今年は、例年に無く喪中欠礼のお葉書の数が多い。
おそらく私が交流している相手の方は、身内の方が高齢になっている人が多いからだと思う。
ただ、一人だけご本人では無くて、奥さんから頂いたものがあった。
以前、このブログでも書かせていただいた故西畑俊昭氏の奥さんである。
私のブログを読んでくれたことが書き添えられてあって、思わず私も目頭が熱くなってしまった。
ただ、気ままに書いてあるブログに、心を寄せていただいたことを、恥ずかしくもあり、ありがたく思えた。
私は亡くなった方は、その人と関わった人の記憶の中で行き続けると思っている。
文化人類学や民俗学をやっていたせいか、霊魂とかカミの事柄と関わることが多かった。
確かに、霊魂を科学的に量子論レベルで解明しようとする人もいて、興味深いと思っている。
私はその人を直接ないし間接的に知る人が、共同で見たり感じることが出来る存在だと思っている。
感受性の強い人、よく言う霊感の強い人は、知識が無くても感じられるようだが、私はそれほど強くないのでよく分からない。
それとは反対に、その存在を否定してしまう人もいるが、私はそれには賛成できない。
私は赤穂の畑仕事をしている時、その畑で汗水を流して働いていた今は亡き父親を感じている。
父親ならどう言うだろうかと思うと同時に、側で同じように働いているような気がする。
取得する時に宅地にしてしまって、固定資産税が非常にかかるので、処分したいと思いながらも、畑を作り続けるのもそのせいかもしれない。
先祖伝来の田畑に拘る農家の人の気持ちを、経営の観点から疑問を感じることもあった。
父親が亡くなってからは、田畑というのは、親や先祖から子供や孫につないでいく大切な命の絆だと思うようになった。
田畑だけではなくて、師弟関係や仲間で得られた知識や姿勢もそうである。
亡くなった廣山先生や西畑氏との関わりの中で得られたものを、私はその面影ともに引き継ごうと思っている。
中心となる人が欠けてしまうと、そのグループの人との関係は希薄になってしまう。
それでも、先日懇意にしていただいた方の息子さんと、お話が出来て懐かしかった。
その息子さんは薬剤師さんなので、学校の衛生検査や保健委員会に、よく来ていただいている。
廣山先生や西畑氏の関わりがあった人たちは、それなりに赤穂の中で頑張っている。
先日も宮崎素一さんが県で表彰されるニュースを「赤穂民報」で知って、嬉しかったし、励みにもなった。
年賀状を書くことは、年の暮れは故人を偲ぶことにもなる。
と言いつつ、いつもなかなか書けない・・・・
私の大好きな「雪の華」です。かなり以前に歌ったものですが良かったら聴いてください。「雪の華」
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