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2026年4月29日水曜日

鳴きのハーモニカ

 このところ夜にハーモニカを楽しむことが多くなった。

以前にも書いたブルースハーモニカを使って、Youtubeを観ながら練習したり、カラオケを利用して歌代わりに吹いて楽しんでいた。

少しずつ吹けるようになると、難しい曲にも挑戦するようになり、最近ではクラッシックのG線上のアリアなども下手なりに練習している。

そうなると、もっといろんな曲が吹きたくなって、思い切って少々値の張るクロマチックハーモニカを通販で買った。

高価な日本製と違い中国製は半値以下で買えて、しかも、もっと安いブルースハーモニカに比べると全く音色が違う。

ハーモニカを教室で習っている人が、値段で音色が違うというのがよく分かった。

日本製などはきっともっと良い音色なのだろうと思う。


自分はバンド活動でずっとボーカルをつとめていて、そちらに練習を重ねてきたのだが、ハーモニカの魅力を今頃分かった。

歌うことと楽器を演奏することは、似て非なるものだと思うようになった。

ハーモニカは鳥がさえずるように、鳴いているのだ。

歌は歌詞の内容が頭に浮かんでくるが、ハーモニカはメロディーだけが浮かんできてそれに合わせて自然と唇が動いていく。

クロマチックハーモニカのレバー操作にはまだ慣れていないので、半音操作で合わせる音の感覚がまだ身についていない。

それに対して、ブルースハーモニカはかなり自然と唇の位置と吹くこと吸うことが感覚的に音と合わせられるようになった。


歌は歌詞をどうしても気にするので、それに引きずられることも多い。

そして、英語の曲などは歌詞の内容を理解しないまま、雰囲気だけで歌っていることもあって、人まねをするオームとも換わらないようにも思えたりする。

楽器は歌詞とは無縁なのでメロディーやリズムが全てとなり、言葉が違っても関係なくなる。

我々人が鳥のさえずりや虫の音、動物の遠吠えを美しく感じるのと同じなのである。


NHK番組、知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「人はなぜ音楽を愛するのか?」の再放送を見た。

アフリカの狩猟採集民Baka族の素晴らしい歌の掛け合いが披露されていた。

そこでは、手拍子に併せて歌詞のない声を仲間で発しているだけだった。

手拍子と声だけで歌になるのだと非常に感動した。

奄美の八月踊りは鼓だけで歌って踊るし、宴会で最後に行う六調も指笛を鳴らして踊るだけだ。

本来は人も楽器は必要ないのかもしれない。

だけど、美しい鳥のさえずりや虫の音、遠吠えに負けないような音色を奏でたいと思ってきたのだと思う。

そして、手拍子、足拍子、太鼓のリズムは単にそろえるのでは無くて、ポリズムとして一体感を得ることもできる。

この番組では人類の歌い合う特別な能力を強調していたが、多くの生き物が恋の季節には歌として鳴いている。

そして、番組で軽い認知症の人が歌は忘れずに思い出せることを取り上げていたが、歌詞は単に言葉では無くて音色と結びついたものとして思い出させるのだろう。


ハーモニカは歌詞を忘れても、憶えていなくても奏でることができる。

本当はギターを上達して鳴かせたかったのだが、私の技術では困難だ。

鳴きのギターは無理でも、鳴きのハーモニカなら少しはできる。

生き物たちのさえずりや鳴き声に恥ずかしくないように、鳴き続けていきたいと思う。










2026年4月21日火曜日

これからは団子より花


 家内は未だに私が家内の庭での花作りに対して言った「花より団子」という言葉を根に持っている。

その言葉を言ったのは、まだ子どもが小学生の頃で、専業主婦だった家内は庭に綺麗な花を咲かせるのを楽しみにしていた。

私は子どもの健康を考えて有機農業に取り組み始めていた頃で、どちらかというと作物の苗作り励んでいた頃であった。

家内は華道もやっていたこともあって、花が好きでいろんな花を育てていた。

その花がいっぱい生えていた庭も、猟犬を庭で飼ったり、農作業の道具や資材を置くにつれて、花は無くなっていった。

人に株をあげるほどたくさん生えていたクリスマスローズも消えてしまったし、ラッパ水仙もまばらになった。

ただ、食用となるミョウガは庭にしっかりと根付いているし、車を止めている付近の花壇の宿根草は生え続けている。


奄美が大好きな私はガジュマルから始まり、ハイビスカス、ソテツを鉢植えにして育ててきたが、それ以外にもサボテンやアロエをやはり鉢植えで世話をしている。

庭には大きな植木鉢にモッコウバラが大きくなって今花盛りだし、垣根にはかなめの他に、月桂樹、金木犀、梅や柚の木が植えてあって私が剪定している。

ただ、どれも大して手のかからない物ばかりで、家内の好きなネモフィラなどもご機嫌取りに栽培したが一年しか保たなかった。

また、同じく家内の大好きな白いカラーも鉢植えを庭に植えたが、肥料不足か葉っぱだけ出て花を咲かせてくれない。

家内の好きな花はとにかく手のかかる物が多くて、農作業の合間に世話をするのは難しいのだ。


この日曜(4/19)は加西にあるフラワーセンターにチューリップとネモフィラを見に出かけた。

いつもの正面入り口の駐車場は満車ということで、西側の特別駐車場に案内されてしまった。

そこからは西門まで歩いて10分以上かかり、歩道は大木の根でボコボコになっていた。

西門から入ると、噴水のある広場までチューリップとその根元にネモフィラが綺麗に咲き誇っていた。

噴水広場のあたりはたくさんの人だかりで、多くの人がスマホや本格的なカメラで撮影していた。

当然ベンチはいっぱいだろうと思って、弁当用のシートも用意しておいたので、来るときにスーパーで買った弁当を八重桜の咲く芝の上で食べることにした。

同じようにシートを広げて弁当を食べる人も多くいて、もしビールや酒があれば花見気分となる。

ただ、フラワーセンターで飲んで陽気に過ごしている人は見かけないので、私も自粛した。


去年まで開いていたレストランも閉じてしまっていて、せっかくの景色の良い建物がもったいないように思えた。

家族連れが多いので、高級なレストランよりフードコートのようなものを作った方が良いように思えた。

フラワーセンターは子どもが赤ん坊の頃から訪れている場所で、毎年最低1度は訪れている。

そのころここで買ったガジュマルも大きな鉢で大きく育っている。

最近ではハイビスカスもここで買ったのだが、そういう売り場も減って、これからは無くなってしまうそうだ。

駐車場に入るのに時間がかかるほどいっぱいのお客さんの心を掴んでいるのは、美しい花の世界であり、けっして画面からは得られない風景だ

また、犬の同伴も認められていて、愛犬と楽しく過ごせる場でもあるようだ。

休日は人がいっぱい溢れるので、平日に来て弁当を食べながら、読書や音楽鑑賞をしてゆっくり過ごすのも良いかなと思ったりする。

子どもが小さい頃は子どもが遊ぶのにゆったりと時間をとっていた。

ショッピングモールでせかせか歩く癖がついてしまって、こういう場所でのゆったりとした過ごし方を忘れてしまっている。


これからは、家の庭でも咲いた花をゆっくり眺めながら、過ごす日々があってもいいと思う。

年金の収入は大したことないけど、教育費や家のローンに追われなくなったので、花より団子の暮らしは必要ない。

これからの私たちは団子より花の時代となっている。

農業資材置き場になっている庭を片付けて、花壇に戻そうと思っている。





2026年4月18日土曜日

自殺と殺人から見た日米とイラン

 イランは政府によって多くの市民が殺戮されていると言って非難されている。

ところが、国民の自殺率は5.2人/10万人とかなり低い。

「日本の自殺率の国際比較:統計分類の違いが明らかにする真実」 によれば

日本の自殺率は表面的には高く見えるが、薬物過剰摂取死を含めた「広義の自殺」で比較すると、アメリカの死亡率は日本を大きく上回る。 The Lancet +22023年のデータでは、日本の自殺率16.4人/10万人に対し、アメリカは狭義の自殺で14.1人だが、薬物過剰摂取死(31.3人)を含めると45人以上となり、日本の約3倍に達する。


という。


殺人に関しては、10万人あたり2023年でアメリカは5.76件、日本は0.23件、イラン2025年では2.5件となる。

こういう観点から見て、どちらが住み安い国なのか考えてみた方が良い。

確かにアメリカでも日本でもデモの参加者が、政府の軍や警察に何千人も殺されることは無いだろう。

しかし、今はアメリカと経済的に肩を並べるようになった中国は、1989年にイランと同じないしそれ以上の殺戮が行われたと考えられている。

当時の中国に対して、アメリカはそのことを理由にして軍事攻撃はしなかった。


そもそも、自国民の自殺や薬物死者、殺人を放置しながら、他国の殺戮だけ非難することは恥ずべきことだろう。

日本とても、確かに殺人の起こる率は低いけれど、自殺はアメリカよりも多いし、何よりも少子化が進んでいる。

つまり、結婚できない、しない若者が増えているのだ。

因みに合計特殊出生率は日本が1.15(2024年)に対し、イランは1.7(2026年)、アメリカは1.6(

2023年)である。

子どもを育てられる環境は日本が一番低いと考えた方が良いだろう。

そして、イランは既に発展途上国のような多産多死では無いのだ。


アメリカは追い詰められた国民が自殺や薬物に溺れて自死したり、殺人を多く犯す国であり、日本は自殺に追いやられる国と言えよう。

確かに政府によって露骨に殺戮される国は自由主義の国民からすれば恐ろしいことだ。

一方、自由は乏しいけれど、自殺や殺人の少ない国から見れば、それが多い国の方が恐ろしいかもしれない。

出生率からすればアメリカとイランは大差が無いことから、将来への見通しはそう変わりが無いのかもしれない。


今回、アメリカは無垢な学校生徒を殺戮した。

デモに参加した反体制運動のデモ隊を殺戮するのとどちらが残酷なのだろう。

単に人数の問題ではなく、誤爆で罪のない子どもを殺してしまう国の方が、狂っているのではないのだろうか?

そんなアメリカに媚び諂う総理大臣を頂く日本は狂ってないのだろうか?




2026年4月15日水曜日

トランプ・高市コンビによるカリスマ的支配の日米

 ついにトランプは神として振る舞い始めた。

ローマ教皇と対立したり、自分が奇跡を起こす絵をネット上に公開したりした。

このようになるには大統領になる前の暗殺未遂事件が大きなきっかけとなったという。

トランプが命拾いしたのは神に選ばれた人間だからということが、自他共に信じられるようになったという。

彼は自ら法に従わないと宣言したので、現在のアメリカはトランプによるカリスマ的支配状態*1と言える


宗教社会学者の井上順孝は次のように述べている


新宗教の入信理論については一時期「貧病争」理論が広く知られた。このうち、貧困は絶対的な貧困ではなく周囲の人間を見て感じられる相対的剥奪が問題とする観点は優れた着眼である。自分が貧しいと思うのは、自分が比較の対象とする人たち(参照集団)との比較というのは日常的に観察される。(中略)こうして経済的剥奪感が生まれる。経済的剥奪にある人が、経済状態が良くなる方法が見つかればいいが、それが絶望的な場合もある。そのとき宗教に解決を求めることがある。おおまかに言えばそのような理論である[井上順孝2025:

41-42]。


今のアメリカの工業労働者階級は主に中国の擡頭で経済的剥奪感を強く持っている。

それを解決する方法として、トランプの主張するMAGAに希望を託した。

MAGAはトランプへの個人崇拝的な側面を強く持っているので、法を守るという倫理的な論理が通らないのである。

イラン攻撃は中国の石油資源を断ち、アメリカの圧倒的軍事力を無化する核兵器の開発を完全に阻止する目的だと言われている。

それによって、一番経済的に脅威となっている中国の力をそぎ、自国の兵器売買も加速させることができる。

現にドルは値上がりをして、アメリカの原油も多く売れ出した。

これでMAGA教信者の経済的剥奪感に応えることができているのかもしれない。


しかし、その一方で現実的には中国のEVが驚異的に売れ出したし、アメリカの軍事力の信頼性にも不安を抱え始めた。

何よりもイランの核兵器開発の阻止は絶望的に思える。

いくら、福音派やMAGA教信者の強い支持があっても、現在のアメリカ全体の支持率から次の中間選挙では敗北するのが目に見えている。

危惧されるのは、かつての大統領選挙の時と同じように議会を襲撃したり、武力による本当の内戦が起こってしまうことだろう。

衆議院選挙で敗北したオウム真理教がテロを起こしたように、MAGA教徒もテロを起こす可能性もあるだろう。

こんな不安を抱える状況で高市はトランプにすがって生き延びようとしている。


彼女は安倍晋三を師と仰いだが、統一教会との関連で暗殺された後もその姿勢は継続されている。

因みに安倍晋三のスローガンは「日本を、回復する」だった。

そして、高市は 「日本列島を、強く豊かに。」を唱えているが、安倍晋三のスローガンと合体させればMAGAそのものである。

そして彼女は高い支持率を獲得し衆議院選挙で大勝してカリスマ的な存在になりつつある。

その彼女は安倍晋三のかつての盟友であるトランプの立派な信者であり、使徒と言えるかもしれない。

日本もアメリカ同様に中国の擡頭によって経済的剥奪感を抱く国民が増えており、台湾有事発言の経済的悪影響下でも高市支持率は高いままだ。

「日本列島を、強く豊かに」は幕末から明治かけての国家的スローガン「富国強兵」の言い換えに過ぎない。

新富国強兵教という高市教祖の新宗教集団ができるかもしれないが、幸いなことに彼女はテロに遭っていないので神格化には至っていない。

ただ、日本で初めての女性総理大臣として、SNSという鬼道によって民衆を惑わす卑弥呼のようなカリスマ性をもっている

何よりも彼女の後ろには魏王ならぬトランプ尊師がついている。

そしてそのカリスマ的支配力によって憲法や皇室典範を変えていこうとしている


*1 カリスマ的支配に関しては「ウエーバーのカリスマ概念」[井上順孝2025:76-77]を参考


引用文献

 井上順孝 2025『認知宗教学から見る現代宗教』法蔵館

2026年4月13日月曜日

戦争で稼ぐ人たち

 松本利秋2005『戦争民営化―10兆円ビジネスの全貌』祥伝社は、もう二〇年以上の前の本で、書かれている内容は少々古いが、今のトランプの戦争ビジネスを理解する良い材料だ。

どれだけトランプが自分自身や仲間に株や為替、石油取引で儲けさせたのだろうか。

トランプの発言が大きく市場を左右して乱高下している。

あらかじめ発言内容を知らせておけば、次の日の上げ下げは予測できたはずだ。

また戦費に莫大な費用をつぎ込んでいるが、その多くは武器製造企業へと流れる。

日本もかつてはベトナム戦争や朝鮮戦争の特需で経済復興を果たしていった。

武器産業はウクライナでさえ潤わせ、高市政権もそれに参入しようとしている。

そのウクライナは武器そのものだけでなく、ドローンシステムでの迎撃のノウハウをイランの敵対国に支援し見返りを得ているという。

石油の輸入もアメリカからが増えてきて、アメリカは大儲けである。

多くの血が流れ、死んだり傷つくことが景気浮上になり、儲けになるのが戦争だ。


そして、金融と戦争は密接に絡んでいるが、それは古くからのことで、松本利秋は次のように述べている。


リーマン社は、一九〇四年に日露戦争の戦費調達のために、日本政府が発行した外債を引き受け、日露戦争後、その功により日本政府から叙勲を受けている。その存在は日本が日露戦争を戦うには必要不可欠であった。

 当然のことながら、リーマン社は日本政府からの利子はタップリ受け取っている。 リーマン社はその後、関東大震災でも復興国債を総額一億五〇〇〇万ドルを引き受けているが、この後、世界恐慌による大不況で、日本政府は国債の償還に支障をきたし、それを補うために満州に進出し、経済的利益を得ようとした。

 やがてこのことが太平洋戦争の要因となっていくのである。しかし、何れにせよ、彼らにとって見れば、これら国債の売買は純粋などジネスにほかならないのだ[前掲書:5-6]。


他国の戦争に金を貸して、その国や勢力が勝てば大儲けというのは、近代の歴史で繰り返し行われている。

その貸された金は貸した国を中心とした武器輸出国に環流する仕組みだった。

ウクライナ戦争でのEUやアメリカの資金援助も同じ仕組みである。

イランに関しても、援助は資金だけで無く情報などによっても行われている。


今回のイラン攻撃の本当の目的は、ベネズエラ同様に中国の石油の輸入先を支配することにあったという。

関税でも言うことを効かすことができないで、アメリカの方が石油を利用して中国にダメージを与えようとしたことになる。

それが逆にイランの石油戦略の返り討ちに遭ってしまったというのが実情だろう。

アメリカが帝国的支配をできるのは、武力だけで無く石油もコントロールできることだ。

日本がアメリカと戦争したのも石油が大きな原因だった。

再生エネネルギーの開発を阻止し、EV開発にダメージを与えて、武力と石油利権で世界を支配下に置くことがアメリカにとって最大の利益になる。

そのためには中東の石油産出国が戦争でアメリカに頼ってもらわねばまずいわけだ。


化石燃料依存のわれわれの生活の根本がこういう戦争ビジネスの上に成り立っているとも言える。

化石燃料依存生活は世界の多くの人が流す血を利用しながら儲けている人によって、維持されていると考えるべきだろう。

本当に戦争反対を唱えるなら、再生エネルギーや石油代替エネルギー開発を進めて、化石燃料依存生活を終わらせることが重要だと思う。

戦争で莫大な利益を得る人が多くいる以上、それに対抗するのはそういう方法しかない。

そして、それが地球環境とあらゆる生命を守るための真の闘いでもある。



2026年4月9日木曜日

トランプ(TACO)の遠吠えに怯え続ける高市

 戦争犯罪攻撃もできず、地上戦に踏み込めずにアメリカは停戦に合意した。

予想はされてはいたが、E,トッドがウクライナ戦争で見抜いたアメリカ通りになった。

アメリカはウクライナを助けるだけの迎撃ミサイルの余力が無いということだ。

これ以上無傷で戦うための迎撃ミサイルが枯渇したようだ。

アメリカの戦闘機乗員の救出劇の本質は、戦闘機が打ち落とされるようになってしまったことにある。

ベネズエラでは無力化できた迎撃システムをイランでは完全には無力化できていない。

秘密兵器だということで、迎撃システムの無力化する方法の実態は謎だが、イランは迎撃できなくても、徹底的に攻撃して相手の迎撃ミサイルを枯渇させれば良かっただけだ。

今朝(4/9)の朝日新聞のインタビューでもアメリカのウクライナ戦争、中国関税対立につぐ第三の敗北をE,トッドは予想していたが、おそらく間違いないだろう。


それにしても今回のイラン攻撃で分かったのは、トランプの凶暴さと無能さであろう。

関税における凶暴さに屈して日本は多額の支援金という名のゆすりに屈した。

確かにベネズエラでは悪事は成功したが、ベネズエラに関わらず中南米ではイランのような教育水準に達してないからだろう。

日本は高い教育水準と工業力を持ちながら、米軍基地という保護と脅しに屈するほか無い。

それでも経済戦争をアメリカに挑んできたのだが、金融と情報で敗北してしまった。

それは軍事力を背景として強要された基軸通貨ドルとOSのマイクロソフトには太刀打ちできなかっただけのことである。

結局、アメリカは法よりも暴力を背景とした脅しで支配する国であることがよく分かったと思う。


日本はその暴力的な脅しに怯え続けるより、対抗する方法を考えねばならないだろう。

E,トッドが日本とドイツの強みとして直系家族を上げているが、日本の場合跡継ぎ以外の子どもに遺産代わりに高等教育をつけさせることが多かった。

だから、科学技術の発展に繋がったのだと思う。

しかし、現在は地方の産業が廃れて、跡継ぎの兼業農家でさえ維持できない。

もっと酷いのは、非正規雇用なので結婚できずに親と一緒に暮らすしか無いのだ。

少子化問題は親子関係を大切にしてきた直系家族を理想とする家族の弱点でもある。

普通の欧米なら子どもは親に依存していると一人前に見做されないし、親も子どもに依存することは無いだろう。


日本が家、家族を大切にしてきたことが経済発展に繋がったのだから、それをまた再建する必要があると思う。

そのためにはエネンルギー革命をしっかり行って、地方の農業と産業を育成していく必要があるだろう。

ネットでは「フィッシャー・トロプシュ合成と呼ばれる技術」で、人口燃料のことが取り上げられていた。

電気だけでなく人口燃料を用いれば、農業機械や大型機械にも利用できる。

トランプに脅されて金を貢ぐなら、それと同じ額の投資を日本の地方に行うべきだと思う。

トランプのプードルになってしまった高市総理には無理かもしれないので、早々に次に交代してもらいたい。


参考文献

エマニュエル・トッド 荻野文隆訳 2008(1999) 『世界の多様性―家族構造と近代性』    藤原書店

エマニュエル・トッド 石崎晴己他訳 2016(2011) 『家族システムの起源Ⅰ―ユーラシア上』  藤原書店

エマニュエル・トッド 2020 『大分断―教育がもたらす新たな階級化社会』 

エマニュエル・トッド 堀茂樹訳 2022(2017) 『我々はどこから来て、今どこにいるのか?上―アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』  文藝春秋

エマニュエル・トッド 大野舞訳 2024  『西洋の敗北―日本と世界に何が起きるのか』 文藝春秋 

エマニュエル・トッド 2025 『西洋の敗北と日本の選択』 文藝春秋    










2026年4月4日土曜日

石油依存社会が生んだ地方衰退

 エマニエル・トッドは経済的グローバリズムの弊害を『我々はどこから来て、今どこにいるのか?上―アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか』(2022)で次のように述べている。


高齢化する先進各国による世界支配は、もしかすると、世界の他の地域で教育を受けた34p勤労者を引き寄せる能力というかたちでより的確に表現されるのかもしれない。先進国は自国の必要に応じて、周辺から労働者、技術者、情報処理技術者、看護士、アーティスト、医師を吸い寄せ、そのような正真正銘の人口捕食によって自らを延命させている。

人的資源のこの略奪は、自然資源のそれよりも遥かに重大だ。なぜなら、それがある規模を超えると、離陸途上の国々は幹部候補者や中間層の人材を奪われ、立ち行かなくなる危険に晒されるのだから。[前掲書:33-34]


この経済的グローバリズムを成り立たせている根本は、何だろうかと疑問がわく。

そこでヒントになったのが今回のアメリカ・イスラエルによるイラン攻撃が引き起こした石油危機である。

石油が止まれば全ての経済活動に支障を来す。

そもそも産業革命は石炭との結びつきによって始まったが、その後石油による内燃機関で工業は飛躍的に進化した。

電力もそれと平行して発展したが、化石燃料とウランに頼っており、殆どが臨海地帯にあるが、原子力発電所に関しては内陸で人工湖を作って稼動させたりもしている。

とにかく、工業都市や商業都市を維持するには効率的なエネルギーが必要であり、人力や薪炭レベルでのグローバリズムはそれほど進まなかったはずだ。

それこそ、奴隷貿易で人力を確保せざるを得なかったのだ。

現代は奴隷の取引をせずとも、快適な生活環境と仕事を用意すれば、それの乏しい周辺から人は自ずと集まってきてくれる。


これは日本が特に全国的に経済発展を目指した高度経済成長期に国内で生じた現象と同じである。

それは戦後の復興で電力や石炭、石油とエネルギーが確保できるようになり太平洋側の臨海地帯を中心に工業化が進んでいった。

地方から金の卵と言われる若者や、大学への進学で優秀な人材が自ら進んでそういう所に集まってくるようになったのである。

東京を中心とした大都市はその人口捕食によって自ら延命させてきたのだった。

現代では地方都市の多くは人的資源が略奪され、危機的な状況になっているところも少なくない。

その大都市も地方からの人材が得られなくなって、外国から人材を獲得するグローバリズムに乗っかっていくしか無い状態だ。


E,トッドは日本の家族を直系家族として捉えてきたが、その直系家族は経営母体である家が家業によって維持された時代でこそ成り立っていたのである。

だから、どの時代であっても家業をもたない家族や人は、直系家族というよりも私は拡大核家族に近い状態だったように考えている。

その例が、奄美の「ヤ(家)」で、日本本土のように跡継ぎは優遇されていなくて、むしろ「オヤワズライ」として、親の扶養を負担する子どもとしての位置づけがされていた。

それは黒糖の収奪が行われて、一部の富裕層以外は本土のような家を形成できないばかりか、ヤンチュといわれる身売りさえ行われていた

これはフィリピンの初期農耕民にもみられる拡大核家族に似た形態と考える。

沖縄の「門中」は中国の影響を受けて発展したもので、南西諸島では例外的なものだと私は考えている。

これは、赤穂などのような塩田地域の下人であった浜子などでも同じだったように思うし、農村地帯でのいわいる水呑百姓もそうかわらなかったように思う。

ただ、私の本家のように米を作る傍ら、船での運搬業の家業があった家では、跡継ぎによって家は直系として守られていた。

しかし、その家業を失ってからは、子どもが近くに住んでいても跡を継ぐ者はいなくなってしまった。


地方では家業の農業だけで生活できる家族が失われていき、兼業農家として維持されていた家も、地方の工業の衰退によって地元から離れざるを得なくなった。

現代では直系家族どころか、拡大核家族も崩壊して、一人暮らしが増えて行ってしまった。

当初の地方の繊維産業の衰退はグローバリズムの進展が原因であり、やがて同じように造船、鉄鋼、電気製品などが同じ運命を辿り、自動車などが今岐路に立っている。

その一方で、所得水準が上がり生活が豊かになったことで、高等教育を子どもに受けさせられて、都会の企業や官庁への就職が容易になったことにある。

私は親が大企業の労働者ではあったが、地方公務員となって地元に居着いたのであり、同じ大学の同級生でそういう例はあまりない。

また、同じ高校を出て大学を出てから地元に戻って来た同級生は、親の家業を継ぐ例は医者、教師や企業、事業所の経営者の家で数は少ない。

そして、私の教師の職業を継承する子どもはいなくて、独身の息子だけが介護の仕事をしながら一緒に暮らしている。

私が住んでいる農村地帯でも専業農家はほとんどいなくて、兼業農家として残っている家も激減している。

それは高卒の魅力ある職場が無く、大卒で勤められる仕事がほとんど無いからである。


こういう現状を打開する方法は、エネルギー転換しか無いと思う。

再生可能エネルギーは地方の方が有利である。

太陽光・風力発電もさることながら、草木類を利用したバイオ発電を推進して、それを工業や農業に活かしていくべきだろう。

農村地帯に住む私にとって、自分で食糧を確保して、食費の削減はできるが、電気・ガス代、ガソリン代はどうにもならない。

そのどうにもならない出費を除けば、仕事さえ有れば地方の方が豊かな生活ができるのだ。

現に江戸時代で人口が多かったのは大阪・京都・江戸は別として、農村地帯だった。


これだけホルムズ海峡の封鎖の脅威を身に感じながら、エネルギー転換の議論がなされないのは愚かなことだと思う。

その一方で、EVの需要が大きく高まってきていることがネットニュースなどの多くで報じられている。

テレビ局は日本の自動車メーカーに気兼ねして、大きく報道していないのかもしれない。

このEVに関しては中国が大きくリードしているので、今後日本も巻き返しを図らねばならないだろ。

とにかく、石油依存社会からの脱却が、しいてはグローバリズムの弊害を無くし、地方衰退の流れを変えてくれるはずだと思う。

そして、何よりも石油を巡る戦争をなくす平和活動であることを私はずっと訴えている。