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2026年7月16日木曜日

債務強制労働と債務返済労働、徴兵制

 私は長年奄美諸島の家人(ヤンチュ)の問題に取り組んでいる。

今その論文発表に向けての執筆中なのだが、これがなかなか進まない。

現在のところ、ヤンチュは債務奴隷ではなくて、債務強制労働というところで論を進めている。

  ウォーラーステイン,Iは債務強制労働を次のように述べている。

  [「債務強制労働」のような]換金作物栽培のための強制労働に従う労働者とそれに近い形態の者は、雇用主の管理の及ばない土地で、食糧用作物のかたちで自らの「賃金」の一部を生産しており、雇用主にすれば、この分の労働コストを削減することができたのである。したがって、労働の再生産コストは、奴隷労働の方が、[「債務強制労働」のような]換金作物栽培のための強制労働より高かったのである[I.ウォーラーステイン2013(2011):.197]*1


そもそも、江戸時代で遊郭に身売りして売春をしていた遊女が債務奴隷でなく、身売りしたけれど村で普通に暮らしていた家人が債務奴隷というのでは釣り合いがとれない。

詳しくは将来発表する論文で読んでもらいたいのだが、考えてみれば我々は債務を抱えてその返済のために懸命に働いてきた。

住宅ローンはれっきとした債務だし、他に大きなローンは車があり、少額な買い物でも普通にカードローンを使ってきた。

本来はしっかりと貯金をしてローンをせずに支払えば利子もかからなくて良いのだが、住宅が建てられる金額まで待っていたらその子どもは自立するまで借家暮らしになる。

就職してすぐに自家用車がいるのに、学生にはそれだけの現金は支払えない。

ローンを債務と表現したら重く感じるのでローンと軽く流しているのだろう。

しかし、現実には高い金利のローンに手を出して、自己破産してしまう場合もある。

また、ヤミ金に手を出したら、それこそ奴隷並みの扱いを受けることになる。


また、強制労働という点でいけば、兵役がまさにそれにあたる。

戦前の日本や現在の韓国のように徴兵制度があるところは強制労働に等しい。

何が根本的に違うかは、「名誉」である。

これは奴隷研究の大家オルランド・パターソン が『世界の奴隷制の歴史』 (

2001(1982)明石書店)の中で述べている。

つまり、奴隷には名誉がないが、兵士には名誉がある。

しかし、扱われ方は大差なく、むしろ兵士の方が死の危険性が高い。

現代ででは徴兵制のないところでは、高額な金銭目当てであったり、刑務所から出してもらうために兵士になっている。

そして、刑務所での懲役(現代日本では拘禁刑での刑務作業)は奄美の家人よりも不自由な生活を強いられることになる。

しかし、懲役(拘禁)囚には奴隷という言葉は使われない。

そして、シベリア抑留で有名なに近代における強制収容所での労働は奴隷以下と称される。

ほとんど死なせるための労働に近いからだ。


奄美の家人を債務奴隷とあたかもアメリカでの黒人奴隷を連想させる用語で、過去の悲惨な存在として歴史家の中には描く人が少なからずいた。

そして、発展した現代とは違う過去の歴史として現在の社会状況と類似することを隠蔽してきた。

しかし、現実の今の日本の社会はその延長上にある。

奇しくもデヴィッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事の理論』(2020年 岩波書店)や『負債論―貨幣と暴力の5000年』(2016年 以文社) で述べている

「今も昔も、賃労働と奴隷制のあいだには興味深い類似性がある」ことを

だからもし、家人を債務奴隷というのならローンを抱えた我々も奴隷に似てることを述べるべきだ。

しかし、家人も我々も負債を抱えていても、普通の人と同じように祭りに参加できたし、負債を返したり対価を支払ってその立場を解消することもできた。

それがアメリカの黒人奴隷と根本的に違うことなので、私は奴隷という言葉は使わない。



*1 ウォーラーステイン,I 川北稔訳 2013(2011)『近代世界システムⅡ』 名古屋大学出版会 THE MODERN WORLD-SYSTEM II :   Mercantilism and the Consolidation of  the European World-Economy, 1600-1750 (New Edition) 2011 by The Regents of the University of California

2026年7月15日水曜日

もはや普通の農機具となったドローン

 このところ近所の米農家は軒並み農薬や肥料散布にドローンを使い始めた。

以前はJAや大規模農家だけだったのだが、中規模農家まで持って使っている。

さすがに小規模農家は持っていないが、JAなどにドローンでの農薬散布を委託している。

私は畦の虫まで殺してしまう空中散布は反対しているのだが、ここまで来るとその使用方法の改善を求めるしか無い。

とにかく、ドローンでは高濃度の農薬を使うので、なるべく作物に近い位置で農薬散布してほしい。

本当は村に居着いているコウノトリの餌や健康のためには農薬散布はできる限りしてほしくない。

しかし、農家も生活がかかっているし、対策に手間と時間がかけられないだろうから無理は言えない。

もはや稲作専業農家も絶滅危惧種である。


この空中ドローン以外にも自動草刈り機があるのだが、リモコン式のエンジン仕様のものは以前は見かけていたが、最近は見ない。

調べてみると、芝草用のものは全自動で電動式の物が低価格で販売されているようだ。

これも性能が上がっていけば、畦や広場の草を小まめに刈っていくこともできるだろう。

最近は水田の除草用の太陽電池式ロボットがアイガモの代わりに泳いでいる。

ただ、身動きがとれなくなってしまっているのも見かけるので、アイガモとはいかないようだ。

今後は地上や水中でのドローンが期待できるようだから、開発してほしいと思う。

例えばイノシシやシカなどを追い払う地上ドローン

昨日は鷹匠がカラスを追い払っていたが、サルにも使う空中ドローン

池のヌートリアなどを追い払う水中ドローン

ウクライナ戦争で活躍しているドローンをもっと平和利用してほしい。

もうすぐ、農村地帯には働き手がいなくなってしまうのだろうから・・・・・・




2026年7月13日月曜日

トンネルや峠は避暑地

 この日曜のドライブは少しでも涼しいところと思って、波賀町から千種町にかけてのいわゆる「シソイチ」と呼ばれるサイクリングコースに出かけた。

途中によく立ち寄る農産物の直売所では、この季節に出回る特産のブルーベリーを買ったりした。

揖保川沿いの道路は、さすがに暑さの中、自転車よりもバイクの方が多い。

いつもよく昼食で利用する川の傍のドライブインは着くのが早すぎてまだ開いていなかったので、波賀町の道の駅に行くことにした。

そこではもう車がいっぱいで、食堂のテーブルはなんとか座れたが、後から来たお客さんは待っていた。


昼食を済ますともう少し北に進んで千種に抜ける道に左折する。

そこから上り坂で以前に来た時にはトンネルの付近に雪も残っていた。

涼しくなることを期待したのに、トンネル付近でも車についている車外の温度表示は33℃と暑い。

トンネルに入っていくと、さすがに27℃まで下がっていった。

残念なのがトンネルの中では停車すらできない。

いつも、こういう涼しいトンネルに入った時に思うのだが、夏場の避暑地として活用できないのかということだ。

もっと標高の高いところではトンネルに入らなくても峠あたりでけっこう温度は下がっている。

しかし、そういう所には道の駅などの施設はない。


これだけ酷暑で涼しいところを求めているのだから、気楽に立ち寄れる避暑地があってもいいと思う。

やはり人気なのは川縁での水遊びができる道の駅で、千種の道の駅は満車で入れなかった。

道の駅では食事をするか買い物をするかで時間をあまり潰せないので、水遊びができる方が家族連れには良いのだと思う。

千種では以前に夏場の観光客を呼ぼうと百合をスキー場に植えたが、シカに全部食べられてしまったそうだ。

お年寄りでも楽しめるのはゆっくりと見て回れる花園だろうから、狙いは悪くなかったと思うが、鳥獣対策が難しいようだ。

その失敗に懲りずに花や果樹、野菜などを体験的に取って楽しむ施設を作っても良いと思う。

また、トンネルの活用は無理でも、洞窟や廃坑を使った食堂や喫茶店があってもいいと思う。


暑い日はエアコンの効いた部屋でテレビでも見た方が良いと言うが、それではますます温暖化が進むだろう。

せめて週末はこういう避暑ができるところに出かけることが便利になれば、過疎地域の活性化にもなるだろう。

冬のスキーが人気を失っているのだから、夏の避暑に力を入れてほしいと思う。



2026年7月8日水曜日

哀しき教師

 東京都の小学校で起きた火災は、教師が朝6時に学校へ来て私物を洗濯してストーブで乾かしていたのが原因とされている。

経費節減のためなのか、多忙のためにそうせざるを得なかったのかで、全く見方が分かれてしまうだろう。

ただ、思い出したのは私のある教師のことだ。

私はとある寮のある高校に勤務して、その寮の夜の宿直の勤務をしていた。

たいがいは二人で行うのだが、その時には私より少し年上の先輩男性教師と宿直をしていた。

その人は奥さんも教師で共稼ぎあったが、朝早く一度自宅に帰って子どもの弁当を作っていたがその日の朝も帰って行った。

二人で高校教師として働いているので経済的には全く問題はない。

別の高校勤務の奥さんには宿直はないので、弁当も作れるはずだ。

どうも、夫婦間の問題でそういうことを行っていたようだ。

この場合は勤務の持ち場を離れて、自宅に帰ったわけだが、もし、交通事故でも起こしていたら重大事になっていただろう。

宿直勤務はその人にとっては大きなリスクを伴う勤務でもあった。

別の教師は奥さんが病気がちなのを理由に宿直を免除してもらっていたが、子どもの弁当で免除してもらうことはできなかっただろう。


早朝に学校に来るケースは中学校や高校ではクラブ指導や、朝の補習で珍しくは無い。

また、朝の渋滞を避けるために早く学校に来るケースもあった。

家庭科教室など特別教室や準備室を私的に利用することもそう珍しくは無かったし、以前は校内で生徒とバーベキューをすることも有った。

文化祭などでは屋台を出すために同じようなことをするので、あまり問題に思わなかったように思う。

また、教室を宿泊するように畳などを敷いて、夏休みに合宿したこともある。

校務員さんの部屋は畳が敷いてあって横になれるので、そこで昼寝をさせてもらっている教師もいた。

また、寮の宿直は手当が付くので、若い独身教師は魅力であって、他の教師から頼まれて宿直を多くして、その手当が通常の給料を上回ることもあった。

しかし、それはさすがに途中から止められたようだったが、それまでは、ほぼ寮生と同じような生活をしていたことになる。

そして、定時制の教師は若い人が多かったので、勤務時間を超えてみんな一緒に明け方まで学校で過ごしていたことも聞いたこともある。

当時の定時制の教師はそういう勤務で、多発する生徒の問題行動に対処していたようだった。

今回の音楽担当教諭が学校を自宅代わりにしていたとしても、そう不思議には思えない。

後日のネットニュースで熱心な先生だったと書かれてあって、多忙でそうせざるを得なかったと確信した。


問題なのは、そういう行為は必ず他の教師も知っているわけで、管理職の耳にも入ったはずだ。

知っていて敢えて目をつぶったのか? 本当に知らなかったのか?

音楽教師は入学式、卒業式での大切な学校行事ではピアノでの号令など大切な役割を担当する。

他に音楽会やクラブ担当でも責任ある役割が多いだろう。

学校を中心にして生活する熱心な先生に対して、その行き過ぎた行為を周りからも止められなかったように思えてならない。

確かに音楽教師が重大な過失をしたことには間違いないが、そういようにならないように周りや管理職が配慮していなかったことも問題だろう。

事故や事件が起こってしまったら、起こした本人だけに責任を押しつけて組織としての問題点を隠してしまったら、同じ事の繰り返しになる。

特に校長は音楽教師をかばうでもなく、責任を全部押しつけようとする態度がテレビニュースの画面から伝わってきて、正直憤りを感じていた。


因みに教師の懲戒免職はそう珍しくない。

私が勤めていた学校でも、不正経理や生徒への性的行動で懲戒免職になった人を複数知っている。

特に不正経理の方は、よく知っている教師だったが、余分な仕事を多く引き受ける代わりに、その代償としてちょっとした金をごまかしたように自分には思えた。

懲戒免職にならなくても、自主的に退職せざるを得なかったケースはもっと多く知っている。

また、過労が原因で病気になって現役で亡くなる先生も珍しくなかった。

その一方で、途中で公立から私学に変わったり、転職したりする人も少なからずあった。

また、近年は教師への志望者も減っているし、採用しても続かないということを聞いた。

私と同じ歳の人がまだ特別支援学校に常勤で働いているので理由を聞くと、若い先生に任せておられないという。

人気を失い教師の質の低下を招いていることを危惧せざるを得ない。

教師だけがそういう組織にしたのではなく、政府の教育政策もそういう組織を生み出した責任者だと私は思っている。









2026年7月6日月曜日

やはり芋より米飯

 映画「ひまわり」の中で、ソフィアローレンが皮ごと茹でたジャガイモをむいて食べるシーンがあった。

そういう食べ方をしたことが無かったので新鮮に感じて、何度か自分も同じようにして食べてみたのだが、それが長く続くことが無い。

今年も比較的多くのジャガイモが家でとれたので、早速まるごと蒸かして食べてはみたが、やはり続かなかった。

大学時代に友達からアメリカに留学したときにホームステイして、毎日そういう丸ごとのジャガイモが出されてうんざりしたことは聞いていた。

子どもの頃からそういうジャガイモの食べ方をしていたら、日本人が米を毎日食べるように食べられるのかとも思う。

奄美などでも今のように米が行き渡る前は、サツマイモが主食だった。

20年ほど前に奄美の与路島に行った時に、民宿の年配のご主人が夕食時に米飯は食べずにサツマイモを食べているのをみて、その習慣がまだ活きていることを感じた。

私もサツマイモは蒸かしてよく食べるが、酒のつまみとか小腹が空いた時に食べるのであって、天ぷらなどのおかず以外に米飯代わりには食べない。


うちの母は戦時中にサツマイモやカボチャをよく食べさせられていたので、あまり好きでは無いと言っていた。

お米が無い時にはそれを食べるしか無いのだが、米飯の魅力を超えるものでは無い。

米飯の魅力に対抗でできるものは麺類やパン、豚まんくらいだろうと思う。

しかし、米飯なら三食食べられるが、それらを三食とも食べようとは思わない。

米価の高騰に対抗するために一日一膳として、米飯は朝食だけにしてきて、昼食は麺類が多く、夕食は晩酌をするのでなるべく豚まんなどで済ますようにしている。

世間も私のような米離れが進んできたようで、ようやく米価も下がり始めた。

しかし、これを単に喜んではいられない。

米農家は大規模以外では利益を上げるのが難しいのに、これから採算割れして離農していくだろう。

原因の多くは米農家にあるのでは無くて、政府とJA、米取引業者にあることは確かだろう。

しかし、日本の果樹農家が美味しさで力をつけたように、安全で美味しくしたブランド米を作る努力をしていない原因もあるだろう。

また、逆に徹底的にコスト削減によって安くした米を作る努力もあまりなされていないよう思う。

従来の機械を多用するやり方を変えるには、直播きなどの農法の転換や、共同したり委託しての大規模化が必要だろう。


その一方で、水田は地域の経済だけで無く、環境を担うものである。

近所でも水田ダムという幟を立てて、水田の持つ貯水力を訴えているところもあるが、気温の上昇を抑えたり、豊かな生物の生息地になっている。

近年では農業体験やボラッティアも増えてきたと思うが、米をお金代わりにして雇ったり、お礼にしても良いと思う。

農村地帯も自分たちが草刈りや溝掃除をしてできたお米を実際に食べることで、その奉仕作業の実感を得ることができるだろう。

歴史的に日本は貨幣から米に転換したことがある。

食糧の確保と環境保全から現物の米をもっと利用すべきだろう。

昔のように地域の石高のような数値で示すのも面白いかもしれない。

因みに東京都の生産高は約3000石で、消費高は530万石という計算になる。

江戸時代は全国総石高3000万石で江戸人口が100万人で幕府が天領に400万石持っていたのと現在を比較してみるのも面白い。




2026年7月3日金曜日

生けるもの同士の命を支えつなぐ匂い

 ビル・S・ハンソン著  『匂いが命を決める―ヒト・昆虫・動植物を誘う嗅覚』 (2023 亜紀書房 2021 DIE NASE VORN Eine Reise in die Welt des Geruchssinns)は、匂いがいかに大切なものか教えてくれる。

著者は次のように訴える


間違いなく言えるのは、わたしたちの嗅覚はけっして取るに足らないものではないということだ。嗅覚は激しい感情を呼び覚まし、記憶を喚起し、病気の診断を助けさえする。匂いを嗅げるからこそ、人は人生や愛の生活を存分に楽しめる[前掲書:77]。


実は父が晩年にアルツハイマー型認知症になり、幻嗅に悩まされたり匂いを失ったりしてしまった。

そのことで父は人と会うことを嫌がったり、食事をすることの楽しみを失ってしまっていた。

誰でも風邪を引いたりすると、匂いを感じなくなった経験があると思うので、いかに食事には匂いが大切かを知っていると思う。

近年ではコロナウィリスに感染して発症して、後遺症として匂いを失ったままでいる人もいるという。

これは生活の楽しみを失うということで深刻な事態だと思う。


匂いは人の感情と深く関係していて、母子関係について次のように述べられている。


いくつかの研究が、赤ん坊は、母乳をあたえられているときに母親の匂いの特徴を学習し、やがてその匂いだけで母親を識別できるようになると結論づけている。母親もまた、自分の赤ん坊をその特別な匂いによって識別している。母親の匂いは赤ん坊にとって非常に大きな意味をもっており、その匂いだけでぐずっている赤ん坊をなだめることができ―そのときお腹が空いていれば乳を飲むよううながすことができる。[前掲書:77]


このことから授乳は免疫や栄養面だけの問題では無くて、母子の愛情を深める重要なことであることがわかる。

たとえ、母乳が出なくても肌と肌の触れ合いで匂いを確かめ合う必要があることが分かる。

以前に特別支援学校で重い自閉症の児童を担当した時に、その生育歴に関して母親が育児を拒んでいたことを思い出した。

これは母子関係だけで無く、父子関係にも重要であり、次のように書かれている。


この研究からわかったのは、一般に男性のほうが幼児と新生児をうまく識別する能力をもっているということだった。男性に、乳幼児の匂いを形容してほしいと言うと、彼らは「ほっとする」とか「落ち着く」、そして「甘い」匂いだと表現する。どれも肯定的な表現で、総じて匂いがもっていると考えられる心を鎮める効果を示す言葉だ[前掲書:57-58]。


私の知り合いに赤ん坊の匂いが好きだから、多くの子どもを奥さんに産んでもらったと言っていた人がいる。

そのことを聞いた時は変わった人だと思ったが、考えてみれば我が子を抱いて安らいだ気持ちになったのはその匂いにも大きな理由があったようだ。

それは次のことが理由だと思われる。


モネル化学感覚研究所のヨーアン・ルンドストレームによると、赤ん坊の頭の匂いは、母親の脳内に報酬回路を作り出す(子どもをもたない女性はその限りではない)。赤ん坊の頭の匂いは、空腹な人が美味しそうな料理を見たときに経験するのとよく似た生理的反応を引き起こす[前掲書:54]。


母親だけで無く匂いに敏感な父親にもそれがあてはまるようだ。


私が村落調査で通った奄美諸島与路島では「乳親(ティオヤ)」という習慣がかつてあった。

それは屋崎氏の報告(屋崎 一 2002   『与路島誌』 (自家版))に詳しく書かれており

 授乳は、予め親戚や隣人等を頼んでおき、生まれたらすぐ駆けつけて来て乳を与え、母乳の出るまで続けた。これを乳親(ティオヤ)と称しその子が大きくなっても親子のように双方とも愛情が生まれ交流を深めていたという。[前掲書:345]


赤ん坊に与える母乳は母親から乳が出るまでの単に栄養だけの問題では無く、子どもの性格や将来にも関わるとしたようだ。

そして、実の親以外にも深い関わりをもち続けることは、現代社会で失われてしまった子育ての意味を考え直させられる。

おそらく、母乳をもらった子どもは、その時に感じた味と匂いを深く心の中に刻み続けているのだろうと思う。

そして、母乳を与えた人だけで無く、その赤ん坊と関わった人がその時の赤ん坊の匂いを同じように心に刻み続けているのだと思う。

私自身、自分の息子や娘を抱いていた時の記憶はその匂いとともに鮮明に憶えている。

赤ん坊の匂いが好きで子どもを多くもうけたのと同じように、祖父母が孫と接したいのは昔の感情を呼び戻したいからだと思う。


最近は子や孫の代わりに犬や猫を飼う人が増えたが、私は子犬の匂いが大好きでいつも子どもの頃は抱いて嗅いでいた。

特にお腹のあたりは、暖かくて良い匂いがした。

近所で仔犬などをもらってくると夜泣きするので、母犬の匂いのした布などをもらってきて仔犬に与えたりすると治まったりした。

匂いは犬も人も大切なもので、小型犬をずっと抱いている人は、ひょっとしたら互いに匂いを感じ合っているのかとも思う。

私の子どもの頃は自分の弟と親密に接することはあったが、よその赤ん坊と接する機会はなかったし、大人になっても我が子以外には殆ど無い。

その代わり子どもの頃は雑種の子犬や猫が捨てられていたりして街で接する機会も多かった。

また、ひよこが学校近くで売ったり、祭りで売るテキ屋がいて、それを買ってくることも多かったがそのひよこの匂いも好きだった。

時にツバメや雀の子も拾ってきたりしたのだが、これらの動物の子ども匂いをよく今でもよく憶えている。

動物の子どもには独特の匂いがあって、決して不快には思わない。

オオカミが人間の赤ん坊を食べずに育てたのも、ひょっとして生きものの赤ん坊が放つ独特な匂いのお陰かもしれない。

ただ、虫の幼虫はアゲハチョウなどのように臭くて触る気がしなかったのは、食べられるのを防ぐためだろう。

こう考えると作られた人工的な香りが満ちあふれて、同じ生きものの持つ大切な匂いが失われることは、全ての生き物の命を失うことに通じるのかもしれない。

自然の中でつながって生きていく感覚こそ匂いなのだと思う。








2026年7月1日水曜日

草刈り恐竜クサノザウルスの進化と今後の期待

 前々から欲しくて検討していた自動走行の草刈り機を購入することにした。

「PLOW クサノザウルス 草刈り機 WGC530プラス HONDAエンジン搭載」を通販で予約購入してしばらくして配達されてきて組み立てた。

この草刈り恐竜は、今までの草刈りの常識を一変させてしまった。

とにかく、速い、しかも刈り丈がそろって綺麗に刈れる。

今までの肩掛けや背負いの草刈り機の進む速さとは格段に違うので、一番遅くして今回は刈ったが、慣れてきたらスピードを上げることができるだろう。


ただ、使用には気をつけねばならない点もそれなりにある。

まず、エンジン始動と停止に始動バーを必ず用い、本体を動かす走行バーとは別についている。

自動チョーク式で便利だが、始動バーを握ってないとエンジンはかからないくて、片手だけで行うヒモを引っ張る始動グリップは少し力が要る。

このエンジンを止めないために始動バーはずっと握り続けていなくてはならない点は、これまでの管理機などの機械と大きく違う。

これは急停止させるのには便利なのだが、方向転換をする時にはじめはうっかりと始動バーを離してしまって停止させてしまっていた。

今まで30分ほどかかっていた広さを数分ほどで刈ってしまう。

ただ、溝端や急斜面、狭い畝などでは使えないので、肩掛けの充電草刈り機でやるしかない。

気をつけておかねばならないのは、この草刈り機は平地を想定しており、斜面では使わないようにと注意がある。

ネットで買う前の質問では大丈夫と答えられていたので安心していたのだが、斜度20度を超えたところでは使えないのを後で説明書で知った。

この時は緩い法面で短時間使ったのだが、これからは気をつけないと、エンジンオイルの関係でエンジンが焼け付いてしまうそうだ。

ここが従来の値段の高い自走式草刈り機と大きく違うところで、田んぼの急な角度の畝刈には使うことができないようだ。

とにかく、私が使おうとしているのは平地が中心なので、幸いにもそのことは大きな問題にはならない。


私はなるべく自然農法に近づけようとしているので、まずは除草剤は農地や自宅では厳禁としている。

しかし、空き家となった赤穂の実家では、近所迷惑も考えて駐車場や、庭の一部で除草剤を用いている。

理由は、小石の砂利を敷いているので、草刈り機での作業は難しいことと、庭に生えたイタドリは何度刈っても繁茂するからである。

一番厄介なのは、赤穂の実家の畑で、こちらの畑に手を取られて手が回らなくて、セイタカアワダチソウが蔓延ってしまっている。

こちらは、背負いのエンジン草刈り機で先日刈り倒してきたが、疲れてへとへとになった。

今回、10万円近くの高い費用を費やして、クサノザウルスを購入したのは、その赤穂の畑での負担を減らすためだった。

こちらの畑は農地用の除草剤を使う事も考えたが、防草シートを敷くことにしてネットで注文して買っておいた。

しかし、このところの食料品の値上がりを受けて、来年から作物を作って活用することに変更した。

考えているのはあまり手がかからないもので、夏場はモリンガや、サツマイモ、カボチャ、冬場は麦類、ジャガイモである。

とにかく、まともに作物が作れるように除草しなくてはいけないが、普通の草刈り機では労力もかなりいるし、刈った後の草の始末が大変だ。

昔のように燃やすわけに行かないし、埋めてしまうのも大仕事になる。

その点でいえば草を粉砕してくれるクサノザウルスは優れものである。


村でも自動走行の草刈り機を持っていて使っている人もいる。

しかし、田んぼの畦の一部に使うだけで、村作業には持ってこない。

理由は簡単で燃費が悪いし、村から支給されるのはガソリンの混合油なのでその機械には使えないのだ。

クラッチ操作を誤ると故障をしたりするのでメンテナンスも大変だという。

何よりも価格がクサノザウルスの二倍ほどしていて、耐久性もそうなくて、今使っている機械は3台目だという。

そのことを聞いていたので、クサノザウルスの評判をネットで見聞きして、迷わず購入を決めた。

しばらく使ってみて燃費がそれほど悪くないのなら、村作業にも平地に限って使おうかと思っている。

村の多くの人が使うようになれば、もっと草刈り作業は楽になると思う。


自然農法を志す者としては、ガソリンエンジンを用いるのは心苦しいのだが、酷暑の中で自分の身体を守るためである。

マキタの充電式の農機具も40Vまでパワーアップしてきており、いずれ自動走行の大型の機械も電動化されると思う。

今出回っているエンジン式の大型リモコン草刈り機は、価格が高すぎて一般の家では手が出ない。

これからはガソリンを食うクサノザウルスから進化して、電気で動く手軽な草刈りドローンがいずれ誕生してくれるのを心待ちにしている。