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2015年4月12日日曜日

スマホで我流から学びへ

私は水泳に関してはコーチについて習った。
その時に専門家から指導を受けることの大切さを学んだつもりだった。
ところがジョギングや自転車に関しては、相変わらず我流のままだった。
それでもジョギングではRuntasticを用いて、時間と距離によりペースを把握するようになった。
それが先日来、NHKのランスマやチャリダーを録画し得見るようになって、考えが変わった。
やはり、ジョギングも自転車もちゃんと専門家から学ばなくてはいけない。
マラソンなら1kmを7分で走れば、5時間以内で戻ってこれる。
雨の日に自転車に乗る時には、おなかの中にナイロンのゴミ袋を入れて保温するなど・・
やっている人には当たり前に思えることが分かっていなかった。
だから今朝のジョギングでは、1km7分程度で7km走って満足できた。
以前なら1km5分ほどで走っていたので、1kmを6分でも遅いと思っていた。

本来ならコーチについて練習した方が良いのだろうが、Runtasticでなんとかペース配分が分かる。
本来なら心拍計も用いた方が良いのだろうが、そこまでスピードを上げるつもりは無いので、今のところ必要で無い。
学校内ではスマホ携帯を用いるなと言う指導を行っている。
しかし、全て禁止するのでは無くて、運動部のトレーニングなどに用いれば良いと思う。
スマホは重いのでて陸上部の練習には、もっと本格的なウェアラブル端末の方が良いだろう。
先日もALTの先生と一緒に走ったが、二人で走るとペースが分からなくなるので、Runtasticは非常に役に立った。
ただし、彼女はマイルでのペース配分だったので、換算するのに頭を悩ました。
この時は1kmで平均6分23秒、総距離4.62kmだった。
Runtasticは履歴も残るので後でも振り返ることが出来る。

スマホは大きいのを買ってしまったので、最初はベルトにつけるポーチで対応した。
ジャージの上にベルトを締めたり、ウェストポーチを利用したりした。
これは非常に面倒で手間になった。
そこで思い切って3000円もする腕に装着するポーチを買った。
これは非常に便利だし、途中経過の音声が良く聞こえるようになった。
ただ、相変わらずイヤホンのコードが邪魔になるので、なるべく音楽は聴かずに走っている。
因みに歩く時は音楽を聴くことが多い。

将来は水泳にも対応できる、ウェアラブル端末も使えたら良いとは思う。
こちらは長年やっているので、ペース配分はだいたい分かる。
しかし、どれだけ泳ぎ込んできたかは記録していないので分からない。
Runtasticの良いところは、もう一つ統計が見られることだ。
週、月、年、総計の単位で知ることが出来る。
これはずいぶんと励みになるだろう。
スマホはコーチであり、サポーターでもあるのである。
そして、テレビのランスマとチャリダーもしっかりと見ることにしようと思う。

2015年4月5日日曜日

旅立ちへのエール?

一年間一緒に仕事をしたW先生が東京に旅立った。
彼は東京都の教員採用試験に合格して、今回、都の肢体不自由の特別支援学校に赴任する。
今年30歳の彼の経歴はかなり人とは違う。
彼は小学校から高校まで不登校傾向で、結局高校は職業高校を中退して通信制を卒業した。
大学は地方の国立の教育大学で、専攻は美術だがピアノも弾けて多才であった。
大学院にまで進んで、美術関係で数々の賞をもらったり、海外で個展を開くほどの活躍をしていた。
その彼が地元兵庫県で教員を目指して、臨時講師を続けていた。
東京を選んだのは、今年兵庫県で美術の採用が無かったのと、個人的な理由からである。

彼とは一年間にわたり、色んな話が出来た。
自分の子供ほどの年齢の若者から、色んなことを教わったし、こちらもできる限りのアドバイスをした。
彼は不登校の折りに両親に迷惑を掛けたと言うことで、非常に家族思いであった。
内臓疾患のある父親を入院させて、その面倒も見続けた。
彼は十分に親孝行を果たしたと思う。

彼を支えたのは、家族以外でも職業高校の折に担任をしてくれた先生や、同じ塾の友達であったりした。
学校には行けない彼を、周りの人が一生懸命励まし、そして彼はそれに見事応えていった。
ただ、彼はどういう訳か大きな事件に遭遇することが多かったようだ。
講師をしていた特別支援学校では、同じクラスを担当していた先生が生徒の手を握りながら現場で亡くなったという。
高校でも生徒の思わぬ出血の場面に遭遇して、腰を抜かしてしまい、その後腰痛に苦しんでいる。
其の他、普通の人なら一生に一度も経験できないことをいくつか経験している。

そんな彼が、生き馬の目を抜く東京で暮らすことには、心配であった。
個人的な事情も知って、私は反対もしたが、彼の意志は強く、そして希望にあふれていた。
私は東京で障害教育の免許を取得して、また戻っておいでよと行って送り出した。
案の定、彼は免許も持たないのに障害児教育に携わることになった。
本当は東京に馴染んで、活躍をしてそこで生活を築いていくことが出来れば良いのだろう。
若い頃の私だったら、骨を埋める気持ちで頑張れと言っただろう。
しかし、今の私は家族や色んな人との関わりを考えて、また戻っておいでよと言ってしまう。
これは遠く大学院で研究を続けている娘への気持ちと同じである。
一緒に暮らさなくても、近くい住んでいてくれれば良い。
親のエゴなのかもしれないが、色んな経験から思いやる気持ちでもある。