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2015年5月21日木曜日

Vegetable Job

今年はタマネギもニンニクもできが良い。
タマネギは肥料の効きにムラがあるので、大小様々である。
ニンニクは白ニンニクは上郡で、赤ニンニクは赤穂で作っている。
マルチをちゃんと使った白ニンニクの出来は、玉が大きくて素晴らしかった。
赤ニンニクはマルチをしなかったので、草抜きに追われて手間が掛かった割に、出来は今一つであった。
しかし、去年はタマネギは殆どとれなかったし、ニンニクも小粒だったので満足している。
農作業は家庭の事情が現れる。
去年は家内が入院したりして、農作業がどうしても疎かになっていた。
今年は家内の手はあまり借りられなくなったが、その分効率的に行うことに努めたので成果が上がった。

今回のタマネギの収穫は、職場のALTの先生にも手伝ってもらった。
彼女はアメリカ育ちの日系人で、都会育ちなので初めてタマネギの茎を切ったという。
そばに植えてある作物がジャガイモであることも分からなかった。
彼女はタマネギとニンニクをおすそ分けしてもらったお礼だと手伝ってくれた。
彼女は同じ文化人類学を専攻したというので、当初から話が合った。
一緒に音楽活動もして、バイオリンを弾いてくれている。
ジョギングや自転車に乗ることも共通の趣味である。
日本人ならいくらフィアンセがいるといっても、まだ若い独身女性なので気軽にお付き合いできないところだ。
しかし、日系人とはいえアメリカ人の彼女はあまり男女や年齢を気にしない。
私も娘のような年齢の彼女に、そう気を遣わなくて接することができている。

家内が借りてきたビデオでWood Jobという作品を今日見終わった。
舞台となった三重県の山奥とはかなり違うが、田舎という点ではここも同じである。
まさしくALTのMさんは林業体験をする主人公のようなのかもしれない。
彼女は日本には移住するつもりは無くて、アメリカに戻ってフィアンセと小さな畑をやりたいと言っていた。
農業が本場のアメリカで家庭菜園というのも面白いと思うが、反って企業化された農業の国では新鮮なのかもしれない。
かつては研究者を志した私だが、こうやって田舎で農作業をしながら暮らしている。
田舎暮らしだからこそ見えてくるものもあるし、言えることもあるように思えている。
最前線の学会の動向とは無縁にはなっているが、滅び行く田舎の最前線にいる。
Wood Jobのように若い者を拐かして、田舎に引きずりこむ役割を担うのも必要かもしれない。

2015年5月16日土曜日

スナイパーの目にも涙

私は以前に同僚の教師から、「あんたはスナイパー(狙撃手)だ。厳しい批判を誰をも畏れず浴びせる」と言われた。
20年くらい前、教師成り立ての頃の話である。
私は教育現場において、おかしいと思うことには、誰がどういう立場であろうと異議を唱えてきた。
結局、居づらくなって、同じ職場に長くて6年、最短3年で変わってきた。
おかげで正式採用になって30年近くになるが、現在の学校で7校目になる。
こういう調子だから、同僚の教師から褒められたこともないし、あまり慕われたことも無い。
ただ、こんな教師でも生徒だけは慕ってくれて、それだけで何とか30年近くも教師を続けられた。

転勤が多いと言うことは、それだけ嫌がられる職務が多いと言うことになる。
今の学校現場では、長く同じ職場にとどまっている方が、有利になる仕組みになっているからである。
嫌がられる職務では、一番その職場の問題点を突きつけられる。
有言実行のつもりで改善に取り組んだりしたが、限界を感じて去らざるを得なかった。
それでも一緒に改革に望んだ仲間がいた学校では充実した日々もおくれた。
自分を理解してくれている人が、たった一人である場合もあった。
そんな自分もそろそろ引き際かなと思うようになった。

そんな折、同じ教科の送別会の飲み会があった。
お酒も回って、気楽に話せる状況になり、そういう引き際の話になった。
すると驚いたのは、今まであまり話したことも無かった同僚の先生が、私に対して身に余る評価で慰留してくれる。
どちらかというと、批判的な目を向けていた相手であったので、恐縮してしまった。
彼は一番私と生徒の関係を、側で見てくれていたようだ。
別の教師には辛辣な評価を下す彼が、手放しで自分自身が私に比べて指導上で劣ることを口にしている。
誰にも理解されていないと思っていた自分は、不覚にも涙を流してしまった。
私も先輩の教師の背中を見て、それを目標に教師を続けてきた。
私はスナイパーだったので、背中を隠してきたつもりだった。
しかし、私の背中の方に守るべき生徒がいることを知ってくれていた同僚もいたようだ。