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2015年8月11日火曜日

三度目の入院

8月4日から人生三度目の入院となった。
二度目は教育入院で手術は行わなかった。
一度目は局所麻酔の手術、今回は全身麻酔である。
全身麻酔の腹腔手術で、すぐに回復できると医師から説明は受けていた。
しかし、入院初日、麻酔科医師によって全身麻酔のリスクを知らされた。
正直、止めて帰ろうと思った。
もし、手術を決める前に全身麻酔のリスクを知って真剣に考えていたら、部分麻酔を希望しただろう。
考えてみれば当たり前なのだが、全身麻酔は肺呼吸も止まるので、人工呼吸器が必要なのだ。
それで、肺活量検査を前もって行った理由が分かった。
口の中や歯に影響が及ぶ危険性があるので、口腔外科に手術前日に視てもらい、歯石を取ってもらった。

手術前夜は睡眠剤ももらったのでよく眠れた。
手術当日も、開き直って緊張はしなかった。
というのも、一回目の局所麻酔の手術では、お産よりも痛いという手術を経験していたからである。
その手術よりは痛みはましだろうと思っていた。
朝九時に手術台に寝かされて、麻酔を始めると言われたらすぐに意識を失った。
気がついたら別途に移されるところだった。
やはり、内臓脂肪が多くて手術に手間取ったそうで、終わったのは13時前だった。
実は、事前の説明では15時頃には終わらせたいといわれていた。
もっと、内臓脂肪に手こずると思われていたようだった。

麻酔が切れた後は、痛みとの戦いになった。
いくら腹腔手術でも、体へのダメージはそれなりにあるのだ。
一番大きな傷になったのはへそで、後でそこから出血があって、ガーゼをあてねばならなかった。
手術後は心電モニターや、酸素呼吸器、点滴、導尿、血栓予防のマッサージャーなど、体の身動きがとれる状態では無かった。
仰向けで同じ姿勢をしていると、背中がとても痛んだ。
それらが、一つ一つ外されていって、少しずつ体の姿勢も楽になっていった。
しかし、腹筋に力が入ると痛むので、寝返りを打つのも苦労した。

術後1日目に導尿がとれて、自分でトイレに行けるようになった。
しかし、ずっと移動式の点滴をもったままで、時々血が逆流して気持ち悪い状態になった。
その夜にやっと点滴も外れた。
術後2日目では、入院している3階の廊下をゆっくり歩けるようになった。
術後3日目には、傷口のガーゼがとれて、午後からシャワーを浴びることができた。
歩行訓練のために階段を使って向かい側の以前入院していた棟の3階まで行った。
術後4日目の朝は、早朝散歩に出かけて、コンビニに寄って買い物をした。
術後5日目、かなり普通に歩けるようになり、退院した。

今回の入院した外科の3階は、高齢者が多くて、同室の人も当初すべて高齢者だった。
その中で、若い看護師が元気に活躍していた。
普段高齢者と接することが多いせいか、私も同じような口調で話しかけられた。
私は教壇に立っている時とはいわば逆の立場で、指導され世話をされる立場だった。
そんな中で、この病院で理学療法士として働いている教え子が顔を出してくれた。
また、口腔外科では研修医として働いている教え子にも会えた。
その時だけ、ただの患者から教師に戻れた。
そして、彼女らから力をもらった。

実は今回の病気で大きく自信を失っていた。
体力だけには自信があったのに、肥満と加齢が大きく原因する病気だったからだ。
もう無理はできないと思い知らされた。
病室の周りの高齢者を見るにつけ、自分の老後を思い浮かべていたのだ。
毎日、甲斐甲斐しく病院にやってきてくれる家内らと共に労りながら老後を暮らそうと思った。
しかし、教え子の活躍する姿を目の当たりにして、老い込む歳では無いと思った。
教え子に会ったときに、こんな情けない姿は見せられない。
一度全身麻酔で死んだも同然の体になって、再び甦ったと思おう。
これは文化人類学で言うイニシエーション(通過儀礼)である。
現代に生きるシャーマンになってみるか・・・

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