私は散髪屋には年に1~2回ほどしか行かない。
以前は全く行かない年もあった。
それは、自分で電気バリカンを使ってやっていたからである。
それが数年前に壊れて、買おうとしたのだが家内がどうしても駄目だという。
散髪屋へ行くか、嫌なら家内がやってくれるというので、買うのも高いこともあって我慢した。
ここのところは、家内が髪梳きの道具で上手にやってくれていた。
ただ、家内はなるべく髪を長めに残そうとする。
理由は私が厳つい体型と人相なので、人に脅威を与えないためだという。
最近テレビで頭髪の薄さを髪を伸ばして誤魔化すよりも、短くした方が良いと知った。
家内も夏と言うこともあって、頭頂の薄さを目立たないように全体的に短くしてくれていた。
それでも自分としては、水泳の後や洗髪後が面倒だし、一番嫌なのは窓を開けて運転するので髪がばさばさになることだ。
私は軽トラがあまり燃費が良くないし、スピードも余りだしていないので、雨の日以外は窓を開けている。
以前髪を長くしていると、時々目に入ったり、顔に触って嫌だった。
そして何より、でかい頭には短髪の方が、農作業でかぶる麦わら帽子がかぶりやすい。
今回、意を決してリサイクルショップで安い電気バリカンを買った。
もうけたと思って早速、自分で刈り上げた。
大変な状態になってしまった。
安いだけあって、長さを調節する器具が甘くて、ひげ剃り状態になってしまったのだ。
左のこめかみのあたりが完全に剃り上がったので、右も同じようにせねばならない。
こめかみあたりは顔か頭か分からない状態になってしまった。
家内が戻ってきて見て、至る所が虎刈り状態だというので、直してくれて頼んだが、修復不能と突き放された。
いっそ、スキンヘッドにしようかというと、いかついから止めた方が良いと言われて諦めた。
確かに丸刈りはでかい顔が強調されるし、暑さ寒さを直に感じさせられる。
しかし、白髪が目立たなくなるので、年齢不詳になってくれる。
白髪はどうしても老けてみられるのである。
最近は若い人でもスキンヘッドの人も多くなったが、金をつぎ込んで薄さや白さを誤魔化すより、そのほうが良いような気もする。
職場では、遠慮してか良いとも悪いとも言われなかったが、場合によって短い方がセクシーだと一般的に言ってくれる人もいた。
ただ、短くすると初対面の人や、公共の場では距離をとられることも事実である。
以前、私の目の前で、わざわざサングラスを外すおじさんもいて、そこまで恐がらなくてもと思った。
だいたい近年はその方面の方は、もっとおしゃれである。
ただ、この自分でやる散髪は、寒い冬にはできない。
やる時はだいたい、上半身裸で洗面所で行うからである。
そうしないと、刈った短い毛が服に付いてとれない。
冬場は我慢して安い散髪屋に行くか、家内にやってもらう。
だから自分にとっては、夏の装いに戻ったと言うことになる。
今度のバリカンはくせ者なので、次は工夫しなくてはいけないが、二回やれば十分元が取れる。
そう言えば職場の上司も、1000円で散髪してきたと自慢していた。
高給取りでさえそれだから、いわんやぺいぺいは、というところだろうか。
それでも近所の人は、殆ど無い髪でも頻繁に散髪に行って人もいる。
これからの散髪は、安く気分転換できるようになれば、もっと利用するのではないかと思う。
流れ作業のようにやられる安い散髪屋さんは、私は苦手である。
プールやスポーツジムで、ちょっとついでに散髪というのが良いのではないだろうか・・・
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2014年8月30日土曜日
2014年8月28日木曜日
水道の修理
数日前から風呂場の洗面台の下に水が溜まっていた。
茶色い錆の混じった水だった。
気がついたのが夜だったので、翌朝に家内に見ておくように言って出かけた。
家内は洗面所の水道の止水コックのあたりが漏れているので、タオルを巻いておいたとメールをよこした。
夜に家に戻って、洗面所を見たら水漏れは無いので、翌日にしっかりと見ることにした。
予め休みを取っていたので、水道を見てみようと洗面台の下をのぞいた。
家内が水請けにした容器も漏れた水でいっぱいになっている。
これは根本的に直す必要があると思った。
台の下には扉がついているのだが、その扉が壊れかけている。
壊れかけた扉が修理の邪魔になるので、はずそうと思って持ち上げたら、水が噴き出してきた。
急いで、家の外の水道の止水コックを閉じに行った。
戻ってみると、洗面所の下は池のようになっている。
急いでありったけのタオルで水を拭いた。
よくよく見ると、蛇口につながる止水コックの根元が錆びてとれかかっている。
用具を使って、その部分を取り除いた。
元の栓を閉めたので、水道が全く使えない。
夜勤から戻った息子はシャワーも使えないし、そもそもトイレの水も流せない。
ホームセンターが開くのを待って、急いでとりあえず止水栓とパテを買いに行った。
洗面台の下は、もう板が腐って底が抜けている。
コンクリートの壁から出た水道管に止水栓を取り付けるために、奥の板も邪魔になったので壊した。
何とか止水栓をはめて、パテを巻いた。
外の水道の止水コックを開いても水が漏れてこないので、安心したがこれで洗面台の水道蛇口は使えない。
ただ、温水用の蛇口は使えるので、しばらくはそれのみを使うほかは無い。
家を建てて、20年ほどになる。
引っ越した夏も今年のように、雨がよく続いて米が不作となった。
電気製品は既に壊れて買い換えているが、こうやって水道にも問題が出始めた。
数ヶ月前に洗面台の蛇口の漏れを直したばかりだった。
リフォームといいうのが、他人事では無くなってしまった。
これからは老後を見据えて、リフォームをする必要もあるだろう。
こんなハプニングは山崩れで家を失った人のことを思えば、大したことがない。
ただ、もしものことに備えることは、大小に違いは無いと思う。
壊れることを念頭に、家は建てるものだと言うことに関しては・・・
茶色い錆の混じった水だった。
気がついたのが夜だったので、翌朝に家内に見ておくように言って出かけた。
家内は洗面所の水道の止水コックのあたりが漏れているので、タオルを巻いておいたとメールをよこした。
夜に家に戻って、洗面所を見たら水漏れは無いので、翌日にしっかりと見ることにした。
予め休みを取っていたので、水道を見てみようと洗面台の下をのぞいた。
家内が水請けにした容器も漏れた水でいっぱいになっている。
これは根本的に直す必要があると思った。
台の下には扉がついているのだが、その扉が壊れかけている。
壊れかけた扉が修理の邪魔になるので、はずそうと思って持ち上げたら、水が噴き出してきた。
急いで、家の外の水道の止水コックを閉じに行った。
戻ってみると、洗面所の下は池のようになっている。
急いでありったけのタオルで水を拭いた。
よくよく見ると、蛇口につながる止水コックの根元が錆びてとれかかっている。
用具を使って、その部分を取り除いた。
元の栓を閉めたので、水道が全く使えない。
夜勤から戻った息子はシャワーも使えないし、そもそもトイレの水も流せない。
ホームセンターが開くのを待って、急いでとりあえず止水栓とパテを買いに行った。
洗面台の下は、もう板が腐って底が抜けている。
コンクリートの壁から出た水道管に止水栓を取り付けるために、奥の板も邪魔になったので壊した。
何とか止水栓をはめて、パテを巻いた。
外の水道の止水コックを開いても水が漏れてこないので、安心したがこれで洗面台の水道蛇口は使えない。
ただ、温水用の蛇口は使えるので、しばらくはそれのみを使うほかは無い。
家を建てて、20年ほどになる。
引っ越した夏も今年のように、雨がよく続いて米が不作となった。
電気製品は既に壊れて買い換えているが、こうやって水道にも問題が出始めた。
数ヶ月前に洗面台の蛇口の漏れを直したばかりだった。
リフォームといいうのが、他人事では無くなってしまった。
これからは老後を見据えて、リフォームをする必要もあるだろう。
こんなハプニングは山崩れで家を失った人のことを思えば、大したことがない。
ただ、もしものことに備えることは、大小に違いは無いと思う。
壊れることを念頭に、家は建てるものだと言うことに関しては・・・
2014年8月22日金曜日
歌の盆
盆と正月には、葉山にいる弟夫婦を除いて、兄弟家族が集まる。
うちの両親が歌が好きなこともあって、昔はよく皆でカラオケに行った。
それぞれの子供も大きくなったし、小さい甥や姪はゲームの方が好きなのでカラオケには行かなくなった。
それで家でパソコンを使ってのネットカラオケを、好きな者だけでやることが多くなった。
そして初めてギターを持ち込んだ父親の法事の祭に、泊まりがけで集まった時だった。
最近ははフォークギターを必ず用意して、酔いが回るといつも歌い始める。
私の兄弟は男ばかり四人だが全員バンド演奏の経験がある。
全員がフォークギターの簡単な演奏は出来る。
ギターコード付きの歌詞集をめくりながら、二時間以上も歌い続ける。
今年は、座敷のテレビはゲームをつないで、そこで甥や姪は遊び、その隣で歌の好きな者同士が歌い始めた。
兄弟が歌うのは主にフォークソングやニューミュージックなので、老いた母親は歌えない。
それでも、そばで一緒に楽しんでいる。
そこで、アカペラで「里の秋」を兄弟で二部合唱した。
これは母親がよく私ら兄弟に歌って聴かせた曲である。
続いて「花」の二部合唱・・・
指が痛くなると交代して、声がかれるまで皆で歌った。
私は今年買ったハーモニカも、調子ぱずれでもならしたりもした。
今までの法事や以前の盆などは湿っぽい話が多かったが、今回は明るく最後まで歌って終わった。
私がバンドにのめり込んで、大学受験を失敗したことを親はよく怒っていた。
しかし、その歌のおかげで今でも、皆が仲良く一緒に歌える。
そんな高価な料理や酒を用意しなくても、満足できる歌の盆である。
うちの両親が歌が好きなこともあって、昔はよく皆でカラオケに行った。
それぞれの子供も大きくなったし、小さい甥や姪はゲームの方が好きなのでカラオケには行かなくなった。
それで家でパソコンを使ってのネットカラオケを、好きな者だけでやることが多くなった。
そして初めてギターを持ち込んだ父親の法事の祭に、泊まりがけで集まった時だった。
最近ははフォークギターを必ず用意して、酔いが回るといつも歌い始める。
私の兄弟は男ばかり四人だが全員バンド演奏の経験がある。
全員がフォークギターの簡単な演奏は出来る。
ギターコード付きの歌詞集をめくりながら、二時間以上も歌い続ける。
今年は、座敷のテレビはゲームをつないで、そこで甥や姪は遊び、その隣で歌の好きな者同士が歌い始めた。
兄弟が歌うのは主にフォークソングやニューミュージックなので、老いた母親は歌えない。
それでも、そばで一緒に楽しんでいる。
そこで、アカペラで「里の秋」を兄弟で二部合唱した。
これは母親がよく私ら兄弟に歌って聴かせた曲である。
続いて「花」の二部合唱・・・
指が痛くなると交代して、声がかれるまで皆で歌った。
私は今年買ったハーモニカも、調子ぱずれでもならしたりもした。
今までの法事や以前の盆などは湿っぽい話が多かったが、今回は明るく最後まで歌って終わった。
私がバンドにのめり込んで、大学受験を失敗したことを親はよく怒っていた。
しかし、その歌のおかげで今でも、皆が仲良く一緒に歌える。
そんな高価な料理や酒を用意しなくても、満足できる歌の盆である。
2014年8月6日水曜日
蓮の花咲く散歩道
私の散歩コースは、幾通りかあるのだが、この季節は蓮の池のそばを通るコースが多い。
咲き始めの頃は、花の数も少なく、少々寂しい。
しかし、今は花びらが散りかけていたり、種ができた実も混じっている。
その中で、池一面に葉が生い茂り、その上で花がいっぱい咲いている。
この様子を極楽浄土の如しと思うのも不思議は無いと思った。
先日も千種に水をくみに行った時は、ちょうど南光町ではひまわり祭りを行っていた。
あたりいっぱいに黄色い花が咲き誇る様子は、あの映画の世界に思えた。
年々規模が大きくなり、多くの人が訪れる。
御津の梅園は年配の人が多いのだが、ひまわり畑は子供連れや若いカップルも多い。
夏の真っ盛りに、華やかで若々しさを感じさせるのがひまわり畑だ。
近所の蓮の池はマニアの人が写真を撮りに来たりするが、大勢の人が見に来るものでは無い。
近所の人が、美しさを褒めながら散歩がてら見に来る程度である。
蓮根もとる人がいるが、栽培目的ではないので自然である。
栽培目的で水田やため池を利用している蓮は農作物という感じだ。
ほとんど管理せず、自然に任せている蓮なのにむしろ気品を感じる。
多くの花が何か媚びた感じがするのに、蓮はそれを感じさせない。
そして、花同様に葉にも優しさを感じる。
水面を隠してしまって、まるで雲海のように生い茂る葉
何の変哲も無いため池を大きなキャン
まさしくこの季節の散歩道は画廊なのである。
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