで温暖化によってもたらせれた災害は、社会的弱者や居住区の立地の悪さによって被った被害であり、東北大震災の津波と同じように町を破壊することは無かった

温暖化と関連して町を破壊したネパール災害は世界に衝撃を与えていると思う。

気象と関係する最大規模の災害は、中国の三峡ダムの決壊が懸念されており、そうなるとネパールの災害どころでは無いだろう

このダムは1993年に着工して2003年には貯水を始めたというが、そのダム湖の面積は琵琶湖の1.7倍だという

豪雨によって貯水に限界がきて崩壊する以外にも、ミサイル攻撃などで崩壊すれば核攻撃に匹敵すると言われている

現実にもウクライナとロシアの戦争では禁止されているはずのダム攻撃も行われている

こういう危険を孕むことは建設当初からも指摘されていたようだが、特にダムに土砂が堆積することでの崩壊が懸念されたが、現状では持ちこたえている。

それよりも、地球の温暖化の影響がこれ程まで深刻になることは想定外だっただろう。

中国は懸命に巨大な太陽光発電施設を作ったり、EVの開発に必死で取り組んでいる。

しかし、皮肉にも今回のネパールやチベットの災害は、水力発電のためのダム建設が原因ともされている。

しかも、中国はチベット自治区ニンティで総投資額1兆2000億元(約28兆6000億円)規模の水力発電事業を着工したが今後そこでの災害が懸念されている。

そういう取り組みの一方で未だにCO2を世界で一番排出し続けているというバランスの悪さだ。

世界で二番目にCO2の排出を行っているアメリカは、ある意味では中国の弱みを握っていることにもなる。

まさしくトランプの石油政策は中国への温暖化戦略として有効であり、ミサイルなどを用いずに攻撃していることになる。

ただ、イラン戦争で原油価格が上がってアメリア産出の原油で儲かっているが、価格の高騰で石油の使用量が減ったり、再生エネルギーの開発利用が進んでしまう。

だから、イランのホルムズ海峡封鎖はトランプに対して、共和党の中間選挙敗北への有効な戦略となっているので、焦らせていると考えられる。


皮肉なもので日本は本土のまわりの海水温が高くて温暖化が速く進んでいる一方で、本土上空に高気圧が居座って台風の襲来を減らしている

気の毒なのはその縁にある奄美や沖縄で台風がひっきりなしにやってきたり、居座られてしまう。

そして、台風は中国大陸や朝鮮半島の方に向かって上陸するようになっている。

ただ、大気が不安定になると線状降水帯が生じて、関東や東北を中心に水害の被害を出してはいるが、人的被害は少なくて済んでいる

自然災害に強い台湾もある意味で台風に守られており、台風が頻繁に押し寄せている間は中国も大規模な軍事行動を起こしづらいと思う。

今のところアメリカの温暖化戦略は同盟国の日本や台湾を利する形となっているようにも思える

北朝鮮に関してはトランプは配慮して韓国との合同演習を短縮したかのように思えたが、北朝鮮自身は報道していないが洪水被害は深刻なようだ

北朝鮮は温暖化戦争で洪水とそれに伴う食糧危機で弱体化しており、核の心配をせずとも崩壊するのを待てば良いように思っているのかもしれない

ただ、このアメリカの温暖化戦略はアメリカにも諸刃の刃で、今後巨大なハリケーンや大寒波が襲来する可能性があるが、はたしてどれだけ対応できるだろうか?


ともあれ、急速に産業を伸ばすために無理な開発をしてきた中国は、致命的な弱点を抱えてしまっている。

かつて日本が高度経済成長期に公害をまき散らしていたこと以上に、自国のみならず世界への悪影響は計り知れない。

また、アメリカのように石油を産出することが出来ず、三峡ダムのような巨大は発電施設を作ったことも大きなリスクとなってしまっている。

核を持っていない国も中国から核攻撃されても、三峡ダムをミサイル攻撃をして破壊すれば同じ効果となる。

トランプ大統領はその中国の最大の弱点をよく知っていて、温暖化戦争を仕掛けているようにも思える。

核戦争よりは人類滅亡の不安は少ないが、世界中の隅々まで影響が及び、災害に伴う食糧危機や水不足を招いて殺戮兵器による戦争も起こるだろう。

米中温暖化戦争はまさしく世界温暖化大戦につぐ第3次世界大戦を引き起こしつつあると思えてならない。




2026年9月3日木曜日

少子化を生み出す国家福祉資本主義戦略

 現代の日本は個人が企業などで経済活動を自由にやれるように福祉が充実している。

昔ながら子供は親の面倒をみるのが当然として、あえて地元で仕事を見つけようとしたが、それもする必要が無くなった。

例えば、地元赤穂では相生の造船所(IHI)を中心とした工場に雇われる人も多かったし、国鉄、農協、郵便局や地方公務員になるのが跡取りは普通だった。

しかし、工場などは中国や韓国の台頭で斜陽となり、国鉄、郵便局は民営化されて人員整理された

地方公務員も教師を中心として残ってはいたが採用人数も少ないので一部に限られていた

そして、現在は地元の全国展開や広域の支社をもつ企業では、単身赴任が当たり前になって、親の面倒を看る余裕もない

それを補っているのが2000年から始まった日本の介護保険制度である。

既に少子化傾向は1990年代から顕著になってきていたので、それを補うための介護制度とも言える

また、近年では子供が大きくなった世代だけでなく、60歳以上の再雇用問題と絡んで、そういう年代の単身赴任も増えているが、この介護保険制度は役に立っている


私は親の家の近くに住んでいたが、この介護保険制度で老人施設を利用できたので助かったが、近所の老人世帯には介護保険制度で何とか生活できている人も多い。

この介護保険制度は子供は安心して親を地元に残しておけるし、自分が年老いてもこの制度で何とかやっていけると思っても不思議でない。

それなら、無理して結婚してあてにならない子供を育てて頼りにするより、単身である方がよほど気楽で気ままである。

何せ新自由主義を政府がとってきたせいで、非正規雇用も多く増え、今後もAIやロボットの影響でいつリストラされるかも分からない。

将来年金も不安はあるが、単身であれば生活保護を受けても誰も嫌な思いをさせなくても済む。

こうして安くて自由に配属できる労働力を企業に提供するために用いた国家による福祉資本主義戦略は、単身者を増やして少子化を招いている。


その一方で地方の家を支えていた農業は、その多くが兼業で成り立っていたのであって、勤め先を失えば家を継いでいけない。

古くから嫁のきてを失っていた農家ではあるが、無理して農村に留まることさえ必要でなくなってきている。

互いの親の面倒を看ると言うことで地元の男女が結婚して、子供を産んで親の家の傍にいる必要など無くなってしまった。

もし、以前のように安定した雇用や家業の収入で夫婦が力を合わせられれば、楽しく生活できる暮らしが戻ってきて改善されるだろうとは思う。

アメリカのドルを基軸としたグローバル戦略と、中国の国家が全面的に支援している経済戦略の前に、自民党傀儡政権はアメリカ従属を改めることはないだろう。

内部留保で潤った企業による育休制度の福祉戦略も、結婚さえ出来ない収入が安くて不安定な非正規採用者には無意味だ。

高額所得者も欧米のように外国人をべビーシッターにしてまで、子供を増やそうとはしていない。

ということは、このまま国家福祉資本主義戦略で国民は欺かれながら少子化で日本社会は衰退していくことになってしまうかもしれない。

そうしたら、かつての先史時代からの渡来人のように大陸や半島から、アメリカ支配と無縁の人型ロボットを連れた富裕者や貧しい家族・親族集団が多くやってくるだろう。



参考文献

É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019 「冷戦の戦略ゲーム」 『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社