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2026年5月23日土曜日

音楽を孤独を癒やす薬に

 私の父は、私がロックバンド活動にのめり込んで、受験勉強をまともにしなくて失敗したと、バンド活動をずっと否定し続けた。

その父も、子どもが独立して家から離れてからは、民謡やカラオケに母と熱心に取り組んでいて、ずっと叱られていた私には矛盾を感じるところもあった。

ただ、自分もそういう歳になって分かるのだが、子どもの手がかからなくなるとどうしても淋しくなるので、その気持ちを癒やすのに音楽が必要だ。

父は中等学校を無理矢理に父親から家業をやらせるために中退させられた。

それまでは卓球部に入って熱心に練習していたという。

だから、大学受験のための競争に晒される孤独を知らない。

私が中学3年からギターを始めて、バンド活動にのめり込んでいったのは、勉強をサボることよりも、それによって心の救いを求めていたのだと今は思える。

中高一貫の私立の男子校の生徒にとって、運動・文化クラブで励むか自由な音楽活動を楽しむかくらいしか勉強から気持ちを解放されることが無かった。

音楽はひとりで気持ちよく聴くことも多いが、ユニットやバンドのなどのように気の合った仲間と一緒に楽しむことができる。

私は親友と呼べる友達をそのバンド活動から得られたし、ステージなどを通して新しい友達を得ることもできた。


実は、当時でも既に上級生が在籍中に自殺しており、卒業後に自殺したり、精神疾患となったりした例をいくつか知っている。

現在の中学高校生に自殺が増えたのも、当時の自分たちの状況に似ているように思えてならない。

当時はまだ高卒でも良い就職があったし管理職へ昇進できていたので、無理して大学へ行く必要は無かったが、あえて受験中心の私学に入った。

今は、高卒で現業ならそれなりの良い仕事も有るが、管理職への昇進コースにはなかなか進めないので、無理して大学に入ろうとする生徒が多い。

私たちが学生の頃に比べて就職はしやすくなっていても、将来性のある企業に入ったり、個人としての能力を持つ必要が重要となっている。

だから、親は子どものことを考えて、受験勉強に勝ち抜くための支援を行ったり叱咤激励するのだと思う。

しかし、それは一方で子どもにとっては大きな負担となり、場合によって自殺に繋がってしまう。


私が何とかそういう環境でも、生き抜いて来られたのは、音楽があったからだと今は思えるようになっている。

そもそも、音楽は人間にとって古来から癒やしとして、治療にも用いられてきたのだ。

ただ、音楽で進学をしようとしたり、それを職業としようとするものにとっては、癒やしとはならないだろう。

当時はプロのミュージシャンになりたかったが、そのためのレッスンやトレーニングは私は行わなかった。

あくまで、自由なバンド活動の延長でプロになれれば良いと思っていた。

しかし、プロの世界はそんなに甘くは無く実現できなかったが、それはそれで楽しみを残すことができたので良かったと思う。

家内は幼い頃からピアノを習ってきたのに、今は殆ど弾こうともしない。

ピアノ発表会に向けての練習が、私たちの試験勉強とかわりが無かったのだろうと思う。

娘もそういう練習をしてきたので、今はピアノに触れようとしない。


音楽は楽しみながら聴いたり、演奏してこそ癒やしとして薬になる。

一緒にバンドを組んだある若いピアノマンは、ステージに立つとあまりにも緊張するので非常に精神的負担で、一度はドタキャンしたこともあると言っていた。

私もステージに立つ前は胃が痛くなるほど緊張するが、ステージに立つと楽しめるので、またステージに立ちたくなる。

これは癒やしでは無くて、ドーパミンという脳内麻薬の陶酔だろうと思う。

今は、そういうドーパミンを求める音楽では無くて、孤独を癒やすための演奏をしているだけだ。

今は一緒に演奏する仲間はいないが、これから積極的に作っていこうと思っている。

もし、学生・生徒の中で死にたくなるほど追い詰められている人の中には、音楽そのものやそれを通した仲間によって救われる人もいると思う。

ぜひ、試してほしいと思う。




2026年5月20日水曜日

高市総理の笑顔の破壊力

 今日(5/20)の党首討論で中道改革連合の小川淳也代表は高市総理に対して


「その破壊力のある笑顔で各国首脳と渡り合ってこられたんだろうなと、改めて敬意を評したい」


と呼びかけたという。

私はテレビを見ていなかったのだが、ネットのニュースで書かれてあった。

以前から家内は高市総理の笑顔は目が笑っていないとずっと言っていた。

確かに言われてみれば、彼女の笑顔は魅力的でもあるが、どこか人を不安にさせる笑顔でもあり、小川代表が破壊力と表現したのも分かるような気がする。

中国の習近平が無表情であるのとは対照的ではあるが、表情を政治利用していることは共通しているだろう。


私は中学校から地元の赤穂を離れて、姫路の中高一貫の私立の中学部に通った。

周りの同級生は姫路やそれ以東の都市部出身者が多かった。

姫路以西の出身者も私のように田舎育ちで山野を駆け巡っていた生徒はほとんどいなかった。

そういう自分にとって異質な生徒が殆どの教室で、自分を守る方法が笑顔であり、いつもニコニコしていたので、「ニコニコ先生」と言われたりもした。

田舎ではガキ大将だったのだが、都会に出るとまるっきし意気地が無かったが、そのうちに慣れてきて笑顔は必要でなくなった。


高市氏が総理になる前はどんな雰囲気だったのかよく知らないが、総理になってから確かに笑顔が増えたように感じる。

周りに気後れしたりしているわけでは無いだろうが、自分を守る武器としてうまく使っているようにも思える。

だから、どうしても目が笑わってないので、不安にさせることもあるように思える。

これが外交で通用するのかどうか分からないが、少なくともトランプには気に入られているようだ。

私も無骨いながら年上の女性などから笑顔が可愛いと言われたりしたのだが、普段の険しい顔とは違う意外性が受けたのかもしれない。

そういう意味で、タカ派として警戒されている高市氏にとっての笑顔も意外性として若者の気持ちも掴んでいるのだろう。


自分自身は笑顔に関しては警戒心を持っている。

特に買い物に出かけて、店員に笑顔で話しかけられると身構えてしまう。

また、街角での勧誘や布教で笑顔が用いられているが、どうしても無表情で対応してしまっている。

それに対して、幼い子どもには思わず笑みがこぼれてしまう。

最近はどういうわけか、幼い子どもに挨拶されたり、手を振ってもらったりする機会が増えた。

自然と笑みが浮かんでいるので、親しみを感じてくれているのかもしれない。


前の総理の石破氏は普段は顔が恐いと言われていた。

特に目が据わっている感じがしたのでそう感じたのだと思う。

ところが、たまに笑顔で話せると親しみを感じさせることが多く、不安を与えるものではなかった。

そこらへんが人間性の違いなのかもしれないが、高市氏の笑顔に騙されて多くの若者が投票して現在生活が苦しくなっている。

高市氏がやらなくても同じだったと言われるかもしれないが、中国との関係悪化はイラン戦争と並んで大きな痛手だとも思える。

また、トランプに媚びることで、日本人としての誇りも失わせてしまった罪は重い。

彼女の笑顔は平和憲法や経済を崩壊させる破壊力を持っているのかもしれない。




2026年5月19日火曜日

歌はいつまでも忘れない

 NHK番組、知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?「人はなぜ音楽を愛するのか?」で認知症の老人が若い頃の歌はしっかり憶えていることが紹介された。

これは音楽知覚認知学のエリザベス・ヘルムス・マーギュリスの 『音楽心理学ことはじめ―音楽とこころの科学』(福村出版 2022年)にその理由が書かれてある


 認知症が記憶システムを深く崩壊させたときにも、複数の脳部位と経路に音楽が定着してしまうことが、音楽の記憶が生き残るのを助けます。数多くの臨床観察で、認知症患者が病気の進んだ段階に移行したときでも、青年期の音楽を覚えており、楽しむことができることが示唆されています。さらに重い認知障害のある人々でも、選曲された音楽のうち感情的に共鳴した曲を識別し続けることができます。こうした成功した音楽の記憶のエピソードによって、その経験の直後や最中に、音楽に関連しない課題の認知的機能を改善できると主張する人もいます[前掲書:47-48]。


音楽が心の中に生き続ける理由が分かると思う。

私は現在完全退職して、農作業を中心にウォーキング、水泳、読書、音楽などを中心に暮らしている。

どれも欠かせない日課だが、現役の時以上に大切なのが音楽だ。

今まではヤマハのカラホーダイを使ってひとりカラオケやひとり弾き語りをしていた。

最近始めたのが以前にも書いたハーモニカだが、ハーモニカを練習しているとギターの方も頑張ろうと思い出した。

長年、アマチュアバンドのボーカルをしていたので、やはりギターでの弾き語りが自分の本領だと思っている。

ハーモニカも加えた弾き語りができるようになりたいと励んでいる。

こうして音楽に取り組んでいると、中学生の頃から育んできた音楽への情熱が蘇ってくる。

その頃に歌っていた歌を自分なりに今歌うと、当時の感情も蘇ってくる。

歌は他の人に聴いてもらうものだけで無く、自分自身に聴かせて心豊かにさせるもので、独り言よりも自然に感じる。


私は恋人ができたり、結婚してこどもができると、音楽には疎遠になってしまうことが多かった。

でも、失恋したり、子育てが落ち着くと音楽にまた立ち戻っていた。

退職して人との関わりが乏しくなると、それを埋めるのに今は音楽が大切な存在となっている。

昔を思い出すためであり、今の孤独を忘れるために音楽は無くてはならないものになっている。

亡くなった母もデイサービスや入所施設で一番楽しみにしていたのが歌を歌うことだった。

歌が好きで得意だったから、そういうところでも楽しく過ごせたようだった。

ただ、困ったことは通院に付き添っている時に、病院の待合所で歌を口ずさんでしまうことだった。

待つ時間が長くて退屈してしまい、他の人が大勢いるのに小さい声ではあるが歌ってしまっていた。

さすがに、迷惑になるので止めてもらったが、それほど歌が母には無くてはならないものだった。


私もその子どもであるので、おそらくこれからどこへ行っても歌は忘れないだろう。

呆けてきたら母のように、周りの人に関わらず歌ってしまうかもしれない。

今でも家内とドライブをしている時に窓を開けたまま、かけている音楽に合わせて歌っている。

特に停車している時は、家内が人に聞かれるから窓を閉めるように促す。

仕方ないので、いったん窓は閉めるが、走り出すと窓を開けて気分良く歌うのがお決まりのドライブだ。

このときは家内に無理矢理聴かせているわけだが、たまに家内も歌っていたりする。

実は家内は幼い頃からピアノを練習しているので、私よりも音感に優れていて、間違いをよく指摘される。

何よりも同じ世代なので、知っていて好きな曲が共通しているのが良い。


先日は水泳仲間の画家さんと話をしていて、彼が学生時代にバンドでベースをしていてかなりの腕前だと分かった。

それを知ってから、セッションできるようにギターも上達しようと決心した。

他にもプールで一緒になる近所の奥さんもハーモニカを練習していて、その話題で話ができている。

音楽は退職した者の世界を広げてくれる大切なものだと最近特に感じている。







2026年5月16日土曜日

開業医と公務員の老後の違い

 はじめは少し右下奥歯の歯茎が痛む程度だったのが、痛みが増してきたので歯肉炎だろうとそれを抑える軟膏を買って塗っていた。

因みに、私は左下の奥歯は二本失って部分入れ歯を入れており、硬い物などはどうしても右の奥歯でかむ習慣がついていた。

軟膏を塗ったお陰でいくぶん効いたように思えたのだが、痛みは治まらなかった。

その軟膏以外にシュミテクトというそれ用の歯磨き粉を買って使ったら、一時的に痛みは治まったが痛みは以前よりも増してきた。

それは痛みが治まったので右奥歯を使って悪化させてしまったようだった。

とうとう我慢の限界が来て、友達の歯医者に電話したら1時間後に診てくれるというので、急いで支度をして出かけた。

どうも、原因は右下奥歯よりもその上の右上奥歯の詰め物にあったらしく、それを削ってくれて下の奥歯への負担を無くしてくれた。

要するに長い間のかみ合わせの悪さが原因となり、それで歯肉炎、歯周病を起こさせていたようだった。


歯医者から帰ってからも痛みは強いので、出してもらった痛みのみを飲んだ。

痛み止めの薬には炎症を抑えると書いてあったので、そんなに酷い痛みで無くても飲むように心がけた。

徐々に痛みは経験されていき、一週間後に歯医者に行った時には、取り除いていた上の奥歯の詰め物を作るための処置をしてくれた。

そして詰め物を入れてもらって改善した。

もっと早く歯医者に行っておくべきだったと、今は反省している。


この歯科医とは中学校からの同級生で、休日に一緒に遊んだこともある友達でもあった。

ただ、私と違って真面目でおとなしくて、私がロックバンド活動仲間と付き合うようになってからは、疎遠になっていた。

彼は私のように女の子と付き合うことも無く勉強に励んだので、優秀な成績でもって国立大学の歯学部に入って歯医者になった。

私が大学院を出て地元に戻ってきてから、歯はずっと彼に診てもらっていた。

歯科医は自分の育った地元で開業したが、住んでいるのは少し離れた都市部のマンションだった。

奥さんと二人暮らしで子どもはいなかった。

一緒に飲みに行こうと言ったりしたが、結局一度も行っていない。

また、彼はおとなしくてあまり交友関係が無かったので、同窓会には一度も来ずに誘っても嫌がった。


私は既に年金生活を送っていてあえてもっと金を稼ぐより、自由な時間を過ごしたいと思っている。

彼は開業医なので国民年金で、年金をあてにできないという。

貯金があるだろうと訊くと、遊興費で使ってしまって無いという。

彼の唯一の楽しみが京都の祇園などの高級料亭などで飲むことらしくて、泊まりがけで飲みに行くという。

以前は頻繁に行っていたが、今は回数が減ったという。

私には全く分からない世界に彼は生きていたことが分かった。

病気になっても滅多に休めない開業医にとっては、一番の生きがいでありモチベーションに高級料亭やクラブがなっていたということらしい。

特に歯科医は老人の治療が多いので、若い人との関わりを金を使ってでも持ちたいということもあるという。

私のようにひとりの部屋でひとりカラオケや弾き語りをするのと違い、若い人と楽しく歌う生きがいを持っている

彼はその家業があるので、そのモチベーションで倒れるまで仕事ができると言うことだ。


彼の生き方を知って、研究者になることにしがみつかなかった意味が分かったように思う。

もし、私が研究者になっていれば、大学や研究機関で長く勤められたし、執筆などで収入を得られたかもしれない。

それこそ、文系なので東大の医学部教授ほどではないにしろ、高級料亭などでのお付き合いができたかもしれない。

しかし、私は親が築いていた家庭を見本として、子育てや親戚づきあいを大切にする暮らしを求めた。

だから、生活の安定が見込まれる教育公務員になった。

ただ、自分の親の頃のように、親兄弟の家族が集まる盆正月の楽しみはもう無い。

仕事を続けるという意味では開業医の友達の方が、社会の役に立って立派だし充実した暮らしだと思う。

一方の私は現在社会役立つ仕事はしていないけれど、仕事に縛られず無理のない愉快な生活が送れている。

私が研究者になることへの拘りを持ちながらも、しがみつかなかったことは決して間違っていたとは思っていない。






2026年5月12日火曜日

誰と生きて、どう死ぬのか?

 過疎地である私の村では、子どもが都会で暮らしていて殆ど戻ってこず、親が亡くなっても、お骨は49日までお寺に預けなくてはならない家もある。

夫婦で暮らしている間は良いのだが、特に男性は妻を亡くすと周りとの関わりも少なくなって孤立してしまう。

伴侶外に親しく関わることができない人は、いったい伴侶以外の誰と生きてきたのかと考えさせられてしまう。

子どもも近くに住んでいれば一緒に買い物に行ったり、食事をする機会もあるが、遠くに暮らしている子ども家族とは殆ど行き来が無い。

田舎の人間にとって子どもは共に生きていける相手ではなくなってしまっている。

特に大学まで進学させた自慢の子どもがそうであり、高卒の子どもの方が近くにいる場合が多い。

また、事情があって結婚できなかったり、結婚しても離婚してひとりになった子どもが一緒に住んでいる場合も少なからずある。

この場合は親は老後の不安は軽減されるが、その子どもが不安となる。


とにかく田舎では、大学まで進学したり、高卒でも大企業に入った場合は、親の傍や近くに住めるのはほんのわずかである。

大学に進学させて生活費を削って高い授業料や仕送りを工面した親には、孤独な老後しか待っていない。

ただ、子ども夫婦に子どもができて孫を連れて帰省する時までは、幸せと感じられる月日が何年か続くが、それも孫が小学校くらいまでだ。

子どもが帰省しなくなった夫婦は、仕事仲間や地域の人と仲良く暮らし行くしかない。

しかし、田舎も地縁関係が薄れてしまって、形だけの付き合いになりつつある。

そして、付き合いの下手な人は親戚がいても、家に引きこもってしまう場合も出てきている。


移動する狩猟採集民は、その移動について行けなくなると、老人はそのキャンプ地に残って死を待っていた。

現代の日本では年金があるので、しばらくは一人でも生きていける。

近代化された狩猟採集民は国から年金が支払われて、親戚の若者がたかりに来て逆に大切にされたりした。

日本の年金暮らしにたかるは、引きこもる子や孫か若い詐欺集団くらいだ。

さすがに田舎だから、孤独死のケースはまだ出ていないが、誰にも看取られずに亡くなるケースは増えている。

これはかつて移動型狩猟採集民や、姥捨、ないし出小屋に隠居した過去の貧しい地域の日本とあまり換わりが無い状態だと思う。

かつては若い人がその老人の負担で生存が危ぶまれるという事情があった。

現代も家業を持たない家族にとって、田舎で若い人が暮らすことは永存に関わることと考えた方が良いのだろう。

だから、もう老後に子どもを当てにすることはなく、孤独死も覚悟の上で老後を生きていくしかあるまい。

これが、学校教育で子どもは高学歴となりながら、移動型狩猟採集民と同じ老後を強いられる現代日本人の実情なのだと思う。








2026年5月8日金曜日

「遊びの中の真面目」に生きる悦び

 佐伯啓思は『近代の虚妄―現代文明論序説』(2020年 東洋経済新報社)の中で次のように述べている。


現代社会では、あらゆる領域で、特に文化の領域で、遊びの持つあのゆとり、共有された秩序、そして何よりも祭祀的な要素が失われてしまった。代わりに出現したものは、偽の遊びであり、いわば小児病化した遊びである。競技は、現代風のスポーツとなって、記録を競う闘争本能むき出しのものとなり、組織されたクラブや商業化された大会運営になってしまった。それはやがて記録追求という何とも味気ない生真面目に堕することとなる。現代社会の高度な交通機関の発展、商業的宣伝、そして統計学の出現が、遊びを窒息させてゆくのである。人間の活動は、すべて真剣であり真面目であるともいえるのだが、その背後に遊びの要素があるかどうかはきわめて大事なのだ。「遊びの中の真面目」と「遊びを失った真面目」ではまったく違うのである。[前掲書:177] 。


私はかつて中学部から大学進学を念頭に置いた進学教育を行う私立学校で学んでいた。

当然、中学受験を取り組んだ頃には、大学進学のことなど頭になくて、地元の公立中学よりも格好良く見える学校に入りたかっただけだ。

入学後は受験勉強からの流れで「遊びを失った真面目」で、試験での点数や学年順位ばかり気にしていた。

しかし、中学受験に小学校6年生の春から取り組むまでは、「殆ど全てが遊び」の暮らしをしていて、学校での勉強も遊びのような感覚だった。

当然、大学進学の目標を持ち得なかったし、それが何を意味するかも分からなかった。

そして、その私学は自由放任主義だったので、ためらいなく異性や流行のロックに強い関心と楽しみを見いだそうとし始めた。

そうすると、「遊びの中の真面目」であるべき勉強がおろそかになり、大学受験に際しては希望する大学には入れなかった。

その一方で同じバンド仲間だったSは、「遊びの中の真面目」を突き詰めて、学年で最下位の成績ながら、早稲田大学の法学部を現役で合格した。

同じように、高3の文化祭まで同じバンドでステージに立ったのに大きな違いがあった。


ただ、私も大学に入ってからは、「遊びの中の真面目」な研究を見いだして、志望する大学院に現役で合格できた。

しかし、研究者になるための姿勢が「遊びを失った真面目」であったため、自分を支えてくれた伴侶も研究者への道も失ってしまった。

そこまで自分を追い詰めたのは「遊びを失った真面目」なM教官への反発心だったのだが、自分がそうなってしまったのは皮肉なことだった。

教師を選んだのは、研究を続けることのできる職業だと思ったからで、臨時講師をしながら何とか採用された。

それ以降は、金儲けのために真面目に仕事をしながら、金にならない研究という遊びをしていたように思う。


ところが、学校はけっこう仕事の中に遊びが取り入れられている。

最初の赴任は今で言う知的障害の特別支援学校で、学習の中にずいぶんと「遊び」があった。

教師の方は、生徒と一緒に遊ぶことも重要だったが、真面目に進路に向けてての取り組みが必要で、これはかなり困難な仕事でもあった。

特に体育教師が中心になっていたので、体力と根気をつけさせる職業教育がなされて、「遊びを失った真面目」な進路指導が行われた。

ただ、障害を持った生徒が就職した後で失敗するのは仕事そのものができないことよりも、対人関係であった。

職場の人や自分の周りの人と仲良く過ごすことが難しいのであり、それはむしろ「遊び」に関わるもので、それが生徒に身についていないことが多かった。

普通校は体育祭や文化祭で遊びの部分が多く取り入れられていたが、だんだんと予備校のような受験指導中心の授業が増えてしまった。

教師も時間外勤務が増えたり、免許更新制などの政策によって追い詰められていった。


今の時代は何でも貨幣価値で計ってしまい、その数字で表れないものの価値を認めないことが多い。

人と楽しく過ごすことは数字で表せないいわゆる「遊び」である。

私の研究していたかつて奄美では「ミニアスビ」は、干支で巳のつく日にはハブがで農作業をすると咬まれると言って仕事が禁止される日だった。

つまり、「あそび」とは「悪(あ)し日」から仕事の忌避から来た言葉だった。

かつて日本人はワーカーホリック(仕事中毒)といわれて、どちらかというと欧米人から呆れられていた。

しかし、日本人がそこまで仕事中心の生活をし始めたのは、バッブル崩壊後だと思う。

学校もそれ以前は教師の給料が低い代わりに、自宅研修で自由に長期休暇を楽しめた。

バブル期に給料が安いので人気を失って人材不足になり、給料を高くして管理を強くされて追い詰められていった。

企業もアメリカの政策に対策するために資金の内部留保に血道を上げ、社員は単身赴任などが多くなり家庭を犠牲にするようになった。


現在日本で、少子化が進んでいるのは、子育てという「遊びの中の真面目」さが求められる生活が「遊びを失った真面目」に追い詰められているからだと思う。

多くの残業を強いられたり、単身赴任を10年以上にしたり、土日休日返上のクラブ指導を行ったり。

金銭の引き換えに「遊びを失った真面目」に仕事を強いられる世代には子育てなど不可能だ。

そもそも、「遊びを失った真面目」な受験勉強しか知らない世代は「遊び」そのものを理解できないのかもしれない。

以前、東京育ちの後輩に幼い頃は何をして遊んだかと聞いたら、スイミング教室へ通ったと言ったので、それは「遊び」でなく「レッスン」だろうと言ったことがある。

今の子どもは「レッスン」しか遊びを見いだせないのかもしれない。

私の幼い頃の遊びは、子ども同士で野山を駆け巡ったり、広場で男はコマ回し女はゴム跳び、そしてボールゲームなど大人は介在しなかった。

そして、祭りなどの年中行事には世代を超えて一緒に食事をしたり、歌ったり踊ったりして楽しんだ。

残念ながら現在の私たち年金暮らし夫婦にはそれが無い。

ただ、金にもならない「遊びの中の真面目」な農作業や研究、趣味が私の生きがいになっている。








2026年5月7日木曜日

レールガン、全固体電池、量子水素エネルギーそして人工光合成による革命

 日本がレールガン(電磁加速砲)の実用に向けての大きな取り組みで、期待が膨らんでいるせいか、Youtubeなどではそれを用いた実戦を描く物語が作られたりしている。

確かにレールガンは日本が世界をリードする電磁力技術が活かされたもので、リニアモーターカーなどの技術が転用されたものという。

アメリカが実用化を諦めたものを、日本が産業技術によって現実化させ、あと10年ほどで実用化させようとしている。

これによって弾道ミサイルや極超音速ミサイルの迎撃を行えるようになれば、ドローンと並んで非対称性の兵器として戦争を根本的に変えるだろう。

私は軍事力強化には賛成はしていないが、核弾道ミサイルを無力化できる可能性があるレールガンに希望を見いだしてきた(戦争放棄の戦略)。

現在核兵器開発がイラン戦争の主な原因となっているが、核兵器が無力化されることが分かれば、核兵器の開発は意味をなさないことになるだろう。

そして、核兵器廃絶に繋がっていくと思う。


一方、全固体電池は従来の液体電解質を用いた充電池の欠点を克服でき、最も開発が進んでいるトヨタ自動車が来年度以降に実用化を目標としている。

日本の自動車産業の将来だけでなく、石油依存の世界の自動車産業に革命をもたらす可能性がある。

少々値段が高くても、自分の家で太陽光発電などをして車に蓄電して、移動以外にも活用できる。

これは「Ei(知性化電力)革命による国民解放」で述べたことが、現実化することを意味する。

これは地方に住む我々の復興を可能にするものだ(石油依存社会が生んだ地方衰退)。


そして、発電に関しては従来の再生可能エネルギーよりも、安定した出力と効率性をもつ量子水素エネルギー(QHe)の開発が進められているという。

これは常温核融合を利用した技術で、日本はこの分野でも進んだ技術を持っているという。

安全でクリーンなエネルギーを生み出すことによって、原子力発電所の必要性がなくなる。

原子力発電所は放射能汚染の問題だけでなく、今回のウクライナ戦争で分かったように自国に核爆弾を抱えこんだのと同じ意味を持つ。

やっと夢の太陽を人類が手にすることができた技術なのだろう。

これで、火力発電所も原子力発電所も必要で無くなるし、環境に負担を強いる再生可能エネルギーでの大規模発電も軽減できる。


また、人工光合成に関してのガリレオX第19回「人工光合成 太陽光でつくる夢のエネルギー」は新しい時代がまもなくやってくることを実感できた。

これは光触媒を用いて水を水素と酸素に生成したり、太陽光と二酸化炭素を用いて有機物と酸素を生み出す技術で、人間が植物と同じことができるようになると言うことだそうだ。

現在行われている太陽光の利用方法とちがって

人工光合成は太陽光を直接水素などのエネルギーに変換し、これまでの方法では難しかったエネルギーの貯蔵も可能にする技術として非常に有望」だそうだ。

2010年にノーベル賞をとった根岸英一博士の研究が有名だが、環境省も2030年の実用化に向けて支援している。

我々高齢者がもう少し長生きして、その実現を目にしたいと思うような取り組みである。


日本は他国を攻撃できる武器輸出をするくらいに落ちぶれてしまったかのように思ってしまった。

しかし、レールガンは主に核攻撃から自国防衛に用いるものとして限定して輸出しても良いと思う。

そして、日本は自動車産業、量子水素エネルギーを用いたリニアモータカーや、スーパーコンピュータの分野でも発展できて武器輸出に頼らなくて良いだろう。

何よりも人工光合成は、地球環境破壊を阻止する切り札となってくれるだろう。

一方で忘れてはならないのが、日本のアキレス腱である食糧問題である。

これに関しては日本はあまりにもお粗末である。