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2026年11月5日木曜日

現代社会が作り出した自閉スペクトラム

 私は正教諭であった30年間の中で、特別支援学校での障害教育に11年間携わってきた。

また、普通高校でも障害を抱えた生徒も受け入れており、特に定時制では率としては多かったと思う。

障害教育のうち4年間は肢体不自由の特別支援学校だったが、知的障害や精神障害を抱えた児童生徒が在籍していた。

特別支援学校では障害に対する研修が多く行われてきたのだが、自分自身しっかりと学んだといえる自信は無い。

そもそも、研究者になりたくてもなれずに、教師にしかなれなかった「でもしか」教師でしか無かった。

障害教育に精通して骨を埋める気持ちは持っていなかったが、初任校は強制的に、二校目はやむを得ず、三校目は自ら望んで赴任することになった。

しかし、現実は身近に障害を抱えた人がいて、ずっと関わり続けることになったのだが、真剣に専門書を読んで学ぼうとはしていなかった。


ところが、最近認知科学に興味を持って、手にした本が次の本だった。

エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり訳 2024 『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館THE DISORDERED MIND(2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]


この2章は「人類のもっ強力な社会性―自閉スペクトラム症」であり、それを読んで自分がいかにこの障害に対して無理解であったかを思い知った。

その無理解がどういう意味を持つかは、後に読んだ高木美歩   『開かれる自閉―医者・心理学者・当事者のポリフォニー―』(2025    晃洋書房)で思い知ることになる。

その「まえがき」でその障害をもつ著者の高木さんが訴えている言葉に涙が溢れてきた。


しかも,話はそこで終わらなかった.そこにいた先生に誘われて打ち上げに参加させていただいた.楽しい時間を過ごしたが,終わりがけにふと「研究が中絶を奨励するって,どうなんでしょう.できるだけ中絶しなくていい社会を考える方がいいんじゃないでしょうか」と口にしたら,目の前に座っていたおそらく研究員の男性が「それは家族の苦しみを知らないからそう言えるんだ!」とお酒の入った赤い顔で言った.その瞬間,わたしの胸がまたいっぱいになった.わたしも自閉症なのに.きちんとした格好をして少し専門的な話を聞くことができるし,話すことができるけど,わたしも自閉症なのに! 目の前に座っている人は多分身内に障害がある人がいて,何かしら苦しんでいるのが伝わってきた,傷ついた気持ちと,自閉症のせいで誰かを苦しめているのかもしれないという罪悪感で何も言えなかった.自閉症は生まれてこないことを望まれるほどのことなんだと思うと,恐ろしかった.父の迎えの車に乗って泣いた[前掲書:ⅲ].


自閉症という言葉は使われなくなり、自閉スペクトラム症と言われるのだが、その障害の重さがかなり違っている。

軽くて特別な知的能力をもつ人は以前はアスペルガーと言われていた。

そういう人の中にはノーベル賞をもらう人までいたのだが、高木さんは企業に就職は難しくても研究は立派に出来る能力を持っている。

就職できている人の中にも、人間関係が苦手だったり、自分がどういう立場なのかを認識できてない人もいる。

自分自身も、教師だから何とか長年続けられたのだと思っている。

10人まで位のグループでは何とかやっていけるが、大勢になると周りに合わせることが苦手であった。

だから、少人数の障害教育や人数の少なくしたクラスの担任や授業は何とか勤められた。

ただ、教壇に立ったり、バンド演奏でステージに立って大人数と接することはむしろ好きになっていた。

高校時代の同級生に大学院で研究していると言ったら、私が人と合わせられない性格なのでその道しか無いと思っていたと言われた。

おそらく性格としては私は研究者の方が合っていたかもしれないが、語学力などの実力が伴っていなかった。

なんとか仕事が続けられる場合は「性格」とされるが、仕事が続けられない場合は「障害」とされるだけのことである。


重度の自閉スペクトラム症になると、言葉が話せなかったり、上手く会話が出来なくなるし、知的障害を伴うことも多い。

確かに、そういう子どもをもつ親の困難さを特別支援学校では多く見てきた。

親が生きていて元気なうちは何とかなるのだが、その後が心配だと誰もが言っていた。

親でも持て余すこともある子どもを兄弟や親戚に任せることなど出来ない。

だから、施設を頼るしか無いというのも十分理解できた。

妊娠時の検査で障害が分かれば中絶するということも理解できるが、関連する遺伝子が分かっていても現実的には今の医学では特定は不可能だという。

そうなると、結婚相手に自閉スペクトラム症に関する遺伝子があるかどうかを見極めてからの結婚ということになるだろう。


しかし、そんな単純では無いことは、エリック・R・カンデルの本を読めば分かる。

コピー数の変異は、染色体上にある遺伝子数を二〇~三〇減らしたり増やしたりする。いずれの場合も自閉スペクトラム症のリスクが高まる[エリック・R・カンデル2024(2018):65]。

そして、一番気がかりとなるのは「デノボ(新生)変異」でこれは、「子どもがもつ突然変異のすべてが親のゲノムに存在するわけではないとわかった。成人男性の精子内で自然に突然変異が生じることがある[前掲書:68]」という。

デノボ変異の数は父親の年齢とともに増加することもわかり、年齢の高い父親ほど精子にデノボ変異が多いため、結果として自閉スペクトラム症の発症リスクを高める変異を子どもにも伝えやすい傾向がある[前掲書:69-70]。

そして、次のことは非常に重要である


自閉スペクトラム症の成人は、非自閉スペクトラム症の人に比べると子どもをもつ可能性が低いにもかかわらず、毎年、自閉スペクトラム症と診断される子どもの数は減っていない。非自閉スペクトラム症の父親の精子におけるデノボ変異が、自閉スペクトラム症の発症が持続している一因なのかもしれない[前掲書:71]」。


つまり、現代社会の結婚年齢の高齢化が続く限り、自閉スペクトラム症の起こる率は増え続けることになる。

現代社会では高学歴が求められるようになり、理系では大学院に進学するのが当たり前にさえなっている。

AIの活用で、中途半端な学歴では通用できなくなっているから、大学院への進学は増えていくだろう。

かつては若年層の結婚出産が問題にされていたが、高学歴者の結婚出産も大きな問題を抱えていることが分かると思う。

今の若い世代が不安を抱えず若いうちに結婚出産できる環境を整えない限り、自閉スペクトラム症の不安を感じる人は出産を敬遠するだろう。

そして、軽い自閉スペクトラム症なら、その人にあった仕事の形態で勤められる環境を整えるべきだと思う。

それには自閉スペクトラム症にたいするしっかりとした理解が必要だろう。

何年も障害教育に携わっていながら、今頃になって理解するのも哀しいことだが・・・・・・


2026年11月3日火曜日

飛べない気球

 先日の朝(10/31)犬と散歩していたら、大きな気球が遠くで見えたので驚いた。

そう言えば、家内から小学校で催しがあると聞いていたのだが、これだったのかと思った。

ロープで繋がれた気球の籠の中に何人か乗せて、小学校の3階くらいまでの高さまで昇らせて降りてくるの繰り返しをしている。

小学校は水田地帯の集落の外れにあって、小学校が一番高い建物である。

広い運動場で気球を上げて、小学校の近くにある専用の広い駐車場に、売店などのテントが張ってある。

遠くの小高い山から小学校に上がる気球を眺めたり。スマホで撮影しながら、近くまで歩いて行った。

近寄るに従って、気球に備わっているバーナーの大きい音が響き渡っていた。

いつも静かな村に、大勢の人が集まってきて賑やかで楽しげであった。



私は気球というと忘れられないことがある。

私は大学院の修士過程の時に、博士課程のあるM先輩に色々とお世話になっていた。

そのM先輩は大学は東京の有名私学、大学院修士は南山大学で、博士課程から都立大学で研究していた。

既に、南山大学の大学院時代には結婚して子どもも産まれていた。

私は南山大学に在籍したことがあったよしみで、可愛がってもらい、自宅にも招かれてごちそうを頂いたり、渋谷などで一緒に飲むことが多かった。

修士論文の清書も手伝ってもらったが、そのM先輩からも仕上がりの悪さを指摘されて、もう一年かけて書き直すように言われた。

しかし、私は心身とも限界がきており、自暴自棄のまま修論を提出して受理してもらい、進学を諦めることになった。

その時に私は自分をそばで支えてくれた人まで失って、生きる望みさえ失っていた。

M先輩も私の様子を感じ取ってか、それを思い留ませる意味だと思うが、M先輩が大学時代に所属した探検部の仲間の話をしてくれた。


その探検部の仲間は気球に乗って旅することが命を賭けた夢だった。

そして、ついにその念願の夢を果たした時に、もうやることは無いと言って自殺してしまったそうだ。

M先輩は私が、その仲間のようにまだ夢が叶ってないので、自殺できないだろうという意味のことを言った。

その話を聞いた時には、死にたい気持ちの慰めにはならなかったが、夢を果たせないまま自殺することは、ただの野垂れ死だと気づかせてくれた。

M先輩はあえてその経験した話をして、自殺を思いとどまらせてくれようとしたと思う。

私は博士課程に進んで研究者になる道は捨てたが、研究者になる夢は高校教師になって追い続けようと決心した。

また、私の大きな夢ではなかったけど、築こうとして果たせなかった普通に家庭を築いて、子育てをしていくことが細やか夢にもなり、それを実現することが出来た。


教師生活を続けて、論文を書いたり、出版もしたけれど、大学院時代からの念願の研究職に就くことは未だに出来ていない。

年齢を重ねた今は、研究職に就くことが最大の夢では無くなっている。

私たちが失ってしまった家族や親戚、近隣お人などと心を寄せ合って生きていくにはどうすればいいのか。

何がこれ程までに人々を追い詰めているのかを問い続けていきたいと思っている。

論文発表や出版だけに拘らず、こうしてブログを通して訴えていくのも一つの手段だと思っている。

私の夢の気球は今回見た小学校の気球のように、空高く飛び立てないかもしれないが、飛び立とうと炎を燃やし続けていることは確かだ。

M先輩がかつて予見したように、空高く飛べない私はしばらくは死ねそうに無い・・・・・




2026年11月1日日曜日

ストレスという呪いが生む独裁者

 ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロングはその著『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』(梅田智世訳 2020 合同出版)の中で次のように述べている。


ストレスは人間の健康に良いものではない。それどころか、ストレスは人を殺す。ストレスは心臓病、睡眠障害、消化不良、免疫系の不具合などの発生率を高める。うつの引き金にもなり、その結果、エネルギーや意欲が低下したり、無力感にさいなまれたり、死について繰り返し考えたり、単純にあきらめてしまったりする。それはどれも、生存を妨げる方向に作用する[前掲書:264]。


私は大学で文化人類学を学び始めて、最初に興味をそそられたのは、呪術(magc)だが、特に近代社会では失われてしまった邪術(sorcery)に関しては特にそうだった。

日本では藁人形を使って憎い相手を呪い殺したことは知られているが、それはテレビや映画で観るドラマの世界であり、「生き霊」での呪い殺しは古典での世界と思っている。

ただ、大学時代から村落調査で通っていた奄美では、当時はカミンチュウ(神人)やユタと呼ばれる女性には相手をクチと呼ばれる呪いの特別な能力があると信じられていた。

また、若い人でもケンムンと呼ばれる霊的な存在を信じている人が多くて、例えば海で亡くなった人を引き上げた人が亡くなったことなどをケンムンと結びつけたりしていた。

半世紀ほど前の調査当時のお年寄りは、生き霊や死霊としてのマブリの存在を信じている人や知識としてもっている人が殆どだった。

本土の人間も死霊に関しては、幽霊話として語り継がれてきており、交通事故や災害で亡くなった人と遭遇する霊体験の話に事欠かないでいる。

ただ、孤独死なども増え、葬式や年忌なども簡素化され、死者の霊に対する関わり方は希薄になってきている。


死の原因も医学的に説明されて、その死因に至る仕事ぶりや暮らし方を関連付けることが殆どである。

しかし、私は学校教師を早期退職した理由としては、現役教師が膵臓癌や心筋梗塞で亡くなる人を身近にいたことだ。

その多くが仕事熱心で、責任ある立場にあった人が殆どだった。

やりがいのある仕事や大きな責任を伴う仕事は、ストレスを意識できる状況で無いことが多い。

実際はプレッシャーなどもあって、かなりのストレスが身体にはかかっているはずなのだが、それを自覚できない場合が多い。

私もそういう状況にあって、そのストレスは飲酒や好きな食事をすることで誤魔化していた。

その結果が自律神経失調症だったり、糖尿病だった。

私は転勤をしてそういうストレスの多い職場から離れることが出来たが、そうで無い人の何人かが現役で亡くなっていったと思う。


仕事の上でのストレスだけで無く、家庭での夫婦や親子の不和が原因のストレスで膵臓癌で亡くなった人も身近に何人か知っている。

ある知人は夫婦別居状態にあって、その孤独を紛らすために外で飲み、酔いを車で冷まして明け方に帰ってきて出勤する生活から膵臓癌になって定年前に亡くなった。

私の父はストレスを解消するのに酒に頼り、休日は朝から焼酎を飲んでいた。

一升の焼酎を三日ほどで空けてしまうほどのアルコール依存症となり、脳梗塞を起こしてしまった。

退職後にアルコールを減らした後も、熱中症を起こす無理な農作業で脳梗塞を悪化させて、アルツハイマー症になってしまった。

酒が原因だと分かっていた父は、子ども達家族と一緒に飲食する席では、息子である私たちに「酒を飲むな」と言い続けていた。

しかし、父同様にストレスを酒で紛らせていた四人兄弟は、難病を抱えた一人を除いて飲み続けている。


一般に狩猟採集民はストレスを酒で解消することはほとんど無い。

しかし、一日の狩猟採集に5時間ほどしかかけず、家族や仲間とおしゃべりをして過ごしている。

また、大きな獲物がとれた時は。みんなで食べ尽くすまで、歌って踊っては腹を空かして食べるの繰り返しだった。

ただ、狩猟採集民もビンロウジ((檳榔子)が鎮痛剤や興奮剤として用いられていたほか、幻覚作用のある植物などを使っていたことは確かなようだ。

農耕が始まってからの薬物やアルコールへの依存に比べたら、程度は軽いものだったようだ。

砂糖栽培で黒人奴隷を働かせるのにラム酒が使われたことは有名だが、黒糖生産を行っていた奄美の人の焼酎好きもよく知られている。

肉体労働と飲酒がセットになっている場合はましなところもあるが、デスクワークのサラリーマンが飲酒や喫煙しかストレスを解消できなければ深刻になる。


医者は病気の原因である飲酒や喫煙を強く薦めるが、それに頼るストレスをどう解消するかは患者に任せている。

私は友人の医師から断酒を強く求められて、あえて断酒したら自律神経失調症になってしまった経験がある。

ストレスを解消する方法を身につけるまでに断酒や禁煙をしてしまうと、別の健康被害に遭うことになる。

心身の障害や病死の真の原因は飲酒や喫煙で無くてストレスであるのだが、現代社会の中で生きていくためには簡単には避けられない。

ストレスを解消するには多くの費用や時間の余裕が必要となり、特に子育てをしている現役世代には難しい。

かつて、医学が発達していなかった時代や地域では、呪いが死因となったように、医学が発達した現代社会はストレスが死因となっている。

アメリカでは医療もまともに受けられず、自殺に追い込まれる人が多いと言われている。

これは医者が治せるものではなく、それが神のように振る舞うトランプ大統領のような独裁者を創り上げているのかもしれない。








2026年10月28日水曜日

科学的精神療法とイスラム流自己無責任

 私は高校時代に宮城音弥の『精神分析入門』(1959 岩波新書)を読んでから、フロイトやユングの精神分析に大学時代も関心を持ち続けていた。

特に大学生時代に読んだ岸田秀の『ものぐさ精神分析』(1977 青土社)は、非常に分かりやすく、これによって物事を見る目が違ってきたように思う。

ただ、私が専攻していた文化人類学での文化そのものに関しては、岸田の言う「唯幻論」思考は常識的な基礎で、取り立てて強調する必要も無かった。

だから、精神分析は精神障害の治療と関係し、文化の分析には有効では無いと感じていた。


実際の治療に関しては、よく知っている精神障害を抱えたAさんは、当時は薬物治療しか受けていなかった。

1970年代から1980年代では精神療法はまだ治療としては日本においては確立されていなかったようだ。

私は国立大学病院に通院しているAさんから「自分は(薬事治療)のモルモットにされた」という言葉が忘れられない。

当時の精神科医の医者は患者に与える薬も手探り状態に合ったようで、色々と薬を試されているうちに副作用も重くなっていったようだった。

よく憶えているのは、Aさんと病気に関して口論になってしまい、彼は自分の飲んでいる強力な薬を私に投げつけたことがあった。

Aさんは自宅に引きこもっていたのだが、頭が朦朧とするような薬を飲み続けて苦しんでいることを理解できない私への怒りだったのだ。

本人からではなくAさんの母親からは後に、酷い時には自殺未遂までしたことを聞かされたが、その時には知らなかった。


後に、Aさんが幼い頃に母の再婚の折りに祖母にひとり預けられていたことや、母の再婚者との不仲で別居状態になったころは思春期であり自分を責めていたという。

その義父も別居後すぐに心臓発作で亡くなってしまい、Aさんの心の傷が残されたままになったことが理解できる。

そして、引き籠もりの大きなきっかけとなったのは、大学受験に失敗し浪人生活で寮に住んでいた時に生じた相部屋の人とのトラブルだった。

彼は相部屋の人に我慢が出来なくなって、母親に寮を出て家に帰ると訴えた時に、母親は叱って頬を叩いたそうである。

それ以来、家に引き籠もったり、時に家で暴れるようにもなったという。

若い頃は完全に引き籠もってしまったわけでなく、色々と仕事にも就いたが元気な時は頑張りすぎて、その後で落ち込んでしまい続けられなくなるの繰り返しだった。

今からその当時のことを振り返ると、症状としては双極性障害2型だったように思う。

母子家庭で大きな期待をかけられた心の負担が、大学受験での挫折と追い詰められたことが大きなストレスとなり耐えられなくなったのだと思う。

人によっては、それくらいのことを乗り越えられないでどうすると思うかもしれない。

彼の心は幼少期や思春期の傷を背負ったままだったので、耐えられなかったのだと今の私は思う。

そして、当時の彼には心に寄り添ってくれる人がいなかったのも追い詰められた原因となったのだろう。


今から思えば、幼い頃と思春期の心の傷を「認知行動療法」で治療していれば、改善できたのではないかと思えてくる。

エリック・R・カンデル*1は精神療法に関して次のように述べている。


精神科医はかつて、精神療法と薬物療法は異なる方法で作用すると考えていた。精神療法は心に働きかけ、薬剤は脳に働きかけるとみていた。しかし現在、現実はそうではないとわかっている。精神療法の治療者と患者の間の相互作用は、実際に脳を生物学的に変えることができる。この発見は驚くべきものではない。私自身の研究で、学習によってニューロン間の接続に解剖学的な変化が生じ、その解剖学的変化は、記憶の基盤になっていることがわかっている。精神療法は、結局は学習と記憶という一連のプロセスなのである[エリック・R・カンデル2024(2018):98-99]。


精神分析に始まった精神療法がやっと治療として認められ、薬物療法と併用して効果を上げられる時代になったという。

Aさんは昨年自宅に引き籠もったまま、一人で亡くなってしまった。

もし、この治療が彼の若い頃に確立されていれば、ずっと社会に出て働くことも出来たかもしれない。

ただ、救いだったのは、引き籠もり続けた彼は年老いて寝たきりになった母親を最後まで介護し続けたことだった。

彼が亡くなった時には母親は体調を崩して入院していたのだが、周りは気遣ってAさんの死は知らせなかった。

しかし、分かっていたのだろう、安心したかのように、後を追うように数ヶ月後に亡くなった。

現在は、精神的な障害で用いられた話すことによる治療は、現代ではインフォームド・コンセント(informed consent)にも活かされている。

しかし、現実は多くの患者を抱える医師がじっくりと患者と話し合えることは難しい。

CTやMRIでの検査に頼ってしまっているのが現状だと思う。


精神障害を生じて自殺にまで追い詰められる多い現代社会にあって、自殺の無い社会がある。

それが、イスラム教のアラブ社会である。

それは宗教上で禁止されていることが大きいが、根本的な問題は自己責任をとらされることが無いと言うことだと思う。

日本UAE文化センター代表、作家、エッセイストのハムダなおこは、自殺の無いアラブ社会の理由を次のように述べている*2


アラブには自己責任という思想はありません。自分の行状が今ある運命を導いたと結果づける倣慢さがないのです。人間の身勝手な自己責任という言葉を、対象を選ばずに拡大していったコロナ禍を機会に見直す時が来ているのではないでしょうか[ハムダなおこ2021:102]。


資本主義でかつ民主主義の社会では、自由で平等であるが故に自己責任が要求されている。

家庭環境に恵まれなかったり、たまたま運が悪い巡り合わせでも、「運も実力のうち」として、自己責任なってしまう。

そして、受験戦争に破れたり、就職戦線で負けてたら、努力が足りなかったとか、所詮実力が無かったということになる。

イスラム社会では宗教によって自己責任を回避できるのであるが、そうでない社会では追い詰められて自殺するしか無い。

特に顕著な学歴社会となった日本では、若者が追い詰められて自殺してしまっている。

イスラム教のような宗教を持たない日本人は、せめて精神療法で寄り添ってくれる医師が増えることを望むしか無いのだろうか?


人類の生態史から病気を研究している古澤拓郎は、その著書『ホモ・サピエンスの15万年-連続体の人類生態史-』(2019 ミネルヴァ書房)で、現代日本社会の抱える問題を明らかにしてくれている。

「個人主義化した社会のうつ病」[前掲書:106-114]の項目で、集団主義だった日本人が欧米化で個人主義に移行していったことがうつ病と関連していることを述べている。

「自己責任」とはまさしくこの個人主義の産物である。

学校と企業で家族・親族や地縁関係が崩壊させてしまったのでは、現代の先端医学での治療は焼け石に水となるだろう。

近年は個人の相談相手がChatGPTという驚くべき時代になってしまっている。

私が大学院での挫折で精神的に立ちゆかなくなった時に、電話で一番話し相手になってくれたのは母だった。

もし、母のような話し相手がいなかったら、自殺していたかもしれない。

知り合いのAさんが生き続けられたのも、母親や家族の理解し寄り添ってくれたからだと思う。

宗教でなくても、寄り添っていける人と仲良く暮らすだけで、人は何とか生きていけるように思う。


*1 エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり訳 2024 『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館THE DISORDERED MIND(2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]

*2 ハムダなおこ 2021 『アラブに自殺、イジメ、老後不安はない―ムスリムにならう幸福の見つけ方』 国書刊行会





2026年10月25日日曜日

音を聴くための耳栓

 耳栓は普通は騒音で困っている時や、水泳などで水が耳に入るのを防ぐために用いる。

私は騒音で困って眠られない時に、使った経験はあるにはあるが、工事現場などで使い続けた経験は無い。

一方で、水泳は社会人になってから健康や体力作りのためにし始めたが、当初は耳に水が入るのが気になって耳栓を使っていた。

ところが、耳栓をちゃんと管理せずに不衛生にしていたので、外耳炎や中耳炎を起こして耳栓をしなくなった。

水泳をしていたらどうしても耳に水に入るのだが、それを抜くこつもそれなりに得たのだが、やはり耳の奥の方に残ってしまうことがある。

そういう時は家に戻ってきてから、ティッシュをこよりにして、耳穴に差し込んで水分を吸収させていた。

プールの水は消毒液が強いので、どうしても耳の中が痒くなってしまって、以前はそれを耳かきで掻いたりして外耳炎になったりもした。

このところは、家に戻ってきてから、針の代わりに細い管の穴から三方向に水が出てくる耳穴洗う注射器で洗っていた。


このところ、シュノーケルを使った練習を多くしているので、水中に耳をつけている時間が多くなっていた。

だから、以前から水中でも音楽が聴きたいと思っていたことを実行した。

それは防水の骨伝導のイヤホンで、MP3の音楽を多くデーター保存して聴くことや、Bluetooth機能がついていて、スマホやPCからの音も聴くことができる。

この防水骨伝導イヤホンを主に水泳の練習で用い、雨降りの散歩にも用いたりしていた。

ところが、水中ではやたら低音やドラム音が響いてまともに聞けないことや、逆に音が小さすぎて聞こえないこともたびたびあった。

音の出る部分を耳穴の上にしたり、ずらしてみたりしたがあまり効果は無かった。

そもそも、水中と水上では音量も違い、聞こえ方も全く違っていた。


この骨伝導イヤホンも右側が故障して、左側しか聞こえなくなっていたし、充電してから使える時間も5時間ほどになっていた。

そろそろ、新しいものに買い換えようと思ってネットで探していたら、レビューの中で耳栓をしたらよく聞こえるという記事があった。

そこで、さっそくゴーグルに紐付けできる耳栓をネットで注文して取り寄せたのをつけて泳いでみると、レビュー通りに綺麗に音が聞こえる。

ただ、知り合いの人や監視員の人に話しかけられたら、耳栓を外さないと声が聞こえない。

その時はいちいち外さねばならないがそれは仕方ないことだろう。

その一方で、耳に水が入らなくなったお陰で、水を抜いたり洗ったりする必要が無くなった。

紐付けした耳栓の影響でゴーグルに水が入ったり、骨伝導イヤホンが外れやすくなっているので、それに対する対策もせねばなら無いとは思っている。


それにしても、骨伝導イヤホンは水中で音楽を聴くには耳栓をした方が良いという考えは全く思いつかなかったので、ネットのレビューには感謝しなくてはいけない。

ただ、ネットでAIで調べてみたらちゃんとそのことは書いてあった。

これからは何でもネットのAIに訊いてみる必要があることも気がつかされた。

耳栓が音や水を遮断するという固定観念が、水中で骨伝導イヤホンを上手く聴く方法を1年間も知らずにいたことも反省点である。

因みに、こういう骨伝導をイヤホンを使いながら泳いでいる人は身近にいなかったので、相談する相手もいなかったこともその原因であった。

それは私のようにシュノーケルも使いながら1時間半も水泳を楽しむ人が身近にいないからで、選手はコーチの声や合図を聞く必要があるのでつけなくて当たり前だろう。

ただ、ひたすら泳ぎ続けている人には、ジョギングやウォーキングで音楽を聴いているのと同じことが出来ることを知ってほしいと思う。

2026年10月23日金曜日

記憶を旅するパイプタバコ

 私は大学に入ってから煙草=シガレットを覚えて、結婚して子どもができて禁煙を始めて、三〇歳半ばで全く吸わなくなった。

大学時代は貧しかったので、SHINSEI(しんせい)という両切りの安い煙草を普段は吸っていた。

学生時代は今のように毎晩晩酌する金銭的余裕がなかったし、タバコも無くても平気だったが、有る時には一日に数本吸う程度で一箱を大事に吸っていた。

安いSHINSEIはシケモク(吸い殻)を吸うのは当たり前で、何回も分けて吸ったりして、指がやけどをするくらいまで吸い尽くした。

少し金がある時はHi-lite(ハイライト)、まとまった金がある時はHOPE(ホープ)や缶ピ(Peaceの缶入り)を買ってSHINSEI以上に大切にして吸い尽くした。

ただ、私の吸い方はどちらかというと煙の香りを楽しむ方で、肺にいっぱい吸い込むやり方では無かった。

大学院に入ってからは東京での孤独な日々が続き、安いコーンパイプやキセルを使って、タバコを楽しむことが娯楽の無い研究生活を支えてくれていた。

また、奄美に村落調査に行っていた時には、タバコは現地の友人にせがまれることが多く、その代わりに普通には聞けない情報を色々と頂いた。

ところが、アパートに籠もって修士論文を書き始めてから、タバコの吸い方が大きく変わってきた。

原稿を書き続けるために煙草を吸い続けるようになり、書く苦しみや疲れを忘れるために煙を絶やさなくなった。

結果的に論文は上手くまとまることが出来ず、十二指腸潰瘍が悪化したのでそれを改善するために喫煙を控えてジョギングを始めた。

しかし、論文作成の失敗で精神的に追い込まれ、生活は破綻してしまい、トランキナイザーが必要になるくらいに精神を病んでしまった。


私は立ち直るために研究をすることを諦めて、地元に戻って教師になることにして、採用試験の勉強に取り組んだ。

筆記試験まではアルバイトをしなかったので、飲酒や喫煙は控えめだったが、それが終わってからアルバイトを始めると飲酒喫煙は増えていった。

特に、パイプタバコが楽しみとなり、神戸に出かけた時には必ずたばこ屋によって欲しいパイプタバコを買ってきた。

教員採用試験に受かって、採用されたのが知的障害の特別支援学校(当時は精神薄弱者の養護学校と言った)に勤めることになった。

この学校での勤務は児童生徒が学校にいる限り、職員室に戻れなかったし、放課後も研修や会議が多かったので、タバコを吸う暇などなかった。

タバコは職場の仲間と飲む時に吸う程度になっていた。

そして、結婚してから子どもが出来たことをきっかけとして、禁煙に取り組むことになった。

私はニコチンへの依存性はそれほど無かったので、普段はそれほどタバコが欲しいとは思わなかったが、飲む席ではどうしても欲しくなりもらいタバコをした。

それでも、子どもが大きくなった頃には、一切タバコは吸わなくなっていた。

それからは、タバコは欲しいと思わなかったし、むしろ水泳をするのには妨げになるので、全く縁が切れて、むしろ煙草の臭いが嫌いにさえなっていた。

高校教師になってからのタバコは、生徒が喫煙行為で特別指導を受けるので、生徒指導部では取り締まる側、担任としては特別指導に携わる側として苦労が絶えなかった。

一番嫌な思いをしたのは、野球部の生徒の喫煙を見つけて報告したら、生徒指導部長にもみ消されてしまったことだった。


ところが、そういうタバコとの無縁の生活が徐々に変わっていく。

定年前に早期退職して、研究成果を出版しようと、長時間文献にあたったり下書きを書いていると、気分転換が欲しくなった。

最初は、タブレットやガム、飴などで行っていたが、タバコのような物が欲しくなって、電子タバコ(VAPE)を吸うようになった。

ニコチンなしのタバコ風味を吸ったりして少しは気分転換できたが、香りとしては全く別物に感じて、そう長続きしなかった。

やはり研究だけしていると体調を崩してしまったので、農作業に力を入れ、水泳やギターなどをやり始めると、そういう気分転換のものは必要で無くなった。

ただ、飲酒の方は毎晩晩酌し続けているし、現役の頃は休日には朝から飲むこともあったが、歳を重ねるうちに量は減って行った。


しかし、そんな私に大きな落とし穴が待っていた。

それが、   デイヴイッド・T・コートライト 小川昭子訳 2003 『ドラッグは世界をいかに変えたか-依存性物質の社会史』 春秋社 FORCES OF HABIT: Drugs and the Making of the Modern World(2001)[デイヴイッド・T・コートライト2003(2001)]だった。

これは以前読んでいたのを先日読み返したのだが、自分がシガレットとパイプタバコを同じように捉えていたことの誤りに気がつかされた。

「シガレットは、機械時代のシンボルである。そこでは最終的に歯車や車輪やレバーの役目を人間の神経が果たすようになる」[前掲書:156]という論評を紹介している。

時間をかけてゆっくりと香りを楽しむパイプタバコや葉巻に革命を起こして、ニコチンの力で人を働かせる道具にしたのはシガレットであった。

このニコチンに関して、ダニエル・Z・リーハーマン&マイケル・E・ロングは次のように述べている*1。


ニコチンのおもなはたらきは、ニコチンそのものに対する渇望感を和らげることにある。まさに完壁な円環だ。煙草を吸う唯一のポイントは、ニコチン依存症になり、その結果生じる渇望に伴う不快感を和らげる快感を体験することにある。たとえるなら、荷を下ろしたときの爽快感を味わいたいがために、一日じゆう岩を持ち歩くようなものだ[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):77]。


シガレットはドラッグとしてのその快感を利用されて、企業は大儲けし、日本政府は専売公社で国民の多くを蝕み続けていたのだ。

欧米人が驚くほど日本人の多くがシガレットを吸い、かつては肺がんが癌の中で一番の死亡者を出すまでになっていた。

シガレットは日本人にとって、仕事人間を作り出すドラッグであり、そして多くの喫煙者を肺がんで死に至らす麻薬だった。


それに対して、パイプもニコチンは含むが、シガレットのように肺に多量のニコチンを送り込むための物では無い。

しかし、かつての私はそのニコチンそのものよりも、香りに魅せられたタバコの依存症であったことは確かだった。

タバコはドラッグ=薬物と捉えられるが、エリック・R・カンデルは次のように述べている*2


薬物依存症は長期記憶の一種である。脳は、特定の環境的な刺激と快楽を結びつけるよう条件づけられており、そういった刺激に遭遇すると薬物を使用したいという衝動が引き起こされる。快楽の記憶は、依存症患者が薬物の摂取をやめた後も長期間、続く[エリック・R・カンデル2024(2018):274]。


今、私はパイプタバコをシガレットとは違うことを言い訳として、パイプタバコをまた手にしてしまいその悦びを味わっている。

実は、昔のパイプはブリキ缶箱に入れて棚の隅に置いていたのだ。

AMPHORAを龍野のたばこ屋まで行って買ってきて、火をつけて吸い始めると昔のように少しの煙で長い時間吹かすことが出来た。

そして、若かりし日々の記憶は具体的な出来事では無くて、気分として甦ってきた。

そのかつて経験していたタバコの香りに包まれることは、過去の自分の感情を取り戻すことでもあった。

タバコの香りの記憶は恋人や友だち、妻との感情としての記憶に結びついて残されていた。

悦び、悲しみなど喜怒哀楽を全部含んだ心としての記憶に旅をさせてくれるのがタバコの香りだった。

薬物依存症は現代では脳障害と捉えられている[前掲書:276]というが、私は酒とタバコの軽い脳障害のおかげで、こんな時代でも生きていられているとも思っている。

本当は酒も煙草も必要なかった頃のような暮らしを取り戻せたら、どんなにか幸せだろうとは思っているが・・・・・・


*1 ダニエル・Z・リーハーマン&マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020 『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』 インターシフト  THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity  and Will Determine the Fate of the Iluman Race(2018) [D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)] 


*2 エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり薬 2024『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館 THE DISORDERED MIND  ( 2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]








2026年10月21日水曜日

サイバー攻撃と「戦いメカ」

 哲学者が用いる「戦争機械」という用語は、元々はフランスのドゥルーズ、ガタリが用いた”machine de guerre"の訳語である。

しかし、”guerre”と「戦争」は似ているが、日本では「guerre de l'audience|視聴率合戦」

「guerre des rabais|安売り合戦」には、戦争を用いない。

日本史で「戦争」という用語が用いられるのは、戊辰戦争くらいからで、「関ヶ原の戦い」をはじめとして、「戦い」「乱」が普通である。

つまり、明治維新以降の近代戦に用いられてきたもので、現代では経済戦争や関税戦争など軍事力を行使しないものにも用いられている。

しかし、哲学者が用いた”guerre”は必ずしも、近代戦以降に用いられた言葉ではなさそうだ。

"machine"に関しても、「機械」以外に装置、機構、仕組み、組織という意味で用いられるが、日本語では「機械」をそういう意味で用いられることはない。

日本の哲学者は一般の日本人がその用語からどう理解するかを考えないで、用語を訳したように思える。

自分なりに解釈すれば、「戦争機械」というよりも、「戦いメカ(戦いのメカニクス)」の方が私にはイメージしやすい。


どうしてこういう用語が必要かというと、流血をともなう軍事力の攻撃だけでなく、さまざまな 攻撃で、国家や企業、市民が危機に陥っているからである。

例えば、経済的な金融による操作では、一国の経済が破綻したし、現代のサイバー攻撃では

企業が営業停止に追い込まれている。

サイバー攻撃に関しては日本はどちらかというと無関心でいられた、それは日本語という特殊性に守られていたからだという。

ところが、現代はAIのお陰でその日本語が防御にならなくなった。

このbloggarによるブログも日本よりも海外で多く読まれるようになったのはAIが利用されるようになったからだ。

このサイバー攻撃で日本人はドゥルーズ、ガタリが用いた”machine de guerre"すなわち「戦いメカ」に関心を持つようになると思う。

AIは確実に戦いメカとなって日本人の生活を脅かすところまでになったので、その本質を気づかされたということだ。

これで、量子コンピューターが実装備されれば、暗号も簡単に解読されてあらゆるセキュリティーが無意味となるだろう。


かつて文化人類学は現代文明の反省すべき点を明らかにするものとして、「未開」と呼ばれた地域に住む人々を研究した。

しかし、哲学のように現代文明を軍事分野を含めてしっかりと把握することは得意では無かった。

一方、経済学に関しては、軍事や戦争に関してはあえて無視しているようにさえ思える。

現代世界で行われている流血戦争は経済的に敵を追い込む戦法をとっており、アメリカがベネズエラに対して行ったような戦術で片がついた方が稀なのだ。

日本国民は流血戦争に関わる軍事には神経質になるが、経済的に攻撃し合う戦いメカには無神経なところがある。

中国や北朝鮮、ロシアなどの犯罪集団によるサイバー攻撃を受け続けながら、台湾有事という流血戦争への危惧に振り回されている無策ぶりなのだ。

もう既に、国家同士の戦争以前に市民の中における戦争は始まっているのにだ。


参考文献

É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019  『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社



2026年10月20日火曜日

受験戦争の勝利者たちとその最期

 私の住んでいる村には大学卒業以上の学歴をもつ者は、私と家内以外には殆どいない。

私の息子も一緒に住んでいるが、大学は中退で学歴としては高卒である。

大卒以上の職場としては、学校や町役場などの他、老人施設などがあるが、数も知れていて農家の跡継ぎでもある人は稀だ。

父方母方を問わず私のイトコも、赤穂近辺に住んでいたのは私以外には大卒はいなくて、大卒は全て赤穂近辺から離れていた。

一人だけ夫が大卒で、本人は短大卒のイトコが赤穂に住んでいたのだが、現在は転勤になった夫と東京で暮らしている。

同じ中学高校に通った赤穂の同級生で、大卒以上で地元に戻ったのは警察官になった一人だけだった。


大卒の職場があまりない地方にとって、大学への進学は地方から離れることを意味する。

良い大学に入ることが本人にとっても、親にとっても名誉に思えていた大学受験の本質は生まれ故郷や親から離れて暮らすことでもあった。

私の親は子どもがしっかりと受験勉強して、良い大学に入るように生活を切り詰めていた。

その結果、一番受験に成功した弟は親の近くで暮らすことも無く、どちらかというと私のように結果的に失敗した者が近くで暮らすことになった。

赤穂で生まれ育ったイトコでも、親と一緒に暮らしたのは、大学受験に失敗した高卒者だけだ。

逆に言えば、都会は大学受験に成功した人たちによって成り立っており、地方からの流入は大切な戦力なのだろう。


そう言えば、東京都立大学の大学院にいた時に、教官から「長男は家に残って親の面倒をみるものだ。自分の長男の兄は田舎で親と暮らしている」という意味のことを言われた。

この時、「また古いことを言う人だな」と思っていたのは、当時でも既に地方出身の長男であっても都会の大学に出てきている学生が溢れていた。

逆に東京に親が住んでいても、東京以外の地方の町での勤務になる大学の先生もいた。

私たちの先生の世代は長男以外に遺産として学歴をつけさせていたが、もうその時代は終わっていた。

私の親は子どもに均等に学資を与えて、誰か一人が親と一緒に暮らしてくれるだろうと思っていたようだ。

特に受験戦争で成功した弟を跡継ぎにしようと思っていたようで、弟も父親と同じ企業に就職していたが、そのようにはならなかった。


学歴社会と言われて久しいが、学歴による地位や経済格差などを問題するが、伝統的な家の崩壊、地方の地縁関係の崩壊を問題にしてこなかった。

そして、受験戦争に勝ち抜いた英雄たちが、退職した後にどんな暮らしをしているかより、老後の生活の経済問題や健康問題しか話題にならない。

私の弟の一人は健康に大きな問題を抱えていたので、母親が心配して仕事を辞めるように勧めたが、弟は「仕事をとったら何も残らない」と言っていたそうだ。

地方に戻ってきて教師をやっていた人にも、退職後で家にいても何もすることが無いと言って、非常勤でも教師を続ける人が多いことも確かだ。

私は田舎に住んでいるので、自分たち以外に大学以上の学歴を持った人の老後の生活を目にする機会が殆ど無い。

家の周りでは勤め仕事を辞めた人の多くが農作業をしたり、趣味の釣りなどをして楽しんでいるのが殆どだ。


私は都会の大卒者の老後はほとんど知らないが、今朝(10/20)の羽鳥慎一のモーニングショーで有料老人ホームのことや高齢者の厳しい暮らしぶりが放送されていた。

東京23区の有料老人ホームは入所に最低でも2,000万円必要なので、生まれ育った町を離れて群馬県の施設に入所する人が紹介された。

ということは、退職金は2,000万円以上あり、多くの貯金や年金、不労所得がないとそういう施設には入れないということだ。

まだ働ける人は年金が少ないと福祉施設の過酷な現場で働かねばならない。

大企業や官公庁などに入った受験戦争の勝利者の多くは、そういう人に支えられて都内の有料老人ホームで悠々自適の生活ができるのかもしれない。


ただ、究極の最期として考えさせられたのは本人の葬式のあり方だ。

昨日朝(10/19)の羽鳥慎一のモーニングショーで、都会の葬式での火葬の話が出ていた。

東京などの都会では火葬場が足りなくて、亡くなってから火葬されるのに二週間ほど待たねばならないということだった。

こういうことは家内の知り合いが大阪で一週間ほど火葬を待たされたことを聞いて知ってはいた。

私は名古屋の叔父が亡くなった時に、八事の火葬場に行ってその巨大工場のような火葬場に驚いた経験がある。

多くの人の火葬を行うにはそれなりの巨大な施設が必要だと思い知った。

東京23区では公営2カ所、民営7カ所の火葬場があるそうだが足らなくて、長い期間待たされてしまう。

その間は遺体は霊安室で保管してもらうのだそうだが、保管の仕方によって一日あたり3,000円から15、000円の違いがあるそうだ。

葬儀屋さんに頼んだりしたら高額になれば一日25,000円にもなるということなので、それが二週間となればかなりの出費となる。


出費は生前かけていた保険でまかなえるかもしれないが、葬式までの間は霊安室で冷蔵保存されることに尊厳喪失を感じてしまう。

受験戦争を勝ち抜いたエリート達が、最期はそういう人間らしからぬ扱いを受けねばならないことは感慨深い。

その点で言えば、地方では友引を避けたり、遠くの近親者を待つために、葬式を日延べすることはあるが、火葬場の都合で伸ばされることはほぼ無い。

そして、遺体のそばには誰かついていて、蝋燭や線香を絶やさないのが普通だと思う。

受験戦争などの勝利者かどうかに関係なく、田舎の人間の最期は人間らしい尊厳を持って旅立てる。

私にとってこのことの意味は大きく感じられる。

















2026年10月18日日曜日

悩ましい寝台列車瑞風の旅

 テレビでTEILIGHT EXPRESS瑞風が紹介されるたびに、家内と観ながら一緒に乗ってみたいねといい合う。

しかし、最後はかかる費用にため息が出ておしまい。

実は亡くなった家内の母はこういう列車に生前に乗りたいと言っていたそうだ。

亡くなった時の貯金を思えば乗れないわけでは無かったと思う。

年金暮らしだった義母は病気になったら病院で個室に入りたいからと言って、義父に先立たれた後も無駄なお金を使わずに貯金していた。

結句、入院しても個室には入らないまま、多く残った貯金は全部遠くで暮らしていた息子の財産となった。


今考えれば、家内に一緒に乗ってあげるように言えば良かったと思うのだが、おそらく義母のことだから頑として断ったと思う。

本来なら義父が元気な時に夫婦で乗ることが出来れば良かったのだろうと思う。

でも、自分たち夫婦自身、二人でこんな大金を数日で使う勇気が無い。

希望者が多くてなかなかチケットが取れないことを考えると、それができる人が多くいることも確かなのだろうと思う。

私自身は老後のことを考えずに元気なうちに無理をしてでも、一時の幸せを味わうことは悪くないとは思っている。

老後の不安でお金を貯め込んで置くよりも、自由に動けるうちに幸せを感じられるのなら、それは決して無駄なお金では無いと思う。

だけど、実際に乗る勇気を出すきっかけが、今は見つからない。


一方、私は若い頃に恋人や友だちとの楽しい列車や船の旅を経験している。

鈍行列車であったり、二段ベッドの寝台列車、二等船室であっても、好きな人や仲の良い友だちと過ごせればどんなに楽しいか知っている。

若い頃は瑞風のような列車に乗らなくても、充分に悦びを感じることが出来た。

そのことを言うと、家内は黙っていたが、家内自身は友だちとのリッチな旅の経験があったので幾分分かっていたはずだ。

家内と私の違いは、私は貧乏旅行だったが、家内はしっかりとアルバイトして貯金をした高額のお金をつぎ込んでいた。

家内は私がしてきたような、極力費用を削った旅行の経験は無い。

一方の私は家内との新婚旅行で初めて飛行機に乗って海外に出かけて一流のホテルに泊まる経験をした。

ただ、教師になってからは修学旅行などで、それなりのホテルに宿泊することがあったが、それはあくまで仕事としてであった。

仕事抜きの豪華な旅行はほとんど経験が無かったけど、子どもが出来てからの家族・親戚旅行を含めて、細やかながら楽しく過ごす経験は夫婦ともあるにはある。

子どもと一緒なら、豪華な旅行で無くても楽しく過ごせたこともよく知っている。

その子どもも大きくなって、しかも孫はいないので娘夫婦と一緒に旅行に出かけることもない。


今は出かけるのは家内と二人だけのことが多く、日帰りで展覧会や催しに遠くて京都あたりまで出かけることが年に数回ある程度だ。

私は学生時代から手作りの旅行を楽しんできたのだが、家内は枕が変わると眠られない性格なので、無理のある旅行を計画することはできない。

だから、旅行会社の海外旅行や、寝台列車瑞風でのツアーが良いとは思っている。

旅慣れた者にとっては、無駄なお金のように思えても、旅慣れていない人を旅行に誘うのはそういう旅なのだろうと思う。

先日も、たまたま踏切で瑞風がゆっくりと上郡駅の方に向かっているのに出会った。

中に乗っている人は、どんな気持ちでこの田園風景を見ているのだろうと思いつつ、平日の昼間に紛れ込んできた夢の姿に見とれていた。

学生時代は青春18切符で、たった一日2000円ほどで楽しめた旅行だが、今は夫婦二人で楽しむにはその何十倍もの費用が必要なのだと分かってはいる。

若さとはそういう悦びをたやすく手に入れられることであり、歳をとるとそれに似た悦びを得るには大きな金銭的負担が必要ということを自分に納得させるのが悩ましい。














2026年10月12日月曜日

ノーベル賞の価値への疑問

 ノーベル賞のこれまでの獲得数を国別ランキングで言うと、ベスト5は以下のようである。

1位:アメリカ(約296〜297人)2位:イギリス(約94〜110人)3位:ドイツ(約84〜86人)4位:フランス(約63〜64人)5位:日本(約31人)

因みに中国(12人)は17位、インド(9人)21位、韓国(3人)40位となっている。

国民一人あたりのGDPはアメリカ8位、イギリス20位、ドイツ18位、フランス27位、日本36位、中国74位、インド146位、韓国35位となっている。

今回の日本人の受賞に関連して、現状の科学の基礎研究では将来の受賞を危ういと指摘された。

しかし、ノーベル賞では40位の韓国に一人あたりのGDPでは劣っており、むしろこんなGDPでよく健闘しているなと感心する。

逆に言えば、日本の研究者は日本のGDPにそれほど貢献していないことになる。

そして、日本は上位5カ国に比べて、平和賞が少ない上、経済学賞に関しては0である。

それが平和憲法をもち、かつては経済大国と言われた日本の現実であることを思い知らされた。


ただ、どうもこれほどノーベル賞に拘るのは先進国の中では珍しいそうだ。

自国に原爆を落とされたのに、その開発に関係するドイツの化学者オットー・ハーンや物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクがノーベル賞を受賞していたことを気にしていない。

特にヴェルナー・ハイゼンベルクは原爆開発の中心的役割も果たしたということだが、アメリカの原爆開発を促したアインシュタインもノーベル賞を受賞している。

人類の破滅を促すような研究が評価されていても、ノーベル賞の価値は揺るがないできている。

むしろ、昨年はノーベル平和賞をもらったベネズエラのマリア・コリナ・マチャド氏がトランプ大統領にメダルを贈呈してその政治利用を哀れに思ったりもする。

今回は国際刑事裁判所(ICC)元判事および国連人権高等弁務官などを務めた南アフリカ出身のナビ・ピレイ氏の受賞は、トランプ大統領への当てつけともとれる。

それに対して、トランプ米政権は9日、国際刑事裁判所(ICC)に対する幅広い制裁措置を発表することになった。


ノーベル賞の獲得数で圧倒的に多いアメリカのトランプ大統領がノーベル平和賞を欲しがったのはオバマ氏への対抗意識もあるだろうが、中間選挙を優位にする目的もあっただろう。

そういういわく付きで政治利用もなされるノーベル賞を、疑うこともなく大きな価値を見いだそうとする日本人やマスコミの報道の仕方に疑問を感じざるを得ない。

ただ、オリンピックで金メダルを獲ったり、映画や音楽でのコンクールで受賞しているのと同じ感覚だとも言えるので、罪はないのかもしれない。

科学者は国からの支援資金が少なくこのままだと、日本の基礎研究は行き詰まってノーベル賞の受賞が無くなるという発言には疑問を感じる。

国民一人あたりのGDPが韓国よりも低い日本がノーベル賞の獲得数で圧倒するのは、国民の経済を犠牲にしているのではないのでしょうか?






2026年10月10日土曜日

怒って馬謖を利用する高市総理

 馬謖(ばしょく)とは「泣いて馬謖を斬る」というたとえの人物のことで、中国に三国時代蜀の諸葛孔明が可愛がっていた馬謖を指示従わず大敗の咎で斬罪したことに由来がある。

高市総理にとって簗大臣はまさしく馬謖に近い可愛い存在だった。

選挙で対立した地元自治体の予算をカットしたとの発言が報じられた簗和生農林水産相の問題は、会見で発言を撤回し謝罪するも、続投の姿勢に批判が噴出しているという。

「とにかく私の大事なやなちゃん」として、選挙区で落選して比例で復活で、"裏金"の不記載額も突出して多かった人物をみそぎも出来ていないまま高市総理は起用した。

小選挙区の戦いに敗れ、その意趣返しを予算カットで行い、選挙運動でも違法行為が伝えられている部下をなぜ斬れないのかが国民の思うところだろう。

本来なら農水大臣はこれから一番米価問題で矢面に立って、政権を支えねばならない重要なポストだろうが、地方を基盤とする農水族には熱望されるポストだという。

だから、簗大臣は念願のポストを得られたわけであり、高市総理はおねだりを叶えてあげたわけである。

昨日(10/9)も朝のテレビニュースで鈴木宗男氏から厳しく叱責されているシーンが放映されたが、大臣は謙虚に侘びていた。


このところ、いじめられていると見られると、却って民衆から同情を得ることができる。

身近なところでは兵庫県の斉藤知事であるが、県民からの同情を得て知事を続けている。

今回も、簡単に責任をとらせて止めさせる必要は無い。

野党は衆議院では全く相手にする必要も無く、参議院をやり過ごせば圧倒的な衆議院の数で何とかなる。

野党やマスコミに簗大臣をいじめさせ、自分や自民党議員からも突き放されても頑張っているのを民衆が見ればきっと同情をかうだろう。

普通の国会議員ならプライドと責任を感じて自ら辞任するだろうが、大臣にはプライドもなさそうだし、高市総理の策略に乗っていた方が可愛がってもらえると踏んだのだろう。

今の自民党にとっては理念理想よりも、民衆の心を掴む高市総理の魅力に頼る方が得策なのである。

ただし、これも内閣支持率が保てていればの話で、アメリカのトランプ大統領のように直接民衆から選ばれたわけではないので強気を通せるわけではない。


このところ、沖縄での米軍兵士による強盗殺人事件が大きな問題になっている。

もし、これが沖縄知事選挙の前に起こっていたなら、選挙の結果は変わっていたかもしれない。

辺野古での事故でネットで晒された同志社国際高校の教諭が列車に飛び込み自殺して以来、民衆の同情は引き裂かれた状態になっている。

基地がある以上、こういう痛ましい事件が起こることは避けられないことが分かっていながら、自民党政権との関係を重要視した県民に対して安易に同情できるものでもない。

表面上は高市総理も事件への抗議の姿勢を見せているが、台湾有事を口にして中国との関係を悪化させた手前、徹底して対処できないだろう。

この米軍基地問題の方がむしろ厄介なので、簗大臣をスケープゴートにして晒しておいて、上手くいけば同情を得られると思っているのかもしれない。

高市総理はなかなかの策士に思えてきた。


追記

その後、高市総理も苦渋の決断をせざるを得なくなり、簗大臣は辞職せざるを得なくなった。

後任の武部氏は二世議員でしかも父親も農水大臣の経験者なので、無難な人事と言うべきだろうが。

現在、アメリカとの間で生ジャガイモの輸入をめぐる問題が生じている。

地盤の北海道12区はジャガイモの一大産地なので、今後厳しい局面に立たされることになるだろう。

高市総理が武部氏を懐柔するつもりなのか、潰すつもりなのかは今後の日米交渉の結果次第だと思うが、策としては悪くないのかもしれない。

ただ、「愛する簗ちゃん」の登用の失敗から、策士高市総理の底が見えてきたような気もする。







2026年10月9日金曜日

柴栗に知るジャンクな味覚

 先日、大学時代のゼミ仲間のラインで柴栗のことを書いたら、一人から「柴栗とは何?」と書き込まれていた。

彼は長く教育委員会の発掘業務に携わってきた友人で、今は高校の地歴公民科教師をしている。

柴栗は日本では縄文時代から食用とされ、今の栽培栗の原種と言われている。

主な自生域は、北海道南部(石狩・日高地方以南)から本州、四国、九州、屋久島にかけての日本各地で、日本国外では朝鮮半島南部の温帯・暖帯地域にも分布という。

私が村落調査で通っていた奄美には自生していなかったが、その代わりにかつては椎の実を多く拾って食用にしていた。

縄文人がドングリを食べていたことはあまりにも有名だが、考古学をかじっている者でも柴栗の存在は忘れ去られているらしい。


そういう私も柴栗に出会ったのは、教師になってからで、生まれ育った赤穂では見かけたことはなかった。

龍野にあった勤務校の裏山にいっぱい柴栗がなっており、それを休憩時間などに拾いに行った。

地元の人も拾っていたが、一番の競争相手はイノシシやシカで、食い散らかされているのをよく見かけた。

その後、上郡に住むようになって、近所の山や山際に柴栗が自生しているのに出会った。

実は近隣の山はイノシシ対策で3mほどある格子の鉄柵の囲いで簡単には入られなくしている。

だから、普段に拾えるのは山際の道に落ちている柴栗が殆どで、たまに遠くの山奥までアケビを採ることをかねて拾いに行っていた。

今年も犬と散歩していたら、柴栗が落ちているのを見つけて、さっそく立ったまま拾えるマジックハンドと肩から提げる布袋をもって散歩を始めた。

現在は誰も拾う人も無く、場合によって車に踏み潰されているのだが、人通りの多いところや、鉄柵が有るところでは道ばたの柴栗はシカやイノシシに食べられていない。

先日などは1kg位拾えたので、ネットで保存方法を調べる冷凍保存方法が載ってあったのでそれを参考にした。

まず、水につけて選別したが、以前に買ってきた栗を洗う時には水に浮く物があったが、拾ってきた柴栗は全部水に沈んで問題なかった。

ネットでは水気を布などで拭いて取ると書いてあったが、日なたで夕方まで乾かしてから、ジップロックに重ならないように入れて冷凍した。

こんな風に多くとれた時は冷凍保存するが、普段はサツマイモや落花生と一緒に蒸して食べる。


柴栗は小粒で1cm前後ほどしかなくて、売っている栗に比べると食べづらい。

しかし、先日道の駅で買った栗は半分ほど中が虫にやられていて、味も大味で美味しくなかった。

売っている栗は当たり外れがあるようで、見た目だけでは中の様子が分からない。

丹波篠山で焼き栗を売っているが、非常に甘くて美味しいけれど、値段が半端ない。

柴栗は食べづらいけれど、私はそのまま口に含んで前歯で縦に半分に割って、大きいのは指を使うが、小さいのは口の中で舌と歯を上手く使って中身をほじくる。

売っている大きな栗なら料理はさみやスプーンを使って食べるのだが、小さいのでそんな手間はかけない。

殆どの栗は虫もいないし、痛んでもいなくて、ほんのり甘くて美味しい。

その蒸し柴栗は今の私には大切なお酒のつまみでもある。

柴栗はいくら食べても飽きないし、消化にも良いようでお腹にはもたれない。


一番驚いたのは、サツマイモや落花生も同じように食べられるが、スナック菓子がまずく感じて食べられなくなった。

その味付けが非常に不自然なのを感じるようになって、食べたくなくなってしまった。

今まで、つまみとして毎日のように家内が買ってきたジャンクフードのスナックが、いかに作られた味かを思い知らされた。

枝豆も買ってきたり自分で栽培した物を食べるのだが、あまりそういうことを感じたことがなかった。

やはり、柴栗は自然な味わいを残しているのだと改めて知った。

ネットでは川上屋の干菓子: 岐阜県中津川市の老舗菓子店川上屋では、最高級の和三盆糖に栗の粉末を加え、山栗の形に仕立てた伝統的な干菓子「しば栗」を販売しているとあった。

おそらく、昔から食べていた柴栗を懐かしんで作られているのだろう。

栗は加工して色んなスイーツにもなるし、栗きんとんは正月のおせちは欠かせない。

しかし、柴栗の素朴な甘さの方が舌に馴染んで、病み付きになるのでお薦めだ。

我々は縄文時代から食べ続けている柴栗を大切にして、イノシシやシカなどの共存しながら生きていきたいもんだと思う。


2026年10月7日水曜日

イスラム理解・その4~イスラム教徒と日本人の信仰の比較

  長岡慎介の著『イスラームからお金を考える』 (2024 筑摩書房)の1章では分かり易くイスラム教のことを解説してくれている。

今後、イスラム教が世界で一番信者の人口が多くなるということなので、もっと知っておく必要があるだろう。

アッラーに関しては自殺との関連で上手く説明してくれている。

つまり、「自分の成功をアッラーのおかげだと感謝するのと同時に、失敗もすべてはアッラーのせいだと考えてもよいことを意味しています[前掲書:27]という。

日本人もかつては「運が悪かっただけ」と言って、本人の責任を回避させてくれていた。

現代の日本人は「自己責任」が非常に求められて、失敗は本人の努力が足りなかったからだと責められる。

私自身、日頃の行いや神や仏への信仰心が篤ければ運が良くなると思ってはいたが、試験の得点やスポーツの記録はそれとの関係が薄く、しかも人生を決めてしまうことさえある。

日本人は受験や競技会の前に神社・仏閣にお祈りに行くが、上手くいった時にはお礼に行って、そうでない時に、神や仏のせいにはしない。

イスラム教徒は戦争でもない限り自殺はないが、運や神仏の責任出来ない日本人は追い詰められた多くの人が自殺するということになる。

日本人も今のように資本主義の徹底した時代になるまでは、学歴や実績の数字や賞はそれほど重要な意味を持っていなかった。

今の日本人を救ってくれるのは神や仏ではなくてお金なのであるが、イスラム教徒はアッラーだということだ。


そして究極の目的は「あの世での救済を受けるため、すなわち天国に行くため[前掲書:28]」ということになる。

これもかつての日本人は、極楽に行くことを信じて、阿弥陀仏を拝んできたが、現代ではそれを真剣に信じている人は限られているだろう。

儒教に関しても、人格神はないけれど天道(天の神、宇宙の秩序)が、道徳を守ることを見て運命を左右することと信じられていた。

イスラム教徒はクルアーン(コーラン)を暗誦して、それを生活の実践としていたように、日本人の論語やお経を暗唱して、その教えを理解して実践しようとしていた。

しかし、現代の日本人は論語も受験対策程度となり、お経も僧侶以外は唱えることも無くなってきた。

逆に言えば、かつての日本人は今のイスラム教徒と似たように天国、極楽に救いを求める信仰をしていたということだ。

これも徹底した資本主義の教育によって、金銭とそれに付随する名誉が至上のものとされる価値観に支配されるようになった。


私の父親は非常に現実的な金銭感覚で私を指導してきたが、私の母はその母親(わたしにとって祖母)が、非常に信仰の篤い人だったので父とは正反対だった。

残念ながら母も祖母もイスラム教徒のように、商売などの仕事には長けてなかったので、金銭的には自律できてはいなかった。

ただ、祖母は祖父が戦死した後は、勤めに出ていたし、株の売り買いで収入を得ようとしていたが、遺族年金が重要な収入源だったと思う。

私の世代から上の世代は、父親と母親の金銭感覚と信仰のバランスで、家族や親戚の関係が保たれていたように思う。

イスラム教徒は常に金銭感覚と信仰のバランスをとりながら、人と人との関係を築き上げているので、信者を増やしているのだと思った。

そういうバランスを失ってしまった日本人は、心を病んだり自殺する人が多くて当たり前なのだろう。

私自身は父親の妥協のない姿勢に追い詰められてもいたが、母方の祖母が隣に住んでいて逃げ場が確保できていた。

受験生だった当時の私は馬鹿にしていた言葉だが、祖母がいつも口にした「えろう ならんでええ(偉くならなくて良い)」が、大切な救いの言葉だったように今は思える。



2026年10月5日月曜日

人新世のエコロジー戦争とアメリカ

 人新世は地質学用語でありながら、正式な地質時代とは認められていない。

ただ、広く用いられているのは、産業革命以降ということだろう。

 [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016)]は次のように述べている*1

南極北極の氷山の分析から、科学者たちはこの時期に大気中の二酸化炭素量が異常に低いレベルにあったことを測定することができた。(中略)それはアメリカ先住民に対しヨーロッパ植民地勢力が行なったジェノサイドの大きさを客観的に数値化しているからである。大陸現地人の人口が五五〇〇万人から六〇〇万人に低下し、地球人口の五分の一が消滅した。世界史で最大の人口学的破局はそれに引き続いて大陸の再森林化を引き起こし、二酸化炭素の貯蔵量を増大させることになり、気象学者はその炭素量値を最低値に設定して、それを基準に恒常的な上昇を計測することができるほどの規模だった。この仮説によれば、人新世は一四九二年、アメリカの先住民にとっての世界の終わりであるこの年から始まることになる。人新世は殺新世である[前掲書:369]。


現在は二酸化炭素の数値が高まることと人新世を関連させているが、人間の生活が地球に影響を大きく及ぼしたと言うことでは、逆に数値を低めたことも人新世と言える。

ネットのAIで調べれば、15世紀末から16世紀にアメリカ大陸全体の人口の約90%が激減したが、歴史学者はそれを「大いなる死(The Great Dying)」と読んでいるそうだ。

人口減少の主な原因は①疫病の蔓延②征服戦争と虐殺③強制労働と社会崩壊となっているが、①の原因が一番関わっていたと広く言われている。

疫病はヨーロッパ人が持ち込んだもので、ある意味では生物兵器ともとれ、②を含めてジェノサイド と捉えて良いだろう。

そして、二番目の人新世への転機は広く言われている産業革命だが、むしろÉ,アリエズ&M,ラッツァラートは原爆投下を重要視して次のように述べている。


さらにほかにも―最大多数が―人新世を一九四五年に始まるものとしている。その理由は、放射能というシグナルであり、それが物語っていることも明瞭だからだ。マンハッタン計画という名のもとに日本に投下された二発の原爆、そしてその直後から続く多数の核実験は、最初期の「爆発的加速」の沈殿物として固定される。しかし、栄光の三〇年、西ヨーロッパの石油化と「原子力の平和利用」の前景化を推進する前に、二度の総力戦の生産的・破壊的加速があった。人新世は軍民共用の死新世なのである[前掲書:370]。


人新世を殺新世とか死新世と見なすにしろ、アメリカが大きく関わっていることが分かる。

ヨーロッパ人がアメリカ大陸を植民地にするのに一番の有効だった武器は、軍事革命によってヨーロッパが優位となった大砲と火縄銃だった。

結果的には人感染という生物兵器で滅ぼすことになったのだが、それを可能にしたのは軍事力であった。

そして、核兵器こそ最大の軍事革命と言われており、アメリカは軍事革命によって人新世の到来をもたらしたとも言える。

アメリカは産軍学複合体で世界の覇者となり、これからのITやAIを用いた軍事力でも最強の地位を維持している。

しかし、経済分野では金融戦争には勝利しながらも、工業戦争、貿易戦争では敗戦を余儀なくされ、軍事力で脅しながら威信を保とうとしている。

金融戦争に関してはイスラーム経済が脅威となり、工業・貿易戦争では中国が脅威となっている。

そして、人新世の一番の重要な戦争はエコロジー戦争だが、これは互いに攻撃し合い、それに対して内向きに防衛しなくてはならない。


アメリカは自然災害に関しても兵力を持って対処し、災害を利用しながら社会を改変しようともしているようだ。

しかし、イランに仕掛けた流血戦争でエネルギー問題が深刻化し、推し進めている生成AI推進事業では水不足が深刻化しているという。

日本も千葉の水害はエコロジー戦争の敗北であり、昨年から続く米問題でも敗北続きとなっている。

中国も水力発電において大きなリスクを抱えていることが表面化して、決してエコロジー戦争を有利に戦っているわけではない。

皮肉なもので一番エコロジー戦争で苦しんでいたはずの北朝鮮が、ロシアの流血戦争でGDPを成長させて豊かになっている。

本格的なエコロジー戦争は始まったばかりなので、アメリカがいつまで強気の姿勢を維持できるか分からないと思う。

熱波での災害に窮したヨーロッパはこのエコロジー戦争を深刻に受け止めているのに、日米ではそうではないのが致命的のように感じてしまう。

結果的に人新世は死新世となってしまうのかもしれない。


*1 É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019  『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社 [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016)]


2026年10月1日木曜日

東京は雨降り

 私の大好きな曲に桑田佳祐の「東京」という2002年に発売された曲がある。

桑田の曲の中では珍しく、重くて演歌のような情感を表現してあって、私自身気分が落ち込んだときにひとりで歌ったりしている。

ただ、最近はニュースで東京の雨が続くと聞くたびに「東京は雨降り」という歌詞だけを軽く口ずさんでいる。

私は大学院時代に東京に住んだ経験があるが、雨に降られて困ったことは記憶にない。

どちらかというと、冬に雪が積もって困った経験をよく憶えている。

雨はどちらかというと、大学時代に暮らしていた名古屋での思い出の方が多い。

大学時代は付き合っていた恋人とのデートが絡んでいたので、憶えているのだと思う。

そういえば大学生当時流行っていた雅夢の曲の「愛はかげろう」の出だしは、「窓ガラス 流れ落ちていく雨を 細い指先でなぞってみる」であった。

このユニットは名古屋の大学生だったので身近に感じて、それと思いを重ねたりしたが、その時の恋人と別れたのは東京であった。

そして、雨の中で彼女を思い出していたのは、地元に戻ってからである。


桑田佳祐の「東京」に出会うまでは、雨の日には三好英史の「雨」や、カーペンターズの「雨の日と月曜は」をうろ憶えで口ずさんでいた。

雨はどうしても気持ちが落ち込み、別れた人への未練が湧き出てきたりする。

そんな雨の日でも温水プールへ行くと、大きな窓に激しく降っている雨を眺めたり、天井に窓があるプールでは雨粒を眺めながらゆったりと泳げる。

落ち込んだ気分と水の中の気分が合わさり、しかも単純な泳ぎの中で、昔の切ない記憶が甦ったりする。

「東京」の歌詞にある「そして悔やむのは 涙の河に捨てた恋」は、私にとっては横浜の恩田川にだった。

その情景はゴーグルにしみ込んできた水を涙と思いながら、泳ぎのストリームに身を任せた我が身に重ねている。


今年の東京はあまりにも雨が続きすぎたので、そういう感傷に浸っていては何も出来なかっただろう。

千葉県などの災害を見ていると、関東で警戒すべきは地震だけではないと思える。

東京の食糧を賄う大切な場所が被害に遭って、これから都民は食糧不足とそれに伴う物価高が、どんどん続いている物価高騰に追い打ちをかけるだろう。

こんな痛みを抱えながらも、東京の人口は増え続けている。

「都会の隅で 世の痛みに耐えて 咲き続けている」ひまわりのような人が多いのだろう。

私はようやく雨が上がって天気が続いたので、家の裏の畑のサツマイモを一筋掘り上げた。

このところのしっかりと降った雨のお陰で、大きく立派に育ってくれていた。

そんなサツマイモを手に取ると、虚しさなどは感じるはずもなく、蒸し上がった芋が口の中でとろけるのを思い浮かべてとても愉快だ。




2026年9月30日水曜日

老僕は死なず、ただ増えゆくのみ

 我々の世代は交通戦争を生き抜き、受験戦争にも生き延びてきた。

「戦争を知らない子ども」は、当時のベトナム戦争の反戦歌として歌われたが、この歌が流行した1970年は交通事故死15,801人、負傷者981,096人という交通戦争の戦時下にあった。

また、1972年にリリースされた井上陽水の「傘がない」で若者の自殺が歌われているが、その年の自殺者の総数は18,015人である。

ちなみに1970年の殺人による死者数は3,378人である。

2023年当時のパレスティナのガザ地区の戦争による死者が2万人だという。

人口あたりとしては、確かに日本の当時の死者数の方が割合として少ない。

しかし、殺戮兵器が用いられず、しかも平和と感じて生活していた人が、これだけ無残な死に方をしていたのだ。

当時から現在にかけて、資本主義社会における流血戦争とは違う、住民のなかで起こる戦争を戦争としての認識はしてこなかった。

海外で起こる流血戦争をテレビや映画を見ながら、日本は平和であり、戦争はしてはいけないと誰もが言ってきた。

しかし、身近に起こっている住民の中の戦争を止めようとしなかった。

それは自分は加害者になる可能性もあったが、社会に取り残されずに成功者になって勝ち組として生き残ることに励んだ。


こういう戦時下にあって、生き延びた世代として65歳以上の人口が3割に達しようとしている。

退職して老後は子や孫とのんびり暮らして行きたいと思っていたが、その子や孫はそばには既にいなかった。

そのかわり自分の親は施設に預けることができるようになっていた。

今日の特売の火曜市では限定200個のふだんより100円安い卵を求めて老夫婦が殺到した。

雨が降ってコインランドリーがいっぱいとなって、おじいさんは順番待ちに置いてかれた。

来月から第三のビールが値上げだし、電気料金も上がるという。

年老いても、まだ生き残りのための住民としての闘いは続いている。

実際の太平洋戦争での流血戦争を経験した人の話はマスコミで取り上げて感動を呼ぶのだが、住民のなかの戦争を生き抜いた話は話題にもならない。

ただ、武井壮のNHKのファミリーヒストリーは、父親が金と女に狂って崩壊させられた家庭を生き抜いた戦士の感動をよぶ実話が放映された。

金の卵として集団就職という名の徴兵によって戦って成功しながら破滅した父親の物語でもあった。

世間の豊かさをよそに、懸命に生き抜いてきた武井壮の姿で生きていく力をもらった。


現代は交通事故死は減ったが、中高生が受験戦争などでの自殺者が増えているようだ。

社会に出て戦う前に、受験戦争や家庭問題、人間関係に苦しんで自ら命を絶っている若者が増えているらしい。

武井壮氏の生き様を中高生には知ってもらいたいと思うが、彼のように立派な戦士になる必要は無く、どんなに惨めでも生き抜いた姿だけ学んでほしい。

そして、自分たちは決して平和で豊かなな時代に生きているのではなく、生きるのに厳しい戦時下にあることに気づいてほしい。

これが資本主義の宿命と言ってしまえばおしまいなのだが、生き延びた我々老僕が若い人に残せるのはそういう教訓だけかもしれない。


参考文献

É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019  『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社 [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016)]







2026年9月29日火曜日

イスラーム理解・その3~金融戦争に対抗する無利子銀行

 このところ、日本国債の金利の問題が毎日のようにニュースとなって流されている。

これは為替レートでの円の価格にも大きく影響するし、個人としては住宅のローン金利にも関わってくる重大な関心事だ。

これまでは低金利どころか、マイナス金利と言うことで、多くの日本国民は利子を当てにして暮らすことはなかったし、住宅ローンの負担も比較的少なくて済んだ。

しかし、円安となってしまい、外国からの輸入が増えている日本では物価やガソリン、電気代などが上がって生活を圧迫している。

要するに、金利をめぐる国際的な攻防、いわゆる金融戦争の戦時下にある我々の社会は、つねにそのリスクを負って生活している。

そして、政府はNISAを通して株への投資を呼びかけていて、NHKなどのマスメディアでも子供のこういう金融への教育を大きく取り上げている。


私たちの世代は額に汗して物を作ったり、人にサービスしてお金を稼ぐことが一番尊いことだと教えられてきた。

しかし、今は小学生にも金を活用して儲けることを学ばせる。

NHKテレビでは円安だから、外国で稼いでその金を元手に日本で楽に仕事するというような映像が流れた。

一方Youtubeではオーストラリアの現地の人が、物価や時給が上がりすぎて、発展途上国の低賃金労働者の影響で社会が混乱していることを述べていた。

その発展途上国では多くの借金をして出稼ぎに来ているのが特徴となっている。

この配信者は日本も同じようになることを危惧して動画を流してくれたのだった。

現実的に日本にやってくる発展途上国の労働者の殆どが負債を抱えていて、その返済のために場合によって犯罪を犯したりしている。

これこそ、為替レートの違いを利用した国際的な金融戦争の実態であり、そういう金融の抱えている裏の面をマスコミは報道しないのは国民を欺いている。


こういう資本主義国の金融戦争の一方で、独自の経済を築いているのがイスラーム経済である。

その事に関して分かり安く解説してくれているのが、

長岡慎介*1の「未来をひらくイスラーム経済のつなぐ力―その思想と歴史から学ぶ」黒木英充・後藤絵美編 2023 『イスラーム信頼学へのいざない』  東京大学出版会


であり目次は以下のようになっている

はじめに  99 1 金儲けを肯定する経済思想  99 2 商売に埋め込まれたイスラーム経済のしくみ 102 3 イスラーム経済の「つなぐ力」 105 4 現代世界に復活したイスラーム経済 108 5 イスラーム経済とポスト資本主義 111


イスラーム経済は決して金儲けを否定しているわけではなくて、その事業に加わることなく、金を投資してその利子だけを得ることを禁じている。

この書にはそのイスラームの商売や銀行を分かり易く図解して説明してくれているので是非読んで欲しい。

そして、彼が一番訴えているポスト資本主義として次のように述べている

一見すると、このしくみは、これまでのクラウドファンディングと同じように見えます。しかし、商売目的のものと社会貢献目的のものを明確に区別するこれまでのクラウドファンディングと異なり、イスラーム型クラウドファンディングでは、人助けのアイデアのなかに必ず商売が入っているのです。それは、ワクフでは、商売からの儲けを使って困っている人たちのための施設を運営することになっているからです。そうした商売と人助けを融合するワクフの精神が、このイスラーム型クラウドファンディングにも息づいているのです。[前掲書:112]


小学生に金儲けだけ教えて、人助けを教えない学校は、下の下である。

NISAなどは銀行に頼るだけで、自分が投資しようとする企業の実態すら分からない。

企業の業績に関わらず、株価が上下することだけで利益が得られる今の金融戦争に生き残れる人材を、文科省は育成しようとしているというのだろうか?



*1 もっと詳しく解説してくれているのが長岡慎介  2024 『イスラームからお金を考える』   筑摩書房である




2026年9月27日日曜日

アメリカへの食糧依存と日本消費者の無抵抗

 農業経済学者の鈴木宣弘氏は日本の食糧問題をアメリカへの従属として危機意識を高めようという訴えを続けている*1

そもそも、日本は戦後まもなくアメリカからの食糧援助からその依存が始まった。

昭和21年から始まったGHQ(連合国軍総司令部)による米や小麦粉の放出、およびアメリカからの緊急輸入

ララ物資(LARA)は1946年に結成されたアジア救済日本委員会を通じ、アメリカ住民の善意や海外移住者(日系人)からの救援物資(小麦粉、脱脂粉乳など)

学校給食の再開は1947(昭和22)年から、アメリカの援助やララ物資による脱脂粉乳や小麦粉を活用し、全国の小学校で学校給食が部分的に再開・拡充された。

これは、「隠れた戦争経済としての食糧援助。それは貧困国が輸入食糧に依存するよう仕向ける [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016)]:350」として現在もNGOでも行われている。

敗戦当時の日本は現在のアフリカのサヘル地域同様の飢餓状態にあって、アメリカの食糧援助という経済戦争の支配下にも陥ったのだった。

これ以来、日本人は食糧依存が継続し、グローバリゼーションでの食糧戦争でも抵抗を阻まれてきた。

またこの食糧援助は日本人の食生活を変革し、パンを中心とした欧米の食生活が広まっていった。

学校給食ではパンと牛乳が主であったが、やっと米食も取り入れられるようになった時には、パンを中心とした食事も根付いてしまっていた。


工業や金融では世界でも先進性の高い日本は、食糧に関しては第三世界並の貧困国である自覚がないのが悲劇でもある。

アメリカにとっては、日本の食糧の依存を維持さえしておけば、強い抵抗を受けることはない。

政府とJA、米農家はこういう日本国民の無自覚な食糧依存性を逆手にとって、アメリカに米作だけの特権を許してもらって国民を食い物にしてきた。

何度も繰り返すようにJAは圧力団体として自民党の政策を左右し、見返りとして政治献金と米農家の票を差し出してきた。

今回の米騒動も結局、闇の中で備蓄米が買い戻され、JAの思惑通り米価格は維持されようとしている。

これだけ国民を愚弄した政策を続けられても、生死に関わる食糧を依存してしまっている消費者は抵抗するすべを持たない。

以前から訴えているように、米の輸入も自由化する代わりに、補助金をアメリカに認めさせて、アメリカの米価並みの価格にすれば良い。

本当に安い米は東南アジアから経済支援のつもりで輸入して、困窮している日本の消費者がしっかり食べられるようにすべきである。

しばらくは、米農家の倒産、破産が続くかもしれないが、痛みをともなった改革はどの分野でも経験してきたはずだ。

そして、来るべき世界の食糧危機に備えた力強い農業を再建すべきだと思う。


今日(9/27)も、村の稲刈り時季に行う道作り作業を行ってきたが、銀行の利子以上の高い小作料をもらっている水田地主のために背負い草刈り機で汗を流した。

肝心の水田地主は高齢化でまともに道路や川の土手の斜面の草を刈ることも出来ない人が殆どだ。

人によっては、普段使わない高価なマキタの草刈り機のエンジンがかからないので、熊手を持ってきてぶらぶら歩いている始末である。

水田地主の殆どは肩掛けの2サイクルエンジンの草刈り機でガソリンの混合油なので、その混合油の支給はあるが、私のように4サイクルのガソリンに対して支給はない。

そもそも、水田地主は男性は稲作りで、女性が畑作りの感覚が残っているので、畑仕事をまともにしないし、水田も水管理以外には殆どしない人が多い。

そんな水田地帯の情けない状態を放置して良いはずが無いが、村にはJAに勤めている人が自治会を仕切ったりして改革は出来ない。

JA勤めでない村役を務めた人でも、自分の子供をJAに就職させたりするので、村の自治会とJAの関係は切れることはない。

JAは村の中心的な金融機関になっているが、有価証券の運用失敗で赤字に転落した一方で、米価の高騰や農機の取り扱いで大きな利益を上げた。

村は過疎化してJAは組合員や年金振り込み者も減っていずれ破産していくだろう。

要するに米農家を懐柔しながら食い物にして、米作関連の収益で生き残りを図っているだけだ。

現実の農村ではこのままいくと、高齢化が進んで道作りさえまともに出来なくなって、村人が協力する稲作も終わっていくだろう。

既に、小作料をもらうどころか無償、有償で自分の水田を大規模農家に任せなくてはならない水田地主も出てきているようだ。

何度も述べてきたが、日本の水田はアメリカのように大規模化は難しいし、粗放機械化農業は永続的な生産に反する。

専業農家を支援する体制を農村で維持して、食糧と環境を保全する政策を行うべきである。

それは消費者に現状を理解してもらい、協力してもらう必要がある。

今、日本農業を変革しなければ、来るべき食糧危機には多くの犠牲者を出すことにあるだろう。

その時、裕福な官僚と自民党の政治家や支持者はアメリカの食糧をまた援助してもらって生き残れると思っているのだろうか?



*1   鈴木宣弘 2013 『食の戦争―米国の罠に落ちる日本』  文藝春秋、鈴木宣弘 2025『食の属国日本―命を守る農業再生』   三和書籍

引用文献

É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019  『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社 [ É,アリエズ&M,ラッツァラート2019(2016)]

2026年9月26日土曜日

トランプアメリカの核とレアメタル・レアアース開発戦争

 トランプが「石油を掘って掘って掘りまくれ」と温暖化戦争を仕掛けていることは、すでに述べてきた。

その温暖化やイラン攻撃は結果的に利用されて原子力発電という核開発が見直されることとなった。

原発の廃止を目指していたドイツやイタリアも、化石燃料不足で高騰し原発利用を検討し始めたという。

そして何よりもトランプは日本の軽水炉の原発技術を用い、しかも日本からの巨額の投資によって、原発開発をしようとしている。 

この分野ではアメリカ独自で開発ができず、日本を関税で脅しながらうまく利用して、自国負担もなく利益を上げようとしている。

これは新時代の植民地政策のようにさえ思える。

温暖化戦争は核開発戦争を引き起こし、従属国を利用していこうとしているわけだ。


一方で、アメリカは中国に関税による貿易戦争では、レアメタルを人質にされて思うように戦えていない。

そこで、日本の鳥島のレアメタル開発に目をつけたようだ。

日米による開発も高市はトランプと協議したように言われている。

しかし、鳥島近辺での開発は環境への影響が懸念されており、それを無視して進めていくことには大きな問題となるだろう。

中国がこの分野で有利なのは環境破壊を無視しているからで、日本は海洋という広く世界に影響が出ることを無視することは信用を失うことになるだろう。

とにかく、トランプとその子分の高市は環境を人質に貿易戦争を有利に戦おうとしている。


一方中国は高市のアメリカ依存に対して、トランプを懐柔して歯止めをかけようとしている。

おそらく米中首脳会談では台湾問題やレアメタル・レアアース・AI開発問題が話し合われたであろうと思う。

これまでは日本が中国に接近することにアメリカは神経をとがらせてきたが、高市ではその警戒はそれほど必要ない。

トランプにとって中国も日本も上手く利用できれば良いのであって、日中関係が悪い方がアメリカにとっては都合が良いとも言える。

ただ、今度のアメリカの中間選挙で共和党が大敗北すれば、トランプの独裁は終わるだろうし、それは高市の独裁の終わりともなるだろう。

そうなれば、日中関係も変化するだろうし、それこそ大きな地殻変動が起こるだろう。






2026年9月24日木曜日

イスラームの理解その2~中国の挑む国際秩序再編と米中関係

 今回のアメリカ・イスラエルによるイランへのミサイル攻撃で、イランの防空システムの脆弱性が明らかになった。

どうも、ロシア製、中国製、自国製の混在で指揮統制や通信ネットワークの統合が不十分だった可能性が指摘されているようだ。

そんな中で、イランが中国から携行式防空ミサイル発射機を最大400基調達する契約を結び、数週間以内に初回分の引き渡しを受ける見通しが報じられている。

これで低空飛行する戦闘機、ヘリコプター、ドローンへの攻撃が可能で、アメリカとイスラエルはミサイル以外では安易にイラン攻撃が出来なくなりそうだ。

これで、アメリカが手を引けば朝鮮、ベトナムから続く大失態とも受け止められそうだ。


そんな中で、米中首脳会談が行われ、トランプ大統領は習近平国家主席を自ら空港まで出迎えるほどの歓待ぶりに、アメリカの中国への配慮を知ることが出来た。

この米中関係に関しては、Yahooニュースで呉心伯氏の次の見出しで見解を報道している

「5年後にはアメリカ上回る」 習近平氏の外交ブレーンが語る米中首脳会談の狙い 日本には強く警告「米中対立 期待すべきではない」

この記事に関しては多くのコメントが寄せられているが、日本は高市総理の対中政策が正しいのか誤りなのかを考える一つの材料になるだろう。

トランプ大統領は米中首脳会談の前に高市総理と会談する配慮を示したが、その内容は明らかではない。

私はトランプ大統領は日本も中国も上手く利用としているだけで、東アジアでのイニシャティブを軍事力をもって維持しようとする意図は無いと思う。

米中首脳会談では第二次世界大戦では同盟国だったとトランプは述べ、習近平もファシズムにともに戦ったと述べたという。

朝鮮戦争では戦火を交えた関係よりも、中華民国時代の関係を持ち出すことは、両氏とも台湾を含んだ中国という姿勢に思える。

すでに、北朝鮮に対しても米韓の軍事演習を短縮して配慮しており、相手の国が民主的な国かどうとか資本主義かどうかは、もう政策の決定事項ではないようだ。


とにかく、我々は中国がどういう意図をもって外交政策をして、その実力はいかなるものかを知っておかねばならないと思う。

相変わらず北朝鮮からの弾道ミサイル実験で日本では大騒ぎしているが、今起こっている戦争では核を用いない限り、迎撃も可能でそれほどの脅威にはなっていない。

温暖化による災害や交通事故で亡くなっている人の数の方が、弾道ミサイルで亡くなっている人の数よりも多いだろう。

日本人は流血戦争の総力戦を恐れているかもしれないが、それこそ核抑止力によってそれが出来ない状態のようだ。

台湾有事に関しても現在行われている戦争が参考になるので、中国も簡単に事を起こさないように思える。

そもそもアメリカを抱き込んでしまえば、台湾は戦争しなくても手懐けると思っているようにさえみえる。


それよりも、経済戦略による貿易戦争の方が、重大な意味を持ってきている。

その参考になるのが三船恵美「国際秩序再編に挑戦する中国と中東ユーラシア」[三船恵美2025]*1である。

その目次は次のようになる。


はじめに 

1 既存の国際秩序に挑戦する中国  

(1)「新時代の中国の特色ある大国外交」による挑戦  (2)中国の大国外交と中東  

(3)多極化の模索と対中東外交 

2 ユーラシアの連結性と中東  

(1)陸と海から見る中東   (2)「人類運命共同体」構想の手段としての「一帯一路」 

(3)中東に対する「1+2+3」協力枠組み  

3 中東ユーラシアの秩序再編から見る中国との関係  

(1)UAE   (2)サウジアラビア   (3)オマーン  (4)イラン  

おわりに 


この論攷で述べられていることの要点を上げてみると、まずアメリカに対しては次のように述べている


「人類運命共同体」の構築へ向かう中国は、国連、国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)などの多国間レジームを重視する姿勢を打ち出している。そこには、アメリカ一強の国際秩序に抵抗し、多極的な世界の形成を促進する意図がうかがえる[前掲書 52頁]。


そのために行おうとしているのが「大国外交」であり、それに関しては次のように述べている。


中国の大国外交とは、中共による一党独裁体制のもとで、欧米型のデモクラシーとは異なる「中国的民主【(7)】(minzhu)」の政治システムを非欧米諸国とお互いに擁護し合い、途上国としての既得権益を維持し、世界政治に影響力を及ぼす大国として振る舞う外交[前掲書 53頁]


つまり、欧米の民主主義とは一線を画す政治システムを、非欧米諸国と共有してその中心に位置しようとしている。

日本は非欧米諸国なのかどうかが問題となるが、それが微妙な立場だと言うことが分かるが、それは次のような中国の歴史的背景や現状認識と関わっている。


この背景には、「屈辱の歴史」の経験や、冷戦後にアメリカ主導で築かれた国際秩序が中国の核心的利益を侵害している、という中国の強い被害者意識がある(中略)アメリカが経済覇権を築いてきた要因の一つの、ペトロダラー・システムを崩す「脱ドル」を推進するには中東の主要産油国を引き込む必要があるという[前掲書:55頁]


日本は中国に「屈辱の歴史」を与えた国でもあるが、アメリカの経済覇権の恩恵と辛酸をなめてきた国でもある。

「脱ドル」を指向した時もあったが、すぐにアメリカに潰されてしまった。

この「大国外交」こそ日本が戦前に欧米支配に対抗して打ち出した「大東亜共栄圏」の、中東ユーラシア版と言えるのかもしれない。

ただ、日本がアメリカに宣戦布告したような愚を犯そうとはしていない。

三船恵美氏は次のように結んでいる。


中国は従来のアメリカの役割や優位性に取って代わろうとしているのではない。中国が描く中国主導の新たな中東ユーラシアの国際秩序観は、アメリカの優位性を排除したり弱体化させたりしようとするものである。しかし、中東ユーラシアの国際秩序が大きく揺れるなかで、中国には国際公共財としての安全保障を提供する力も意思もない。中国には中東ユーラシアで影響力と関心をもつ主要なアクターとして振る舞ってはいるが、その影響は限定的なものであることを、二〇二五年六月のイランとイスラエルの大規模衝突以降の国際関係は物語っている[前掲書:66-67頁]。


日本が日中戦争を続け、アメリカから石油を停められ「窮鼠猫を咬む」太平洋戦争で滅んだ歴史は、もし台湾有事が長期化したら同じ事の繰り返しになるだろう。

中国の実力を知っているアメリカもかつて日本を追い詰めたようなことはしないだろうし、中国も長期戦の可能性の高い台湾侵攻は行わないだろう。

そんな中で、台湾侵攻を材料に日本の軍備拡張を進め、中国と険悪な関係を作ってしまった高市総理は、信用を失ってしまった国連に活路を見いだそうとしている

彼女が単なる外交音痴なのか策士なのかはアメリカの中間選挙後に分かるだろう。

そして、その中間選挙に大きな影響を与えるのはアメリカがイランとの戦争で中東を中心とした石油が高騰したことである。


*1青木健太 笠井亮平 中東調査会編 2025 『中東ユーラシアから世界を読む―連結する地域と秩序再編』 岩波書店: [青木健太その他 2025]


2026年9月23日水曜日

結婚も恋愛もできない男と女

 今から20年ほど前に「結婚できない男」というドラマが関西テレビで放映されたが、私はそのビデオをレンタルして何度も見返して楽しんだ。

主人公は結婚できるだけの経済力を持ちながら、あえて独身を楽しんでいるが、結果的には女性を好きになっていく物語だ。

私は教師をしていた時に周りに結婚できない・しない男女を数多く見てきた。

ある学校でこのドラマに出てくる女医と隣人のOL(みちる)の関係に似ている女性教師がいて、それを二人に言うと酷く怒られた。

女医に似ていたのは体育教師で、ラウンドクルーザーを乗り回す活動的な人で、おそらくその後も独身が続いたと思う。

みちるさんに似た方は、まもなく同じ職場の男性と恋仲になって結婚していった。


独身を続ける教師のタイプは男女ともに真面目で、異性との恋愛の経験が無かったようなタイプが多かった。

そういう人は受験指導やクラブに熱心に取り組んで、時間を持て余す風ではなかった。

実は私の家内もそのようなタイプだったが、事務職の仕事が臨時で不安定だったことと、家内の母親が強引に見合いをさせていたことで私と出会った。

私は高校生から女性と付き合うことも多く、恋愛結婚も経験したが離婚した後は、やはり母親が強引に見合いを持ってきた。

私のように恋愛とか結婚を失敗した人の中には、それに懲りて独身を続ける人もいた。

当時の正教諭は地方においてはそこそこの定収入が得られるので、結婚相手としては申し分なかったが、近年ではブラックな仕事として人気を失ってしまっているようだ。

中には国立大学の大学院まで出て容貌も悪くなかった男性教諭もいたが、本人が結婚を望んでいても自分で相手が探せず、集団見合いに参加したりする若い人もいた。

結婚願望はあっても、異性どころか人間関係そのものが苦手な人もいたように思う。


私の父母の時代は恋愛結婚はあまりなく、殆ど見合いとか紹介だったようだ。

私の両親も遠い親戚に当たり、紹介されて付き合い始めたようだ。

家内の父親などは、独身だった時に村に帰ったところを、親戚から独身かどうか尋ねられて、独りだというともらってやってくれと頼まれたそうだ。

家内の母親は「犬じゃあるまいし」と怒っていたそうだが、義父は義母を結婚後も何十年と大切にし続けていた。

当時は恋愛など関係なく、生活のために結婚するのが当たり前だったようだ。

ところが、それは古くからの伝統ではない。

日本が工業化していくまでの時代の農家では跡継ぎ以外の子供は家から出されるか独身のまま家にいた。

町などでも丁稚に出されてから店を持つ主人になれるのは一部だったようだ。

結婚できても、生活が不安定なので結婚と離婚を繰り返すのが普通だったようである。

奄美諸島では古くは家人という身売り制度があって、正式な結婚そのものができない人が人口の3割近くいたようだ。

そういう人でも男女間の自由な恋愛で子どもは産まれて、家人所有者の主人には喜ばれたようだ。

身分が固定されて人口も多くなかった時代は、現代のように安定した夫婦家族はあまり見られなかったようだ。

それでも結婚率は戦前までは1000人あたり8~9人を維持しており、戦後のベビーブーム時代の12人には及ばなかったが、現代の3.9人(2023年)の倍以上はあった。


結婚願望がなかった家内に今の若い人が結婚しない理由はなぜだと思うと聞くと、女性が仕事と育児でしんどい思いをするだけだからと言う。

それなら、男性も結婚したがらない理由はなぜかと聞くと、答えられなかった。

私は、家内の時代のように、親が無理強いしなくなったことと、そもそも日本人は家畜化が進んで恋愛も結婚もまともにできない人が増えたのではないかと答えた。

人間以外には発情期があって、本能的に子作りをするが、家畜化すると人間以外でも発情期を失ってしまう場合が多い。

そして、家畜化されると一年中交配し、出産することが出来るようになる

家畜の場合は無理矢理交尾させたり、人工授精させるが、人間の場合はそれを無理矢理させることはできない。

なぜ日本人はより家畜化が進んでしまったかは、子どもの頃から親の干渉が強いし、小さい頃から勉強しいられて児童虐待まがいが起こっている。

親と先生に厳しく飼育された子どもは、まともに恋愛も結婚もできなくて当たり前に思える。

行きすぎた家畜化は動物園の飼育と同じで、飼育化と言っても良いかもしれない。

これからは結婚できない男女があたりまえになって、恋愛できない男女がドラマになる時代なんだと思う。


参考文献

 ブライアン・ヘア/ヴァネッサ・ウッズ 藤原多伽夫訳 『ヒトは〈家畜化〉して進化した―私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』 2022(2020) 白揚社 










2026年9月22日火曜日

水は血よりも濃い

 敬老の日に、私はつまらない替え歌を早朝にブログに書いた後、いつものように朝食後に犬の散歩と農作業や家の片付けをした

午後からは通常月曜日は隣町のプールに行っているのだが、今日は休日で住んでいる町のプールも開いているのでそちらに行くことにした

プールは体育館や野球場、テニスコートの近くにあるので、休日になると駐車場が満杯になって停めづらい

なんとか空きのスペースを見つけて、いつものように年券を使って受付を通り、水着に着替えた

今までゴーグルの曇り止めを使っていなかったが、やっと通販で買って塗ると、やはり見通しが良くて泳いでいて気分が良い

若い妻と孫のような息子を連れた6歳上の知り合いが、家族仲良く泳ぐ練習をしているのを横目で見ながら、いつものメニューをこなしていった


町のプールには6コースある大プールと子供用の浅くて狭い小プールがある

来た時から子連れの見知らぬ家族が楽しんでいるのは気づいていた

こういう休日には里帰りで来た家族がたまに遊びに来る

私のいる町は遊べる施設がないので、家族や親戚が大勢プールに来る時もある

たいていは、その中のお婆さんとかが水泳を習っていて、子や孫づれの家族を誘って来ているようだった

今回は若い女性二人と、幼い子供が二人、それに加えて、お爺さんとお婆さんと孫が二人来ていた

この二組の集団は別々のグループらしく、若い女性のグループは観覧席にお父さんらしい人もいた

練習メニューをこなしていると、私の知り合いもやってきて、時々話をしながら泳いでいた


そのうち、若いお母さんらしい人が、子供をもう一人の若い女性に任せて一人で大プールに入って空いたコースで平泳ぎを始めた

一目で経験者と分かる泳ぎ方でスピードも速かった

やはり、経験していた人は、プールに来ると泳ぎたくなるものらしいが、水着は競泳用の水着ではなくレジャー用だった

知り合いも帰り、大プールのコースが空いてくると、若い女性二人はそれぞれ子供を連れて入って泳ぐ稽古をさせていた

泳ぐ稽古と言ってもまだ幼すぎるので、恐がらずに浮いているのがやっという感じだった

どうもよく見ていると若い女性は姉妹で、お姉さんの子供二人を一緒に遊ばせてやっているようだった。


そして、若い妹の方が今度は一人で私の泳いでいるコースの隣で泳ぎ始めた

お姉さんよりは遅いがしっかりとした平泳ぎをしていたので、声をかけて水泳の経験者か聞いたら、やはり経験者だった

着ている水着はフィットネス水着で、その下にはレジャー用の水着を着ているようだった

もう少し話がしたかったが、県外からの人のようで話題が頭に浮かばず、黙ったまま並んでしばらく泳いでいた

そのうち、お姉さんの方も隣にやってきて、バタフライをきれいに泳いだので、こちらの方は選手経験者だと思った

私は四種目練習の最後でフリーの50mダッシュも4本行って、最後のメニューになっていた

最後は200m個人メドレーで締めるのがいつもの決まりである

その若い女性の二人には、若い人でも滅多に泳がないこの種目を、こんなじいさんでも泳げるのだと見てもらいたかった


果たして、その水泳経験者は私の懸命の泳ぎをしっかりと見てくれたかどうかは分からない

私は礼儀知らずのスイミングスクールの生徒がやって来る前に出ようと、そのグループを横目に見ながら引き上げていった

こうして、若くて可愛い女性と少しでも話が出来て、並んで泳げる楽しい時間を久しぶりに味わった

敬老の日としては誰からも何もされなかったが、こうして若い女性と一緒に泳げたことが最高のプレゼントとなった

老いた者として敬ってもらうより、まだ若い者として一緒に楽しめる方が幸せなように思えた

水泳は並んで泳いだり、競い合って泳いだり、相手の美しいフォームに見とれながら泳ぐ楽しみがある

特に若い人は男女を問わず美しい体型を維持している人が多いので、いつも羨ましく見惚れている。

かつては血は水よりも濃いと言われて、家族や親戚を大切にした

しかし、今は血のつながった子どもよりも、他人でも同じ趣味をもった人との関わりが大切になっている

まさしく、水泳という「水」でのつながりは、血でつながった子どもよりも濃い時間を過ごさせてくれた





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