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2012年9月10日月曜日

広島県西条・呉めぐり

荷物を持って帰る娘を下宿に送るついでに、家内とドライブすることにした。
娘の通う大学は西条という盆地の農村地帯の丘陵に築かれた学園都市の中にあった。
JRの駅から遠くて、娘はバスと電車を乗り継いで帰省するのであるが、経費節減で大抵は鈍行で時間を掛けて帰ってきていた。
車では山陽自動車道を用いると二時間ほどであり、家からの距離は200kmほどで京都へ行くのと変わりはないのだが、ずいぶん遠くへ行くような感覚である。
それは文化圏の違いもあるが、JRで京都に行くには新快速などを使えば早く着けるからである。
山陽自動車道は山の中を通り、景色も単調でトンネルがやたら多い。
京都へ行く時は、いろんな都市風景が展開されるのとは大違いである。
ただ、渋滞はあまりないし、途中で立ち寄る福山のサービスエリアには美味しい海産物の土産が売っている。


実は娘のアパートは家内の親戚筋にあたり、専業農家をする傍らでアパート経営もしている。
先日娘が、その大家さんが栽培しているアスパラを手土産に貰って帰ってきたので、こちらもお菓子を持って挨拶に行くのも目的であった。
西条は駅付近より郊外に大店舗が林立して、このあたりの商業の中心地になっている。
家内の親戚は大崎島の上島と下島にいるのだが、わざわざ買い物に来るようで、その際に娘もずいぶんお世話になっている。
ちょうど昼時になったので、その郊外にあるラーメン屋でつけ麺を親子で食べたが、私の注文した山椒入りのつけ麺はやたら濃くて口合わなかった。

娘をアパートに送り、大家さんにも挨拶を済まして帰るのだが、帰りは前回は一般道を通った。
今回も一般道で帰るつもりだったが、以前に同僚から「呉はなかなか良いよ」と聞いていたので、そちらに回ってから帰ることにした。
田園と山の中の道は狭く、景色も単調だったが、既に稲刈りが済んだ所や、突如と現れた大学の見事さに驚いた。
ずいぶん走ってやっと海が見えた時は嬉しかった。
呉という名前は自分の親が船乗りをし、その後造船所に勤めていたのでよくその名前を聞かされた。
今回は映画の舞台になった所はあえて行かずに、海岸の景色を楽しむことにした。
というのも、場合によっては大崎島に行っても良いと思っていたからだ。

狭くて曲がりくねった海岸の道は、思ったほどの起伏もなく、自転車で走ったら気持ちよさそうであった。
ただ、赤穂の御崎からたつの市の御津にかけての風光明媚な景色と比べて、造船所などの工業地帯が多いのが気になった。
それでも、島に囲まれて景色もよくて、天然の良港の意味がよく分かった。
以前に牛窓というこれも天然の良港は島に囲まれて、風に強いということを聞いていたので、まさしく、呉はそれにもまして天然の良港であることが分かった。

土地勘が無く、ナビに頼っているうちに、大崎島に渡る橋を通り過ぎてしまっていた。
家内は結婚する前までは、よく両親らと里帰りをしていたようだし、幼い頃には夏休みに過ごした経験もあった。
車で来るには下島は橋があるが、上島はフェリーで行かねばならず、法事や墓参りは家内の両親が行き、家内は行っていない。
おじいさん、おばあさんの墓参りをしなくては、罰が当たるぞ私は嫌みを言うのだが、家内は今回も行こうとしなかった。
家内の両親と 一緒でないと行きづらいのも確かである。
いずれ、両親が自力で行けなくなったら、必然と来なくてはならなくなると思う。

竹原まで海沿いの道を堪能して、道の駅で休憩を取ったり、土産を買った。
竹細工が有名だが、 10万円もする竹細工のバッグには驚いたが、すごく良くて欲しいと思った。
今自分が愛用している職人籠とは大違いである。
家内の母が島の土産によく買って帰ってきた硬い木綿豆腐を思い出して買った。
当然、名産の酒も忘れなかった。
三原からは前回通った道と同じになった。
前回は三原までは山の中の国道2号を通ったが、三原からは海沿いになる。
前回福山で渋滞にあったが、今回は倉敷から岡山にかけて渋滞にあってしまい、結局1時頃西条を出て、戻ったのは7時を過ぎていた。

行きの二時間のドライブの3倍もの時間を帰りに掛けたのだが、断然帰りの方が良かった。
確かに長時間同じ姿勢で運転して腰が痛くなったりしたが、家内と運転を交替しながら、そう疲れは感じなかった。
何よりも、自然の風景だけでなく、町の様子が分かるのが良い。
兵庫県では造船所は後退するばかりだが、何とか生き残っている広島県。
突如現れた山間の町に、何の産業があってこれほど人が多く住んでいるのだろうかと思ったりもする。
そして、やはり目立つのは道路沿いの潰れた店である。
バブルの頃は流行ったのであろう店が、幹線道路沿いに取り残されている。
これからは南海トラフ地震の津波にも警戒しなくてはならない海沿いだが、このあたりは外海から遠いのでそう不安は無いだろうとも思った。

幼い頃はおそらく船でやってきた呉に、大人になって初めて訪れた。
20年ほど前大崎島で葬式があった時に乗ったフェリー乗り場も久しぶりに見た。
娘も来年で大学を卒業するので、その後は滅多に来ることはないだろうが、京都と同じ距離だと思えばもっと来ても良い。
東への近い距離感を、西にも持てればもっとなじみ深いとことになるだろう。
大崎島は私にとっては奄美大島より遠い島でもあった。














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