日頃耳にする歌はラブソングが多い。
自然の中で鳴く鳥や動物、昆虫の殆どが求愛と結びついている。
近所で見かけるコウノトリは鳴かないが、クラッタリングといって頭を上下に振りながらクチバシをカタカタ鳴らしているのを見かける。
コウノトリは声帯が退化して鳴けないそうだ。
ただ、ちょうど今巣にいる雛は餌をねだるのにかすれた声で鳴くのだそうだが、鉄塔の上にいてよく聞こえない。
猫は「ニャー」と言う鳴き声は子猫の時のままの声だそうで、求愛の時の声は絞り出すような妙な声である。
犬に関しては遠吠えと威嚇の鳴き声はまるで違うし、餌をねだる時などの甘えた声も違う。
猫の求愛の鳴き声や犬の遠吠えが求愛の歌に近いのかもしれない。
そういえば、猫の求愛の鳴き声は悲哀を、犬の遠吠えは哀愁を帯びている。
鳥などの鳴き声はどちらかというと、求愛と縄張りの主張があるので、明るいのかもしれない。
人もラブソングは多いのだが、明るく愛を求めるというより、失恋や未練の気持ちを歌った歌が多い。
確かに、美しい声を出したり、迫力のある声で異性にアピールできる歌もあるが、実際に目の前にいるひとりの異性に対して歌うのは哀愁を帯びた歌だろう。
異性を口説くのに歌う歌が、失恋ソングだというのもおかしな話だが、「失恋して淋しい気持ちだから、愛が欲しい」という下心のラブソングと言えるのかもしれない。
実は昔の恋人も私の歌ってあげたオフコースの「さよなら」をよく憶えていた。
これはある意味で、「互いに強がっていたら、本当に別れてしまうことになるのだよ」という脅しのラブソングでもある。
こういう別れのラブソングで一番好きなのは奄美の「行いきゅんにゃ加那」だが、この歌はなかなか練習してもうまく歌えないので女性には歌えない。
対面で歌うのはとにかく明るく求愛する歌よりも、切ない気持ちを表現したラブソングの方が多いようだ。
これは多くのファンを惹きつけようとする明るい歌と違うところでもある。
それに対して子守唄はゆったりとした曲調が世界共通だという。
人は赤ん坊を舐めたりはしないが、キスや頬ずりをしたり、手でやさしく撫でてあげたりして、何よりも子守唄を歌ってあげるのが、人類共通の特徴だそうだ。
普段マスメディアやネットでかかっている歌に子守唄は殆ど無いが、私はYoutubeで「竹田の子守唄」を聴いたりギター片手に歌ったりする。
実際に自分の親や自分が歌ってきたのは「江戸子守唄」という「ねんねんころりよ」の歌い出しの歌である。
ネットで子守唄を調べてみると「五木の子守歌」が放送禁止ないし、自主規制と言うことだという。
普通の人は歌詞に出てくる「勧進(かんじん)」が乞食だと分からないのだが、自分を卑下していることは伝わってくる。
どうしても、子守をするのは貧しい家の娘というイメージがついて回るが、私が村落調査していた奄美ではかつては違っていた。
無理矢理させられるのでは無くて、少し大きくなった娘は自分から頼んで子守をさせてもらっていたようだ。
それは自分が子どもを産んだ時の練習であり、子どもをあやすのが上手いと評判が良くなるからだと思う。
どうしても、子守唄は本土では恨み節的になっているが、沖縄の「童神」のように子どもを大切に思う気持ちの歌もある。
琉球時代で遊郭の女性は生まれた子どもは、本土とは違い仲間で育てていたということからも、子どもを大切にしていたことが分かる。
ただ、人頭税が厳しかった先島や黒糖支配の厳しかった奄美では様相はかなり違っていたようだ。
子守唄は本来は親が子どもを寝かしつけたりする時に歌ってきたもので直接聴かされるべきもので、スピーカーから流れるものでは無かったということだ。
恨み節の子守唄は子守をする人の心情が歌われていて、赤ん坊のための意味が伝わってこないが、歌としては心を動かされる。
それに対してビートルズは明るい子守唄を作っており、私が大好きな曲は「Good Night」だ。
私の親も私も子どもに聴かせる「ねんねんころりよ」は明るく歌っていた。
親が子どもを寝かしつける時の子守歌は哀愁は帯びていないと思う。
ただ、少子化の現代日本では子守唄を対面で歌わずに一生を終える人が多くなってしまったことも現実だろう。