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2026年11月5日木曜日

現代社会が作り出した自閉スペクトラム

 私は正教諭であった30年間の中で、特別支援学校での障害教育に11年間携わってきた。

また、普通高校でも障害を抱えた生徒も受け入れており、特に定時制では率としては多かったと思う。

障害教育のうち4年間は肢体不自由の特別支援学校だったが、知的障害や精神障害を抱えた児童生徒が在籍していた。

特別支援学校では障害に対する研修が多く行われてきたのだが、自分自身しっかりと学んだといえる自信は無い。

そもそも、研究者になりたくてもなれずに、教師にしかなれなかった「でもしか」教師でしか無かった。

障害教育に精通して骨を埋める気持ちは持っていなかったが、初任校は強制的に、二校目はやむを得ず、三校目は自ら望んで赴任することになった。

しかし、現実は身近に障害を抱えた人がいて、ずっと関わり続けることになったのだが、真剣に専門書を読んで学ぼうとはしていなかった。


ところが、最近認知科学に興味を持って、手にした本が次の本だった。

エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり訳 2024 『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館THE DISORDERED MIND(2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]


この2章は「人類のもっ強力な社会性―自閉スペクトラム症」であり、それを読んで自分がいかにこの障害に対して無理解であったかを思い知った。

その無理解がどういう意味を持つかは、後に読んだ高木美歩   『開かれる自閉―医者・心理学者・当事者のポリフォニー―』(2025    晃洋書房)で思い知ることになる。

その「まえがき」でその障害をもつ著者の高木さんが訴えている言葉に涙が溢れてきた。


しかも,話はそこで終わらなかった.そこにいた先生に誘われて打ち上げに参加させていただいた.楽しい時間を過ごしたが,終わりがけにふと「研究が中絶を奨励するって,どうなんでしょう.できるだけ中絶しなくていい社会を考える方がいいんじゃないでしょうか」と口にしたら,目の前に座っていたおそらく研究員の男性が「それは家族の苦しみを知らないからそう言えるんだ!」とお酒の入った赤い顔で言った.その瞬間,わたしの胸がまたいっぱいになった.わたしも自閉症なのに.きちんとした格好をして少し専門的な話を聞くことができるし,話すことができるけど,わたしも自閉症なのに! 目の前に座っている人は多分身内に障害がある人がいて,何かしら苦しんでいるのが伝わってきた,傷ついた気持ちと,自閉症のせいで誰かを苦しめているのかもしれないという罪悪感で何も言えなかった.自閉症は生まれてこないことを望まれるほどのことなんだと思うと,恐ろしかった.父の迎えの車に乗って泣いた[前掲書:ⅲ].


自閉症という言葉は使われなくなり、自閉スペクトラム症と言われるのだが、その障害の重さがかなり違っている。

軽くて特別な知的能力をもつ人は以前はアスペルガーと言われていた。

そういう人の中にはノーベル賞をもらう人までいたのだが、高木さんは企業に就職は難しくても研究は立派に出来る能力を持っている。

就職できている人の中にも、人間関係が苦手だったり、自分がどういう立場なのかを認識できてない人もいる。

自分自身も、教師だから何とか長年続けられたのだと思っている。

10人まで位のグループでは何とかやっていけるが、大勢になると周りに合わせることが苦手であった。

だから、少人数の障害教育や人数の少なくしたクラスの担任や授業は何とか勤められた。

ただ、教壇に立ったり、バンド演奏でステージに立って大人数と接することはむしろ好きになっていた。

高校時代の同級生に大学院で研究していると言ったら、私が人と合わせられない性格なのでその道しか無いと思っていたと言われた。

おそらく性格としては私は研究者の方が合っていたかもしれないが、語学力などの実力が伴っていなかった。

なんとか仕事が続けられる場合は「性格」とされるが、仕事が続けられない場合は「障害」とされるだけのことである。


重度の自閉スペクトラム症になると、言葉が話せなかったり、上手く会話が出来なくなるし、知的障害を伴うことも多い。

確かに、そういう子どもをもつ親の困難さを特別支援学校では多く見てきた。

親が生きていて元気なうちは何とかなるのだが、その後が心配だと誰もが言っていた。

親でも持て余すこともある子どもを兄弟や親戚に任せることなど出来ない。

だから、施設を頼るしか無いというのも十分理解できた。

妊娠時の検査で障害が分かれば中絶するということも理解できるが、関連する遺伝子が分かっていても現実的には今の医学では特定は不可能だという。

そうなると、結婚相手に自閉スペクトラム症に関する遺伝子があるかどうかを見極めてからの結婚ということになるだろう。


しかし、そんな単純では無いことは、エリック・R・カンデルの本を読めば分かる。

コピー数の変異は、染色体上にある遺伝子数を二〇~三〇減らしたり増やしたりする。いずれの場合も自閉スペクトラム症のリスクが高まる[エリック・R・カンデル2024(2018):65]。

そして、一番気がかりとなるのは「デノボ(新生)変異」でこれは、「子どもがもつ突然変異のすべてが親のゲノムに存在するわけではないとわかった。成人男性の精子内で自然に突然変異が生じることがある[前掲書:68]」という。

デノボ変異の数は父親の年齢とともに増加することもわかり、年齢の高い父親ほど精子にデノボ変異が多いため、結果として自閉スペクトラム症の発症リスクを高める変異を子どもにも伝えやすい傾向がある[前掲書:69-70]。

そして、次のことは非常に重要である


自閉スペクトラム症の成人は、非自閉スペクトラム症の人に比べると子どもをもつ可能性が低いにもかかわらず、毎年、自閉スペクトラム症と診断される子どもの数は減っていない。非自閉スペクトラム症の父親の精子におけるデノボ変異が、自閉スペクトラム症の発症が持続している一因なのかもしれない[前掲書:71]」。


つまり、現代社会の結婚年齢の高齢化が続く限り、自閉スペクトラム症の起こる率は増え続けることになる。

現代社会では高学歴が求められるようになり、理系では大学院に進学するのが当たり前にさえなっている。

AIの活用で、中途半端な学歴では通用できなくなっているから、大学院への進学は増えていくだろう。

かつては若年層の結婚出産が問題にされていたが、高学歴者の結婚出産も大きな問題を抱えていることが分かると思う。

今の若い世代が不安を抱えず若いうちに結婚出産できる環境を整えない限り、自閉スペクトラム症の不安を感じる人は出産を敬遠するだろう。

そして、軽い自閉スペクトラム症なら、その人にあった仕事の形態で勤められる環境を整えるべきだと思う。

それには自閉スペクトラム症にたいするしっかりとした理解が必要だろう。

何年も障害教育に携わっていながら、今頃になって理解するのも哀しいことだが・・・・・・


2026年11月3日火曜日

飛べない気球

 先日の朝(10/31)犬と散歩していたら、大きな気球が遠くで見えたので驚いた。

そう言えば、家内から小学校で催しがあると聞いていたのだが、これだったのかと思った。

ロープで繋がれた気球の籠の中に何人か乗せて、小学校の3階くらいまでの高さまで昇らせて降りてくるの繰り返しをしている。

小学校は水田地帯の集落の外れにあって、小学校が一番高い建物である。

広い運動場で気球を上げて、小学校の近くにある専用の広い駐車場に、売店などのテントが張ってある。

遠くの小高い山から小学校に上がる気球を眺めたり。スマホで撮影しながら、近くまで歩いて行った。

近寄るに従って、気球に備わっているバーナーの大きい音が響き渡っていた。

いつも静かな村に、大勢の人が集まってきて賑やかで楽しげであった。



私は気球というと忘れられないことがある。

私は大学院の修士過程の時に、博士課程のあるM先輩に色々とお世話になっていた。

そのM先輩は大学は東京の有名私学、大学院修士は南山大学で、博士課程から都立大学で研究していた。

既に、南山大学の大学院時代には結婚して子どもも産まれていた。

私は南山大学に在籍したことがあったよしみで、可愛がってもらい、自宅にも招かれてごちそうを頂いたり、渋谷などで一緒に飲むことが多かった。

修士論文の清書も手伝ってもらったが、そのM先輩からも仕上がりの悪さを指摘されて、もう一年かけて書き直すように言われた。

しかし、私は心身とも限界がきており、自暴自棄のまま修論を提出して受理してもらい、進学を諦めることになった。

その時に私は自分をそばで支えてくれた人まで失って、生きる望みさえ失っていた。

M先輩も私の様子を感じ取ってか、それを思い留ませる意味だと思うが、M先輩が大学時代に所属した探検部の仲間の話をしてくれた。


その探検部の仲間は気球に乗って旅することが命を賭けた夢だった。

そして、ついにその念願の夢を果たした時に、もうやることは無いと言って自殺してしまったそうだ。

M先輩は私が、その仲間のようにまだ夢が叶ってないので、自殺できないだろうという意味のことを言った。

その話を聞いた時には、死にたい気持ちの慰めにはならなかったが、夢を果たせないまま自殺することは、ただの野垂れ死だと気づかせてくれた。

M先輩はあえてその経験した話をして、自殺を思いとどまらせてくれようとしたと思う。

私は博士課程に進んで研究者になる道は捨てたが、研究者になる夢は高校教師になって追い続けようと決心した。

また、私の大きな夢ではなかったけど、築こうとして果たせなかった普通に家庭を築いて、子育てをしていくことが細やか夢にもなり、それを実現することが出来た。


教師生活を続けて、論文を書いたり、出版もしたけれど、大学院時代からの念願の研究職に就くことは未だに出来ていない。

年齢を重ねた今は、研究職に就くことが最大の夢では無くなっている。

私たちが失ってしまった家族や親戚、近隣お人などと心を寄せ合って生きていくにはどうすればいいのか。

何がこれ程までに人々を追い詰めているのかを問い続けていきたいと思っている。

論文発表や出版だけに拘らず、こうしてブログを通して訴えていくのも一つの手段だと思っている。

私の夢の気球は今回見た小学校の気球のように、空高く飛び立てないかもしれないが、飛び立とうと炎を燃やし続けていることは確かだ。

M先輩がかつて予見したように、空高く飛べない私はしばらくは死ねそうに無い・・・・・




2026年11月1日日曜日

ストレスという呪いが生む独裁者

 ダニエル・Z・リーハーマン、マイケル・E・ロングはその著『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』(梅田智世訳 2020 合同出版)の中で次のように述べている。


ストレスは人間の健康に良いものではない。それどころか、ストレスは人を殺す。ストレスは心臓病、睡眠障害、消化不良、免疫系の不具合などの発生率を高める。うつの引き金にもなり、その結果、エネルギーや意欲が低下したり、無力感にさいなまれたり、死について繰り返し考えたり、単純にあきらめてしまったりする。それはどれも、生存を妨げる方向に作用する[前掲書:264]。


私は大学で文化人類学を学び始めて、最初に興味をそそられたのは、呪術(magc)だが、特に近代社会では失われてしまった邪術(sorcery)に関しては特にそうだった。

日本では藁人形を使って憎い相手を呪い殺したことは知られているが、それはテレビや映画で観るドラマの世界であり、「生き霊」での呪い殺しは古典での世界と思っている。

ただ、大学時代から村落調査で通っていた奄美では、当時はカミンチュウ(神人)やユタと呼ばれる女性には相手をクチと呼ばれる呪いの特別な能力があると信じられていた。

また、若い人でもケンムンと呼ばれる霊的な存在を信じている人が多くて、例えば海で亡くなった人を引き上げた人が亡くなったことなどをケンムンと結びつけたりしていた。

半世紀ほど前の調査当時のお年寄りは、生き霊や死霊としてのマブリの存在を信じている人や知識としてもっている人が殆どだった。

本土の人間も死霊に関しては、幽霊話として語り継がれてきており、交通事故や災害で亡くなった人と遭遇する霊体験の話に事欠かないでいる。

ただ、孤独死なども増え、葬式や年忌なども簡素化され、死者の霊に対する関わり方は希薄になってきている。


死の原因も医学的に説明されて、その死因に至る仕事ぶりや暮らし方を関連付けることが殆どである。

しかし、私は学校教師を早期退職した理由としては、現役教師が膵臓癌や心筋梗塞で亡くなる人を身近にいたことだ。

その多くが仕事熱心で、責任ある立場にあった人が殆どだった。

やりがいのある仕事や大きな責任を伴う仕事は、ストレスを意識できる状況で無いことが多い。

実際はプレッシャーなどもあって、かなりのストレスが身体にはかかっているはずなのだが、それを自覚できない場合が多い。

私もそういう状況にあって、そのストレスは飲酒や好きな食事をすることで誤魔化していた。

その結果が自律神経失調症だったり、糖尿病だった。

私は転勤をしてそういうストレスの多い職場から離れることが出来たが、そうで無い人の何人かが現役で亡くなっていったと思う。


仕事の上でのストレスだけで無く、家庭での夫婦や親子の不和が原因のストレスで膵臓癌で亡くなった人も身近に何人か知っている。

ある知人は夫婦別居状態にあって、その孤独を紛らすために外で飲み、酔いを車で冷まして明け方に帰ってきて出勤する生活から膵臓癌になって定年前に亡くなった。

私の父はストレスを解消するのに酒に頼り、休日は朝から焼酎を飲んでいた。

一升の焼酎を三日ほどで空けてしまうほどのアルコール依存症となり、脳梗塞を起こしてしまった。

退職後にアルコールを減らした後も、熱中症を起こす無理な農作業で脳梗塞を悪化させて、アルツハイマー症になってしまった。

酒が原因だと分かっていた父は、子ども達家族と一緒に飲食する席では、息子である私たちに「酒を飲むな」と言い続けていた。

しかし、父同様にストレスを酒で紛らせていた四人兄弟は、難病を抱えた一人を除いて飲み続けている。


一般に狩猟採集民はストレスを酒で解消することはほとんど無い。

しかし、一日の狩猟採集に5時間ほどしかかけず、家族や仲間とおしゃべりをして過ごしている。

また、大きな獲物がとれた時は。みんなで食べ尽くすまで、歌って踊っては腹を空かして食べるの繰り返しだった。

ただ、狩猟採集民もビンロウジ((檳榔子)が鎮痛剤や興奮剤として用いられていたほか、幻覚作用のある植物などを使っていたことは確かなようだ。

農耕が始まってからの薬物やアルコールへの依存に比べたら、程度は軽いものだったようだ。

砂糖栽培で黒人奴隷を働かせるのにラム酒が使われたことは有名だが、黒糖生産を行っていた奄美の人の焼酎好きもよく知られている。

肉体労働と飲酒がセットになっている場合はましなところもあるが、デスクワークのサラリーマンが飲酒や喫煙しかストレスを解消できなければ深刻になる。


医者は病気の原因である飲酒や喫煙を強く薦めるが、それに頼るストレスをどう解消するかは患者に任せている。

私は友人の医師から断酒を強く求められて、あえて断酒したら自律神経失調症になってしまった経験がある。

ストレスを解消する方法を身につけるまでに断酒や禁煙をしてしまうと、別の健康被害に遭うことになる。

心身の障害や病死の真の原因は飲酒や喫煙で無くてストレスであるのだが、現代社会の中で生きていくためには簡単には避けられない。

ストレスを解消するには多くの費用や時間の余裕が必要となり、特に子育てをしている現役世代には難しい。

かつて、医学が発達していなかった時代や地域では、呪いが死因となったように、医学が発達した現代社会はストレスが死因となっている。

アメリカでは医療もまともに受けられず、自殺に追い込まれる人が多いと言われている。

これは医者が治せるものではなく、それが神のように振る舞うトランプ大統領のような独裁者を創り上げているのかもしれない。








2026年10月28日水曜日

科学的精神療法とイスラム流自己無責任

 私は高校時代に宮城音弥の『精神分析入門』(1959 岩波新書)を読んでから、フロイトやユングの精神分析に大学時代も関心を持ち続けていた。

特に大学生時代に読んだ岸田秀の『ものぐさ精神分析』(1977 青土社)は、非常に分かりやすく、これによって物事を見る目が違ってきたように思う。

ただ、私が専攻していた文化人類学での文化そのものに関しては、岸田の言う「唯幻論」思考は常識的な基礎で、取り立てて強調する必要も無かった。

だから、精神分析は精神障害の治療と関係し、文化の分析には有効では無いと感じていた。


実際の治療に関しては、よく知っている精神障害を抱えたAさんは、当時は薬物治療しか受けていなかった。

1970年代から1980年代では精神療法はまだ治療としては日本においては確立されていなかったようだ。

私は国立大学病院に通院しているAさんから「自分は(薬事治療)のモルモットにされた」という言葉が忘れられない。

当時の精神科医の医者は患者に与える薬も手探り状態に合ったようで、色々と薬を試されているうちに副作用も重くなっていったようだった。

よく憶えているのは、Aさんと病気に関して口論になってしまい、彼は自分の飲んでいる強力な薬を私に投げつけたことがあった。

Aさんは自宅に引きこもっていたのだが、頭が朦朧とするような薬を飲み続けて苦しんでいることを理解できない私への怒りだったのだ。

本人からではなくAさんの母親からは後に、酷い時には自殺未遂までしたことを聞かされたが、その時には知らなかった。


後に、Aさんが幼い頃に母の再婚の折りに祖母にひとり預けられていたことや、母の再婚者との不仲で別居状態になったころは思春期であり自分を責めていたという。

その義父も別居後すぐに心臓発作で亡くなってしまい、Aさんの心の傷が残されたままになったことが理解できる。

そして、引き籠もりの大きなきっかけとなったのは、大学受験に失敗し浪人生活で寮に住んでいた時に生じた相部屋の人とのトラブルだった。

彼は相部屋の人に我慢が出来なくなって、母親に寮を出て家に帰ると訴えた時に、母親は叱って頬を叩いたそうである。

それ以来、家に引き籠もったり、時に家で暴れるようにもなったという。

若い頃は完全に引き籠もってしまったわけでなく、色々と仕事にも就いたが元気な時は頑張りすぎて、その後で落ち込んでしまい続けられなくなるの繰り返しだった。

今からその当時のことを振り返ると、症状としては双極性障害2型だったように思う。

母子家庭で大きな期待をかけられた心の負担が、大学受験での挫折と追い詰められたことが大きなストレスとなり耐えられなくなったのだと思う。

人によっては、それくらいのことを乗り越えられないでどうすると思うかもしれない。

彼の心は幼少期や思春期の傷を背負ったままだったので、耐えられなかったのだと今の私は思う。

そして、当時の彼には心に寄り添ってくれる人がいなかったのも追い詰められた原因となったのだろう。


今から思えば、幼い頃と思春期の心の傷を「認知行動療法」で治療していれば、改善できたのではないかと思えてくる。

エリック・R・カンデル*1は精神療法に関して次のように述べている。


精神科医はかつて、精神療法と薬物療法は異なる方法で作用すると考えていた。精神療法は心に働きかけ、薬剤は脳に働きかけるとみていた。しかし現在、現実はそうではないとわかっている。精神療法の治療者と患者の間の相互作用は、実際に脳を生物学的に変えることができる。この発見は驚くべきものではない。私自身の研究で、学習によってニューロン間の接続に解剖学的な変化が生じ、その解剖学的変化は、記憶の基盤になっていることがわかっている。精神療法は、結局は学習と記憶という一連のプロセスなのである[エリック・R・カンデル2024(2018):98-99]。


精神分析に始まった精神療法がやっと治療として認められ、薬物療法と併用して効果を上げられる時代になったという。

Aさんは昨年自宅に引き籠もったまま、一人で亡くなってしまった。

もし、この治療が彼の若い頃に確立されていれば、ずっと社会に出て働くことも出来たかもしれない。

ただ、救いだったのは、引き籠もり続けた彼は年老いて寝たきりになった母親を最後まで介護し続けたことだった。

彼が亡くなった時には母親は体調を崩して入院していたのだが、周りは気遣ってAさんの死は知らせなかった。

しかし、分かっていたのだろう、安心したかのように、後を追うように数ヶ月後に亡くなった。

現在は、精神的な障害で用いられた話すことによる治療は、現代ではインフォームド・コンセント(informed consent)にも活かされている。

しかし、現実は多くの患者を抱える医師がじっくりと患者と話し合えることは難しい。

CTやMRIでの検査に頼ってしまっているのが現状だと思う。


精神障害を生じて自殺にまで追い詰められる多い現代社会にあって、自殺の無い社会がある。

それが、イスラム教のアラブ社会である。

それは宗教上で禁止されていることが大きいが、根本的な問題は自己責任をとらされることが無いと言うことだと思う。

日本UAE文化センター代表、作家、エッセイストのハムダなおこは、自殺の無いアラブ社会の理由を次のように述べている*2


アラブには自己責任という思想はありません。自分の行状が今ある運命を導いたと結果づける倣慢さがないのです。人間の身勝手な自己責任という言葉を、対象を選ばずに拡大していったコロナ禍を機会に見直す時が来ているのではないでしょうか[ハムダなおこ2021:102]。


資本主義でかつ民主主義の社会では、自由で平等であるが故に自己責任が要求されている。

家庭環境に恵まれなかったり、たまたま運が悪い巡り合わせでも、「運も実力のうち」として、自己責任なってしまう。

そして、受験戦争に破れたり、就職戦線で負けてたら、努力が足りなかったとか、所詮実力が無かったということになる。

イスラム社会では宗教によって自己責任を回避できるのであるが、そうでない社会では追い詰められて自殺するしか無い。

特に顕著な学歴社会となった日本では、若者が追い詰められて自殺してしまっている。

イスラム教のような宗教を持たない日本人は、せめて精神療法で寄り添ってくれる医師が増えることを望むしか無いのだろうか?


人類の生態史から病気を研究している古澤拓郎は、その著書『ホモ・サピエンスの15万年-連続体の人類生態史-』(2019 ミネルヴァ書房)で、現代日本社会の抱える問題を明らかにしてくれている。

「個人主義化した社会のうつ病」[前掲書:106-114]の項目で、集団主義だった日本人が欧米化で個人主義に移行していったことがうつ病と関連していることを述べている。

「自己責任」とはまさしくこの個人主義の産物である。

学校と企業で家族・親族や地縁関係が崩壊させてしまったのでは、現代の先端医学での治療は焼け石に水となるだろう。

近年は個人の相談相手がChatGPTという驚くべき時代になってしまっている。

私が大学院での挫折で精神的に立ちゆかなくなった時に、電話で一番話し相手になってくれたのは母だった。

もし、母のような話し相手がいなかったら、自殺していたかもしれない。

知り合いのAさんが生き続けられたのも、母親や家族の理解し寄り添ってくれたからだと思う。

宗教でなくても、寄り添っていける人と仲良く暮らすだけで、人は何とか生きていけるように思う。


*1 エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり訳 2024 『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館THE DISORDERED MIND(2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]

*2 ハムダなおこ 2021 『アラブに自殺、イジメ、老後不安はない―ムスリムにならう幸福の見つけ方』 国書刊行会





2026年10月25日日曜日

音を聴くための耳栓

 耳栓は普通は騒音で困っている時や、水泳などで水が耳に入るのを防ぐために用いる。

私は騒音で困って眠られない時に、使った経験はあるにはあるが、工事現場などで使い続けた経験は無い。

一方で、水泳は社会人になってから健康や体力作りのためにし始めたが、当初は耳に水が入るのが気になって耳栓を使っていた。

ところが、耳栓をちゃんと管理せずに不衛生にしていたので、外耳炎や中耳炎を起こして耳栓をしなくなった。

水泳をしていたらどうしても耳に水に入るのだが、それを抜くこつもそれなりに得たのだが、やはり耳の奥の方に残ってしまうことがある。

そういう時は家に戻ってきてから、ティッシュをこよりにして、耳穴に差し込んで水分を吸収させていた。

プールの水は消毒液が強いので、どうしても耳の中が痒くなってしまって、以前はそれを耳かきで掻いたりして外耳炎になったりもした。

このところは、家に戻ってきてから、針の代わりに細い管の穴から三方向に水が出てくる耳穴洗う注射器で洗っていた。


このところ、シュノーケルを使った練習を多くしているので、水中に耳をつけている時間が多くなっていた。

だから、以前から水中でも音楽が聴きたいと思っていたことを実行した。

それは防水の骨伝導のイヤホンで、MP3の音楽を多くデーター保存して聴くことや、Bluetooth機能がついていて、スマホやPCからの音も聴くことができる。

この防水骨伝導イヤホンを主に水泳の練習で用い、雨降りの散歩にも用いたりしていた。

ところが、水中ではやたら低音やドラム音が響いてまともに聞けないことや、逆に音が小さすぎて聞こえないこともたびたびあった。

音の出る部分を耳穴の上にしたり、ずらしてみたりしたがあまり効果は無かった。

そもそも、水中と水上では音量も違い、聞こえ方も全く違っていた。


この骨伝導イヤホンも右側が故障して、左側しか聞こえなくなっていたし、充電してから使える時間も5時間ほどになっていた。

そろそろ、新しいものに買い換えようと思ってネットで探していたら、レビューの中で耳栓をしたらよく聞こえるという記事があった。

そこで、さっそくゴーグルに紐付けできる耳栓をネットで注文して取り寄せたのをつけて泳いでみると、レビュー通りに綺麗に音が聞こえる。

ただ、知り合いの人や監視員の人に話しかけられたら、耳栓を外さないと声が聞こえない。

その時はいちいち外さねばならないがそれは仕方ないことだろう。

その一方で、耳に水が入らなくなったお陰で、水を抜いたり洗ったりする必要が無くなった。

紐付けした耳栓の影響でゴーグルに水が入ったり、骨伝導イヤホンが外れやすくなっているので、それに対する対策もせねばなら無いとは思っている。


それにしても、骨伝導イヤホンは水中で音楽を聴くには耳栓をした方が良いという考えは全く思いつかなかったので、ネットのレビューには感謝しなくてはいけない。

ただ、ネットでAIで調べてみたらちゃんとそのことは書いてあった。

これからは何でもネットのAIに訊いてみる必要があることも気がつかされた。

耳栓が音や水を遮断するという固定観念が、水中で骨伝導イヤホンを上手く聴く方法を1年間も知らずにいたことも反省点である。

因みに、こういう骨伝導をイヤホンを使いながら泳いでいる人は身近にいなかったので、相談する相手もいなかったこともその原因であった。

それは私のようにシュノーケルも使いながら1時間半も水泳を楽しむ人が身近にいないからで、選手はコーチの声や合図を聞く必要があるのでつけなくて当たり前だろう。

ただ、ひたすら泳ぎ続けている人には、ジョギングやウォーキングで音楽を聴いているのと同じことが出来ることを知ってほしいと思う。

2026年10月23日金曜日

記憶を旅するパイプタバコ

 私は大学に入ってから煙草=シガレットを覚えて、結婚して子どもができて禁煙を始めて、三〇歳半ばで全く吸わなくなった。

大学時代は貧しかったので、SHINSEI(しんせい)という両切りの安い煙草を普段は吸っていた。

学生時代は今のように毎晩晩酌する金銭的余裕がなかったし、タバコも無くても平気だったが、有る時には一日に数本吸う程度で一箱を大事に吸っていた。

安いSHINSEIはシケモク(吸い殻)を吸うのは当たり前で、何回も分けて吸ったりして、指がやけどをするくらいまで吸い尽くした。

少し金がある時はHi-lite(ハイライト)、まとまった金がある時はHOPE(ホープ)や缶ピ(Peaceの缶入り)を買ってSHINSEI以上に大切にして吸い尽くした。

ただ、私の吸い方はどちらかというと煙の香りを楽しむ方で、肺にいっぱい吸い込むやり方では無かった。

大学院に入ってからは東京での孤独な日々が続き、安いコーンパイプやキセルを使って、タバコを楽しむことが娯楽の無い研究生活を支えてくれていた。

また、奄美に村落調査に行っていた時には、タバコは現地の友人にせがまれることが多く、その代わりに普通には聞けない情報を色々と頂いた。

ところが、アパートに籠もって修士論文を書き始めてから、タバコの吸い方が大きく変わってきた。

原稿を書き続けるために煙草を吸い続けるようになり、書く苦しみや疲れを忘れるために煙を絶やさなくなった。

結果的に論文は上手くまとまることが出来ず、十二指腸潰瘍が悪化したのでそれを改善するために喫煙を控えてジョギングを始めた。

しかし、論文作成の失敗で精神的に追い込まれ、生活は破綻してしまい、トランキナイザーが必要になるくらいに精神を病んでしまった。


私は立ち直るために研究をすることを諦めて、地元に戻って教師になることにして、採用試験の勉強に取り組んだ。

筆記試験まではアルバイトをしなかったので、飲酒や喫煙は控えめだったが、それが終わってからアルバイトを始めると飲酒喫煙は増えていった。

特に、パイプタバコが楽しみとなり、神戸に出かけた時には必ずたばこ屋によって欲しいパイプタバコを買ってきた。

教員採用試験に受かって、採用されたのが知的障害の特別支援学校(当時は精神薄弱者の養護学校と言った)に勤めることになった。

この学校での勤務は児童生徒が学校にいる限り、職員室に戻れなかったし、放課後も研修や会議が多かったので、タバコを吸う暇などなかった。

タバコは職場の仲間と飲む時に吸う程度になっていた。

そして、結婚してから子どもが出来たことをきっかけとして、禁煙に取り組むことになった。

私はニコチンへの依存性はそれほど無かったので、普段はそれほどタバコが欲しいとは思わなかったが、飲む席ではどうしても欲しくなりもらいタバコをした。

それでも、子どもが大きくなった頃には、一切タバコは吸わなくなっていた。

それからは、タバコは欲しいと思わなかったし、むしろ水泳をするのには妨げになるので、全く縁が切れて、むしろ煙草の臭いが嫌いにさえなっていた。

高校教師になってからのタバコは、生徒が喫煙行為で特別指導を受けるので、生徒指導部では取り締まる側、担任としては特別指導に携わる側として苦労が絶えなかった。

一番嫌な思いをしたのは、野球部の生徒の喫煙を見つけて報告したら、生徒指導部長にもみ消されてしまったことだった。


ところが、そういうタバコとの無縁の生活が徐々に変わっていく。

定年前に早期退職して、研究成果を出版しようと、長時間文献にあたったり下書きを書いていると、気分転換が欲しくなった。

最初は、タブレットやガム、飴などで行っていたが、タバコのような物が欲しくなって、電子タバコ(VAPE)を吸うようになった。

ニコチンなしのタバコ風味を吸ったりして少しは気分転換できたが、香りとしては全く別物に感じて、そう長続きしなかった。

やはり研究だけしていると体調を崩してしまったので、農作業に力を入れ、水泳やギターなどをやり始めると、そういう気分転換のものは必要で無くなった。

ただ、飲酒の方は毎晩晩酌し続けているし、現役の頃は休日には朝から飲むこともあったが、歳を重ねるうちに量は減って行った。


しかし、そんな私に大きな落とし穴が待っていた。

それが、   デイヴイッド・T・コートライト 小川昭子訳 2003 『ドラッグは世界をいかに変えたか-依存性物質の社会史』 春秋社 FORCES OF HABIT: Drugs and the Making of the Modern World(2001)[デイヴイッド・T・コートライト2003(2001)]だった。

これは以前読んでいたのを先日読み返したのだが、自分がシガレットとパイプタバコを同じように捉えていたことの誤りに気がつかされた。

「シガレットは、機械時代のシンボルである。そこでは最終的に歯車や車輪やレバーの役目を人間の神経が果たすようになる」[前掲書:156]という論評を紹介している。

時間をかけてゆっくりと香りを楽しむパイプタバコや葉巻に革命を起こして、ニコチンの力で人を働かせる道具にしたのはシガレットであった。

このニコチンに関して、ダニエル・Z・リーハーマン&マイケル・E・ロングは次のように述べている*1。


ニコチンのおもなはたらきは、ニコチンそのものに対する渇望感を和らげることにある。まさに完壁な円環だ。煙草を吸う唯一のポイントは、ニコチン依存症になり、その結果生じる渇望に伴う不快感を和らげる快感を体験することにある。たとえるなら、荷を下ろしたときの爽快感を味わいたいがために、一日じゆう岩を持ち歩くようなものだ[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):77]。


シガレットはドラッグとしてのその快感を利用されて、企業は大儲けし、日本政府は専売公社で国民の多くを蝕み続けていたのだ。

欧米人が驚くほど日本人の多くがシガレットを吸い、かつては肺がんが癌の中で一番の死亡者を出すまでになっていた。

シガレットは日本人にとって、仕事人間を作り出すドラッグであり、そして多くの喫煙者を肺がんで死に至らす麻薬だった。


それに対して、パイプもニコチンは含むが、シガレットのように肺に多量のニコチンを送り込むための物では無い。

しかし、かつての私はそのニコチンそのものよりも、香りに魅せられたタバコの依存症であったことは確かだった。

タバコはドラッグ=薬物と捉えられるが、エリック・R・カンデルは次のように述べている*2


薬物依存症は長期記憶の一種である。脳は、特定の環境的な刺激と快楽を結びつけるよう条件づけられており、そういった刺激に遭遇すると薬物を使用したいという衝動が引き起こされる。快楽の記憶は、依存症患者が薬物の摂取をやめた後も長期間、続く[エリック・R・カンデル2024(2018):274]。


今、私はパイプタバコをシガレットとは違うことを言い訳として、パイプタバコをまた手にしてしまいその悦びを味わっている。

実は、昔のパイプはブリキ缶箱に入れて棚の隅に置いていたのだ。

AMPHORAを龍野のたばこ屋まで行って買ってきて、火をつけて吸い始めると昔のように少しの煙で長い時間吹かすことが出来た。

そして、若かりし日々の記憶は具体的な出来事では無くて、気分として甦ってきた。

そのかつて経験していたタバコの香りに包まれることは、過去の自分の感情を取り戻すことでもあった。

タバコの香りの記憶は恋人や友だち、妻との感情としての記憶に結びついて残されていた。

悦び、悲しみなど喜怒哀楽を全部含んだ心としての記憶に旅をさせてくれるのがタバコの香りだった。

薬物依存症は現代では脳障害と捉えられている[前掲書:276]というが、私は酒とタバコの軽い脳障害のおかげで、こんな時代でも生きていられているとも思っている。

本当は酒も煙草も必要なかった頃のような暮らしを取り戻せたら、どんなにか幸せだろうとは思っているが・・・・・・


*1 ダニエル・Z・リーハーマン&マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020 『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』 インターシフト  THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity  and Will Determine the Fate of the Iluman Race(2018) [D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)] 


*2 エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり薬 2024『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館 THE DISORDERED MIND  ( 2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]








2026年10月21日水曜日

サイバー攻撃と「戦いメカ」

 哲学者が用いる「戦争機械」という用語は、元々はフランスのドゥルーズ、ガタリが用いた”machine de guerre"の訳語である。

しかし、”guerre”と「戦争」は似ているが、日本では「guerre de l'audience|視聴率合戦」

「guerre des rabais|安売り合戦」には、戦争を用いない。

日本史で「戦争」という用語が用いられるのは、戊辰戦争くらいからで、「関ヶ原の戦い」をはじめとして、「戦い」「乱」が普通である。

つまり、明治維新以降の近代戦に用いられてきたもので、現代では経済戦争や関税戦争など軍事力を行使しないものにも用いられている。

しかし、哲学者が用いた”guerre”は必ずしも、近代戦以降に用いられた言葉ではなさそうだ。

"machine"に関しても、「機械」以外に装置、機構、仕組み、組織という意味で用いられるが、日本語では「機械」をそういう意味で用いられることはない。

日本の哲学者は一般の日本人がその用語からどう理解するかを考えないで、用語を訳したように思える。

自分なりに解釈すれば、「戦争機械」というよりも、「戦いメカ(戦いのメカニクス)」の方が私にはイメージしやすい。


どうしてこういう用語が必要かというと、流血をともなう軍事力の攻撃だけでなく、さまざまな 攻撃で、国家や企業、市民が危機に陥っているからである。

例えば、経済的な金融による操作では、一国の経済が破綻したし、現代のサイバー攻撃では

企業が営業停止に追い込まれている。

サイバー攻撃に関しては日本はどちらかというと無関心でいられた、それは日本語という特殊性に守られていたからだという。

ところが、現代はAIのお陰でその日本語が防御にならなくなった。

このbloggarによるブログも日本よりも海外で多く読まれるようになったのはAIが利用されるようになったからだ。

このサイバー攻撃で日本人はドゥルーズ、ガタリが用いた”machine de guerre"すなわち「戦いメカ」に関心を持つようになると思う。

AIは確実に戦いメカとなって日本人の生活を脅かすところまでになったので、その本質を気づかされたということだ。

これで、量子コンピューターが実装備されれば、暗号も簡単に解読されてあらゆるセキュリティーが無意味となるだろう。


かつて文化人類学は現代文明の反省すべき点を明らかにするものとして、「未開」と呼ばれた地域に住む人々を研究した。

しかし、哲学のように現代文明を軍事分野を含めてしっかりと把握することは得意では無かった。

一方、経済学に関しては、軍事や戦争に関してはあえて無視しているようにさえ思える。

現代世界で行われている流血戦争は経済的に敵を追い込む戦法をとっており、アメリカがベネズエラに対して行ったような戦術で片がついた方が稀なのだ。

日本国民は流血戦争に関わる軍事には神経質になるが、経済的に攻撃し合う戦いメカには無神経なところがある。

中国や北朝鮮、ロシアなどの犯罪集団によるサイバー攻撃を受け続けながら、台湾有事という流血戦争への危惧に振り回されている無策ぶりなのだ。

もう既に、国家同士の戦争以前に市民の中における戦争は始まっているのにだ。


参考文献

É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019  『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社