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2026年9月23日水曜日

結婚できない男と女

 今から20年ほど前に「結婚できない男」というドラマが関西テレビで放映されたが、私はそのビデオをレンタルして何度も見返して楽しんだ。

主人公は結婚できるだけの経済力を持ちながら、あえて独身を楽しんでいるが、結果的には女性を好きになっていく物語だ。

私は教師をしていた時に周りに結婚できない・しない男女を数多く見てきた。

ある学校でこのドラマに出てくる女医と隣人のOL(みちる)の関係に似ている女性教師がいて、それを二人に言うと酷く怒られた。

女医に似ていたのは体育教師で、ラウンドクルーザーを乗り回す活動的な人で、おそらくその後も独身が続いたと思う。

みちるさんに似た方は、まもなく同じ職場の男性と恋仲になって結婚していった。


独身を続ける教師のタイプは男女ともに真面目で、異性との恋愛を経験が無かったようなタイプが多かった。

そういう人は受験指導やクラブに熱心に取り組んで、時間を持て余す風ではなかった。

実は私の家内もそのようなタイプだったが、事務職の仕事が臨時で不安定だったことと、家内の親が強引に見合いをさせていたことで私と出会った。

私は高校生から女性と付き合うことも多く、恋愛結婚も経験したが離婚した後は、やはり母親が強引に見合いを持ってきた。

私のように恋愛とか結婚を失敗した人の中には、それに懲りて独身を続ける人もいた。

当時の正教諭は地方においてはそこそこの定収入が得られるので、結婚相手としては申し分なかったが、近年ではブラックな仕事として人気を失ってしまっているようだ。

中には国立大学の大学院まで出て容貌も悪くなかった男性教諭もいたが、本人が結婚を望んでいても自分で相手が探せず、集団見合いに参加したりする若い人もいた。

結婚願望はあっても、異性どころか人間関係そのものが苦手な人もいたように思う。


私の父母の時代は恋愛結婚はあまりなく、殆ど見合いとか紹介だったようだ。

私の両親も遠い親戚に当たり、紹介されて付き合い始めたようだ。

家内の両親などは、独身だった時に村に帰ったところを、親戚から独身かどうか尋ねられて、独りだというともらってやってくれと頼まれたそうだ。

家内の母親は「犬じゃあるまいし」と怒っていたそうだが、義父は義母を結婚後も何十年と大切にし続けていた。

当時は恋愛など関係なく、生活のために結婚するのが当たり前だったようだ。

ところが、それは古くからの伝統ではない。

日本が工業化していくまでの時代の農家では跡継ぎ以外の子供は家から出されるか独身のまま家にいた。

町などでも丁稚に出されてから店を持つ主人になれるのは一部だったようだ。

結婚できても、生活が不安定なので結婚と離婚を繰り返すのが普通だったようである。

奄美諸島では古くは家人という身売り制度があって、正式な結婚そのものができない人が人口の3割近くいたようだ。

そういう人でも男女間の自由な恋愛で子どもは産まれて、家人所有者の主人には喜ばれたようだ。

身分が固定されて人口も多くなかった時代は、現代のように安定した夫婦家族はあまり見られなかったようだ。

それでも結婚率は戦前までは1000人あたり8~9人を維持しており、戦後のベビーブーム時代の12人には及ばなかったが、現代の3.9人(2023年)の倍以上はあった。


結婚願望がなかった家内に今の若い人が結婚しない理由はなぜだと思うと聞くと、女性が仕事と育児でしんどい思いをするだけだからと言う。

それなら、男性も結婚したがらない理由はなぜかと聞くと、答えられなかった。

私は、家内の時代のように、親が無理強いしなくなったことと、そもそも日本人は家畜化が進んで恋愛も結婚もまともにできない人が増えたのではないかと答えた。

人間以外には発情期があって、本能的に子作りをするが、家畜化すると発情期を失ってしまう場合が多い。

家畜の場合は無理矢理交尾させたり、人工授精させるが、人間の場合はそれを無理矢理させることはできない。

なぜ日本人は家畜化が進んでしまったかは、子どもの頃から親の干渉が強いし、小さい頃から勉強しいられて児童虐待まがいが起こっている。

親と先生に飼育された子どもは、まともに恋愛も結婚もできなくて当たり前に思える。

これからは結婚できない男女があたりまえになって、ドラマにもならないだろう。









2026年9月22日火曜日

水は血よりも濃い

 敬老の日に、私はつまらない替え歌を早朝にブログに書いた後、いつものように朝食後に犬の散歩と農作業や家の片付けをした

午後からは通常月曜日は隣町のプールに行っているのだが、今日は休日で住んでいる町のプールも開いているのでそちらに行くことにした

プールは体育館や野球場、テニスコートの近くにあるので、休日になると駐車場が満杯になって停めづらい

なんとか空きのスペースを見つけて、いつものように年券を使って受付を通り、水着に着替えた

今までゴーグルの曇り止めを使っていなかったが、やっと通販で買って塗ると、やはり見通しが良くて泳いでいて気分が良い

若い妻と孫のような息子を連れた6歳上の知り合いが、家族仲良く泳ぐ練習をしているのを横目で見ながら、いつものメニューをこなしていった


町のプールには6コースある大プールと子供用の浅くて狭い小プールがある

来た時から子連れの見知らぬ家族が楽しんでいるのは気づいていた

こういう休日には里帰りで来た家族がたまに遊びに来る

私のいる町は遊べる施設がないので、家族や親戚が大勢プールに来る時もある

たいていは、その中のお婆さんとかが水泳を習っていて、子や孫づれの家族を誘って来ているようだった

今回は若い女性二人と、幼い子供が二人、それに加えて、お爺さんとお婆さんと孫が二人来ていた

この二組の集団は別々のグループらしく、若い女性のグループは観覧席にお父さんらしい人もいた

練習メニューをこなしていると、私の知り合いもやってきて、時々話をしながら泳いでいた


そのうち、若いお母さんらしい人が、子供をもう一人の若い女性に任せて一人で大プールに入って空いたコースで平泳ぎを始めた

一目で経験者と分かる泳ぎ方でスピードも速かった

やはり、経験していた人は、プールに来ると泳ぎたくなるものらしいが、水着は競泳用の水着ではなくレジャー用だった

知り合いも帰り、大プールのコースが空いてくると、若い女性二人はそれぞれ子供を連れて入って泳ぐ稽古をさせていた

泳ぐ稽古と言ってもまだ幼すぎるので、恐がらずに浮いているのがやっという感じだった

どうもよく見ていると若い女性は姉妹で、お姉さんの子供二人を一緒に遊ばせてやっているようだった。


そして、若い妹の方が今度は一人で私の泳いでいるコースの隣で泳ぎ始めた

お姉さんよりは遅いがしっかりとした平泳ぎをしていたので、声をかけて水泳の経験者か聞いたら、やはり経験者だった

着ている水着はフィットネス水着で、その下にはレジャー用の水着を着ているようだった

もう少し話がしたかったが、県外からの人のようで話題が頭に浮かばず、黙ったまま並んでしばらく泳いでいた

そのうち、お姉さんの方も隣にやってきて、バタフライをきれいに泳いだので、こちらの方は選手経験者だと思った

私は四種目練習の最後でフリーの50mダッシュも4本行って、最後のメニューになっていた

最後は200m個人メドレーで締めるのがいつもの決まりである

その若い女性の二人には、若い人でも滅多に泳がないこの種目を、こんなじいさんでも泳げるのだと見てもらいたかった


果たして、その水泳経験者は私の懸命の泳ぎをしっかりと見てくれたかどうかは分からない

私は礼儀知らずのスイミングスクールの生徒がやって来る前に出ようと、そのグループを横目に見ながら引き上げていった

こうして、若くて可愛い女性と少しでも話が出来て、並んで泳げる楽しい時間を久しぶりに味わった

敬老の日としては誰からも何もされなかったが、こうして若い女性と一緒に泳げたことが最高のプレゼントとなった

老いた者として敬ってもらうより、まだ若い者として一緒に楽しめる方が幸せなように思えた

水泳は並んで泳いだり、競い合って泳いだり、相手の美しいフォームに見とれながら泳ぐ楽しみがある

特に若い人は男女を問わず美しい体型を維持している人が多いので、いつも羨ましく見惚れている。

かつては血は水よりも濃いと言われて、家族や親戚を大切にした

しかし、今は血のつながった子どもよりも、他人でも同じ趣味をもった人との関わりが大切になっている

まさしく、水泳という「水」でのつながりは、血でつながった子どもよりも濃い時間を過ごさせてくれた





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子や孫ではなく水泳つながり|髭男AーaAー

2026年9月21日月曜日

孫を知らない年寄りたち

今日9月21日敬老の日に自虐的に老人に捧げる替え歌です

元歌はご存知、ジローズの「戦争を知らない子どもたち」作詞は北山修です


闇市が終わって わしらは生まれた

闇市を知らずに わしらは育った

歳を取って 気づき始める

昔の演歌を 口ずさみながら

わしらの名前は 忘れてほしい

孫を知らない 年寄りたちじゃ

 

老けすぎてるからと 相手にされないなら

髪の毛が薄いと 嗤われるなら

今のわしらに残っているのは

出費を抑えて 遊ぶことだけじゃ

わしらの名前は 忘れてほしい

孫を知らない 年寄りたちじゃ


飲むことが好きで カラオケが好きで

いつでも スマホを持っている人なら

誰でも一緒に ひまをつぶそうや

店の混まない 平日の昼間を

わしらの名前は 忘れてほしい

孫を知らない 年寄りたちじゃ

孫を知らない 年寄りたちじゃ


解説

一番

作者が生まれたのは戦後の復興が始まって経済成長が始まろうとしている頃で、闇市もなくなり「もはや戦後では無い」と言われた年の3年後だった。

一人称では「わし」を使っているが、生まれ育った地方では当時は「わい」が普通に使われていたのに、実際の作者は「ぼく」から「おれ」へとテレビ言葉に影響されていた。

作者の言う演歌とは大泉逸郎の「孫」のことで、年寄りにとって孫はまさしく「宝もの」であり、当たり前と思っていた幸せが得られないことを象徴している。

孫がいないことは結局、自分の名前や存在は早々と忘れ去れることであり、どうせならさっさと忘れて欲しいと開き直っている。


二番

老けていることで、若い者から相手にされなくなり、髪の毛が白くなったり薄くなったりして、自信が持てなくなった自分を表現している。

本当はいつまでも格好良く、異性から注目を浴びたいし、同性からも一目置かれたいのである。

それが無理なので、せめて少ない年金でなるべく費用を抑えて、楽しむことが唯一年寄りの特権だと見栄を張っている。


3番

歳をとってから互いに楽しめることは、酒を飲んでカラオケをすることだった。

コロナの流行以降、その楽しみさえ失って、こうして歌にして呼びかけるしかない。

平日は、モールや飲食店は混んでいなくて、平日メニューで安かったりするので、年寄り同士で楽しめたら良いと思う。

それなのに、作者は平日は農作業と散歩を毎日欠かさず、週3回は水泳の練習をし、時間があれば夕方にひとりカラオケをしたりしている。

なので、実際は週末や祝祭日に妻と二人でドライブがてら昼食をしに行くだけだ。

このスマホというのは支払いもPayPayで割り勘にできるし、普段からラインで連絡を取り合えることを意味している。

大学時代のライン仲間は合って飲もうと言いあいながら、一度もあったことはない。

そういう同級生は孫の誕生を自慢するけれど、孫のいない人間もここにいるのだぞと言っているわけである。











2026年9月20日日曜日

田舎の散歩の心構え

 最近は健康のために散歩が推奨されている。

都会では家の周りを散歩していて、急に尿意や便意を催しても、公園やコンビニのトイレを利用すれば事なきを得る。

ところが、田舎では広場や公園はあってもトイレがついていない場合が多いし、コンビニが無いところも多くある。

私は以前に急にお腹が痛くなって便意を催し、家内にスマホで連絡して迎えに来てもらったこともある。

だけど、いつも手を煩わせるわけにはいかないので、そういう場合に解消するところを決めてある。

一番当てにしている便所は散歩の折り返し地点に公設墓地にある休憩所のトイレで、歩いたら45分くらいの距離である。

ところが、それより前後して便意を催すことがあったので、常にポケットティッシュを持参して、人目のつかないところに分け入って排便していた。

いわゆる野糞と言われるもので、場所をわきまえないと軽犯罪になる。


先日も犬と散歩していたら、農道の土手の下の草むらから知り合いのお爺さんが出てきたので、何かあったのかと思って「大丈夫?」と聞いたら、「下剤を飲んだので・・・・」という

私はまさか交通量の多い県道の近くの土手で排便しているとは思ってもいなかったので驚いた。

私はその人が85歳で一日一万歩を目標にしていて、暑い朝にはフラついているのを知っていて、家族からも気をつけていてほしいと頼まれていた。

私は空調服を着ていて万全を期していたのだが、そのお爺さんは子供から買ってもらっているのに着ていなかった。

どちらかというと、フラついて土手から転げ落ちて川にはまることを心配していたのだが、そういう便意による危険もあったのかと改めて気がついた。


若い頃は山などへ行ってキャンプもしたが、どうしても便意を催して、歩いている途中で草むらや竹林に入って排便することもあった。

その時に危険なのは蜂などだが、最近は熊などにも警戒せねばならないだおろう。

最近はそういう時のための道具も持参して山に登っている人も多いだろうが、田舎の普段の散歩にはさすがに持ち歩かない。

それと、若い人の中には和式のトイレの経験が無くて、蹲踞の姿勢が難しい人もいるだろう。

だから、和式トイレで排便する練習もしておく必要がある。


ただ、排尿に関しては、散歩において都会のように気を遣う必要が無い。

だから、田舎では散歩に限らず、車を停めて道ばたで用を足している年輩の人をよく見かけるが、これはさすがにまずいと思う。

あくまでも、散歩での排尿は誰にも見られないようなところで行う。

これは犬も一緒なので、今飼っているクロはとは互いに終わるのを待っている。

以前飼っていたトラは待たずに引っ張るのでいつも腹を立てていた。

クロはその点では心が通じ合うので、互いに終わるのを我慢して待っている。


とにかく、都会の人はこういう事情も知っていて、散歩やドライブを楽しんでほしいと思う。

それと最近は早朝や夕方にはイノシシやシカも出る。

熊のいないところでも普通に出会うことも度々だと思う。

ただ、狩猟が行われていることも多いので、そういう動物は人間を見ると逃げてくれるが、たまに平然とシカトしたり、様子をうかがっているのもいる。

そういうときは知らんぷりして、通り過ぎるのが一番だ。

田舎の散歩は野糞や野獣との遭遇という、スリルにもあふれている。



 




2026年9月18日金曜日

イスラーム理解その1~中東の地政学的地殻変動

 先日、アメリカでの9.11同時多発テロの25周年の追悼式の模様が、多くのテレビ局で放映されていた。

その式典で初めて就任したニューヨーク市のイスラム教徒のマムダニ市長の参加を巡り、一部の遺族が反発する社会などの対立も表面化したことが報じられている。

一部の遺族や元市長らから反対の声や署名活動(10万筆超)が起きるなど、テロ後の社会的分断やイスラム嫌悪(イスラムフォビア)の根深さも浮き彫りなったともいう。

そもそも、テロ事件の起こったニューヨークでイスラム教徒の市長が誕生すること自体に違和感を持っていたが、それだけニューヨークは生活苦の人が多かったということらしい。

9.11同時多発テロ以降、アメリカは「対テロ戦争」として、アフガニスタン、イラクと戦争を行い、その両国ともまともに統治できず、撤退してしまった。

そして、挙げ句の果てにイスラム教徒を市長としてニューヨークは求めざるを得ない状態になったと言うことだろう。

その一方でアメリカは現在はイスラム原理主義の国家イランと戦争を継続している。

こういう状態を知って、いったいイスラムとは何なのだろうと思うようになった。


実は私は大学院にいる時には、イスラムを研究している人は傍に何人かいて、その研究発表も聞いていた。

しかし、あまり興味が持てずに、高校の教科書程度でしか知識を持ち合わせていなかった。

最初にもっと知りたいと思ったのは、ハムダなおこ『アラブに自殺、イジメ、老後不安はない―ムスリムにならう幸福の見つけ方』(2021 国書刊行会)を知ってからだ。

ムスリムが人同志の関係を大切にしていることがよく伝わってくる。

今回はもっと深く知りたいと思い、次の二冊の本を読んでいる。

青木健太 笠井亮平 中東調査会編 2025 『中東ユーラシアから世界を読む―連結する地域と秩序再編』 岩波書店: [青木健太その他 2025]

 黒木英充・後藤絵美編 2023 『イスラーム信頼学へのいざない』  東京大学出版会: [黒木英充その他 2023]

これからしっかりと読んでいこうと思うが、現在読んだ中で気になることを挙げてみようと思う。

今回は次の論攷を取り上げてみる


 [青木健太その他 2025]の「第1章 イスラエルによる武力紛争とアメリカの「取引外交」―二〇二四年以降の中東における地政学的地殻変動」 溝渕正季    [溝渕正季2025]

はじめに

1 流動化する地域秩序(二〇二三年一〇月~二〇二四年一二月)

(1)「アクサーの大洪水」作戦とその余波

(2)戦線の拡大

(3)シリア・アサド政権の崩壊

2 加速する第二次トランプ政権の「取引外交」(二〇二五年一月~)

(1)トランプ政権の「取引外交」

(2)イスラエル・イランに対する米国の対応

(3)親密さを深める米図・ペルシャ湾岸諸国関係

おわりに

●<コラム〉 米国・イスラエル間の「特別すぎる関係」


目次から内容がだいたい分かると思うし、是非手にとって読ん欲しいので詳細は避けるが、結論としては


中東においては、こうした法や理念のみならず、そもそも現代国際政治の根幹である国家主権といった規範すら欠如している[溝渕正季2025:45]


ということだ、そして、溝渕氏の分析で興味深かったのはそのコラムにあった


多くの米国人がイスラエルに広範な文化的親近感を感じていることも、福音派の宗教的信念を強化している。多くの米国人は幼い頃から聖書の物語に親しんでいるが、旧約聖書に載るユダヤ民族の物語は、「開拓」、「国家建設」、「明白なる運命」といった米国の物語と強く共鳴している。こうした歴史・文化的背景が、イスラエルを「運命共同体」とみなす意識を形成してきた[溝渕正季2025:49]。


つまり、アメリカの福音派の信念はイスラエルの物語に共鳴していることが重要であるということであり、ということはアメリカ先住民に対する姿勢とも同じと解釈できる。

アメリカの開拓者はアメリカ先住民を駆逐したように、イスラエルのユダヤ民族は先住民のパレスティナ人を駆逐してもなんら不思議ではないということだ。

私はかつてイスラムの文明を築いてきた人たちをそういう感覚で捉えることに非常に違和感を感じている。

このことは読み始めた[黒木英充その他 2023]に述べられているイスラム独自の文化にヒントがあるように思う。

だから、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の共通点と相違点を今後しっかりと考えていかねばならないだろう。


そして、現実的に「イスラエル・ロビー」がアメリカの政治を左右しているという。


イスラエルを批判的に扱う候補者は予備選で敗退する傾向が強まり、超党派での親イスラエル姿勢が定着している。要するに、六月の空爆は、場当たり的な危機対応というよりは、米国内の宗教・文化・ロビー政治・安全保障認識などが相互強化しあう「特別な関係」の帰結である。ガザの人道危機が深まっても、そうした構造は容易に変化し得ないのである[前掲書]。


アメリカの政治は金で買えると言い続けられてきたが、トランプの取引外交はその極みである。

(バイデン前政権のように)「自由」や「人権」などのリベラルな理念を前面に押し出すような政権より与しやすい相手という[前掲書:43]

アラブの湾岸諸国は言うに及ばず、イスラエルはアメリカ在住のユダヤ教徒によってアメリカのトランプを金で動かすことが出来るということだ。


しかし、冒頭でニューヨーク市長がイスラム教徒であることに触れたが、アメリカの貧困層はそれと逆の方向に流れている。

マムダニ市長は民主主義を通して社会主義を実現しようとする政治思想「民主社会主義」を掲げていて必ずしもイスラム教の教義等とは関係はない。

イスラム教支持者が現在のアメリカの国家中枢には入り込んではいないようだ

それは、アメリカの世界金融支配にとって、イスラム教の「ハワーラ」という貸し借り相殺を発展させた送金システム*1とは相容れぬものだからだと思う。

奇しくもこれはハイジャック実行犯たちがハワーラを使って資金を動かしていたといわれている9.11同時多発テロとも関連してくるだろう。

こう考えると金融と宗教、そして石油貿易が絡んだ世界戦争でありアメリカの内戦とも思えてくる。



*1「序章 イスラームから考える「つながりづくり」と「信頼」―今後の世界を見通す鍵として 黒木英充」[黒木英充その他 2023]








2026年9月17日木曜日

辛抱の大切さを思い知った酷暑の農作業

 我慢と辛抱の言葉の違いから、耐えることの姿勢の違いを言われることがある。

我慢は単に自分の気持ちを抑えることで、辛抱は将来のために今を耐えることと言われたりする。

昔、横綱隆の里が、辛抱強い相撲をとって「おしん横綱」と言われたりした。

コメディ映画の「シコふんじゃった」でも、相撲部員が揃ってランニングの練習をしている時のかけ声が「辛抱だ!辛抱だ!」だったので、よく憶えている。

因みに、私が南山大学の剣道部での隊列ランニング練習でのかけ声は、一人ずつ「ナンザーン(南山) ファイト!」と叫び、それにみんなが呼応して「オウ!」とこたえる。

その後は、「ファイト」「オウ」の繰り返しであったが、これを教師になってから特別支援学校の身体作りのランニングでも使っていた。

「〇〇(名前) ファイト」、「オウ」はずっと私が声かけをし続けていた。

高校の野球部の隊列ランニングは一人が「1,2 1234」それに他が「そーれ」と応えるのをよく見かけた。

これは体力向上のためというより、気持ちを合わせるための練習に見えた。

映画で観た、「辛抱だ! 辛抱だ!」というかけ声は、気持ちを合わせるためで無く、相撲にとって特別な「辛抱」という言葉を自分に言い聞かせているように思えた。


私は幼い頃から親には「辛抱が足りん」とか「辛抱せえ」とよく叱られていた。

考えてみれば親は我慢という言葉よりも、辛抱という言葉を主に使っていた。

今まで私は「辛抱」という言葉は自分に言い聞かせるくらいしか使っていなかった。

最近は「ガマン ガマン」という言葉をよく耳にすることがあるし、「最近の子供は我慢が出来ない」とよく言われている。

我慢と辛抱とを区別して教えるなら、今耐えることが将来に活きていくことを言い含めて辛抱という言葉を使うべきかもしれない。

幼い子供は衝動的に走ったり大声を上げたりするものだが、それがケガや迷惑に繋がってトラブルになってしまうことをきちっと教え込むべきなのだろう。

それが仕事が忙しくてかまってやれない親には、厳しく出来ないようだ。


そういう私は畑で作物を作っていて、どうしても上手くいかない時には、腹たち紛れにその作物を引き抜いたり、刈り取ってしまうことも多かった。

特に作物の栄養をとってしまう雑草に対しては、イライラしながら抜いたり刈り取ったりしていた。

このところ完全退職して時間の余裕に馴染んできて、コツコツと丁寧に除草作業をして草マルチに利用することが出来るようになった。

それでも、ポリマルチを使わないので、作物が雑草に負けてしまうこともあって、まともに実をつけずに弱ってしまったりした。


今年は酷暑で雨も降らず、去年いっぱいになっていたナスビやキュウリのできが非常に悪かった。

特にナスビは植えた場所も悪かったのか、全く大きく育たず、実をならさないまま、雑草に負けてしまっていた。

いっそうのこと抜いてしまおうかなと何度も思ったが、秋なすとしてのチャンスが有ると思って、水をやり続けたり、雑草を抜いてやったりしていた。

そのナスビがこのところの雨で復活して、実をならし始めてくれた。

枯れてしまったキュウリは秋用の種を買ってまき直して育てたら、花をようやく咲かし始めてくれた。

何十年も家庭菜園をやってきて、今年ほど辛抱して作物を育てたことはない。

それでも全く駄目だったのはズッキーニで、これは去年も駄目だった。

辛抱のかいがあったのは、サツマイモ、小芋、万願寺トウガラシ、黒大豆、落花生などである。


おそらく、これからも地球温暖化の影響で、農作物を作ることには辛抱を強いられるだろうと思う。

しかし、希望を失っていない以上、辛抱して続けることが大切だと思う。

本当に辛抱を強いられているのは、酷暑の気候に晒されている作物たちなのだ。

農業も自然破壊の一つとは言われているのだが、なるべく自然に寄り添える方法で取り組み続けたいと思っている。

それには楽な機械や農薬、化学肥料をなるべく使わない自然農法的な農業をしなくてはいけないと思っている。

それに一番必要なのが「辛抱だ!」であると、今年はつくづく思った。

そして、農作業よりも世界中の人が一番辛抱を強いられているは、トランプ大統領の温暖化戦争と流血戦争だ。

そのトランプ大統領におもねる高市政権に、日本人はこれからも辛抱し続けねばならないのは勘弁してもらいたい。







2026年9月15日火曜日

足袋を道連れ、世に広めたい

今では日本人でも武道したり祭りに参加する人以外は、足袋を履くことは殆ど無いだろう。

作業で地下足袋を履いている人も、滅多に見られなくなった 

私と足袋の関わりは大学時代の剣道の練習に始まる。

どうしても足の裏にたこができて、それが潰れたりしたので、足袋を用いていた。

普通の足袋を用いて滑りすぎるので、破れた竹刀の柄皮を自分で縫い付けたりした。

その後、結婚して子供が出来てから畑仕事をするのに、長靴だとどうしても蒸れて水虫になりそうだったので、農作業用の地下足袋を使っていた。

ただ、地下足袋は小鉤(こはぜ)をはせるのが面倒な上に、雨の時や溝掃除には使えないし、泥がついて洗うのは手間であった。

そのうち蒸れにくい長靴も売り出されて、主にそちらを使い、どうしても暑くて蒸れそうな時には履き古した運動靴を履いていた。


この夏の暑さは尋常では無くて、早朝の犬の散歩と農作業にはまた地下足袋を用いるようになった。

その地下足袋は足先が先まるで二股になっておらずどの靴下でもはけて良かったのだが、ファスナーを上げるのが重く、何よりも靴底が薄くて散歩には適していなかった。

それで散歩には従来のトレッキングシューズで行い、農作業ではその先丸の地下足袋に履き替えていた。

そのうち、トレッキングシューズのそこがハガレだし、つま先のゴムも破けて朝露の水がしみだした。

そこで新しいトレッキングシューズを探したが、防水加工をしている物は蒸れやすいとレビューに書いてある。

それなら散歩して朝露で濡れてもそのまま農作業の出来る地下足袋エアージョグにしようと思った。

近年は祭りでこの地下足袋エアージョグがよく履かれているようで、品数も多いが値段はトレッキングシューズ並みにした。

それでレビューに耐久性の良いと書かれてある<ヤマタ エアー足袋 7枚コハゼ>の27cmをポイントや割引を使ってYahooショッピングで安く買った。


数日前に届いていたのだが今朝(9/10)になってようやく雨が止んだので、散歩から履き始めることにした。

この地下足袋はつま先が従来通り二股になっている。

実はこの日本独特の足袋は韓国人がチョッパル(豚足)と言って、日本人に対して侮蔑的に用いることは知っていた。

日本人は琉球、薩摩を除いて豚を食用し始めたのは大正昭和だと言われているし、豚足は今日でもなじみがない。

日本人はチョッパルが豚足を意味して、侮蔑的に使われていると言われてもピンとこないと思うが、それを知っている私は堂々と散歩に用いるのには躊躇いもあった。

しかし、以前にフランスでカラフルな地下足袋が人気あると聞いていたし、テレビドラマの「陸王」でも足袋型シューズが格好良かった。

だから、これからは敢えて地下足袋エアージョグを愛用しようと思っている。


実際使用してみると、確かに小鉤を嵌めるのは面倒だし、それなりの靴下も履かねばならない。

しかし、しっかり歩いてみて分かったのだが、小鉤は4通りくらいに太さの調節ができる。

小鉤のかけ方によってしっかりと踵を固定することができる。

今回は歩き出してから途中で調節していたのだが、最初からそれを考えて小鉤を嵌めていったら歩きやすいと思った。

また、歩く時にしっかりと足が上がるので足を引きずることも無く、つま先の踏ん張りがしっかりとできた。

武道で足袋が用いられるのも、高所作業で地下足袋が使われるのもその特性からだと思う。

アスファルトの道はクッションが効いて全く問題なかったが、防水加工をしていないので草の生えた道は夜露で濡れて浸みてきた。

ただ、家に戻ってからも履き替えること無く農作業ができたので、便利と言えば便利だった。

これからはパリジェンヌのようにカラフルな地下足袋を買って町で履いても良いと思う。

ネットで調べたら和柄の地下足袋も数多く販売されている。

気象破綻した世では、まさしく足にクールなクールジャパンの逸品として全世界に普及してほしいと思う。

ただ、韓国では流行らないとは思うけど・・・・