このところ狐によく出会う。
大人になる前の若狐のようだ。
春にもよく見かけたのだが、それはイチゴを狙っていたらしい。
今は、田んぼの中の獲物や落ちた柿などの果物のようだ。
朝の散歩の時などは、しばらくこちらの様子を見ていて、近づいていくと稲の中に隠れる。
さすがなのは、じっとしているのか稲が揺れない。
北海道に修学旅行で行った時に、キタキツネの話を聞いた。
人が餌をやるのでなついているとのこと。
冬場の雪が人と狐を結びつけているのかもしれない。
ここらでは畑や庭を荒らすので歓迎されていない。
今年は例年に無くカルガモの群れをよく見かける。
夏を田んぼや川で越したのだが、10羽ほどが編隊を組んでよく空を舞っている。
台風が来た時はどうするのか気になったが、蓮の池に待避していたようだ。
これも稲を荒らすので歓迎されていないようだが、猟期では無いので獲る人はいない。
鷺も相変わらず多くて、田んぼや家のそばの溝でドジョウなどの小魚をついばんでいる。
急に飛び立って驚かされることもあるが、道で出会うと一声鳴いて飛んでいく。
そう言えば、散歩の時にいつも出合う山羊も、そばを通る時に挨拶のように軽く鳴いてくれる。
気に障るのは電柱や電線に留まっているカラスで、警戒を示す鳴き声で威嚇する。
それでも、襲いかかってくる(側まで飛んで威嚇する)ケリよりはましである。
だから、家に一人で居てテレビを見ているよりも、散歩に出かけて動物や虫たちを眺めている方が楽しい。
そして、何よりも嬉しいのは、近所で赤ん坊の泣き声も聞こえたり、出産間近のお母さんを見かけることである。
そして、子供が安心して虫を捕っていたり、自転車に乗って遊んでいる。
残念ながら友達が少なくて、一人である事が多いのだが、大人が野良事しているので、寂しくはなさそうである。
たまにおばあさんが一緒に網を持って走り回っている。
ご本人は大変かもしれないが、うらやましくもある。
人と生き物がそこそこ仲良く暮らしていっている里、中途半端な動物園よりも楽しい。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2014年9月20日土曜日
2014年9月15日月曜日
秋の農作業と時間
夏休みが終わってやっと休みがとれた。
先週の土日は水泳の県大会の関係で、終日神戸に出かけていた。
近所の農家は、既に白菜の苗を植え付け、大根の種を蒔いて芽が出ていた。
私が手がけている畑には、夏物野菜と草が乱雑に生い茂っていた。
何とか二日がかりで、白菜の苗を植え、大根の種を蒔いた。
今ちょうど、渡辺由文『時間と出来事』中央公論新社を読んでいて、ふと思った。
我々は時間を管理する組織の下で働かされている。
教師は比較的自由な時間は持てるが、勝手に始業時間に遅れることは出来ない。
対して農作業は、基本、いつやっていつ終わっても構わない。
つまり、季節に追われはするが、時間に縛られず、時間から自由なのである。
私の父親は生前、熱心に畑仕事をしていた。
事務職になる前の、職工時代でも田畑の仕事を良くしていた。
生活のためだと思っていたが、それだけではなくて、自由に働く楽しさを知っていたのだ今回気づいた。
元々船乗りの父親は、雇われてする仕事よりも、自分でする農作業に楽しみを見いだしていたのだろう。
確かに、パチンコや釣りなどの娯楽も、自由な時間を使う楽しみかもしれない。
ただ、リスクがあまりにも大きすぎるような気がする。
費やす時間に見合うだけの成果は、普通の人はなかなか得られない。
対して作物は、それなりの学習時間は必要だが、費やす時間に素直に応えてくれることが多い。
そういう意味で、唯一、時間を自分で有効に管理できているのである。
もう一つ楽しいことは、厳しく成果を求められないと言うことである。
それは、現金収入に縛られないで済むということだ。
よく採れれば生活の足しになったり、あげれば別のものになって返ってきたりする。
この夏は天候不順であったが、そこそこ野菜が採れて食卓も潤った。
面白いことに、畑のキュウリが終わったら、庭に自然に生えていたキュウリがなりだした。
食べきれずに庭に捨てていたキュウリが芽を出したのである。
何せキュウリも一本百円以上するというので、貴重な成果である。
先日も自家製の黒ニンニクを母親や兄弟家族にあげたら、非常に喜ばれた。
何せ普通に買ったら500円ほどするのを、30個ほど持って行ってあげたからだ。
家では惜しげも無く、毎日一個を家族で分けて食べている。
また、去年収穫した黒大豆は、豆乳として貴重な健康食になっている。
投資した機械代や、肥料代などに見合うかというと、厳しいものもある。
父親はそれに拘り続けて、殆ど機械は用いず、結局体を壊した。
そちらの方が、返って採算に合わなくなる。
採算がとんとんでも、楽して成果が得られれば、それで良いのである。
なにせ夜に読書するだけの体力は残しておかねばならない。
涼しくなった秋こそ、昼耕夜読の季節である。
先週の土日は水泳の県大会の関係で、終日神戸に出かけていた。
近所の農家は、既に白菜の苗を植え付け、大根の種を蒔いて芽が出ていた。
私が手がけている畑には、夏物野菜と草が乱雑に生い茂っていた。
何とか二日がかりで、白菜の苗を植え、大根の種を蒔いた。
今ちょうど、渡辺由文『時間と出来事』中央公論新社を読んでいて、ふと思った。
我々は時間を管理する組織の下で働かされている。
教師は比較的自由な時間は持てるが、勝手に始業時間に遅れることは出来ない。
対して農作業は、基本、いつやっていつ終わっても構わない。
つまり、季節に追われはするが、時間に縛られず、時間から自由なのである。
私の父親は生前、熱心に畑仕事をしていた。
事務職になる前の、職工時代でも田畑の仕事を良くしていた。
生活のためだと思っていたが、それだけではなくて、自由に働く楽しさを知っていたのだ今回気づいた。
元々船乗りの父親は、雇われてする仕事よりも、自分でする農作業に楽しみを見いだしていたのだろう。
確かに、パチンコや釣りなどの娯楽も、自由な時間を使う楽しみかもしれない。
ただ、リスクがあまりにも大きすぎるような気がする。
費やす時間に見合うだけの成果は、普通の人はなかなか得られない。
対して作物は、それなりの学習時間は必要だが、費やす時間に素直に応えてくれることが多い。
そういう意味で、唯一、時間を自分で有効に管理できているのである。
もう一つ楽しいことは、厳しく成果を求められないと言うことである。
それは、現金収入に縛られないで済むということだ。
よく採れれば生活の足しになったり、あげれば別のものになって返ってきたりする。
この夏は天候不順であったが、そこそこ野菜が採れて食卓も潤った。
面白いことに、畑のキュウリが終わったら、庭に自然に生えていたキュウリがなりだした。
食べきれずに庭に捨てていたキュウリが芽を出したのである。
何せキュウリも一本百円以上するというので、貴重な成果である。
先日も自家製の黒ニンニクを母親や兄弟家族にあげたら、非常に喜ばれた。
何せ普通に買ったら500円ほどするのを、30個ほど持って行ってあげたからだ。
家では惜しげも無く、毎日一個を家族で分けて食べている。
また、去年収穫した黒大豆は、豆乳として貴重な健康食になっている。
投資した機械代や、肥料代などに見合うかというと、厳しいものもある。
父親はそれに拘り続けて、殆ど機械は用いず、結局体を壊した。
そちらの方が、返って採算に合わなくなる。
採算がとんとんでも、楽して成果が得られれば、それで良いのである。
なにせ夜に読書するだけの体力は残しておかねばならない。
涼しくなった秋こそ、昼耕夜読の季節である。
2014年9月7日日曜日
ちょっとハワイまで
先週の日曜は鳥取道を通って、ハワイ(羽合)まで家内とドライブに行ってきた。
鳥取道は通行料が無料なので、安くて短時間で日本海側まで行ける。
ただ、入り口までが自宅から1時間ほどかかるのが難点だ。
当然、一般道の山道の方が魅力がある。
鳥取道は殆どトンネルだし、パーキングも少なくて米子道の蒜山のような人気スポットが無い。
その分、渋滞も無く、スムーズに鳥取郊外まで行くことが出来た。
昼食においしい魚をと思って、日本海の海岸沿いの一般国道を走った。
天気はそこそこ良いのだが、波は結構高い。
日曜であるにも関わらず、車の量も少ないし観光バスにも殆ど合わない。
美しい海の景色をみながら、結局湯梨浜町の海岸まで来てしまった。
明日から9月だというのに、海水浴をする人もいた。
是非、来年の夏は海水浴に来たいと家内に話すが、「私は嫌だ」とつれない返事だった。
この歳になると一緒に行ってくれる相手がいない。
孫ができて一緒に来られる日が来るのかと寂しく思う。
結局、家内がスマホで見つけたのは、山陰自動車道にある道の駅の羽合であった。
そこにはレストランがあるというので、期待して行ってみた。
家を出たのが10時過ぎで、到着したのが午後一時を過ぎていた。
東郷湖の見える見晴らしの良いところにあったのだが、レストランの焼き魚定食は売り切れ。
しかたないので、そばセットの食券を買って、汗をかきかき食べた。
野菜の添え物がおいしかったが、並の味であった。
特産物で良いものがあったらと、売店を覗いたが、岩牡蠣が一個700円以上もして手が出ない。
梨など果物は私は控えているので、結局、何も買わなかった。
せっかく良い立地に有りながら、今ひとつ魅力の欠ける道の駅である。
自宅近くの室津の道の駅や備前の海の駅の方が、むしろ人気があるのがよく分かった。
立地だけでは人は呼べないということで、現にお客さんは少なかった。
帰りも引き返して鳥取道で帰った。
せっかく近くなった鳥取であるが、国道沿いは寂れた感じだし、魅力あるスポットに欠ける。
ただ、落ち着いて旅路を楽しむのは良さそうである。
瀬戸内側の人間は海が南にある感覚で、太陽光発電が海を背にしていると不思議に感じる。
風力発電も珍しいし、島の見えないのも様子が全く違う。
安くて時間もかからずに来られて、遠くに来た気分にさせてくれるのが良いところである。
今度はゆっくり時間をかけて、秋の日本海の風景と味を楽しみたいと思った。
鳥取道は通行料が無料なので、安くて短時間で日本海側まで行ける。
ただ、入り口までが自宅から1時間ほどかかるのが難点だ。
当然、一般道の山道の方が魅力がある。
鳥取道は殆どトンネルだし、パーキングも少なくて米子道の蒜山のような人気スポットが無い。
その分、渋滞も無く、スムーズに鳥取郊外まで行くことが出来た。
昼食においしい魚をと思って、日本海の海岸沿いの一般国道を走った。
天気はそこそこ良いのだが、波は結構高い。
日曜であるにも関わらず、車の量も少ないし観光バスにも殆ど合わない。
美しい海の景色をみながら、結局湯梨浜町の海岸まで来てしまった。
明日から9月だというのに、海水浴をする人もいた。
是非、来年の夏は海水浴に来たいと家内に話すが、「私は嫌だ」とつれない返事だった。
この歳になると一緒に行ってくれる相手がいない。
孫ができて一緒に来られる日が来るのかと寂しく思う。
結局、家内がスマホで見つけたのは、山陰自動車道にある道の駅の羽合であった。
そこにはレストランがあるというので、期待して行ってみた。
家を出たのが10時過ぎで、到着したのが午後一時を過ぎていた。
東郷湖の見える見晴らしの良いところにあったのだが、レストランの焼き魚定食は売り切れ。
しかたないので、そばセットの食券を買って、汗をかきかき食べた。
野菜の添え物がおいしかったが、並の味であった。
特産物で良いものがあったらと、売店を覗いたが、岩牡蠣が一個700円以上もして手が出ない。
梨など果物は私は控えているので、結局、何も買わなかった。
せっかく良い立地に有りながら、今ひとつ魅力の欠ける道の駅である。
自宅近くの室津の道の駅や備前の海の駅の方が、むしろ人気があるのがよく分かった。
立地だけでは人は呼べないということで、現にお客さんは少なかった。
帰りも引き返して鳥取道で帰った。
せっかく近くなった鳥取であるが、国道沿いは寂れた感じだし、魅力あるスポットに欠ける。
ただ、落ち着いて旅路を楽しむのは良さそうである。
瀬戸内側の人間は海が南にある感覚で、太陽光発電が海を背にしていると不思議に感じる。
風力発電も珍しいし、島の見えないのも様子が全く違う。
安くて時間もかからずに来られて、遠くに来た気分にさせてくれるのが良いところである。
今度はゆっくり時間をかけて、秋の日本海の風景と味を楽しみたいと思った。
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