今日、愚犬クロの去勢手術を動物病院で行ってもらった。
「岡山から不幸な犬猫をなくす会」から譲り受けた時の条件だった。
これ以上、不幸な犬を増やさないというのが大きな理由だった。
以前飼っていたトラは一度だけ、隣の雌犬に子供をつくらせた。
その時、その子犬は動物病院で飼い主を探してもらったと聞いた。
我が家の犬が放れたのではなくて、隣の犬が放れてやってきた結果だった。
もう近所では雌犬はいないし、野良犬もいないので不幸な犬は増えないと思う。
ただ、万一脱走した時にどこかで不幸な犬を作ることになるかもしれない。
というのが会の方の意向でもあった。
私自身は去勢というのは何となく不自然な気もした。
しかし、雌犬を迎えて子犬を増やすことも出来ない。
他の雌犬への欲望や、雄犬としてもマーキングは無意味で邪魔にも思えた。
そもそも、トラよりも衝動行動が激しく、猟犬の血を感じさせていた。
これから周りと仲良くやって行くには、去勢した方が良いようにも思えた。
睾丸が大きくなってきて、足を少し上げ始めたので潮時だった。
約束では8月いっぱいで言うことなので、ぎりぎりの手術になった。
朝は普通に散歩させて、病院の指示通り水と食事を抜いた。
運搬用のケージに入れて、赤穂迄連れて行った。
軽トラの荷台に後ろ向きだったこともあって、ずっと鳴きっぱなしだった。
病院に預けて夕方迎えに行った。
思ったより元気そうで、私の声を聞いて鳴いているのが分かった。
先日自分が手術しただけに心配したが、会ってみると元気そのものだった。
今日の支払いは2万2千円で安くは無かった。
安売りのペットショップから犬を買うということであれば、むしろ高い。
却って費用が高くついてしまう里親ではあるが、損をしたとは思えなかった。
確かに、色々と面倒を掛けてくれるけれど、魅力もその分ある犬だからである。
保護をした会としても、見殺しにするには忍びなかった理由が分かる。
私は今、自分の研究のテーマとして、奴隷制を調べている。
奴隷を犬となぞらえる有名な学者もいた。
去勢はまさしく、特殊な事例ではあるが中国の宦官と同じである。
もし、奴隷制が普通に行われていた時代だったら、犬の代わりに人を買っただろうかと思う。
言葉が通じる人とそうでない人では全然違うと思った。
同じ奴隷制でも、異民族や異人種の奴隷はより犬や家畜に近いことが分かる。
以前知り合った奴隷を経験した人は、自分で家畜並みと言っていた。
言葉が通じる社会での奴隷ではあったが、そう感じたのである。
一方、解放されても主人の家に居続けた奴隷も知っている。
一人で生きる術を知らない奴隷は、独り立ちする方が過酷なのである。
これは、雇用されている私たちにも言えることだ。
病気になったり、自殺や過労死する仕事でも辞められない。
奴隷と違って、家庭やプライドを背負っているからだ。
そして、被雇用者は消費者としても役に立つので保護されている。
もし戦争になれば戦力になるし、支援体制にも使える。
目の前に主人はいないが、国家という大きな主人に飼われているようにも思える。
国家と一体となった企業や官公庁に雇われ続けなければならない。
他に生きる術を身につけてこなかったからだ。
人権を守るということは、国家に連ならない権力者の奴隷になるのを阻止するという意味のようにも思える。
戦争反対が叫ばれた戦後70年のこの夏。
まさしく死んでいった400万の兵士や国民はなんであったのだろう・・・
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