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2026年2月21日土曜日

Ei(知性化電力)革命による国民解放

 飯田哲也氏の『Ei革命―エネルギー知性学への進化と日本の針路』集英社インターナショナル(2026)[飯田2026]を通読した。

現在世界で起こりつつある「文明史的エネルギー大転換」*1について、分かり易く書いてくれているのがこの書籍である。

是非、手に取って読んで日本の置かれている危機的な状況を知ってほしいと思う。

ネットで著者を調べたら、どこかで見たことがあると思ったが、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」でよく見ていた顔だったのだ。

プロフィールを読むと、私と同じ年齢であり親しみを感じたが、その経歴の華々しさの反面、現実に国民の心を掴むことができるのかと不安にも思った。

確かに日本のこれからの危うさや、それへの対処法はしっかりと書いてくれている。

しかし、今回の高市総理の奇襲選挙の大勝利からも分かるように、国民は深く考える余裕や、その環境に置かれていない。

私はこの本を読むのに1日多くの時間を割いてしっかりとノートしながら、1週間はかかった。

例えば、以前高校教師をしていた頃の私は、それだけの時間をかけることができなかったと思う。

書籍を通してしっかりと内容を理解して、市民運動にまで発展していくのはなかなか困難なように感じた。


読んでみてまず思い浮かんだのは、私が研究を続けている奄美諸島の与路島のことだ。

なぜかというと、ここでは私が村落調査していた1980年代は、島に小さな火力発電所があった。

しょっちゅう停電を起こしていたが、シマの若者は集まって飲んでいる時に停電すると懐中電気を持ち出して、蛍光灯を照らして楽しんでいた。

それはディスコのチークタイムをイメージさせるつもりだった。

しかし、停電はシマの人にとっては遅れている暮らしとして恥ずかしいことでもあった。

2008年に訪れたときには既に九州電力からの海底電気ケーブルが引かれていて、もうそういう停電は無かった。

それと同時にそこで働いていた雇用も失われて、そこで働いていた懇意の知人も訪れたときには単身赴任でシマにはいなかった。

シマの人にとって本当に少ない島での雇用を失ってしまったのだった。

発電所と地域の雇用は密接な関係にあって、私の故郷の赤穂市も火力発電所を誘致したが、現在は稼働していないところが似ている。

太陽光など再生エネルギーの発電施設を地域独自で担うことになれば、雇用も生まれる可能性も出てくると期待できる。


とにかく、国鉄、郵便局などの民営化の時以上に深刻なのはこの雇用問題だけでなくアメリカの核エネルギー政策と連なる原子力発電所問題だろう。

福島原発事故を含む原子力発電所の問題は、単に補償問題に留まらずアメリカへの従属関係の根幹に触れるもので単なる廃止だけでは済まされない。

国に政策を変更させるよりも、国民自らが原子力発電を必要としない暮らしをまずしなければならないと思う。

われわれ一般市民が現実として実際にできることは、自ら身を削った生活スタイルの変更だろう。

与路島に関して言えば、私は昔ながらの生活を研究しているので、電気や水道、ガスの無かった頃のことも古老から聞いて知っている。

与路島では煮炊きに使う薪は調査当時でも風呂を沸かすのに使う人も多かったし、村の水道はあっても自分で山の水源から水道管を家まで通している人もいた。

大勝川という集落の大切な川の上流のウブツいわれて、かつては立ち入り禁止の聖域が守られていて、水資源の確保として大切なことを理解していた。

しかし、2008年に訪ねていったときには貯水ダムが建設されていた。

1980年代頃は既に家電製品は行き渡っていたが、せっかく持っている冷蔵庫に電気を通していないご老人もいた。

テレビも受信できていたがが、シマ育ちのご老人には標準語がよく理解できない人もいて、つけているだけの場合もあった。

当時は、村のインフラだけに浸り切った生活ではなくそれが魅力でもあった。

そして、今でも自然豊かな場所だからこそ、これからは再生可能エネルギーを用いて、シマ独自の発展が期待できるはずだ。

猛暑も厳冬もない亜熱帯の海洋性気候は生活するのに適しているので、再生可能エネルギーを十分活用できれば豊かに暮らせるだろう。

かつて、明治維新での島津藩の財源を築いた黒糖に匹敵する特産品を産出して欲しいと思っている。

食品だけで無くバイオエタノールやグリーン水素などの移出も可能ではないかと思う。


本来は日本本土でも当時の奄美に似たような生活が普通だったのだ。

問題なのは開発が進んで当たり前に公共のインフラに浸りきっていることに疑問を感じていないことだ。

電力不足の危機を煽られたら、火力も原子力も否定できなくなる。

インフラに依存する国民につけ込んで、既得権益を持っている人たちが横暴に政策を進めていてもそれに対する疑問さえわかない。

電力を自給自足に近い形まで太陽光と蓄電池を組み合わせて生活できるようになっていることをまず自覚せねばならないだろう。


かつて人類はホモ・エレクトスの時代から火を用いて生きてきたと考えられている。

ホモ・サピエンスは有効に火を用いて居住域を広げていったが、燃料となる薪や動植物油も自分で手に入れていた。

文明が生じて町で暮らす人は近隣から持ち込まれる薪炭などの燃料で暮らしていたのであり、近代のように化石燃料はほとんど使われていなかった。

化石燃料だけでなく核燃料まで使い始めて、環境破壊や戦争で自ら自身を滅亡させかけている。

太平洋戦争に日本が突入していった大きな原因も石油だった。

そして広島・長崎市民の大虐殺に用いられたのが原子爆弾だった。

現在の中東や東欧で戦争や紛争が絶えない原因に、化石燃料が絡んでいる。

原子力発電所の事故は世界を震撼させたし、ウクライナ戦争においては破壊される危険性は核爆弾と同じ意味を持つことを思い知った。

今こそ人類が歩んできた原点に立ち返る時である。

それまでは太陽エネルギーなどの再生可能エネルギーは間接的にしか手に入れられなかったが、科学技術のお陰で直接電気エネルギーに変えることができる。

これは単に損得だけの問題では無く、自分たちの子や孫への責任問題だ。


飯田氏は再生可能エネルギーによる住民の運動に期待して次のように訴えている。


コミュニティパワーは、単なるエネルギー供給の手段ではない。それは、トップダウンの補助金事業が露呈した脆弱性を乗り越え、持続可能な経済と社会を再構築するための「内発的発展」のエンジンそのものである。人口減少や高齢化といった深刻な課題に直面する日本の地方にとって、これまで一方的に外部へ流出していたエネルギー費用という「コスト」を、地域に遍在する再生可能エネルギーという「資産」に転換することは、未来を切り拓くための最大の戦略となりうる[飯田2026:232]


われわれ農村地域に住む者にとって、食糧問題とエネルギー問題は自らの手で解決し、迫り来る危機的状況を回避すべき課題だ。

行政をすぐにでも動かすにこしたことはないが、自分たちができることから始めるしかない。

それは、救いようのない既得権益を守る政策を行う権力者から、国民自ら解放する運動ともなるように思える。

我々のように資金力が乏しい者でも、損得を度外視して取り組む必要も感じている。

飯田氏が日本の切り札という営農型太陽光発電をフレキシブルに活用できないかを考えてみようと思っている。

すでに草刈り機、チェーンソーなどの工具は充電式に換えてあるので、その電源として活用したりできるだろう。

電気自動車も考えてはいるが、知り合いにトラブルをよく聞かされているので、現在はハイブリッド車がせいぜいかなとは思っている。

重要なのは理想だけではなく、暮らしに無理がない改善から地道に行っていくことだと思う。



*1 エネルギーの基軸が「化石燃料から情報へ」と移り、資源の源泉も、地理と輸送の制約に縛られた「地図」の秩序から、世界中に遍在する太陽エネルギーを基調とするシン・オール電化の豊かさへと反転する。さらにエネルギーの生産と消費のあり方も、トップダウンの供給中心からコミュニティパワーの「協働」へ、受け身の消費であった需要は一人ひとりの「選択と参加」へと役割を変える[飯田2026:13-14]。





2026年2月17日火曜日

抗議活動としての一日一膳

 私は昨年の5月頃から原則一日一膳を続けている。

つまり、家族でも私だけは玄米や白米のご飯は三食のうちに一食だけにしているのだ。

それは高い米への対策と抗議を込めている。

このところ、米に代わる重要な食糧はサツマイモである。

これは昨年の秋に収穫したものを、新聞紙に包んだあと段ボールに入れて保存していたものである。

シャトルシェフを使って、生ピーナッツやムカゴ、銀杏などと一緒に自分で蒸している。

甘みを出すには焼いた方が良いのだが、普段食事として食べるのはあまり甘くない方が良い。

奄美では主食として食べるのはあまり甘くないのを茹でて食べていたようだ。

食事をするこたつの上の天板にふかしたサツマイモを置いておいて、小腹がすいたときや、晩酌の時に食べたりしている。

それでも水泳などをした後の夕食は物足りないので、ラーメンやおにぎりを家内に頼んでしまうので完璧とは行かない。


ネットでも米に代えて安いサツマイモを食べているという書き込みもあったが、ぜひそれが多くの人に広がって欲しいと思う。

サツマイモとジャガイモを代用すれば一年中で米の消費を減らすことができるだろう。

この二つの作物は肥料があまり要らない上に、家庭でも簡単に作ることができる。

最近は庭がなくても陽の当たるところがあれば、ビニール袋などに入れて栽培する方法も周知されている。

政府とJAが結託して米価を下げないことへの抗議であり、米作りの大規模化への後押しだと思っている。

大規模農家は小規模の農家から水田を借りてその代わり小作料をしっかり払う。

小規模農家は小作料を用水路や農道管理費だと思って、村作業を行えば良いと思う。

そうすれば農村も生き残れて、安価で輸出できる米も生産できるだろう。


高市内閣はしばらく続きそうなので、その間ずっと米価は高止まりだろう。

いくら消費税をなくしても円安と米高で生活は苦しいままになる。

この一日一膳の活動は死ぬまで続いてしまうかもしれないが、それが却って健康維持にもなるだろうとも思う。

芋と野菜をなるべく自分で作って、山野河海から自然の恵みを頂き、足らない物はスーパーや直売所などで安く買うのがいいだろう。

それが本来の田舎での暮らし方のような気がする。

2026年2月15日日曜日

糖尿病やリュウマチの健康不安

 私は教員として管理職を望めないと思った理由は健康問題である。

教師で現役時代に3回の入院をしており、その1回では糖尿病で医者から「あんた 死ぬで」と言われたこともあった。

全てが仕事によるものとは言わないが、仕事におけるストレスが全てに絡んでいたことは確かだろう。

退職してからも前立腺の調子が悪かったり、大学院生以来の十二指腸潰瘍を再発させたが、研究に打ち込むあまりの結果だった。

そちらは通院による対処で治まり入院するほどにはならなかった。

今、一番心がけているもは健康管理であり、やりたいことよりもそちらを優先して

研究もほどほどにしている。

だから、朝の散歩と夕方の水泳やジョギングを平日は欠かさないようにしている。


今はかなり改善されたと思うが、私が現役の頃は一般教師や管理職が現役で亡くなるケースが多かった。

また、教師以外でも知り合いに60歳前後で亡くなる人が多かったが、その多くは膵臓がんだった。

私は糖尿病なので膵臓がんのリスクが高いのを知っているから、いつも食事などにも気を遣っている。

しかし、精神的に追い詰められると、自分の健康を考えることができなくなる。

責任ある地位に就くということは、自分のことよりも任された職務を優先するということだ。

当時の学校では管理職、特に教頭が亡くなったり、長期病気療養だったりしていたが、よく知っている人は県立と私立の校長を務めて退職後すぐに亡くなった。

そのほか私の小学校の恩師で特別支援学校の校長を務めた人も、退職後数年で亡くなってしまい、奥さんが悲しんでいたのを思い出す。

人によっては命を賭しても、責任ある仕事を全うしたいと思うかもしれないが、私には仕事以外にやりたいこともあってそんな気にはなれなかった。


読売テレビ高岡達之特別解説委員が14日、日本テレビ系「サタデーLIVEニュース ジグザグ」(土曜前11・55)に生出演して高市総理の健康について述べたようだ。

現在は良い薬があるとはいえ、リュウマチの怖さは身近なところでよく知っている。

ネットで調べれば、私が煩っている糖尿病もリューマチも一般の人よりも平均余命が10年近く短いようだ。

普通の学校の管理職を躊躇うことに比べれば、総理大臣になる覚悟ははるかに強靱な精神力か、医学への過信としか思えない。

これだけ衆議院選挙で大勝して、国民から白紙の委任状をもらったに等しい高市総理は自分の健康を第一に考えることはできないだろう。

戦術的にNHK日曜討論を欠席したとしても、高岡解説委員が言ってたというように、政治家の健康不安は大きな懸念材料だ。

トランプ大統領の手のあざでさえ、大きなニュースになるくらいなのに、手が腫れ上がってテレビに出られないことは本来は重大関心事と考えて良いのだろう。

もし、途中で病に倒れることとなって、職務を全うできない状態になったら、今回の大勝利が大きな災いとなってしまうかもしれない。

「人間万事が塞翁が馬」として、不測の事態に備えていく必要があるのだろう。

そして、高市総理には「働いて 働いて 働いて」は撤回して、あえて「健康第一」を標榜してもらいたい。


2026年2月13日金曜日

大衆の心を掴む努力

 私はこのblogger以外にもブログをnoteに投稿している。

そちらの方はプロフィールにはプライバシーに関わることは伏せて、ペンネームで投稿している。

実は、日本でのアクセス数はそちらの方が多い。

こちらのbloggerの方は、月間総数が多くても海外のアクセス数がけっこう多いので、そうなるのだ。

noteの方は、収入は全く期待できないが、「スキ」という反応が返ってくるので励みになる。

内容はどの世代の人にも分かり易くして、引用する場合にも出典は無理にしてつけていない。

bloggerの方は実名で書いているので、出所はきちっとしているつもりだ。

その分、硬い文章になってしまって親しみが持てないのかもしれない。

若い人は意外と農業や健康食品に関心も持っていて、その話題へのアクセスが多い。

若者だけで無く意外と年配の人も読んでいるようで、歴史や政治に関わることも気楽に読めるように心がけている。


今回の高市総理の大勝利は、そういう一般大衆の気持ちもしっかり掴んだ成果だろう。

書籍をしっかり読んだり、難しい新聞雑誌を購読したり、テレビの報道番組や特集をしっかり見ないのは、若者だけで無く一般に広まっているようだ。

いわゆるオールドメディアとかマスゴミといわれる報道媒体からSNSへの転換であり、今頃になって中道の幹部が敗戦の弁を語っているのが不思議なくらいだ。

東京都知事選、兵庫県知事選で思い知らされていたはずなのに、切り替えができなかったことが大敗北の原因だろう。

ただし、SNSで勝利を収めたトランプ大統領が世界を混乱に陥れているように、いずれ高市総理も日本を混乱に陥れる可能性がある。

すでに食糧問題やエネルギー問題、自動車産業問題などでは、日本の政官財の失敗が専門家の間で書籍などできちっと著されている。

企業献金での資金力でSNSを効果的に使った自民党は、既成の企業を改革する力などないので、ガラパゴス化した業界は世界から取り残されることが述べられている。

哀しいかな大衆には伝わっていかないし、目先のことしか考えられない政策をあえて自民党がしているのだ。

政局に明け暮れる国会議員はちゃんと研究もできないので、大企業と企んだ官僚の言いなりにならざるを得ない。

私もかつては研究者を志したのでしっかりとした論文を書きたいという気持ちがあるが、今必要とされるのは、一般大衆の心を掴むメッセージだと思う。

有識者の主戦場は学会・研究機関だったり、専門会議かもしれないが、「学術栄えて民が滅ぶ」状態になったら江戸時代の御用学者と同様になるだろう。

国民を踏み台にした官僚主体の政策を止める力を持てるのは有識者だけだと思う。

今こそ、有識者の存在価値が試されているときなのだ。



2026年2月11日水曜日

身近に感じ続ける戦争

 私の幼い頃は、アニメの戦争ものもあって、零戦や戦艦大和に憧れることもあったが、その一方で悲惨さが描かれていた漫画やドラマも多かった。

漫画で一番憶えていて忘れられないのは、飢えた兵士が自分の尻の肉を切って仲間と一緒に食べる場面だった。

「同期の桜」という特攻隊員を描いたテレビドラマでも、見た後しばらく眠られない残酷なシーンも多くあった。

また、沖縄戦を描いた「慟哭」は、昼間のドラマだったが、悲惨な場面がけっこう出てきて、胸を痛めることが多かった。

教師時代でも高校生に見せ続けていたのは「黒い雨」や「プライベートライアン」だった。

ところが、その頃の生徒が喜んでみていた映画は、「永遠の0」だった。

当時の生徒にも特攻隊員に憧れる生徒もいたことは確かだった。


そういう画像や漫画、映像よりももっと戦争を感じさせたのは、手や足を失った傷痍軍人が、赤穂では義士祭に必ず門の傍に立って軍歌「戦友」を演奏していたことだ。

3人ほど元兵士らしき人が白い着物を上にまとい、軍帽を頭に被っていた。

一人がアコーデオンを奏で、足を失った人は前に箱を置いて四つん這いになり、物乞いをしていた。

この人たちには国からの補償があっただろうが、身体が不自由で仕事がまともにできなかったかもしれない。

当時は、まだ街には物乞いをする人もいたし、「乞食と政治家は3日やると辞められない」という言葉もあった。

ただ、今好意的に考えれば、お金が欲しいのでは無くて、反戦運動だったようにも思える。

いくらお金で補償されても、失った身体と心は戻ってこない。

失った戦友は戻ってこないと言うことを、あえて惨めな格好で訴えていたようにも思える。

そこには兵士の勇ましさや格好良さなど全く無くて、戦争という現実を突きつけられていた。


今後、もし台湾有事で自衛隊を派遣するなら、いろんな可能性を国民に問いかけて欲しい。

万が一、中国が核を使用したときに、アメリカから核を供与してもらって反撃するのか?

本当にアメリカは核を供与してくれるのか?

通常兵器で日本国内を攻撃されたときに、どういう風に対応するのか?

軍法会議なしで本当に参戦するのか?

そういう、具体的な問題をきちっと説明してから、派遣に踏み切って欲しいと思う。

私は断固派遣には反対だが、国民は衆議院選挙で高市総理に全面委任したので可能性が高くなったのだから、前もって考えねばならないだろう。

今回の選挙結果は国民に重い課題を突きつけたと思える。


2026年2月10日火曜日

親米日王・高市総理

 トランプ大統領の応援とSNSを用いた選挙戦術で、衆議院選挙に大勝利した高市総理は現代版の卑弥呼と言うべきだろう。

卑弥呼は鬼道をもって衆を惑わしたというが、かつての占いや呪術は現代のマスメディア映像やSNSというべきかもしれない。

しっかりとした統計による結果が出ないと真偽は分からないが、高齢の女性の票が非常に多かったという。

自分たちの世代ではあり得なかった夢を果たした女性を、応援しなくてどうするということらしい。

テレビの報道での街頭インタビューでは、年齢にかかわらず高い総理に対して期待を寄せるシーンが多かったので、女性からの支持は大きかったと思われる。

逆に言えば、中道はそういう女性の心を掴むのに失敗したのであり、女性には女性の対抗馬として女性を党首にして戦うべきだったのだ。

よく言われる、女性の敵は女性であり、今回も一番批判的にネット上でものを言っているのは田中真紀子さんである。

中国では「雌鶏が時を告げると国が滅ぶ」といわれ、他の国でも女性が男性に先んじると家が滅んだりするということわざは多いらしい。

しかし、日本では卑弥呼のように平和をもたらすもたらす例もある。

親魏倭王の称号もらい、魏の王をバックにつけて力を誇示できたからだ。

高市総理もトランプ大統領の推薦を受け、アメリカをバックに力を誇示できる。

しばらくは、自民党の安定多数の時代が続くだろう。


これによって憲法改正の動きが加速され、中国に軍事的にも対抗できる国家を築くことができるかもしれない。

人類学者のエマニュエル・トッドは日本の核武装をずっと強く薦めている。

理由はつぎの通りである。


 いま日本でも一部で「核シェアリング」が議論されていると聞いていますが、ナンセンスです。「核の傘」という概念も無意味です。使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えない。ドイツのケースと同様に、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ない。核は「持たないか」「自前で持つか」以外に選択肢はないのです。*1


アメリカが日本の核武装を簡単に容認するとは思えないので、トランプ大統領にすがってせめて戦術核の開発くらいは認めてもらえるかもしれない。

悲しいことにウクライナ戦争を見れば、核の脅しは攻めるだけでなく、自国への攻撃を防ぐこともできる。

台湾有事に参戦すれば、中国からの核の脅しを受ける可能性があるのに、アメリカは核で守る力を現実には有していないのだ。

私はアメリカが原爆投下を戦争犯罪と認めない限り、日本も核武装することもやむ得ないと思っている。

理想は、核攻撃を戦争犯罪として禁止すべきなのだが、アメリカが絶対認めないだろう。

だから、トッドがいうように、国民を守るためには持っておくしかないのかもしれない。

それができるのはトランプお気に入りの高市総理だけなのかもしれない。


私は中国ともロシアとも関係を良くして、平和に共存すべきだと思っている。

しかし、高市総理がトランプ大統領配下に入った以上無理だろう。

ただ、今後中間選挙で共和党が敗れればどう情勢が変わるか分からない。

卑弥呼が死んだ後は、倭国が再び大乱となったように、高市総理が退任した後は日本は現在よりも酷い状態になってしまうかもしれない。

とにかく、今回の選挙は日本の女性の底力を世界に示したものであり、大敗した中道はそれを思い知ったと思う。

女性議員を軽んじた当然の成り行きだったのだろう。


*1 エマニュエル・トッド 2025 『西洋の敗北と日本の選択』 文藝春秋 p31




2026年2月9日月曜日

和製トランプの誕生と母校OB衆議院議員

 失われた30年の世代は現在30代後半から50代前半だという。

非正規雇用で結婚もできずに、辛い思いをした人の多い世代である。

一方でZ世代と言われる現代の若者はDIGITAL世代で、マスメディアに対しては一定の距離を持っていた。

この両方の世代が強い日本を求めたのが今回自民党が大勝した一因だろう。

製造業では中国やアジアの発展途上国に負かされていき、先端技術ではアメリカに後れをとっている。

エネルギー問題で躓き、その頼みとしていたロシアとの関係もアメリカによって断ち切られてしまった。

最近は物価高、米の高騰と閉塞感が漂う日本経済の中で強い日本を標榜する高市総理に託してみようという気持ちは分からなくも無い。

中間層が崩壊して二極化して、白人貧困層の熱烈な支持を得たトランプ大統領とほぼ同じであり、高市総理は和製トランプと言うべきなのだろう。

ただ、トランプ大統領も今年行われる中間選挙でどうなるか分からない。

仮に、中間選挙で共和党が大敗北を喫したら、大きく情勢は変わるだろう。

その時に、トランプ大統領を頼りにしていた高市総理はどうするのだろうか?


今回の兵庫県の小選挙区で私の出身高校淳心学院のOBが二人自民党から小選挙区立候補して当選した。

一人は、8区の青山繁晴氏、もう一人は12区の山口壯氏だ。

母校は一学年144名ほどの小規模高校で、通ってくる地域も広いので組織票の母体としてはあまり役に立たないので、個人の政治的手腕での勝利だと思う。

私は公務員であった関係から、いっさい政治活動とは無縁だった。

二人の動向は、山口さんは同じ選挙区なので身近に知っていたし、青山さんはテレビによく出ていたので知っていた。

今回の選挙で小選挙区兵庫県12人に二人も入っていることに考えさせられた。


淳心学院は中高一貫の学校なので、私が中学1年生の頃に山口さんは高校3年生だったと思う。

青山さんはそれよりも2歳上なので、重なることは無かった。

山口さんは相生出身だったので、同じ電車で通ったこともあったろうが、関わりは全くなかった。

ところが、当時は高校の上級生が新入生のオリエンテーションを行っていて、仁豊野の教会で合宿させられていた。

その時に生徒会を中心とした高校の上級生とふれあったりしたのだ。

当時はまだ学園紛争が続いていた時代で、普段の学生集会や淳心祭ではベトナム反戦運動の活動も行われていた。

母校に対しても受験を中心とした指導に不審を抱く先輩もいたようだった。

一番ショックだったのは、卒業式で校長の手から片手で卒業証を受け取るなり壇上で破り捨てた卒業生がいたことだ。

聞けば、他の卒業生も教室に戻ってから同じことをして、窓からばら撒いたとも聞いた。

卒業証を壇上で破り捨てた先輩は、その後在校生が全員いる朝礼で制服を焼き捨てたりもした。

ただ、その後自分の行為の過ちに気づき、学校に謝りに来たとも聞いた。

そういう世代に山口さんはいたと思う。


母校は大学進学に力を入れていたことは確かだが、生徒の主体性に任せた自由な校風であった。

政治に関しては政治経済を担当する衣笠先生が、当時の政治を授業で取り上げて批判していたが、ぼやくことが多かったので「ボヤッキー」と呼ばれていた。

学生運動が下火になっても、政治に関して関心を持ち続ける生徒が多かったのもそういう先生がいたからかもしれない。

ただ、私の世代は山口さんのように官僚を経験しながら政治に転じた同級生はいない。

東大から官僚になった者は何人かいるが、一人は警察庁に入ったりしていた。

私たちの世代は、どちらかというと医学部への進学者が多かった。

日本を政治で背負う理想より、高い収入を伴い、社会貢献もできる医学に魅力を感じていたのだろうと思う。

そういう意味で言えば、学生運動が行われていた世代の生き残りが国会議員になったのであって、もうそういう人材は母校から出てこないかもしれない。