法律の改正で親の不動産の名義変更を死後3年以内に行わねばならなくなった。
私の親は改正前に亡くなったので、法の制定後の3年ということで余分に1年だけ余裕があったことは後で知った。
バブル期頃までなら売却して兄弟4人でその利益を分割すれば良かった。
しかし、今の時代はこういう地方ではまともに売れず、捨て値で業者に売却するには、私は非常に抵抗を感じた。
親が懸命に働いてやっと新築の家を手に入れた苦労と、その時の悦びを知っていた。
また、その家で兄弟は育ち結婚して離れていったが、盆正月や連休にその家族が集まって賑やかに過ごした。
そういう思いの詰まった家が十数万円の安い値段と引き換えにするのは悔しかった。
確かに兄弟家族の誰もが住まない家を誰かに活用してもらった方が良いとは思う。
親が一代で築いた家で、先祖代々というものでもないし、さほど立派な家でも無い。
だけど、親の思い以外にも祖父が息子のために作った庭はそれなりに見事である。
それなりに価値を理解してくれる人に使ってほしいと思おうが、それを不動産屋に期待することはできない。
私は長男として一番両親と関わったので、その家を維持するために固定資産税と電気・水道料金を払い続けている。
その費用は今の年金暮らしには負担とはなっているが、そもそも私が就職できて年金ももらえるようになったのは両親の支えのおかげなのだ。
そして、家を更地にすれば国に返納できるが、旧来の土壁であるし庭の石の処分をを含めれば処分費用が1000万円は近くになる。
それだけの費用を超える地価価格でも無く、売れる見込みが立たない家を高額の費用で解体する馬鹿もいない。
先日大工の棟梁と話す機会があって、そういう家が赤穂でも増えていて、もう放置するしか手が無いという。
山間部などの家はこっそりと安く埋めてしまっていることも聞いたし、実際に近くで目撃している。
かつては木造の家が廃屋となったら、その場で土で埋めたり、川や池の埋め立てに用いたりしていた。
それができない現代では、家を建てる時に壊すことも考えておかねばならなかったのだ。
両親は昔のように不動産には価値があって、後を見てくれる子どもに相続させれば良いと思っていたようだが、そもそもすでに均等分割の時代にはそぐわない。
今回も私の名義にするのは、そのままにしていると兄弟みんなに罰金がかかるからで、処分にかかる費用は負担し合うことになっている。
とにかく、兄弟はそのことで長男である私に早く名義変更をするように迫ってきた。
業者に頼むと多額の費用がかかるので、自分の手でするために末弟が法務局へ出向いてその書類の書き方も聞いてくれていた。
そこで勘違いがあって、母が亡くなって3年目の今年の7月までが期限だと思っていたのが、亡くなったのが法律の成立までで来年まででよかったのだ。
勘違いしたまま急いで必要な書類を取り寄せたり、文書の作成は家内にかなり手伝ってもらって行った。
そして、法務局に予約を取って必要な書類の点検をしてもらっていたときに、大きな不備が発見された。
ギリギリに行ったので期限を越えるかと心配したが、そこで法務局の相談員の方に来年まで期限があることを聞いてほっとした。
実は宅地は隣に一緒に住むこととなった母方の家族と父親名義で共有していたのだが、その後分筆したのに、両方とも建物はもとの地番ままになっていた。
つまり市役所は同じ地番の建物二つに固定資産税をかけていたことになる。
そこで、市役所で実家の建物の地番を変えてもらう手続きを取らねばならなかった。
それでなんとか書類申請ができたのだが、その点検で今度は畑の名義になっていた父の住所が以前のままだったので、その住所に同姓同名の人がいないことの証明が必要となった。
法務局の人の説明では不在証明だけで良いように電話で言われたのだが、家内が持って行ったら不在籍証明も必要だとまた市役所に行くことになった。
結局、法務局には弟が1回、夫婦で2回、家内だけで2回行き、赤穂市役所には夫婦で合計5回出向いたことになる。
これは夫婦とも自由な時間があったからできたのであって、普通の仕事をしていたらできなかっただろう。
書類を取得するのと申請するので合計すると5万円以上かかったが、業者に頼んだらもう15万円ほどかかっただろうと法務局での相談員に言われた。
これだけの労力と費用を支払って負の遺産を相続する悲哀を感じざるを得なかった。
これを大学の仲間のラインで報告したら、やはり地方の地元に戻った仲間から同じことを聞いた。
都会の仲間の方はうまく処分できれば利益にもなるので、関心が薄いこともよくわかった。
荒廃する空き家対策で作られた法律に、田舎に住む多くの人は多額の費用や労力を強いられている。
赤穂の実家の周りも空き家だらけになっているし、今暮らしている上郡の村でも日々空き家が増えていっている。
しかし、その空き家が壊されているのを見たのは、山裾で古い廃屋が壊されて地中に埋められているときだけだ。
こっそりとそれができない家屋は、名義が換わっても放置され続けるしかないだろう。
私はすでに40年ほど前に奄美の与路島で同じ風景を見ていた。
40年の年月が経って奄美の孤島と変わらない風景が眼前に展開している。
当時、研究調査で世話になった奄美在住の故山下欣一(学者)さんに、「過疎は本土と一緒だろう!」と言われて、当時は違うと思っていたが、今は同じと答えるしかない。
しかし、考えようによっては上郡の村にはコウノトリが住み着いたし、赤穂も公害が減ってきているように思える。
地方に残る者がその自然と引き換えに負担すべき代償なのかもしれない。
ただし、それが負担できない人はますます地方から出ていくだろう。
また、与路島でオッショーからよく聞かされた「ガクシェイシャン(学生さん) おしまいぜすぞ」の声が聞こえてきそうだ。