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2026年7月24日金曜日

海を見ていた午前

 ユーミンの「海を見ていた午後」は私の大好きな曲で、ひとりでよく歌っている。

弟夫婦が三浦半島の葉山に住んでいるし、私も横浜に住んでいた時に山下公園は想い出の場所となっている。

実際にモデルとなったドルフィンからは、三浦半島ではなくて房総半島が見えるそうだが、どちらにしろ自分の想い出を重ねられる。

地元の赤穂でも想い出の残る海岸は色々あるのだが、地元では綱崎という恋ヶ浜は私の生まれ故郷の鳥撫(となぜ)の海岸で特別な海辺だ。

ジェットスキーが荒らすので立ち入り禁止になったと思ったら、いつのまにかプライベートビーチになっていた。

そして、先日は女子大生がジェットスキーにはねられ心肺停止になって、ドクターヘリで運ばれるような大事故が起こってしまった。

そもそも、恋ヶ浜のいわれとなった物語では、江戸時代に岡山から駆け落ちした夫婦の悲しい死が語られている。

武士の娘と駆け落ちした下男がその妻のために漁に出て帰らぬ人となり、妻は夫を浜に出て待ち続けて亡くなってしまったという伝承物語だ。

私は幼い頃には父と貝掘りに行った場所で、鳥撫の親戚とも海水浴に来ていたし、結婚してからも子どもが小さい頃に家族で泳ぎに来ていて、その物語とは無縁だった。

今回の事故で、却って恋ヶ浜の物語が因縁じみて感じた。

ただ、赤穂の海岸には事故や自殺の話がどこでもあって、それを気にしていたら来られなくなってしまう。

喜びも悲しみを飲み込んでしまうのが海だと船乗りの息子の私は思っている。


この恋ヶ浜での近年での一番の思い出は、娘のようなALTのメグと一緒にSUPをして楽しんだことだ。

土曜日の午前に彼女を誘って恋ヶ浜でSUPを楽しみ、海を眺めながら途中でコンビニで買ったおむすびを二人で分けて食べた。

メグはアウトドアのインストラクターをしていたこともあってSUPも上手かったが、着替えも平気で草むらに入ってしていた。

メグは両親が離婚して父親とは行き来が無かったので、私を父親のように思ってか慕ってくれてた。

一緒に自転車で赤穂御崎や唐船海岸を走ったり、カラオケやギターで歌って二人で楽しんだりした。

メグがアメリカに帰っても恋ヶ浜にずっと通っていた。

ジェットスキーが我が物顔で噪音を立てているところからなるべく離れて、ひとりでもSUPをよく楽しんでいた。

そして、立ち入り禁止で閉め出されてしまった。


閉め出されてから、恋ヶ浜には行けなくなったので、最近は赤穂御崎の大塚海岸や東御崎展望台に立ち寄ることが多くなった。

そこも中学生頃からの想い出の残る場所であるが、最近は大塚海岸ではSUPをしようと下見のつもりできている。

先日(7/22)も家内を病院に朝早く連れて行って、図書館が開く10時までの時間つぶしに大塚海岸に行った。

日除けのポンチョを羽織って海岸の遊歩道を歩いたが、日陰も無くて暑いだけであった。

大塚海岸は以前は海水浴場だったので屋根付きの休憩所がある。

以前からそこに年配の男性が集まって会話を楽しんでいるのを見かけていた。

私は御崎地区の生徒と同じ中学校に通う尾崎育ちなのだが、中学校から姫路に通ったので地元とはなじみがない。

だから、そういう地元の人と関わるのは敬遠して、そばに行くことも無かった。

しかし、今回はあまりにも暑かったので、少し離れたコンクリートのベンチで休憩をすることにした。


年配の男たちは賑やかに会話していたが、それを聞き流しながら海をながめていた。

涼しい風が吹き抜けて気持ちいい。

そこで、冷たいベンチに横になってしばらく目をつぶっていた。

そのそばの山の上には思い出の展望台がある。

今はひとりベンチで海をながめているが、かつてはそこで二人だけで眺めていた。

ユーミンの歌のようにロマンチックでは無いけれど、それを思い出すひとときである。

その後行った赤穂図書館には老人を中心に人で溢れていた。

確かに冷房がよく効いた図書館は快適だったが、そこを出た時の息苦しさは耐えがたかった。

それよりも、大塚海岸の休憩所で過ごした時間の方がすごく心地よかった。


御崎の海岸は子どもの頃からの海水浴・魚獲り、思春期での物思い、恋人とのデート、教師としてのキャンプの引率と半世紀以上の付き合いがある場所だ。

大塚海岸だけでなく、丸山海岸にも家族や親戚と海水浴などでよく行ったが、そちらは駐車場が有料になってから行っていない。

今はこうして大塚海岸の休憩所のベンチに座って、ひとりでただ海を眺めて涼んでいるだけなのだ。

奄美の与路島に通っていた頃も、時間があるとひとりで集落の東にある前浜に出て、海や請島を眺めて色々考えをめぐらせていた。

その時も、シマのオッショーが堤防に立って海を眺めたり、アダンの木陰で年老いたアンマが海を眺めていたのを憶えている。

私もそのオッショーやアンマのように、ただ海をひとり眺めてボーと過ごす歳になったようだ。

海をボーと眺めていても飽きることは無い。

ボーと生きていると言われて叱られない場所でもある。


2026年7月23日木曜日

沈黙の夏

 かつてアメリカの生物学者レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を1962年出版して、殺虫剤や農薬の影響で春になっても鳥が鳴かなくなることを警告した。

今年は夏になっても蝉が鳴かない静かな日々が続いている。

我が家には生け垣や庭木に木を多く植えている。

夏の初めにニイニイゼミから始まって、アブラゼミ、クマゼミと鳴いていき、朝早くから夕方遅くまでうるさく鳴き通す。

以前はあまりうるさいので、水鉄砲などを使って追い払うこともあった。

ところが今年は蝉はあまり鳴いていなくて、例年より静かである。

その分、小鳥などが鳴いているのが気持ちよく聞こえている。

テレビやネットでは気候との関係を指摘して、梅雨が早く開けて異常高温が続いているからだという。

そうすると、こういう夏が毎年やってくると、蝉はいなくなってしまうのだろうか?


夏が暑いということでいつも思い出すのは、東京の大学院で研究していた頃に、下宿のお婆さんから聞いたことだ。

それは関東大震災が起こった時の夏は非常に暑かったということだ。

このところ毎年異常な高温が続いているので、そのことはあまり気にかけなくなっている。

関東の方はまだ梅雨も明けずに雨が続いていたが、一転して酷暑に襲われている。

今年はスーパーエルニーニョとも言われていて、本来は冷夏になりやすいはずなのだが、暑いし台風も多く発生している。

ヨーロッパの異常高温、ベネズエラで巨大地震、カナダで猛烈な山火事などとんでもないことが続いて起きている。

以前読んだ本で、地球の温暖化は極地帯の氷を溶かして海水の量が増して重くなり、地殻に影響を与えるということを知った。

そうすると、地震も関連してくることになるだろう。


戦争も環境破壊と言われているが、ウクライナによるロシアの石油基地攻撃、イランとアメリカとの戦争による石油施設の破壊は、重大な環境破壊である。

日本では南海トラフ地震が予想されているが、これだけ温暖化が進むと発生周期が縮まってしまう可能性も考えられるだろう。

蝉の鳴き声が消えた沈黙の夏を、その予兆と捉えるか、ただの温暖化の一現象と捉えるかは結果が出てしか正解は分からない。

どちらにせよ、10年に1度の暑い夏だそうだ。

我が家の作物もオクラ以外はまともに育ってないし、近隣の畑もキュウリやトウモロコシが枯れているのを見かける。

だから、地温が上がりすぎないように雑草を伸ばしており、旱魃飢饉に備えてサツマイモに水をやって大事に育てている。




2026年7月20日月曜日

親からの負の遺産に悩む地方

 法律の改正で親の不動産の名義変更を死後3年以内に行わねばならなくなった。

私の親は改正前に亡くなったので、法の制定後の3年ということで余分に1年だけ余裕があったことは後で知った。

バブル期頃までなら売却して兄弟4人でその利益を分割すれば良かった。

しかし、今の時代はこういう地方ではまともに売れず、捨て値で業者に売却するには、私は非常に抵抗を感じた。

親が懸命に働いてやっと新築の家を手に入れた苦労と、その時の悦びを知っていた。

また、その家で兄弟は育ち結婚して離れていったが、盆正月や連休にその家族が集まって賑やかに過ごした。

そういう思いの詰まった家が十数万円の安い値段と引き換えにするのは悔しかった。

確かに兄弟家族の誰もが住まない家を誰かに活用してもらった方が良いとは思う。

親が一代で築いた家で、先祖代々というものでもないし、さほど立派な家でも無い。

だけど、親の思い以外にも祖父が息子のために作った庭はそれなりに見事である。

それなりに価値を理解してくれる人に使ってほしいと思おうが、それを不動産屋に期待することはできない。


私は長男として一番両親と関わったので、その家を維持するために固定資産税と電気・水道料金を払い続けている。

その費用は今の年金暮らしには負担とはなっているが、そもそも私が就職できて年金ももらえるようになったのは両親の支えのおかげなのだ。

そして、家を更地にすれば国に返納できるが、旧来の土壁であるし庭の石の処分をを含めれば処分費用が1000万円は近くになる。

それだけの費用を超える地価価格でも無く、売れる見込みが立たない家を高額の費用で解体する馬鹿もいない。

先日大工の棟梁と話す機会があって、そういう家が赤穂でも増えていて、もう放置するしか手が無いという。

山間部などの家はこっそりと安く埋めてしまっていることも聞いたし、実際に近くで目撃している。

かつては木造の家が廃屋となったら、その場で土で埋めたり、川や池の埋め立てに用いたりしていた。

それができない現代では、家を建てる時に壊すことも考えておかねばならなかったのだ。


両親は昔のように不動産には価値があって、後を見てくれる子どもに相続させれば良いと思っていたようだが、そもそもすでに均等分割の時代にはそぐわない。

今回も私の名義にするのは、そのままにしていると兄弟みんなに罰金がかかるからで、処分にかかる費用は負担し合うことになっている。

とにかく、兄弟はそのことで長男である私に早く名義変更をするように迫ってきた。

業者に頼むと多額の費用がかかるので、自分の手でするために末弟が法務局へ出向いてその書類の書き方も聞いてくれていた。

そこで勘違いがあって、母が亡くなって3年目の今年の7月までが期限だと思っていたのが、亡くなったのが法律の成立までで来年まででよかったのだ。

勘違いしたまま急いで必要な書類を取り寄せたり、文書の作成は家内にかなり手伝ってもらって行った。

そして、法務局に予約を取って必要な書類の点検をしてもらっていたときに、大きな不備が発見された。

ギリギリに行ったので期限を越えるかと心配したが、そこで法務局の相談員の方に来年まで期限があることを聞いてほっとした。


実は宅地は隣に一緒に住むこととなった母方の家族と父親名義で共有していたのだが、その後分筆したのに、両方とも建物はもとの地番ままになっていた。

つまり市役所は同じ地番の建物二つに固定資産税をかけていたことになる。

そこで、市役所で実家の建物の地番を変えてもらう手続きを取らねばならなかった。

それでなんとか書類申請ができたのだが、その点検で今度は畑の名義になっていた父の住所が以前のままだったので、その住所に同姓同名の人がいないことの証明が必要となった。

法務局の人の説明では不在証明だけで良いように電話で言われたのだが、家内が持って行ったら不在籍証明も必要だとまた市役所に行くことになった。

結局、法務局には弟が1回、夫婦で2回、家内だけで2回行き、赤穂市役所には夫婦で合計5回出向いたことになる。

これは夫婦とも自由な時間があったからできたのであって、普通の仕事をしていたらできなかっただろう。

書類を取得するのと申請するので合計すると5万円以上かかったが、業者に頼んだらもう15万円ほどかかっただろうと法務局での相談員に言われた。

これだけの労力と費用を支払って負の遺産を相続する悲哀を感じざるを得なかった。

これを大学の仲間のラインで報告したら、やはり地方の地元に戻った仲間から同じことを聞いた。

都会の仲間の方はうまく処分できれば利益にもなるので、関心が薄いこともよくわかった。


荒廃する空き家対策で作られた法律に、田舎に住む多くの人は多額の費用や労力を強いられている。

赤穂の実家の周りも空き家だらけになっているし、今暮らしている上郡の村でも日々空き家が増えていっている。

しかし、その空き家が壊されているのを見たのは、山裾で古い廃屋が壊されて地中に埋められているときだけだ。

こっそりとそれができない家屋は、名義が換わっても放置され続けるしかないだろう。

私はすでに40年ほど前に奄美の与路島で同じ風景を見ていた。

40年の年月が経って奄美の孤島と変わらない風景が眼前に展開している。

当時、研究調査で世話になった奄美在住の故山下欣一(学者)さんに、「過疎は本土と一緒だろう!」と言われて、当時は違うと思っていたが、今は同じと答えるしかない。

しかし、考えようによっては上郡の村にはコウノトリが住み着いたし、赤穂も公害が減ってきているように思える。

地方に残る者がその自然と引き換えに負担すべき代償なのかもしれない。

ただし、それが負担できない人はますます地方から出ていくだろう。

また、与路島でオッショーからよく聞かされた「ガクシェイシャン(学生さん) おしまいぜすぞ」の声が聞こえてきそうだ。









2026年7月18日土曜日

酷暑に欠かせぬ水対策

 私は去年から300リットルのポリタンクを買って、雨水をそこに受けて利用している。

梅雨が上がって貯めた水を二階のバルコニーや庭の鉢上の木や生えている草木に電動ポンプを使ってかけてやっている。

それまでは二階のバルコニーには水道水を使ってミストを噴霧して鉢上の木に水を与えたり冷やしていた。

これだと水道代が月あたり1万円ほどかかるので、タンクに貯めた雨水や用水路の水を使うことにした。

ただ、それらの水には細かいゴミが混じるので、繊細なミストに使うとすぐに目詰まりを起こしてしまう。

そこで去年からはホースに小さな穴の開いた散水器具でバルコニーで水を撒いている。

庭の草木にはホースを繋いでそのままかけてやれば良い。


問題なのは用水路は庭から道路を挟んで流れていて、近くの用水路かあ水をくみ上げるにはホースを道路に渡さねばならない。

そうすると車がそのホースを踏んでいくことになるので、ホースも痛むし近所の人はホースを踏むのに気を遣ってくれている。

そこで、50mほど離れてはいるが、庭から道路を跨ぐことをせずにホースや電気コード伸ばせる場所の用水路で水をくみ上げることにしている。

一番長いホースは30mなので庭のポンプには、もう20mのホースを繋いでいる。

300リットルのタンクは二日もすればなくなってしまうので、そのたびにエンジンポンプか電動ポンプを使ってくみ上げてきた。

朝早くやる時にはエンジンポンプだとうるさいので、コードリールの電気コードを延ばして電動ポンプを使っていた。

裏の畑の散水にも同じような方法をとっていたが、こちらは水を貯めておくための容器を3カ所くらい置いておいて、そこに水を貯めもヒシャクなどを使って散水した。

それは毎日ポンプを回すのはけっこう手間がかかるからだ。


以前は軽トラを使ったりしたが、今は小さめのアルミ製のリアカーを使って、そこにポンプなどを載せて用水路まで運んでいく。

エンジンポンプの場合は取水ホースもかさばるし、3リットルのガソリンタンクも用意しておいたりする。

用水路が畑のぞばにある人は、畑に小さな屋根をつけてポンプを設置したままにしているが、うちは設置したままにするわけにはいかない。

さすがに長いホースだけは畑においてベランダボックスを逆さにして覆っておいている。

これで昨年は家の草木対策、暑さ対策、畑の散水を乗り切ってきた。


去年までの作業は非常に手間がかかるので、今年は充電式の電動ポンプを使いたいと思ってネットで調べてみた。

最近は中国製の5000円前後の安価な物と、日本製の2万円近くする高価な物が売ってある。

レビューを見るとやはり中国製の物には多くの問題があるようだが、日本製はあまりにも高すぎる。

せっかく買った電動ポンプを活用した方が良いと、蓄電池も考えたがそちらは色々応用できた伸しても値段が高すぎる。

そこでふと思いついたのは、今使っているマキタのバッテリー活用だ。

最近はマキタも40vのバッテリーを使って、農機具以外にも電動アシスト自転車なども販売している。

うちではまだ18vのままだが、18vのバッテリーを使って家電の電源に変換させるコンバーターがないか調べたら、見事に見つけることができた。

中国製で不安はあるのだが、7000円ほどでリスクを感じながら注文して、配達されてきた。


試しに電動ポンプをつないでみたが、負荷がかかると止まってしまった。

負荷のあまりかからない扇風機などは普通に使えるので、水中ポンプでもバスポンプや水槽用の小型ポンプなら使えそうだ。

それはいずれ買うことにして、当面はエンジンポンプでの冠水を続ける予定だ。

300リットルのタンクの水は12時間ほどしか持たないので、毎日のように用水路から水をくみ上げねばならない。

エンジンポンプを使った作物への水やりと、貯水タンクへの水の補充が大切な日課となった。



2026年7月16日木曜日

債務強制労働と債務返済労働、徴兵制

 私は長年奄美諸島の家人(ヤンチュ)の問題に取り組んでいる。

今その論文発表に向けての執筆中なのだが、これがなかなか進まない。

現在のところ、ヤンチュは債務奴隷ではなくて、債務強制労働というところで論を進めている。

  ウォーラーステイン,Iは債務強制労働を次のように述べている。

  [「債務強制労働」のような]換金作物栽培のための強制労働に従う労働者とそれに近い形態の者は、雇用主の管理の及ばない土地で、食糧用作物のかたちで自らの「賃金」の一部を生産しており、雇用主にすれば、この分の労働コストを削減することができたのである。したがって、労働の再生産コストは、奴隷労働の方が、[「債務強制労働」のような]換金作物栽培のための強制労働より高かったのである[I.ウォーラーステイン2013(2011):.197]*1


そもそも、江戸時代で遊郭に身売りして売春をさせられていた遊女が債務奴隷とはいわない。

一方、身売りしたけれど村で自活して暮らしていた家人が債務奴隷というのでは釣り合いがとれない。

詳しくは将来発表する論文で読んでもらいたいのだが、考えてみれば我々は債務を抱えてその返済のために懸命に働いてきた。

住宅ローンはれっきとした債務だし、他に大きなローンは車があり、少額な買い物でも普通にカードローンを使ってきた。

本来はしっかりと貯金をしてローンをせずに支払えば利子もかからなくて良いのだが、住宅が建てられる金額まで待っていたらその子どもは自立するまで借家暮らしになる。

就職してすぐに自家用車がいるのに、学生にはそれだけの現金は支払えない。

ローンを債務と表現したら重く感じるのでローンと軽く流しているのだろう。

しかし、現実には高い金利のローンに手を出して、自己破産してしまう場合もある。

また、ヤミ金に手を出して返済できなければ、それこそ奴隷並みの扱いを受けることにもなる。


また、強制労働という点でいけば、兵役がまさにそれにあたる。

戦前の日本や現在の韓国のように徴兵制度があるところは強制労働に等しい。

何が根本的に違うかは、「名誉」である。

これは奴隷研究の大家オルランド・パターソン が『世界の奴隷制の歴史』 (

2001(1982)明石書店)の中で述べている。

つまり、奴隷には名誉がないが、兵士には名誉がある。

しかし、扱われ方は大差なく、むしろ兵士の方が死の危険性が高い。

現代ででは徴兵制のないところでは、高額な金銭目当てであったり、刑務所から出してもらうために兵士になっている。

そして、刑務所での懲役(現代日本では拘禁刑での刑務作業)は奄美の家人よりも不自由な生活を強いられることになる。

しかし、懲役(拘禁)囚には奴隷という言葉は使われない。

実は古来の中国では強制労働させる犯罪者に対して奴隷という言葉をまれに用いていた。

そして、シベリア抑留で有名なに近代における強制収容所や捕虜収容所などでの労働は奴隷以下と称される。

ほとんど死ぬのをいとわない労働や生活を強いるからだ。


奄美の家人を債務奴隷とあたかもアメリカでの黒人奴隷を連想させる用語で、過去の悲惨な存在として歴史家の中には描く人が少なからずいた。

そして、発展した現代とは違う過去の歴史として現在の社会状況と類似することを隠蔽してきた。

しかし、現実の今の日本の社会はその延長上にある。

奇しくもデヴィッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事の理論』(2020年 岩波書店)や『負債論―貨幣と暴力の5000年』(2016年 以文社) で述べている

「今も昔も、賃労働と奴隷制のあいだには興味深い類似性がある」ことを

だからもし、家人をあえて債務奴隷というのならローンを抱えた我々も奴隷に似てることを述べるべきだ。

しかし、家人も我々も負債を抱えていても、普通の人と同じように祭りに参加できたし、負債を返したり対価を支払ってその立場を解消することもできた。

それがアメリカの黒人奴隷と根本的に違うことなので、私は奴隷という言葉は使わない。



*1 ウォーラーステイン,I 川北稔訳 2013(2011)『近代世界システムⅡ』 名古屋大学出版会 THE MODERN WORLD-SYSTEM II :   Mercantilism and the Consolidation of  the European World-Economy, 1600-1750 (New Edition) 2011 by The Regents of the University of California

2026年7月15日水曜日

もはや普通の農機具となったドローン

 このところ近所の米農家は軒並み農薬や肥料散布にドローンを使い始めた。

以前はJAや大規模農家だけだったのだが、中規模農家まで持って使っている。

さすがに小規模農家は持っていないが、JAなどにドローンでの農薬散布を委託している。

私は畦の虫まで殺してしまう空中散布は反対しているのだが、ここまで来るとその使用方法の改善を求めるしか無い。

とにかく、ドローンでは高濃度の農薬を使うので、なるべく作物に近い位置で農薬散布してほしい。

本当は村に居着いているコウノトリの餌や健康のためには農薬散布はできる限りしてほしくない。

しかし、農家も生活がかかっているし、対策に手間と時間がかけられないだろうから無理は言えない。

もはや稲作専業農家も絶滅危惧種である。


この空中ドローン以外にも自動草刈り機があるのだが、リモコン式のエンジン仕様のものは以前は見かけていたが、最近は見ない。

調べてみると、芝草用のものは全自動で電動式の物が低価格で販売されているようだ。

これも性能が上がっていけば、畦や広場の草を小まめに刈っていくこともできるだろう。

最近は水田の除草用の太陽電池式ロボットがアイガモの代わりに泳いでいる。

ただ、身動きがとれなくなってしまっているのも見かけるので、アイガモとはいかないようだ。

今後は地上や水中でのドローンが期待できるようだから、開発してほしいと思う。

例えばイノシシやシカなどを追い払う地上ドローン

昨日は鷹匠がカラスを追い払っていたが、サルにも使う空中ドローン

池のヌートリアなどを追い払う水中ドローン

ウクライナ戦争で活躍しているドローンをもっと平和利用してほしい。

もうすぐ、農村地帯には働き手がいなくなってしまうのだろうから・・・・・・




2026年7月13日月曜日

トンネルや峠は避暑地

 この日曜のドライブは少しでも涼しいところと思って、波賀町から千種町にかけてのいわゆる「シソイチ」と呼ばれるサイクリングコースに出かけた。

途中によく立ち寄る農産物の直売所では、この季節に出回る特産のブルーベリーを買ったりした。

揖保川沿いの道路は、さすがに暑さの中、自転車よりもバイクの方が多い。

いつもよく昼食で利用する川の傍のドライブインは着くのが早すぎてまだ開いていなかったので、波賀町の道の駅に行くことにした。

そこではもう車がいっぱいで、食堂のテーブルはなんとか座れたが、後から来たお客さんは待っていた。


昼食を済ますともう少し北に進んで千種に抜ける道に左折する。

そこから上り坂で以前に来た時にはトンネルの付近に雪も残っていた。

涼しくなることを期待したのに、トンネル付近でも車についている車外の温度表示は33℃と暑い。

トンネルに入っていくと、さすがに27℃まで下がっていった。

残念なのがトンネルの中では停車すらできない。

いつも、こういう涼しいトンネルに入った時に思うのだが、夏場の避暑地として活用できないのかということだ。

もっと標高の高いところではトンネルに入らなくても峠あたりでけっこう温度は下がっている。

しかし、そういう所には道の駅などの施設はない。


これだけ酷暑で涼しいところを求めているのだから、気楽に立ち寄れる避暑地があってもいいと思う。

やはり人気なのは川縁での水遊びができる道の駅で、千種の道の駅は満車で入れなかった。

道の駅では食事をするか買い物をするかで時間をあまり潰せないので、水遊びができる方が家族連れには良いのだと思う。

千種では以前に夏場の観光客を呼ぼうと百合をスキー場に植えたが、シカに全部食べられてしまったそうだ。

お年寄りでも楽しめるのはゆっくりと見て回れる花園だろうから、狙いは悪くなかったと思うが、鳥獣対策が難しいようだ。

その失敗に懲りずに花や果樹、野菜などを体験的に取って楽しむ施設を作っても良いと思う。

また、トンネルの活用は無理でも、洞窟や廃坑を使った食堂や喫茶店があってもいいと思う。


暑い日はエアコンの効いた部屋でテレビでも見た方が良いと言うが、それではますます温暖化が進むだろう。

せめて週末はこういう避暑ができるところに出かけることが便利になれば、過疎地域の活性化にもなるだろう。

冬のスキーが人気を失っているのだから、夏の避暑に力を入れてほしいと思う。