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2026年8月27日木曜日

アメリカが仕掛ける温暖化戦争

 現在、酷暑の原因は地球の温暖化であるのだが、テレビの天気ニュースでは高気圧や熱帯からの高温多湿の空気の流入としか表現されない。

起こっている酷暑の現象を温暖化の原因と絡めて報道するのは手間だからだ。

そして、対策としてエアコンを使いましょうと言うことになるのだが、日本では家庭由来のCO2排出の第4位で総量の15%を占めている。

この電力の発電方法は日本では火力が約65%を占めているので、この発電によるCO2の排出の割合が高い。

温暖化の責任を負いたくないとエアコンを切ってしまえば熱中症で死に至ってしまう。

だから、温暖化を加速させるエアコンを使うことは、火に油を注いでいるのと同じだが、その場を生き残るための方策である。

つまり、我々は車中泊でエンジンをかけてエアコンをかけ続けている震災の被災者と程度の差こそあれ同じなのである。

自分でガソリンをつぎ足したり、マフラーから排ガスが出るのを見ないで済んでいるだけなのだ。


世界的にCO2排出量を見てみると、1位中国、2位アメリカ、3位インド、4位ロシア、5位日本となっている。

この5カ国の中で一人あたりのCO2排出量の1位はアメリカ、2位日本、3位中国、4位インド、5位ロシアということになり、日本人は一人の出すCO2は中国人よりも多い。

温暖化と関連が考えられる自然災害では、中国がやはり一番深刻で中国全土で最高気温50度を観測するなどの猛暑や、豪雨・洪水・干ばつの大きな被害を受けている。

アメリカは山火事も温暖化と関連は考えられるが、大洪水に見舞われたり、大寒波に見舞われたりしている。

温暖化と寒波の関連は北極の気温上昇が偏西風に影響を与えることから起こるとされている。

日本は西日本は水不足だし、東日本は台風などによる洪水の被害が出ている。

米・中・日とも明らかに温暖化によって自然災害が起こっていることが分かっておりながら、それをまともに対処できていないのが現状だ。


アメリカのトランプはパリ協定から離脱し、産業優先で石油を掘って掘って掘りまくれといっている。

確かにアメリカでも自然災害は生じているのだが、それに対する対処の方法が違うという*1。

アメリカはハリケーンが来たり、山火事が起こると非常事態宣言を出して避難する、危険な地域には強制避難命令が出されて州兵が配置されるという。

これは日本の戦時中の強制疎開を徹底したようなもので、日本では考えられないことだ。

日本ではどちらかというとできる限り自分の家を守ろうとして家に残り、強制的に避難させられることは、よほどのことがないとない。

私が村落調査で通っていた奄美は猛烈な台風の常襲地帯だが、わら屋根の頃は台風には家を木材などを使って補強して備えた。

島だから逃げようがないということもあるが、本土では現在では高速道路などを使えば逃げようと思えば逃げられるが逃げない。

日本では自衛隊や警察は災害救助が中心で、強制退去のためには動いていない。

アメリカのまるで戦時下のような動きとは対照的であることが分かる。


アメリカは自然災害も戦争と同じように対処すると考えれば、温暖化で生じる自然災害という戦争を戦い抜く覚悟があるとも考えられる。

自国の被害よりも他国の被害が大きければ、アメリカ独裁は続けられる。

今回の日本の米騒動も温暖化と関係していると思われるが、それによってアメリカからの米の輸入は増えた。

何よりも高温化した海に囲まれたの影響で、日本は他の国よりも温暖化は速く進んでいることもあり、台風や豪雨の被害で苦しんでいる。

アメリカとライバルともなっていて、EV化を推進しているヨーロッパは熱波で多大の被害が生じたし、大河が干上がって発電にも影響している。

そして、何よりも中国は大洪水などの被害で苦しんでいるし、得意のEVの弱点が洪水や寒波で露呈した。

温暖化はロシアにとっては有利なのだが、実際にウクライナとの戦争をしていて経済封鎖をしているのでそれほど警戒する必要はない。

とすれば、アメリカでは自国の被害があっても、ライバルとなる国よりも対処できていて有利だと考えても不思議ではない。

われわれはそういうアメリカと戦っているのだと思うべきなのだろう。

日本一国だけではアメリカと戦えないので、パリ協定に入っている国が連携し合って戦うべきだろう。

我々自身もアメリカとの温暖化戦争の渦中にいることを自覚しなくてはならないと思う。


*1 日米で全く異なる防災・避難行動 https://www.us-lighthouse.com/life/point-of-view-america-japan/disaster-prevention-in-japan.html





2026年8月25日火曜日

自業自得の自民党を勝たせてきたJA・米農家

 私が上郡の村に転居してきた時に、印象的だったのは米農家の倉庫などには必ず自民党や総理大臣のポスターが貼られていることだった。

近所の米農家はまだ退職前で、土木会社に勤めていて兼業農家だったが、政治とは無関係に見えてもしっかりとポスターを貼っていた。

また、国政選挙などでは自民党応援のはがきがそこから来たりしていた。

自民党を支えてきたのはJAや医師会などの圧力団体であることはよく知られている。

このごろ、米の問題や食糧自給率の問題を農学者が指摘するが、そもそも農家は政権側の自民党と共にあったのであって、それでそのような結果になったのは政権側の失策である。

あたかも、米農家が被害者であるかのように言うのは誤魔化しである。


自民党を勝たせてきたことの、教育現場への影響は大きい。

以前は野党と組んだ組合を中心として教師が守られていたのだが、それの弱体化を図ったのは自民党の政権側であり、それで教育現場が荒廃してしまった。

あまりにも酷いので廃止されたが、教師の免許更新制が大きな転機だったと思う。

それを単に教師の質の低下とか家庭の指導力低下とするのはお門違いである。

自民党が新自由主義の路線を堅持し、非正規雇用を多くだし、組合員の組織率を低下させ、労働環境を悪くし、実質賃金が下がっていった。

そういう政策をとる自民党をしっかりと支えてきたのが米農家と言えるのである。

アメリカが米の輸入に関しては大目に見てきたのは、アメリカの傀儡政権の自民党を支えているのは米農家であることも知っていたからだと思う。

その米農家がJAとともに自滅していく事の危機感を煽るより、その原因となった自民党とJA、米農家との癒着をちゃんと検証すべきである。


米農家は当然、今のままでは先行きがやばいと知っていたから、自分の子供には米農家を継がせなかった。

親の世代までは何とか自民党と仲良くして協力してきて、生活が成り立っていたけれど、気候変動やグローバル化で先が見通せなくなったからだ。

今回の令和の米騒動で、あたかも米農家が被害者として国民から同情されれば、政府はしっかりと救済策を講じるだろう。

農学者やマスコミが食糧の危機を煽ってくれれば、米農家を助ける大義が立つ。

ネットでは政府が無料で米券を配れば良いということが共感されたりしているので、それに便乗するかもしれない。

それでは同じ事の繰り返しになる。

消費者は政府、JA,米農家の癒着を断ち切る形で動くべきで、できれば直接米農家と関係を、直接購入ないし生協などを通して持った方が良いと思う。

戦後のように着物を持って農家を訪ね歩かねばならなくなる前に、自分たちの将来を生活を守る気持ちを持つべきだと思う。

一方、米農家と水田を支える村民は、自民党ではなくて市民と共に生きていく覚悟を持って、食糧を確保する道を選ぶべきだと思う。


家内の従兄弟はミカン農家であるが、JAとは関わりを絶ったそうである。

父親もミカン農家でJAとの関わりは強かったようで、地域の農家の組織の役員までしていた。

しかし、その父親は肝臓を患い若干60歳で亡くなってしまった。

おそらく、農薬を多用してきた影響があったのだろうと思われる。

近隣の太子町のハウストマトの農家でそういう被害を聞いたことがあるからだ。

彼は家内の父母の葬式にわざわざ広島から相生まで軽トラに乗って来てくれていた。

その時に話を聞いたりしていたが、軽トラで高速道路を走るのは慣れていると言うので驚いた。

彼はJAを通してミカンを出荷していなくて、直売所に持って行って買ってもらっているという。

米の輸入自由化は阻止しながら、オレンジの輸入自由化は阻止しなかったJAに不信感が募っていたのも原因があるように思える。

彼はそのために遠くまで軽トラで出かけなければならなかった。

彼の息子も農業を志して農業高校に入ったが、ミカン農家は継がずに実習先で知り合ったタマネギ農家を継ぎそうだと言っていた。

彼自身温州ミカンだけに拘らずレモンの栽培などに新しく挑戦してきたが、やはりタマネギの方が底堅いと思い、敢えてミカン農家継承に拘ってないようだった。

米農家以外の農家はJAだけに頼らず、何とか活路を自力で開拓している人もいる。

米農家もそれを見習うべきだと思うし、消費者もそういう農家を応援しなくてはいけないと思う。

一方で考え方を大転換して、この機会に米の輸入自由化を認め、その代わり補助金を認めさせて、他の国際競争力をもった農産物のように変革するのも手である。


2026年8月24日月曜日

ヒト本来の分割睡眠

 睡眠に関しては個人的にも色々悩むところがあって、完全退職する前は睡眠時間を確保するために医師から睡眠導入剤を処方してもらったりしていた。

というのも、今でもそうなのだが夜中に寝酒を飲む習慣が出来てしまっている。

自分自身糖尿病なのに夜中に飲食をしてしまっている。

酒に関しては芋焼酎をレモンなどの柑橘類を入れて炭酸で割って飲んでいる。

水泳や農作業で身体を動かしているのに、夕方の晩酌時につまみとおかずだけでご米飯を食べないせいもある。

そして夕食後そのまま寝てしまい、夜の九時前後に起きて机に向かって本を読んだりネットを観たり、ブログを書いたりしている。

そして、夜中の11時に切り上げて飲食してうとうとしながら過ごしてから、風呂に入って夜中の2時前後に床について眠ることが多い。

起きる時間は冬と夏とで大差なく、朝の5時前後に目が覚めてしまい、冬は机に向かい、夏は散歩と農作業に出かける。

その日によって睡眠時間は違うが、夜には合計6時間ほどしかとれていない。

ただし、机に向かっていて眠くなったら軽く10分ほど仮眠したり、昼食後も15分程度眠ってしまい、仮眠の合計は30分くらいになると思う。


睡眠導入剤は糖尿病の数値が悪い時に寝酒をしないのが主な目的で、現在は悪くないので眠剤は飲まずに寝酒をしている。

働いている時は昼間の仕事に応えると思うので、眠剤を飲んでいたこともある。

世の中に流布する必要な睡眠時間が8時間とか7時間という以外にも、睡眠ゴールデンタイム午後10時から明け方の3時までという拘りもあった。

若い頃は子供を寝かしつけているうちに自分も眠ってしまって朝だったと言うことが多かった。

また、朝の10時くらいまで寝坊したり、逆に徹夜も平気でできていた。

それが徐々にそういう睡眠に変わっていたのだった。

こういう途切れ途切れの睡眠に不安を感じていたのでネットで調べてみたら、次の記事が目にとまった。


人類はかつて「睡眠を1晩2回」に分けていた、その習慣が消えた理由とは?」『ナゾロジー』

この記事はhttps://www.sciencealert.com/humans-used-to-sleep-twice-every-night-heres-why-it-vanishedを参考にして書かれたもので、原文も同じような内容である。


要するに我々が当たり前だと思っている現代の睡眠は産業革命以降に身についてきたもので、それまでは分割睡眠が当たり前だったということだ。

一回眠りについて、夜中に目が覚めて1から2時間ほど起きていて、また眠りにつくという睡眠である。

現代のように電灯や時計などがなかった時代は、夕食は暗くなる前に済まして、暗くなると寝てしまっていた。

朝も明るくなって起きてくるので、夏と冬とでは床についている時間が違うのが当たり前だった。

明かりがないからと言って夜は単に眠るためのものではなく、若者は夜遊びで出かけたし、夫婦にとっては大切な営みの時間でもあった。

夜の明るさが違ってくる月齢を昔の人は非常に意識していたのもそのせいである。

狩猟採集の時代からつい最近の農耕中心の時代まで、分割睡眠が当たり前であったことは不思議ではない。

むしろ、現代は未開人を除いて、労働のために睡眠を管理されてしまったと言った方が良いのだろう。

人類学者はそういう分割睡眠のことはあまり民族誌に書き残していないのは、夜の過ごし方は聞きづらかったこともあるかもしれない。

また、睡眠はあまりにも個人的に柔軟に季節や出来事で変化して、決まったスタイルがなかったので一般化して著せなかったかもしれない。

そもそも、活動をともにする昼間と違って夜の過ごし方は個人の自由で、決まり事などなかったからだと思える。

この睡眠時間の事からも分かるように、現代の医学などは現代のライフスタイルの枠の中で研究されたもので、ヒト本来の心身のあり方とは別物である。

そして、医学的に推奨されることと違うと不安を感じてしまい、時に薬やサプリに頼ってしまう。

その方が病院や薬局、製薬会社には都合が良いのかもしれないが、われわれ庶民にとっては余計な心配と出費となってしまう。

労働管理されている時は仕方ないところもあるが、退職して自由を得たらヒト本来の睡眠方法に戻っても悪くはない。

ただ、昔と違って電灯もあるし、テレビなどの娯楽もあるし、日常的に酒も飲める。

むしろ睡眠そのものより、それとの付き合い方に気をつけるべきなのだろうと思っている。

と書きつつ、非常に後ろめたい気持ちになってしまう・・・・・


2026年8月23日日曜日

仕事優先が生むDV(家庭内暴力)

 私は大学院時代(1984年)に家庭教師派遣センターからの紹介で高校浪人をしている生徒A君の指導を任された。

そのA君の実家は大阪にあったが、中学時代に不良グループと問題行動を多く起こして、高校にも入れなかった。

その父親は年齢が高く単身赴任で東京に来ていた。

母親は不良グループから引き離す意味も込めて、単身赴任をしている夫を頼って子供と一緒に上京してきていた。

私が家庭教師として選ばれたのはおそらく見た目ががっしりしていたし、剣道も少しかじっていたことも有ると思う。

A君は確かに見た目はいわゆるヤンキーぽかったが、話をすると非常に明るくて素直な感じだった。


ところがある日、家を訪れるとふすまがズタズタに破けている。

どうしたのかと尋ねたら、どうも父親と一戦やって暴れた後らしい。

本人は父親に暴力を振るうつもりは無かったが、もみあいになって引き倒して馬乗りになってしまったという。

そしたら、父親が驚いて息を詰まらせてしまったという。

A君はそんな父親を観て却って動揺したようだが、母親から「死んだらどうする」と酷く叱られたのが不満でもあったようだ。

手を先に出してきたのは父親のほうだったからだ。

おそらく父親は自分の力を過信していたのと、まさか抵抗するとは思っていなかったのだろう。

父親は妻子のために働いて尽くしてきたつもりでも、家庭より企業を優先してきたことは確かであった。


実は私は父親には何度も殴られたことがあったが、元船乗りで職工をしていた父に一度もやり返そうとは思わなかった。

私は幼い頃から父親とは色んな場面での関わりが非常に深かったこともその理由だと思う。

ところが弟は父親と取っ組み合いの互角の喧嘩をしたことがある。

父も年齢のせいで弟を圧倒できる体力と気迫が欠けていたのだと思うが、弟とは私に比べて父親との関わりが少なかった。

それは子供が増えるし、生長するのでて仕事優先の生活になっていたからだ。

A君の父親は息子に手を出せるくらいの親密な信頼関係ができていなかったのだと思う。

私はA君とは高校入試前まで付き合って、勉強以外にも一緒に釣りをしたり、受験勉強合宿として父親の会社の伊豆の温泉保養施設で過ごしたりした。

A君は私には反抗的な態度をとることもなく、色々と話をしてくれたが、大人に対する反抗心は持ち続けていた。

それでも大阪に戻って私立高校を受けて合格したと手紙をもらって安心した。


こういう未成年の子供が親に行うDVは、子供が大人になるにつれて行われなくなるだろうが、男女間のDVは大人になってから生じるようだ。

教師をしていると卒業生が恋人からDVで苦しんでいる話も聞くこともあったが、こればっかりは救いようがなかった。

恋人関係は関わり方が一面的で、互いにわかり合うには時間が少なすぎるからだと思う。

そして、一番聞くに堪えないDVは子供が老いた父親に対するものである。

最近聞いた話として、離れて暮らしている50歳代の一人息子が80歳をこえる一人暮らしの父親に対して行っているDVだった。

息子はたまに実家に帰ってくるのだが、父親をこき使って、腹が立つと顔などを殴っているという。

その父親は現在入院しているのだが、退院後には自宅では一人で暮らすのは無理なので施設などに入ることを検討しているが、その息子が反対しているという。

息子にとって父親はDVをして鬱憤晴らしをする相手であるようだ。

そういう状態を近くに居る親戚が知っていても、なかなか対処できないのが現実だ。

その息子は高学歴で非常勤ながら研究職についている。

一人っ子として甘やかされて育ったのかもしれないが、本当に大切なことを学んできていない人格破綻者としか言い様がない。

ただ、彼自身も人格を形成する上で、大切な家庭や地域、学校との関わりに問題を抱えさせられていたのかもしれない。


私が家庭教師をしたA君の場合は父親が当時単身赴任だったが、それ以前も船舶関係の仕事をしていたので留守がちであったという。

A君とのしっかりとした親子関係が築かれなかった可能性が高い。

高齢の父親にDVを行う息子は大学に入ってからは家で両親と関わる機会が少なかったようだ。

どちらかというと母親からは溺愛されていたようにも思えたが、その母親が昨年亡くなったのも原因となっているのかもしれない。

母親が亡くなったことの責任を父親に負わせていることも考えられる。

親の介護に関しては、遠くに離れて暮らしてきた子供にとっては、他人とかわらない感覚ではないかと思えたりする。

大人になってからも血縁関係の希薄さはDVや介護放棄に結びつく可能性を感じる。

それは特に地方にとって仕事優先しなくては生活が困難な状況が根本原因である。


最近は父親だけで無く、母親も勤めに出て子供と接する機会が乏しくなっている。

学童に勤めている家内から学童に預けられっぱなしの子供の話をよく聞かされる。

一般的にDVが原因で学童にきている児童もいるようだが、暴力をふるわなかっても、育児から逃げている親はDVに準ずるように思える。

いじめにも暴力行為と無視行為あるように、育児逃避は無視行為に近いと思われる。

親子関係だけで無く祖父母や親戚との関係が希薄に育った人は、自分の父母や祖父母の年齢の人に対しての詐欺行為に罪意識は感じないかもしれない。

日本人はみんながそろって貧しくなってきていると言われている。

家で農林水産業や商業を行っていた時代は貧しくても、親子や祖父母、親戚と助け合いながら生きていけた。

今は、学童やゲームに任せて働かなければならない時代になってしまっている。

「親はなくとも子は育つ」のは血縁地縁がしっかりした時代ならばこそである。

失った地縁血縁に代わるのが学童やクラブになっているのなら、その充実を国が責任をもって政策として果たすべきだと思う。


2026年8月21日金曜日

大成成就に欠かせない真の図太さ

朝(8/8)にスマホでNHKAMラジオの「マイあさ」を聴きながら犬の散歩をしていると、 “図太さ”を手に/伊達公子(テニスプレーヤー) の話が耳に入った。

そう言えば自分が大学院の修士時代に何が欠けていたかと言って、図太さであったと思い知らされた。

スポーツマンにしろ研究者にしろ「真の図太さ」がなければ一流には慣れないのだろうと思う。

私は大学院のひとりの教官から「君は修士だけのつもりでとったのだ」と言われても、「見返してやる」と修士論文に必死で取り組む図太さはあるにはあった。

しかし、教官の見立ては当たっていたのだろう、大した論文に仕上げることはできなかったのでやむなく去らざるを得なかった。

本当に研究を続けたかったなのなら、もう一年の残れたし、指導教官や先輩からそう勧められたのだから、図太く残って良い論文に仕上げ直せば良かったのだ。

要するに底の浅い図太さでは逆境になった時に、逃げたり潰れてしまうのだろう。

真の奥の深い図太さであったなら、最後まで挑み続けて、場合によっては見返すこともできた。


伊達さんはセルビアのジョコビッチ選手が戦時下でも干上がったプールで練習していたことを例に挙げていた。

ただ、ジョコビッチ選手は幼い頃から世界レベルのテニス選手から天才と褒められていたそうなので、真の実力と自信がその図太さを支えていたのだろう。

小学校の時には「神童」と言われたこともあったが、中学校で私立の淳心学院に入ると、本当の天才が同級生や先輩にいて自信を失っていった。

本当の天才の先輩は大した努力などせずに、遊びながら簡単に東大に合格していた。

なら、努力することをするべきだったのだが、私は好きなことを徹底的できるが、好きでもないことを我慢して行う能力に欠けていた。

せっかく文化人類学という好きな学問に出会えて徹底的に研究しようとしていたのだから、図太く続けていくべきだった。

結局、能力があるかどうかも大きいが、やりたいことに拘り続ける図太さが重要なのだと思う。


本来は努力をし続ける根気強さが一番大切なのだとは思う。

ただ、そういう真面目で根気強い人は自分の身体の健康を顧みずに努力し続けるので、命に関わる病気や難病を持っている人も多い。

それほど好きでもない仕事などをやらざるをえないとストレスが貯まって、自分を自分で壊してしまうことになる。

私が教師をしていて大病を患ったのも、その追い込まれた仕事によるストレスからであった。

今は、その持病とも付き合いながら、図太く生きようと心がけているが、もう一流にはなれそうにない。

本当は大学院の時に図太く研究を続けていればと悔やみだけが残り続けている・・・・・



2026年8月20日木曜日

「食の戦争」のゲリラ戦農法には充電式農具

一般には家庭菜園と言われる農作業や自然農法は大型農業機械を用いることはない。

アメリカ型の大規模粗放農業ではトラクター、コンバイン、農薬散布用のリモコンヘリやドローンの以外にも、穀物の乾燥、脱穀、貯蔵など機械や施設が必要だ。

それを用いない農法は、いわばアメリカとの「食の戦争」*1でのゲリラ戦の農業で、金銭的にも時間的にもあまり負担せずに参加できるゲリラ戦農法と言うべきかもしれない。

本来なら従来の手作業の農具を使うべきだろうが、トレーニングの一環としてできる若いうちはともかく、歳を重ねるとそれはかなり難しくなる。

 私はもう3ヶ月以上前に右の肘から手首までにある腕橈骨筋を痛めてずっとその痛みから逃れられないでいる。

原因は米糠と粉砕した竹を使った肥料を箱プラで作っている時に、無理な力でこね続けて炎症を起こしたからである。

この筋肉は農作業をする時などや、重い物を持ち運んだりする時によく使うので、だんだんと酷くなって医者に診てもらって痛み止め注射などを打ってもらった。

痛み止めの薬を飲んだり、痛み止めの塗り薬や貼り薬を施しても、痛みは消えること無く現在も続いている。

このところ夏草対策で草を削るホーをよく使う関係で、腕だけでなく、腰まで痛み始めた。

そこで身体力の限界を感じて、充電式の小型耕運機(カルチベータ)をネット通販で買うことにした。


しっかりと耕すための管理機は持っているのだが、ちょっとした畝の草を削り取るには大きくて小回りがきかず不便であった。

その管理機はガソリンエンジンで動くものであったが、自然農法的な栽培を始めてから殆ど使わなくなっていた。

最近収穫以外で農作業で使っていたのはスコップや備中鍬、ホー、ノコギリ鎌が中心で補助的に充電式草刈り機を使っていた。

一番身体的に負担があるのは実はホーで、この時期のヒメシバは根の張りが非常に強くて広く伸びている。

地面に張り付いていて、作物の根元にあるヒメシバは充電式草刈り機では刈りづらかった。

そこで小回りのきく小型充電耕運機を使うことにしたのだ。

この小型充電耕運機はネットで購入して組み立てたのだが、部品のネジが足らなくて連絡したが、盆休みも重なってなかなか送ってこない。

しかたないので自分で100円ショップで合いそうなネジを買ってつけたら、問題なく使うことができた。


私は充電式の農機具として草刈り機を持っていたが、マキタの充電池は高額だが優れているので今はマキタの充電池が使える器具を主に買っている。

今回の小型充電耕運機もマキタの充電池に対応していたので買ったのだが、18V、6.0Aの充電池で非常に強力で持続ある作業をしてくれた。

農作業だけで無く、家の周りや畦の草木を刈るのには、充電式のチェーンソー、ノコギリ、バリカンなどを用いてきた。

太さが4cm程の枝などを切るには剪定バサミのほうが効率が良いのだが、今までは手作業で行っていた。

これも今回からマキタ充電池対応の充電剪定バサミをやはり通販で購入した。

充電式のバリカンと剪定バサミを使えば、作業効率も上がって、身体的な負担も少なくて難なく作業をこなすことができた。


まだ、充電式よりエンジン式でないと難しい作業があるので、エンジン式の機械も持っている。

荒れ地や村作業ではエンジン式の背負い式草刈り機でないと、充電式では時間が持たない。

ただ、最近は40Vの充電式草刈り機もマキタから出たので、今後はそれを購入して使う手もある。

同じく広い面積の草刈りにはエンジン式の小型自走草刈り機を用いている。

これを用いたら時間的に3分の一以下になるし、身体的に楽である。

そしてどうしても欠かせないのがエンジン式の水ポンプである。

充電式の物も出ているが、やはり性能的にはかなり劣ってしまう。

電動式のポンプも持っているが、リール式電気コードの負担が大きくて畑では使えない。

エンジン式の農業機械もいずれ優れた充電式にかわっていくと思う。


今後の見通しとして太陽光発電を利用して家庭用のポータブルの蓄電池を購入すれば自前の電力を活用することができる。

肥料としては無料で手に入る米糠以外に、刈草、落ち葉を用いた堆肥も作っていくつもりである。

落ち葉の回収はこれからは充電ブロワーを用いれば楽になるだろう。

米糠と粉砕した草竹木を混ぜ合わせるのには充電耕運機が最適だ。

私の父は農具に金をかけると採算が合わないと行って、機械などは全く買わなかった。

確かにこれだけ農機具に投資するくらいなら農産物はよほど買った方が安くつく。

しかし、私は農作業を金儲けとしてしているつもりはない。

自分や家族の健康を守るためでもあるが、「食の戦争」のゲリラ百姓として闘っているつもりだ。

金の事だけ考えるなら、アルバイトをした方がよほど楽である。

それでは、せっかく完全退職したのに、結局金銭で使われ続けることになる。

農作業は唯一金銭で使われずに、暮らしに役立つ食料を得ることができる仕事である。


*1 『食の戦争―米国の罠に落ちる日本』  鈴木宣弘 2013 文藝春秋









2026年8月18日火曜日

水田は「食の戦争」の生命線

 このところ米離れが進んだりして、在庫の米がだぶつき始めて、新米が出始める前に値を下げて売り出し始めた。

JAも農家からの買い取り価格を提示しなかったり、去年よりも安くしてしまったので、大規模農家でも採算割れを起こして廃業を考えたりしている。

現在、私は近所の農家から玄米を30kg12000円で分けてもらっている。

先日量販店でコシヒカリが税込み5kg2500円で販売されており、30kgに換算すると15000円となり差があまりないので驚いた。

もし、白米が2000円以下になると、糠分を考えれば買っている玄米より安くなってしまうのだ。

近所の農家はJAの買い取り価格を参考にして価格を決めているので、もし、買い取り価格が下がれば安くしてくれるだろう。

しかし、このところ肥料や燃料費のの値上がりなどでコストが上がっているので、赤字になってしまう可能性がある。

農業機械の維持費を考えれば、廃業を考えなくてはならなくなってしまうかもしれない。


私は昨年度の米騒動の時には米依存からの脱皮を唱えた。

それは農家とJA、政府の癒着による米価格の消費者への負担増からである。

しかし、農家はJAや政府から突き放されてしまったら、個人経営では立ち行かなくなってしまう。

そもそも、大規模機械化農家以外は、農村の住民の農道管理、水管理に依存している。

水田は農村地帯のダムであり、環境保存と災害対策にとって重要な役割も果たしている。

水田が荒廃して、荒れ地になったり、太陽光発電所になったら、その役割を果たせなくなってしまう。

規模の拡大でアメリカ並みに米価を下げることなど不可能だ。

アメリカの食糧戦略は環境破壊の上で成り立っているのであり、アメリカとの「食の戦争」*1には「ゲリラ戦」で持ちこたえるしかない。

そもそも、そのアメリカも地下水の使い過ぎで枯渇が心配されているし、このところ干ばつでダムや川の水量が減り、取水制限が計画されている地域もある。

アメリカの粗放農業が崩壊するまで、農村の「ゲリラ部隊」を維持して何とか水田を維持し続ける方が食糧戦略的に有利だと思う。

この「ゲリラ戦」を戦い抜くために、農家を支援して水田を国民全体で維持できる政策が必要不可欠だろう。


問題はアメリカが米に対して国からの補助金を禁止しているのだが、米そのものに補助金を出さずに、水田の維持管理や裏作の麦等に補助金を出せば良いと思う。

江戸時代は米は年貢や祭事用として農家はそれほど普段は食べておらず、麦などの雑穀やら芋を中心とした食事だった。

つまり、農家の暮らしは米では無く、裏作や畑地からの得られる農産物によって支えられていた。

米で採算が採れないとなれば、裏作の作物でそれを補えるような補助金を政府が支給すれば良いと思う。

米用の農業機械は麦や雑穀に転用がしづらいそうなので、農業機械の購入に補助を与えるのも重要だろう。

また、高騰する輸入肥料や燃料対策としての、国内で賄えられるように本格的な事業も行っていく必要があるだろう。

今は山は林業だけになってしまっているが、かつては燃料だけで無く肥料や飼料を得る場所であったし、焼き畑で食糧をえる重要な場所だった。

山をもう一度肥料や飼料を得る場所として見直すゲリラ戦法をすべきだろう。


もう既に、食糧危機が始まっている。

日本では水田を守らなければ国民の命を守れない。

水田で作られる米は、品種改良で温暖化にも対応できる優れものである。

水田のダムのお陰で気温の上昇もいくぶん抑えられる。

そして、アメリカとの「食の戦争」で全滅しないためには、水田を死守せねばならないと思う。

私は米依存脱皮から、水田活用のための米活用に転じたいと思う。


*1 『食の戦争―米国の罠に落ちる日本』  鈴木宣弘 2013 文藝春秋