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2013年2月23日土曜日

千種への水汲み2013年冬

冬場の千種への水汲みはどうしても躊躇する。
雪が多いところなので、水汲み場の駐車場が雪に埋まってないかとか、給水管が凍結していないかとか心配するからである。
以前に冬場に行って雪が多く積もっており、自分の車のタイアはスタッドレスなので問題なかったが、他の車が困っているのを見ていた。
今回どうしても行く気になったのは、水道水で炊いた玄米があまりにも不味かったからである。
家内は残り少なくなった水を節約して、お茶やコーヒーは別にして、調理にくみ置きした水道水を使い始めた。
私は少々高くても良いから、ペットボトルの水を買うように言うのだが、換算して12リットルが約400円と、30リットルが100円では比較にならない。
ガソリン代や人件費を考えれば同じようなると言うのだが、やはり少しでも安くしたいというのが家内のスタンスである。

家内も言っていたが、水を汲みに来る人は私達より年配の夫婦である。
私達は子どもが産まれてからかれこれ24年ほど汲みに来ているのだが、若い夫婦に出会ったことは殆ど無い。
忙しい共稼ぎ夫婦には水を汲みに来る余裕など無いのかも知れない。
家内は2年ほど前からパートに出るようになったので、どうしても土日に水汲みをする必要になった。
私は教師なので、長期休暇や試験中などで休みを取ることができるのだが、家内にはできないからである。
家内がパートに出ても水汲みは続けてきたが、食生活は違ってきてその影響は少なからず出ていると私は感じている。
忙しい夫婦は食事や飲み物に時間と労力を掛ける余裕がないのだと思う。
そのしわ寄せが健康に出てきてしまうのだと常々思っている。

今回久しぶりに水汲みをする他の夫婦に出会った。
雪が少し残る水汲み場に行くと、給水器の前に堂々と車を横付けして水を汲んでいる。
普通は、他の車も留められるように縦に置くのが普通で、車止めもそのように設置してある。
この夫婦は4リットル入る焼酎用のペットボトルを沢山持ってきて水を入れていた。
こちらは10リットルや20リットル容器を離れたところから運んでいかねばならなかった。
その夫婦が車を出したので、こちらの車を近くに寄せようとしたら、いきなりボルボが割り込んできた。
そちらを睨むと気がついたのか、入れ直してくれた。
その夫婦は、普通の2リットルのペットボトルで、水を入れる前にかなり丁寧にゆすいでいる。
もともと、ジュースではなくて水の入っていたペットボトルだからそれ程きれいに洗わなくて良いのと思った。
因みに我が家は3ヶ月以上保存するが、ゆすがなくても問題はなかった。

今回、久しぶりに冬場の土曜日に水を汲みに来たのだが、以前のようにスキー板を積んだ車にあまり出くわさなかった。
スノーボードが解禁になったので、車の外に積む必要がなくなったから、分からないのかも知れない。
子供の小さい頃はスキー場まで登って、雪滑りをして楽しんだりしたが、家内が全く寒さに弱いし、私自身費用の嵩むスキーは敬遠してきた。
冬場は娯楽があまりないので、スキーくらいはできた方が楽しいと思うのだが・・・

道の駅で買い物したが、めぼしいものはあまりなくて、特産の蒟蒻を買った。
この蒟蒻はうちで採れた里芋と大根と一緒にたいてい田楽にした。
里芋は籾殻で保存したのにも関わらず、腐ったのが多かった。
今年は寒さが厳しかったので、家の中で保存すべきであった。
悪玉コレストロール値が高いのでこれからはもっと蒟蒻を食べようと思っている。
味も歯ごたえもよくて、腹も張った。
これから、雪が溶けた後はステップワゴンではなくて、フィットで行こうと思っている。
そうすれば燃費が半分で済むからである。
後部が広く採れるフィットは、これまでのビッツとは違い水汲みにも使えそうである。
ただ、スタッドレスタイアは今年は残念ながら買えなかった。

2013年2月18日月曜日

雀のお宿

以前に雀などの鳥が少なくなったと書いたと思う。夏の初めだったと思う。
ところが、このところ雀や鵯などが庭によくやってきて賑やかである。
お目当ては犬のえさの食べ残しである。
私は給食では玄米を持って行って、出された白米は持って帰って犬の餌にしている。
たまに生徒が余らせたご飯も持って帰って犬に与えている。
因みにうちの犬は米ぬかも食べるので、たまにまぶしてやる。
私も息子も玄米食だが、家内は玄米を食べるとお腹を壊すので白米である。
最近はうちの犬も白米を食べ飽きて残すことが多いので、それを雀たちが狙ってやってくる。
家内はわざと雀のために持って帰ったご飯の固まりを庭に置いたりするが、私はあまり賛成していない。
何故なら、庭の梅のつぼみが食前(または食後)のサラダとして食べられている可能性があるからだ。

梅のつぼみは初春の恰好のえさで、へたをすると殆ど食べられてしまう。
以前はネットを張ったり、テグスを枝に巻き付けたりして予防した。
昨年は鳥は防いだが、毛虫にやられたので、今年はどうしようか迷っている。
ご飯と毛虫を食べてくれれば一番良いのだが、ご飯と蕾では元も子もない。
梅干しにするほど良い梅ではないが、梅酒くらいにはなるので何とか実になって欲しい。

この頃は雀たちは、洗濯を干すロープを揺らして遊んだり、寝ている犬の鼻先で平気でえさの食べ残しをついばんでいる。
一輪車に溜まった雨水も鵯には良い水飲み場になったようだ。
たまに四十雀も沢山やってきて、可愛らしい。
庭にはさすがに来ないが、このところ近くでは鷹が舞っている姿をよく見かける。
春になれば鶯などがまたやってくるのではないかと期待している。
去年は梅やゆずは毛虫にやられて駄目だったので、いっそ駄目なら鳥に食べてもらった方がましかとも思うが。
やはり、梅もゆずもちゃんとなって欲しい・・・・


2013年2月12日火曜日

越境のAKB

AKBと書くと、AKB48を期待して検索した人が、これを読んで怒るかも知れない。
そして、A=赤穂市 K=上郡町 B=備前市が協力し合って、町を活性化しようというのに、AKBを用いていると知ったら、「ふざけるな」と言われるかもしなれない。
シャレというには、ちょっとおじさんが若者にこびた感じがするが・・・
以前から何故、県を越えて提携いるのか不思議に思っていた。
あまり、古代の赤穂のことに関心がなかったのだが、もともとは吉備国だったという。
ウィキペディアによれば、吉備国の勢力を大和朝廷が分割して播磨国に移したという。
まさしく、このブログのタイトルのしっぽは、偶然にも根拠があったと言うことになる。

というのも、実のところ私は母方の祖父母が備前福浦であり、父方の祖母は現在の上月町(佐用町)であって、血縁的なAKBである(Kは上郡でなく、久崎村)。
父親は赤穂だが、鳥撫はまさしく国境で言葉も、混じっていた。
相生市と赤穂は合併を試みたが実現せず、上郡町とも合併はできなかった。
室町時代では赤松氏が播磨と備前の一部を支配したのだから、その再現もありとは思うが、むしろ、吉備国再建の方がおもしろかも知れない。
赤松にしても、嘉吉の乱で幕府に対峙し、赤穂も討ち入りで幕府にたてついたところからも、体制よりではない。
ただし、大和朝廷に対峙した吉備国を表に出すと、播州赤穂のブランドが消えるので、やはり損かも知れない・・・

実は、母方の福浦は備前市の日生と仲違いして、赤穂に編入したと聞かされていた。
上郡と赤穂も明治時代に騒動があり、あまり仲の良い関係ではなかった。
それでも、私の家系をみたら分かるように、婚姻などを通じた人の交流も盛んで、上郡の近所の人もそういう人が多い。
なんとなく、自分にとって相生や龍野よりも親近感を感じるのは、そういう親戚関係を通してであろう。

昨日の建国記念日に、瀬戸内市の黒井山グリーンパークに出かけた。
そこは以前ほどの賑わいはなかった、むしろ、備前IC近くのショッピングモールが賑やかだった。
また、風評被害で一時は低調だった日生の牡蠣も、かきおこの店には人だかりで驚いた。
五味の市方面からから沢山の車が出てくるのを見ると、大したことが無くて良かったと思う。
このところ牡蠣祭りがあちこちで行われているが、牡蠣を通しての連携も面白そうである。
赤穂も塩だけにこだわらず、かきおこに便乗する手もあると思った。
赤穂は播磨にだけ拘らず、備前にも手を広げることに存在価値があるようにも思う。
文化人類学では両義性とか、境界というものの意義を大きく扱ったが、まさしく赤穂や上郡、日生がそれである。
県境AKBはトリックスターとしてデビューしよう・・・



2013年2月9日土曜日

姫路城修復

姫路城には数えるほどしか登ったことがない。
高校時代友達と暇つぶしに行った以外は、生徒引率が殆どで、ゆっくり景色を見ることはなかった。
今回も生徒引率ではあったのだが、修復中で城そのものに入ることができず、城よりも景色を見る機会が多くなった。

姫路は毎日仕事で通っていながら、駅周りの中心付近には滅多に行かず、買い物も郊外が多かった。
駅付近は自分が子供の頃に親に連れて行ってもらった頃から始まり、中学校、高校と毎日通った場所である。
駅ビルの屋上は小さな遊園地で夢溢れる場所だったし、何より動物園といえば、姫路城の動物園しか、大学に入るまでは経験なかった。
その駅に大変化が起こっている。
2008年に高架ホームになって以来、どんどん駅周辺の様子が違ってしまった。
駅周辺だけでなく、通学路であった御幸通りや御溝筋などの商店の様子も変わり、特に毎日のように立ち読みで通った本屋の誠心堂が無くなって久しい。
私は赤穂生まれではあるが、中学校高校と通った姫路の方が思い出深いのである。

今回、姫路城の修復工事を見る特設ビルに登って、ゆっくりと景色を見た。
クラブの練習で登らされた男山の階段が思ったより多いのでいまさら驚いた。
逆に一日楽しめた動物園がこんなに狭いのかと思った。
私は通学するときもわざと遠回りして、動物園の傍を通っていったりしたが、クジャクが飛び出てきたり、吠えザルの鳴き声を聞いたり楽しんだ。
因みに、この吠えザルの鳴き声は、同級生のふざけた奇声に使われて、休み時間に廊下に響き渡っていた。
聞くところによると、私の母校にはプールがないが、動物園の動物用のプールを使わせてもらったこともあったという。

姫山公園はよく行く気楽な場所だったが、男山はクラブでしごかれる場所であった。
しかし、私はバンド友達とギターを抱えてここで演奏しながら歌った。
人が滅多に来ないので、下手な歌を聴かれなくて済むからであるし、景色がすばらしかった。
姫路は開発が遅れた町といわれたが、雑然と昔ながらのたたずまいが残っていたのも情緒があった。
今はどんどん観光地としても整備されてきれいになっている。
黒田勘兵衛が大河ドラマに決定されて、もっと観光に力が入るだろう。
ところが、土産物屋を覗いても、あまりこれぞ姫路というのは無い。
確かに姫皮細工のような、姫路独自のものがあるが、もっと工夫して欲しい。
私の一級下に明珍君という後輩がいたが、彼の家は明珍火箸の系統らしい。
あの火箸の風鈴はいい音がするが、値段が庶民には高すぎる。
播磨地方の中心として、播磨地方全体から知恵を絞って特産物を集結させれば魅力が増すだろう。
東京のスカイツリー周辺では江戸の伝統的な特産物を売っている。
この姫路城修復と黒田勘兵衛は播磨地方の起爆剤にもできるのではないかと思う。
そして、赤穂の忠臣蔵も便乗しよう・・・


2013年2月5日火曜日

赤穂における一人称と二人称

先日叔父の葬儀に親戚が集まった。
そこで、伯父の「オンシー」という二人称を久しぶりに聞いた。
<オンシー>は<オンシャー>とも同じように、「おまえ」という意味である。
今ではこの言葉を使うのは、鳥撫の伯父しか身近にはいない。

<オンシー>という言葉は、「おぬし」から来た言葉だと父親から教えられたが、父親自身は使ってはいなかった。
私達の子供の頃は<オマハン>という言葉を普通に使い、今でも普通に使っている人も多いと思う。

この<オマハン>は上郡の人でも普通に使う。
私の育った尾崎では他に<ワレ->ということばをよく使った。これは赤穂の西側の地区ではあまり使われていなかったと思う。
他に<ジブン>という言葉は男女とも使ったと思う。

一人称は男性は<ワイ>という言葉を使う人が多かったが、私自身は使えない。
学校などで<ボク>と言うように指導されたせいもあるかも知れないが、たまに<ワシ>という言葉を使う。
<ワイ>は東側が多く、西側は<ワシ>が多かったように思う。
女性は<ウチ>が普通だろうが、<ワシ>という老人もいたように思う。
学校での指導やテレビなどの影響で、これらの言葉を使う人は若い世代には少なくなったと思う。
私自身も<ワイ>という言葉を使うのには抵抗があって、地元の教師でも日常的に使っているのにも違和感を感じた。
この方言の一人称と二人称だけで、会話の雰囲気が全然違ってくる。
教師という立場が長いせいか、私的にも使えなくなったしまった。

私は奄美に調査へ行った時、飲んで酔うとへたくそな奄美語を使った。
私というのは<ワン>といい、君というのは<オラ>とか<カナ>を用いるが、<ワン>はわざと使った。
おそらく小学校の同級生と飲む機会があって、仲良くしようと思ったら<ワイ>や<オマハン>をわざと使うかも知れないが、そういう機会が全くない。
一人称と二人称は仲間意識を会話の中で、確かめる言葉である。
しかし、<オンシー>を共有できる人はそのうちいなくなってしまうだろう。