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2026年2月27日金曜日

木版画家突々和夫作品展ポスターに導かれて

 先日、赤穂御崎の海が見晴らせる展望公園で、ふと目にしたのが、突々先生の作品展のポスターだった。

雨が降っていたから、たまたま休憩所に寄ったのだが、そこの柱に貼ってあった。

偶然とは言え、何かに導かれたようで気持ちが高揚した。

この「突々」という珍しい名前は、私が育った尾崎にあった名前でよく憶えていた。

尾崎は塩田の関係で方々から浜子が集まってきた影響もあって、珍しい名前がいっぱいあった。

ただ私の石原という苗字は、子どもの頃は西の方にしか無くて、尾崎ではすぐによそ者だと分かってしまっていた。

私が小学生の頃に絵を習っていた突々先生に関係していることは分かった。

ただ、そのお父さんも日本画家だったのでその人かもと思って、赤穂図書館に寄ってパンフレットを見て確かめてご本人と分かった。


私はそのパンフレットをもらって、すぐに家内に見せて自分がこの人から絵を教わっていたことを話した。

家内は私が絵付けしたマグカップを見て、訳の分からない妙な絵と笑っていた。

確かに絵付けするときは何も考えずに思いつくままに描いたのだが、自分としては作為のある絵よりそちらの方が好きだったのだ。

突々先生に習っていたと言うことで、これで私の訳の分からない絵も見直してもらうことになった。

絵を習っていた当時は、先生は高校の美術の先生だった。

日曜日の朝に近所の小学生などに絵を教えてくれていた。

絵を習いに行って楽しかったのは、絵を描くことだけで無く、家の中でおもちゃのボーリングなどのゲームをよくして遊ばせてくれた。

また、天気の良い日などには外に出て、近くの山などでスケッチをしたのだが、そこでも身体を使ったゲームなどで遊ばせてくれた。


絵に関しては色々と教わっていたはずなのだが、私は自分の思うようにしか描けない雑な性格だったので教えられたように丁寧には描けなかった。

先生に褒められた経験もあまりなくて、上達させようとする先生の意に添え無かったように思う。

また、日本画家のお父さんがたまに指導されると、居残りさせられて厳しく手ほどきを受けたのでそちらの方が恐かった。

私は絵の具で汚れた水をこぼすことが多かったので、よく奥さんなどにも叱られていた。

集まってきている小学生は、どちらかというと裕福な家の子どもだったので、私のような貧しい家の子はいなかった。

私の母親が無理して習わせたのは、幼稚園の頃から選ばれて市民文化祭に絵を展示してもらっていたので期待したのかもしれない。

幼稚園からオルガン教室で習っていたが、練習するのが嫌で上達せずに辞めてしまっていた。

この絵の教室も、剣道をやったりソフトボールをする方が忙しくなって辞めてしまった。


小学校でも絵はたまに市民文化祭に出してはもらっていた。

高学年で担任の宗藤先生も絵が得意な人で、私を放課後残して絵を指導してくれたりしたが、先生の気に入るようなできばえにはならなかった。

とにかく、乱雑な性格で、きちっと筆を洗った水を取り替えなかったので、汚れた感じの絵に仕上がってしまうことが多かった。

その性格は姫路の私立中学校でも改まらずに、美術の先生には全く相手にされなかった。

たまに、紙粘土で自分像を造ると気持ちが入って良い作品ができたと思ったが、東京藝大から教育実習に来ていた先輩には「柄に似合わず」と言われてしまった。

同級生からもどちらかというと田舎の荒くれ者的な目で見られていて、繊細な作品は不似合い思われていた。

それでも、絵を描くこと自体は好きで、スケッチブックに憧れの女性の似顔絵を描いて楽しんでいた。


大学に入るとかぐや姫の「神田川」の曲に習って、恋人をモデルにしてボールペンで絵を描いて下宿の壁に貼っていた。

それを絵の得意な友達が見て褒めてくれたときには、複雑な気持ちではあったが嬉しかった。

ただ、研究の方に力が入っていき、年賀状のプリントゴッコくらいしか描く機会が無くなってしまっていた。

教師になってからは、たまに黒板に絵を描く程度でどちらかというと、特別支援学校では生徒の絵を教える立場になった。
その中には山下清画伯のような描き方で、美術の先生も感心するような生徒がいて、「○○画伯」と呼んでいた。
もし、私が突々先生のちゃんとした弟子になっていれば、彼のこともきちっと指導できたかもしれないと今は思っている。

残念ながら先生は既に亡くなっておられるが、私は小学生に戻ったような気持ちになってこれから絵を描いてみても良いかなと思っている。

生成AIなどを使って簡単に絵ができる時代だからこそ、アナログの素朴な絵の方が面白いかもしれない。

突々先生が木版画に拘ったことも分かるような気がする。

少しでも指導を受けた者として、これから自分なりの絵を描いてみようと思った。





2026年2月23日月曜日

Ei(知性化電力)革命における核問題

 前回紹介した飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026] は重要な核問題を扱っている。

「第8章 原子力に固執する「病」と「沼」―病理的政策への診断と処方箋」

の締めくくりとして、次のように述べている。


本章で分析したように、日本の原子力政策を支える「偽りの真実」は、単なる個別の政策ミスではない。それは、個人の認知バイアス(ベーコン)、閉鎖的な社会構造(原子力ムラ)、集団の病理的行動(グループシンク)が、イデオロギーを燃料として強固に結びついた、自己永続的な病理的文化の産物である。このシステムは、客観的現実に対応するのではなく、自らの内部論理に従って完璧に機能している。福島第一原発事故を巡る数々のフィクションは、このシステムの構造が生み出した必然の産物である。この「病」の構造を直視しない限り、日本は原子力という「沼」から抜け出すことはできないだろう[飯田2026:160pー161p]


広島・長崎での原子爆弾による大虐殺や福島原発事故における未曾有の災害を経験しながらなぜ原子力を維持することに固執するのかを説明してくれている。

ここでこれから主力となるAIに必要なコンピューターでの膨大な電力を原子力発電なしで賄うことが肝心となるがそれに関して次のように述べる。


AI革命を牽引するビジョナリーたちの視線は、地上の古い核技術ではなく、空にある「究極の核融合炉」、すなわち太陽に向いている。イーロン・マスクは「太陽系の質量の99・8%は太陽であり、それは巨大な核融合炉だ。なぜわざわざ地上に小さな核融合炉151pを作ろうとするのか」と語り、物理学的にも経済的にも太陽エネルギー利用が圧倒的に合理的だとするロジックを展開(中略)・さらに彼の構想は、地上での発電にとどまらない。自身が率いるスペースXの次世代ロケット「スターシップ」を活用し、数年以内に100GW(原発100基分相当)を超える規模の「太陽光AIデータセンター衛星」を軌道上に打ち上げる計画さえ視野に入れている。これは、宇宙空間で発電した電気をマイクロ波で地上に送るかつての「宇宙太陽光発電(SSPS)」構想とは一線を画す。発電した電気はそのまま宇宙空間でのAI演算に使い、地上にはその計算結果である「データ」だけを送るのだ。グーグルもまた、太陽光で駆動するデータセンター衛星を軌道上に配備する構想を持っており、24時間365日発電可能な宇宙で知性を生み出し、地上へは情報だけを降ろすという未来を見据えている。これこそが、送電網の制約を受けない究極の解決策だというわけだ[飯田2026:150pー151p]


つまり、宇宙空間ならずっと「究極の核融合炉」の太陽を活用でき、そこでAIデーターセンターを運用すれば地上に核施設は必要ないと言うことだ。

ただ、気をつけねばならないのは宇宙太陽光発電(SSPS)は軍事目的でも使えることだろう。

それでも、化石燃料の支配を巡る戦争や紛争を防ぐことができるし、原子力発電所は必要でなくなる。


これから問題となるのは原子力にしろ核融合にしろ、軍事目的以外では必要でなくなる「死の科学技術」となるということだ。

火薬は花火にもなるし、ダイナマイトは建築現場でも活用できる。

核技術は鉄腕アトムやドラえもんを実現できない限り、平和利用などできそうにない。

逆に言えば夢のアニメロボットが核技術の脅威を隠蔽していたのだ。

ロシアのウクライナ侵攻で核兵器は戦争抑止にはならないことが明確となった。

戦争の原因である化石燃料問題が解決できれば、あとは食糧と水問題での戦争を回避することが重要となるだろう。

発展途上国の燃料に関しては、過放牧や過伐採での砂漠化が問題となっており、ポータブルの太陽光発電蓄電池を援助できれば改善できる。

また、再生可能エネルギーを用いた海水の淡水化で水問題も改善できるだろう。


戦争自体がなくなれば、核兵器そのものも必要が無くなる。

核兵器所有による巨大な軍事力を背景に基軸通貨のドルによって世界を牛耳っていたアメリカにとっては不都合なことになるだろう。

日本がアメリカに追随するのは、アメリカの力によって既得権益を得ていた勢力が日本を支配していたからだろう。

その勢力も原子力は必要でないものだとすると、今までの政策の誤りを認めざるを得なくなる。

そして、何よりも原子力の平和利用という隠蔽ができなくなり、広島・長崎の原爆使用は毒ガス兵器使用と同じ意味となってしまう。

これはアメリカ政府も日本政府も避けたいことだろう。

これが日本政府が原子力を維持することに固執する真意のような気がする。





2026年2月21日土曜日

Ei(知性化電力)革命による国民解放

 飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026]を通読した。

現在世界で起こりつつある「文明史的エネルギー大転換」*1について、分かり易く書いてくれているのがこの書籍である。

是非、手に取って読んで日本の置かれている危機的な状況を知ってほしいと思う。

ネットで著者を調べたら、どこかで見たことがあると思ったが、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」でよく見ていた顔だったのだ。

プロフィールを読むと、私と同じ年齢であり親しみを感じたが、その経歴の華々しさの反面、現実に国民の心を掴むことができるのかと不安にも思った。

確かに日本のこれからの危うさや、それへの対処法はしっかりと書いてくれている。

しかし、今回の高市総理の奇襲選挙の大勝利からも分かるように、国民は深く考える余裕や、その環境に置かれていない。

私はこの本を読むのに1日多くの時間を割いてしっかりとノートしながら、1週間はかかった。

例えば、以前高校教師をしていた頃の私は、それだけの時間をかけることができなかったと思う。

書籍を通してしっかりと内容を理解して、市民運動にまで発展していくのはなかなか困難なように感じた。


読んでみてまず思い浮かんだのは、私が研究を続けている奄美諸島の与路島のことだ。

なぜかというと、ここでは私が村落調査していた1980年代は、島に小さな火力発電所があった。

しょっちゅう停電を起こしていたが、シマの若者は集まって飲んでいる時に停電すると懐中電気を持ち出して、蛍光灯を照らして楽しんでいた。

それはディスコのチークタイムをイメージさせるつもりだった。

しかし、停電はシマの人にとっては遅れている暮らしとして恥ずかしいことでもあった。

2008年に訪れたときには既に九州電力からの海底電気ケーブルが引かれていて、もうそういう停電は無かった。

それと同時にそこで働いていた雇用も失われて、そこで働いていた懇意の知人も訪れたときには単身赴任でシマにはいなかった。

シマの人にとって本当に少ない島での雇用を失ってしまったのだった。

発電所と地域の雇用は密接な関係にあって、私の故郷の赤穂市も火力発電所を誘致したが、現在は稼働していないところが似ている。

太陽光など再生エネルギーの発電施設を地域独自で担うことになれば、雇用も生まれる可能性も出てくると期待できる。


とにかく、国鉄、郵便局などの民営化の時以上に深刻なのはこの雇用問題だけでなくアメリカの核エネルギー政策と連なる原子力発電所問題だろう。

福島原発事故を含む原子力発電所の問題は、単に補償問題に留まらずアメリカへの従属関係の根幹に触れるもので単なる廃止だけでは済まされない。

国に政策を変更させるよりも、国民自らが原子力発電を必要としない暮らしをまずしなければならないと思う。

われわれ一般市民が現実として実際にできることは、自ら身を削った生活スタイルの変更だろう。

与路島に関して言えば、私は昔ながらの生活を研究しているので、電気や水道、ガスの無かった頃のことも古老から聞いて知っている。

与路島では煮炊きに使う薪は調査当時でも風呂を沸かすのに使う人も多かったし、村の水道はあっても自分で山の水源から水道管を家まで通している人もいた。

大勝川という集落の大切な川の上流のウブツいわれて、かつては立ち入り禁止の聖域が守られていて、水資源の確保として大切なことを理解していた。

しかし、2008年に訪ねていったときには貯水ダムが建設されていた。

1980年代頃は既に家電製品は行き渡っていたが、せっかく持っている冷蔵庫に電気を通していないご老人もいた。

テレビも受信できていたがが、シマ育ちのご老人には標準語がよく理解できない人もいて、つけているだけの場合もあった。

当時は、村のインフラだけに浸り切った生活ではなくそれが魅力でもあった。

そして、今でも自然豊かな場所だからこそ、これからは再生可能エネルギーを用いて、シマ独自の発展が期待できるはずだ。

猛暑も厳冬もない亜熱帯の海洋性気候は生活するのに適しているので、再生可能エネルギーを十分活用できれば豊かに暮らせるだろう。

かつて、明治維新での島津藩の財源を築いた黒糖に匹敵する特産品を産出して欲しいと思っている。

食品だけで無くバイオエタノールやグリーン水素などの移出も可能ではないかと思う。


本来は日本本土でも当時の奄美に似たような生活が普通だったのだ。

問題なのは開発が進んで当たり前に公共のインフラに浸りきっていることに疑問を感じていないことだ。

電力不足の危機を煽られたら、火力も原子力も否定できなくなる。

インフラに依存する国民につけ込んで、既得権益を持っている人たちが横暴に政策を進めていてもそれに対する疑問さえわかない。

電力を自給自足に近い形まで太陽光と蓄電池を組み合わせて生活できるようになっていることをまず自覚せねばならないだろう。


かつて人類はホモ・エレクトスの時代から火を用いて生きてきたと考えられている。

ホモ・サピエンスは有効に火を用いて居住域を広げていったが、燃料となる薪や動植物油も自分で手に入れていた。

文明が生じて町で暮らす人は近隣から持ち込まれる薪炭などの燃料で暮らしていたのであり、近代のように化石燃料はほとんど使われていなかった。

化石燃料だけでなく核燃料まで使い始めて、環境破壊や戦争で自ら自身を滅亡させかけている。

太平洋戦争に日本が突入していった大きな原因も石油だった。

そして広島・長崎市民の大虐殺に用いられたのが原子爆弾だった。

現在の中東や東欧で戦争や紛争が絶えない原因に、化石燃料が絡んでいる。

原子力発電所の事故は世界を震撼させたし、ウクライナ戦争においては破壊される危険性は核爆弾と同じ意味を持つことを思い知った。

今こそ人類が歩んできた原点に立ち返る時である。

それまでは太陽エネルギーなどの再生可能エネルギーは間接的にしか手に入れられなかったが、科学技術のお陰で直接電気エネルギーに変えることができる。

これは単に損得だけの問題では無く、自分たちの子や孫への責任問題だ。


飯田氏は再生可能エネルギーによる住民の運動に期待して次のように訴えている。


コミュニティパワーは、単なるエネルギー供給の手段ではない。それは、トップダウンの補助金事業が露呈した脆弱性を乗り越え、持続可能な経済と社会を再構築するための「内発的発展」のエンジンそのものである。人口減少や高齢化といった深刻な課題に直面する日本の地方にとって、これまで一方的に外部へ流出していたエネルギー費用という「コスト」を、地域に遍在する再生可能エネルギーという「資産」に転換することは、未来を切り拓くための最大の戦略となりうる[飯田2026:232]


われわれ農村地域に住む者にとって、食糧問題とエネルギー問題は自らの手で解決し、迫り来る危機的状況を回避すべき課題だ。

行政をすぐにでも動かすにこしたことはないが、自分たちができることから始めるしかない。

それは、救いようのない既得権益を守る政策を行う権力者から、国民自ら解放する運動ともなるように思える。

我々のように資金力が乏しい者でも、損得を度外視して取り組む必要も感じている。

飯田氏が日本の切り札という営農型太陽光発電をフレキシブルに活用できないかを考えてみようと思っている。

すでに草刈り機、チェーンソーなどの工具は充電式に換えてあるので、その電源として活用したりできるだろう。

電気自動車も考えてはいるが、知り合いにトラブルをよく聞かされているので、現在はハイブリッド車がせいぜいかなとは思っている。

重要なのは理想だけではなく、暮らしに無理がない改善から地道に行っていくことだと思う。



*1 エネルギーの基軸が「化石燃料から情報へ」と移り、資源の源泉も、地理と輸送の制約に縛られた「地図」の秩序から、世界中に遍在する太陽エネルギーを基調とするシン・オール電化の豊かさへと反転する。さらにエネルギーの生産と消費のあり方も、トップダウンの供給中心からコミュニティパワーの「協働」へ、受け身の消費であった需要は一人ひとりの「選択と参加」へと役割を変える[飯田2026:13-14]。





2026年2月17日火曜日

抗議活動としての一日一膳

 私は昨年の5月頃から原則一日一膳を続けている。

つまり、家族でも私だけは玄米や白米のご飯は三食のうちに一食だけにしているのだ。

それは高い米への対策と抗議を込めている。

このところ、米に代わる重要な食糧はサツマイモである。

これは昨年の秋に収穫したものを、新聞紙に包んだあと段ボールに入れて保存していたものである。

シャトルシェフを使って、生ピーナッツやムカゴ、銀杏などと一緒に自分で蒸している。

甘みを出すには焼いた方が良いのだが、普段食事として食べるのはあまり甘くない方が良い。

奄美では主食として食べるのはあまり甘くないのを茹でて食べていたようだ。

食事をするこたつの上の天板にふかしたサツマイモを置いておいて、小腹がすいたときや、晩酌の時に食べたりしている。

それでも水泳などをした後の夕食は物足りないので、ラーメンやおにぎりを家内に頼んでしまうので完璧とは行かない。


ネットでも米に代えて安いサツマイモを食べているという書き込みもあったが、ぜひそれが多くの人に広がって欲しいと思う。

サツマイモとジャガイモを代用すれば一年中で米の消費を減らすことができるだろう。

この二つの作物は肥料があまり要らない上に、家庭でも簡単に作ることができる。

最近は庭がなくても陽の当たるところがあれば、ビニール袋などに入れて栽培する方法も周知されている。

政府とJAが結託して米価を下げないことへの抗議であり、米作りの大規模化への後押しだと思っている。

大規模農家は小規模の農家から水田を借りてその代わり小作料をしっかり払う。

小規模農家は小作料を用水路や農道管理費だと思って、村作業を行えば良いと思う。

そうすれば農村も生き残れて、安価で輸出できる米も生産できるだろう。


高市内閣はしばらく続きそうなので、その間ずっと米価は高止まりだろう。

いくら消費税をなくしても円安と米高で生活は苦しいままになる。

この一日一膳の活動は死ぬまで続いてしまうかもしれないが、それが却って健康維持にもなるだろうとも思う。

芋と野菜をなるべく自分で作って、山野河海から自然の恵みを頂き、足らない物はスーパーや直売所などで安く買うのがいいだろう。

それが本来の田舎での暮らし方のような気がする。

2026年2月15日日曜日

糖尿病やリュウマチの健康不安

 私は教員として管理職を望めないと思った理由は健康問題である。

教師で現役時代に3回の入院をしており、その1回では糖尿病で医者から「あんた 死ぬで」と言われたこともあった。

全てが仕事によるものとは言わないが、仕事におけるストレスが全てに絡んでいたことは確かだろう。

退職してからも前立腺の調子が悪かったり、大学院生以来の十二指腸潰瘍を再発させたが、研究に打ち込むあまりの結果だった。

そちらは通院による対処で治まり入院するほどにはならなかった。

今、一番心がけているもは健康管理であり、やりたいことよりもそちらを優先して

研究もほどほどにしている。

だから、朝の散歩と夕方の水泳やジョギングを平日は欠かさないようにしている。


今はかなり改善されたと思うが、私が現役の頃は一般教師や管理職が現役で亡くなるケースが多かった。

また、教師以外でも知り合いに60歳前後で亡くなる人が多かったが、その多くは膵臓がんだった。

私は糖尿病なので膵臓がんのリスクが高いのを知っているから、いつも食事などにも気を遣っている。

しかし、精神的に追い詰められると、自分の健康を考えることができなくなる。

責任ある地位に就くということは、自分のことよりも任された職務を優先するということだ。

当時の学校では管理職、特に教頭が亡くなったり、長期病気療養だったりしていたが、よく知っている人は県立と私立の校長を務めて退職後すぐに亡くなった。

そのほか私の小学校の恩師で特別支援学校の校長を務めた人も、退職後数年で亡くなってしまい、奥さんが悲しんでいたのを思い出す。

人によっては命を賭しても、責任ある仕事を全うしたいと思うかもしれないが、私には仕事以外にやりたいこともあってそんな気にはなれなかった。


読売テレビ高岡達之特別解説委員が14日、日本テレビ系「サタデーLIVEニュース ジグザグ」(土曜前11・55)に生出演して高市総理の健康について述べたようだ。

現在は良い薬があるとはいえ、リュウマチの怖さは身近なところでよく知っている。

ネットで調べれば、私が煩っている糖尿病もリューマチも一般の人よりも平均余命が10年近く短いようだ。

普通の学校の管理職を躊躇うことに比べれば、総理大臣になる覚悟ははるかに強靱な精神力か、医学への過信としか思えない。

これだけ衆議院選挙で大勝して、国民から白紙の委任状をもらったに等しい高市総理は自分の健康を第一に考えることはできないだろう。

戦術的にNHK日曜討論を欠席したとしても、高岡解説委員が言ってたというように、政治家の健康不安は大きな懸念材料だ。

トランプ大統領の手のあざでさえ、大きなニュースになるくらいなのに、手が腫れ上がってテレビに出られないことは本来は重大関心事と考えて良いのだろう。

もし、途中で病に倒れることとなって、職務を全うできない状態になったら、今回の大勝利が大きな災いとなってしまうかもしれない。

「人間万事が塞翁が馬」として、不測の事態に備えていく必要があるのだろう。

そして、高市総理には「働いて 働いて 働いて」は撤回して、あえて「健康第一」を標榜してもらいたい。


2026年2月13日金曜日

大衆の心を掴む努力

 私はこのblogger以外にもブログをnoteに投稿している。

そちらの方はプロフィールにはプライバシーに関わることは伏せて、ペンネームで投稿している。

実は、日本でのアクセス数はそちらの方が多い。

こちらのbloggerの方は、月間総数が多くても海外のアクセス数がけっこう多いので、そうなるのだ。

noteの方は、収入は全く期待できないが、「スキ」という反応が返ってくるので励みになる。

内容はどの世代の人にも分かり易くして、引用する場合にも出典は無理にしてつけていない。

bloggerの方は実名で書いているので、出所はきちっとしているつもりだ。

その分、硬い文章になってしまって親しみが持てないのかもしれない。

若い人は意外と農業や健康食品に関心も持っていて、その話題へのアクセスが多い。

若者だけで無く意外と年配の人も読んでいるようで、歴史や政治に関わることも気楽に読めるように心がけている。


今回の高市総理の大勝利は、そういう一般大衆の気持ちもしっかり掴んだ成果だろう。

書籍をしっかり読んだり、難しい新聞雑誌を購読したり、テレビの報道番組や特集をしっかり見ないのは、若者だけで無く一般に広まっているようだ。

いわゆるオールドメディアとかマスゴミといわれる報道媒体からSNSへの転換であり、今頃になって中道の幹部が敗戦の弁を語っているのが不思議なくらいだ。

東京都知事選、兵庫県知事選で思い知らされていたはずなのに、切り替えができなかったことが大敗北の原因だろう。

ただし、SNSで勝利を収めたトランプ大統領が世界を混乱に陥れているように、いずれ高市総理も日本を混乱に陥れる可能性がある。

すでに食糧問題やエネルギー問題、自動車産業問題などでは、日本の政官財の失敗が専門家の間で書籍などできちっと著されている。

企業献金での資金力でSNSを効果的に使った自民党は、既成の企業を改革する力などないので、ガラパゴス化した業界は世界から取り残されることが述べられている。

哀しいかな大衆には伝わっていかないし、目先のことしか考えられない政策をあえて自民党がしているのだ。

政局に明け暮れる国会議員はちゃんと研究もできないので、大企業と企んだ官僚の言いなりにならざるを得ない。

私もかつては研究者を志したのでしっかりとした論文を書きたいという気持ちがあるが、今必要とされるのは、一般大衆の心を掴むメッセージだと思う。

有識者の主戦場は学会・研究機関だったり、専門会議かもしれないが、「学術栄えて民が滅ぶ」状態になったら江戸時代の御用学者と同様になるだろう。

国民を踏み台にした官僚主体の政策を止める力を持てるのは有識者だけだと思う。

今こそ、有識者の存在価値が試されているときなのだ。



2026年2月11日水曜日

身近に感じ続ける戦争

 私の幼い頃は、アニメの戦争ものもあって、零戦や戦艦大和に憧れることもあったが、その一方で悲惨さが描かれていた漫画やドラマも多かった。

漫画で一番憶えていて忘れられないのは、飢えた兵士が自分の尻の肉を切って仲間と一緒に食べる場面だった。

「同期の桜」という特攻隊員を描いたテレビドラマでも、見た後しばらく眠られない残酷なシーンも多くあった。

また、沖縄戦を描いた「慟哭」は、昼間のドラマだったが、悲惨な場面がけっこう出てきて、胸を痛めることが多かった。

教師時代でも高校生に見せ続けていたのは「黒い雨」や「プライベートライアン」だった。

ところが、その頃の生徒が喜んでみていた映画は、「永遠の0」だった。

当時の生徒にも特攻隊員に憧れる生徒もいたことは確かだった。


そういう画像や漫画、映像よりももっと戦争を感じさせたのは、手や足を失った傷痍軍人が、赤穂では義士祭に必ず門の傍に立って軍歌「戦友」を演奏していたことだ。

3人ほど元兵士らしき人が白い着物を上にまとい、軍帽を頭に被っていた。

一人がアコーデオンを奏で、足を失った人は前に箱を置いて四つん這いになり、物乞いをしていた。

この人たちには国からの補償があっただろうが、身体が不自由で仕事がまともにできなかったかもしれない。

当時は、まだ街には物乞いをする人もいたし、「乞食と政治家は3日やると辞められない」という言葉もあった。

ただ、今好意的に考えれば、お金が欲しいのでは無くて、反戦運動だったようにも思える。

いくらお金で補償されても、失った身体と心は戻ってこない。

失った戦友は戻ってこないと言うことを、あえて惨めな格好で訴えていたようにも思える。

そこには兵士の勇ましさや格好良さなど全く無くて、戦争という現実を突きつけられていた。


今後、もし台湾有事で自衛隊を派遣するなら、いろんな可能性を国民に問いかけて欲しい。

万が一、中国が核を使用したときに、アメリカから核を供与してもらって反撃するのか?

本当にアメリカは核を供与してくれるのか?

通常兵器で日本国内を攻撃されたときに、どういう風に対応するのか?

軍法会議なしで本当に参戦するのか?

そういう、具体的な問題をきちっと説明してから、派遣に踏み切って欲しいと思う。

私は断固派遣には反対だが、国民は衆議院選挙で高市総理に全面委任したので可能性が高くなったのだから、前もって考えねばならないだろう。

今回の選挙結果は国民に重い課題を突きつけたと思える。