東京に住んでいる時に、関西から来た私にとって、日常的に揺れる地震は始めは脅威だった。
初めて味わった震度4で、下宿の部屋で大騒ぎしている様子を下宿のおばさんに笑われた。
それも、何度もその程度の地震を経験するにしたがって慣れてしまった。
そのおばさんの言った言葉で思い出すのは、関東大震災の年は夏が非常に暑かったということである。
このごろ、毎年のように暑いのでその言葉を忘れていたが、東北の震災の前の年も夏が異常に暑かったように思う。
今年の夏も異常に暑いのだが、奇しくも南海トラフ地震の被害予想が報道された。
死者予想最大32万人、比較するのには不適切かも知れないが、広島の原爆死者が9~12万人と言うから、それの3倍以上である。
これはあくまで予想であるので、警鐘として受け止め対策を講じる材料なのだが、被害が予想されない地域の住民も含んで、真剣に考えるべき事だと思う。
1000年に1回とか、100年に1回とかという周期的な被害であるにしても、日本は地震や津波から逃れられない国土である以上、それに備えた都市文明を築くべきであった。
しかし、現実は東京や横浜ではウォーターフロントとして、副都心になっているし、私が住んでいた赤穂でも、塩田跡が住宅地や工場地になっている。
それらは本当のリスクを真剣に考えて建設したのではあるまい。弟は赤穂の御崎港の直ぐ傍に新宅を設けたが、津波のことなど考えていなかったようだ。
考えてみれば都市というのは、洪水災害の多い沖積平野や盆地に築かれており、リスクよりも立地条件の良さが優先された。
そもそも風水思想は地震を想定などしていなかっただろうし、日本の様な急流の川に適用するには無理がある。
日本における都市そのものが大きなリスクを背負ったまま発展してきていると言える。
ただ、阪神大震災とその後に起こった鳥取での地震を比較すると、家屋の造りに大きな差があり、それは淡路と神戸の被害の違いでもあった。
残念ながら、我が家は阪神大震災以前に建てられた物で、建築基準の甘い頃の二階建てである。
二階建て家屋そのものは、台風への備えはできていても、地震への備えは当時はできていなかった。
今に後悔しても、やっとローンが終わりかけて喜んでおり、新しく建て直すことは無理である。
気休めなのは柱がやたらと多く、居間にはハッチが天井を支えていることだ。
昔、田中角栄が日本列島改造計画というのを出して、地方の発展を図ったが、それと同じように、災害に強い都市に改造する大変革を起こすべきだと思う。
家屋に関しては補助金を出して、耐震工事を古い民家もできるようにし、津波のための大堤防を張り巡らすしかないだろう。
そして、リスク分散のための地方都市への機能移転開発も同時に行うべきだと思う。
地震や津波にこれから先も付き合っていく覚悟が求められているのだと思う。
迷信と笑われても仕方がないが、非常に暑かった夏、前にも書いたが、鳥や蛇があまりいなかった春から初夏、不安である。
地震研究者も虫の知らせで、研究報告をしているのかと思ってしまう。
杞憂にしても、備えることに無駄はないだろう。
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