ページビューの合計

2015年1月29日木曜日

惜別と感謝

今日、3年生の最後の授業があった。
授業の始めに、自分の古い大学時代の体験を話したりした。
いつものようにプリント学習をして、いつものように終わった。
すると、号令を掛けた生徒が、少し待ってくださいというので、何かと思うと。
センター試験で一番頑張った生徒が代表して、花束とメッセージカードを渡してくれた。
そして、皆で「2年間ありがとうございました」と言って拍手してくれた。
予想もしていなかったので、涙が出て「ありがとう」としか言えなくなってしまった。
教師生活を長い間しているのだが、3年生の最後の授業で花束をもらったのは初めてであった。
メッセージカードにも、感謝の気持ちが添えられていて心を打った。

今の3年生とは去年からのつきあいだが、今年は学年から外れて関わりも少なかった。
ただ、日本史の生徒とは授業や補習など、多くの関わりが持てた。
センター試験でも、期待以上の成績を上げてくれて嬉しかった。
普段はまじめでおとなしい受験選抜クラスの生徒とは、あまり雑談で話すことも無かった。
まだ受験が残っている生徒から、このような心遣いをもらえるとは思っても見なかった。
どちらかというと、一般クラスの生徒とは色々話す機会があったが、最後の授業はあっけないものだった。
そのどちらの生徒も、私にとっては別れるのが寂しい生徒たちである。
一緒に修学旅行に行ったことも、その思いを強くさせているのだろうと思う。
担任として卒業生を送ることが出来なかったのは残念だが、その小さな花束で私は教師として幸せを感じた。
後は生徒たちが、希望する大学に進学できること、進路先で上手くやれるよう祈るだけである。
私は、こんな素晴らしい生徒たちと2年間過ごすこと出来て、本当に良かったと思う。
私こそ感謝の気持ちで一杯である。
ありがとう そして、君たちのことをいつまでも思っています。

涙が出て言葉に出来なかったので、気持ちを歌に託しました。
良かったら聴いてください。
「たしかなこと」(小田和正作品)

2015年1月25日日曜日

成人を祝う会

前任校である特別支援学校の教え子たちが,今年成人を迎えたというので、それを祝う会があり参加した。
私は障害児教育の学校は三校経験しているが、こういう催しは初めてであった。
姫路駅前の立派なホテルの会場を借りて、正装でと言うのでネクタイだけは締めていった。
会場でその意味が分かった。
教え子の多くは成人式に備えて、スーツや着物を用意しているが、自治体の主催する成人式には多くが参加していなかった。
障害者の会である手をつなぐ親の会(育成会)の催しもあるが、それにも殆どの卒業生は参加していなかったという。
保護者や高校時代の担任の先生が中心となって、晴れ舞台をつくってあげていることが分かった。

教師の方は、学校が分割されたり、異動したりで、そのまま勤めている先生は三分の一以下で、しかも全員が出席ということでは無かった。
生徒の方も、私が担任しているクラスは、7人中4人しか出席しておらず、欠席していた生徒の方が気になった。
卒業して2年ほどしか経っていないこともあって、雰囲気は高校時代とあまり変わりは無かった。
ただ、着物を着せてもらっている女子は、やはり華やかで見違えた。
何よりも、保護者の方がこの会を喜んでいる様子が格別良かった。

私は普通校に移って、2年目と言うこともあって、以前の雰囲気に戻るのに戸惑いもあった。
生徒とはいつものように話せるのだが、ステージで踊ったり歌ったり、ゲームをすることに躊躇いができてしまっていた。
その点では、特別支援学校に勤め続けている先生が、女装したりして卒業生たちを引きつける工夫で和ませてくれた。
卒業生たちは、高校にいた時と同じのりで、楽しい時間が過ごせたと思う。

帰りすがら思ったのは、やはり参加しなかった生徒のことだった。
事情も色々あっただろうが、自治体の成人式にも、こういう催しにも参加していないのだろう。
ただ、自分自身も成人式には参加していないし、祝ってもらったことも無い。
自分は大学が名古屋で遠かったので、赤穂に戻る負担も多くて成人式には帰らなかった。
スーツも教育実習を行うまで、持っていなかった。
そして、何より中学校から地元赤穂を離れているので、友達に会う目的がなかったからである。
その点、地元の学校を卒業した私の子供は成人式にはちゃんと帰って参加したのとは違う。
要するに生まれ育った場所と、どれだけ密接なのかと言うことである。
そういう意味で、特別支援学校の生徒と私は、地元との関わり薄い点で似ているのである。
違うのは自分達の手で、同窓会などの催しを出来るかどうかと言うことだろう。
私は高校の同窓会には、学生時代からよく参加した。
生徒たちは学校が主催する学校全体の同窓会に参加できるが、参加する人数は多くは無い。
だから、卒業後に学年で集まることが出来る最大の催しが、この成人を祝う会なのである。

今回、無事成人を迎えることが出来た生徒を見て、嬉しく思った。
参加できなかった生徒や教師の方が気にはなるけれど、こういう催しが盛大に出来ていることの方を喜ぶべきだろうと思った。
個人個人の様子を聞いたら、色々考えさせられることもあったけれど、これからも何とか頑張っていきていってくれると思う。
年老いていく自分の方がむしろ取り残される感じもするが、また町で出会ったら互いに様子が話せるよう互いに健康であればと思う。

2015年1月18日日曜日

千種の水くみ2015年冬

水くみ場、手前が我が家の軽トラ
今日、家内と千種に水くみに行ってきた。
1月にくみに行くのは初めてである。
いつもなら、雪のシーズンを避けて早めにくみに行っている。
昨年の暮れは、早々と寒くなったこともあって、忘れていた。
雪が積もっていたら、水くみ場の駐車場も埋まっているだろうし迷った。
朝の散歩をしながら、どうしようか考えた。
コーヒーやお茶は、買ってきた水を飲んで、料理はくみ置きで良いかなと思った。
しかし、水道水で作った味噌汁のまずさを思い出した。
うちで使う味噌は、家内の母親の手作りで、添加物も無い。
だから、余計に水道水のカルキの味が強調される。
散歩していて、天気も良いし、気温が高いので行けると確信した。

早速、散歩から帰宅して行く準備をした。
雪のシーズンは、スタッドレスタイヤをはいているフィットで行く。
しかし、ホースが使えないので、ノーマルタイヤだけど、軽トラで行くことにした。
100円玉を用意していなかったので、ガソリンを入れたり、買い物をしてから出かけた。
千種川の河川工事は、どんどんと進んで、橋も新しく架け替えられていたりした。
周りの集落は工場も無くなって寂れていく感じなのに、工事だけ大がかりなのか不自然だった。
そんな折、佐用町の久崎小学校に、「ありがとう久崎小学校123年」という横断幕を見た。
どうも、久崎小学校は廃校になるらしい。

調べてみると、徳久小学校は昨年の3月に廃校になっており、佐用町の小学校の統廃合が進んでいるようだ。
上郡町でも小学校の統廃合は進んでいるのだが、佐用町も同じらしい。
久崎小学校は作用の水害の時に、対策本部が置かれ、色んな車両が集まってきて、その対応に追われていたのを思い出す。
災害からの復興が進む一方で、子供の数はどんどん減っているのだなと思った。
実は、私の父方の祖母がこの近くの小赤松の出で、実家の家も久崎の大工さんに建ててもらった。
そういう意味で、久崎には親しみを感じていただけに、寂しい思いである。
小規模の小学校から、大規模な中学校へ行くと、元気を失う子供が多いと、学童に勤めている家内は小学校の先生からから聞いたという。
それなら、いっそうのこと中学校や高校も小規模にしても良いのでは無いかとも思う。
学校が大規模である必要性は、これからの時代は薄れてきたと思う。
職場自体が小規模になっているからである。

千種に近づくと、さすが雪国の様子に変わっていった。
だんだんと山は白くなり、道ばたには雪が積もっていた。
ただ、この暖かさで、雪はだいぶ溶けていて、ノーマルタイヤでも問題は無い。
水くみ場の駐車場も、雪はあったが、問題なく車をとめられた。
問題はくむ人の多さである。
以前は、休日に来ても、誰もいないことが多かった。
今回は、既にくんでいる人もいたし、くみ始めてからもやってきた。
うちは多く水をくむので、待ってもらうのに気がとがめる。
しかし、待っている人もたくさん水をくむようで、待ってもらうしかないのである。
平成の大馬鹿門前の水くみ場が賑あうのは、スキー場近くの水くみ場が閉鎖されているからである。
ホースを継ぎ足しての水くみは、容器を運ぶより楽だが、じっとしているので少し寒い。
時々、冷たい風が吹いてきて寒さを感じるが、曇っていたのが晴れて、雪がまぶしく暖かさも感じた。

冬の午後は普通曇ることが多いのだが、天気も良く帰りの車の中は暖かい。
遠くで浮かぶ、雲も冬雲とは違い、まるで春のようである。
そう言えば、スキー客に行きも帰りも殆ど会っていない。
昼間の時間帯ということもあるが、スキー離れを感じさせた。
千種付近に住む人の、生活を考えるとそちらも賑わってもらいたい。
スキーが盛んだった頃は、千種は華やかに思えた。

地方に住みたいという人が多いというのに、地方はそういう人を受け入れる経済力が無い。
ただ、これからの時代は金をなるべく用いずに生活する方法を工夫するべきだ。
そして、消費税がかからない個人取引で売買する方法がある。
それを上手く仲介できる人がいれば、もっと地方は暮らしやすいだろう。
そもそも、教育費や医療費がそれほど負担にならなければ、収入も多くは必要が無い。
地方創世は地方のそういう負担を、都会よりも大幅に減らすことから初めてもらいたい。

2015年1月11日日曜日

トンドの火よいつまでも

今年から村の字のトンドのやり方が変わった。
今までは一〇数件の隣保(班)ごとに、当番で準備をしていた。
ところが、人手不足でその負担に耐えられない班が出てきて、上中野という大字(組)全体で行うことになった。
日時も以前は1月14日の夕方に火を付けると言うことで、その前の休日に支度をした。
今年からは、成人の日の前日の朝に準備をして、夕方に火を付けるようになった。
本来は小正月の行事で、それが成人の日の休日となり、その休日が日曜にくっつけられて混乱した。
本来は旧暦の小正月行事だから、新暦の1月14日に拘る必要も無かったのだが、いつまでも拘っていた。
場合によって、平日の夕方に火を付けて、翌日の平日の朝に後片付けになって面倒になる。

以前は夜一〇時頃になると、近所の人が呼びに来て、火を囲んでの酒盛りになった。
殻付きの牡蠣を食べたり、冷凍保存していた魚介類や鹿肉などを焼いて食べた。
酒を飲んで中から暖めし、トンドの火を囲んでの会話は心温まるものだった。
年によっては、明け方の三時近くまで飲み明かした。

村人は高齢化して、ずいぶん寂しくなったのだが、トンドがやれるだけましである。
中野の村でも隣の組は、去年から止めてしまった。
近隣の町の中では、止めてしまっので、注連縄の処分に困って、やっている村の人に頼むところもあるという。
いつまでこのトンドに加われるか分からないが、寝小便をしでかすまで続けたいと思う。

泣けないお墓

この土曜日は、叔父の三回忌で名古屋まで出かけた。
家内と、母親と一緒に、朝五時に起きて、車で出かけた。
昨年は、大学時代に住んでいた近くなので、ナビを無視してお寺を目指して迷った。
今年は、ナビにも従ったし、もう叔父の見舞いから、葬式、法事と4回目になるので迷わなかった。
ところが、私の母親が時間を間違えて、1時間も早く来てしまった。
赤穂の親戚は、青春十八切符と新幹線を上手く使って、時間より少し遅れてやって来た。

うちの親や叔父は本来は浄土真宗なのだが、お墓の都合で去年より真言宗で法事を行っている。
叔母が言うには、地下鉄の駅が近くて便利で手頃な近代的な墓が見つかったので、決めたと言うことである。
昨年の納骨の儀式の時に初めて見て驚いた。
カードをかざすと、叔父の墓が現れてくるのである。
いわいる立体駐車場原理の、お墓なのである。
お経も今まで唱えてきたものとずいぶん違うし、お墓もテレビゲームのようだし、気持ちが入らない。
食事も、そのお寺で済ましたのだが、運転のこともありお酒も飲めず、親戚も食事が終わると早々に帰り支度を始めた。
交通に往復7時間を費やして、やってきた名古屋での法事は、つつがなく終了した。

叔父は、赤穂を離れて、名古屋で就職して、そこで所帯を構えたが、できる限り帰省を続けた。
亡くなるまで、赤穂に帰りたいと言い続けていた。
しかし、赤穂に思いがあるのは、叔父のみであった。
赤穂の親戚は、赤穂の雰囲気を、その法事の場に持ち込みはしたが、異なるお経と異次元のお墓の前では、たじろぐばかりだった。
食事が済むと、一人の叔父が「はよ いの(帰ろ)」と席を立ってしまったのも、そのせいだと思う。
せっかく来たのに、亡くなった叔父が生きていたら、寂しい思いをしたろうと思う。
私は学生時代に、叔父にずいぶん世話になったので、今度の七回忌には、この雰囲気を変えられたらと思っている。
ただ、亡くなった叔父の魂は、もう、赤穂に戻ってきているような気がするのだが・・・

2015年1月6日火曜日

お節のDIY



我が家のお節

この写真を見て、おかしいと思いませんか?

家内の母親に見てもらうと、直ぐ指摘されました。

そう!鯛の頭が右を向いているでしょう。

なぜか?

裏を見せられないからです。

つまり、私が焼く時に焦がしてしまったのです

去年から、節約のために鯛は私が七輪で焼いています。

去年は、焼き網に引っ付いて、皮が破れて見苦しくなったので、今年は串刺しにして焼きました。

これだけ大きい鯛ですから、高さ調節のブロックの上に、鉄のタイヤホイールの中を落とした筒を置いて載せました。

なるべく遠火で焼いたので、時間がかかり、つい炭を加えたまま、近くで大豆の脱穀をしていました。

油断でした!

気がついた時には、首がもげかかるほど焦げてました。

しかし、気を取り直して、裏面はじっくりと焼きました。





他のお節はスーパーで買ったのと、家内の手作りです。

特に黒豆を煮るのは、家内の得意としているところなのですが、今回は家で採れた黒大豆ではありません。

選別するのを、手間に思ったからです。

最近はお節を買うのが当たり前なのですが、自分で作ると安上がりです。

この鯛は、刺身用なのですが、一匹税込みで1000円ほどです。

家内の実家で、立派な鯛を頂きましたが、値段を聞いて驚きました。

なんと、これより一回り大きいのですが、5000円だそうです。

見た目は良かったのですが、身は固くてパサパサで、味では絶対勝ったと思いました(口が裂けても言えませんが・・・)。

入れ物のお重は、自分にはよく分からないけど、高いものだそうです。

安売りスーパーの品物と、手作りで我が家のお節はガッチリです。

2015年1月4日日曜日

論文提出の悪夢

これから新学期だし、受験生にとってはいよいよ受験の始まる大切な時期である。
私はこの1月10日頃になると、論文提出の悪夢が蘇る。
私は大学受験に関しては、それ程苦しんだという記憶は無い。
焦りばかりで、苦しむ手前でケリが付いたというのが実態かもしれない。
むしろ、卒業や進学がかかった卒論や修論は、地獄の苦しみを味わった。
素案文章をいっぱい書いておいて、いざまとめや清書と言うことになって、なかなか文章がまとまらなかった。

特に修論は、教官の指示に従わずに、調査資料を用いて書いたので、もてあます羽目になった。
殆ど不眠不休の状態が、一週間あまりも続き、机の上で目を開けたまま眠ってしまっていた。
つまり、起きて論文を書いているのだが、午前二時だったのがいつの間にか朝だったりした。
その間、文章は全く書けていなかった。
なかなか書けないし、締め切りは迫って、小説家がなぜ自殺するかが身をもって分かった。
当時は手書きだったので、清書は数人の人に手伝ってもらった。
提出の日は、駅の階段で上るのが辛くて、先輩に介助してもらいながら、手すりにしがみついてホームまで上がった。
大学までの坂道も、ふらついてやっと提出したが、帰りの電車は眠り込んで乗り換え駅を寝過ごしてしまった。

当然そんな状態だから、内容も良くなくて、先輩からはもう一年留年してやり直すように言われたが、当時は色んな意味で限界が来ていた。
この歳になれば、一年くらい余分にやってもいいように思うのだが、当時の1年は今の10年にも感じられた。
結局、博士課程への進学を断念して、高校教員になることにした。

先日、ノーベル賞を受賞した天野浩・名古屋大学教授が、実験は何度失敗しても楽しくて続けられたとテレビで言っておられた。
大成する人は、やはり違うのだなと思った。
氏は私とほぼ同じ年で、こちらが南山大学にいる時に、名古屋大学にいたのだと思うと親近感を感じる。
しかし、研究と言うことになると、全く足下にも及ばない。
失敗を楽しみに換える力など、自分にはとうていなかった。

今から考えると、都立大学は本当に素晴らしい師や先輩にめぐまれていた。
しかし、その環境を活かす力が自分には無かったのである。
ただ、その失敗はその後の人生に活かすことが出来たと思う。
今でも少しずつ研究が続けられているのも、そのお陰だし、そこに在籍できたことに誇りも持てている。

ただし、そう思えるようになったのは、つい最近のことで、長い間悪夢でしかなかった。




2015年1月3日土曜日

久しぶりの小野豆とコウノトリ

以前にも触れたことがあるが、上郡の高田地区には平家伝説で有名な小野豆という集落がある。
いつものウォーキングコースを変更して、小野豆まで行くことにした。
昨日今日と、箱根駅伝があり、上郡出身の中谷選手も3区で区間賞を取るなど活躍していた。
ただ、彼の所属する駒澤大学は、箱根の山登りで躓いていた。
駅伝に刺激されたわけでは無いが、山登りを頑張ってみようと思ったのである。
私はウォーキングやジョギングには、スマホのRuntasticを使って距離やペースを測っている。
また、ウォーキングの時にはそれの附属アプリのRuntastic Musicで音楽を聴きながら歩く。
このアプリは、距離ごとや時間ごとに、かかった時間やペース、消費カロリーを告げてくれる。
そして、音楽もその告知の時には小さくなったり、写真を撮る時などには止まってくれる。
そして、終了した時に、その記録が集計されて、Fscebookなどでも公開できる。

今回は、平坦な道なら、1kmを10分から13分の間で歩いたが、さすがにきつい坂では、17分くらいになっていた。
平家塚のあるところまで行ったのだが、406mもあって、意外と高いことが分かった。
途中の枝垂れ桜があるところでは、山陰になっていたせいか、雪が残っていて滑った。
自宅から往復、7.75km、時間は1時間40分、消費カロリーは505kcalであった。
小田和正の「小田日和」というアルバムが気に入っていて、それを聞きながらなので楽だった。
そして、このRuntasticからの告知が励みになる。
季節の良い時などは、風景や鳥の鳴き声を楽しんだら良いのだろうが、冬場はトレーニングであるから、楽な方が良い。
と言いながら、この季節には土日には登るのはためらわれる。
狩猟が行われていて、山から銃声が聞こえてくる。
以前に何も考えずに犬を連れて登ったら、猟犬に遭遇して危ない雰囲気になった。
今日はさすがに正月だから、狩猟は行われていないと思って登った。

平家塚のある公園からは、遠くに瀬戸内海が光って見えた。
スマホで写真を撮ってみたが、撮り方もよく分かっていなくて、上手く撮れなかったのが
残念だった。
こういう近くの山に登るのは、良い気分転換になる。
以前は、毎日のように登っていたし、子供と一緒に登るのも楽しみだった。
子供はバギーに乗せて登ったこともある。
今では、愛犬も死んでしまったので、一人で登るしかない。
また、村に戻ってくると、村が違った風景に見えるから不思議である。

午後からは、家内が勤めている学童の児童が、赤穂のジャスコで踊るというので見に行った。
わざわざ新宮から踊りに来ていて、「播州わらべ」というグループだったが、大人も混じっていた。
正月らしく賑やかで楽しいものだった。
その帰りに、家の近くで大きな鳥が降りてくるのが見えた。
コウノトリのさっちゃんかも?
家内はわざわざ車を止めて、ブログ用の写真にしたらとスマホで撮影を始めた。
 だいぶ前から二羽コウノトリが来ているのは知っていた。
最近では、いるのが当たり前になって騒がれなくなり、平気で近くまで降りてくるようになっていた。
家内の撮影したコウノトリ

家内に「さっちゃんのドジョウを食べた」と言われたが、さっちゃんはさすがに、家の側の溝には降りてこない。
決して競合はしてはおりません・・・