朝(8/8)にスマホでNHKAMラジオの「マイあさ」を聴きながら犬の散歩をしていると、 “図太さ”を手に/伊達公子(テニスプレーヤー) の話が耳に入った。
そう言えば自分が大学院の修士時代に何が欠けていたかと言って、図太さであったと思い知らされた。
スポーツマンにしろ研究者にしろ「真の図太さ」がなければ一流には慣れないのだろうと思う。
私は大学院のひとりの教官から「君は修士だけのつもりでとったのだ」と言われても、「見返してやる」と修士論文に必死で取り組む図太さはあるにはあった。
しかし、教官の見立ては当たっていたのだろう、大した論文に仕上げることはできなかったのでやむなく去らざるを得なかった。
本当に研究を続けたかったなのなら、もう一年の残れたし、指導教官や先輩からそう勧められたのだから、図太く残って良い論文に仕上げ直せば良かったのだ。
要するに底の浅い図太さでは逆境になった時に、逃げたり潰れてしまうのだろう。
真の奥の深い図太さであったなら、最後まで挑み続けて、場合によっては見返すこともできた。
伊達さんはセルビアのジョコビッチ選手が戦時下でも干上がったプールで練習していたことを例に挙げていた。
ただ、ジョコビッチ選手は幼い頃から世界レベルのテニス選手から天才と褒められていたそうなので、真の実力と自信がその図太さを支えていたのだろう。
小学校の時には「神童」と言われたこともあったが、中学校で私立の淳心学院に入ると、本当の天才が同級生や先輩にいて自信を失っていった。
本当の天才の先輩は大した努力などせずに、遊びながら簡単に東大に合格していた。
なら、努力することをするべきだったのだが、私は好きなことを徹底的できるが、好きでもないことを我慢して行う能力に欠けていた。
せっかく文化人類学という好きな学問に出会えて徹底的に研究しようとしていたのだから、図太く続けていくべきだった。
結局、能力があるかどうかも大きいが、やりたいことに拘り続ける図太さが重要なのだと思う。
本来は努力をし続ける根気強さが一番大切なのだとは思う。
ただ、そういう真面目で根気強い人は自分の身体の健康を顧みずに努力し続けるので、命に関わる病気や難病を持っている人も多い。
それほど好きでもない仕事などをやらざるをえないとストレスが貯まって、自分を自分で壊してしまうことになる。
私が教師をしていて大病を患ったのも、その追い込まれた仕事によるストレスからであった。
今は、その持病とも付き合いながら、図太く生きようと心がけているが、もう一流にはなれそうにない。
本当は大学院の時に図太く研究を続けていればと悔やみだけが残り続けている・・・・・