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2026年10月28日水曜日

精神療法と自己無責任

 私は高校時代に宮城音弥の『精神分析入門』(1959 岩波新書)を読んでから、フロイトやユングの精神分析に大学時代も関心を持ち続けていた。

特に大学生時代に読んだ岸田秀の『ものぐさ精神分析』(1977 青土社)は、非常に分かりやすく、これによって物事を見る目が違ってきたように思う。

ただ、私が専攻していた文化人類学での文化そのものに関しては、岸田の言う「唯幻論」思考は常識的な基礎で、取り立てて強調する必要も無かった。

だから、精神分析は精神障害の治療と関係し、文化の分析には有効では無いと感じていた。


実際の治療に関しては、よく知っている精神障害を抱えたAさんは、当時は薬物治療しか受けていなかった。

1970年代から1980年代では精神療法はまだ治療としては日本においては確立されていなかったようだ。

私は国立大学病院に通院しているAさんから「自分は(薬事治療)のモルモットにされた」という言葉が忘れられない。

当時の精神科医の医者は患者に与える薬も手探り状態に合ったようで、色々と薬を試されているうちに副作用も重くなっていったようだった。

よく憶えているのは、Aさんと病気に関して口論になってしまい、彼は自分の飲んでいる強力な薬を私に投げつけたことがあった。

Aさんは自宅に引きこもっていたのだが、頭が朦朧とするような薬を飲み続けて苦しんでいることを理解できない私への怒りだったのだ。

本人からではなくAさんの母親からは後に、酷い時には自殺未遂までしたことを聞かされたが、その時には知らなかった。


後に、Aさんが幼い頃に母の再婚の折りに祖母にひとり預けられていたことや、母の再婚者との不仲で別居状態になったころは思春期であり自分を責めていたという。

その義父も別居後すぐに心臓発作で亡くなってしまい、Aさんの心の傷が残されたままになったことが理解できる。

そして、引き籠もりの大きなきっかけとなったのは、大学受験に失敗し浪人生活で寮に住んでいた時に生じた相部屋の人とのトラブルだった。

彼は相部屋の人に我慢が出来なくなって、母親に寮を出て家に帰ると訴えた時に、母親は叱って頬を叩いたそうである。

それ以来、家に引き籠もったり、時に家で暴れるようにもなったという。

若い頃は完全に引き籠もってしまったわけでなく、色々と仕事にも就いたが元気な時は頑張りすぎて、その後で落ち込んでしまい続けられなくなるの繰り返しだった。

今からその当時のことを振り返ると、症状としては双極性障害2型だったように思う。

母子家庭で大きな期待をかけられた心の負担が、大学受験での挫折と追い詰められたことが大きなストレスとなり耐えられなくなったのだと思う。

人によっては、それくらいのことを乗り越えられないでどうすると思うかもしれない。

彼の心は幼少期や思春期の傷を背負ったままだったので、耐えられなかったのだと今の私は思う。

そして、当時の彼には心に寄り添ってくれる人がいなかったのも追い詰められた原因となったのだろう。


今から思えば、幼い頃と思春期の心の傷を「認知行動療法」で治療していれば、改善できたのではないかと思えてくる。

エリック・R・カンデル*1は精神療法に関して次のように述べている。


精神科医はかつて、精神療法と薬物療法は異なる方法で作用すると考えていた。精神療法は心に働きかけ、薬剤は脳に働きかけるとみていた。しかし現在、現実はそうではないとわかっている。精神療法の治療者と患者の間の相互作用は、実際に脳を生物学的に変えることができる。この発見は驚くべきものではない。私自身の研究で、学習によってニューロン間の接続に解剖学的な変化が生じ、その解剖学的変化は、記憶の基盤になっていることがわかっている。精神療法は、結局は学習と記憶という一連のプロセスなのである[エリック・R・カンデル2024(2018):98-99]。


精神分析に始まった精神療法がやっと治療として認められ、薬物療法と併用して効果を上げられる時代になったという。

Aさんは昨年自宅に引き籠もったまま、一人で亡くなってしまった。

もし、この治療が彼の若い頃に確立されていれば、ずっと社会に出て働くことも出来たかもしれない。

ただ、救いだったのは、引き籠もり続けた彼は年老いて寝たきりになった母親を最後まで介護し続けたことだった。

彼が亡くなった時には母親は体調を崩して入院していたのだが、周りは気遣ってAさんの死は知らせなかった。

しかし、分かっていたのだろう、安心したかのように、後を追うように数ヶ月後に亡くなった。

現在は、精神的な障害で用いられた話すことによる治療は、現代ではインフォームド・コンセント(informed consent)にも活かされている。

しかし、現実は多くの患者を抱える医師がじっくりと患者と話し合えることは難しい。

CTやMRIでの検査に頼ってしまっているのが現状だと思う。


精神障害を生じて自殺にまで追い詰められる多い現代社会にあって、自殺の無い社会がある。

それが、イスラム教のアラブ社会である。

それは宗教上で禁止されていることが大きいが、根本的な問題は自己責任をとらされることが無いと言うことだと思う。

日本UAE文化センター代表、作家、エッセイストのハムダなおこは、自殺の無いアラブ社会の理由を次のように述べている*2


アラブには自己責任という思想はありません。自分の行状が今ある運命を導いたと結果づける倣慢さがないのです。人間の身勝手な自己責任という言葉を、対象を選ばずに拡大していったコロナ禍を機会に見直す時が来ているのではないでしょうか[ハムダなおこ2021:102]。


資本主義でかつ民主主義の社会では、自由で平等であるが故に自己責任が要求されている。

家庭環境に恵まれなかったり、たまたま運が悪い巡り合わせでも、「運も実力のうち」として、自己責任なってしまう。

そして、受験戦争に破れたり、就職戦線で負けてたら、努力が足りなかったとか、所詮実力が無かったということになる。

イスラム社会では宗教によって自己責任を回避できるのであるが、そうでない社会では追い詰められて自殺するしか無い。

特に顕著な学歴社会となった日本では、若者が追い詰められて自殺してしまっている。

イスラム教のような宗教を持たない日本人は、せめて精神療法で寄り添ってくれる医師が増えることを望むしか無いのだろうか?


人類の生態史から病気を研究している古澤拓郎は、その著書『ホモ・サピエンスの15万年-連続体の人類生態史-』(2019 ミネルヴァ書房)で、現代日本社会の抱える問題を明らかにしてくれている。

「個人主義化した社会のうつ病」[前掲書:106-114]の項目で、集団主義だった日本人が欧米化で個人主義に移行していったことがうつ病と関連していることを述べている。

「自己責任」とはまさしくこの個人主義の産物である。

学校と企業で家族・親族や地縁関係が崩壊させてしまったのでは、現代の先端医学での治療は焼け石に水となるだろう。

近年は個人の相談相手がChatGPTという驚くべき時代になってしまっている。

私が大学院での挫折で精神的に立ちゆかなくなった時に、電話で一番話し相手になってくれたのは母だった。

もし、母のような話し相手がいなかったら、自殺していたかもしれない。

知り合いのAさんが生き続けられたのも、母親や家族の理解し寄り添ってくれたからだと思う。

宗教でなくても、寄り添っていける人と仲良く暮らすだけで、人は何とか生きていけるように思う。


*1 エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり訳 2024 『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館THE DISORDERED MIND(2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]

*2 ハムダなおこ 2021 『アラブに自殺、イジメ、老後不安はない―ムスリムにならう幸福の見つけ方』 国書刊行会





2026年10月25日日曜日

音を聴くための耳栓

 耳栓は普通は騒音で困っている時や、水泳などで水が耳に入るのを防ぐために用いる。

私は騒音で困って眠られない時に、使った経験はあるにはあるが、工事現場などで使い続けた経験は無い。

一方で、水泳は社会人になってから健康や体力作りのためにし始めたが、当初は耳に水が入るのが気になって耳栓を使っていた。

ところが、耳栓をちゃんと管理せずに不衛生にしていたので、外耳炎や中耳炎を起こして耳栓をしなくなった。

水泳をしていたらどうしても耳に水に入るのだが、それを抜くこつもそれなりに得たのだが、やはり耳の奥の方に残ってしまうことがある。

そういう時は家に戻ってきてから、ティッシュをこよりにして、耳穴に差し込んで水分を吸収させていた。

プールの水は消毒液が強いので、どうしても耳の中が痒くなってしまって、以前はそれを耳かきで掻いたりして外耳炎になったりもした。

このところは、家に戻ってきてから、針の代わりに細い管の穴から三方向に水が出てくる耳穴洗う注射器で洗っていた。


このところ、シュノーケルを使った練習を多くしているので、水中に耳をつけている時間が多くなっていた。

だから、以前から水中でも音楽が聴きたいと思っていたことを実行した。

それは防水の骨伝導のイヤホンで、MP3の音楽を多くデーター保存して聴くことや、Bluetooth機能がついていて、スマホやPCからの音も聴くことができる。

この防水骨伝導イヤホンを主に水泳の練習で用い、雨降りの散歩にも用いたりしていた。

ところが、水中ではやたら低音やドラム音が響いてまともに聞けないことや、逆に音が小さすぎて聞こえないこともたびたびあった。

音の出る部分を耳穴の上にしたり、ずらしてみたりしたがあまり効果は無かった。

そもそも、水中と水上では音量も違い、聞こえ方も全く違っていた。


この骨伝導イヤホンも右側が故障して、左側しか聞こえなくなっていたし、充電してから使える時間も5時間ほどになっていた。

そろそろ、新しいものに買い換えようと思ってネットで探していたら、レビューの中で耳栓をしたらよく聞こえるという記事があった。

そこで、さっそくゴーグルに紐付けできる耳栓をネットで注文して取り寄せたのをつけて泳いでみると、レビュー通りに綺麗に音が聞こえる。

ただ、知り合いの人や監視員の人に話しかけられたら、耳栓を外さないと声が聞こえない。

その時はいちいち外さねばならないがそれは仕方ないことだろう。

その一方で、耳に水が入らなくなったお陰で、水を抜いたり洗ったりする必要が無くなった。

紐付けした耳栓の影響でゴーグルに水が入ったり、骨伝導イヤホンが外れやすくなっているので、それに対する対策もせねばなら無いとは思っている。


それにしても、骨伝導イヤホンは水中で音楽を聴くには耳栓をした方が良いという考えは全く思いつかなかったので、ネットのレビューには感謝しなくてはいけない。

ただ、ネットでAIで調べてみたらちゃんとそのことは書いてあった。

これからは何でもネットのAIに訊いてみる必要があることも気がつかされた。

耳栓が音や水を遮断するという固定観念が、水中で骨伝導イヤホンを上手く聴く方法を1年間も知らずにいたことも反省点である。

因みに、こういう骨伝導をイヤホンを使いながら泳いでいる人は身近にいなかったので、相談する相手もいなかったこともその原因であった。

それは私のようにシュノーケルも使いながら1時間半も水泳を楽しむ人が身近にいないからで、選手はコーチの声や合図を聞く必要があるのでつけなくて当たり前だろう。

ただ、ひたすら泳ぎ続けている人には、ジョギングやウォーキングで音楽を聴いているのと同じことが出来ることを知ってほしいと思う。

2026年10月23日金曜日

記憶を旅するパイプタバコ

 私は大学に入ってから煙草=シガレットを覚えて、結婚して子どもができて禁煙を始めて、三〇歳半ばで全く吸わなくなった。

大学時代は貧しかったので、SHINSEI(しんせい)という両切りの安い煙草を普段は吸っていた。

学生時代は今のように毎晩晩酌する金銭的余裕がなかったし、タバコも無くても平気だったが、有る時には一日に数本吸う程度で一箱を大事に吸っていた。

安いSHINSEIはシケモク(吸い殻)を吸うのは当たり前で、何回も分けて吸ったりして、指がやけどをするくらいまで吸い尽くした。

少し金がある時はHi-lite(ハイライト)、まとまった金がある時はHOPE(ホープ)や缶ピ(Peaceの缶入り)を買ってSHINSEI以上に大切にして吸い尽くした。

ただ、私の吸い方はどちらかというと煙の香りを楽しむ方で、肺にいっぱい吸い込むやり方では無かった。

大学院に入ってからは東京での孤独な日々が続き、安いコーンパイプやキセルを使って、タバコを楽しむことが娯楽の無い研究生活を支えてくれていた。

また、奄美に村落調査に行っていた時には、タバコは現地の友人にせがまれることが多く、その代わりに普通には聞けない情報を色々と頂いた。

ところが、アパートに籠もって修士論文を書き始めてから、タバコの吸い方が大きく変わってきた。

原稿を書き続けるために煙草を吸い続けるようになり、書く苦しみや疲れを忘れるために煙を絶やさなくなった。

結果的に論文は上手くまとまることが出来ず、十二指腸潰瘍が悪化したのでそれを改善するために喫煙を控えてジョギングを始めた。

しかし、論文作成の失敗で精神的に追い込まれ、生活は破綻してしまい、トランキナイザーが必要になるくらいに精神を病んでしまった。


私は立ち直るために研究をすることを諦めて、地元に戻って教師になることにして、採用試験の勉強に取り組んだ。

筆記試験まではアルバイトをしなかったので、飲酒や喫煙は控えめだったが、それが終わってからアルバイトを始めると飲酒喫煙は増えていった。

特に、パイプタバコが楽しみとなり、神戸に出かけた時には必ずたばこ屋によって欲しいパイプタバコを買ってきた。

教員採用試験に受かって、採用されたのが知的障害の特別支援学校(当時は精神薄弱者の養護学校と言った)に勤めることになった。

この学校での勤務は児童生徒が学校にいる限り、職員室に戻れなかったし、放課後も研修や会議が多かったので、タバコを吸う暇などなかった。

タバコは職場の仲間と飲む時に吸う程度になっていた。

そして、結婚してから子どもが出来たことをきっかけとして、禁煙に取り組むことになった。

私はニコチンへの依存性はそれほど無かったので、普段はそれほどタバコが欲しいとは思わなかったが、飲む席ではどうしても欲しくなりもらいタバコをした。

それでも、子どもが大きくなった頃には、一切タバコは吸わなくなっていた。

それからは、タバコは欲しいと思わなかったし、むしろ水泳をするのには妨げになるので、全く縁が切れて、むしろ煙草の臭いが嫌いにさえなっていた。

高校教師になってからのタバコは、生徒が喫煙行為で特別指導を受けるので、生徒指導部では取り締まる側、担任としては特別指導に携わる側として苦労が絶えなかった。

一番嫌な思いをしたのは、野球部の生徒の喫煙を見つけて報告したら、生徒指導部長にもみ消されてしまったことだった。


ところが、そういうタバコとの無縁の生活が徐々に変わっていく。

定年前に早期退職して、研究成果を出版しようと、長時間文献にあたったり下書きを書いていると、気分転換が欲しくなった。

最初は、タブレットやガム、飴などで行っていたが、タバコのような物が欲しくなって、電子タバコ(VAPE)を吸うようになった。

ニコチンなしのタバコ風味を吸ったりして少しは気分転換できたが、香りとしては全く別物に感じて、そう長続きしなかった。

やはり研究だけしていると体調を崩してしまったので、農作業に力を入れ、水泳やギターなどをやり始めると、そういう気分転換のものは必要で無くなった。

ただ、飲酒の方は毎晩晩酌し続けているし、現役の頃は休日には朝から飲むこともあったが、歳を重ねるうちに量は減って行った。


しかし、そんな私に大きな落とし穴が待っていた。

それが、   デイヴイッド・T・コートライト 小川昭子訳 2003 『ドラッグは世界をいかに変えたか-依存性物質の社会史』 春秋社 FORCES OF HABIT: Drugs and the Making of the Modern World(2001)[デイヴイッド・T・コートライト2003(2001)]だった。

これは以前読んでいたのを先日読み返したのだが、自分がシガレットとパイプタバコを同じように捉えていたことの誤りに気がつかされた。

「シガレットは、機械時代のシンボルである。そこでは最終的に歯車や車輪やレバーの役目を人間の神経が果たすようになる」[前掲書:156]という論評を紹介している。

時間をかけてゆっくりと香りを楽しむパイプタバコや葉巻に革命を起こして、ニコチンの力で人を働かせる道具にしたのはシガレットであった。

このニコチンに関して、ダニエル・Z・リーハーマン&マイケル・E・ロングは次のように述べている*1。


ニコチンのおもなはたらきは、ニコチンそのものに対する渇望感を和らげることにある。まさに完壁な円環だ。煙草を吸う唯一のポイントは、ニコチン依存症になり、その結果生じる渇望に伴う不快感を和らげる快感を体験することにある。たとえるなら、荷を下ろしたときの爽快感を味わいたいがために、一日じゆう岩を持ち歩くようなものだ[D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018):77]。


シガレットはドラッグとしてのその快感を利用されて、企業は大儲けし、日本政府は専売公社で国民の多くを蝕み続けていたのだ。

欧米人が驚くほど日本人の多くがシガレットを吸い、かつては肺がんが癌の中で一番の死亡者を出すまでになっていた。

シガレットは日本人にとって、仕事人間を作り出すドラッグであり、そして多くの喫煙者を肺がんで死に至らす麻薬だった。


それに対して、パイプもニコチンは含むが、シガレットのように肺に多量のニコチンを送り込むための物では無い。

しかし、かつての私はそのニコチンそのものよりも、香りに魅せられたタバコの依存症であったことは確かだった。

タバコはドラッグ=薬物と捉えられるが、エリック・R・カンデルは次のように述べている*2


薬物依存症は長期記憶の一種である。脳は、特定の環境的な刺激と快楽を結びつけるよう条件づけられており、そういった刺激に遭遇すると薬物を使用したいという衝動が引き起こされる。快楽の記憶は、依存症患者が薬物の摂取をやめた後も長期間、続く[エリック・R・カンデル2024(2018):274]。


今、私はパイプタバコをシガレットとは違うことを言い訳として、パイプタバコをまた手にしてしまいその悦びを味わっている。

実は、昔のパイプはブリキ缶箱に入れて棚の隅に置いていたのだ。

AMPHORAを龍野のたばこ屋まで行って買ってきて、火をつけて吸い始めると昔のように少しの煙で長い時間吹かすことが出来た。

そして、若かりし日々の記憶は具体的な出来事では無くて、気分として甦ってきた。

そのかつて経験していたタバコの香りに包まれることは、過去の自分の感情を取り戻すことでもあった。

タバコの香りの記憶は恋人や友だち、妻との感情としての記憶に結びついて残されていた。

悦び、悲しみなど喜怒哀楽を全部含んだ心としての記憶に旅をさせてくれるのがタバコの香りだった。

薬物依存症は現代では脳障害と捉えられている[前掲書:276]というが、私は酒とタバコの軽い脳障害のおかげで、こんな時代でも生きていられているとも思っている。

本当は酒も煙草も必要なかった頃のような暮らしを取り戻せたら、どんなにか幸せだろうとは思っているが・・・・・・


*1 ダニエル・Z・リーハーマン&マイケル・E・ロング 梅田智世訳 2020 『もっと!―愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』 インターシフト  THE MOLECULE OF MORE  How a Single Chemical in Your Brain Drives Love, Sex, and Creativity  and Will Determine the Fate of the Iluman Race(2018) [D・Z・リーハーマン&M・E・ロング2020(2018)] 


*2 エリック・R・カンデル 大岩(須田)ゆり薬 2024『脳科学で解く心の病―うつ病・認知症・依存症から芸術と創造性まで』 築地書館 THE DISORDERED MIND  ( 2018)[エリック・R・カンデル2024(2018)]








2026年10月21日水曜日

サイバー攻撃と「戦いメカ」

 哲学者が用いる「戦争機械」という用語は、元々はフランスのドゥルーズ、ガタリが用いた”machine de guerre"の訳語である。

しかし、”guerre”と「戦争」は似ているが、日本では「guerre de l'audience|視聴率合戦」

「guerre des rabais|安売り合戦」には、戦争を用いない。

日本史で「戦争」という用語が用いられるのは、戊辰戦争くらいからで、「関ヶ原の戦い」をはじめとして、「戦い」「乱」が普通である。

つまり、明治維新以降の近代戦に用いられてきたもので、現代では経済戦争や関税戦争など軍事力を行使しないものにも用いられている。

しかし、哲学者が用いた”guerre”は必ずしも、近代戦以降に用いられた言葉ではなさそうだ。

"machine"に関しても、「機械」以外に装置、機構、仕組み、組織という意味で用いられるが、日本語では「機械」をそういう意味で用いられることはない。

日本の哲学者は一般の日本人がその用語からどう理解するかを考えないで、用語を訳したように思える。

自分なりに解釈すれば、「戦争機械」というよりも、「戦いメカ(戦いのメカニクス)」の方が私にはイメージしやすい。


どうしてこういう用語が必要かというと、流血をともなう軍事力の攻撃だけでなく、さまざまな 攻撃で、国家や企業、市民が危機に陥っているからである。

例えば、経済的な金融による操作では、一国の経済が破綻したし、現代のサイバー攻撃では

企業が営業停止に追い込まれている。

サイバー攻撃に関しては日本はどちらかというと無関心でいられた、それは日本語という特殊性に守られていたからだという。

ところが、現代はAIのお陰でその日本語が防御にならなくなった。

このbloggarによるブログも日本よりも海外で多く読まれるようになったのはAIが利用されるようになったからだ。

このサイバー攻撃で日本人はドゥルーズ、ガタリが用いた”machine de guerre"すなわち「戦いメカ」に関心を持つようになると思う。

AIは確実に戦いメカとなって日本人の生活を脅かすところまでになったので、その本質を気づかされたということだ。

これで、量子コンピューターが実装備されれば、暗号も簡単に解読されてあらゆるセキュリティーが無意味となるだろう。


かつて文化人類学は現代文明の反省すべき点を明らかにするものとして、「未開」と呼ばれた地域に住む人々を研究した。

しかし、哲学のように現代文明を軍事分野を含めてしっかりと把握することは得意では無かった。

一方、経済学に関しては、軍事や戦争に関してはあえて無視しているようにさえ思える。

現代世界で行われている流血戦争は経済的に敵を追い込む戦法をとっており、アメリカがベネズエラに対して行ったような戦術で片がついた方が稀なのだ。

日本国民は流血戦争に関わる軍事には神経質になるが、経済的に攻撃し合う戦いメカには無神経なところがある。

中国や北朝鮮、ロシアなどの犯罪集団によるサイバー攻撃を受け続けながら、台湾有事という流血戦争への危惧に振り回されている無策ぶりなのだ。

もう既に、国家同士の戦争以前に市民の中における戦争は始まっているのにだ。


参考文献

É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019  『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社



2026年10月20日火曜日

受験戦争の勝利者たちとその最期

 私の住んでいる村には大学卒業以上の学歴をもつ者は、私と家内以外には殆どいない。

私の息子も一緒に住んでいるが、大学は中退で学歴としては高卒である。

大卒以上の職場としては、学校や町役場などの他、老人施設などがあるが、数も知れていて農家の跡継ぎでもある人は稀だ。

父方母方を問わず私のイトコも、赤穂近辺に住んでいたのは私以外には大卒はいなくて、大卒は全て赤穂近辺から離れていた。

一人だけ夫が大卒で、本人は短大卒のイトコが赤穂に住んでいたのだが、現在は転勤になった夫と東京で暮らしている。

同じ中学高校に通った赤穂の同級生で、大卒以上で地元に戻ったのは警察官になった一人だけだった。


大卒の職場があまりない地方にとって、大学への進学は地方から離れることを意味する。

良い大学に入ることが本人にとっても、親にとっても名誉に思えていた大学受験の本質は生まれ故郷や親から離れて暮らすことでもあった。

私の親は子どもがしっかりと受験勉強して、良い大学に入るように生活を切り詰めていた。

その結果、一番受験に成功した弟は親の近くで暮らすことも無く、どちらかというと私のように結果的に失敗した者が近くで暮らすことになった。

赤穂で生まれ育ったイトコでも、親と一緒に暮らしたのは、大学受験に失敗した高卒者だけだ。

逆に言えば、都会は大学受験に成功した人たちによって成り立っており、地方からの流入は大切な戦力なのだろう。


そう言えば、東京都立大学の大学院にいた時に、教官から「長男は家に残って親の面倒をみるものだ。自分の長男の兄は田舎で親と暮らしている」という意味のことを言われた。

この時、「また古いことを言う人だな」と思っていたのは、当時でも既に地方出身の長男であっても都会の大学に出てきている学生が溢れていた。

逆に東京に親が住んでいても、東京以外の地方の町での勤務になる大学の先生もいた。

私たちの先生の世代は長男以外に遺産として学歴をつけさせていたが、もうその時代は終わっていた。

私の親は子どもに均等に学資を与えて、誰か一人が親と一緒に暮らしてくれるだろうと思っていたようだ。

特に受験戦争で成功した弟を跡継ぎにしようと思っていたようで、弟も父親と同じ企業に就職していたが、そのようにはならなかった。


学歴社会と言われて久しいが、学歴による地位や経済格差などを問題するが、伝統的な家の崩壊、地方の地縁関係の崩壊を問題にしてこなかった。

そして、受験戦争に勝ち抜いた英雄たちが、退職した後にどんな暮らしをしているかより、老後の生活の経済問題や健康問題しか話題にならない。

私の弟の一人は健康に大きな問題を抱えていたので、母親が心配して仕事を辞めるように勧めたが、弟は「仕事をとったら何も残らない」と言っていたそうだ。

地方に戻ってきて教師をやっていた人にも、退職後で家にいても何もすることが無いと言って、非常勤でも教師を続ける人が多いことも確かだ。

私は田舎に住んでいるので、自分たち以外に大学以上の学歴を持った人の老後の生活を目にする機会が殆ど無い。

家の周りでは勤め仕事を辞めた人の多くが農作業をしたり、趣味の釣りなどをして楽しんでいるのが殆どだ。


私は都会の大卒者の老後はほとんど知らないが、今朝(10/20)の羽鳥慎一のモーニングショーで有料老人ホームのことや高齢者の厳しい暮らしぶりが放送されていた。

東京23区の有料老人ホームは入所に最低でも2,000万円必要なので、生まれ育った町を離れて群馬県の施設に入所する人が紹介された。

ということは、退職金は2,000万円以上あり、多くの貯金や年金、不労所得がないとそういう施設には入れないということだ。

まだ働ける人は年金が少ないと福祉施設の過酷な現場で働かねばならない。

大企業や官公庁などに入った受験戦争の勝利者の多くは、そういう人に支えられて都内の有料老人ホームで悠々自適の生活ができるのかもしれない。


ただ、究極の最期として考えさせられたのは本人の葬式のあり方だ。

昨日朝(10/19)の羽鳥慎一のモーニングショーで、都会の葬式での火葬の話が出ていた。

東京などの都会では火葬場が足りなくて、亡くなってから火葬されるのに二週間ほど待たねばならないということだった。

こういうことは家内の知り合いが大阪で一週間ほど火葬を待たされたことを聞いて知ってはいた。

私は名古屋の叔父が亡くなった時に、八事の火葬場に行ってその巨大工場のような火葬場に驚いた経験がある。

多くの人の火葬を行うにはそれなりの巨大な施設が必要だと思い知った。

東京23区では公営2カ所、民営7カ所の火葬場があるそうだが足らなくて、長い期間待たされてしまう。

その間は遺体は霊安室で保管してもらうのだそうだが、保管の仕方によって一日あたり3,000円から15、000円の違いがあるそうだ。

葬儀屋さんに頼んだりしたら高額になれば一日25,000円にもなるということなので、それが二週間となればかなりの出費となる。


出費は生前かけていた保険でまかなえるかもしれないが、葬式までの間は霊安室で冷蔵保存されることに尊厳喪失を感じてしまう。

受験戦争を勝ち抜いたエリート達が、最期はそういう人間らしからぬ扱いを受けねばならないことは感慨深い。

その点で言えば、地方では友引を避けたり、遠くの近親者を待つために、葬式を日延べすることはあるが、火葬場の都合で伸ばされることはほぼ無い。

そして、遺体のそばには誰かついていて、蝋燭や線香を絶やさないのが普通だと思う。

受験戦争などの勝利者かどうかに関係なく、田舎の人間の最期は人間らしい尊厳を持って旅立てる。

私にとってこのことの意味は大きく感じられる。

















2026年10月18日日曜日

悩ましい寝台列車瑞風の旅

 テレビでTEILIGHT EXPRESS瑞風が紹介されるたびに、家内と観ながら一緒に乗ってみたいねといい合う。

しかし、最後はかかる費用にため息が出ておしまい。

実は亡くなった家内の母はこういう列車に生前に乗りたいと言っていたそうだ。

亡くなった時の貯金を思えば乗れないわけでは無かったと思う。

年金暮らしだった義母は病気になったら病院で個室に入りたいからと言って、義父に先立たれた後も無駄なお金を使わずに貯金していた。

結句、入院しても個室には入らないまま、多く残った貯金は全部遠くで暮らしていた息子の財産となった。


今考えれば、家内に一緒に乗ってあげるように言えば良かったと思うのだが、おそらく義母のことだから頑として断ったと思う。

本来なら義父が元気な時に夫婦で乗ることが出来れば良かったのだろうと思う。

でも、自分たち夫婦自身、二人でこんな大金を数日で使う勇気が無い。

希望者が多くてなかなかチケットが取れないことを考えると、それができる人が多くいることも確かなのだろうと思う。

私自身は老後のことを考えずに元気なうちに無理をしてでも、一時の幸せを味わうことは悪くないとは思っている。

老後の不安でお金を貯め込んで置くよりも、自由に動けるうちに幸せを感じられるのなら、それは決して無駄なお金では無いと思う。

だけど、実際に乗る勇気を出すきっかけが、今は見つからない。


一方、私は若い頃に恋人や友だちとの楽しい列車や船の旅を経験している。

鈍行列車であったり、二段ベッドの寝台列車、二等船室であっても、好きな人や仲の良い友だちと過ごせればどんなに楽しいか知っている。

若い頃は瑞風のような列車に乗らなくても、充分に悦びを感じることが出来た。

そのことを言うと、家内は黙っていたが、家内自身は友だちとのリッチな旅の経験があったので幾分分かっていたはずだ。

家内と私の違いは、私は貧乏旅行だったが、家内はしっかりとアルバイトして貯金をした高額のお金をつぎ込んでいた。

家内は私がしてきたような、極力費用を削った旅行の経験は無い。

一方の私は家内との新婚旅行で初めて飛行機に乗って海外に出かけて一流のホテルに泊まる経験をした。

ただ、教師になってからは修学旅行などで、それなりのホテルに宿泊することがあったが、それはあくまで仕事としてであった。

仕事抜きの豪華な旅行はほとんど経験が無かったけど、子どもが出来てからの家族・親戚旅行を含めて、細やかながら楽しく過ごす経験は夫婦ともあるにはある。

子どもと一緒なら、豪華な旅行で無くても楽しく過ごせたこともよく知っている。

その子どもも大きくなって、しかも孫はいないので娘夫婦と一緒に旅行に出かけることもない。


今は出かけるのは家内と二人だけのことが多く、日帰りで展覧会や催しに遠くて京都あたりまで出かけることが年に数回ある程度だ。

私は学生時代から手作りの旅行を楽しんできたのだが、家内は枕が変わると眠られない性格なので、無理のある旅行を計画することはできない。

だから、旅行会社の海外旅行や、寝台列車瑞風でのツアーが良いとは思っている。

旅慣れた者にとっては、無駄なお金のように思えても、旅慣れていない人を旅行に誘うのはそういう旅なのだろうと思う。

先日も、たまたま踏切で瑞風がゆっくりと上郡駅の方に向かっているのに出会った。

中に乗っている人は、どんな気持ちでこの田園風景を見ているのだろうと思いつつ、平日の昼間に紛れ込んできた夢の姿に見とれていた。

学生時代は青春18切符で、たった一日2000円ほどで楽しめた旅行だが、今は夫婦二人で楽しむにはその何十倍もの費用が必要なのだと分かってはいる。

若さとはそういう悦びをたやすく手に入れられることであり、歳をとるとそれに似た悦びを得るには大きな金銭的負担が必要ということを自分に納得させるのが悩ましい。














2026年10月12日月曜日

ノーベル賞の価値への疑問

 ノーベル賞のこれまでの獲得数を国別ランキングで言うと、ベスト5は以下のようである。

1位:アメリカ(約296〜297人)2位:イギリス(約94〜110人)3位:ドイツ(約84〜86人)4位:フランス(約63〜64人)5位:日本(約31人)

因みに中国(12人)は17位、インド(9人)21位、韓国(3人)40位となっている。

国民一人あたりのGDPはアメリカ8位、イギリス20位、ドイツ18位、フランス27位、日本36位、中国74位、インド146位、韓国35位となっている。

今回の日本人の受賞に関連して、現状の科学の基礎研究では将来の受賞を危ういと指摘された。

しかし、ノーベル賞では40位の韓国に一人あたりのGDPでは劣っており、むしろこんなGDPでよく健闘しているなと感心する。

逆に言えば、日本の研究者は日本のGDPにそれほど貢献していないことになる。

そして、日本は上位5カ国に比べて、平和賞が少ない上、経済学賞に関しては0である。

それが平和憲法をもち、かつては経済大国と言われた日本の現実であることを思い知らされた。


ただ、どうもこれほどノーベル賞に拘るのは先進国の中では珍しいそうだ。

自国に原爆を落とされたのに、その開発に関係するドイツの化学者オットー・ハーンや物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクがノーベル賞を受賞していたことを気にしていない。

特にヴェルナー・ハイゼンベルクは原爆開発の中心的役割も果たしたということだが、アメリカの原爆開発を促したアインシュタインもノーベル賞を受賞している。

人類の破滅を促すような研究が評価されていても、ノーベル賞の価値は揺るがないできている。

むしろ、昨年はノーベル平和賞をもらったベネズエラのマリア・コリナ・マチャド氏がトランプ大統領にメダルを贈呈してその政治利用を哀れに思ったりもする。

今回は国際刑事裁判所(ICC)元判事および国連人権高等弁務官などを務めた南アフリカ出身のナビ・ピレイ氏の受賞は、トランプ大統領への当てつけともとれる。

それに対して、トランプ米政権は9日、国際刑事裁判所(ICC)に対する幅広い制裁措置を発表することになった。


ノーベル賞の獲得数で圧倒的に多いアメリカのトランプ大統領がノーベル平和賞を欲しがったのはオバマ氏への対抗意識もあるだろうが、中間選挙を優位にする目的もあっただろう。

そういういわく付きで政治利用もなされるノーベル賞を、疑うこともなく大きな価値を見いだそうとする日本人やマスコミの報道の仕方に疑問を感じざるを得ない。

ただ、オリンピックで金メダルを獲ったり、映画や音楽でのコンクールで受賞しているのと同じ感覚だとも言えるので、罪はないのかもしれない。

科学者は国からの支援資金が少なくこのままだと、日本の基礎研究は行き詰まってノーベル賞の受賞が無くなるという発言には疑問を感じる。

国民一人あたりのGDPが韓国よりも低い日本がノーベル賞の獲得数で圧倒するのは、国民の経済を犠牲にしているのではないのでしょうか?