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2026年5月8日金曜日

「遊びの中の真面目」に生きる悦び

 佐伯啓思は『近代の虚妄―現代文明論序説』(2020年 東洋経済新報社)の中で次のように述べている。


現代社会では、あらゆる領域で、特に文化の領域で、遊びの持つあのゆとり、共有された秩序、そして何よりも祭祀的な要素が失われてしまった。代わりに出現したものは、偽の遊びであり、いわば小児病化した遊びである。競技は、現代風のスポーツとなって、記録を競う闘争本能むき出しのものとなり、組織されたクラブや商業化された大会運営になってしまった。それはやがて記録追求という何とも味気ない生真面目に堕することとなる。現代社会の高度な交通機関の発展、商業的宣伝、そして統計学の出現が、遊びを窒息させてゆくのである。人間の活動は、すべて真剣であり真面目であるともいえるのだが、その背後に遊びの要素があるかどうかはきわめて大事なのだ。「遊びの中の真面目」と「遊びを失った真面目」ではまったく違うのである。[前掲書:177] 。


私はかつて中学部から大学進学を念頭に置いた進学教育を行う私立学校で学んでいた。

当然、中学受験を取り組んだ頃には、大学進学のことなど頭になくて、地元の公立中学よりも格好良く見える学校に入りたかっただけだ。

入学後は受験勉強からの流れで「遊びを失った真面目」で、試験での点数や学年順位ばかり気にしていた。

しかし、中学受験に小学校6年生の春から取り組むまでは、「殆ど全てが遊び」の暮らしをしていて、学校での勉強も遊びのような感覚だった。

当然、大学進学の目標を持ち得なかったし、それが何を意味するかも分からなかった。

そして、その私学は自由放任主義だったので、ためらいなく異性や流行のロックに強い関心と楽しみを見いだそうとし始めた。

そうすると、「遊びの中の真面目」であるべき勉強がおろそかになり、大学受験に際しては希望する大学には入れなかった。

その一方で同じバンド仲間だったSは、「遊びの中の真面目」を突き詰めて、学年で最下位の成績ながら、早稲田大学の法学部を現役で合格した。

同じように、高3の文化祭まで同じバンドでステージに立ったのに大きな違いがあった。


ただ、私も大学に入ってからは、「遊びの中の真面目」な研究を見いだして、志望する大学院に現役で合格できた。

しかし、研究者になるための姿勢が「遊びを失った真面目」であったため、自分を支えてくれた伴侶も研究者への道も失ってしまった。

そこまで自分を追い詰めたのは「遊びを失った真面目」なM教官への反発心だったのだが、自分がそうなってしまったのは皮肉なことだった。

教師を選んだのは、研究を続けることのできる職業だと思ったからで、臨時講師をしながら何とか採用された。

それ以降は、金儲けのために真面目に仕事をしながら、金にならない研究という遊びをしていたように思う。


ところが、学校はけっこう仕事の中に遊びが取り入れられている。

最初の赴任は今で言う知的障害の特別支援学校で、学習の中にずいぶんと「遊び」があった。

教師の方は、生徒と一緒に遊ぶことも重要だったが、真面目に進路に向けてての取り組みが必要で、これはかなり困難な仕事でもあった。

特に体育教師が中心になっていたので、体力と根気をつけさせる職業教育がなされて、「遊びを失った真面目」な進路指導が行われた。

ただ、障害を持った生徒が就職した後で失敗するのは仕事そのものができないことよりも、対人関係であった。

職場の人や自分の周りの人と仲良く過ごすことが難しいのであり、それはむしろ「遊び」に関わるもので、それが生徒に身についていないことが多かった。

普通校は体育祭や文化祭で遊びの部分が多く取り入れられていたが、だんだんと予備校のような受験指導中心の授業が増えてしまった。

教師も時間外勤務が増えたり、免許更新制などの政策によって追い詰められていった。


今の時代は何でも貨幣価値で計ってしまい、その数字で表れないものの価値を認めないことが多い。

人と楽しく過ごすことは数字で表せないいわゆる「遊び」である。

私の研究していたかつて奄美では「ミニアスビ」は、干支で巳のつく日にはハブがで農作業をすると咬まれると言って仕事が禁止される日だった。

つまり、「あそび」とは「悪(あ)し日」から仕事の忌避から来た言葉だった。

かつて日本人はワーカーホリック(仕事中毒)といわれて、どちらかというと欧米人から呆れられていた。

しかし、日本人がそこまで仕事中心の生活をし始めたのは、バッブル崩壊後だと思う。

学校もそれ以前は教師の給料が低い代わりに、自宅研修で自由に長期休暇を楽しめた。

バブル期に給料が安いので人気を失って人材不足になり、給料を高くして管理を強くされて追い詰められていった。

企業もアメリカの政策に対策するために資金の内部留保に血道を上げ、社員は単身赴任などが多くなり家庭を犠牲にするようになった。


現在日本で、少子化が進んでいるのは、子育てという「遊びの中の真面目」さが求められる生活が「遊びを失った真面目」に追い詰められているからだと思う。

多くの残業を強いられたり、単身赴任を10年以上にしたり、土日休日返上のクラブ指導を行ったり。

金銭の引き換えに「遊びを失った真面目」に仕事を強いられる世代には子育てなど不可能だ。

そもそも、「遊びを失った真面目」な受験勉強しか知らない世代は「遊び」そのものを理解できないのかもしれない。

以前、東京育ちの後輩に幼い頃は何をして遊んだかと聞いたら、スイミング教室へ通ったと言ったので、それは「遊び」でなく「レッスン」だろうと言ったことがある。

今の子どもは「レッスン」しか遊びを見いだせないのかもしれない。

私の幼い頃の遊びは、子ども同士で野山を駆け巡ったり、広場で男はコマ回し女はゴム跳び、そしてボールゲームなど大人は介在しなかった。

そして、祭りなどの年中行事には世代を超えて一緒に食事をしたり、歌ったり踊ったりして楽しんだ。

残念ながら現在の私たち年金暮らし夫婦にはそれが無い。

ただ、金にもならない「遊びの中の真面目」な農作業や研究、趣味が私の生きがいになっている。








2026年5月7日木曜日

レールガン、全固体電池、量子水素エネルギーそして人工光合成による革命

 日本がレールガン(電磁加速砲)の実用に向けての大きな取り組みで、期待が膨らんでいるせいか、Youtubeなどではそれを用いた実戦を描く物語が作られたりしている。

確かにレールガンは日本が世界をリードする電磁力技術が活かされたもので、リニアモーターカーなどの技術が転用されたものという。

アメリカが実用化を諦めたものを、日本が産業技術によって現実化させ、あと10年ほどで実用化させようとしている。

これによって弾道ミサイルや極超音速ミサイルの迎撃を行えるようになれば、ドローンと並んで非対称性の兵器として戦争を根本的に変えるだろう。

私は軍事力強化には賛成はしていないが、核弾道ミサイルを無力化できる可能性があるレールガンに希望を見いだしてきた(戦争放棄の戦略)。

現在核兵器開発がイラン戦争の主な原因となっているが、核兵器が無力化されることが分かれば、核兵器の開発は意味をなさないことになるだろう。

そして、核兵器廃絶に繋がっていくと思う。


一方、全固体電池は従来の液体電解質を用いた充電池の欠点を克服でき、最も開発が進んでいるトヨタ自動車が来年度以降に実用化を目標としている。

日本の自動車産業の将来だけでなく、石油依存の世界の自動車産業に革命をもたらす可能性がある。

少々値段が高くても、自分の家で太陽光発電などをして車に蓄電して、移動以外にも活用できる。

これは「Ei(知性化電力)革命による国民解放」で述べたことが、現実化することを意味する。

これは地方に住む我々の復興を可能にするものだ(石油依存社会が生んだ地方衰退)。


そして、発電に関しては従来の再生可能エネルギーよりも、安定した出力と効率性をもつ量子水素エネルギー(QHe)の開発が進められているという。

これは常温核融合を利用した技術で、日本はこの分野でも進んだ技術を持っているという。

安全でクリーンなエネルギーを生み出すことによって、原子力発電所の必要性がなくなる。

原子力発電所は放射能汚染の問題だけでなく、今回のウクライナ戦争で分かったように自国に核爆弾を抱えこんだのと同じ意味を持つ。

やっと夢の太陽を人類が手にすることができた技術なのだろう。

これで、火力発電所も原子力発電所も必要で無くなるし、環境に負担を強いる再生可能エネルギーでの大規模発電も軽減できる。


また、人工光合成に関してのガリレオX第19回「人工光合成 太陽光でつくる夢のエネルギー」は新しい時代がまもなくやってくることを実感できた。

これは光触媒を用いて水を水素と酸素に生成したり、太陽光と二酸化炭素を用いて有機物と酸素を生み出す技術で、人間が植物と同じことができるようになると言うことだそうだ。

現在行われている太陽光の利用方法とちがって

人工光合成は太陽光を直接水素などのエネルギーに変換し、これまでの方法では難しかったエネルギーの貯蔵も可能にする技術として非常に有望」だそうだ。

2010年にノーベル賞をとった根岸英一博士の研究が有名だが、環境省も2030年の実用化に向けて支援している。

我々高齢者がもう少し長生きして、その実現を目にしたいと思うような取り組みである。


日本は他国を攻撃できる武器輸出をするくらいに落ちぶれてしまったかのように思ってしまった。

しかし、レールガンは主に核攻撃から自国防衛に用いるものとして限定して輸出しても良いと思う。

そして、日本は自動車産業、量子水素エネルギーを用いたリニアモータカーや、スーパーコンピュータの分野でも発展できて武器輸出に頼らなくて良いだろう。

何よりも人工光合成は、地球環境破壊を阻止する切り札となってくれるだろう。

一方で忘れてはならないのが、日本のアキレス腱である食糧問題である。

これに関しては日本はあまりにもお粗末である。

2026年4月29日水曜日

鳴きのハーモニカ

 このところ夜にハーモニカを楽しむことが多くなった。

以前にも書いたブルースハーモニカを使って、Youtubeを観ながら練習したり、カラオケを利用して歌代わりに吹いて楽しんでいた。

少しずつ吹けるようになると、難しい曲にも挑戦するようになり、最近ではクラッシックのG線上のアリアなども下手なりに練習している。

そうなると、もっといろんな曲が吹きたくなって、思い切って少々値の張るクロマチックハーモニカを通販で買った。

高価な日本製と違い中国製は半値以下で買えて、しかも、もっと安いブルースハーモニカに比べると全く音色が違う。

ハーモニカを教室で習っている人が、値段で音色が違うというのがよく分かった。

日本製などはきっともっと良い音色なのだろうと思う。


自分はバンド活動でずっとボーカルをつとめていて、そちらに練習を重ねてきたのだが、ハーモニカの魅力を今頃分かった。

歌うことと楽器を演奏することは、似て非なるものだと思うようになった。

ハーモニカは鳥がさえずるように、鳴いているのだ。

歌は歌詞の内容が頭に浮かんでくるが、ハーモニカはメロディーだけが浮かんできてそれに合わせて自然と唇が動いていく。

クロマチックハーモニカのレバー操作にはまだ慣れていないので、半音操作で合わせる音の感覚がまだ身についていない。

それに対して、ブルースハーモニカはかなり自然と唇の位置と吹くこと吸うことが感覚的に音と合わせられるようになった。


歌は歌詞をどうしても気にするので、それに引きずられることも多い。

そして、英語の曲などは歌詞の内容を理解しないまま、雰囲気だけで歌っていることもあって、人まねをするオームとも換わらないようにも思えたりする。

楽器は歌詞とは無縁なのでメロディーやリズムが全てとなり、言葉が違っても関係なくなる。

我々人が鳥のさえずりや虫の音、動物の遠吠えを美しく感じるのと同じなのである。


NHK番組、知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「人はなぜ音楽を愛するのか?」の再放送を見た。

アフリカの狩猟採集民Baka族の素晴らしい歌の掛け合いが披露されていた。

そこでは、手拍子に併せて歌詞のない声を仲間で発しているだけだった。

手拍子と声だけで歌になるのだと非常に感動した。

奄美の八月踊りは鼓だけで歌って踊るし、宴会で最後に行う六調も指笛を鳴らして踊るだけだ。

本来は人も楽器は必要ないのかもしれない。

だけど、美しい鳥のさえずりや虫の音、遠吠えに負けないような音色を奏でたいと思ってきたのだと思う。

そして、手拍子、足拍子、太鼓のリズムは単にそろえるのでは無くて、ポリズムとして一体感を得ることもできる。

この番組では人類の歌い合う特別な能力を強調していたが、多くの生き物が恋の季節には歌として鳴いている。

そして、番組で軽い認知症の人が歌は忘れずに思い出せることを取り上げていたが、歌詞は単に言葉では無くて音色と結びついたものとして思い出させるのだろう。


ハーモニカは歌詞を忘れても、憶えていなくても奏でることができる。

本当はギターを上達して鳴かせたかったのだが、私の技術では困難だ。

鳴きのギターは無理でも、鳴きのハーモニカなら少しはできる。

生き物たちのさえずりや鳴き声に恥ずかしくないように、鳴き続けていきたいと思う。










2026年4月21日火曜日

これからは団子より花


 家内は未だに私が家内の庭での花作りに対して言った「花より団子」という言葉を根に持っている。

その言葉を言ったのは、まだ子どもが小学生の頃で、専業主婦だった家内は庭に綺麗な花を咲かせるのを楽しみにしていた。

私は子どもの健康を考えて有機農業に取り組み始めていた頃で、どちらかというと作物の苗作り励んでいた頃であった。

家内は華道もやっていたこともあって、花が好きでいろんな花を育てていた。

その花がいっぱい生えていた庭も、猟犬を庭で飼ったり、農作業の道具や資材を置くにつれて、花は無くなっていった。

人に株をあげるほどたくさん生えていたクリスマスローズも消えてしまったし、ラッパ水仙もまばらになった。

ただ、食用となるミョウガは庭にしっかりと根付いているし、車を止めている付近の花壇の宿根草は生え続けている。


奄美が大好きな私はガジュマルから始まり、ハイビスカス、ソテツを鉢植えにして育ててきたが、それ以外にもサボテンやアロエをやはり鉢植えで世話をしている。

庭には大きな植木鉢にモッコウバラが大きくなって今花盛りだし、垣根にはかなめの他に、月桂樹、金木犀、梅や柚の木が植えてあって私が剪定している。

ただ、どれも大して手のかからない物ばかりで、家内の好きなネモフィラなどもご機嫌取りに栽培したが一年しか保たなかった。

また、同じく家内の大好きな白いカラーも鉢植えを庭に植えたが、肥料不足か葉っぱだけ出て花を咲かせてくれない。

家内の好きな花はとにかく手のかかる物が多くて、農作業の合間に世話をするのは難しいのだ。


この日曜(4/19)は加西にあるフラワーセンターにチューリップとネモフィラを見に出かけた。

いつもの正面入り口の駐車場は満車ということで、西側の特別駐車場に案内されてしまった。

そこからは西門まで歩いて10分以上かかり、歩道は大木の根でボコボコになっていた。

西門から入ると、噴水のある広場までチューリップとその根元にネモフィラが綺麗に咲き誇っていた。

噴水広場のあたりはたくさんの人だかりで、多くの人がスマホや本格的なカメラで撮影していた。

当然ベンチはいっぱいだろうと思って、弁当用のシートも用意しておいたので、来るときにスーパーで買った弁当を八重桜の咲く芝の上で食べることにした。

同じようにシートを広げて弁当を食べる人も多くいて、もしビールや酒があれば花見気分となる。

ただ、フラワーセンターで飲んで陽気に過ごしている人は見かけないので、私も自粛した。


去年まで開いていたレストランも閉じてしまっていて、せっかくの景色の良い建物がもったいないように思えた。

家族連れが多いので、高級なレストランよりフードコートのようなものを作った方が良いように思えた。

フラワーセンターは子どもが赤ん坊の頃から訪れている場所で、毎年最低1度は訪れている。

そのころここで買ったガジュマルも大きな鉢で大きく育っている。

最近ではハイビスカスもここで買ったのだが、そういう売り場も減って、これからは無くなってしまうそうだ。

駐車場に入るのに時間がかかるほどいっぱいのお客さんの心を掴んでいるのは、美しい花の世界であり、けっして画面からは得られない風景だ

また、犬の同伴も認められていて、愛犬と楽しく過ごせる場でもあるようだ。

休日は人がいっぱい溢れるので、平日に来て弁当を食べながら、読書や音楽鑑賞をしてゆっくり過ごすのも良いかなと思ったりする。

子どもが小さい頃は子どもが遊ぶのにゆったりと時間をとっていた。

ショッピングモールでせかせか歩く癖がついてしまって、こういう場所でのゆったりとした過ごし方を忘れてしまっている。


これからは、家の庭でも咲いた花をゆっくり眺めながら、過ごす日々があってもいいと思う。

年金の収入は大したことないけど、教育費や家のローンに追われなくなったので、花より団子の暮らしは必要ない。

これからの私たちは団子より花の時代となっている。

農業資材置き場になっている庭を片付けて、花壇に戻そうと思っている。





2026年4月18日土曜日

自殺と殺人から見た日米とイラン

 イランは政府によって多くの市民が殺戮されていると言って非難されている。

ところが、国民の自殺率は5.2人/10万人とかなり低い。

「日本の自殺率の国際比較:統計分類の違いが明らかにする真実」 によれば

日本の自殺率は表面的には高く見えるが、薬物過剰摂取死を含めた「広義の自殺」で比較すると、アメリカの死亡率は日本を大きく上回る。 The Lancet +22023年のデータでは、日本の自殺率16.4人/10万人に対し、アメリカは狭義の自殺で14.1人だが、薬物過剰摂取死(31.3人)を含めると45人以上となり、日本の約3倍に達する。


という。


殺人に関しては、10万人あたり2023年でアメリカは5.76件、日本は0.23件、イラン2025年では2.5件となる。

こういう観点から見て、どちらが住み安い国なのか考えてみた方が良い。

確かにアメリカでも日本でもデモの参加者が、政府の軍や警察に何千人も殺されることは無いだろう。

しかし、今はアメリカと経済的に肩を並べるようになった中国は、1989年にイランと同じないしそれ以上の殺戮が行われたと考えられている。

当時の中国に対して、アメリカはそのことを理由にして軍事攻撃はしなかった。


そもそも、自国民の自殺や薬物死者、殺人を放置しながら、他国の殺戮だけ非難することは恥ずべきことだろう。

日本とても、確かに殺人の起こる率は低いけれど、自殺はアメリカよりも多いし、何よりも少子化が進んでいる。

つまり、結婚できない、しない若者が増えているのだ。

因みに合計特殊出生率は日本が1.15(2024年)に対し、イランは1.7(2026年)、アメリカは1.6(

2023年)である。

子どもを育てられる環境は日本が一番低いと考えた方が良いだろう。

そして、イランは既に発展途上国のような多産多死では無いのだ。


アメリカは追い詰められた国民が自殺や薬物に溺れて自死したり、殺人を多く犯す国であり、日本は自殺に追いやられる国と言えよう。

確かに政府によって露骨に殺戮される国は自由主義の国民からすれば恐ろしいことだ。

一方、自由は乏しいけれど、自殺や殺人の少ない国から見れば、それが多い国の方が恐ろしいかもしれない。

出生率からすればアメリカとイランは大差が無いことから、将来への見通しはそう変わりが無いのかもしれない。


今回、アメリカは無垢な学校生徒を殺戮した。

デモに参加した反体制運動のデモ隊を殺戮するのとどちらが残酷なのだろう。

単に人数の問題ではなく、誤爆で罪のない子どもを殺してしまう国の方が、狂っているのではないのだろうか?

そんなアメリカに媚び諂う総理大臣を頂く日本は狂ってないのだろうか?




2026年4月15日水曜日

トランプ・高市コンビによるカリスマ的支配の日米

 ついにトランプは神として振る舞い始めた。

ローマ教皇と対立したり、自分が奇跡を起こす絵をネット上に公開したりした。

このようになるには大統領になる前の暗殺未遂事件が大きなきっかけとなったという。

トランプが命拾いしたのは神に選ばれた人間だからということが、自他共に信じられるようになったという。

彼は自ら法に従わないと宣言したので、現在のアメリカはトランプによるカリスマ的支配状態*1と言える


宗教社会学者の井上順孝は次のように述べている


新宗教の入信理論については一時期「貧病争」理論が広く知られた。このうち、貧困は絶対的な貧困ではなく周囲の人間を見て感じられる相対的剥奪が問題とする観点は優れた着眼である。自分が貧しいと思うのは、自分が比較の対象とする人たち(参照集団)との比較というのは日常的に観察される。(中略)こうして経済的剥奪感が生まれる。経済的剥奪にある人が、経済状態が良くなる方法が見つかればいいが、それが絶望的な場合もある。そのとき宗教に解決を求めることがある。おおまかに言えばそのような理論である[井上順孝2025:

41-42]。


今のアメリカの工業労働者階級は主に中国の擡頭で経済的剥奪感を強く持っている。

それを解決する方法として、トランプの主張するMAGAに希望を託した。

MAGAはトランプへの個人崇拝的な側面を強く持っているので、法を守るという倫理的な論理が通らないのである。

イラン攻撃は中国の石油資源を断ち、アメリカの圧倒的軍事力を無化する核兵器の開発を完全に阻止する目的だと言われている。

それによって、一番経済的に脅威となっている中国の力をそぎ、自国の兵器売買も加速させることができる。

現にドルは値上がりをして、アメリカの原油も多く売れ出した。

これでMAGA教信者の経済的剥奪感に応えることができているのかもしれない。


しかし、その一方で現実的には中国のEVが驚異的に売れ出したし、アメリカの軍事力の信頼性にも不安を抱え始めた。

何よりもイランの核兵器開発の阻止は絶望的に思える。

いくら、福音派やMAGA教信者の強い支持があっても、現在のアメリカ全体の支持率から次の中間選挙では敗北するのが目に見えている。

危惧されるのは、かつての大統領選挙の時と同じように議会を襲撃したり、武力による本当の内戦が起こってしまうことだろう。

衆議院選挙で敗北したオウム真理教がテロを起こしたように、MAGA教徒もテロを起こす可能性もあるだろう。

こんな不安を抱える状況で高市はトランプにすがって生き延びようとしている。


彼女は安倍晋三を師と仰いだが、統一教会との関連で暗殺された後もその姿勢は継続されている。

因みに安倍晋三のスローガンは「日本を、回復する」だった。

そして、高市は 「日本列島を、強く豊かに。」を唱えているが、安倍晋三のスローガンと合体させればMAGAそのものである。

そして彼女は高い支持率を獲得し衆議院選挙で大勝してカリスマ的な存在になりつつある。

その彼女は安倍晋三のかつての盟友であるトランプの立派な信者であり、使徒と言えるかもしれない。

日本もアメリカ同様に中国の擡頭によって経済的剥奪感を抱く国民が増えており、台湾有事発言の経済的悪影響下でも高市支持率は高いままだ。

「日本列島を、強く豊かに」は幕末から明治かけての国家的スローガン「富国強兵」の言い換えに過ぎない。

新富国強兵教という高市教祖の新宗教集団ができるかもしれないが、幸いなことに彼女はテロに遭っていないので神格化には至っていない。

ただ、日本で初めての女性総理大臣として、SNSという鬼道によって民衆を惑わす卑弥呼のようなカリスマ性をもっている

何よりも彼女の後ろには魏王ならぬトランプ尊師がついている。

そしてそのカリスマ的支配力によって憲法や皇室典範を変えていこうとしている


*1 カリスマ的支配に関しては「ウエーバーのカリスマ概念」[井上順孝2025:76-77]を参考


引用文献

 井上順孝 2025『認知宗教学から見る現代宗教』法蔵館

2026年4月13日月曜日

戦争で稼ぐ人たち

 松本利秋2005『戦争民営化―10兆円ビジネスの全貌』祥伝社は、もう二〇年以上の前の本で、書かれている内容は少々古いが、今のトランプの戦争ビジネスを理解する良い材料だ。

どれだけトランプが自分自身や仲間に株や為替、石油取引で儲けさせたのだろうか。

トランプの発言が大きく市場を左右して乱高下している。

あらかじめ発言内容を知らせておけば、次の日の上げ下げは予測できたはずだ。

また戦費に莫大な費用をつぎ込んでいるが、その多くは武器製造企業へと流れる。

日本もかつてはベトナム戦争や朝鮮戦争の特需で経済復興を果たしていった。

武器産業はウクライナでさえ潤わせ、高市政権もそれに参入しようとしている。

そのウクライナは武器そのものだけでなく、ドローンシステムでの迎撃のノウハウをイランの敵対国に支援し見返りを得ているという。

石油の輸入もアメリカからが増えてきて、アメリカは大儲けである。

多くの血が流れ、死んだり傷つくことが景気浮上になり、儲けになるのが戦争だ。


そして、金融と戦争は密接に絡んでいるが、それは古くからのことで、松本利秋は次のように述べている。


リーマン社は、一九〇四年に日露戦争の戦費調達のために、日本政府が発行した外債を引き受け、日露戦争後、その功により日本政府から叙勲を受けている。その存在は日本が日露戦争を戦うには必要不可欠であった。

 当然のことながら、リーマン社は日本政府からの利子はタップリ受け取っている。 リーマン社はその後、関東大震災でも復興国債を総額一億五〇〇〇万ドルを引き受けているが、この後、世界恐慌による大不況で、日本政府は国債の償還に支障をきたし、それを補うために満州に進出し、経済的利益を得ようとした。

 やがてこのことが太平洋戦争の要因となっていくのである。しかし、何れにせよ、彼らにとって見れば、これら国債の売買は純粋などジネスにほかならないのだ[前掲書:5-6]。


他国の戦争に金を貸して、その国や勢力が勝てば大儲けというのは、近代の歴史で繰り返し行われている。

その貸された金は貸した国を中心とした武器輸出国に環流する仕組みだった。

ウクライナ戦争でのEUやアメリカの資金援助も同じ仕組みである。

イランに関しても、援助は資金だけで無く情報などによっても行われている。


今回のイラン攻撃の本当の目的は、ベネズエラ同様に中国の石油の輸入先を支配することにあったという。

関税でも言うことを効かすことができないで、アメリカの方が石油を利用して中国にダメージを与えようとしたことになる。

それが逆にイランの石油戦略の返り討ちに遭ってしまったというのが実情だろう。

アメリカが帝国的支配をできるのは、武力だけで無く石油もコントロールできることだ。

日本がアメリカと戦争したのも石油が大きな原因だった。

再生エネネルギーの開発を阻止し、EV開発にダメージを与えて、武力と石油利権で世界を支配下に置くことがアメリカにとって最大の利益になる。

そのためには中東の石油産出国が戦争でアメリカに頼ってもらわねばまずいわけだ。


化石燃料依存のわれわれの生活の根本がこういう戦争ビジネスの上に成り立っているとも言える。

化石燃料依存生活は世界の多くの人が流す血を利用しながら儲けている人によって、維持されていると考えるべきだろう。

本当に戦争反対を唱えるなら、再生エネルギーや石油代替エネルギー開発を進めて、化石燃料依存生活を終わらせることが重要だと思う。

戦争で莫大な利益を得る人が多くいる以上、それに対抗するのはそういう方法しかない。

そして、それが地球環境とあらゆる生命を守るための真の闘いでもある。