哲学者が用いる「戦争機械」という用語は、元々はフランスのドゥルーズ、ガタリが用いた”machine de guerre"の訳語である。
しかし、”guerre”と「戦争」は似ているが、日本では「guerre de l'audience|視聴率合戦」
「guerre des rabais|安売り合戦」には、戦争を用いない。
日本史で「戦争」という用語が用いられるのは、戊辰戦争くらいからで、「関ヶ原の戦い」をはじめとして、「戦い」「乱」が普通である。
つまり、明治維新以降の近代戦に用いられてきたもので、現代では経済戦争や関税戦争など軍事力を行使しないものにも用いられている。
しかし、哲学者が用いた”guerre”は必ずしも、近代戦以降に用いられた言葉ではなさそうだ。
"machine"に関しても、「機械」以外に装置、機構、仕組み、組織という意味で用いられるが、日本語では「機械」をそういう意味で用いられることはない。
日本の哲学者は一般の日本人がその用語からどう理解するかを考えないで、用語を訳したように思える。
自分なりに解釈すれば、「戦争機械」というよりも、「戦いメカ(戦いのメカニクス)」の方が私にはイメージしやすい。
どうしてこういう用語が必要かというと、流血をともなう軍事力の攻撃だけでなく、さまざまな 攻撃で、国家や企業、市民が危機に陥っているからである。
例えば、経済的な金融による操作では、一国の経済が破綻したし、現代のサイバー攻撃では
企業が営業停止に追い込まれている。
サイバー攻撃に関しては日本はどちらかというと無関心でいられた、それは日本語という特殊性に守られていたからだという。
ところが、現代はAIのお陰でその日本語が防御にならなくなった。
このbloggarによるブログも日本よりも海外で多く読まれるようになったのはAIが利用されるようになったからだ。
このサイバー攻撃で日本人はドゥルーズ、ガタリが用いた”machine de guerre"すなわち「戦いメカ」に関心を持つようになると思う。
AIは確実に戦いメカとなって日本人の生活を脅かすところまでになったので、その本質を気づかされたということだ。
これで、量子コンピューターが実装備されれば、暗号も簡単に解読されてあらゆるセキュリティーが無意味となるだろう。
かつて文化人類学は現代文明の反省すべき点を明らかにするものとして、「未開」と呼ばれた地域に住む人々を研究した。
しかし、哲学のように現代文明を軍事分野を含めてしっかりと把握することは得意では無かった。
一方、経済学に関しては、軍事や戦争に関してはあえて無視しているようにさえ思える。
現代世界で行われている流血戦争は経済的に敵を追い込む戦法をとっており、アメリカがベネズエラに対して行ったような戦術で片がついた方が稀なのだ。
日本国民は流血戦争に関わる軍事には神経質になるが、経済的に攻撃し合う戦いメカには無神経なところがある。
中国や北朝鮮、ロシアなどの犯罪集団によるサイバー攻撃を受け続けながら、台湾有事という流血戦争への危惧に振り回されている無策ぶりなのだ。
もう既に、国家同士の戦争以前に市民の中における戦争は始まっているのにだ。
参考文献
É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019 『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社