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2026年8月16日日曜日

若き戦死者の親の悲しみ

 先日夜に、テレビを何気なく見ていたら戦死した特攻隊員の妹さんのことが特集されていた。

強く訴えたかったのは戦死した哀しみだけで無く、その攻撃で戦死したアメリカ軍兵士に対する侘びる気持ちであった。

戦争は死を覚悟した殺し合いと言ってしまえばおしまいなのだが、兵士の家族の哀しみは割り切れるものではない。

今回の番組で特に心に残ったのは、母親が息子を少年兵として送り出した後悔であった。

お兄さんが少年兵として予科練に入隊するのに父親は強く反対したが母親は賛成してくれたので入ることができた。

ところが、特攻隊員となって戦死してしまった後は、母親は食事がまともにとれないくらい心が傷ついてしまい、翌年亡くなってしまったということだった。

自分の息子が強く熱望したことに後押ししたことが、結果的に死に追いやってしまったことの母親として耐えがたい苦しみだったのだと思う。


それを思うと海軍に志願して若くして戦死した伯父のことが気にかかった。

それで、伯父の軍人墓に刻まれている墓碑銘を墓参りした時にスマホで写して文章を読んでみた。

「昭和十八年十八才ニテ海軍機関兵に志願ス 同年四月二十二日 大竹海兵團に入團 同年十月 山彦丸ニ乗船太平洋戦争ニ参加 昭和十九年一月十二日 本州南方方面ニ於テ戦死」

とあった。

大竹海兵団とは広島県大竹市にあったは主に新兵に基礎教育をする機関で、大竹海兵団に入団したのは、延べ約15万4千人といわれている。*1

そして山彦丸は太平洋戦争時に日本海軍の特設工作艦となりました。南方へ伸びて多くの損傷艦船の応急修理にあたりましたが、1944年1月に米潜水艦の攻撃により八丈島沖で沈没しました(AI Overview)

山彦丸は昭和十九年一月二日に小笠原付近で機関室に被雷し、航行不能で八丈島まで曳航されたが、一月十三日に後半部が沈没し十四日に完全に沈没している*2。

伯父の戦死は十二日となっているので、最初の魚雷攻撃で亡くなったことになる。

その時伯父の母親は36歳、父親は43歳だった。


伯父が海軍に志願した理由については「家業より軍隊を選び戦死した伯父と祖父」で私にとって祖父である父親への反発であることは書いた。

伯父が戦死した当時は私の父は十三歳だったので、どれだけ伯父と深い話ができていたか分からない。

私は当時の戦意高揚の風潮から伯父の海軍への憧れもあったように思う。

十六才から父親と稼業であった運搬船に乗って仕事をしていたが、当時の船は機帆船で小さなもので石材を運んでいた。

父親との厳しくて地味な仕事よりも名誉と誇りが持てる海軍に入隊したかったようにも思える。

伯父が任務についた山彦丸は総トン数が6、800t程の損傷艦船の修理を担っていたが、艦砲や機関銃も装備されていた。

父親と一緒に100tにも満たない機帆船で働くのとは雲泥の差の勤務で、使命感と誇りを感じていただろうと思う。


戦死した伯父のことは盆や正月に親戚が集まっても語られることは無かったので、どんな思いで任務に当たっていたかを知ることはできなかった。

私も祖父母には伯父のことをあえて聞くことは無かった。

ただ、伯父が戦死した当時はまだ六才だった五男の叔父が、長男である戦死した伯父を非常に慕っていたことは叔父本人から聞いていた。

そして、その五男の叔父は自分の長男に戦死した伯父と同じ名前をつけた。

同じ名前をもらったいとこも叔父からそのことは聞かされていたと聞いていた。

だから戦死した伯父は甥っ子の名前として甦って、記憶され続けていることになる。

その点で言えば戦死した母方の祖父の名前を継いだ者はいなくて、孫の殆どは記憶していなかったと思う。


実は伯父が戦死してその石原家で初めて生まれ育った男子は私だった。

今考えれば祖母が私のことを非常に可愛がってくれたのがよく分かる。

祖母の口からは聞いたことは無かったが、戦死した息子を重ねてみていたのだろうと思う。

確かに同じ名前の孫もいたが、一番祖母と関わりが多かったのは私だった。

祖母は私が大学や大学院で金銭面で苦労していることを知っていて、ことあるごとに1万円を母に託してくれた。

そして、私の結婚式にも無理して出席してくれた。

祖母の葬式にはなんの恩返しもできなかったと、三十才過ぎの私は人目もはばからず泣いてしまった。


祖母はあまり感情を孫の前では表さなかったが、子供の戦死や事故死、病死などで3人も失っていた。

祖父は昔ながらの頑固一徹だったので祖母は苦労したこともあり、やはり母方の祖母と同じように信仰に救いを求めていた。

精神的に不安定な時期もあったようだが、晩年は多くの子や孫に囲まれて平穏な日々を過ごすことができた。

テレビで特集された特攻隊員の母親のように戦死の原因を負わなかったことも救いだったのだろうと思う。

一方で、祖父は子供から戦死の原因とされて辛かっただろうと思うが、最期まで泣き言や恨み言を言う人では無かった。

ただ、盆や正月で自分の子や孫と一緒に飲食をして楽しむことが無かったのも、伯父の戦死も原因の一つだったのかもしれない。

ただ、私には普通のおじいさんで、盆正月以外は飲食も一緒にして普通に話をしていた。




*1 大竹海兵団と海軍潜水学校の歩みhttps://www.city.otake.hiroshima.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shogai/rekishibunkazai/1453512491368.html

*2 山彦丸の船歴  https://tokusetsukansen.jpn.org/J/03_TKS/330_002.htm

2026年8月15日土曜日

医師に任せてしまう危険性

 私はこのところ腎機能が低下して、eGFR(推定糸球体濾過量)が49ml/minとなっている。

これは軽度から中程度の腎機能低下で、慢性腎臓病のステージ3aということになってしまった。

一番の原因は農作業で右手の筋を痛めて整形外科に診てもらい、痛み止め注射を打ってもらって痛み止めの薬をもらって飲んだことだ。

その飲み薬はロキソニンだったのだが、それ以前から糖尿病で腎機能が低下していたのをさらに悪化させてしまったと、かかりつけの糖尿病の医師から告げられた。

あらためて毎年行う町ぐるみの健康診断の結果を見たら、去年よりも6mlも下がっていてかなり副作用が出たことが分かった。

整形外科の医師は私の糖尿病治療は知っていたのだが、腎機能の低下との関連を気にかけていなかったようだ。

当時の私はロキソニンが腎機能を低下させるという知識が無かったので、もらった薬が無くなると、家内が以前にもらっていたロキソニンまで飲んでいたのだ。


血液検査であまり数値が良くないけど分かりにくいのがeGFRで、他の検査の数値の多くは正常値の範囲を記載しているが、eGFRには記載されていなかった。

ただ、ネットで調べると蛋白尿で無ければそう心配は要らないと言うが、私の場合は糖尿病で少し高血圧なので十分注意する必要があったのだ。

ただ、ロキソニンなどの非ステロイド性消炎鎮痛薬(NSAIDs)による急性の低下は回復することが多いそうなので、それを期待するしかない。


今回このロキソニンの副作用をきっかけに、腎機能に悪い食生活についても調べてみた。

当然塩分は悪いのだが、それを排出するに役立つカリウム多くとるのも良くない。

塩分対策にと思って食べていたバナナやジャガイモなども取り過ぎると悪いことが分かった。

私には人工透析をしていたオジが二人もいて、一人はやむなく透析を打ち切った後で亡くなっている。

そのオジは若い頃から糖尿病で、晩年は片足を切断までしていた。

そういうオジを知っているからこそ、もっと腎臓には気を遣って知識を得ておくべきだった。

自己防衛のために、痛み止めの薬については医師に自分から腎機能があまり良くないと言うことも言えるべきだったのだ。

今回も痛みが取れないので、糖尿病の医師から腎機能に影響しない痛み止めを出してもらった。


私はこの程度で済んだのだが、家内はもっと深刻で、関節が痛むので整形外科を受診したら加齢だと言われて、ロキソニンを処方された。

そして、色々病院を回って結局分かったのはリューマチだった。

今のところ腎機能の低下は大丈夫なようだが、もし腎機能も問題だったら、重大なことになっていただろうと思う。

家内がかかった整形外科の医師にはリューマチと判断できる能力が無かったのだが、患者の家内も関節の痛みの症状から自分で調べておくべきだったのだ。

私は以前にも書いたように血尿が出て膀胱の病気を疑ったが、総合病院の泌尿器科の医者は多くの検査でも分からなかいとさじを投げた。

そして、自分で色々ネットで調べたら前立腺炎だと分かって、自分なりに対処したら治まった。

私は研究のために椅子に座る時間が非常に多かったのだが、それが前立腺炎の原因になることを知らなかったので、医師にデスクワークのことを強調して言えてなかった。


医師よりも確かな知識を持つことは並大抵なことではない。

ただ、私の同級生には医師が多いが、彼らはまじめで優秀であったとは思うが、万能ではなくそれなりに欠点も抱えていた。

私はそういう同級生を知っているので、医師を全面的に信用することはないが、自分の持病や症状に関して医師を上回る知識を得る努力が足りなかった。

それはある意味で調べることには勇気と覚悟をもって当たらねばならないので、症状を良いように解釈してしまったところもあった。

今はネットなどを使って色々と知識を得ることができる。

血液検査でも色々と数値がでているので、ちゃんと自分なりにどういう状態なのかを知っておく必要があった。

健康診断でも医師の問診はあるのだが、通り一辺倒で済ませられてしまう。

自分の身を守るのは自分でしか無く、医師は手助けをしてくれるだけだ。

また、多くの患者を診る効率を上げる必要のある医師は、問診に多くの時間をかけようとしない。

血尿で診てもらった総合病院の医師もそういうタイプだった。

そういう医師は高額の精密検査で解決しようとする。

我々患者もそれなりの知識を持っていなければ、見当違いの高額の医療費を負担せねばならなくなる。

知識は健康と金銭のための力なのだと思い知らされている。




2026年8月14日金曜日

耐暑・節電にどこでも空調服

 この殺人的な酷暑で家屋内では冷房は欠かせない。

我が家では時間によって、エアコンを三台同時に稼動していることがある。

恐ろしいのはこれから請求される電気代だが、命には替えられない。

このところエアコンをつけず、つけられずに死んでいく高齢者が後を絶たない。

また、我が家では冷房以外にも散水のための電動ポンプも長時間使用している。

そこでなるべくエアコンの設定温度を高くして、その代わりに屋内でも空調服を着ることにした。

実はペルチェベストも持ってはいるのだが、背中の一部だけが冷たく感じるだけで涼しくて快適というわけではない。

冷房の効いた部屋で空調服を着た時の快適さは、屋外で着る時の比では無い。

服の中だけで無く、吸い込まれた冷気が噴き出す首筋なども心地よい。

朝などの涼しい時はエアコンも扇風機もつけないで済ますことができる。


以前は買い物に出かける時も空調服を着ていたのだが、どうしても車のシートにファンが当たって邪魔になったので車内では脱いでいた。

今までディスカウントストアで安い空調服だけ何も考えず買っていたのだが、中には横付の穴が開いていて、そこにファンを付ければ邪魔にならないのもあった。

そこで、その横付ファンの空調服を着てデスクチェアーに座ることもできるようになった。

それでデスクワークをする時にも空調服が使えるので、屋内でも使うことにしたのだ。

そうすると、これまで暑かった二階のトイレでも、汗を流さずに用を済ますことができるようにもなった。

また、農作業の時みたいにインナーを特別素材にする必要がなく、普段着ている下着やTシャツなどで十分である。

最大の欠点はやはり音であり、話しかけられても聞こえづらくて、大きな声で聞き返すことが増えた。

だから、充電を節約することも込めて、なるべく弱風で使用している。


これからは買い物や通院などに出かける時も空調服を使うようにしている。

たまにそうしている人も見かけるのだが、やはりファッション的にあまり格好良くない。

また、病院などでは音が気になるし、病気の感染も気になる。

これからはファッショナブルで低回転の静音で済ませられる空調服やアンダーウェアーを手に入れようと思う。

現在農作業で用いる空著服は最新式の優れものだが、役に立たなくなった旧式の空調ファンセットは使わずにおいていた。

そこで旧式で風力や持続時間の少ないファンを、屋内用の空調服に取り付けて使用すれば充分活用できている。

持続時間は強風で使うから持続が短いのであり、弱風で使うとそこそこ保ってくれる。

また、ペルチェベスト用の容量の多くて重い充電池も空調服ファン用の変換ケーブルを買って、空調服でも使えるようにした。

今や一人扇風機ならぬ、どこでも空調服の時代になったようだ。

学校や病院でも使えるようにするにはファンの音をもっと静かにしてもらわねばならない。

そういう所ではペルチェベストの方が適しているようで、使う場所で工夫せねばならないことも確かだろう。

これまでのように服を脱いで薄着になって、肌を露出すれば涼しくなる時代は終わった。

アラブの人たちが頭から足先まで服で覆うのと同じ感覚で、これからは空調服などで身体を守らねばならない時代になったのだと思う。


2026年8月13日木曜日

ニートと学歴戦争社会

 現在、主中学校の不登校数は過去最多の35万人あまりだそうだ。

割合は39人に一人、中学校では約15人に一人となっているという。

不登校者に関する追跡調査は平成18年度(2006年)のものしかネットで確認できない。

文部科学省の追跡調査によると、中学校3年生で不登校だった生徒の5年後(20歳時点)の状況は以下のようになっている。(Google AI Overview)
正社員:8.8%  非正規就業:33.2% 就学(進学):約27~30% 
非就学・非就業(ニート等):18.1%
現在は高卒者の進学率が約85%だそうなので、かなり進学が少ないことが分かる。
ただ、正規社員は少ないけれど4割以上の人が仕事をしており、高卒者がニートになりやすいのと比べると悲観的には思えない。
むしろ、子どもが不登校になって、母親が離職せざるを得ない状況が深刻な問題になっているようだ。
家族に重い負担とはなっているが、ニートにならずに社会参加していることはそれほそ深刻な状況とは思えない。
むしろ、高卒以上の学歴者のニートが多いことの方が大きな問題だろう。

2020年のキャリアゲ「ニートの割合 | ニートと就職率の関係も徹底考察」によれば、ニートの最終学歴は次のようになる。
中卒:16.3% 高卒:29.1% 専門卒:18.2% 大卒:29.7%
高卒者の85%が進学することを考えれば、就職等が15%しかいない高卒者が非常に高い割合になっていることが分かる。
中学で不登校になった人は自分なりにあった勤め先を見つけ自分なりの働き方で働いているのだろうと推測できる。
それに対して、高卒者で就職する場合は家庭の事情で進学できなかった場合は不本意な就職と言える。
また、高卒は意外に大企業に入れるが、そこで大卒者との待遇の違いや賃金格差を目の当たりにして退職してしまう可能性もある。

私の身近なところで知っているニートは、高卒で大学受験に失敗して引きこもってしまった。
何度か勤めに出たのだが長く続かなかった。
中学校時代は野球部でキャッチャーとして活躍したスポーツマンだった。
成績が優秀だったので、高校は地元の公立進学校に入って良い大学を目指してクラブにも入らず勉強に励んでいた。
ところが現役では志望校に受からず、浪人して予備校に入って相部屋の下宿をしているときにトラブルとなり引きこもるようになった。
その人は結局死ぬまでニートで引きこもったまま一人で亡くなった。
彼は不遇な生い立ちであったが、中学から母子家庭になって家には成人の男性はいなかった。
親戚の叔父叔母には高卒どころか中卒が多くて、いとこにも大学進学者はまだいなくて、いわば親戚の中で大學を目指す初めての者となった。
だから、彼を理解しサポートやアドバイスができる者はいなかった。
むしろ、野球を辞めさせて受験勉強に打ち込むようにまわりは指導したようだが、それが却って彼を追い込んでしまったと思っている。
実は私は父方母方を通して初めての大学進学者だったので、彼の置かれた立場がよく分かる。
私は彼のように真面目でなくてまわりの言うことも聞かず、仲間とロックバンドで気晴らしをしていた。

学歴社会とは進学でそのグレードを競うまさしく受験戦争を土台に成り立っている。
そして、卒業後もその学歴に応じた仕事の上で競争させられるので、学歴戦争状態だとも言える。
大卒や院卒も大学のグレードによって将校になったり、下士官になったりする。
地方自治体の首長は将校と言えるだろうから、大学のグレードに拘るだろうし、もし卒業できていなかったら詐称してしまうのだろう。
受験戦争に勝利して大卒以上の将校になれなかった高卒は、本来は下士官として働くのであろう。
しかし、中卒があまりいないので兵卒なみに働かされたりもしている。
中卒の場合は兵卒であるが、戦争機械のおかげで臨時の軍属扱いとなっている。
受験戦争で傷ついた学徒がニートになってしまう場合もあるだろう。
また、大卒者が企業に就職できても、猛烈な仕事に戦い続けられなかったり、高卒並み仕事で自信や誇りをなくしてニートになってしまう場合もあるだろう。
今まではその学歴戦争社会は男性中心だったが、女性も加わって苛烈さを増してきている。
また生成AIの活用は高学歴者とてもニートになる危険性を孕んでいる。
ニートを生まない社会とは学歴不問の仕事で誇りとやる気を持ってできる社会だ。
かつての日本にはそういう仕事がいっぱいあった。
だから、そういう仕事をこれからもう一度作り出すのが最も大切なのだと思う。









2026年8月12日水曜日

獣(しし)との遭遇と護衛犬

 最近はうちの近辺では明るくなるのが遅くなって午前5時ではちょっと薄暗い。

朝の農作業にかかる前に犬(クロ)の散歩を済ませているのだが、近くの水田の農道を通り、山際まで行ってそこの農道を歩くのが日程となっている。

すこし以前に散歩で行こうとする先の農道を大きなイノシシがウロついているのを見かけていた。

その時は向こうがこちらを見つけ、一目散に民家の庭を突っ切って山のほうに逃げていっていた。

今回もクロと散歩をしていると一頭が山際の道をウロついているのを遠くから見かけていた。

そのうちこちらを見つけて逃げていくだろうと思って進んでいき、そのうちにイノシシを見失ったので、山に入ったと思い込んでいた。

ところが、イノシシはまだ山際の道に残っていて、私はそれを気がつかずに逃げていける道を塞いでしまった。

焦ったイノシシは山際に張られている鉄柵の下に張られていたトタンに体当たりを数度して、駄目だと分かると山とは反対の方向に逃げていった。


それと同時ぐらいに田んぼの稲が動いて道筋ができてこちらに向かってくる。

すぐ目の前に大きなイノシシが現れたが、こちらを見るなり引き返して、二本の電気柵の間を通って用水路のほうに逃げていった。

イノシシは一頭だけで無く二頭いたのだが、田んぼの中のイノシシは全く気がつかなかった。

ほんの数分の出来事で、もしイノシシに体当たりされていたら、大けがをしていたかもしれない。

ただ、連れている犬が中型の猟犬だったので、イノシシも逃げていってくれたのだと思う。

その翌日も同じような時間にクロと散歩をしたが、前日ようなことは起こらなかった。

おそらく懲りて来なくなったか、暗いうちに引き上げたのかもしれない。


明け方にイノシシに遭遇するのは、明るくなると電気柵の電気が切られるからだとも思う。

以前に薄暗い夕方のクロと散歩の折り、誤ってクロが電線に足をひっかけて感電して痛い思いをしたことがあって、それ以来クロは電気柵には自分から近寄らない。

イノシシも電気柵は恐いと思うだろうが、明るくなると電気を切られたり、線の隙間が見えるので平気で田んぼの中に入ってこられるのだろうと思う。

また、うり坊のように小さいイノシシは易々と電気柵の下をくぐって入ってきたりしている。

電気柵によってだいぶイノシシの被害は減ったといっても、万全とは言えないようだ。

ただ、同じ町内でも熊が目撃されており、これが熊となれば今回のようにはいかない。

熊スプレーなどを持って散歩する必要があるようにも思えてきた。

以前は用心のためにゴルフのパターを散歩には持ち歩いていたが、これからは必要かもしれない。


そういえば、この村に引っ越してきた当時には、夜は放し飼いにされる紀州犬がいて、それはそれで物騒だった。

しかし、考えようによれば、その紀州犬のお陰でイノシシの襲来はま逃れていたのではないかと思う。

古くは里犬とか村犬として、集落の中で放し飼いにされていて、誰の犬とも分からない犬がいたそうだ。

また、私が小学生の頃までは赤穂の尾崎には野良犬が多くいて、人には危害は加えなかったが、その後駆除されてしまった。

江戸時代などは犬をつないで飼うことが逆に禁止されたようなので、犬は町や村の一員としてそれなりの役割を果たしていたのだろう。

私は隣の部落(地区)の放し飼いの犬に追いかけられた経験がある。

それは飼い犬だったが放し飼いにされて、部落に入ってくるよそ者を見張っていたのように思える。

そう考えれば放し飼いの町犬や村犬は警備員の役割も果たしていたのかもしれない。

近くの村には猟犬を飼っている人がいるが、犬舎の中で吠えるばかりで、その近くで平気でイノシシや狐が走り回っている。

むしろ、散歩をしっかりしているクロの方が護衛として役に立ている。

以前にクロとの散歩のお陰でイノシシが来ないと感謝されたこともあったが、実はそのころクロは脱走して放浪していたので効果があったのだ。

これからはAIロボットを巡回させたり、同行させて熊やイノシシなどの警備に当たらせる必要があるかもしれない。


2026年8月11日火曜日

核兵器は抑止力ではなく脅嚇力

 このところ広島・長崎の原爆に関する平和式典が行われてきた。

広島の平和記念式典で横田美佳知事は核抑止力について次のように述べられた。


核抑止力への依存が、今なお、世界の安全保障政策において大きな位置を占めていることに、悲しみと怒りを感じざるを得ません。核による脅し、先制攻撃も厭わない考え方、それによる核武装の強化が核兵器使用のリスクを高めています。核抑止は核兵器を使用することを前提にしない限り成り立たず、各国の不信や軍拡競争を助長し、世界を不安定化させるという根本的な矛盾をはらんでいます。核抑止力を求めること自体が新たな戦争を引き起こしている現実を直視し、核抑止から脱却すべきです。


知事の言われるように、既にロシアがウクライナに対して核で脅しながら戦争を仕掛けたのだから、通常の戦争に対する抑止力など無いことは明白である。

日本が「アメリカの核の傘で守られている」というのも、裏を返せば核兵器で「アメリカに脅されている」のと同じ事である。

一般市民への無差別な殺戮は戦争犯罪とされるべきなのだが、アメリカが広島・長崎の市民に行った行為は戦争犯罪とはなっていない。

それは総力戦というのは戦闘員と非戦闘員の区別が無い近代の戦争である*1

広島長崎のアジア太平洋戦争で日本軍の総力戦に参戦する戦闘員と同等に見做されていたと解釈すべきなのだろう。

実際に新聞などでは国民に参戦を呼びかけていた。

聖戦へ 民一億の体当たり  聖戦だ 己殺して国生かせ (以上 昭和14年 読売新聞社)」

現代行われているウクライナやイランでの戦争も総力戦になっているが、核を持っている国の市民を攻撃することは避けられている。

その一方で核を持っていない国の市民はある意味で無差別に攻撃されている。

抑止という言葉を都合よく使うなら、核を持たない国からの攻撃を抑止できると言うことなのだ。

そして、反撃して逆に攻めてこられないように、核で脅威を与えて威嚇している。

北朝鮮やイランが核開発に拘り続けた理由は、核兵器さえ保っていれば攻めてこられないということであり、戦争自体を抑止するためではない。

私はそれを脅力(きょうかくりょく)と呼ぶことにしよう。

ただ、総力戦は兵站を含む経済的な戦略が重要で、核を持っていない国は持久戦に持ち込んで核保有国の経済にダメージを与える戦略が有効のようだ。

ロシアは民間人の被害は少ないが、兵員の多大の消耗と石油施設を破壊されて、市民生活は被害を多大に受けている。

アメリカは兵員の損害は微少だが、兵器の消耗、物価の高騰で自国の市民のみならず同盟国への被害を拡大させている。

そういう意味ではウクライナもイランも兵員と民間人の人的損失は大きいが、核保有国の嚇に屈せず、総力戦を戦いぬいているように思える。


日本にはアメリカが核を持ち込んでいると言われているが、日本自体は核を持っていないので核を持っている国からの攻撃は抑止できないと言われている。

今回のイランでの戦争では米軍基地への攻撃はなされているので、米軍基地への攻撃の抑止力にもなってもいない。

ということは米軍基地の核は日本を嚇すること以外に役立たないと言うことになる。

だから、日本も核武装すべきだということになるが、アメリカを含む現在の核保有国はその力を独占しないと戦争ができなくなってしまうので許すはずがない。

アメリカやロシアは定期的に実戦を行っているが、実戦を行わない核保有国も武器開発をして軍事演習という名の嚇を行なう戦争はしている。

核保有国でない日本も軍事演習を行っているので、戦争をしているのとそうかわりは無い。

日本人は実戦を行わないと戦争をしていないと思い込んでいるが、総力戦の本当の意味を理解していないし、自ら欺いている。

現に日本最先端技術は武器製造に役に立っており、ウクライナなどは三菱重工に協力を求めてさえいる。


今後レールガンが完全に実用化されて弾道ミサイルからの攻撃を効率的に防御できるようになれば、核兵器の力は無くなっていくだろう。

その一方で通常兵器やドローン、AIロボットを用いた実戦が頻発するようになるかもしれない。

ただ、それはある意味で狩猟採集民や初期農耕民などが行っていた定期的な戦闘と似たようなものになるようにも思える。

資本主義を中心とした国民国家が存続する以上は、永遠に戦争は無くならないだろう。

人類は戦いから逃れられない生き物のようだから、せめて大量殺戮を行う核兵器の廃絶か無力化を行わねばならないらしい。

被爆国の日本ができるのは直ちに核廃絶では無くて核無力化しか無いように思える。

それがアメリカのからの脱出であり、核廃絶に繋がるものだと信じる。


*1  É,アリエズ&M,ラッツァラート 杉村昌昭、信友建志訳 2019 「総力戦」 『戦争と資本―統合された世界資本主義とグローバルな内戦』 作品社









2026年8月10日月曜日

酷暑での救荒作物オクラ

 江戸時代での旱魃をしのいだと言われるサツマイモだが、この雨不足と酷暑で生育が非常に悪く、場所によっては枯れかけたりしている。

本来、サツマイモは乾燥を好むので苗を植え付けた時以外は水をやるものではなかった。

放っていてもぐんぐん育ち、蔓を切り返して生育を抑制するものでもあった。

このところ用水路からポンプで水を引いてきて、灌水しているので何とか持ちこたえているが、果たして秋にまともに収穫できるか疑問に思っている。

それに対して元気なのはオクラである。


実は去年もオクラがいっぱい採れて、毎日納豆に刻んで入れて食べていた。

霜が降りるくらいまでなり続けてくれたのだが、きちっと栽培方法を勉強していなかったので、手の届かないとこまでならしていた。

このところYoutubeで農法を色々学んでいるが、それによれば高くなったら先を落として止めてやるのだそうだ。

それまでに脇芽が出ていたりするし、摘心で脇芽が出てくるのでそちらから収穫すれば良いとのことだった。

また、取り損なって大きくなり枯れた実になる前に早めに取り除かないと、実がならなくなるそうだ。

要するに種になる前にとられてしまうから、実をならし続けている訳らしい。

本来原産地の熱帯アフリカでは多年草であるので、寒くなるまではそうすれば実がなって採り続けられるのだった。

日本では越冬は無理なのだが枯れた後の切り株もとに空豆を植えてやったらよく育ったし、切り株を高くしておけば空豆の支え木になった。


オクラは苗で買うより、種を植えた方が上手く育つので、毎年直に種を蒔いている。

今年は全く耕しもせず肥料も入れていない場所で草だけ削って種を蒔いた。

芽はしっかり出たが、周りに草が多く生えてきて生長が悪かったので、自家製の液肥を少し撒いてやったり、堆肥にした草を敷いたりした。

このオクラも乾燥に強く水はあまりやらない方が良いようだが、去年から暑さが厳しいのでサツマイモと同じように灌水してやっている。

一番の敵は葉を食べる虫だが見つけ次第潰してきたが、今年もつきだした。

また、以前は葉が多い方が実に栄養が行くのかと思って茂らしていたが、落とした方が実のなりが良いことを知って下の葉は小まめに落としている。

品種も実が大きくなってもあまり固くならない丸オクラを作っている。


毎年いっぱい採れるナスビ、キュウリ、トマトが今年は高温少雨でまともに採れない。

去年はどちらも採れすぎて持て余したくらいで、キュウリなどはたくさん漬物にして冷凍保存している。

ズッキーニや里芋は去年からもう採れなくなっているが、どうも非常に暑さに弱いようだ。

近所の畑を見ても同じような状態で、うちは小まめに灌水しているので何とか持ちこたえているが、多くの作物を枯らしてしまっている畑も見かけたりする。

だから私の今作っている作物で食事をまともに貢献しているのはオクラだけと言って良い。

自給自足などとはほど遠い状態である。


来年の夏作物はもっと手をかけてしっかり生長させ、真剣に暑さ対策をしようと思っている。

去年は高黍を植えていたのが暑さ対策として結果的に良かったらしく、今年は植えてないので作物のできが悪い。

高黍を植えなかったのは、実があまりならなかったからなのだが、来年は暑さ対策や肥料として植えようと思った。

そして、オクラをもっと中心に据えた栽培と食生活をしようと思う。

また、近くで栽培されているモリンガもよく育っているようなので、赤穂の実家の畑にはモリンガを植えようと思っている。

また、家の中で育てているキダチアロエやアロエベラも元気で株も増えているので、こちらも実家を活用して増やしていこうかとも思っている。

もうこの夏は自給農家にとっては、ある意味で食糧危機となっており、今後もこういう気候が続くと思って救荒作物を主力にせねばならない時代になったと痛感している。