今年水泳の県大会も昨日で終わった。
支援学校にいた4年を除き、10年以上前から水泳部の顧問をしてきた。
当時選手だった人が、教師やコーチとして大会に参加している。
同じ招集の役員で、今でも大会記録をもち、かつては日本新記録をだした選手が教師として参加しているのに感慨深いものを感じた。
引率教師も、顔なじみもいて、互いに老けたことを感じさせられる。
以前はいい記録を出して、上の大会に進むことを目標を第一に参加していたと思う。
今でもそれを目標にしていることに変わりは無い。
ただ、この舞台に立てて堂々と泳ぐこと自体が素晴らしいと思えるようになってきた。
生徒数も減る中で、選手の数はかなり増えて、以前行っていた途中の表彰も時間の関係でできないくらいである。
応援席もびっしり、その歓声や応援の声が大きく鳴り響いていた。
さすがに大会記録はそう多くは出なかったが、いい記録はいっぱい出た。
私学に負けないくらいのがんばりをみせる公立校もあって、顧問としても励まされる。
また、上郡のプールで一緒に泳いでいたちびっこが、大活躍しているのも嬉しい。
招集している時にも、自校以外のそういう生徒と話ができて楽しかった。
実際は休日に遠く神戸まで、朝早くから夕方遅くまで出かけていくのは大変だ。
しかし、なぜかこのポートアイランドでの県大会に来ると元気をもらえる。
今日は町ぐるみの健康診断に出かけた。
ふと案内してくれた若い職員を見ると、なじみの顔。
やはり、上郡のプールで泳いでいたちびっ子である。
彼は高校も上郡で泳いでいたので、大きくなるまで知っている。
聞いてみると今年から町の職員になったという。
こうやって、水泳仲間が地元でも活躍してくれると嬉しい。
こういうつながりが持てるから、スポーツはやっていて楽しいのだ
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2014年6月30日月曜日
2014年6月15日日曜日
歌の持つ力
私は今夢中で歌の練習をしている。
夜中でも部屋を閉め切って、YouTubeから流れる演奏に沿って、歌詞カードを見ながらギターを弾き、歌っている。
キーは最初E♭、それから転調して半音上がり、もう一度一音転調するので、一番高い音は上のシのフラットでまともな声が出ない。
それでも、練習を重ねるうちに少しずつ、声が出つつあるが、まだ満足いくものでは無い。
今回は文化祭に職員ユニットととして、有志として出演するつもりで練習している。
一緒に演奏するのは、今年から本校に赴任された先生で、部署が同じでピアノの経験者である。
今回の曲は、私が候補に挙げた中で、彼がこれだと決めた曲である。
一応オーディションがあるので、それに向けて半月前程から取り組んだ。
その若いW君は小さい頃からピアノを習っていた、大学時代にはバンドを組んでいたのだが、楽譜が無いと演奏できない。
私は楽譜はほとんど読めなくて、耳コピーをしてギターコードを見ながら演奏する。
最初はほとんどまともに、二人で合わせることが出来なかった。
お互いに自宅での練習を積み重ね、勤務時間もとっくに過ぎ、クラブの練習が終わった後で音楽室を借りて練習をした。
やっと、昨日の金曜日には、そこそこ聴けるようにはなった。
今回は、可能なら前奏や間奏で使いたいと思ったハーモニカを買って練習もしている。
クロマティックハーモニカの手頃なのをネットで購入したのだが、演奏はかなり難しい。
最初の出だしは半音上げたポジションでの前奏で、間奏は半音下げる。
息づかいが反対になるし、一番低い音がなかなか出せない。
本番で使えるかどうか分からないが、少しずつ吹けるようになっているので練習していて楽しい。
ギターも始めは座って演奏していたが、声を出すために立って演奏する練習もし始めた。
コードも転調が二回あるために、なかなか憶えきれないが、徐々に上達している。
夢中になって練習をしているうちに、今まで感じていた憂鬱な気分が無くなっているのに気がついた。
仕事に追われて、自分がやりたいことが出来なくて、腐り気味であったの気持ちに変化が生じた。
好きな歌なら、どんなに忙しくても時間を作って練習する。
人によっては時間が無くて、音楽などやれないと言うが、それはそれ程音楽が好きでは無いのだと思う。
確かに、何度も同じ曲を繰り返し練習をするのは、うんざりする時もあるのだが、徐々に思うような演奏が出来るようになるのが楽しい。
何よりもひとりでやるのでは無くて、音楽が大好きな人と一緒に演奏できるのも楽しい。
今回演奏するのはYou Raise Me Upで、Josh Grobanの演奏を手本にしている。
多くの人がカバーしているこの曲は、Celtic Womanのものを、荒川静香がスケートで用いて有名になった。
「あなたの励ましがあれば、私は強くなれる」という内容の歌なのだが、私はこの歌を演奏することで強くなれるような気がする。
考えてみれば、歌が好きな母親の影響もあって、歌は幼い頃から大好きだった。
歌を忘れた時は、ほんとうに危機的な状態だった。
どんなに辛い職場でも、歌を通して楽しめる仲間が出来た。
私にとって、You raise me upのYouとは歌で有り、その仲間である。
夜中でも部屋を閉め切って、YouTubeから流れる演奏に沿って、歌詞カードを見ながらギターを弾き、歌っている。
キーは最初E♭、それから転調して半音上がり、もう一度一音転調するので、一番高い音は上のシのフラットでまともな声が出ない。
それでも、練習を重ねるうちに少しずつ、声が出つつあるが、まだ満足いくものでは無い。
今回は文化祭に職員ユニットととして、有志として出演するつもりで練習している。
一緒に演奏するのは、今年から本校に赴任された先生で、部署が同じでピアノの経験者である。
今回の曲は、私が候補に挙げた中で、彼がこれだと決めた曲である。
一応オーディションがあるので、それに向けて半月前程から取り組んだ。
その若いW君は小さい頃からピアノを習っていた、大学時代にはバンドを組んでいたのだが、楽譜が無いと演奏できない。
私は楽譜はほとんど読めなくて、耳コピーをしてギターコードを見ながら演奏する。
最初はほとんどまともに、二人で合わせることが出来なかった。
お互いに自宅での練習を積み重ね、勤務時間もとっくに過ぎ、クラブの練習が終わった後で音楽室を借りて練習をした。
やっと、昨日の金曜日には、そこそこ聴けるようにはなった。
今回は、可能なら前奏や間奏で使いたいと思ったハーモニカを買って練習もしている。
クロマティックハーモニカの手頃なのをネットで購入したのだが、演奏はかなり難しい。
最初の出だしは半音上げたポジションでの前奏で、間奏は半音下げる。
息づかいが反対になるし、一番低い音がなかなか出せない。
本番で使えるかどうか分からないが、少しずつ吹けるようになっているので練習していて楽しい。
ギターも始めは座って演奏していたが、声を出すために立って演奏する練習もし始めた。
コードも転調が二回あるために、なかなか憶えきれないが、徐々に上達している。
夢中になって練習をしているうちに、今まで感じていた憂鬱な気分が無くなっているのに気がついた。
仕事に追われて、自分がやりたいことが出来なくて、腐り気味であったの気持ちに変化が生じた。
好きな歌なら、どんなに忙しくても時間を作って練習する。
人によっては時間が無くて、音楽などやれないと言うが、それはそれ程音楽が好きでは無いのだと思う。
確かに、何度も同じ曲を繰り返し練習をするのは、うんざりする時もあるのだが、徐々に思うような演奏が出来るようになるのが楽しい。
何よりもひとりでやるのでは無くて、音楽が大好きな人と一緒に演奏できるのも楽しい。
今回演奏するのはYou Raise Me Upで、Josh Grobanの演奏を手本にしている。
多くの人がカバーしているこの曲は、Celtic Womanのものを、荒川静香がスケートで用いて有名になった。
「あなたの励ましがあれば、私は強くなれる」という内容の歌なのだが、私はこの歌を演奏することで強くなれるような気がする。
考えてみれば、歌が好きな母親の影響もあって、歌は幼い頃から大好きだった。
歌を忘れた時は、ほんとうに危機的な状態だった。
どんなに辛い職場でも、歌を通して楽しめる仲間が出来た。
私にとって、You raise me upのYouとは歌で有り、その仲間である。
2014年6月12日木曜日
夏の初めのお客さん
今年も風呂に入るのが楽しい季節になった。
風呂の窓で蛾をハンティングするヤモリ君、何度見ても飽きない。
何度も失敗して、右往左往しながら小さな獲物を仕留めている。
今年はちぎれた尻尾が再生しかかっているのが親分で、もう一匹がその隙を狙っている。
時々、窓ガラスが鳴るほど音を立てて、けんかをしている。
その様子を見るだけで、ゆっくりと湯船につかっていられる。
招かざる客も何度か訪れた。
ムカデやネズミだが、特にムカデは下手をするとかまれるので要注意だ。
今日は私が畑から持ち帰ったレタスに付いていたという。
私はつかんでカゴに入れたが、無事で良かった。
家内は洗っていて見つけて、退治したという。
私がいる時は、その役目は私がする。
先日は私が入浴の最中で風呂場だったので、高温シャワーで退治した。
昨夜は、家内が「ちょっと ちょっと」という。
「なんだ」というと、「とにかく来て」と言うので、行ってみると、なんと蛍が米袋の中で光っている。
玄関の隙間から入って、廊下に置いてある30kg入りの米袋の中に入ったらしい。
そのうち出て行くだろうと放っておくと、気がつけば居間のドアのガラスに張り付いて光っている。
わざわざ近くの川まで見に行かなくても、自宅でテレビを見ながら蛍も眺められる。
電気を消して真っ暗にすると、ドアに小さな星のように瞬いた。
朝起きてみると、そのお客さんも帰ってしまっていた。
用事で訪れる近所の人以外に、ほとんどお客さんのない我が家だが、こういう仲間がたびたび訪れる。
以前はカブトムシや、クワガタムシ、時々、コウモリも訪れた。
昼間は当然小鳥で賑わっているけれど、夜の訪問客にも事欠かない。
風呂の窓で蛾をハンティングするヤモリ君、何度見ても飽きない。
何度も失敗して、右往左往しながら小さな獲物を仕留めている。
今年はちぎれた尻尾が再生しかかっているのが親分で、もう一匹がその隙を狙っている。
時々、窓ガラスが鳴るほど音を立てて、けんかをしている。
その様子を見るだけで、ゆっくりと湯船につかっていられる。
招かざる客も何度か訪れた。
ムカデやネズミだが、特にムカデは下手をするとかまれるので要注意だ。
今日は私が畑から持ち帰ったレタスに付いていたという。
私はつかんでカゴに入れたが、無事で良かった。
家内は洗っていて見つけて、退治したという。
私がいる時は、その役目は私がする。
先日は私が入浴の最中で風呂場だったので、高温シャワーで退治した。
昨夜は、家内が「ちょっと ちょっと」という。
「なんだ」というと、「とにかく来て」と言うので、行ってみると、なんと蛍が米袋の中で光っている。
玄関の隙間から入って、廊下に置いてある30kg入りの米袋の中に入ったらしい。
そのうち出て行くだろうと放っておくと、気がつけば居間のドアのガラスに張り付いて光っている。
わざわざ近くの川まで見に行かなくても、自宅でテレビを見ながら蛍も眺められる。
電気を消して真っ暗にすると、ドアに小さな星のように瞬いた。
朝起きてみると、そのお客さんも帰ってしまっていた。
用事で訪れる近所の人以外に、ほとんどお客さんのない我が家だが、こういう仲間がたびたび訪れる。
以前はカブトムシや、クワガタムシ、時々、コウモリも訪れた。
昼間は当然小鳥で賑わっているけれど、夜の訪問客にも事欠かない。
2014年6月10日火曜日
タマネギの収穫期の淡路
この日曜日(6/8)は、水泳の交流大会があって、引率で南あわじに行くことになった。
実は淡路島に行くのは、花博(2000年)以来だから、14年ぶりということになる。
明石から見えている淡路島を見ながら、行ってみたいと思い続けていた。
いつも二の足を踏んでいたのは、明石大橋の通行料の高さだった。
この4月からETC利用で900円ということになり、気軽に行けることになった。
車で通る明石大橋は二度目だが、他のどの橋よりも圧巻である。
何よりも、明石海峡が漁船で賑わっているのを見るのも、楽しくなる。
神戸淡路鳴門自動車道は山の上を走っているので、海を眺めながら走れて快適である。
用事できているのでなければ、どこかのパーキングで景色を眺めたいくらいである。
南あわじ市は遠かった、自宅から120kmほどある。
会場の温水プールに着いて、車のドアを開けたとたん、タマネギの臭いがした。
ちょうど収穫期で、回りの畑にはいっぱいタマネギが大きくなっ、て葉が折れ曲がって並んでいる。
天気も良いので、日曜なのに農家の人が忙しそうに収穫作業を始めていた。
私はレースが始まる前に、散歩がてら昼の弁当を買いに出かけた。
タマネギは掘り上げるのは機械だが、後はほとんど手作業である。
ひとまとめに括って,コンテナに入れたりして、タマネギ小屋まで運んでいく。
じっくり腰を下ろして作業をしているのだが、ほとんどの人が中高年で、若い人は滅多に見ない。
特に若い女性を見かけることがないので、何となく寂しい感じがした。
また、有機農業を手がけている私には、草一本生えていない畑には違和感を感じた。
マルチを使わず草が生えていないのは、除草剤を使っている可能性が高いからである。
レースが進んで、昼休みとなった。
私は時間の合間に昼食は済ませていたので、もう一度散歩に出ることにした。
どうも地形が気になっていたからである。
地理の授業を担当しているせいか、どうしてもそちらに関心が向いてしまう。
洲本川があって、その周りに平地があるのだが、もう一段上にも平地がある。
まさしく河岸段丘のようなのだが、一段上の平地は上がってみると、結構広い。
開拓事業によって広げられたのかもしれないが、寺や神社はそういうところに建てられているので、年代は古いようだ。
一段上の平地からは、遠く海まで見える。
洲本高校側の段丘に行くと、もっと広々として、海からの風がさわやかに通っていた。
午後12時過ぎなのだが、それほど暑くもなく散歩できた。
レースが終わって、帰宅する頃には夕方の日差しに回りは赤く染まっている。
明石大橋は今度は西側を見渡したのだが、瀬戸内海はこんなに広大であったのかと感じた。
児島坂出ルートの橋では島がたくさん見えたし、狭い感じがしていたからである。
橋から眺めるパノラマは、一時旅の気分を味合わせてくれた。
兵庫県はいろんな顔を持っているとつくづく思う。
もっと、その魅力をアピールして観光客を呼び込んでほしいと思う。
昼間見た入浴観光施設はお客さんがまばらだったからである。
実は淡路島に行くのは、花博(2000年)以来だから、14年ぶりということになる。
明石から見えている淡路島を見ながら、行ってみたいと思い続けていた。
いつも二の足を踏んでいたのは、明石大橋の通行料の高さだった。
この4月からETC利用で900円ということになり、気軽に行けることになった。
車で通る明石大橋は二度目だが、他のどの橋よりも圧巻である。
何よりも、明石海峡が漁船で賑わっているのを見るのも、楽しくなる。
神戸淡路鳴門自動車道は山の上を走っているので、海を眺めながら走れて快適である。
用事できているのでなければ、どこかのパーキングで景色を眺めたいくらいである。
南あわじ市は遠かった、自宅から120kmほどある。
会場の温水プールに着いて、車のドアを開けたとたん、タマネギの臭いがした。
ちょうど収穫期で、回りの畑にはいっぱいタマネギが大きくなっ、て葉が折れ曲がって並んでいる。
天気も良いので、日曜なのに農家の人が忙しそうに収穫作業を始めていた。
私はレースが始まる前に、散歩がてら昼の弁当を買いに出かけた。
タマネギは掘り上げるのは機械だが、後はほとんど手作業である。
ひとまとめに括って,コンテナに入れたりして、タマネギ小屋まで運んでいく。
じっくり腰を下ろして作業をしているのだが、ほとんどの人が中高年で、若い人は滅多に見ない。
特に若い女性を見かけることがないので、何となく寂しい感じがした。
また、有機農業を手がけている私には、草一本生えていない畑には違和感を感じた。
マルチを使わず草が生えていないのは、除草剤を使っている可能性が高いからである。
レースが進んで、昼休みとなった。
私は時間の合間に昼食は済ませていたので、もう一度散歩に出ることにした。
どうも地形が気になっていたからである。
地理の授業を担当しているせいか、どうしてもそちらに関心が向いてしまう。
洲本川があって、その周りに平地があるのだが、もう一段上にも平地がある。
まさしく河岸段丘のようなのだが、一段上の平地は上がってみると、結構広い。
開拓事業によって広げられたのかもしれないが、寺や神社はそういうところに建てられているので、年代は古いようだ。
一段上の平地からは、遠く海まで見える。
洲本高校側の段丘に行くと、もっと広々として、海からの風がさわやかに通っていた。
午後12時過ぎなのだが、それほど暑くもなく散歩できた。
レースが終わって、帰宅する頃には夕方の日差しに回りは赤く染まっている。
明石大橋は今度は西側を見渡したのだが、瀬戸内海はこんなに広大であったのかと感じた。
児島坂出ルートの橋では島がたくさん見えたし、狭い感じがしていたからである。
橋から眺めるパノラマは、一時旅の気分を味合わせてくれた。
兵庫県はいろんな顔を持っているとつくづく思う。
もっと、その魅力をアピールして観光客を呼び込んでほしいと思う。
昼間見た入浴観光施設はお客さんがまばらだったからである。
2014年6月1日日曜日
蛍で賑わう川
今年の蛍はどうか気になって、近くの小川に出かけてみた。
真っ暗な橋の方で人声がする。
近所の老夫婦と若い孫娘が蛍を眺めにやってきていたのだ。
促されて、橋の上から葦の茂った方を見ると。
蛍が乱舞している。
いつも、この風景を写真やビデオで残したいと思うのだが、そんな技術は持ち合わせていない。
他の地域のように蛍祭りを行って、皆で賑やかに眺めるのも良いのだが、知り合い同士で、今年の品評をするのも良い。
その近所のご主人に寄れば、灯りが多くなって蛍が減ったという。
ご夫婦の家はまさに川のそばになるのだが、防犯のため設置された街灯のために、蛍が減ったという。
言われてみれば、以前にはその街灯は無かった。
そもそも、街灯の光だけで、蛍の光は打ち消されてしまっていた。
若い人が村から出て行ったり、年配の人などが亡くなって時との数は減るのに、街灯は増えた。
蛍を見て大喜びする、子供たちはめっきり減ってしまった。
そう言えば、今日は校区の運動会であったのだが、児童数も減ってしまったと聞く。
皮肉なもので、村が寂れていって、蛍の数は増えていったようだ。
亡くなった方の魂だとすれば、納得のいくことなのだけれど。
視線を夜空に向けると、星はかすんでいる。
近所のご主人は地上の灯りで、天の川が見えないという。
私は「PM 2.5もとんでいるからね」というと
ご婦人と若い孫娘が笑った。
そのPM2.5をブロックする太平洋高気圧が張り出して、満天の星が輝く頃には、蛍の季節も終わっているだろう。
地上の星と空の星を両方眺められる日は、この季節でもきっとあると思うけれど・・・
真っ暗な橋の方で人声がする。
近所の老夫婦と若い孫娘が蛍を眺めにやってきていたのだ。
促されて、橋の上から葦の茂った方を見ると。
蛍が乱舞している。
いつも、この風景を写真やビデオで残したいと思うのだが、そんな技術は持ち合わせていない。
他の地域のように蛍祭りを行って、皆で賑やかに眺めるのも良いのだが、知り合い同士で、今年の品評をするのも良い。
その近所のご主人に寄れば、灯りが多くなって蛍が減ったという。
ご夫婦の家はまさに川のそばになるのだが、防犯のため設置された街灯のために、蛍が減ったという。
言われてみれば、以前にはその街灯は無かった。
そもそも、街灯の光だけで、蛍の光は打ち消されてしまっていた。
若い人が村から出て行ったり、年配の人などが亡くなって時との数は減るのに、街灯は増えた。
蛍を見て大喜びする、子供たちはめっきり減ってしまった。
そう言えば、今日は校区の運動会であったのだが、児童数も減ってしまったと聞く。
皮肉なもので、村が寂れていって、蛍の数は増えていったようだ。
亡くなった方の魂だとすれば、納得のいくことなのだけれど。
視線を夜空に向けると、星はかすんでいる。
近所のご主人は地上の灯りで、天の川が見えないという。
私は「PM 2.5もとんでいるからね」というと
ご婦人と若い孫娘が笑った。
そのPM2.5をブロックする太平洋高気圧が張り出して、満天の星が輝く頃には、蛍の季節も終わっているだろう。
地上の星と空の星を両方眺められる日は、この季節でもきっとあると思うけれど・・・
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