現在、主中学校の不登校数は過去最多の35万人あまりだそうだ。
割合は39人に一人、中学校では約15人に一人となっているという。
不登校者に関する追跡調査は平成18年度(2006年)のものしかネットで確認できない。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
現在、主中学校の不登校数は過去最多の35万人あまりだそうだ。
割合は39人に一人、中学校では約15人に一人となっているという。
不登校者に関する追跡調査は平成18年度(2006年)のものしかネットで確認できない。
最近はうちの近辺では明るくなるのが遅くなって午前5時ではちょっと薄暗い。
朝の農作業にかかる前に犬(クロ)の散歩を済ませているのだが、近くの水田の農道を通り、山際まで行ってそこの農道を歩くのが日程となっている。
すこし以前に散歩で行こうとする先の農道を大きなイノシシがウロついているのを見かけていた。
その時は向こうがこちらを見つけ、一目散に民家の庭を突っ切って山のほうに逃げていっていた。
今回もクロと散歩をしていると一頭が山際の道をウロついているのを遠くから見かけていた。
そのうちこちらを見つけて逃げていくだろうと思って進んでいき、そのうちにイノシシを見失ったので、山に入ったと思い込んでいた。
ところが、イノシシはまだ山際の道に残っていて、私はそれを気がつかずに逃げていける道を塞いでしまった。
焦ったイノシシは山際に張られている鉄柵の下に張られていたトタンに体当たりを数度して、駄目だと分かると山とは反対の方向に逃げていった。
それと同時ぐらいに田んぼの稲が動いて道筋ができてこちらに向かってくる。
すぐ目の前に大きなイノシシが現れたが、こちらを見るなり引き返して、二本の電気柵の間を通って用水路のほうに逃げていった。
イノシシは一頭だけで無く二頭いたのだが、田んぼの中のイノシシは全く気がつかなかった。
ほんの数分の出来事で、もしイノシシに体当たりされていたら、大けがをしていたかもしれない。
ただ、連れている犬が中型の猟犬だったので、イノシシも逃げていってくれたのだと思う。
その翌日も同じような時間にクロと散歩をしたが、前日ようなことは起こらなかった。
おそらく懲りて来なくなったか、暗いうちに引き上げたのかもしれない。
明け方にイノシシに遭遇するのは、明るくなると電気柵の電気が切られるからだとも思う。
以前に薄暗い夕方のクロと散歩の折り、誤ってクロが電線に足をひっかけて感電して痛い思いをしたことがあって、それ以来クロは電気柵には自分から近寄らない。
イノシシも電気柵は恐いと思うだろうが、明るくなると電気を切られたり、線の隙間が見えるので平気で田んぼの中に入ってこられるのだろうと思う。
また、うり坊のように小さいイノシシは易々と電気柵の下をくぐって入ってきたりしている。
電気柵によってだいぶイノシシの被害は減ったといっても、万全とは言えないようだ。
ただ、同じ町内でも熊が目撃されており、これが熊となれば今回のようにはいかない。
熊スプレーなどを持って散歩する必要があるようにも思えてきた。
以前は用心のためにゴルフのパターを散歩には持ち歩いていたが、これからは必要かもしれない。
そういえば、この村に引っ越してきた当時には、夜は放し飼いにされる紀州犬がいて、それはそれで物騒だった。
しかし、考えようによれば、その紀州犬のお陰でイノシシの襲来はま逃れていたのではないかと思う。
古くは里犬とか村犬として、集落の中で放し飼いにされていて、誰の犬とも分からない犬がいたそうだ。
また、私が小学生の頃までは赤穂の尾崎には野良犬が多くいて、人には危害は加えなかったが、その後駆除されてしまった。
江戸時代などは犬をつないで飼うことが逆に禁止されたようなので、犬は町や村の一員としてそれなりの役割を果たしていたのだろう。
私は隣の部落(地区)の放し飼いの犬に追いかけられた経験がある。
それは飼い犬だったが放し飼いにされて、部落に入ってくるよそ者を見張っていたのように思える。
そう考えれば放し飼いの町犬や村犬は警備員の役割も果たしていたのかもしれない。
近くの村には猟犬を飼っている人がいるが、犬舎の中で吠えるばかりで、その近くで平気でイノシシや狐が走り回っている。
むしろ、散歩をしっかりしているクロの方が護衛として役に立ている。
以前にクロとの散歩のお陰でイノシシが来ないと感謝されたこともあったが、実はそのころクロは脱走して放浪していたので効果があったのだ。
これからはAIロボットを巡回させたり、同行させて熊やイノシシなどの警備に当たらせる必要があるかもしれない。
このところ広島・長崎の原爆に関する平和式典が行われてきた。
広島の平和記念式典で横田美佳知事は核抑止力について次のように述べられた。
核抑止力への依存が、今なお、世界の安全保障政策において大きな位置を占めていることに、悲しみと怒りを感じざるを得ません。核による脅し、先制攻撃も厭わない考え方、それによる核武装の強化が核兵器使用のリスクを高めています。核抑止は核兵器を使用することを前提にしない限り成り立たず、各国の不信や軍拡競争を助長し、世界を不安定化させるという根本的な矛盾をはらんでいます。核抑止力を求めること自体が新たな戦争を引き起こしている現実を直視し、核抑止から脱却すべきです。
知事の言われるように、既にロシアがウクライナに対して核で脅しながら戦争を仕掛けたのだから、通常の戦争に対する抑止力など無いことは明白である。
日本が「アメリカの核の傘で守られている」というのも、裏を返せば核兵器で「アメリカに脅されている」のと同じ事である。
一般市民への無差別な殺戮は戦争犯罪とされるべきなのだが、アメリカが広島・長崎の市民に行った行為は戦争犯罪とはなっていない。
それは総力戦というのは戦闘員と非戦闘員の区別が無い近代の戦争である*1。
広島長崎のアジア太平洋戦争で日本軍の総力戦に参戦する戦闘員と同等に見做されていたと解釈すべきなのだろう。
実際に新聞などでは国民に参戦を呼びかけていた。
「聖戦へ 民一億の体当たり 聖戦だ 己殺して国生かせ (以上 昭和14年 読売新聞社)」
現代行われているウクライナやイランでの戦争も総力戦になっているが、核を持っている国の市民を攻撃することは避けられている。
その一方で核を持っていない国の市民はある意味で無差別に攻撃されている。
抑止という言葉を都合よく使うなら、核を持たない国からの攻撃を抑止できると言うことなのだ。
そして、反撃して逆に攻めてこられないように、核で脅威を与えて威嚇している。
北朝鮮やイランが核開発に拘り続けた理由は、核兵器さえ保っていれば攻めてこられないということであり、戦争自体を抑止するためではない。
私はそれを脅嚇力(きょうかくりょく)と呼ぶことにしよう。
ただ、総力戦は兵站を含む経済的な戦略が重要で、核を持っていない国は持久戦に持ち込んで核保有国の経済にダメージを与える戦略が有効のようだ。
ロシアは民間人の被害は少ないが、兵員の多大の消耗と石油施設を破壊されて、市民生活は被害を多大に受けている。
アメリカは兵員の損害は微少だが、兵器の消耗、物価の高騰で自国の市民のみならず同盟国への被害を拡大させている。
そういう意味ではウクライナもイランも兵員と民間人の人的損失は大きいが、核保有国の脅嚇に屈せず、総力戦を戦いぬいているように思える。
日本にはアメリカが核を持ち込んでいると言われているが、日本自体は核を持っていないので核を持っている国からの攻撃は抑止できないと言われている。
今回のイランでの戦争では米軍基地への攻撃はなされているので、米軍基地への攻撃の抑止力にもなってもいない。
ということは米軍基地の核は日本を脅嚇すること以外に役立たないと言うことになる。
だから、日本も核武装すべきだということになるが、アメリカを含む現在の核保有国はその脅嚇力を独占しないと戦争ができなくなってしまうので許すはずがない。
アメリカやロシアは定期的に実戦を行っているが、実戦を行わない核保有国も武器開発をして軍事演習という名の脅嚇を行なう戦争はしている。
核保有国でない日本も軍事演習を行っているので、戦争をしているのとそうかわりは無い。
日本人は実戦を行わないと戦争をしていないと思い込んでいるが、総力戦の本当の意味を理解していないし、自ら欺いている。
現に日本最先端技術は武器製造に役に立っており、ウクライナなどは三菱重工に協力を求めてさえいる。
今後レールガンが完全に実用化されて弾道ミサイルからの攻撃を効率的に防御できるようになれば、核兵器の脅嚇力は無くなっていくだろう。
その一方で通常兵器やドローン、AIロボットを用いた実戦が頻発するようになるかもしれない。
ただ、それはある意味で狩猟採集民や初期農耕民などが行っていた定期的な戦闘と似たようなものになるようにも思える。
資本主義を中心とした国民国家が存続する以上は、永遠に戦争は無くならないだろう。
人類は戦いから逃れられない生き物のようだから、せめて大量殺戮を行う核兵器の廃絶か無力化を行わねばならないらしい。
被爆国の日本ができるのは直ちに核廃絶では無くて核無力化しか無いように思える。
それがアメリカの脅嚇力からの脱出であり、核廃絶に繋がるものだと信じる。
*1 É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019 「総力戦」 『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社
江戸時代での旱魃をしのいだと言われるサツマイモだが、この雨不足と酷暑で生育が非常に悪く、場所によっては枯れかけたりしている。
本来、サツマイモは乾燥を好むので苗を植え付けた時以外は水をやるものではなかった。
放っていてもぐんぐん育ち、蔓を切り返して生育を抑制するものでもあった。
このところ用水路からポンプで水を引いてきて、灌水しているので何とか持ちこたえているが、果たして秋にまともに収穫できるか疑問に思っている。
それに対して元気なのはオクラである。
実は去年もオクラがいっぱい採れて、毎日納豆に刻んで入れて食べていた。
霜が降りるくらいまでなり続けてくれたのだが、きちっと栽培方法を勉強していなかったので、手の届かないとこまでならしていた。
このところYoutubeで農法を色々学んでいるが、それによれば高くなったら先を落として止めてやるのだそうだ。
それまでに脇芽が出ていたりするし、摘心で脇芽が出てくるのでそちらから収穫すれば良いとのことだった。
また、取り損なって大きくなり枯れた実になる前に早めに取り除かないと、実がならなくなるそうだ。
要するに種になる前にとられてしまうから、実をならし続けている訳らしい。
本来原産地の熱帯アフリカでは多年草であるので、寒くなるまではそうすれば実がなって採り続けられるのだった。
日本では越冬は無理なのだが枯れた後の切り株もとに空豆を植えてやったらよく育ったし、切り株を高くしておけば空豆の支え木になった。
オクラは苗で買うより、種を植えた方が上手く育つので、毎年直に種を蒔いている。
今年は全く耕しもせず肥料も入れていない場所で草だけ削って種を蒔いた。
芽はしっかり出たが、周りに草が多く生えてきて生長が悪かったので、自家製の液肥を少し撒いてやったり、堆肥にした草を敷いたりした。
このオクラも乾燥に強く水はあまりやらない方が良いようだが、去年から暑さが厳しいのでサツマイモと同じように灌水してやっている。
一番の敵は葉を食べる虫だが見つけ次第潰してきたが、今年もつきだした。
また、以前は葉が多い方が実に栄養が行くのかと思って茂らしていたが、落とした方が実のなりが良いことを知って下の葉は小まめに落としている。
品種も実が大きくなってもあまり固くならない丸オクラを作っている。
毎年いっぱい採れるナスビ、キュウリ、トマトが今年は高温少雨でまともに採れない。
去年はどちらも採れすぎて持て余したくらいで、キュウリなどはたくさん漬物にして冷凍保存している。
ズッキーニや里芋は去年からもう採れなくなっているが、どうも非常に暑さに弱いようだ。
近所の畑を見ても同じような状態で、うちは小まめに灌水しているので何とか持ちこたえているが、多くの作物を枯らしてしまっている畑も見かけたりする。
だから私の今作っている作物で食事をまともに貢献しているのはオクラだけと言って良い。
自給自足などとはほど遠い状態である。
来年の夏作物はもっと手をかけてしっかり生長させ、真剣に暑さ対策をしようと思っている。
去年は高黍を植えていたのが暑さ対策として結果的に良かったらしく、今年は植えてないので作物のできが悪い。
高黍を植えなかったのは、実があまりならなかったからなのだが、来年は暑さ対策や肥料として植えようと思った。
そして、オクラをもっと中心に据えた栽培と食生活をしようと思う。
また、近くで栽培されているモリンガもよく育っているようなので、赤穂の実家の畑にはモリンガを植えようと思っている。
また、家の中で育てているキダチアロエやアロエベラも元気で株も増えているので、こちらも実家を活用して増やしていこうかとも思っている。
もうこの夏は自給農家にとっては、ある意味で食糧危機となっており、今後もこういう気候が続くと思って救荒作物を主力にせねばならない時代になったと痛感している。
椅子は一日で長く座っている家具なのに、間に合わせで使うことも多かった。
夏場は暑いので二階の部屋から一階の座敷に仕事場所を替えている。
その時に使ってきたのが以前に使っていた木製の食卓椅子だった。
私は長時間座って前立腺炎を起こした経験から、円座を用いているのだが、高さ調節もあって座布団の上に置いたので、非常に安定が悪かった。
二階の椅子を持って降りても良いのだが、それはそれなりに使うので、新しい椅子を買おうとネットの通販で探していた。
そこそこ良いのが見つかるのだが、レビューを読むと組み立ての手間や使用時のトラブルが気になって踏ん切りが付かずにいた。
二階の黒椅子も40年以上前の東京暮らしの時にリサイクルショップで買った掘り出し物だったが、今回もリサイクルショップでも探すことにした。
以前に息子がデスクワークで利用していた食卓椅子を壊してしまった時に、そのリサイクルショップで椅子を購入した。
3000円ほどの事務椅子だったが、通気性の良さそうだしカラフルなので買って渡した。
どうも、事務椅子は業者から多く持ち込まれるようで、同じタイプの物が山積みされてもいた。
今回もそれで良いと思って行ったのだが、酷暑の中で陽に晒したまま店の前に展示しているのを見て、中にもっと良いのがあるかもしれないと思った。
中はエアコンが効いて涼しかったので、じっくりと椅子を吟味することができた。
予想通り少し値の張る椅子が3脚ほど有って、一番気に入ったのは6800円もした。
通販でもそれくらいの値段で良いのは買えるが、組み立てる手間などを考えて購入することにした。
それを現在使っているのだが、座面の高さも簡単に調節できるし、リクライニングもできる。
ヘッドレスト、アームレストもフットレストも付いているので、パソコンでのデスクワークだけで無く、動画などをゆったりとみることもできる。
座面も一番下にしたらアームレストが邪魔にならず、机の下に椅子をしまい込むことができて、使わない時にはスペースを空けられる。
難点はアームレストに体重を乗せると、前に背もたれと一緒に動いてしまう。
やはり中古だからストッパーが甘くなっているのか、わざと簡単に背もたれを起こす仕組みにしているのか分からない。
そして、今までの家の椅子とは大きく違うのはキャスターが付いていて、移動が楽にできると言うことで、かつての職場の椅子と同じように使えるようになった。
私は教師になってから職員室や教科の準備室に自分専用の椅子を使わせてもらってきたが、どれも家の椅子よりは使いやすいものだった。
ただ、古いタイプのものは背中をもたれかかると、ビスが外れてひっくり返りそうになってしまうものもあった。
また、特別支援学校などでは職員室の机に向かっている時間はあまりなかったし、普通校でも椅子に座ってゆったりできる時間は無かった。
今回のようにリクライニングできるタイプの椅子など今まで使ったことが無かったので、やっと自家用車並みの事務椅子を使うことができるようになって嬉しい。
起きている時間で一番多くの時間を過ごしている椅子こそ本来は一番気を遣っておくべきだったと思う。
これからは、快適にデスクワークや動画鑑賞をすることができそうだ。
私は時々今でも、中学生や高校生の水泳選手と同じコースで泳ぐことがある。
水泳経験者は個人的に練習に来てコースが空いてないと、練習コースを選ぶ時に一緒に泳ぐ相手かどうか考えざるを得ない。
たまに選手などが私が一人泳いでいるコースに入ってきたり、逆にやむを得ず私が練習している女子選手のところに入ったりする。
男子選手とはスピードが違いすぎるし体格や動作が大きいので、どうしようもない時だけ一緒に泳ぐ。
女子選手といえど泳ぐ速度がかなり違うので、コースを半分で使い分けて泳ぐことにしている。
二人で練習していると、たいていは他の人が入ってくることは無い。
私は水泳部の顧問をしている時からフィンをつけて生徒と一緒に泳いでいて、今でも同じようにフィンを付けて泳いでいる。
女子選手ならフィンを付けていればだいたい同じタイムのサークルで泳ぐこともできる。
そうすればクイックターンが無理なくできるから、選手もこちらに合わせてくれてもいる。
先日(8/4)の午前11時頃に泳ぎに行ったら、知っている高校一年の女子選手が泳いでいて、そこしか泳げそうに無かったので入らせてもらった。
その選手は去年から並んで泳ぐこともあって、話をする機会もできた。
彼女が中学3年だと聞いて、私がかつて勤務し、水泳部の顧問もしていた水泳部のあるH高校を薦めていた。
この夏の近畿大会に100m平泳ぎで出場することをプールの前に張られた小さな横断幕で知って、その選手がH高校に入ったことを知ったのだった。
そのことを聞いてみると大阪で開かれた近畿大会はもう終わっていた。
なぜ学校のプールで練習しないのかと聞いたら、すでに緑く濁ってしまい体育の時間でさえ泳げなかったという。
私が顧問している時もプールの温度が上がりすぎるので、大きなブルーシートで水面を覆ったりしていたが、緑色に濁らせてしまうことは無かった。
本来なら夏休みは学校のプールで9月のジュニア大会に向けてガンガン泳がねばいけないのだが、上郡町のプールに来て練習しているという。
昨日(8/7)も同じように来て練習していたのだが、先日と違っているのはその選手の横を平気で歩いている年配の男性がいる。
このコースには25m泳げる人と書いた立て札が置いてあるのに、全く平気なのだ。
因みに泳いでいる人が無ければ、そういうコースでも歩いても良いのだが、もっぱら女性のお年寄りはたいがい歩くコースで仲良く並んで歩いている。
どうも、男性はそういう女性に交じって歩くのが嫌らしく、マナーに反して平気で泳ぐコースを歩き続けるのだ。
他にコースが空いてなかったので、その歩く男性をよけながら女子選手と泳ぐ練習を続けていた。
隣の相生の市民プールでは泳いでも歩いても良いコースと、泳ぐだけのコースを設定してあってこういうことにはならない。
その男性は25mは泳ぐ力があるから良いだろうと、勝手に解釈して歩き続けるのだ。
6コースのうち3コースが水泳教室が使い、1コースが歩き、1コースが遊泳、1コースが泳ぎと朝の10時から11時半まで続く。
やっと、水泳教室が終わって空いたコースに行くのも大変で、それを待ちかまえて入ってくる男性がいて、やはり同じように25mや50mの泳ぐコースで歩いたり泳いだりする。
私は彼女がこんど9月の県大会では表彰台に立ってほしいので、できるだけひとりでしっかりと泳げるように他に歩く人がいる25mコースに移ってあげた。
12時近くになって、やっと人が減って自分ひとりだけで泳げるようになったので、バタフライの練習ができるようになったが、彼女の練習も終わっていた。
本当は相生市民プールの方が泳ぎやすくて行きたいのだが、利用料金が高くかかる上に乗っていく軽トラのガソリン代も馬鹿にならない。
真冬では上郡のプールは寒いし水が冷た過ぎるので、やむなく高い費用を負担して相生にまで泳ぎに行っている。
去年の夏休みは混雑を避けて相生に行ったので、今年もそうしようかとも思ったが、有望な選手が泳いでいる近くで泳ぐほうが、自分のモチベーションも上がる。
彼女にとっても年寄りがハードな練習を近くでしていたら、負けられないと思ってくれるかもしれない。
今の彼女の練習は私が顧問していた時の選手の練習量の半分以下である。
平泳ぎで近畿体系に出場し、全国を目指していたスイミングスクールに行っていない選手が当時のH高校にいたが、自分で考えながらハードな練習を続けていた。
まだ、彼女は高校一年でありながら西播磨では平泳ぎは一番速いので、是非とも全国を目指してほしいと思う。
そういう選手と泳げるのが上郡のプールの良いところでもある。
彼女のお陰で、どんなに暑くてもプールに行こうと思えるようになった。
私は幼稚園から小学校までは公立に通った。
中学校から大学は私学で、大学院は公立だった。
そして、就職したのは公立の公務員だった。
大学院の先輩に慶應大学出身の人がいて、幼稚舎から大学院修士まで慶應で、博士は都立大学、結局慶應大学の教員になった人がいる。
その人は学んだ公立は都立大の博士だけということになるが、博士課程は当時の徒弟制的研究室の中では上位であり、下積みなしのブランド強化とも言えるかもしれない。
修士という下積みで潰れていく院生も少なからずいて、他の大学院の修士で力をつけて博士から入ってくる方が合っている人もいたようだ。
先輩の中には学部が都立大で修士は他の大学、そして博士に都立大に戻ってきた人もいた。
そういう意味では私は私学の大学院修士でのびのびしていた方が合ってたかもしれないが、早めに自分の実力を見極められた良い経験だったのかもしれない。
同じ私立大学でもミッション系とそうでないところでは育ちが方が違ったようにも思え、大学院では早稲田や慶應とは肌色が違っているように感じた。
また、同じミッション系でも国際基督教大学出身の先輩や後輩もいたが、私たちのようなカトリック系の学校とは学生のタイプがかなり違っていたように思える。
私は中学から大学までの10年間をカトリック系ミッションスクールの自由な校風で育ったので、それが抜けきれず大学院の修士で挫折したようにも思える。
研究職を目指すなら大学からゼミの先生との師弟関係をしっかり築き、学閥組織で生き抜く覚悟をしていねばならなかった。
ただ、恋愛に関しては大きな失敗もあったが、多くの掛け替えのない経験をすることができた。
実は、こんど出身校の淳心学院が男女共学になるという。
どうも、少子化の影響で経営的に求められているようだ。
これで中学校から校内でも自由に恋愛ができると思うかもしれない。
私は逆だと思う。
家内は大学以外では男女共学であったが、男子を恋愛対象としてで無く、競争相手とみていてもいたようだ。
そして、大学は女子だけの大学にはいったので、女子だけで気楽に仲良く過ごせたようだ。
中学高校での男子校では女子に対して対抗意識を持ちようが無い。
他校の女子生徒やOLと気楽に友だちでいられる者もそういなくて、しっかりと恋人として付き合うのが普通だった。
要するに女性は恋愛の対象であって、進学などの上で競争する相手ではなかった。
私は大学では男女共学だったが、大学院への進学で競う女性はそもそもいなかった。
その点では国立大学に進んだ理系の娘が男性とも競争して大学院に進んだのとは違う。
娘はずっと男女共学で男子とも競争してきたので結婚できるか心配したが、なんとか職場結婚してくれた。
母校が男女共学になるということは、名前が残るだけで母校を失ってしまったようにも思える。
確かに受験勉強という競争に晒されてはいたが、ミッションスクール特有の自由さで仲間とロックバンド演奏で楽しみ、校外での恋愛を謳歌できた。
その延長上に同じカトリック系ミッションスクールの南山大学があったので、次の都立大大学院では挫折したと言えるかもしれない。
一方で、男子校で恋愛関係に無縁で勉強に勤しんで、立派な医者になった仲間も多く知っている。
また、現在は兵庫県の衆議院の小選挙区12区のうち2区で議員として卒業生が選ばれている。
国公立医学部に限らず東大や京大などの有名国公立や有名私学に進学した仲間で、男女交際を派手にしていた者は同じバンド仲間の数人しか知らない。
男女共学になっても志望する大学に入りたいのなら男女交際はほどほどにせねばならないと、身をもって思う。
ただ、淳心学院卒業後の恋愛や結婚することに関しては、むしろ男子校であったことで、女性に対して思い入れが背中を押してくれたように思う。
「男女7歳にして席を同じせず」というのは、切り離すことで異性を強く意識して却って求め合うことになるからかもしれない。
また、在校当時にはベルギー出身の独身神父さんなどを近くに見ていたので、それが却って結婚願望になったようにも思える……