前任校は特別支援学校で、普通校に代わった今ではそこで出会った先生や生徒に出会う機会はほとんど無かった。
ところが、たまたま仕事上の会議で。同じ学年の先生と1年ぶりに出会うことが出来た。
一番気にかかっていたのはやはり、担任していた生徒の卒業後の様子である。
担任した生徒が施設や作業所、職場で頑張っているのを聞いて安心した。
ただ、卒業後を心配した生徒はやはり上手くいっていない様子だった。
私は前任校の先生とほとんど連絡を取っていないので、胸のつかえが取れた感じがした。
二つの学校に別れて、随分変わった様子だった。
夕方、テレビを見ていて驚いた。
なんと、前任校で校長をしていた人が、記者会見をしていた。
立場は市の教育長であった。
その先生が退職後に勤めていた庁舎で会議が有り、先ほど噂をしたばかりだった。
今年から勤め始めた市の教育現場で大きな問題が生じたようだった。
前任校でも学校分割という重責を果たし、今回はそれ以上に大変な場面である。
1年ぶりに見かけた場面がテレビで、それも悪い状況なので懐かしさは吹っ飛んでしまった。
責任を担う人は、どこへ行っても休まることが出来ないのかと、気の毒にも思い、敬服した。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2014年5月30日金曜日
2014年5月17日土曜日
野獣死す
高校時代の一つ上の先輩のN氏の訃報を聞いた。
脳梗塞で一度倒れて、二度目で結局旅立ってしまった。
彼は高校ではサッカー部のキャプテンもし、突出した風格を持っていた。
前歯は試合で蹴られて折れて、そのままにしていた。
遊びも大好きで、やばいことをして小遣いを稼ぎ、それで授業料を稼いだと自慢していた。
一つ上の先輩の中では一番目立つ存在でもあった。
その先輩は彼が高3の時に、文化祭で一緒のバンドを組んで、ドラムを叩いてくれた。
とにかく、サッカーをやっているので、蹴りが強くてバスドラがよく動いてしまった。
あまり音楽に触れていなかったので、リズムはよく狂ったが力強さは魅力だった。
彼は、私も夢見た北大の農学部の獣医学科に合格した。
訃報で以外に、獣医としてどのように暮らしていたかは伝わってこなかった。
しかし、高校時代の彼の行動から、豪放な生活をしていたことが想像できた。
前歯が折れても無頓着でいた彼のことだから、健康にあまり留意しなかったのだろう。
よく働き、よく飲み、よく食べて、よく遊んだであろうことは間違いない。
高校時代の文化祭のステージでやった曲の中で、彼が一番気に入っていたのは、漫画ギャートルズのエンディングの曲であった。
「なんにもない なんにもない 全く何にもない 生まれた生まれた 星が生まれた・・・」
このシンプルな曲を、彼の希望もあって敢えて使った。
私はビートルズのHeltere Skelterが一番歌っていて興奮したが、野蛮に見えた彼の方は静かな曲が好きだった。
野獣のように闘った彼は、心優しい人でもあった。
きっと、広い宇宙のどこかの星になって、前歯の抜けた顔をしてにやっと笑っているだろう。
脳梗塞で一度倒れて、二度目で結局旅立ってしまった。
彼は高校ではサッカー部のキャプテンもし、突出した風格を持っていた。
前歯は試合で蹴られて折れて、そのままにしていた。
遊びも大好きで、やばいことをして小遣いを稼ぎ、それで授業料を稼いだと自慢していた。
一つ上の先輩の中では一番目立つ存在でもあった。
その先輩は彼が高3の時に、文化祭で一緒のバンドを組んで、ドラムを叩いてくれた。
とにかく、サッカーをやっているので、蹴りが強くてバスドラがよく動いてしまった。
あまり音楽に触れていなかったので、リズムはよく狂ったが力強さは魅力だった。
彼は、私も夢見た北大の農学部の獣医学科に合格した。
訃報で以外に、獣医としてどのように暮らしていたかは伝わってこなかった。
しかし、高校時代の彼の行動から、豪放な生活をしていたことが想像できた。
前歯が折れても無頓着でいた彼のことだから、健康にあまり留意しなかったのだろう。
よく働き、よく飲み、よく食べて、よく遊んだであろうことは間違いない。
高校時代の文化祭のステージでやった曲の中で、彼が一番気に入っていたのは、漫画ギャートルズのエンディングの曲であった。
「なんにもない なんにもない 全く何にもない 生まれた生まれた 星が生まれた・・・」
このシンプルな曲を、彼の希望もあって敢えて使った。
私はビートルズのHeltere Skelterが一番歌っていて興奮したが、野蛮に見えた彼の方は静かな曲が好きだった。
野獣のように闘った彼は、心優しい人でもあった。
きっと、広い宇宙のどこかの星になって、前歯の抜けた顔をしてにやっと笑っているだろう。
ネズミ騒動
一週間ほど前に、我が家に大きなクマネズミが進入した。
居間で夜テレビを見ていると、かさかさと音がする。
ふと、棚の上に目をやると、体長20cmほどの茶色の大ネズミ、一瞬目を疑った。
ネズミも動きを止めたが、こちらに悟られたのがわかったのか、おいている箱などの隙間に隠れた。
置いているものをどけて、捕まえると大騒ぎになるのでしばらく様子を見た。
すると、カーテンレールを伝っているのが分かったので、粘着性のねずみ取りを通り道に仕掛けた。
翌朝、ネズミはかかってはいなかった。
そこで、テレビの裏側が、一番物陰になって潜みそうなのでそちらに仕掛け直した。
その翌朝、居間に入ってみると、「チュー チュー」と鳴き声がする。
しかし、明らかにか細くて高い声、ハツカネズミである。
クマネズミを捕るつもりが、ハツカネズミがかかってしまった。
ほかにも侵入者がいたことで、また別の不安も生じた。
鳴き声を聞きながら、朝食をとるのはあまり気持ちのいいものではなかった。
クマネズミの方は、別の座敷の部屋でタンスの上を走り抜けるのを発見した。
ますます不安が増す、服を食い破って巣を作るかのせいがあるからだ。
どうしたらいいものか、思案しながらねずみ取りを増やそうと考えていた矢先の夜。
なんと、クマネズミは食器棚の中にいるではないか。
真ん中で仕切っている食器棚の右側に這い込んだので、片方にガラス戸を寄せて出られなくなるように粘着テープで封をした。
これくらいのテープは食い破られると思ったので、上からちょうどいい寸法のアルミの物差しがあったので、それに補強した。
こうすれば、ネズミは何日か後に飢え死にすると安心した。
翌朝、ハツカネズミが掛かったまま放っておいたねずみ取りが妙である。
なんと、でかいクマネズミが掛かっている。
もう一匹いたのかと、とりあえず散歩に出かけた。
戻って来て、家内に掛かっていることを告げると、戸棚から逃げて掛かったのだという。まさかと思って、戸棚を見ると見事に隙間を空けている。
もっと、しっかり貼り付ければよかったのである。
しかし、せっかく脱出できたのに、ねずみ取りに掛かるとは運の悪いやつだと思った。
火箸と肥料袋を用意してきて、まだ動いているネズミを仕掛けまま入れて、結束バンドで封をした。
本当は、掛かったままゴミに出しておかなかったことを、前日に家内に文句を言ったのだった。
捨てなかったのがかえって、いい結果を招いた。
これで、やっと平和な日常が戻って来た。
しかし、小者はまだいる可能性は十分ある。
家内はまた新しい仕掛けを買ってきた。
居間で夜テレビを見ていると、かさかさと音がする。
ふと、棚の上に目をやると、体長20cmほどの茶色の大ネズミ、一瞬目を疑った。
ネズミも動きを止めたが、こちらに悟られたのがわかったのか、おいている箱などの隙間に隠れた。
置いているものをどけて、捕まえると大騒ぎになるのでしばらく様子を見た。
すると、カーテンレールを伝っているのが分かったので、粘着性のねずみ取りを通り道に仕掛けた。
翌朝、ネズミはかかってはいなかった。
そこで、テレビの裏側が、一番物陰になって潜みそうなのでそちらに仕掛け直した。
その翌朝、居間に入ってみると、「チュー チュー」と鳴き声がする。
しかし、明らかにか細くて高い声、ハツカネズミである。
クマネズミを捕るつもりが、ハツカネズミがかかってしまった。
ほかにも侵入者がいたことで、また別の不安も生じた。
鳴き声を聞きながら、朝食をとるのはあまり気持ちのいいものではなかった。
クマネズミの方は、別の座敷の部屋でタンスの上を走り抜けるのを発見した。
ますます不安が増す、服を食い破って巣を作るかのせいがあるからだ。
どうしたらいいものか、思案しながらねずみ取りを増やそうと考えていた矢先の夜。
なんと、クマネズミは食器棚の中にいるではないか。
真ん中で仕切っている食器棚の右側に這い込んだので、片方にガラス戸を寄せて出られなくなるように粘着テープで封をした。
これくらいのテープは食い破られると思ったので、上からちょうどいい寸法のアルミの物差しがあったので、それに補強した。
こうすれば、ネズミは何日か後に飢え死にすると安心した。
翌朝、ハツカネズミが掛かったまま放っておいたねずみ取りが妙である。
なんと、でかいクマネズミが掛かっている。
もう一匹いたのかと、とりあえず散歩に出かけた。
戻って来て、家内に掛かっていることを告げると、戸棚から逃げて掛かったのだという。まさかと思って、戸棚を見ると見事に隙間を空けている。
もっと、しっかり貼り付ければよかったのである。
しかし、せっかく脱出できたのに、ねずみ取りに掛かるとは運の悪いやつだと思った。
火箸と肥料袋を用意してきて、まだ動いているネズミを仕掛けまま入れて、結束バンドで封をした。
本当は、掛かったままゴミに出しておかなかったことを、前日に家内に文句を言ったのだった。
捨てなかったのがかえって、いい結果を招いた。
これで、やっと平和な日常が戻って来た。
しかし、小者はまだいる可能性は十分ある。
家内はまた新しい仕掛けを買ってきた。
2014年5月11日日曜日
好きは上手の元
教えてもらう人によって、成績や特技が伸びたり、伸びなかったりする。
特に私は、その傾向が強くて、この歳になってもそれが続いているようだ。
40過ぎて教えてもらった水泳も、コーチを気に入ったので頑張れた。
そのコーチは30代の男性で、人の気持ちを汲むのが上手だった。
小学校の時も、好きな担任の先生の時には成績も伸びたが、嫌な担任の時にはわざと学校を休んで悪かった。
中学校の時には、好きな数学の教師の時には学年で一番の点数を採れたが、高校になって嫌いな教師の時に理系から文系に変わった。
絵も小学校から習いに行った先生も好きで画家になりたいと思ったが、中学校の美術の先生が嫌いで絵は描かなくなった。
教師になった多くの人は、好きな教師に憧れてなっている人も多い。
ということは教師である自分も、生徒から嫌われると教えている科目も嫌われるし、好かれれば好きになってもらえると言うことである。
ただ、好きになってもらう努力をしても、空回りすることもあるし、逆に嫌われたりもする。
自然に振る舞いながら、生徒から好かれるのはなかなか難しい。
ただ、恋愛と違って、年齢はあまり関係ないようだ。
どこの学校へ行っても、年配の先生で生徒から大変慕われている人がいる。
逆に若くて美人なのに、生徒と上手くいかない人もいる。
教師としては、教える人と関係なく勉強やスポーツをがんばって欲しいと思うが、それは言い訳なのかもしれない。
容貌や年齢に関係なく、生徒にとって魅力ある教師を目指さなくてはいけないのだろう。
ある先生は、中学校も行けず、高校も全日制は中退して、通信制を卒業したという。
ただ、全日制の担任の先生がすごく良くて、憧れて頑張り、国立の教育大に見事合格した。
その担任の先生がいたから、教師を目指したという。
不登校の生徒も、関わる教師によって、教師にさえできることを証明している。
残念ながら自分が担任した生徒は教師になっていないので、教師としての魅力に欠けるのかもしれない。
それでも、教えている歴史が好きで、そのコースに進んだ生徒や、今も進もうとしている生徒がいるのは少しは救いである。
ただ、この道はなかなか食っていけないぞと、言い続けてはいる。
何でも良いから自分で学ぼうとする姿勢が少しでも育ってくれたら、私は それだけで嬉しい。
特に私は、その傾向が強くて、この歳になってもそれが続いているようだ。
40過ぎて教えてもらった水泳も、コーチを気に入ったので頑張れた。
そのコーチは30代の男性で、人の気持ちを汲むのが上手だった。
小学校の時も、好きな担任の先生の時には成績も伸びたが、嫌な担任の時にはわざと学校を休んで悪かった。
中学校の時には、好きな数学の教師の時には学年で一番の点数を採れたが、高校になって嫌いな教師の時に理系から文系に変わった。
絵も小学校から習いに行った先生も好きで画家になりたいと思ったが、中学校の美術の先生が嫌いで絵は描かなくなった。
教師になった多くの人は、好きな教師に憧れてなっている人も多い。
ということは教師である自分も、生徒から嫌われると教えている科目も嫌われるし、好かれれば好きになってもらえると言うことである。
ただ、好きになってもらう努力をしても、空回りすることもあるし、逆に嫌われたりもする。
自然に振る舞いながら、生徒から好かれるのはなかなか難しい。
ただ、恋愛と違って、年齢はあまり関係ないようだ。
どこの学校へ行っても、年配の先生で生徒から大変慕われている人がいる。
逆に若くて美人なのに、生徒と上手くいかない人もいる。
教師としては、教える人と関係なく勉強やスポーツをがんばって欲しいと思うが、それは言い訳なのかもしれない。
容貌や年齢に関係なく、生徒にとって魅力ある教師を目指さなくてはいけないのだろう。
ある先生は、中学校も行けず、高校も全日制は中退して、通信制を卒業したという。
ただ、全日制の担任の先生がすごく良くて、憧れて頑張り、国立の教育大に見事合格した。
その担任の先生がいたから、教師を目指したという。
不登校の生徒も、関わる教師によって、教師にさえできることを証明している。
残念ながら自分が担任した生徒は教師になっていないので、教師としての魅力に欠けるのかもしれない。
それでも、教えている歴史が好きで、そのコースに進んだ生徒や、今も進もうとしている生徒がいるのは少しは救いである。
ただ、この道はなかなか食っていけないぞと、言い続けてはいる。
何でも良いから自分で学ぼうとする姿勢が少しでも育ってくれたら、私は それだけで嬉しい。
2014年5月7日水曜日
思考は休みに作られる
この五月の四連休は、ほとんど農作業に明け暮れた。
毎年、夏物の野菜の植え付けに追われるのだが、それでも一日くらいはレジャーを行った。
四月に家内が入院したこともあって、農作業が手つかずにいたので、そのつけがこの連休にまわった。
去年までは家内と二人で作業が出来たが、今年はほぼ一人でしなくてはならない。
そうなると、一人でもやれるように工夫をする。
例えばマルチを使うのは以前は控えていたが、活用せねばならなくなる。
一人で設置する時も、うまく土をかけながら作業して、以前よりも手際よく出来るようになった。
ジョギングで鍛えているせいか、農作業そのものもそう苦痛ではなくなった。
出かける予定が無いと、時間の余裕が出来て、今までしていなかったことも出来た。
例えば、今年からニンニクの芽を摘んで食べ始めた。
畑の横に生えている、蕗を摘んできた。
今日は山に登って、馬酔木を採るついでに、ワラビも採ってきた。
当然一日中農作業というのではなくて、買い物にも出かける。
それも遠くには出かけられないので、姫路とか備前とかである。
初日は千種まで水くみに行った。
それらは、普段の週末にもやっていることで、四連休ならではのことは無い。
取り立てて何も無かった連休だが、ふと振り返ると気持ちが変わっている。
年度末から年度始めと慌ただしく、仕事や雑用に追われて考える余裕など無かった。
この連休も、夜になると疲れて眠ってしまうことの方が多かった。
最終日の午後はさすがに、虚しく感じることもあったが、こうして夜になると、不思議とすがすがしい。
間延びした連休の時間のおかげで、気持ちの余裕が出来たのかもしれない。
子供の頃は夜に、体が成長した。
女性は夜にお肌が作られるという。
運動や、勉強も夜の過ごし方が大切である。
それと同じように、忙しく過ごす毎日に必要なのはこういう休日だと思う。
本当は旅行にでも出かけて、大きく気分転換できれば良いのだろう。
得てして、休みにはクラブの練習とか、受験勉強とか普段以上に求められることもある。
近年は宿題などを出すように、保護者から求められたりもする。
確かに夏休みなどの長い休日もあるのだが、五月のこの連休はそれとは大きく違う。
年度替わりや、季節などの環境の変化に、対応するための調整期間となる。
だから、ゆっくりと過ごせる時間も必要に思える。
気持ちの余裕が出来たところで、これからどう仕事や、勉強や運動をしようかと考えることが出来る。
私にとっても、もやもやしていた思考が、不思議と何となく晴れた良い休みとなった。
毎年、夏物の野菜の植え付けに追われるのだが、それでも一日くらいはレジャーを行った。
四月に家内が入院したこともあって、農作業が手つかずにいたので、そのつけがこの連休にまわった。
去年までは家内と二人で作業が出来たが、今年はほぼ一人でしなくてはならない。
そうなると、一人でもやれるように工夫をする。
例えばマルチを使うのは以前は控えていたが、活用せねばならなくなる。
一人で設置する時も、うまく土をかけながら作業して、以前よりも手際よく出来るようになった。
ジョギングで鍛えているせいか、農作業そのものもそう苦痛ではなくなった。
出かける予定が無いと、時間の余裕が出来て、今までしていなかったことも出来た。
例えば、今年からニンニクの芽を摘んで食べ始めた。
畑の横に生えている、蕗を摘んできた。
今日は山に登って、馬酔木を採るついでに、ワラビも採ってきた。
当然一日中農作業というのではなくて、買い物にも出かける。
それも遠くには出かけられないので、姫路とか備前とかである。
初日は千種まで水くみに行った。
それらは、普段の週末にもやっていることで、四連休ならではのことは無い。
取り立てて何も無かった連休だが、ふと振り返ると気持ちが変わっている。
年度末から年度始めと慌ただしく、仕事や雑用に追われて考える余裕など無かった。
この連休も、夜になると疲れて眠ってしまうことの方が多かった。
最終日の午後はさすがに、虚しく感じることもあったが、こうして夜になると、不思議とすがすがしい。
間延びした連休の時間のおかげで、気持ちの余裕が出来たのかもしれない。
子供の頃は夜に、体が成長した。
女性は夜にお肌が作られるという。
運動や、勉強も夜の過ごし方が大切である。
それと同じように、忙しく過ごす毎日に必要なのはこういう休日だと思う。
本当は旅行にでも出かけて、大きく気分転換できれば良いのだろう。
得てして、休みにはクラブの練習とか、受験勉強とか普段以上に求められることもある。
近年は宿題などを出すように、保護者から求められたりもする。
確かに夏休みなどの長い休日もあるのだが、五月のこの連休はそれとは大きく違う。
年度替わりや、季節などの環境の変化に、対応するための調整期間となる。
だから、ゆっくりと過ごせる時間も必要に思える。
気持ちの余裕が出来たところで、これからどう仕事や、勉強や運動をしようかと考えることが出来る。
私にとっても、もやもやしていた思考が、不思議と何となく晴れた良い休みとなった。
2014年5月4日日曜日
自家製豆乳
毎年黒大豆を栽培して、枝豆以外の食べ方としては、甘い煮豆か酢大豆しか無かった。
煮豆は糖分が多いので、正月以外にはほとんど食べない。
枝豆にしても、酢大豆にしても、食べ過ぎると酷い便秘になって苦しんだことがあるので、ほどほどにしなくてはいけない。
何とか消費したかったので、たまにご飯に混ぜて炊いてもらったりしたが、結局去年は余らせた。
以前から、自家製の豆乳を作る電気製品があることは知っていた。
手間をかけて、普通のミキサーで作る方法もあるが、めんどくさくてしなかった。
そこで、少々値が張るが(約8000円)、毎日でも手軽にできる豆乳製造器をネットで買った。
初めて作った時は、豆が十分に粉砕されていなくて、薄い豆乳になった。
そこで水に浸す時間をしっかりかけてやると、濃いい豆乳ができた。
黒大豆なので、灰色がかって見た目は良くないが、癖の少ないおいしい豆乳になった。
冷蔵庫に保存すれば数日は持つので、毎日作る必要は無い。
何よりもおからがおいしい。
市販のおからは、成分を絞りきってまさしく残り糟という感じだが、幾分成分が残っていておいしい。
今流行のおからダイエットではないが、色んなものに混ぜて食べることもできる。
豆乳と言えば子供の頃に、豆腐屋の豆乳を体に良いからと飲まされた。
当時の豆乳は臭いが強くて、無理矢理飲まされているという感じだった。
それが大学生の頃、スジャータの豆乳に出会って、牛乳代わりにおいしく飲んでいた。
調製豆乳も出てきて、飲みやすくなったが、私は何も加えていない豆乳の方が好きである。
牛乳は知識として、日本人には消化できない糖質があることも知っていたし、脂肪分が気になった。
前任校では給食の牛乳は飲まずに持って帰ると、息子が飲んでくれた。
ただし、ヨーグルトは毎日食べている。
以前から、中国では豆乳を家庭で作ってよく飲んでいるということを知り、日本人もその習慣ができれば、もっと健康になるように思っていた。
大豆は枝豆、煮豆や豆腐以外にあまり食べられていない。
近年では家畜の飼料のような扱いもされる。
家庭栽培では米や麦よりも簡単だし、米麦同様長く保存できる。
炊飯器同様に、どの家庭でも豆乳製造器が普及すれば、大豆の消費も上がるだろう。
そうなれば、無理して外国がら飼料を買って牛を多く飼う必要が少しでも減る。
そもそも、省エネにできているアジア人の体質に合っているような気がするのである。
日本人は食事の欧米化によって、多くの生活習慣病を生じるようになった。
そもそも、大豆は豆腐を加工して、色んな食べ方がなされてきた。
あげ、がんもどき、高野豆腐以外にも、精進料理にいたっては何でもありである。
アジアに食料革命をもたらした大豆を、もう一度見直すべきだろう。
学校給食にも、是非豆乳を用いて欲しいと思うのだが・・・
煮豆は糖分が多いので、正月以外にはほとんど食べない。
枝豆にしても、酢大豆にしても、食べ過ぎると酷い便秘になって苦しんだことがあるので、ほどほどにしなくてはいけない。
何とか消費したかったので、たまにご飯に混ぜて炊いてもらったりしたが、結局去年は余らせた。
以前から、自家製の豆乳を作る電気製品があることは知っていた。
手間をかけて、普通のミキサーで作る方法もあるが、めんどくさくてしなかった。
そこで、少々値が張るが(約8000円)、毎日でも手軽にできる豆乳製造器をネットで買った。
初めて作った時は、豆が十分に粉砕されていなくて、薄い豆乳になった。
そこで水に浸す時間をしっかりかけてやると、濃いい豆乳ができた。
黒大豆なので、灰色がかって見た目は良くないが、癖の少ないおいしい豆乳になった。
冷蔵庫に保存すれば数日は持つので、毎日作る必要は無い。
何よりもおからがおいしい。
市販のおからは、成分を絞りきってまさしく残り糟という感じだが、幾分成分が残っていておいしい。
今流行のおからダイエットではないが、色んなものに混ぜて食べることもできる。
豆乳と言えば子供の頃に、豆腐屋の豆乳を体に良いからと飲まされた。
当時の豆乳は臭いが強くて、無理矢理飲まされているという感じだった。
それが大学生の頃、スジャータの豆乳に出会って、牛乳代わりにおいしく飲んでいた。
調製豆乳も出てきて、飲みやすくなったが、私は何も加えていない豆乳の方が好きである。
牛乳は知識として、日本人には消化できない糖質があることも知っていたし、脂肪分が気になった。
前任校では給食の牛乳は飲まずに持って帰ると、息子が飲んでくれた。
ただし、ヨーグルトは毎日食べている。
以前から、中国では豆乳を家庭で作ってよく飲んでいるということを知り、日本人もその習慣ができれば、もっと健康になるように思っていた。
大豆は枝豆、煮豆や豆腐以外にあまり食べられていない。
近年では家畜の飼料のような扱いもされる。
家庭栽培では米や麦よりも簡単だし、米麦同様長く保存できる。
炊飯器同様に、どの家庭でも豆乳製造器が普及すれば、大豆の消費も上がるだろう。
そうなれば、無理して外国がら飼料を買って牛を多く飼う必要が少しでも減る。
そもそも、省エネにできているアジア人の体質に合っているような気がするのである。
日本人は食事の欧米化によって、多くの生活習慣病を生じるようになった。
そもそも、大豆は豆腐を加工して、色んな食べ方がなされてきた。
あげ、がんもどき、高野豆腐以外にも、精進料理にいたっては何でもありである。
アジアに食料革命をもたらした大豆を、もう一度見直すべきだろう。
学校給食にも、是非豆乳を用いて欲しいと思うのだが・・・
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