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2013年6月21日金曜日

待望の雨でありながら

梅雨だというのに雨は長らく降らなかった。
台風と前線のおかげで、やっと地面の奥までしみる雨となった。
一昨日の朝は上郡で雨が降っていたので、職場の近くの畑に行って薩摩芋の蔓を切って植えた。
赤穂は暖かいので薩摩芋の生育が早く、蔓を伸ばしてそれを切って増やせる。
姫路では浴衣祭りまでに蔓を植えることができると言われているそうだが、赤穂ではもう少し先までいけそうな気がする。
奄美では収穫しながら苗も同時に植え付けても良い。
そこまでできなくても、温暖化が進めばこちらでも、もっと苗を増やして植え付けられそうだ。

ところが、苗を植えたものの、赤穂ではなかなか雨が降ってくれず、萎れてしまうのではないかと心配した。
やっと昼頃に本格的に降り出して一安心である。
そもそも赤穂は雨が少ないので塩田が発達したのだから、当たり前のこととといえばそれまでなのだ。
三方を山に囲まれて、南の沖には小豆島がある。
千種川も大きく坂越や高雄で蛇行しているので、海からも山からも風の通りは悪い。
冬場は雪で歴然だが、夏場での雨の違いを今回は実感した。

ただ、この赤穂は私が高校生の頃に水害に見舞われた。
高取峠が崩れ、国鉄の坂越の鉄橋が不通になった。
ちょうどこの季節、姫路から帰る途中で網干駅で足止めになった。
その前の電車に乗っていた生徒は電車が途中で止まり、坂越の鉄橋を歩いて帰ったと聞いた。
電車は下りには行けず、姫路駅に引き返し新幹線で相生駅まで行き、そこから後輩の親の車で有年から高雄回りで帰った。
しかし、しばらくしてその高雄もトンネル付近が崩れて通行止めになった。
まさしく、陸の孤島になった。
その水害で鳥撫のうちの本家は土砂崩れで潰れてしまった。

千種川も佐用町の水害以来、貯まった土砂を取り除く工事が行われてきた。
大きく蛇行した有年あたりの土砂は取り除かれて、その場所がこの雨で浸水している。
上郡も300年はもつと言われる河川工事も進んだ。
ただ、1000年に一度の地震が起きるくらいだから、それに匹敵する雨が降っても不思議ではない。
この40年ほどの間に赤穂、上郡、佐用とすべて大きな水害に見舞われた。
下流から上流へと水害が移行したことになる。
都市化と河川管理との問題がそこにあるように思う。
おそらく完全に安全となる日は来ないように思えてならない。

2013年6月16日日曜日

扇風機 2013/06/16

今日は今年の梅雨はもう明けたのかと思える入道雲がわき上がる空が広がった。
その暑いさなかを鉄道マニアが線路上に何時間もカメラを構えていた。
昨日の雨で田圃や畑は一段落付いたが、また晴れが続くと水不足が心配だ。
近くの川に蛍の様子を見に行ったが、やはり非常に少ない。
今住んでいる上郡の中野では、真夏の昼間は1階でも冷房が必要だ。
2階は特に西側では夕方から寝る前迄も必要な時がある。
ただ、一晩中冷房をつけて寝ることはないし、1階では夜につけることは無い。
そのかわり、居間では2台の扇風機が必要である。
息子は2階でも扇風機だけで過ごしていて、使用可能な扇風機は合計4台である。

今回、どうしても特別教室に扇風機が必要となった。
管理職に購入を頼んだが良い返事は貰えなかった。
仕方ないので、自腹を切ろうと思って調べたら、特価で1000円とある。
しかし、これは数量限定でおそらく電気屋へ行くだけ無駄だと思ったので、リサイクルショップへ行った。
案の定、リサイクルショップでは去年売れ残っただろうと思える扇風機が山積みに置かれていた。
まだ使っていないので1980円は本来は安い。
しかし、電気屋で1000円で売り出しているのを見ると買う気にはなれない。
中古の扇風機が1580円なのでそれを買った。
すると、家内はこれは2階で使っている息子の扇風機と交換だと言いだした。
息子の扇風機は古くて火を噴くことが心配だという。
確かに、火を噴く前に羽が飛んでしまいそうな扇風機だった。
おまけに外のガードは留め金が壊れて結束バンドで留めていた。
生徒に笑われそうだが、自腹を切る以上仕方ない。

政府は教育再生と声高に言うのであるが、現場では扇風機一つ買ってもらえない。
考えようによっては、これからアジアやアフリカの厳しい生活環境でも仕事のできる人材が必要だ。
先日、大学などの入学案内が本校で行われて、看護学校の先生の案内役を仰せつかった。
その時に、その先生から学生が看護師に夜勤の仕事があることを知って、看護学校への入学を諦めた者もいたことを聞いた。
私は因みにかつて寮で宿直のある学校に勤めていた。
夜勤や宿直は身体に負担の多い仕事だが、誰かがやらねば現場は回らない。
快適な教育環境で甘やかせるより、過酷な環境でも頑張れる人材を育てる必要があるのかも知れない。
私は日頃から畑仕事や水泳指導で暑さに慣れている。
何よりも耐乏生活に慣れているので、適材と言うべきか・・・トホホ

2013年6月14日金曜日

残酷なコの字型建築

今勤めている赤穂の学校は4階建ての立派な近代的建築物である。
耐震工事も済んで美しい白い景観を誇っている。
ところが、この季節外れの猛暑の中で授業している私も、その授業を受ける生徒もその暑さに苦しんでいる。
普通教室や東側の特別教室は風通しが良くて、他の学校に比べても快適である。
海からやってくる風が、特に3階や4階では吹き抜けて心地よい、1階の職員室でも机上の書類が飛ぶほどの風が普段入る。
ところが、西側の3階にある地歴公民の特別教室は殆ど風が入らない。
南北に建っているので、風は廊下を吹き抜けるが教室には入らない。
私はプロジェクターを使って授業をしているので、部屋を幾分暗くせねばならない。
そこで、自前の遮光カーテンを使って風を通そうとしたが、効き目は薄い。
しかも、この特別教室にはエアコンどころか扇風機さえも無い。
昨日の5時間目の授業などは、生徒は「暑い、(普通)教室に帰りたい」と訴えるし、私は汗みどろになりながら何とか授業をやり遂げて疲れ果てた。
今日も午前中に汗を多量にかいたために、授業中軽い熱中症になり頭痛がしだしたので、その授業が終わると急いで水分補給を行った。

なぜ、こんな立派な近代建築物でそういうことが起こるのか。
コの字型で、しかも西側の北隅にあるからである。
東から来る風は、東側の校舎にブロックされるし、南からの風は窓からは入らない。
しかも、朝と夕方には日光が差し込む。
もし、幾分西側に校舎を振っておけば風も通ったであろう。
気温が30℃そこそこのころは、これでも問題は無かったのかも知れない。
しかし、近年は簡単に35℃を超えてしまう。
エアコンもなく、扇風機さえない教室でこの夏を乗り切れるのか不安である。

それじゃ、プロジェクターを使う授業を断念して、普通教室でチョークを使って授業をすれば良いのか?
それは長年積み重ねてきた私の経験を捨て去ってしまうことである。
画像や映像を用いての授業が私の真骨頂だと信じているからである。
しかも、小テストや演習では解答や解説が容易にできて便利である。
赴任して3ヶ月にして早くも大きな壁にぶち当たってしまった。
以前いた学校では遮光カーテンとパソコン用冷風扇を自前で用意して乗り切った。
この学校ではそれだけでは済まないような気がする。
いよいよ年貢の納め時なのかもしれない・・・

2013年6月11日火曜日

50年の時

私は19歳まで赤穂に住み、27歳でUターンして、35歳で上郡に引っ越した。
上郡に引っ越してからは、赤穂は里帰りの場所になった。
ただ、父親が5年前に亡くなってからは、畑仕事をする場所になった。
今年から赤穂に勤めが変わったので、活動時間的には赤穂で過ごす方が長くなった。
この赤穂の尾崎御崎地区では活動時間という意味ではUターンした独身時代以来の多さということになる。
結婚して赤穂でも大津という所に住み、職場も近くにあったので同じ赤穂でも全く違った。
その独身時代もこの地区で勤めていたのは、ほんの半年ほどだから、中学高校は姫路に通学したので小学校以来と言っても過言ではない。
小学校の時に新しく建った尾崎小学校の校舎から眺めた風景が時に甦る。
今の職場から眺める風景とは位置が違うにしても、山の形は昔のままである。
ただ、町の風景があまりにも変わってしまっているので、もう自分の故郷という実感は無い。

そんな中で、ふと記憶を目覚めさせるのは、断片的に残る路地や建物である。
お客さん的な目で見るそういう風景と、生活者の目で見る風景とは違う。
勤めることによって生活者の目になってきているのである。
実は、上郡は引っ越して20年近くなるのに、まだ風景が疎遠な感じがする。
その理由は山や川、路地の隅々まで歩いた赤穂のこの地区との差にある。
友達が住んでいた場所や、いっしょに遊んだ場所は、大人になって用事で行く場所とは全く違う。
おそらく今の勤め先で仕事をしている職員の多くは、この地区以外の住民なので、見ている景色に対しての気持も違うのだろうと思う。

今の職場では伝統という言葉がよく出てくる。
ところが、校舎はお城の中にあったのが、現在の海辺に変わった。
私と同世代のこの学校の卒業生は、旧校舎である。
私の中学高校の母校は同じ場所に建て替えたので、むしろ建物が変わっても学んだ頃の懐かしさは残っている。
おそらく、この校舎を卒業していない卒業生には母校という感覚は校舎に感じないだろう。
私も八王子に移転した母校の都立大学(首都大学)を一度も行ったことは無いし、行きたいと思わない。
同じ場所にあって伝統も重みを出すように思う。

きっと生徒は変な元赤穂人が舞い戻ってきたと思っていると思う。
時々話す赤穂の話題や赤穂(尾崎)弁、
「じいちゃん元気か?」と生徒に言っても、そのじいちゃんは私の子供の頃しか知らない。
新しい記憶の方が多くなるまで、私は過去の記憶に捕らわれたままかも知れない。
その内、昔を忘れさせられるほどの出来事が積み重ねられるかも知れないが・・・