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2013年7月27日土曜日

千種への水汲み2013年夏

先週の日曜日の午後から千種へ水汲みに出かけた。
このところ、土日しか出かける機会が無かったが、汲むのに順番待ちは無かったので、不安無く出かけた。
午後二時過ぎに掛けたので、午後5時頃には戻ってこられると思っていた。
ところが、徳久駅の前の姫新線の高架を過ぎた頃から、道路が渋滞して全く動かない。
徳久駅前の三叉路だけでは無く、どうやらその先まで続いている。
来るまでは全く気にしていなかったのだが、南光町のひまわり園へ行く車で渋滞しているようだ。
徳久駅から歩いて会場に向かう若いアベックや、子連れが車より先に行く始末。
あまりにも時間がかかるので、場合によっては汲みに行くのを改めようかと思った。
ただ、町中の渋滞と違って、山や川、田園を眺めながらの渋滞なので、そう苦痛は無い。
会場から帰ってくる人は、小さなひまわりを持って楽しげである。
近隣の人は家から出かけるのも大変だねと家内は気の毒がっていたが、普段人通りの少ないこの地域では、大勢の人がやって来てむしろ嬉しいのではないかと思えた。

南光町のひまわり栽培と観光の取り組みは、我が家の子供が小さい頃に始まっていた。
だんだんと規模が大きくなったし、場所もあちらこちらと拡大したように思う。
一度子供が小さい時にひまわり園に連れて行ったが、幼い娘はひまわりが同じ方向に向かって咲いている光景を怖がった。
チューリップは上を向いているし、桜などの小さな花はその集まり全体で風景になる。
ひまわりは多くの人が同じ方向に向かって直立しているような印象であって、娘としてはひまわりに見られているというように思えたらしい。
私達の年齢はソフィアローレンとマストロヤーニの「ひまわり」の映画とそのテーマ音楽を思い出す。
必ずひまわりが咲いている頃に水を汲みに来るので、車の中で口ずさむ。
ただ、今までは私が休みが取れる平日に行っていたが、家内の方がむしろ休みが取れなくなった。
そこで、初めてひまわりシーズンの休日に水汲みに来たのが大きな間違いで、会場への入り口を過ぎるのに1時間ちかくかかった。
会場を過ぎてからは普段通りに走れたが、千種スキー場でもユリ園を開催しているせいか、対向車は多かった。

川沿いにあるキャンプ場はどこも子供連れの客が多く、川に浮き輪を浮かべて遊んだり、バーベキューをしている。
子供が小さい時には、盆に甥や姪が集まってきて、南光町のキャンプ場で水遊びをさせた。
少し離れた粟倉のキャンプ場で宿泊したし、千種高原でもキャンプした。
子供が成長した今では、夫婦で通りかかって、懐かしく眺めるだけである。
孫と来ることができれば、楽しいかなと思いつつ、それも期待できないようにも思う・・・。

水汲み場は誰一人いなく、通りがかりの車が物珍しげに、車を止めて眺めていくだけであった。
機械を二つとも使えたので、汲む時間は短かった。
帰りの渋滞に巻き込まれないかと不安であったが、時間も5時近くなっていたのでさすがに台数は減っていて、殆ど渋滞は無かった。

今回目にしたナンバープレートは京都、大阪、岡山はもちろん、名古屋や九州など遠くから来たものもあった。
雑誌やネットで紹介されているのだろうが、地元の人間は毎年恒例なので、関心はそう高くない。
それにしても、息の長い取り組みで、これだけの観光客を呼び込むことのできた企画には感心させられる。
交通が不便で大渋滞を引き起こしてしまうのを、きちっと解決できれば申し分ないだろう。
都会の人はこういう自然に対しても、魅力を感じてくれているのだから、これからの観光は自然を活かした上で、車で手軽に行けることが必要条件だろう。
上郡町もモロヘイヤや葡萄だけでなく、桃やアーモンドのように花も実も魅力のあるものを栽培したらどうだろうか?
赤穂も本当なら、梅を栽培して、塩と絡めて梅干し特産にすれば良いようにも思う。


2013年7月6日土曜日

見直したヤモリ

今年もヤモリのやっちゃんの季節が来た。
毎晩、風呂の窓ガラスで小さな蛾をハンティングする様子を見るのが楽しみである。
風呂の窓には3匹のヤモリが鎬を削っている。
強いのや弱いの、尻尾を取られているのがいる。
面白いのは強いのが横取りしたりするが、ひらひら舞う蛾が、偶然に弱いヤモリの傍の口元に追い込まれたりして、却って得をしたりする。
ケンカする時は尻尾を激しく振って威嚇して、噛みついたりする。
それを見ていると飽きないので入浴が楽しくなる。

先日クローズアップ現代で、生物模倣技術(Biomimetics)の特集があり、ヤモリテープなるものの紹介があった。
私はヤモリがガラスでも自由に歩き回れるのは吸盤が付いているからだと思っていた。
ところが、ヤモリの指にはナノレベルのマジックテープが付いているらしい。
以前勤めた高校の特別学習で、カーボンナノチューブの講義を生徒といっしょに受けたが、その技術がこれに活かされるらしい。
カーボンナノチューブでマジックテープを作ると何でもひっつけられて離せるらしい。

このことを今勤めている生物の先生に話すと、解説をしてくれた。
要するに、本来物質はプラスマイナスでくっつき合うので、くっついてしまわないようにナノ単位で隙間を掛けるのが肝要らしい。
私はひっつくようにする技術だと思っていたが、ひっついてしまわないようにする技術であることが分かった。
カーボンナノチューブなど何の役に立つのだろうと思っていたが、こういうことに大きな力を発揮することが分かり、基礎研究の重要性を思い知った。

クローズアップ現代では、蜘蛛の巣、鰒の貝殻、蝶のストロー、ハチドリの羽ばたきなど、色々な例を挙げてくれていた。
実は私は高校生の時に一番好きだったのは生物だった。
大学は農学部に行きたかったのだが、父親の反対が強く学費を出して貰えそうに無かったので、物理化学に選択にしたが、興味が持てずに結局高3で文系に変わった。
最近でこそ農学部は人気が高くなったし、生物学も生物模倣技術によって脚光を浴びる様になった。
おそらく、逆境にもめげずに弛まない研究を続けてきた人達の成果だと思う。
先見の明の無かった我々の世代の一員としては、せめてその努力を賞賛したいと思う。

そう考えるとヤモリのやっちゃんを見る目も変わってきた。
人間なら高価なカーボンナノチューブが必要なのに、生まれながらにして身につけている。
おそらく人間が誕生する前から備わっていた物なのだろう。
調べてみると、原生林には存在せず平安時代にやって来た外来種だという。
しかも、県によっては絶滅危惧種にもなっているという。
幼い頃は外風呂や便所の壁にいて気持ち悪い存在だったが、夏場可愛い居候として今は大歓迎である。
ヤモリテープの開発を機会に日本中で大切にしてあげて欲しいと思う。





合唱

私は学生時代にロックバンドのボーカルをやっていたので、歌うのは得意ではあったが、楽譜で正確に音がとれないのでコーラスは苦手であった。
また、地声を基本とするロックに対して、声を作るコーラスは不自然な感じで好みでは無かった。
ところが、今年から赴任した高校では合唱コンテストが文化祭で行われる。
学年予選で通ればハーモニーホールで歌えるという。
担任としては、是非あの音響効果抜群の舞台で歌ってもらいたいと思った。
この頃は合唱の楽譜やCDもあって、正確に楽譜が読めなくても、音を頼りに真似ができる。
担任としては男性のベースパートくらいは歌えなくではと思って、練習してみると結構面白い。
そこでやっと気づいたのは、地声で歌うと音色が揃わないので、舌を丸めたりして音色を揃えた方がきれいに響くと言うことである。
バンドでは裏声で音色を揃えるが、コーラスは舌を丸めたりして音色を揃える必要があったのだとこの歳になって初めて納得した。

自分は面白くて何度も練習してだいぶ譜面通りに歌えるようになった。
始めの頃は伴奏をする女子生徒から音が外れていることを指摘さえていたが、それもなくなった。
ただ、男性生徒が声を出さないので、女性生徒に対抗するために声を大きく出すと、伴奏者から顰蹙を買ってしまった。
そこで、男性生徒のリーダーに託して、潔く身をひくことにした。
そうすると、結構男性生徒も声が出るようになった。
どうも、私がしゃしゃり出るのが悪かったようだ。
ただ、まだ歌いこなしているという段階で、気持を込めて、他のパートや、個人の声を尊重しながら歌う段階には至っていない。
たぶん、これから磨きを掛けるのが一番難しいのだろう。

私自身、以前は自慢の声量に物を言わせて、シャウトする歌をよく歌った。
Led Zeppelinの「移民の歌」やDeep PurpleのHighway Starなどがそうである。
しかし、相手の心に響く歌唱力という意味では、自分でも乏しいということは分かっていた。
最近になって、一人カラオケや、一人ギターを楽しんでいるが、その時に一番気にしているのは、やはり説得力のある歌い方である。
歌は人柄や人生経験を表現できるし、歌を通じて気持も通じ合うことができる。
今回も同じ職場の職員と急遽ユニットを作って、文化祭で有志で参加することにして練習している。
以前は歌唱力を評価して欲しいという気持で歌うことが殆どだったが、今は歌を通じて身近に感じて欲しいという気持ちが強い。
普段教壇に立って難しいことばかり話している教師だが、歌を通じて世代を超えた共感が得られたらと思っている。

私は正直なところ、歌のコンテストなど、優劣をつけるものは好きでは無い。
クラスの生徒が気持を一つに合わせることができれば、予選を勝ち抜かなくても良いと思っている。
生徒には君たちの歌を是非ハーモニーホールで聴きたいとは言ってはいるけれど、もし叶わなくても、私自身がコーラスの勉強をさせてもらう良い機会になると思っている。
実際、歌を歌うのが大嫌いな生徒もいるわけで、その生徒には苦痛そのものであろう。
そんな歌の苦手な生徒も含めて、どれだけ気持を一つにできるかが大切だとと思う。
好きな者だけが集まるクラブや有志と違い、クラスで行う合唱は、結果よりも過程が大切であることを生徒には分かってもらいたいと思っている。


2013年7月1日月曜日

ジャガイモと枇杷の収穫

6月29日の土曜日は赤穂の畑のジャガイモと枇杷の収穫を行った。
しばらく来ていなかった畑は、ジャガイモの姿など枯れてなく草だらけ、まずは草刈り機で草を刈らねばならなかった。
本来はマルチをして、掘り起こすのを楽にするはずだったのだが、それができてなかった。
雨上がりの土は重く、備中鍬に絡みつく。
それでも、畦の幅を広く空けて、高くしていたので幾分掘り起こしやすかった。
できはまずまずで、マルチが無くてもそれ程腐ったりはしていなかったが、蟻にはそこそこやられていた。

家内は掘り起こした芋を拾い上げて、コンテナに入れた。
また、家内は私が掘り起こす合間に、落花生や薩摩芋の苗の周りの草取りをした。
先日、急いで蔓を刈って植えた苗はちゃんと付いていた。
今年は薩摩芋よりも大豆を多く植えるつもりである。
隣の畑のお婆さんがジャガイモが全部あおくなってしまった嘆いた。
お爺さんが調子が悪くなって、私の同級生の息子と畑をしてるのだが、まだ経験が乏しい。
どうも、種芋を浅く植えてしまったのが原因らしい。
私も今回は、メークインとキタアカリの種芋を混ぜて植えてしまい、芋が混じってしまっている。
それでも、コンテナに3杯ほど採れた。
後で聞いたのだが、上郡町中野の近所の家では雨不足でさっぱり採れなかったという。

実は朝の9時前に畑に到着して、一畦を残して昼になってしまった。
一畦掘りきるのは諦めて、帰ることにした。
この3時間ほどの間ずっと芋を掘っていたのでは無くて、合間合間に草を刈ったり、枇杷の収穫をした。
枇杷は目の細かいネットを掛けていたお陰で、鳥にはやられていなかったが、照りが悪かったせいか甘みが少なくて水っぽかった。
粒はピンポン球ほどにはなっていたのだが、職場の人に配るには憚られた。

かつてジャガイモを掘っていて、熱中症になってしまった経験から水分補給はまめに行った。
腹が空いたら枇杷を囓った。
それでも、帰る頃には二人ともへとへとになって、足許がよろついてしまった。
近くのスーパーマーケットによって昼の弁当を買った。
家内が小豆キャンデーを買って二人で車中で食べたが、帰ってからのビールが不味くなるので少しだけにした。

この梅雨の合間のジャガイモと枇杷の収穫が一番過酷な作業である。
家内の実家は高齢で、ジャガイモを植えるのは数年前に止めている。
私も来年からは、家の近くの畑に植えて少しずつ掘ろうと思っている。
マルチをすれば、掘らずに置いておいても良さそうなので、来年はしっかりマルチもしよう。
美味しいビールを二人で飲みながら来年のことを話した。