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2015年7月30日木曜日

野良犬だったクロから思うこと

我が家に来てクロも、もう少しで2週間になる。
色々と手こずることが多くて、不安に思うことが多かった。
一番困るのは散歩の時に、他の犬や人に過剰に反応することである。
引き綱を引いて、足下で押さえつけるようにしているが、それでも暴れる。
それを見て、年配の犬連れのご婦人はおもしろがっている風でもある。
やはり律儀そうな年配の男性は、ここは決まった散歩ルートとばかり、道を変えずに向かってくる。
そう言えば、かつて猟犬を連れたご老人が、散歩で苦労していたのを思い出した。
その人は、甲斐犬を飼っていて、田んぼに引き釣り込まれて倒れたりもしていた。
今できる対策は、散歩ルートを変えてなるべくそういう人と犬に会わないことである。
結局それも、根本的な解決にはならないが、成長すれば少しはましになるかもしれない。

とにかく、生後8ヶ月でいたずら盛りなので、色んな悪さをしてくれる。
庭の花を傷めるので、ネットを張ったら引き倒してしまった。
そこでベランダボックスを置いたら、その上で寝そべっている。
まるで御山の大将である。
じゃれて噛むこともあったので、それはきつく叱った。
しかし、道ばたに落ちている干からびた蛙を食べることは止めない。
おそらく、捨て犬時代の大切な食料だったのだろう。
猟犬の血を引くので、草むらや泥の中でも飛び込んでいく。
私もガス抜きと思って、あまり制止はしない。

最近新聞の記事の中で、戦災孤児の手記が連載されている。
野良犬だったクロと比較するのは気の毒だが、場合によって孤児の方が惨めに思える内容もある。
野良犬でも上手く飼い主に巡り会えれば、一生寝食の心配はいらない。
しかし、戦災孤児の多くは野垂れ死んだり、親戚の家で惨めに暮らしたらしい。
野良犬は、豊かさの中で身勝手な飼い主の生む悲劇である。
戦災孤児は、豊かさを求めて身勝手な権力者と大衆が生んだ悲劇である。
日本では過去のものとなった戦争が生む悲劇も、海外では日常となっているところもある。
日本の自衛隊は番犬から猟犬ないし闘犬に変身させられようとしている。
犬も番犬に徹していれば良いものを、猟犬や闘犬になったら手傷を負うだろう。
「狡兎死して走狗烹【に】らる」という格言もある。

2015年7月24日金曜日

学術書の悲哀

先日、自分の著書を生徒に見せるために、ネットで検索した。
我が目を疑った。
Amazonで中古で6056円の値段が付いている。
定価は3000円であり、おそらく絶版のためにプレミアが付いている。
新品の場合を3000円で受け付けているところもあれば、20000円の値段を付けているところもある。
在庫を多く持っているとは思えないので、出版社へ問い合わせしていないネットショップもあるのだろう。

私はこの本を出版するために、親族や学校厚生会から借金をした。
出版社から割り当てられた書籍を売っても、とうてい足りない額である。
一生に一度かもしれないと思って、新車に買い換えるのを我慢すれば良いかと思った。
当然、大学の先生のように授業で用いることは無いので、数多く売れるはずも無い。
ただ、公立図書館や大学などで購入して頂いているのは検索すれば分かった。
出版してから9年目で出版社の抱える在庫は無くなったようだ。
しかし、再版の打診も無いので、このまま絶版と言うことだろう。
再版が無いと言うことは、著作料も入らないということである。
そして、出版社とっても、割の良い書籍では無かったと思う。

私は次の出版にかかって、やはり10年近く経ってしまった。
借金も払い終わっていない状態で、同じような形で出版しようとは思っていない。
出版社と折り合いが付かなければ、最低、大学生協などでの自費出版とデジタル出版を考えている。
そうは言いながら、原稿が仕上がらなければ話にもならない。
とにかく、原稿を書く余裕が無いのが実情だ。
あまりにもやりたいことが多すぎる(反省)

世の中に原稿料を多く稼げる人がいる一方で、借金を背負ってまで出版するのは何故か。
いつも、家内への言い訳は
「多くの図書館が私の著書を置いてくれている。自分の本は何十年経っても価値を持ち続けてくれる」
その価値が、中古で6000円、新品で2万円なのかなとも思う。
500円の文庫本40冊分の価値を付けてもらったと思えば、幸せなのかな・・・

2015年7月20日月曜日

新しい我家の一員

我が家にまた犬を迎えた。
飼っていたトラという雑種犬が死んで2年経つ。
私は柴犬が欲しくて、ペットショップに見に行ったこともある。
しかし、家内は経済的な理由で最後まで渋っていた。
かつて、モモというメスのシェルティーを飼っていた。
30年近く前だが、3万円で譲ってもらった。
今は、ペットショップで10万円をきる犬はあまり見かけない。
雑種のトラを近所からもらったのは、経済的な理由ではない。
モモが血統書付きの犬として、頭も性格も良かったが、しょっちゅう病気をして、最後は病気で死んだからだ。
その点雑種のトラは殆ど病気にはならなかったが、頭も性格もあまり良くなかった。
次の犬は、日本の風土に馴染んでいて賢そうな日本犬の柴犬が、良いように思えていた。

まだ、経済的な余裕がない家計においては、経費の安い形をとらざるを得なかった。
そこで、ネットの「ペットのおうち」などで犬の里親に応募した。
そのネットにおいて、現在、飼い犬の置かれている現実に気が重くなった。
里親を募集しているのは、雑種が多いのはもちろんだが、名だたる犬種の成犬や、障害を抱えた幼犬。
殺処分を回避したいという、ボランティアの人の努力に頭が下がった。
その一方で、犬を商売としてしか考えていない人もいることも確かであった。
また、無責任な飼い主が多いことも、情けないことに思えた。
ペットブームの闇の部分を垣間見ることになった。

今回、迎えた犬は仮の名を「りく」と言った。
生後7ヶ月くらいで、すでに体重が11kgもあった。
ネットの大きな写真では可愛く見えた。
実は添えられていた最近の写真をしっかり見ていなかった。
ただ、幼犬を求めたのは躾のためで、可愛さではなかった、
実際会ってみると、ビーグルのかかった雑種らしいのだが、可愛い幼犬の域ではもうなかった。
野良犬になっていたのを岡山市の保健所に捕獲されたという。
今の時点ではボランティアの人が預かってくれているが、その人は他に犬を飼っておられた。
このまま飼い主がいなければ、殺処分しか無い運命だった。
その犬の人なつっこい行動からして、もとは飼い犬であったことが分かった。
大きくなってもてあましたか、猟犬として育てようとしたが不向きと分かったか・・・
とにかく捨てられたか、逃げだしたらしい。
人なつっこい反面、車におびえ、物を軽く投げただけですごく恐がった。
野良の時期に、余程怖い目に遭ったのであろう。
とにかく、この犬の命を助けたのは、献身的な「岡山から不幸な犬猫をなくす会」のボランティアの方だった。

我が家では名前を新たに、「クロ」と息子が名付けた。
私たち夫婦は子供のいない時代から、犬を飼っていたので、また元に戻った感じだ。
我が家の犬の第一の役割は、家族の運動不足の解消である。
どんなに疲れていようと、朝夕の散歩が待っているからである。
クロは殆ど鳴かないので、番犬にはならないと思う。
ただ、庭に犬が居るということで、少しは安心できる。
何よりも、仲間が増えて賑やかになった。
家内は以前から犬と一方的に話をする癖があり、既に始めている。
近所の殆どの犬は血統書付きの室内犬なので、庭飼いの最後の雑種と言うべきかもしれない。
庭飼いと言いながら、居間の側の縁台の上に寝そべっているので、室内と殆ど変わらない。モモもトラも、居間の側の小屋でずっとそうして暮らしてきた。

2015年7月12日日曜日

芸は心を救う

残念ながら「芸が身を助ける」ほど、歌は上達しなかった。
でも、ことあるごとに歌によって救われてたなと改めて思う。
今回、若いメンバーとユニットを組んでYouTubeデビューを果たせた。
去年もやはり若い人とメンバーを組んで高校文化祭のステージに立った。
当然聴いている音楽や嗜好も違うわけだが、世代を超えて良いと思える曲なら一緒にやれた。
おかげさまでYouTubeの視聴カウントは、思ったよりも多くてびっくりしている。
おそらく私たちのことを知っている人が、観てくれているのだと思う。

私は幼稚園の頃に音楽教室に通って、オルガンを習ったのだが上手くならなかった。
外に出て遊ぶ方が好きだったので、一日に決められた練習が苦痛で嫌だった。
結局、ピアノまでたどり着かずに、辞めてしまった。
中学校の時にギターに出会い、何とかコードだけは弾けるようになった。
しかし、ボーカルが中心で、ギターは下手なままだった。
高校時代は先輩や同級生、弟などともバンドを組んで文化祭で活躍した。
そして、ヤンリクというラジオ番組の「ミキサー完備スタジオ貸します」にもでた。
浪速のモーツァルト=キダ・タロー先生に歌を褒められたのが、今でも自慢である。
私には、女房役のベースが付いてくれて、どのバンドでもI君とは一緒だった。
残念ながらI君とは別々の大学に入った。
I君はインドにとりつかれて、研究者になってしまった。

大学でも不思議と女房役のベースとN君と出会った。
その彼と軽音学部に所属したこともあったが、クラブの嗜好が合わなくて直ぐに辞めた。
N君とは結局一緒に文化人類学研究会で班を作って、村落調査を始めた。
N君も京都で教師になって、今でもバンドを続けているという。
私も、どこの職場でも、バンド仲間ができた。
でも、職場を転々としているので、ずっと長くつきあいの出来る仲間はいない。
それでも、今回のように、自分の子供と年齢が変わらない仲間と一緒に演奏できる。
将来に大きな希望を持っている人たちと、一緒に演奏していると元気が出る。

かつて、父母は私のバンド活動が、受験勉強の失敗の原因だと避難した。
確かに、高校3年にもなっても続けていたバンド活動は受験の妨げだっただろう。
しかし、大学受験は失敗したけれど、その後の人生においてたくさんの仲間と出会えた。
確かにそれで食ってはいけないのだけれど、心は十分充たされる。
近年、親父バンドが流行っているのは、物や金で充たされない心を救うためだと思う。
平均年齢40歳以上とはいわずに、水泳マスターズのように世代を超えて集えたらと思う。
コンテストやコンサートの機会が少ない私たちにとって、YouTubeが唯一の出演機会になっている。
でも、本当は観客と一緒に演奏を楽しみたい。
それが本当の音楽だと思っている。

2015年7月1日水曜日

YouTubeデビュー

念願のYouTubeのデビューができました。
昨年の高校文化祭では、男性3人ユニットによる体育館演奏。
この時の演奏の様子は、ビデオカメラの電池切れで、ほとんど後で見ることはできませんでした。
生徒には「YouTubeデビューするから、見てな」と約束しながら、3年生は卒業してしまいました。
その後、ALTの先生のバイオリンが加わって、練習を重ね、デビュー直前までこぎ着けました。
ところが、ピアノを担当してくれていたW先生が、東京都に採用されて離任されてしまいました。
ヴォーカルの校務員のTさんも、離任されてしまいました。

今年度の文化祭が近づき、どうしようかと迷っていました。
そこに、ピアノの先生とヴォーカルの先生が加わっていただき。
やっとデビューにこぎ着けました。
ネット上のコンテストにも参加しようと思っています。
(※応募締め切りで参加できず)
文化祭への出演も色々事情があって、断念しました。
2年前一緒にステージに立ったH先生が、今回一人で演奏されるので期待しています。

我々の演奏を、是非見てみてください。
アドレスは
 https://www.youtube.com/watch?v=jAu8ydrZQGk

体育館で収録しました。
何度か私のスマホで撮影したのですが、本番途中でスマホが熱くなってストップしてしまいました。
本当はそれをアップしたかったのですが、それに次ぐ作品です。

メンバー紹介
ヴァイオリン ALTのM先生です。アメリカ出身ですが、ご両親とも日本人です。お母様譲りの美しい音色が魅力です。

ピアノ 英語のT先生です。小さい頃からピアノを習っていたそうです。ソロで聴いてもうっとりさせてくれます。

ヴォーカル 国語のT先生です。大学でコーラス部に所属して、指揮を行っていたそうです。美しい声が魅力です。

私以外は20歳代の若々しい構成です。
世代の垣根を超えて、一緒に音楽活動ができる喜びを感じています。
見た目の私の白髪と、お腹には目をつぶって、他を注目してくださいね!